眠る少女に、目醒めの夢を。 ◆n7eWlyBA4w



 深い森の中。
 その開けた一角に建つ、古ぼけた小屋の中で。 


 藤原肇は、ただ、石像のように立ち尽くしていた。


 今の彼女からは、その十六歳という年齢に似合わないほどの落ち着きも、
 あるいは穏やかな物腰の影に隠れている強い意志も、感じ取ることは出来ない。
 代わりにあるのは、年相応の少女の、相応の心の揺らぎに他ならなかった。
 知りたくもない現実を突きつけられて受け入れられずにいる、それはありふれた恐慌だった。


 肇の手から、ポリカーボネート製の大盾が滑り落ち、床に倒れて音を立てた。
 それは彼女の支給品だったが、暴徒鎮圧用の盾などこの殺人ゲームでどれほどの役に立つものか。
 現に今この仰々しい盾は、心に食い込む見えない楔から、肇を守ってはくれない。
 第一その透明な素材は、心の痛みどころか、視界を遮ることすら許してはくれなかった。


「――どう、して……そんな……」


 辛うじて口に出せる言葉は、しかし何の意味もありはしないもの。
 いったいどれくらいの時間をこうしているのか。数秒か、数分か、数時間か。
 時間の流れなどもう自分でも分からない。
 ただ目の前のある一点を見つめたまま、そんな呟きを漏らすだけ。


 深い森の中。
 その開けた一角に建つ、古ぼけた小屋の中で。 
 ロッキングチェアの背もたれに寄りかかって静かに睡る、幼い少女。
 いや、正しくは、かつて少女と呼ばれていたもの。
 その、清らかな魂の抜け殻。


 佐城雪美の傷一つない亡骸を前にして、肇は金縛りにあったように動けずにいた。




   ▼  ▼  ▼


 パキリ、という小さな音で肇は我に返った。


 ハッとして視線を床に落とすと、自分の踵が何かを踏み砕いているのに気付いた。
 自分では全く気付いていなかったが、無意識に後ずさりしていたのだろうか。
 しかしそんなことは、些細な出来事だった。問題は、たった今踏み潰したものだった。


 それは、すでに原型を留めてはいないけれど、注射器に見えた。 
 何故そんなものがここにあるのか。その小さな疑問は、しかし僅かな時間で霧消する。

 少女の、外傷の見当たらない肢体。ならば、一体何が死を招き寄せたのか。

 考えるまでもないことだった。足元の、これが真実だった。

 誰かが、このいたいけな少女に、この注射器の針を残酷にも突き立てたのか。
 中に封じられていた毒薬をこの少女の中に送り込み、酸鼻極まる死を与えたのか。
 そう考えるのが自然なのだろう。特に、今この状況では。
 誰が誰を殺すのか分からない。それがこの島を支配する理不尽な現実なのだから。

(……違う。きっとそうじゃない)

 しかし、肇にはそうは思えなかった。

 だって、少女の顔は、あまりにも安らかで。
 何かをやり遂げて、充ち足りたまま幸せな夢を見ているような、そんな姿に見えたから。

 失意と絶望がなかったとは思わない。それと同時に、それだけにも見えない。
 直感めいた薄弱な根拠だったが、しかしそれは肇には確かなことに思えた。

 だとすると、この注射器の意味は、ただひとつ。



 彼女は、もしかしたら、自分自身の意思で、自分自身の命を、奪ったのではないか。


 瞬間、肇の心を、幾多の感情が嵐となって吹いた。
 彼女が死を選ぶ理由が、おぼろげに見えたような気がした。
 それまでは考えもしなかったのに、奇妙なほど当たり前に感じられた。
 しかし、そんなことが。だとしたら、あまりにも。
 それはあまりにも純粋で、あまりにも過酷すぎるのではないか。
 この幼すぎる少女には、あまりにも重すぎる選択ではないか。

