飛べない翼 ◆44Kea75srM
未だ朝日の昇らぬ夜天。島内は暗闇に侵されても、この飛行場だけは別格の明るさを保っていられた。
無数の照明灯によるライトアップ。夜間の着陸すら問題ないと言わんばかりの機能美が、素人の肌に煌々と突き刺さる。
ただただ広い……と感じられる滑走路には様々なタイプの飛行機が並べられ、まゆは思わず感嘆の息をこぼした。
古風なプロペラ機。プラモデルみたいなデコールの戦闘機。テレビ局のロゴが刻まれたヘリコプター。
単なる飛行場ではない。ここにはありとあらゆる種類の『空を飛ぶ乗り物』が置かれている。
これだけあるんなら――きっと、その光景を見れば誰もがそう思ってしまうだろう。
「ここにある飛行機は、私たちと同じなのね」
「えっ?」
道中、二人の間に会話はなかった。
しかしいま、飛行機械が行儀よく整列する様を見て、楓が久しぶりに口を開いた。
「翼があっても、どこにも飛べない。導いてくれる人がいないから、こうやって立ち止まっている」
あっ――とまゆは思った。
翼があっても、どこにも飛べない。それはたぶん、目の前に並ぶ飛行機たちのことを指しているのだろう。
プロペラ機であろうと戦闘機であろうとヘリコプターであろうと、パイロットがいなければ、彼らは飛べない。
あれだけ立派な翼を有しているのに、自分一人では羽ばたくことすらままならないのだ。
そしてそれは、殺し合いという境遇に置かれたいまの自分たち。
プロデューサーを失ったアイドルにも、共通して言えることなのである。
(飛び方を忘れた、アイドル……)
自分に飛び方を教えてくれた人。
憧れて、隣にいたくて、必死に追いかけたあの人。
彼を取り戻そうとして、懸命に翼を羽ばたかせようとしている自分。
自分は自分。
佐久間まゆの場合は、まだそうなんだ。
でも、彼女。
高垣楓の場合は――
「あの……楓、さん」
並んでいる中でも一際立派な翼を持った旅客機を仰ぎ見る楓。その後ろから、まゆは声をかけた。
しかしその声はか細く、夜の静寂に溶けて消えてしまう。楓の耳にも届いてはいないようだった。
もう一度、声をかけようか。でも、なにを言えば。どんなことを話せば、いいんだろう。
佐久間まゆの気質は、臆病ではない。気に入った相手には、むしろ自分から話しかけていくタイプの女の子だ。
なのに、いまはかけるべき言葉が見つけられない。
プロデューサーを追いかけてばかりいた自分だから、プロデューサーに手を引かれてばかりいた自分だから。
こういとき、人とどんな風に接すればいいのかわからない。
「もう少し、見て回りましょうか」
この島の飛行場は施設としては小さい部類に入る。それでも、少女二人が徒歩で見て回るには広大だ。
時間をたっぷりかけて、楓とまゆは飛行場の敷地内を練り歩いた。
写真やテレビの中で見た飛行機が、見るだけで触れてはいけない展示場のようにそこにあるだけだった。
彼らは飛べない。
彼女たちだって、彼らを飛ばすことはできない。
彼女たちもまた、ひとりきりでは飛び立てない。
どうしようもなく虚しくなって、やがて二人は飛行場内にある大きな建物へとたどり着いた。
その見慣れた外観を前にして、ようやくここは展示場なんかではなく空港だったんだと認識を改める。
島の小さな空港だから、羽田や成田のそれに比べるとさすがに手狭だが、中は充分に広々と感じられた。
なにしろ二人以外に人がいないのだから、それはあたりまえのことだった。
預けた荷物が流れてくるベルトコンベアがある。喫煙スペースがある。案内板にいろんな外国語が並んでいる。
喫茶店があった。おみやげ屋さんがあった。天井は高かった。アナウンスはなかった。エスカレーターは動いていなかった。
なんだか、変な感じだ。無人の空港だなんて。遠征で利用する機会は多々あったが、こんな奇観にはお目にかかったことがない。
「やっほー!」
――突然、まゆが叫んだ。
すぐ近くを歩いていた楓が、びっくりしている。
まゆも驚いていた。
どうして「やっほー!」なんて叫んだんだろう。
ここは山ではないし、なによりいまは「やっほー!」なんて叫ぶ状況じゃない。
たしかに人がいないのに広くてすごくて叫んだら気持ちよさそうだな楽しそうだな、とは思ったけれど。
なんだか、これじゃ危機感のない子供みたいだ。プロデューサーだって、きっと「まゆは子供っぽいな」って苦笑いする。
