私はアイドル ◆j1Wv59wPk2
観覧車は、ゆっくりと回る。
例え誰も乗っていなかったとしても。
……例え、誰かが乗っていたとしても。
* * *
一番高い所…この遊園地を、島の遠くまで見渡せる場所まで上った。
日も昇り、状況が状況で無ければ、この絶景に素直に感動出来たのだろうか。
光に照らされながらも、中に居る少女――
神崎蘭子はそんな事を考えていた。
「出口の見えぬ迷宮…(私は、どうしたら…)」
その言葉は取り繕っていても、本音は未だに迷っている。
彼女は友人が死んで、その友人を侮辱され、激昂して……逃げてきてしまった。
侮辱、と言っても侮辱した相手に悪気が無かった事は蘭子自身も理解している。
ただ…それでも、あの時感じた怒りを、悲しみを、絶望を止めることはできなかった。
ゴンドラは既に半周した。その間、神崎蘭子は何かを考えていたわけでは無い。
ただずっと、特に何かを考えることなく過ごしていた。
ただ、疲れた。思考を放棄して、ゆっくりと過ごしたかった。
考えてみれば、真夜中から始まって六時間も立っている。
睡眠時間は取れていない。その事実に気づいた時から、蘭子は眠気に襲われた。
――ただ、この眠気に任せてしまっても良いかもしれない。
一瞬だけ、蘭子はそう思った。
(――駄目、こんな所で寝たら、きっと危ない……)
頬を思いっきりつねる。鈍い痛みが彼女を襲う。
その痛みが彼女を現実へと引き戻す。
……この辛く悲しい、絶望的な現実へ。
「………」
涙が頬を伝う。
今井加奈は死んだ。蘭子の数少ない理解者で、輝く笑顔を持っていた今井加奈は死んだ。
それはもはや変えようのない事実だ。今井加奈を信じているからこそ、それが事実だということが重くのしかかる。
あの時、一緒に居た人――
輿水幸子は誰でも無い蘭子自身の為に、傷つけない為にあんな嘘を付いたのだ。
全てが嘘だという、嘘を。
だが、蘭子はその優しさを払い除けて、それなのに結局逃げて来てしまった。
現実を自らの手で受け入れたのなら、それに正面から向き合わなければいけないはずなのに。
それなのに、逃げてしまっては結局無駄だ。全てが振り出しに戻ってしまう。
「………愚者の、帰還(………戻らないと)」
だから、逃げてはいけない。どれだけ辛くとも、自ら理解した以上は向き合わなくてはならない。
何をすれば良いのかは分からない。今井加奈の死にどう向き合えば良いのかわからない。
ただ一つだけ、どうしてもしなければいけない事があるのはわかった。
「我が名を以て、再契約を……(幸子ちゃんに、謝らないと……)」
優しさで嘘を付いた輿水幸子に悪気は無い。蘭子を思っての行為に蘭子は怒ってしまった。
ここで仲違いしている場合じゃない。だから蘭子は、幸子に謝らなければならない。
そして、また三人で一緒に。
(一緒に…反抗の道を探そう)
涙を拭いて、顔を上げる。
その決意はあまりにも脆く、具体的なものは何も無い決意であったが、
それでも、ほんの少しだけでも自分の行く道を示す事に意味があった。
一人では分からない事なら、三人で考えれば良い。
外の光景に目を向ける。
太陽の光が差し、この島全体を照らている。
先程に比べればゴンドラの高さは大分落ちてはいるが、それでもこの島の遠くまで見渡せる。
「煩わしい太陽ね……」
ぽつりと一言、ただ呟いた。
* * *
「こ、ここら辺に、いるみたい……」
「…………」
気弱そうな少女は携帯端末を見ながら、そう呟く。
その携帯端末は彼女の物では無く、またそれに付き添う少女の方でもない。
それは二人から逃げ出した少女、神崎蘭子の物であった。
星輝子と輿水幸子。彼女達は蘭子を探す為、この遊園地を探索していた。
それはつい先程の事、意思の食い違いが二人を絶ってしまったのだ。
幸子もまた、蘭子に言ってしまった事への後悔の念があった。
「ねぇ、幸子……大丈夫?」
「えっ……な、何がですか!?