 ほとんど推測に推測を重ねただけの想像。
 しかし、肇の勘は、それが真実であると告げていた。
 ならばその勘に根拠を与えるものは何か。
 肇には分からなかった。何が確信を与えているのか、理解できなかった。

 肇は震える手で、自分のディパックを開けた。
 自分のもうひとつの支給品が、この気持ちに光を当ててくれるのではないかと思ったのだ。
 肇自身にも、この気持ちが何なのかは分からなかった。
 ただ、自分はこの少女のことをもっと知りたいと思った。
 知らなければならないと、知ればこの違和感の答えも出ると、そう思ったのだ。

 ディパックから引き出されたそれは、一冊のアルバムだった。

 表紙に『CINDERELLA GIRLS ALBUM』と記された、一見すると何処にでもあるようなアルバム。
 しかし武器を支給されなかった肇の、恐らくは切り札となりうるものだった。

 肇は逸る手を宥めながら、一枚また一枚とページを繰っていく。
 その中には、ここ最近デビューした150人以上のアイドルの写真やプロフィールがファイルされていた。
 まだ確認してはいないが、恐らくは肇自身のページもあるだろう。
 あるいはこの島に集められ殺人イベントを強いられている、ほかのアイドルたちのものも。
 そうであるなら、目の前で永遠の眠りに就いているこの少女も、例外ではないはずだ。

 ほどなくして、ページをめくる手が止まる。

「見つけた……佐城、雪美……さん」

 口の中でその名前を復唱する。
 アルバムに綴じられている写真の中の少女は、その黒髪といい顔立ちといい服装の雰囲気といい、
 亡骸の少女と瓜二つだった。
 念のため名簿も確認したが間違いない。彼女は、この60人の中のひとり。
 佐城雪美。それがこの少女の名前で間違いないだろう。

 肇は固唾を飲んで、そのページに目を走らせた。
 大した文章量ではないものの、アルバムにはちょっとしたプロフィールや略歴も記載されていた。
 佐城雪美の人となりを把握するには少なすぎる、しかし推測する手がかりにはなる情報。


 だが、否応なしに、その僅かな情報は、感傷を呼び覚ましてしまうもの。
 いけないと思いながらも、どうしても彼女のことを考えてしまう。
 そんなものは、なんの慰めにもならないと分かっているのに。


 ――名前、佐城雪美。年齢、10歳。


 やっぱり、自ら死を選ぶには幼すぎる。まだ十分に生きてすらいないのに。
 一方で、年齢を重ねて現実の汚れを知る前だからこそ、純粋な願いを保てたのではないか、とも思う。


 ――身長、137cm。体重、30kg。


 本当にお人形さんのよう。こうして椅子に体を預けているのを見ると、そう錯覚しそうになる。
 ただ、ここから先、彼女が成長する日は、もう二度と来ない。


 ――出身地、京都。趣味、ペットの黒猫と会話。


 実家のご両親は、愛娘の身に起こった悲劇をいつか知るのだろうか。
 残された猫はどうなるのだろう。大事な友達の帰りを、これからも待ち続けるのだとしたら……。



 いけない。こういう考え方は、いけない。
 それは、死者に対する勝手な感傷で、自己満足めいた感情移入に過ぎないはずだから。
 本当は自分は彼女のことなど何も知らない。何もわかるはずもないのに。


 そこまで考えて、肇は、ようやく気がついた。


(あ、れ……どうして……?)


