愛しさは腐敗につき ◆BL5cVXUqNc












 きっと私は彼に恋をしていた――









 ◆





 高垣楓はふらふらとゆくあてもないまま街をさまよい歩いていた。
 月明かりと街灯にぼんやりと浮かび上がる夜の街を虚ろな表情で歩く。
 すべてがゆめまぼろしのようで現実感がない。

 すべてが遅かった。
 遅すぎたのだ。
 彼女が本当の気持ちに気づいたときには彼は遥か遠いところへ去ってしまった。

 口べたな楓の前に突然現れた男。
 顔立ち自体は整っていて、女性受けはしそうなのに冴えない風貌が台無しにしていた男。
 彼は楓を『アイドル』にしたいと。真顔で言ってのけたのだ。

 二十も半ばの女性にアイドルとはいったい何の冗談だろうか。
 口説き文句にしてはあまりにお粗末で、そうでなかったら宗教の勧誘か。
 断ろうとする楓に男は必死に食い下がり。土下座も辞さない勢いの男の情熱に負け、楓はアイドルになる道を選んだのだった。

 新しく始まったアイドルとしての生活
 楽しいことだけでなく辛いこともあったが、そのたびに彼――プロデューサーが楓を元気づけてくれた。
 そして楓と同じように彼に見初められたアイドルの卵たち。
 年長組である楓は一回り年が下な彼女たちに引け目を感じることもあったが、お互い切磋琢磨してトップアイドルを目指していた。

 いつしか彼は楓のもっとも良き理解者となっていた。
 年も近いこともあって、酒の付き合いに繰り出すこともあった。
 レッスン後、プロデューサーや他の年の近い同僚と居酒屋で世間話をするのが楽しみだった。

「……そういえば、今度いっしょにお洒落なバーにいく約束してたっけ」

 ふと足を止めた楓。その視線は一軒のバーに注がれていた。
 落ち着いた大人な雰囲気を醸し出すお洒落なバー。
 何かに導かれるかのように楓は店の扉をくぐる。
 本当ならば今日、楓はプロデューサーと二人でこのような店で飲みに行くはずだった。
 普段はもっと地味な――仕事帰りのサラリーマンが行くような居酒屋ばかり利用していた楓。
 彼は一緒にお洒落な店に行ってみようと誘いをかけてくれたのだ。

 『それって……デートのお誘いですか?』と悪戯っぽく笑う楓にプロデューサー慌てた表情で否定する。



 まさか――それが彼と最後の会話になるとは誰が予想しただろうか。



 誰よりも信頼していたプロデューサーは楓の目の前で死んだ。
 真っ赤な血を桜の花びらのように散らせて彼は彼女の元からいなくなってしまった。
 そして彼が死んで初めて、楓は彼に恋をしていたのだと気がついた。
 信頼する仕事のパートナーではなく、ひとりの異性として好きになっていたのだと。
 自らの想いを永遠に伝えることができなくなってやっと本当の気持ちに気がつかされるとは皮肉にもほどがある。

「プロデューサー……」

 カウンターに置かれていたグラスを手に取り、注いだ日本酒を一気に呷る。
 冷たくて熱い感触が喉を通り過ぎてゆく。

「……これ一気飲みすればプロデューサーのところに行けるかな」

 まるでぽっかりと大きな穴を開けられたように空虚な楓の心。
 それほどまでに彼の存在は楓の中で大きなものとなっていた。

 かたん、と店の奥の方で物音がした。
 楓は視線だけをそちらに移す。
 闇の中にうすぼんやりと浮かぶ人間のシルエット。
 窓から差し込む青い光にその姿が露わになる。