カワイイボクに大丈夫じゃない事なんてあるわけないじゃないですか!」
幸子はそう取り繕う。
いつもの様に強気な態度で返答するものの、その表情は芳しくない。
(幸子…………)
そして、その事は輝子にも伝わっていた。
この『イベント』が始まってから既に六時間。短いようで、とても長い時間。
最初に恐怖を感じ、合流の安心を感じ、そして再度くる恐怖と、絶望に揺さぶられた時間。
輝子もそうだが、それ以上に幸子は疲れている筈だ。
「………ボクだって、やらないといけない事ぐらい分かりますよ」
「えっ?」
「殺し合いに乗らないで生き残る為にも、こんなところで手間取っている暇は無いんです。
また三人で、これからの方針を決めないといけないんですから!
だからその為にも…早く蘭子さんを探し出しますよ!輝子さん、反応はここら辺にあるんですね?」
「……う、うん」
しかし、それでも幸子はその弱さを見せる事はない。
彼女の内心は確かに恐怖し疲労している。
それでも彼女は、現実を実感しても尚、そのスタンスを崩さない。
幸子は、アイドル『輿水幸子』として戻る。その為にも、彼女はいつもの様に強気な態度を取る。
反抗する為に、もう一度あの舞台に立つために、弱さを隠して振舞っていた。
しかし、彼女はまだ気づいていない。
まだ、『ぬるま湯』の中から抜け出せていないことを。
まだ、淡い希望を捨てきれていない事を。
現実を、未だに完全に理解していない事を。
「………っ!
幸子、人が……!」
「えっ…!?」
その時、向こう側から人が歩んできた。
この場所に居る人というのはつまり、このイベントの参加者。
十分警戒の対象になり得るものと、思わず身構える。
「……輿水、幸子さん」
「あ……なんだ、ゆかりさんでしたか」
だがその姿を見た途端に、その警戒は薄れた。
水本ゆかり。彼女の事を幸子はある程度知っている。
純粋奏者として、清純令嬢として人気を博したアイドル。
……何故彼女がウェディング風のドレスを着ているのか分からなかったが、
彼女の普段の人格を知っていた幸子にとって、彼女が殺し合いに乗るとはとても思えなかった。
その印象が幸子に安心感を与え、気を許す。
「さ、幸子……」
「大丈夫ですよ、輝子さん。ゆかりさんは殺し合いに乗るような人じゃないです」
幸子は自分の後ろに隠れる輝子を諭す。
目の前の少女はとても落ち着いている様に見え、その姿が普段と同じだと感じていた。
確証は無いが、殺し合いに乗ってはいなさそうだと結論を下した。
話が通じるのならまずは聞きたいことがあると、幸子は問う。
「丁度良かったです、ゆかりさん。ここら辺で神崎蘭子さんを見ませんでしたか?
ゴスロリファッションに身を包んだ人なんですけど、先程はぐれてしまって……」
「……ええ、見ましたよ」
「ほ、本当!?」
想定外の頼りになる言葉に、質問した幸子よりも先に輝子が反応した。
実際、幸子もまさかこうもあっさり返答されるとは思っていなかった。
「というより、今も見えてますよ。ほら、あの観覧車……」
「え?………うわ、居ましたよ」
上を見上げてみれば、観覧車のゴンドラの一つに人が乗っていた。
光に反射して銀髪が揺れる。遠目でも目立つ姿をしたアイドルは現時点で一人しか知らない。
「……なんで、観覧車なんかに乗っているんですか……」
その姿を見て、幸子は真っ先にそう思った。
ここが殺し合いの場だと言う事は理解している筈だ。それなのに何故あんなところに居るのか。
(……元はといえばボクのせい、なんですかね)
いわば彼女に、現実を認識させたのは、ひとえに輿水幸子の言葉が原因だ。
それも、最悪の方法で、幸子が逃げ場を塞いでしまったのだ。
元々彼女は深い哀しみに包まれていた筈だ。それを無理矢理引き裂いてしまって、その先のフォローは何も無い。
考えてみれば、そんな彼女が逃げる事を責める事など、今の幸子にできるはずがない。
「私もそう思います」
「………はい?」
「何故観覧車になんて乗っているのか……。理解に苦しみますね」
「あ……まぁ、確かにそうですね」
その時、唐突にゆかりが口を開く。