 いつの間にか、自分の頬を温かいものが伝っていることに。

 どうして自分は泣いているのだろう。
 こんな想像、断片的なプロフィールから生まれた、ただの一方的な感情移入に過ぎないのに。
 自分は結局のところ、生きていた頃の彼女と言葉を交わしたことすらないというのに。
 それなのに、なぜ涙が止まらないのだろう。なぜ心が締め付けられるのだろう。


(ああ、分かった……彼女は、私だから。私と同じように、一人の人間で、女の子で、アイドルだから)


 そう、ふと気付いてしまえば簡単なことだった。
 雪美にも、自分と同じように、大切な人が、叶えたい夢が、目指したい場所があったはずなのに。
 写真の中で彼女が見せているはにかんだ微笑みは、もっとたくさんの人を幸せにするはずだったのに。
 彼女の選択は、尊いと思う。清いものだと思う。
 それでも、他のあらゆるものと天秤に掛けるその選択を、彼女がしなければならなかったことが。
 そのことが、この世のどんなことより哀しいと、肇は思った。

 そして、それが他人事ではないと、自分自身にも繋がることであると、そう気付いた。
 先ほどから雪美に対して感じていた奇妙な感傷の正体に、肇はようやく思い当たったのだ。

 死んでしまった彼女と、生きている自分。
 両者はいまや地続きだった。分け隔てるものなどなかった。
 佐城雪美も、藤原肇も、このアルバムの一ページなのだ。


 彼女は、自分だ。もうひとりの自分だ。
 彼女だけではない。たぶん、この閉ざされた島にいる全員が。
 それどころか、このアルバムに綴じられている少女達は、誰もがもうひとりの自分なのだ。




(同じ夢に憧れ、そうありたいと願い、そして目指した。私達は同じ土から生まれた器なんだ……)





 肇は、溢れ出る涙を拭うことすら出来ずにいた。
 この幼い少女の決意が、自分自身の痛みとして感じられたから。
 そしてこの先、この島で殺し合い続ける誰もが、同じ痛みを感じるだろうと想像したから。
 この殺し合いの、真に残酷なことが何かを、目の当たりにしたからだった。


 気付くと、肇は雪美へと歩み寄っていた。
 初めてその姿を目にした時のような畏れは無かった。
 彼女の純粋な願いに報いるために、今なにが出来るだろう。その思いだけがあった。

 何かがしたい。何かを、しなければならない。
 自分が、自分らしく、為すべきこと。
 心は、決まっていた。


「……雪美さん」


 肇は、雪見の亡骸に語りかけた。
 返事はあるはずもない。それでも続ける。
 今必要なのは、彼女への意思表明と同時に、自分の心への決着だった。


「私は、貴女のことをよく知りません。貴女も、私のことを知らないでしょう。
 だからきっと、私のこの気持ちはただの勝手な感傷なんだと思います。
 それでも私は、貴女の願いを無駄にしたくない。他の誰かに悲しい思いをして欲しくもない。
 みんなに笑顔でいて欲しいんです。私は、私達は、そんな夢を一緒に見ていたはずだから」


 口に出すごとに、心の奥に掛かっていた靄が晴れていくような感覚があった。
 彼女の魂に、届いているだろうか。そう信じながら、誠の言葉を伝える。


「だから、私、決めました。大それた考えかもしれないけど……お節介、焼かせてもらいますね」


 晴れていく。心が晴れていく。
 今の肇には、透き通った目で物事が見えるような気すらした。
 そして、自分の為すべきこと、本当にやるべきだと思うことも、見えるような気がした。


(プロデューサー……今この時も、心配、掛けてしまっているのでしょうね。
 それでも……ごめんなさい、私、やっぱりおじいちゃん似です。頑固なんです)


 きっとプロデューサーは、肇が生きて帰ってきてくれさえすればいいと、
 その過程で手を汚すことになっても受け入れると、そう言ってくれるだろう。
 それでも、仮にプロデューサーだけでなく、世界中の誰もが受け入れてくれたとしても。
 自分だけは、自分の本当の心だけは、どうしても曲げられない。そういう性分なのだ。

 自分でも、本当に不器用な性格だと思う。
 そのせいで、今もまた、きっと敢えて過酷な道を選ぼうとしてしまっている。
 それでも、肇は悪くない気持ちだった。奇妙な誇らしさがあった。
 大好きな祖父が自分の意志に力を添えてくれているような、そんな気さえした。 


