Chapter 2-2 : ペチカとヴォトカ

(投稿者:怨是)



「ちくしょう、あの(アマ)ァ……嗅ぎまわってやがるのか」

 ミロスラフ・エメリンスキー。かの悪名高きエメリンスキー旅団を統べる、ヴォストルージア人である。
 同じヴォストルージア人、ヴォストラビア民族であるライサ・バルバラ・ベルンハルト(グラーシャ・ゲオルギエヴィッチ・ガザエフ)の指示により、彼女の部下が色々と探りを入れているらしいのだ。
 こちらとしては非常にやりづらい事この上ない。
 向かい側のソファに部下が座る。大柄のスキンヘッド男に、がりがりに痩せた短髪の男だ。

「ですがエメリンスキーのダンナ、いざとなったら押し倒しちまえばいいじゃねぇですか」

 と、スキンヘッド。

「そうですよ。所詮、相手は雌犬でしょや」

 と、細身短髪。
 ……頭が痛くなる。反抗的な民間人くらいなら戦闘の巻き添えやゴタゴタでどうにでもできるが、皇室親衛隊本部でそのような事件を起こせば、どうなるかは火を見るより明らかだった。
 禄に教育を受けていないエメリンスキーでも、これくらいの常識は弁えているつもりであるが、この二人の部下は本気でわからないのか。単に失脚させたいのか。

「バカかてめェら。クビ飛ぶぞ。少しャ考えろ」

「なんで? えーっと……ああそうか。身内襲っちまったら長官に殺されちまいますモンね」

「云う前に気付けヨ糞タレ。悪知恵ばっかり巡らしやがって。強制収容所(ラーゲリ)にブチ込むぞ」

「ひぃぃ、ダンナ! それトラウマだからやめてって云ったじゃねぇすか!」

 部下の一人――スキンヘッド男が恐々とした顔で自身の身体をかかえる。
 ヴォストルージアの強制収容所と云えば後の歴史でジョークにされてしまう程に環境の厳しい場所であり、一生をそこで過ごす事を悲観して自殺する者さえいる。
 極寒の地に立ち並ぶ粗末な建築物であるため、自殺せずとも衰弱や凍死などはザラであった。

「黙れハナタレ。あすこは、おれにとってもトラウマだよ。だァから云ってんじゃねぇか、このタコ。ヴォルフの小僧みたくカタワになりてェか」

「糞か鼻汁かタコかカタワかハッキリしてくだせぇ。もうおれには何が何だか」

「全ェん部だよ。全部お前! 口答えばっかしやがって。そんなに死にてぇか」

「いや、おれらまだ死にたくないですよ!」

 細身短髪が間髪入れずに横合いから突っ込みを入れる。エメリンスキーは、頭皮に立てた爪の間に固形物が挟まるような感覚に襲われた。
 ……きっと今においを嗅げば、皮脂と不純物やその他様々な異物の入り混じったような不快な臭気が鼻腔を突くのだろう。
 その嗅覚を遮断するようにして、両目を閉じながら全神経を聴覚に集中させる。目の前の二人の発するノイズに、別のノイズが混じるようだった。

「ブリクトロフ、ツェゲショフ。お前ェら、ちょっと黙れ」

 緩やかな速度で接近してくる気配を察してエメリンスキーが憂鬱な表情を上げると、視界に長身の男が映った。
 灰色がかった黒髪に、ジェイドグリーンの双眸。その男がこちらをじっと見つめている。
 ブリクトロフとツェゲショフと呼ばれた二人の部下も、流石にエメリンスキーの視線が自分らを向いていないことに気づいたのか、後ろを振り返った。

「……どうぞ、私の事は気にせず井戸端会議をお続け下さればいいでしょう」

 自信に満ち溢れた立ち振る舞いに、不敵な笑みを乗せながら、こちらに挑発的な言動を放つこの男は誰だ。
 口元を吊り上げながら、まるで自分が正義であると云わんばかりに、こちらに井戸端会議を続けさせるこの男は誰だ。
 アンタ、一体誰なんだ。