その言葉の意味を幸子は一瞬理解するのが遅れたが、それがつい先程自分が言った事に対する返答だと気づいた。
その冷静な言葉に意外な印象を受けたが、それがある意味頼りになりそうでもあった。
「ええ、観覧車なんて出入り口が一つしかない物に乗るだなんて……自殺行為としか思えません」
「……そ、そこまで言いますか」
「言わざるをえませんよ……もしそのたった一つの出入り口に殺し合う人が居たなら、袋の鼠です」
だが、何か様子がおかしい。
冷静に語る彼女の目には何か違和感があった。
それを言葉で説明することはできなかったが、一瞬でも感じた違和感はそのまま膨れ上がっていった。
「ゆ……ゆかり、さん?」
「そう、例えば………」
もしかして、とんでもない勘違いをしていたんじゃないのか。
そう思ったときには既に遅かった。
「………私みたいに、ね」
刀が、振り下ろされる。
「い…………っ!」
咄嗟に後ろに下がる。
しかし完全には避けきれず、体に赤い線が刻まれた。
「幸子っ!」
輝子が叫ぶ。
幸子の体から血が滴り、地面を点々と赤く染めてゆく。
それが、彼女に凶刃が襲いかかったという事実を証明していた。
「……避けられてしまいましたか。
さすがに、アイドルなだけはありますね」
先端から血が滴る刀を振るい、ゆかりは淡々と呟く。
その姿は先程までとあまり変わりは無い。冷静さも、その余裕を持った笑みも崩してはいない。
それはつまり、今のが何かの間違いでも何でもなく、彼女が意図して行ったという事だった。
「そんな……どうして……!」
「どうして、ですか………。同じ様な質問ばかりで嫌気がさしますね」
そう溜め息をつく。
同じ様な質問……と言っても、幸子達には心当たりは無い。
一体それがいつの事なのか。その質問は誰が言ったのか。
……その質問の答えは分かっていた。
彼女は幸子達と会う以前に、誰か別の人と会っていたのだ。
そして、おそらく彼女は―――
「他の人を殺さないと生き残れないのなら、殺してでも生き残るしか無いでしょう?
ファンの為に、プロデューサーさんの為に……私が、アイドルである為に」
そう語る少女はただ淡々と、冷静に言葉を連ねて行く。
その姿は正に狂気。この場所において彼女は分かりやすく狂っていた。
――おそらく彼女は、既に人を殺している。
きっと彼女が純白のドレス風の衣装に包まれているのは、元の服が返り血で汚れた為だ。
その確証は無い。しかし彼女の気迫はそれを想像させることに難くなかった。
「ですから……貴方達はここで死んでください」
「ひっ………!」
再び刀を構える。
その姿はとても素人とは思えない、様になったものだった。
彼女は最初の六時間で『レッスン』を積んでいる。生き残る為に、勝ち残る為に努力を怠っていない。
ただ逃げて、励ましあっていただけの少女達とは違う。彼女は『プロ』だった。
「い、嫌………っ!」
幸子はもたつきながらも、背を向け逃げ出そうとする。
出だしこそ遅れたものの、その後のスピードは流石にアイドルと言うべきか、中々に早かった。
「あっ…!」
その後を追いかける輝子。
彼女は運動神経が良い方とは言えない。しかし、死への恐怖が普段以上に体を動かした。
「……ここで逃がすと思いますか……っ!?」
その後を追いかけて、刀を振り下ろそうとする。
しかし彼女の視界入ったに、ある黒い物が彼女の動きを止めた。
それは、拳銃。輿水幸子が持っていた、グロッグ26の銃口が向けられていた。
「この………っ!」
パン、と乾いた音が響く。ゆかりはその音に思わず体を逸らす。
しかし、その後彼女に痛みが襲う事は無かった。
銃弾はあらぬ方向へ飛んでいき、虚空へと消えていった。
それでも、その銃声には意味はあった。ゆかりが視線を戻した時には、二人はかなり距離を離していた。
「くっ……逃しません!………っと」
それを追いかけようとして、しかしその足を止める。
彼女は少し考える様に首を捻り、その後空を見上げた。
その目線の先にあるのは、ゆっくりと回る観覧車。
彼女はその内の一つあるゴンドラに目を付けて、
「その前に、先にあちらからの方がより確実ですね。
……少し、順序を焦ってしまったみたいです」