 一人の少女がいた。楓よりもずっと年下の――高校生ぐらいの少女。
 おびえた表情でナイフを握りしめて、守るべき人間のため狂気と正気の狭間で揺れ動く少女が――






 ◆







 佐久間まゆは暗い部屋の中で一人、震えながらサバイバルナイフを手に取った。
 外からわずかに漏れる月の光を反射してきらりと輝く白刃。
 同じ刃物であっても料理に使う包丁とは全く違う禍々しさ。
 同じナイフという名があっても果物ナイフとは似ても似つかぬ鋭さ。
 ほんの少しその切っ先に指を這わしただけで赤い筋が走り、真っ赤な液体がにじみ出る。
 これを人の身体に突き立ててしまえばどうなるか想像に難くない。

「――――さんはまゆが……まゆが守らないと……」

 震える声でまゆはうわごとにように人質にされたプロデューサーの名を呟く。
 今も目を閉じれば数十分前の惨劇が現実のように脳裏に浮かぶ。
 首から上を破裂された男の死体。ドラマの撮影でもドッキリでもないただの事実。
 テレビ越しにしか見たことも感じることもなかった人間の死。

「まゆが……まゆがなんとかしないと……」

 あの日――読者モデルをやっていたまゆの元に現れたひとりの男。
 それはまさしく彼女にとってまさしく運命的な出会いだった。
 理屈も感情をも超越した運命が、まゆとプロデューサーを引き合わせてくれたのだろう。
 彼女はその日のうちに所属していた事務所を辞め、今の事務所に移ることとなった。

 無論、プロデューサーはまゆ一人のものではない。
 事務所には彼を慕うライバルが何人もいて、自分だけを構ってくれないことにやきもちすることもあった。
 でもそれは本心で妬みの感情を持っているわけでなく――いや、まゆにとっては彼がふり向いてくれることが重要ではなかったのだろう。
 彼女自身が彼を愛することに意味があって、それに彼が応えることとはまた別問題だった。
 歪んだ一方通行の感情であることはまゆ自身も自覚はあった。
 だがそれもひっくるめて彼女の愛なのだから。

 そして今、そのプロデューサーに命の危機が訪れている。
 冗談のような殺戮ゲーム。人間としての倫理も道徳も捨て去るデスゲームへの参加こそが彼の命を救いうる唯一の方法。

「――!?」

 かちゃんと扉を開く音が聞こえる。
 誰かが中に入ってきた。覚悟を決めるなら今しかない。
 入ってきたのはまゆよりも年上の女性だった。まゆは物陰に息を潜めてじっと様子をうかがう。
 どくどくと聞こえる自らの心音。まるで心臓が破裂するのではないかと思うほど。
 女性は暗闇に潜むまゆに気づかずにカウンターで酒を飲んでいた。

(今なら……今のうちなら……)

 ナイフを握りしめる手に力がこもりさらに心臓が激しく脈打つ。
 こっそりと忍び寄り、ナイフを背中に突き立てるだけ。
 ライブの本番よりもずっとずっと簡単だ。それをたった59回繰り返すだけでプロデューサーの命は救われる。

 気が遠くなる数字。
 思わず眩暈を感じたまゆは身体を軽くぶつけてしまう。
 かたんと小さな音、だけど静かな部屋に響くには十分すぎた。





 ◆





「あ、あなたには恨みはありません……でも、こうしないと……こうしないと……プロデューサーが……」

 上ずった声。
 ナイフを握りしめ震える手。
 怯えた瞳でナイフの切っ先を向けるまゆの姿を楓は遠い目で見ていた。


 ――ああ、彼女にはちゃんと守りたい人がいる。


 怖くはなかった。
 自分の想いを告げる相手がいて、それがまだ生きている。
 その人のために殺人者になることも厭わない。そのまっすぐな想い。
 自分は内に秘めた想いを伝えることもなく愛は腐り果ててしまった。

 くすりと笑みを浮かべる楓。
 もうこのゲームに参加する意味も理由もなくなった彼女。
 プロデューサーがいなくなった今、生き残ることになんの価値があるのか。
 痛いのも、死ぬことも怖いけどプロデューサーの元へ逝けるのならば目の前の凶刃に斃れてもかまわなかった。

