蜘蛛の糸 ◆ncfd/lUROU
横たわる亡骸の側で、ただただ泣きじゃくる少女がいました。
彼女は何故泣くのでしょう? 亡骸と成り果てた、一人のアイドルの死を悲しんでいるのでしょうか?
そうではありません。
彼女はただ恐れていたのです。ただ怖がっていたのです。
それは純粋な感情でした。彼女自身が死ぬことに対する、殺されることに対する、ただただ純粋な、人として当たり前に感じるであろう恐怖でした。
先刻彼女と邂逅した
岡崎泰葉は、そんな彼女の姿を見て言いました。
『そう……。あなたは……アイドルでも殺人者でもなく、ただの普通の人なんですね』
ただの普通の人なんですね。
遠回しにアイドル失格だと彼女を糾弾するような、そんな言葉。
彼女はそれに反論しようとしました。
辿々しくも言葉を紡ごうとしたのは、彼女にも自分がアイドルであるという自負が、矜持がたしかにあったからでした。
けれども、その言葉はかき消されます。
岡崎泰葉が取り出したナイフによって。
ナイフが持つ恐怖によって。
それは彼女の『アイドル』が恐怖に敗北した、紛れもない証でした。
だから、岡崎泰葉は続けて言ったのです。
『もういいです。あなたなんかがアイドルを騙らないでください。……あなたは、負けたんです。
千川ちひろが用意した、この世界に』
アイドルを騙らないでください。
アイドルにとって、これ以上に反論したくなる言葉もないでしょう。
けれども、アイドルであるはずの彼女は反論しませんでした。できませんでした。
泣きじゃくっていたから、というのもたしかにあります。
泣き崩れていたのだから、想いを言葉にすることなどできるはずもありません。
しかし、それだけではありませんでした。
彼女を満たす恐怖。それは人間には当たり前のもので。
けれども、アイドルには、人気者であると同時に偶像となることを求められる者には、それは相応しくないもので。
その相応しくないものに、彼女の『アイドル』は負けてしまいました。
そして、その恐怖はこの殺し合いに、岡崎泰葉が言うところの『千川ちひろが用意した世界』に与えられたもので。
それに負けた彼女は、即ち千川ちひろが用意した世界に負けたのでした。
つまり結局のところ、『アイドル』として敗北し、千川ちひろが用意した世界に敗北した今の彼女は、
榊原里美はアイドルなどではなく。
岡崎泰葉の言うように、普通の人でしかなかったのです。
普通の人なのですから、彼女が反論できる道理はどこにもありませんでした。
もっとも、仮に今の彼女に反論することができたとしても、岡崎泰葉はそれを容赦なく切り捨てていたでしょうが。
岡崎泰葉が立ち去ったあとも、彼女は泣き続けました。
この場では殺されずに済んだという安心感も、アイドルであることを否定されたことの前ではあってないようなものでした。
彼女が持っていたアイドルとしての矜持は、例え微かでも彼女を支えていたのでしょう。
しかし、アイドルであることを否定された今、その支えは既に跡形もなくて。
このようなとき、普段ならばプロデューサーが、そしてかつては兄が、彼女を支えたのでしょう。
けれども、この場にいるのは彼女ただ独り。
プロデューサーや兄に支えてほしくても、すがりたくても、それは叶わぬ願いです。
かつて彼女は言いました。
『ロケットを身に着けてればプロデューサーとずっと一緒ですぅ~』
彼女が握りしめているロケットの中には、たしかにプロデューサーがいました。
あるライブイベントの際に会った
高森藍子に頼んで撮ってもらった、笑顔のプロデューサーの写真です。
普段ならば、彼女はその微笑みを見ただけで幸せな気持ちになれたのでしょう。
いつでもプロデューサーが隣にいるような気分になれたでしょう。
けれども、今彼女が求めているのは支えでした。
隣にいるような気分ではなく、実際にプロデューサーが隣にいて彼女を支えてくれることが、彼女の願いでした。
けれども、そのプロデューサーはただ彼女に微笑むだけで、彼女を支えてはくれません。
兄もまた同様です。
『どこかでお兄様も見守って下さってると信じてますの~』