その黒き天使に、狙いを定めた。
* * *
「はぁ……はぁ……追って、こない……?」
息切れしながら後ろを振り返る。
そこには後ろから遅れてついて来た星輝子以外、動く物は無い。
撒いた、のだろうか。幸子は地面に腰をおろして息を吐く。
胸からは血が滲み出る。薄い切り傷であり、命に別状はなさそうだった。
「はぁっ……まさか、ゆかりさんが……」
刀を構え襲ってくる水本ゆかりの姿がフラッシュバックされ、思わず目を塞ぐ。
元々幸子とゆかりは仲が良い…というわけでは無い。そもそも話した事すらあまりない。
しかし、あの凛として芯のしっかりとした女性が、こんな殺し合いに参加する事がとても意外だった。
(………………)
違う。芯がしっかりしているからこそ、彼女は殺し合いに乗っているのだ。
狂っている…と先程は思ったが、それは語弊があるかもしれない。
彼女は狂ってなどいない。彼女は彼女であるまま、この殺し合いに参加している。
アイドルとして戻る為に、一切の躊躇無く、一切の迷い無く自分を信じて殺し合いに乗っているのだ。
二回目にしてより具体的な死への恐怖が、彼女の更なる恐怖を呼び起こす。
体が無意識に震えている。だがとりあえず今は命を拾った。
その事にとりあえず一安心し、心を落ち着かせる。
しかしその時、後ろの少女の様子がおかしい事に気づいた。
「……輝子さん?どうかしたんですか?」
おどおどと、幸子の顔を伺っている。
いや、その仕草自体は最初からよくしていたことなのだが、それにしたって何か様子がおかしい。
言葉を投げかけて、それでも遠慮するように俯き、やがて呟きだした。
「幸子…逃げてきて、よ、良かったの……?」
何故か不安そうな顔でこちらを見る輝子。
幸子は一瞬だけ、その質問の意味が分からなかった。
「逃げてきて良かったの……って、何を言っているんですか!?
あそこで逃げなかったら、ボク達は今頃……!」
そう、もしあそこで逃げていなかったら今頃はあの刀の餌食になっていたことだろう。
抵抗しようにも、躊躇無く刀を振るう彼女に抵抗できるとは思わなかった。
何も間違っている事は無い。生き残る為に、最善の選択をした筈だ。
……それなのに、何故だろうか。
何か、大事な事に目を逸らしているような気がするのは。
今までみたいに、見なければならない現実から逃げている気がするのは。
「違う…そ、そうじゃなくて……!」
その正体は、薄々感づいている。
自分が取り返しのつかない事をしたのでは無いか、と。実感してきている。
確かに、あれは生き残る為に最善の行動だった筈だ。なら何故後悔の念の様なものが、焦りが生まれているのか。
その理由は一つしかない。それは自らの命とは無関係の話、また別の何かがあるのだ。
そう、自分の保身に必死で記憶の隅へ追いやった、彼女の存在を。
「蘭子、が……」
その言葉を聞いた瞬間に、全てが止まったような錯覚に陥った。
……あの場所にはもう一人、仲間が居た筈だ。
その人を探して、謝って、またもう一度やり直そうとした筈なのに。
それを放り捨ててただ逃げて来てしまった。
水本ゆかりは殺し合いに乗っている。それも生半端な気持ちでは無く、一切の躊躇も無い。
そんな彼女が追ってこないという事は、別のアイドルに標的を定めた可能性が高い。
……もしもこの推測が当たって居るとすれば、狙われているアイドルというのは十中八九……
「あ…………」
「……ねぇ、幸子……も、戻ろう。早く戻らないと、蘭子が…こ、殺される」
「……………」
観覧車に乗る蘭子には逃げ場は無い。
このままでは、彼女はあの少女によってあっさりと殺されてしまうだろう。
彼女が乗っているゴンドラが下に降りてくるまでに、戻って何としてもその凶行を止めなくてはならない。
その為の武器はある。手に持つ拳銃を使えば、少なくとも動きを止めたりする事は出来る筈。
……最悪の場合は、水本ゆかりを殺せば、蘭子は助かる。
今からもう一度戻って、蘭子を助ける為に銃を向ける。
そうすれば、少なくとも助けられる見込みはある。今からならまだ間に合う筈。
(………………ボクは)
しかし、それでも、幸子の足は動かなかった。
――――何故?
