(投稿者:怨是)
「なァんだそりゃ!」
弾けるような笑い声で、腹筋がよじれるような心地を、この男は味わわざるを得なかった。
彼の名は、アロイス・フュールケ。階級は大尉。
かつて
アシュレイ・ゼクスフォルト少佐の下に付き、とあるMAIDを護衛していた兵士の
一人である。
時は1944年1月30日。
雪の降り積もった兵舎において、茹でたてのポテトと冷やしたビールは兵士達の腹と喉を潤す必需品であった。
「ワインが欲しいなどと贅沢を抜かすから、自分で買って来いと云っただけなのにな。どう転べばああいう思考に行き着くのか、未だに見当が付かん」
温和な笑みを浮かべながら愚痴をこぼすもう一人の男は、ライオス・フォーゲル・シュミット少佐。公安部隊所属。
フュールケの古い友人であり、学生時代にはノートの交換などもしていた。
お互い
エントリヒ帝国の政治には思うところがあって、なおかつ共通点がいくつかあったという。
今日の休暇は、その数々の談笑のうちの一つである。
「おかげで上層部から随分とお叱りを受けてな。これもまた笑うに笑えんが、何と云ったと思う?」
「“そういう時は私も誘え”とか?」
そんな生ぬるいものではないとでも云いたいのか、得意げに口元をニヤつかせながらシュミットは首を振る。
「だったら良かったのだがな。正解を教えよう」
咳払いを一つして、神妙な表情をわざと作り上げる。
シュミットのお得意のジョークの一つ、物真似だ。
「“同じ銘柄だからあまり堂々とワインを買われると、自分が隠れて買っているのが明るみに出る”」
……だ、そうだ。と続け、云い終えぬうちに彼の表情はいつもの得意げな笑みに戻っていた。
「何だかなァ」
フュールケは呆れた表情で次のポテトに手をつける。
安物の金属製フォークでクシャクシャに潰したそれを、休暇中の人間にありがちな緩慢な動作で口に運びながら話の続きに耳を傾けた。
シュミットのほうのポテトはすっかり冷めて、湯気すら浮かんでいない。まだ一口も胃袋に運んでいないようだ。
食べるほうの口を留守にして、シュミットはそのまま続ける。
「別に規律に違反しているわけでもあるまいし、何をコソコソやっているのか。私には到底理解できん。
罪の意識を感じるならば最初から買わねば良いものを。地位の椅子はこうも人を鈍らせるのか」
ここは一応、フォローの一つでも入れておいたほうが良いのだろうか。
フュールケは付け合せのスクランブルエッグを平らげつつ、反撃へと出る。
「まァ、由緒正しい帝国男児ならばビールを呑めっていう風潮は俺たちが学生の頃からあったもんな。ワインは軟弱者の飲み物だとか。
実際あんた自身は買わなかったんだろ? ワインを。で、わがまま云ったソイツに“不満なら自分で買って来い”と締め出した」
「事前に上層部から命令があれば買うだろうが、あいにく私にはワインを呑む習慣が無い。そも、酒などそう毎日のように呑むものか。
あれこれと口実を付けて水のように呑みすぎるから、あの男のように舌が肥えてしまう」
酒に関する事柄を痛烈に批判され、フュールケの胸が若干痛んだ。
呑まなくては忘れられない事柄は沢山あったし、今もアルコールの助けを借りねばおちおち意識を現実から夢へと飛翔させることもできない。
云うなれば燃料なのだ。彼にとっては。
故に弁護せねばなるまい。
「それでも、美味い酒が無いとやってられねェもんだと俺は思うんだよ。特に、色々と傷を負ってか弱くなっちまった連中はさ」
「脆弱もまた人間の真理であると、既に何世紀も前に声高に叫ばれていたらしいが……フュールケ。何か思う所でもあったのか?」
心配そうに覗き込む目の前の男に、フュールケはぎょっとしてかぶりを振る。
「――いぃや、別に」
10年来の親友ともなれば、お互いの言葉の端々に現れる“行間”と、そこに潜む裏の言葉をそこかしこから読み取ることが出来る。
特に、人生経験で云えば一回り近く上のシュミットは、それらを読み取る事には幾分か長けていた。
「我々は帝国軍人だ。云うなれば、国を守る使命を抱えた、巨大な円卓の騎士達だ。
一人でも苦悶に身をよじり、なおかつそれが大事な友人だったのなら、我々は積極的に手を差し伸べねばならない」
ひどく回りくどい云い方をする癖は相変わらずだと、フュールケは苦笑した。
平たく云ってしまえば“悩みがあれば俺に相談しろ”の一言で済まされるではないか。
だが、フュールケにとって、この悩みは無闇に口に出来る悩みでもない。
「いいよ。人に相談するほどの悩みじゃないんだ」
特にシュミットには絶対に相談したくない類の悩みだ。
エントリヒ帝国皇室親衛隊公安部隊の仕事とは何か。
すなわち、規律を乱す存在の排除であり、削除であり、駆除であり、掃除である。
削除である。
次に駆除でもあり。
そしてまた、掃除でもある。
総括すればそれはおおよそ、排除という言葉に帰結する。
……第一部のおさらいとして、フュールケはどこに属していたかをここで今一度明らかにせねばならない。
彼は、アシュレイ・ゼクスフォルト“元”少佐の部下である。
そして今は除隊されたゼクスフォルトにとって大切な存在とは何だったか。
「……相談したくない悩みもあるか」
神妙に悩みながら、時間稼ぎは充分に行った。
方便としての嘘はきっちり思いついた。
「いやね。ぶっちゃけちまえば、俺のアル中はどうやったら治せるのかなっていうね。そういう簡単な悩み。でもあんまりこういう事相談するとあんたから説教喰らっちまうだろ?」
「良ければ、時間が許す限り存分に叱責させていただくとしよう」
やる気を見せ始めたシュミットに、こちらも全力で反撃を行う。
「とか何とか云われたら、おちおち相談もできやしねぇってもんだろ。そう、ソレなんだよ」
「病は治さねば悪化するばかりだろう。時間など特効薬にならん」
「まぁ得意げにご高説をはじめるのは結構なんだけどよ。とりあえずそろそろ喰わないとだろ。そのポテト」
「……あ」
冷え切って冷気すら発していそうなポテトに目を落とし、シュミットはようやくそこに気がついた。
そうなのだ。普段の食事なら黙々と食して席を立ってしまうが、友人との会話となると、どうも喋るほうの口が働いてしまう。
そのちょっとした悪癖が、彼の憎めないところの一つだった。
思わず、フュールケの頬が緩んでしまう。
「まぁいい。別の話題に切り替えるとしようか」
「お好きなよーに」
やれやれ。シュミットは最後の一口の咀嚼を終えて、辟易した表情で次の話題へと映す。
「何ヶ月か前に正式に登録を受けた3体のMAIDの事だが、無論、お前も知っているだろう?」
「……登録番号Xと、あとはベルゼリアと
アイゼナか」
「そうだ」
最終更新:2009年01月02日 23:41