「……?」

 しかし――いつまでもたっても楓に死は訪れなかった。
 からんとまゆの手からナイフが滑り落ちる。

「できない……できないよぉ……こんなことしてもあの人は喜ばないよ……」

 まゆは床に蹲りすすり泣く。
 こんなことをして何の意味があるのか。
 これで生き残ったところでプロデューサーが喜ぶわけがない。
 でも、殺し合いに参加しなくてはプロデューサーは死んでしまう。

 正気を保ってプロデューサーの命を危険に晒すのか。
 狂気に囚われてプロデューサーの命を救うのか。

 誰よりも一途にプロデューサーを愛していたがゆえに苦悩する。
 そんな究極の選択をたかだか16歳の少女に選べるわけもなかった。

「……教えてください。まゆはどうすればいいの……」

 そんなことを言える立場ではないことはわかっている。
 だけど問わずにいられなかった。




「……もう、あなたの答えは出てるじゃない」
「え――」
「……プロデューサーが好きだから。愛しい人が悲しむようなことはしたくないって。それがあなたの答えじゃないかしら」
「あ……」
「私だって女の子だから……あなたがどれくらい彼のことを好きだってことわかるもの」
「……どうして」
「……?」
「どうしてあなたはそんなに諦めたような顔してるんですか……っ。あなたも大切な人を人質に取られているのに……っ」

 きっと、この島に呼び寄せられたアイドルはみんな多かれ少なかれ彼女のような葛藤に苛まされているだろう。
 楓はそんな葛藤でさえ持ち合わせていない。ただ生きているだけだった。

「……あの教室で死んだ男の人覚えてる?」

 ぴくりとまゆの肩が強張る。
 忘れようにも忘れ得ない悪夢の光景。
 まゆを凶行に駆り立てたもの。

「彼……私のプロデューサーだったの。私のとっても大切な人。でも最後まで想いを伝えることができなかった人」
「そ、んな……」
「だからね、彼のところへいけるなら……いまここであなたに殺されるのもよかったの」

 誰よりも早く絶望に囚われた者の言葉はただ淡々としていた。




 ◆




 それから二人は無言のまま時間だけが流れてゆく。
 時計の秒針の音だけが二人の耳に響く。

「……そろそろ私行くから」
「行くって……どこにですか」
「さあ……? 適当に死ぬまでこの島を歩いてみようかな。もう、私には何もないから。月並みな言葉だけど……あなたもがんばって」

 楓は自殺をする気はなかった。
 ただ静かにこの島を巡り、そして誰かの糧になって死ねればいいと思っていた。
 楓はそっと出口の扉に手をかけようとしたとき、背後から声をかけられた。

「あの……まゆもついて行っていいですか……? そんなこと言える立場じゃないことはわかってますけど……っ」
「…………」
「まゆはプロデューサーが好きです。心の底から愛してます。だからあの人が悲しむことはしたくない、でもあの人のためならどんなことだってしたい気持ちもあるんです……っ! ひとりでいたら今度こそおかしく……」

 かろうじて正気が狂気に打ち勝っている状態のまゆ。
 いまひとりにされたらきっと心が闇に飲み込まれてしまうだろう。

「そう……私といっしょにいることであなたが正気でいられるなら、私もまだ生きている意味があるかもしれない。いつまでいっしょにいられかわからないけど」

 正気と狂気の狭間でゆれる少女の寄る辺となれるのなら、まだこの命も使い道があるだろう。
 心はからっぽになってしまったけど、そこに何かが入ることができるのならば――





【B-4/一日目 深夜】

【高垣楓】
【装備:なし】
【所持品:基本支給品一式×1、不明支給品1~2】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:ゆくあてもなく島を巡る


オープニングで死んだPの担当アイドルが楓以外にいるかどうかは後の書き手さんに任せます。



【佐久間まゆ】
【装備:サバイバルナイフ】
【所持品:基本支給品一式×1】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:楓についていく
1:プロデューサーを悲しませたくはない。でも……


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最終更新:2013年06月28日 15:09