彼女たちが駆け込んだナイン-ワン-ワン ◆John.ZZqWo



「おまちどーさま」

言いながらドアを開けて入ってきた塩見周子の両手には、大きめのどんぶりがそれぞれに乗せられていた。
小さな事務机の上、彼女が戻るのを待っていた小日向美穂の目の前へとひとつ置き、そしてもうひとつをその向かいに置く。

「じゃあ、食べようか」

ふぅと小さく息を吐くと塩見周子も椅子に座って手を合わした。

「あの……、これは?」

小日向美穂の目の前、ほかほかと湯気をあげているのはとてもおいしそうなカツ丼だ。
塩見周子は「ごはんとってくる」と言って彼女をここ――警察署の取調室――に置いて部屋を出ていったが、
しかし時間はそれほど経っていない。せいぜい十数分というところだ。だとすれば彼女はどんな魔法を使ったのだろう?

「取調室ならカツ丼でしょー」

それは確かに、と小日向美穂は納得するが、しかしそういうことが聞きたいのでなく、だが彼女の言葉は止まらない。

「ねぇ、カツ丼って和食と洋食のどっちだと思う? 丼は和食だけど、豚カツは洋食だよね?」

そのマイペースさに小日向美穂は答えを返すことができない。
しかし彼女は「でも洋食屋さんにはないから和食なのかな」と勝手に納得していた。
更には「ピザまんもあれって中華なのか洋食なのか悩ましいね」などと話を発展させてゆく。

「ねぇ、食べてよ。ていうか食べて。せっかく作ったんだからあったかいうちにね」

うんと頷いて小日向美穂は箸を取る。そして今度こそ正しく尋ねた。

「これって周子さんが作ったんですか?」
「うん、そうだよ。おかしい? それと、周子って呼びすてでもいいよ」
「ん、……えっと、じゃあ周子……ちゃん。でもすごく短い時間だったのにこんな立派な――」
「ほとんどレトルトだけどね」

そして塩見周子はどうやって目の前のカツ丼を用意したのか、その種を――食べながら――説明しはじめた。
材料に関しては警察署の前にある商店から入手してきたらしい。なんでも、ここに入る時にはすでに目をつけていたそうだ。

「ごはんはパックだし、カツは冷凍だよ。それとここの給湯室にコンロがあったからさ、使わせてもらったの。
 あたしがしたのはごはんとカツをあっためて卵でとじただけ。ね? 全然簡単で不思議じゃないでしょ?
 あ、それとも、あたしが料理できるのがイメージじゃない? こう見えても家事くらいできるよ。家出娘だし」
「そ、そうなんだ……」

彼女の饒舌な言葉を聞きながら小日向美穂はカツ丼を口に運ぶ。適当に作ったという口ぶりだがその味はとてもおいしかった。
一度味が口の中に染みると箸は止まらなかった。思っていたよりもお腹がすいていたのだとわかる。
そういえば、この前に食事をとったのはいつだったろう? 思い出そうとして小日向美穂はあっと大きな声をあげた。

「どうしたの? やっぱり三つ葉がないとカツ丼じゃない派だったりした? 野菜は傷んでるかもって玉葱も使えなかったんだけど」
「そ、そ、そんなことはないよ。そうじゃなくてわたし……、仕事すっぽかしちゃった」

はい?と塩見周子が頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。
えーと……と、小日向美穂は目を泳がせ、そして頭の中で整理したことを言葉に出した。

「わたし、昨日、CDの収録の予定があったんです……」
「あー……」

なるほどねと塩見周子は頷く。しかし、小日向美穂は彼女のように簡単にしかたのないことだとは割り切れなかった。
『Naked Romance』――ありのままの恋心とタイトルのついたその曲は、彼女にとってできるだけの告白だったのだから。
いつかその笑顔をそっとわたしだけにむけてね――と、たとえそれが叶わなくとも、(密かに)想いを言葉にできる機会だったのだ。