アイドルとしてライブなどをしていたから、彼女は兄が見守ってくれていると信じられました。
しかし、この殺し合いの中で、どうすれば兄が彼女を見守ることができるというのでしょうか。
プロデューサーは隣に居らず、兄に見守られることもなく、アイドルとしての矜持も失って。
今彼女を支えているものは、何一つありませんでした。
彼女にあるのは恐怖だけ。
だから、彼女はただただ泣き続けました。
それからしばらくして。
未だ嗚咽が止まらぬ彼女は、移動することもできずその場に座り込んでいました。
このとき彼女が冷静になって辺りを見回したなら、
今井加奈の亡骸に違和感を感じることができていたかもしれません。
岡崎泰葉が持っていた武器だけでここまで遺体が損壊するわけがない、と。
しかし、彼女に冷静になれというのも酷な話でしょう。
彼女を襲う恐怖は、殺し合いという世界自体から常に与えられ続けるものなのですから。
亡骸について意識を向けることもなく、座り込んで震えていた、そのときのこと。
『・・み、みなさん! 私の声が聞こえまひゅはっ!?』
「ひぃっ!?」
突如聞こえてきた声に、彼女は思わず身をすくませました。
誰かが来た。今度こそ殺されてしまう。嫌だ。怖い。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ怖い怖い嫌だ怖い怖い怖い怖い・・!
彼女の心を恐怖が包み込みます。
けれども、誰かが来訪する気配は一向にありません。
その代わり、続けて声が聞こえてきます。
『みなさん、私の声が聞こえますか? もし私の声が聞こえたら、山頂の見晴台まで・・』
その声は、拡声器を使って目の前の山の頂上から呼び掛けているものでした。
声の主は
島村卯月。
渋谷凛や
本田未央と一緒にいるという島村卯月は、みんなで一緒に助けを呼ぼうと、みんなで助かろうと、そう呼び掛けているのです。
それは、彼女にとってはまさに天恵でした。
恐怖の中という地獄にいる彼女に垂らされた、一本の蜘蛛の糸でした。
恐怖から逃れるために。死なないために。
彼女は山を登っていきます。
その先にすがれるものがあるのだと、支えてくれるものがあるのだと、信じて。
☆
ブッタがジゴクからある男を助け出すため、切れやすい蜘蛛の糸を垂らした。ナンデ?
☆
新田美波は山の中を歩いていた。
既にあの拡声器による声が響き渡ってから数十分が経っている。
それでも山頂にたどり着く気配がないのは、やはり今が夜だからだろうか。
照明が月明かりしかない山道を歩くのは、日頃からラクロスをやっている美波であっても非常に体力を消耗するものだ。
とはいえ、美波はさほど焦っているわけではなかった。
拡声器の声の主が数十分程度でその場を離れるわけがないし、いくら時間がかかっていると言っても美波が今歩いているのは登山道だ。
どれだけゆっくり進もうが、いずれは頂上にたどり着くことが定められた道。
だからこそ、美波が今気にするべきは・・
(……誰かいますね)
声の主ではなく、他の参加者だ。
暗くて見えないが、たしかに荒い息遣いと、木の枝が踏みしめられる音が聞こえてくる。
その音の発生源は登山道ではなく左手に広がる木々の中だ。
つまり、その人物は山の中をつっきってきたことになる。
(殺し合いに乗り気な人が、わざわざ無駄に体力を消耗するとは思えないけど……まずは様子見ですね)
静かな夜とはいえ息遣いが聞こえるほどの距離なのだ。その人物が登山道に現れる可能性は十分にある。
そう考えて、美波は音が聞こえてくる方とは逆、右手の木々の影に身を隠す。
数十秒後、美波の予感通りにその人物は登山道に姿を表した。
ボリュームのある特徴的な髪には木の葉が引っ掛かっており、良家の子女のような印象を与える服はところどころが土で汚れてしまっている。
髪型や服、存在感抜群の胸から、美波がその人物を榊原里美だと知るのにそう時間はかからなかった。
美波は里美と密接な親交があるわけではなかったが、それでも里美の人となりぐらいは把握していた。
ぼんやりおっとりとしていて、どこか甘えたがり。
