吉田茂の慨嘆「GHQと歴史教育」



GHQは何を隠蔽しようとしたのか?

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加瀬俊一『吉田茂の遺書』(昭和四十二年)より

GHQは修身・歴史・地理の教科を禁止した。民主化ブログラムの一環として、取られた措置である。日本の歴史研究は相当に高い水準にあった。

 他のアジア諸国には、歴史研究と呼ぷべきほどのものはなかった。誇るべき歴史がないからである。歴史のない民族は、履歴書のない人間のようなものであって、語るに足らない。だから、GHQの命令は、由々しい意味をもっていた。
 この結果、日本歴史は、占領軍の意向にそうように、改変され、ここに、驚くべき歴史教育の偏向が始まったのである。
歴史という科目は、社会科のなかに埋没してしまい、しかも、一九四五年八月十五日すなわち日本帝国が無条件降伏をした日をゼロ起点として、新たに発足する形となった。
 従って、明治維新からしてが、悪業の始まりであり、その後の歴史は、すべて、人民に対する圧政の記録として扱うという、恐るべき歴史観が流行した。そういう、いわぱ被虐的な日本歴史を書いたり、ひろめたりして、得意になっていた日本人がいるのだからあさましい限りである。

「そんなものは歴史の名に値しない。紙屑よりも始末におえませんね。

 それにしても、東郷元帥も乃木大将も知らぬような日本人を作っては困る。好戦的な立場で書かれた歴史は、無論、きれいさっぱり、廃棄しなくてはならぬが、さりとて、日清戦争や日露戦争までも侵略戦争であるかのように非難するのは、明らかに史実を無視するものだ。この両戦争が自衡の戦争だったことは、一点の疑いもない。諸外国で出版された歴史書を一見すれば、わかるではありませんか。

 それよりも、日本の学者が虚構の歴史を書いたことに、私は強い不満を感じますよ。
恐らく、マルクス史観とかいうものに毒されている連中でしょうが、民族の過去を否定るのは、民族の将来を否認するにひとしいことに、気がつかんのですかね」
と吉田さんは慨嘆するのだった。

「このような偏向教育が続けば、国家意識は衰微し、やがて消滅するだろう。


最終更新:2010年08月10日 12:05
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