「……アンタ誰だ。名前と階級を教えな」

「ついでに所属もお教えしておいた方がよろしいですかな?」

 この期に及んで減らず口を。階級章を見ればこちらが上であることくらいすぐに判るが、口で云わすことに意義があるのだ。
 先に名乗らせるという事はすなわち、こちらが格上であるという事を、つまりこの男が格下である事を明確に意識してもらう為である。

「おう、云って貰おうか」

ライオス・シュミット少佐、公安部隊所属の上級将官ですが。何かやましい事でも相談中でしたかな?」

「いやァ全然。人を疑ってかかるのは自分の目で悪行を見てからにしてくれよ」

「あぁ申し訳ない。あの悪名高きエメリンスキー旅団が“悪の秘密会議”ではなく“普通の井戸端会議”をしていらっしゃるのが珍しいものでしてね」

 いちいち鼻につく言動に、エメリンスキーの拳の血管が浮き出る。完全にこちらを見下した言動の数々に、我慢の限界が訪れそうだ。
 俺らが悪の秘密会議だぁ? 俺らが毎日のように駄弁ってるのは、ただの井戸端会議だ。ちょっと悪知恵を回したりアグレッシヴだったりするだけの、普通の井戸端会議だ!

「本質は同じだろうが。お前らの民族とよ」

「何もかもが違うでしょうな。まず、血液の出来からして」

 明確な人種差別ではないか。どうしろと。つまり生まれからして否定しているという事だ。
 そもそも年齢もこちらより明らかに若いし、階級も先ほど名乗らせたとおり。彼の行為は、年功序列への明らかな挑戦である。
 古参兵を馬鹿にするとは思い上がりも甚だしいと、エメリンスキーは静かに激昂する。

「だからこういう高慢ちきは嫌いなんだよ。ろくに長い人生過ごしてもいねぇクセに偉ぶっちまってヨ。オイ、お前らも何か云ってやれ」

「いや、うちら階級が中尉と曹長なもんで……」

「うるせェ、お前ら誰の部下だ!」

「え、まぁそりゃあ、ダンナの部下ですけどもぉ、えっへへ」

「じゃあいいだろうがヨ」

 反撃の態勢を整える間も無く、目の前の男――シュミット少佐はネクタイを正して立ち去る姿勢を見せた。
 そのまま、冷ややかな笑みを浮かべて別れの挨拶を述べ始める。

「ああ、お言葉は結構です。私はそろそろ仕事に出ねばなりませんので。それでは、また。ご縁がありましたら」

「はいはい、二度とツラ見せに来るんじゃねェぞ」

 こちらの捨て台詞に笑顔を返し、男は踵を返して去り行く。お決まりの挨拶は? “ジーク・ハイル”も無いのか?
 全く胸糞悪い。あんな男に何度も顔を合わせるような事になれば、それこそこちらの神経が持たない。
 どこまで見透かされているかも解らない上に、そもそも彼は公安部隊である。目の前で“監視”まがいの真似をされれば折角の酒も喉を通らなくなる。
 突き当りの角を曲がって完全に見えなくなる頃に、エメリンスキーは静かに毒づいた。

「……ちくしょうめ」

 祖国ヴォストルージアにおいて革命の波に遅れ、貧乏学生生活を余儀無くされていた。
 そもそも彼はポスクゥト人の父とエントリヒ人の母の間に生まれた為、純粋なヴォストラビア系民族ではなく混血児である。貴族階級でもない彼は、マイノリティの一人であった。
 革命に伴う内戦で赤軍側に参戦するも「反革命主義者グループに属した」として捕縛され、強制収容所生活である。
 父はルージア大陸戦争当時、エントリヒ軍に占領された町に滞在しており、友人と共に自警団を結成していた。
 収容所から出所したエメリンスキーは父の自警団(ヴォストラビア国民解放軍)に加入する形でヴォストラビア政府の追跡を免れ、その後はパルチザンを掃討するなどしていたのだ。
 結局Gの出現によってこの辺りはうやむやに終わる事となり、国民解放軍はエメリンスキー旅団としてエントリヒ軍に編入。