(高みを目指すため他の誰かを蹴落とすのが、アイドルの定めだとしても……
 それでも、頂点の座は、己を磨き、高め、究めた果てにあるもの。
 不断の努力とたゆまぬ歩みを重ねた、その先に輝くもののはず……)


 この殺し合いは、冒涜だ。
 肇の、肇と同じ夢を目指す少女達すべての、汚してはならない願いを辱めることだ。
 そう、感じてしまったから。


(殺さなければ生き残れない。生き残るために、同じ夢を見ていたはずの誰かを殺す。
 でもそれは、きっと鏡に映った自分を殺すこと。自分自身の心を殺すこと……)


 私はアイドルだからこそ、その道は選べない。
 私達はアイドルだからこそ、他の誰かにその道を選んで欲しくない。
 その思いが、ひとつの芯になる。だから、もう、曲がらない。


(私の、私達の夢を、こんな次元に貶めさせない。願いをこれ以上踏みにじらせない……!)


 肇の心は、もう完全に定まっていた。

 きっとこれは途方も無い我が儘で、救いようの無い綺麗事なのだろう。
 『誰も殺さず、誰も死なせず、誰も悲しませない解決』なんて有り得ない。

 分かってはいるのだ。それでも、何かしなければならないと思った。
 誰だって、そんなどうしようもない夢を、きっと見ていたいはずなのだから。



 そう、どうしようもない夢だからこそ。
 誰もが、見ることすら躊躇うような夢だからこそ。

 藤原肇は、今この時、[夢の使者]でありたいと思った。

 それが自分とプロデューサーの描いた、アイドル・藤原肇の姿だったから。
 一人のアイドルとしてこの現実に向かい立つための、自分らしい形だから。

 我が儘でいい。綺麗事でもいい。
 それでも、人に幸せな夢を見せようとすることを辞めたら、自分は自分でいられなくなる。
 それはアイドルとして歩んできた自分達のこれまでに対する全否定に他ならない。

 轆轤(ろくろ)に乗った粘土は、触れる手の僅かな力の狂いで、歪み、崩れ、そして戻らない。
 だからこそ、自分を完成された器として焼き上げるその時まで、愚かなほどに真っ直ぐでいたい。
 アイドルとして、自分自身として、藤原肇として、生まれてきた意味全てを今使おう。


「さようなら、雪美さん。もう、会うことはないでしょう。……だけど、忘れません」


 肇は、感傷を振り切るように踵を返した。
 落としていた盾を拾い上げ、ディパックの紐を強く握った。
 そして、一歩を踏み出す。
 決して足取りは軽くなかったが、その一歩には意志の力があった。
 大丈夫だ。歩いていける。前に進んでいける。
 その事実に僅かに安堵し、しかしその緩みを戒めるように肇は大きく深呼吸した。


「気取らず、気負わず、私らしく……藤原肇、参ります!」


 そして彼女は、決然と前を向く。


【C-6(ログハウス内)/一日目 深夜】

【藤原肇】
【装備:ライオットシールド】
【所持品:基本支給品一式×1、アルバム】
【状態:健康、決意】
【思考・行動】
基本方針:殺し合いを回避するために出来ることを探す
1:他のアイドルと接触したい
2:アイドルを殺すことは、自分自身を殺すこと
3:プロデューサーを危険に晒さないためにも、慎重に……


※仁奈がログハウスを飛び出してから、それなりの時間が過ぎています。


<アルバムについて>
 福岡開放時点での(765プロ所属を除く)全アイドルの写真とプロフィールが収録されています。
 プロフィールの内容は「ゲーム中のアルバム機能で閲覧出来るもの」+「デビュー後の略歴」で、
 公にされていないデータ(プライベート情報や杏の3サイズなど)は記載されていません。


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最終更新:2012年11月28日 20:52