まゆは恥ずかしくなって、顔を赤くした。そんなまゆを見て、楓は表情を変えなかった。反応する言葉もない。
……くすっ、って。
少し吹き出すくらいしてくれていいのに。
まゆはむくれたが、楓は気づいてはくれなかった。
◇ ◇ ◇
空港内をいろいろと見て回ったが、収穫と呼べるようなものはなにも見つからなかった。
いや、そもそも楓やまゆにとっては、なにをもって収穫と呼ぶのかが不明瞭だった。
だって、二人には明確な目的、意思がない。
あてもなく歩いてここにたどり着き、ただなんとなく中を見まわってみただけだ。
まゆにはプロデューサーを助け出したいという願望があったが、そのためにやるべきことはまるで検討がついていない。
――殺し合って、最後の一人になればいいのよ。
選択肢は与えられているけれど、それは選びたくなかった。
選びたくないから、こうやって子供みたいに、楓のあとをついていっている。
(楓さんは……どうするんだろう)
既に、大切な人を亡くしてしまった人。
大切な人に先立たれて、指針を見失ってしまった人。
この人はこのまま、本当に、目的も目標もなくただ延々と島を歩き続けるつもりなのだろうか。
そして、やがては誰かに殺される。そんな悲劇的な未来を選び取るというのだろうか。
「楓さんは」
前を歩く背中を見つめながら、そんなことを考えていたら……無意識のうちに声が出た。
楓が振り向く。
名前を呼んでしまった。まゆは数秒、楓と見つめ合い……また言葉が見つけられなくて、目を伏せる。
「……ごめんなさい。なんでもありません」
「そう」
楓は気にしていない風だった。が、まゆは気まずさのあまりその場に蹲ってしまいたい衝動に駆られた。
そんなまゆの心情を知ってか知らずか、
「こちらこそ、ごめんなさい。なんだか、言葉が浮かばなくて」
「――っ! い、いえ」
投げ返された、ごめんなさいの言葉。
それがなんだか嬉しくて、まゆは思わず声を高くしてしまった。
それがまた恥ずかしくって、でも唇が緩んでしまう自分がいた。
ああ、なんだろう。
なんでこんなに、柄にもなく緊張しているんだろう。
まゆがおかしいのか、楓がそうさせているのか。なんとも言えぬ空気だった。
でも、不思議と居心地がいい。
彼女のそばにいると、安心できる。
最愛の人に先立たれ、生きる目的を見失った人。
少なくとも、彼女のそばにいるうちはプロデューサーのことを想っていられる。
あの人は殺人なんて望まないということを、忘れられないでいられる。
……本当に、そうだろうか?
(あっ……)
きっかけなんてなかった。
ふとした拍子に、気づいてしまった。
(いま、こうしている間にも――――さんは、ちひろさんたちに囚われたままで、動くこともできなくて)
助けを求めている。
縛られた身で、懸命に担当するアイドルの名前を呼んでいる。
死にたくない。生きたい。やめろ。殺し合いなんてするな。おまえたちはアイドルなんだ。
嫌だ。助けてくれ。なにをやっているんだ。真面目にやれ。殺されるだろ。早く誰か殺せ。
まゆが殺人を犯さなければ。
やがては、楓のように――
『あれだけ言ったのに、まだわかってない子がいるみたいですね。仕方がないので、少しわからせてあげることにしましょう』
そんな風に。
そんな名目で。
配られた端末に、あの人の顔が。
爆弾で弾ける、あの人の顔が映って。
「……どうしたの?」
嗚咽もなく、まゆはその場に蹲ってしまった。
怪訝に思った楓が足を止め、後ろのまゆに歩み寄る。
不安だった。とにかく不安だった。安心なんて、まったくできない。
いくらプロデューサーが望んでいないとはいえ。
殺人を犯さなければプロデューサーが殺される。これは確実なのだ。
それでも、プロデューサーは「ああ、まゆが人を殺さなくてよかった」と思ってくれるかもしれない。
問題は。
まゆ自身がそれに耐えられるかどうかだ。
「か、かえ、楓さん……」
自分の身体を自分の腕で抱きしめる。
震えた声を絞り出す。
楓にこちらの顔を覗きこませないように俯いて。
「少し、休んでいきませんか? ほら、外も暗いですし。動くんなら明るくなってからのほうがいいと思いまして」
つー……と。
待合用のソファーを指さした。
ふかふかの大きなソファーだ。
眠るくらいはできる。