それだけで判断するならば、里美は殺し合いに乗ることはないだろう。
(でも、それは早計ですよね)
そう、早計だ。
美波が把握しているのは殺し合いが始まる以前の、平和な日常の中の人となりでしかない。
既に一人のプロデューサーが死に、おそらくは何人かのアイドルも死亡しているであろうこの島で、どれだけの人間がいつも通りの自分を保てているのか。
重要なのは今の人となりであり、過ぎ去った日常のものではないのだ。
だからこそ、確認すべきなのは今里美が浮かべている表情。
誰もいないと思っているからこそ表に出てくる、偽りのない今の本心だ。
辺りを警戒してか、キョロキョロと辺りを見回している里美の表情。
そこに浮かんでいるのは・・紛れもない怯え。
それを確認した美波は、里美の前にその身を晒す。
「ひぃっ!?」
里美がもらした悲鳴には、隠そうともしない恐怖がありありと見てとれた。
それほどまでに恐怖を感じるということは、『他の参加者がいた、殺そう』ではなく、『他の参加者がいた、殺される』という発想に至ったということ。
つまり、里美は殺し合いには乗っていない。
美波はそう確信し、里美に声をかける。
「大丈夫、私はあなたを殺したりなんてしません」
「い、いやっ、来ないでくださぁい!」
イヤイヤと赤子のように首を振る里美は、美波の話など聞こえていないかのようで。
それならば、と美波は一歩、二歩と里美に近付いていく。
来ないでくださいと言いつつも里美が逃げないのは、恐怖で足がすくんでいるからか。
難なく里美の目の前に歩を進めた美波は、里美の体を・・抱き締めた。
腕の中で暴れる里美に、諭すように美波は囁く。
「落ち着いてください。私は里美さんの味方です」
「ふぇ……え……?」
「怖かったんですよね。でももう大丈夫です。安心してくださいっ」
「本当、ですかぁ……?」
「ええ、勿論です」
泣きはらしたのであろう赤い目で美波を見上げる里美に対して、美波はニッコリと微笑む。
里美を刺激しないように配慮した、優しい笑顔。
それは里美に久方ぶりの安堵を覚えさせるのに十分なものだった。
安心したためか、美波の胸に顔を埋めて泣き始めた里美の頭を、美波は優しく撫でる。
撫でながら、逡巡する。
里美を殺すか、否かを。
(さて、どうしましょうか。今なら問題なく里美さんを殺せますが……)
手にいれた拳銃は、いつでも取り出せるようポケットに入れてあった。
泣いている里美に気づかれずに銃を取り出し、撃つことなど容易いことだ。
実際には返り血があることを考えると密着状態で撃つのは得策ではないが、それでも撃つ機会なんて里美が落ち着いた後にいくらでもあるだろう。
しかし、弾に限りがある現状で、まず間違いなく美波と敵対しない里美を殺すことにどれだけの意味があるのか。
同行者がいるだけで他者に信頼されやすくなるだろうし、いざとなったら囮としても使える。
そうしたメリットを捨ててまで、里美を今殺すことに意味があるとは、美波には思えなかった。
だから、まだ里美は殺さない。
利用価値があるから。……他意があるわけでは、ない。
「……ううっ、ぐすっ、怖かったですぅ……」
「ふふっ、そんなに泣いたら可愛い顔が台無しですよ。私が一緒にいますから」
里美の頭を撫でながら、美波は微笑む。
しかし、その笑みは先程のように優しいものなどでは、決してなかった。
(……あなたが邪魔になるまでは、ね)
【E-6・山中/一日目 深夜】
【榊原里美】
【装備:なし】
【所持品:基本支給品一式×1、不明支給品1~2】
【状態:健康、安堵】
【思考・行動】
基本方針:死にたくない
1:怖かったですぅ……
【新田美波】
【装備:コルトガバメント+サプレッサー(7/7)】
【所持品:基本支給品一式×1】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:他の参加者と接触しつつ、可能なら暗殺する
1:拡声器の声を目指して山を登る
2:可能な限り慎重に行動したい
3:里美は利用できるだけ利用する
最終更新:2023年09月20日 10:52