 @


「なにかさ、心配事があるんだったら言いなよ」

そのためのこれとこれなんだからさと、塩見周子は片手でこの取調室を、もう片手でカツ丼を指した。

「これから先、長丁場になると思うよー。だからさ、できるだけ思いつめないほうがいいと思うんだよね」
「長丁場……?」

その根拠はどこにあるのだろう? 疑問に思い、小日向美穂はあまり表情の変わらない塩見周子に聞いてみた。

「この殺しあえって話だけどさ。あたし、さっきも言ったけどする気はないんだ。全然ね」

その理由を彼女は饒舌に語る。
まずはこの殺しあい企画そのものが本当のことだという保証がまだない。
本当だとしても人殺しなんかまっぴらごめんだし、実際にそういうゲームだとしても待ったり逃げたりしたほうが生き残りには有利だとも。

「漁夫の利とか、果報は寝て待てとも言うしね。それに――やっぱり、実感がないよね。美穂ちゃんは違う?」

確かにと小日向美穂は頷く。
この殺しあいに対する漠然とした不安は決して小さくはない。だが、実感があるかというとそれをはっきりあるとは言えなかった。
ひとりのプロデューサーが死ぬ場面を見たが、その後また意識を失ったことであれが本当だったのかも今は曖昧だ。

「なのでとりあえず誰かを殺したりーとかは考えない。
 殺しあいをしないとペナルティがあるようなことを聞いた気がするけど、それもあるとしたらその前に警告してくれるだろうしねー」

今二人でいてもなにもないんだから大丈夫じゃない?と塩見周子は子悪魔的な印象のある笑顔を浮かべる。

「だからあたしはとことん待つよ。それにね、待ってたらそのうち助けが来るかもしれないしね」

え?と小日向美穂は小さな声をあげた。言われてみれば当然の発想だが、今の今までそんなことは思いついてもいなかった。
それはきっと自分を助けに来てくれるのはプロデューサーだけだと、どこかで決めつけていたからなのかもしれない。

「さっき美穂ちゃんも言ったじゃない仕事すっぽかしたって。
 実はうちのほうもそうなんだよね。本当だと今日はレギュラーで入ってる番組の収録日だもの」

だから、アイドルがいないことに気づく人は必ずいるはずだと塩見周子は力強く言う。
スタッフだけではない、家族や友人の中にも連絡が取れないことを不審に思うものが出てくるだろう。
しかも、消えたアイドルはひとりやふたりではないのだ。60人ものアイドルが一斉に消えたとなれば騒ぎにならないはずがない。

「だから、助けを待つってのは悪くない案だと思うんだよね。そりゃあ、今日明日ってわけにはいかないかもしれないけどさ」

それが長丁場になると思った理由。そう、塩見周子は自分の話を終えた。

「で、そっちはどうなんかな?」
「わたしは……」

言いよどむも、しかし小日向美穂は複雑なことを考えていたわけではない。むしろ気になることはとても単純なことだ。
ひとつはプロデューサーの安否が気がかりなこと。もうひとつは――

「…………歌鈴ちゃんのことが心配で」
「ああ、道明寺ちゃんかー。なるほどねー、確かにあの子は心配だよね」

塩見周子は名前を出しただけで、その心配だという内容を理解する。それほどまでに彼女のうっかりは事務所の中で有名だ。
しかし小日向美穂の心の内にある心配はそれとは少し異なる。
彼女はどうするのだろう? そしてわたしは彼女に対してどうするのだろう?
けど、その違いを言葉にするほど小日向美穂に度胸はなかったし、それを誰かに打ち明けようという気持ちも今は持ってなかった。


 @


「さてと、食べたら探検かなー」

取調室から出ると塩見周子はそう言いながら背を伸ばす。小日向美穂とふたり捜査課のオフィスを抜けるとロビーへと出た。

「んー、目当てのものはどこにあるんかなー」
「防弾チョッキですよね?」

小日向美穂は小走りに案内板へと向かうが、しかし多分そこに警察官の装備が保管されている場所などは記されていないだろう。
塩見周子はロビーの中を見渡す。
明かりは点いてるがしんとしていてどこか冷たい感じだ。人がいるべき場所に人がいないからそう感じるのだろうか。
出入り口の脇にはこの警察署のマスコットらしき制服を来たねずみの人形が立っている。台座には「MAPPY」と名前があった。