「にしても。ここの暖炉は寒ぃですよね。それに比べると祖国の暖炉(ペチカ)はあったかかったなァ。それにヴォトカも呑み放題だった」

「だがそれだけだ。後は何も変わりゃしねェ。強制収容所(ラーゲリ)叩き込まれて死ぬほど扱き使われて、命拾いしたかと思いきや、だ。
 俺たちは相も変わらずクソの塊(・・・・)みたいな目で見られながらここで毎日を過ごさなきゃならねェんだよ」

 当時の戦争の禍根はこのエメリンスキー旅団への風当たりを強くし、更に1941年にヴォストルージア側が恩赦をチラつかせた事により多数の脱走者が発生。
 エメリンスキー旅団の人数はそれまでの半分程に減少し、崩壊の危機に陥ったのである。
 父がそれを強行的な手段で喰い止めた事により確かに崩壊は免れたが、結果として他の親衛隊との軋轢は増すばかり。
 ヴォ連側からの脱走兵を見境無く大量に補填したことで兵員の質も悪化し、それまで見逃されて来た問題行動まで明るみに出るに至った。
 父は結局のところ病死し、血縁関係にあるミロスラフ・エメリンスキーが指揮を引き継ぐこととなるが……やはり鬱屈とした感情をどこにも吐き出せずに居る。
 祖国にも、このエントリヒにも、居場所が存在しないのである。ならば少しでもすがれる物があれば身に付けたいのは道理ではないのか。
 元より人間などそういう生き物ではないか。

「でも西側(こっち)には金髪美人がいるでしょや。眼福ですぜ」

「結局そいつらも俺たちを見下してやがる。しかも、あっちの国みたく“格の違いを見せ付けよう”ってワケにゃ行かねぇと来たもんだ」

 このような境遇にあるエメリンスキーにとって、祖国の暖炉(ペチカ)の温もりなど、擦った一本のマッチ程度におぼろげなものでしかなかった。
 そしてまた、ヴォトカの味に恋をしている訳でもなく、喉を通ったあの灼熱もまた一瞬の夢でしかないのだ。
 ――革命に沸き起こった国民達の、あの熱に浮かされた感情と同じように。

「……でもまぁ、あのMAIDみたいに美味く行きゃあな」

 ヴォストルージア人の多くは、世界の八割を白と黒に分けずに灰色で見る。
 善か悪かの範疇など軟らかいベニヤ板の区切りのごとき詮無きもの。

「あの金髪の子ですか」

「確かにあれも、かなりの上モノでしたよねェ」

 ブリクトロフとツェゲショフは、柔肌の感触を思い起こすようにして指を動かす。
 金髪のMAID。国防軍側に口止め料として譲渡した、生贄のようなものである。
 魔物への生贄として村の若い娘が送られるという古いおとぎ話があるが、それと似たようなものだろう。

「だろ。だがあれは民間人だったし、理由付けるのに苦労したなァ。何せバックアップも何も無かったからな」

「まぁおかげで国防陸軍の戦力はアップした事ですし、連中も少しは感謝して欲しいもんでさァ」

「どうだか。宛先は参謀本部だ。前線で戦ってる所にちゃんと配備されてるかどうかも怪しい。
 それにありゃあ、いわゆる保険みたいなもんだろうが。アレをやっといたから、えっとあの、あの青毛は何て名前だったっけな。“剣”という意味のエントリヒ語で……」


「シュ()ェルテですかィ」

「おぉ、そうそう。確かそんな名前だった。まァ、ここで話す内容じゃねェな……」



最終更新:2009年01月06日 21:36
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