「い、嫌です」
ぼそりと、ただ呟いた。
その言葉は他の物音が聞こえない施設の中で、小さくともしっかりと響いた。
そして、一度漏れた『弱音』は止まる事は無い。
「幸子……?」
「ぼ、ボクはっ!こんなところで死にたくなんてありません!
またあそこに戻ったらっ、今度こそ殺されてしまうかもしれないんですよ!?
確かに、蘭子さんを見殺しにする…なんてっ、酷いかもしれませんけど…!
でもっ、ボクの命の方がっ、大事です!死にたく…ない……っ!」
目から大粒の涙がこぼれ、思いの丈を吐き出していく。
このイベントが始まってから、認めずに目を逸らし続けた現実。
それを精神が認め、そして肉体的にも実感された。
そして逃げ場の無くなったネガティブな感情は、唯一のはけ口から止めどなく溢れる。
「そうだ…あなたは傷を負っていないからそう言えるんですよ…!
ボクは、あの時死にかけた……あなたとは違うんですよっ!」
「ひっ!?」
声を荒げて主張する。その勢いに思わず輝子は短い悲鳴をあげる。
彼女の主張はあまりにも醜いものだ。とてもアイドルとして褒められたものではない。
しかし、だからといって生きようとする事の何が罪になろうか。誰が責める事ができようか。
少なくとも、輝子にそれ責める事はできない。
彼女もまた足がすくんでいた。それは怒鳴られたから…ではない。
もしも何が何でも助けたいと願うのならば、一人でも向かうべきなのだ。
しかし彼女が動けないと言う事は、彼女自身も恐怖しているからだ。目の前まで迫っていた死への恐怖に。
そんな彼女に目の前で怯える少女を責める権利は、ない。
「………あ」
そしてただ涙目で震える少女を目の前にして、幸子の体は迫力を無くしていった。
「……ごめんなさい……でも、ボクは…怖くて……もう、嫌……!」
そして、彼女はとうとう地に伏せすすり泣いてしまった。
彼女を支えていた物は全てこの場には無く、無防備な彼女を狙う者たちはあまりにも多い。
そんな世界に、もう耐えられない。しかし逃避できる手段ももはや無い。
絶望的な悪夢は尚その恐ろしさを増し、未だ続いていく。
もはや抵抗も逃避も出来ずに彼女はただ、絶望に震えてうずくまるだけだった。
* * *
観覧車はゆっくりと回る。
例え誰も乗っていなかったとしても。
……例え、誰かが乗っていたとしても。
(――――……………)
数多くあるゴンドラのうちの一室。そこは血生臭く、凄惨な場所になっていた。
その中でただ一人、血に塗れ横たわる少女がいた。
現実を直視出来ずに逃げ続け、覚悟を決めた矢先に襲いかかる凶刃。
逃げ場の無い一室で彼女はあっさりと追い込まれ、そして―――
(…………あ………)
彼女は、即死ではなかった。
しかしその傷は確実に致命傷である。もう助からず、ただ死を待つだけなのは変わらない。
その事実は彼女に襲いかかった少女、水本ゆかりも知っていたから、それ以上の追撃はしなかった。
観覧車が一周する頃には間違いなく死んでいる。そんな相手にこれ以上構っている暇は無かったのだ。
『死にゆく中で、自分自身の愚かさを後悔しながら逝きなさい』
離れていく地上に居た人物からかけられた最期の言葉。だがその言葉は蘭子には届いていなかった。
(………ここ………ど、こ……)
彼女は現実を知らない。
もう手遅れであるという事を、彼女自身は理解できていない。
残り少ない力を振り絞り、ただ前へと手を伸ばす。
ゴンドラは狭く、出口までの距離はほぼ無いに等しい。
加えて、扉は閉まっておらず、目の前には外への光景が広がっていた。
(……早く……向かわないと………)
ゴンドラの端に手を掛けて、体を這って進む。
その姿は酷く惨めで、とても『アイドル』だった人物とは思えない。
でも…それでも、彼女は前へ進む事を止める事は無い。
(……幸子…さんの……所、に………)
ただ、後悔していた。
観覧車へ逃げ込んだ愚かさに対してでは無い。
ただ、酷い事をしてしまったと、もう一度謝りたいと。