「まゆ、疲れたんです……」
心身ともに衰弱しきった声だった。
ああ、自分はもう駄目なのかもしれないと思った。
どういう方向で駄目なのかは、自分自身がわからない。
なのでここは、楓に委ねることにした。
「賛成」
楓は、優しく言った。
まゆの目の前にしゃがみ、目線を同じくする。
「私も、疲れちゃった」
まゆは初めて、楓のはにかんだ表情を見た。
かわいい人だなって、そう思えた。
◇ ◇ ◇
そうして、二人は空港内ロビーに置かれたソファーの上で隣り合って眠ることにした。
よくよく考えてみれば、楓がまゆの意見に合わせる必要などないのだ。
楓はまゆと行動を共にしているわけではなく、勝手についてくるまゆに対してなにも文句を言わないだけ。
休みたいというまゆの意思を尊重してくれたのか、それとも本当に自分自身が休みたかったのかは、わからない。
ただ単純に、まゆは思った。
かわいいな。
ソファーの隣、楓の安らかな寝顔を見て、そう思った。
もしこの人が担当プロデューサーを同じくするアイドルだったなら、感情などきっと嫉妬しか湧かなかったはずだ。
愛しいあの人を取られてしまうかもしれないという脅迫概念から、別の動機で殺人に及んでいたとしても不思議ではない。
でもそうではない。楓の寝顔は安心できる。心が安らげる。自分はまだ殺人をしなくていいんだと、落ち着ける。
まゆにとって、楓の存在は心の安定剤となりつつあった。
この作用はおそらく、楓がプロデューサーを喪っているからこそ発生しているのだろう。
同情。哀れみ。自分よりかわいそうな人がいる。私はこの人みたいにはならない。そんな風に、あさましく人間を見つめている。
(楓さんは……まゆの明日の姿かもしれないんだ)
もし。
もしだ。
この話は仮定。
もしもの話。
作り話だから。
想像で妄想で空想だから。
絶対にないと信じて。
それでやっと、まゆは思う。
まゆが殺人を犯さなかったことで、結果プロデューサーが殺されてしまったら。
佐久間まゆという少女は、はたして高垣楓のような生き方を選び取ることができるだろうか。
憎悪を抱き、プロデューサーを手に掛けた
千川ちひろや殺し合いの首謀者たちに復讐するかもしれない。
それができないようなら、八つ当たり気味にこの島のアイドルたちを殺して回るかもしれない。
ただひたすらに悲しくなって、プロデューサーのあとを追うことになるかもしれない。
あるいはプロデューサーの意思を受け継ぎ、生きることを選ぶかもしれない。
(……よそう)
明日のことなんてわからない。
人間は計画通りに生きられるとは限らない。
こうと決めたことを貫き通すのは案外むずかしい。
だから考えない。
それでいいのだろうか。
それは諦めではないか。
問題の先送りではないのか。
生きることを放棄しているのでは。
プロデューサーを見捨てているのでは。
(――イヤだ!)
首が取れそうな勢いで、まゆはぶんぶんと頭を振った。
そうやって雑念を振り払おうとした。
けれどこれは雑念なんかではない、考えなければならないことなんじゃないかとも思った。
人間は考えることをやめられない。
だから睡眠という形で、考えるための意識を手放そうとする。
楓は、だからこそこんなにも安らかな寝顔を浮かべられているのかもしれない。
逆に、まゆは寝つけなかった。眠りたくても眠れなかった。いっそ死にたいと思うくらい無意識の海に埋没したかった。
もうすぐ朝がくる。
永遠に夜だったらいいのに。
明日なんか、来なければいいのに。
明日なんか来るな。あっちにいけ。消えてしまえ。
多くの少女が「こんな悪夢、早く終われ」と願う殺し合いで。
まゆはただひたすらに、明日という未来が訪れないことを願った。
【D-4・空港施設内1Fロビー/一日目 黎明】
【高垣楓】
【装備:なし】
【所持品:基本支給品一式×1、不明支給品1~2】
【状態:睡眠中】
【思考・行動】
基本方針:ゆくあてもなく島を巡る
1:睡眠中
【佐久間まゆ】
【装備:サバイバルナイフ】
【所持品:基本支給品一式×1】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:楓についていく
1:プロデューサーを悲しませたくはない。でも……
2:眠れない
最終更新:2012年12月20日 09:48