その後悔の念が彼女の中を圧迫して、ただ突き動かす。
後悔を晴らす為に…あるいは償う為に、決して進むことをやめなかった。
(私……謝って………)
だが、もう全てが遅かった。
扉から見えた光景は、全てを一望できる『あの』光景。
彼女の意識が朦朧としていた間に、観覧車はずっと動き続けていた。
もう感じることは無かったが、高所からの風がゴンドラの中に吹き荒れていた。
(もう、一度…………――――)
その光景を見た瞬間に、彼女の体を支えていた力は全て失われて――
――――堕ちていった。
* * *
「…………?」
遊園地を歩く水本ゆかりの耳に、音が響いた。
しかしそれは銃声のような乾いた音ではなく、もっと生々しい衝撃音。
一体何が起こったのかと、後ろを振り返る。
ふと空を見上げてみると、観覧車のゴンドラの一つが大きく揺れていた。
そのゴンドラは遠くから見ても分かる程赤く染まっており、さらにドアが開きっぱなしになっていた。
その光景は、傍から見れば明らかに異常だと思うだろう。
しかし、それを見てもゆかりは動じる事は無い。……なぜならば、その元凶こそが彼女自身だからだ。
(あぁ……成程。蘭子さん、落ちたんですね………)
そのドアの開いたゴンドラを見て、先程の音の正体が分かったような気がした。
確証は無い。あくまで推測であり、万が一何か別の音かもしれない。
しかし、それをわざわざ確認にしに行くつもりはなかった。
もしもその予想が当たっていると思うと、気が引けた。
(きっと、無残な事になってるでしょうし……それに、まだ私にはやる事がある)
そう思い、あっさりと踵を返す。
彼女が次に狙いを定めるのは、先程逃した二人のアイドル。
錯乱した状態の彼女達はそう遠くまで行かないだろう…と、そう踏んでいた。
おそらく、まだこの遊園地に居るはずだろう。
殺せる段階で殺せなかったのは手痛いミスだった。少し行動が早かったかもしれない。
とはいえ、未だ致命傷ではない。失敗からは学べば良い。それもまた一つの『レッスン』だ。
そしてその『レッスン』の締めに、逃した少女達を殺す。そうして彼女はまた一つ成長出来る。
「彼女達は『弱い』……生き残るには、不相応です。
私がアイドルとして生き残る為にも……不相応なあの人達には、ここで終わってもらいましょう」
彼女は歩き続ける。
自らを血で濡らしながら、アイドルであるために。
ただ唯一、アイドルであるために殺し合いを続ける少女の目に迷いはなく、
そして、ただ狂う事も無かった。
【神崎蘭子 死亡】
【F-4 遊園地・観覧車/一日目 朝】
【水本ゆかり】
【装備:マチェット、白鞘の刀、純白のドレス】
【所持品:基本支給品一式×2、シカゴタイプライター(43/50)、予備マガジンx4、コルトガバメント+サプレッサー(6/7)】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:プロデューサーを助ける。アイドルとして優勝する
1:輿水幸子と星輝子を探し出し、殺害する。
【F-4 遊園地/一日目 朝】
【輿水幸子】
【装備:グロック26(14/15)】
【所持品:基本支給品一式×1、スタミナドリンク(9本)】
【状態:胸から腹にかけて浅い切傷】
【思考・行動】
基本方針:こんな所で死にたくない
1:殺し合いなんて……
2:蘭子に対する後悔の念
【星輝子】
【装備:ツキヨタケon鉢植え、携帯電話、神崎蘭子の情報端末】
【所持品:基本支給品一式×1、不明支給品x0~1】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:友達を助けたい。どうすればいいのかは分からない。
1:蘭子を助けに行きたいけど……
2:雪美が死んじゃった……
3:ネネさんからの連絡を待つ
※神崎蘭子の支給品は観覧車のゴンドラに放置されてあります。
また、神崎蘭子の死体は観覧車下に落ちました。原型を保っていません。
最終更新:2013年02月16日 19:59