「でもどっかにあるよね。おまわりさんってみんな防弾チョッキしてるし」

実は日本の警官が装着してるあれは防刃ベストであって防弾チョッキではないのだが、よく知らない彼女らが勘違いしてもしかたない。
ともかくとして、彼女たちには武器が与えられていた。そしてそれは他の全てのアイドルにも与えられているはずだろう。
しかし逃げと待ちを選んだ彼女らには、それらに対して身を守るものが足りていなかった。ゆえに防弾チョッキを探しているのだ。

ちなみに塩見周子にはアーチェリー(洋弓)とその矢がセットになって支給されていた。今は彼女の肩にかかっている。
小日向美穂のほうに支給されたのは草刈鎌だ。見るのも触るのも怖いというので今は彼女のバックの中にしまわれている。

「周子さん、そこは関係者以外立ち入り禁止ですよ」
「関係者以外でも入れる場所にはないでしょ。それに周子でいいってば。ちゃんでもさ」

受付カウンターの奥。関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉を押し開け、そしてふたりはやや緊張しながらその中へと入っていく。



装備保管庫は簡単に見つけることができた。扉のすぐ向こう側に関係者向けの案内板があったからだ。
入ったそこは長い廊下になっており左右には扉が並び、奥は2階と地下に続く階段がある。
案内板によれば、2階は道場と仮眠室があり、地下には留置場と死体安置所があるらしい。
ふたりが目指す部屋は廊下の奥を曲がって更にその先のつきあたりだ。手前に押収物保管庫があって、その向こうに装備保管庫がある。

「よかった。鍵はかかってないみたい」

少し重たい扉を開き塩見周子は中を覗きこむ。しかし目の前の光景は少し想像していたものとは違っていた。

「鍵が、かかってますね……」

いっしょに入ってきた小日向美穂が立ち並ぶロッカーの戸を引きながら言う。
そう。どうやら警官の装備はどれも鍵のかかったロッカーに入っているようなのだった。考えてみれば当然のことだ。
しかしそうでないものを彼女らは部屋の奥で発見することができた。

「これ、あたしたちでも着れるかな?」
「鎧みたいですね」

そこに立てかけてあったのは機動隊の隊員が着ているような全身を覆う防護服だった。
服とはいうが全身にプロテクターがついているので見た目は小日向美穂が言うように鎧のようでもある。それが二つ並んでいた。

「いけるかな……よっ、……と、あ、重い……ちょっと、助けて……っ」
「だ、大丈夫ですかっ! って、きゃあ!」

あまり広くはない部屋にどすんと音が響いて埃が舞い上がった。
その装備は鎧のような見た目同様の重さがあったらしい。
幸い踏み潰されるようなことはなかったが、しかし彼女らからはもうこれを着ようという気持ちは今ので完全に失せてしまっていた。


 @


「次はどこに行こうか。道明寺ちゃん探すんでしょ?」
「え? あ、そうですね。どこに行けばいいのかな……」

しばらくの後、二人の姿はしんと静まるロビーの中にあった。
二人ともおそろいのヘルメットを被り、これもおそろいの防刃ベストを着込んでいる。
ヘルメットは防護服とセットになっていたものだ。プロテクターは無理だが、これだけなら私たちでも……ということで持ち出したものである。
本来の目的であった防刃ベスト(二人は防弾チョッキと思いこんでいるが)は、部屋の角に座布団のように無造作に積まれていた。
小柄な彼女らには少し大きく、なにより全然かわいくはなかったがそんなところに文句を言ってもしかたない。

「じゃあ、次は魚市場でいい?」
「え?」
「どうせあてずっぽになるしさ、だったらおいしいものが食べれそうな場所がいいじゃない。」

眠たくなったら今度はホテルだよね。そう言いながら塩見周子は歩きだしてゆく。
少し見送り、そしてはっと気づいて小日向美穂も彼女の後を追い始めた。外に出ればもう空は少しずつ白みはじめていた。






「(わたしは――、わたしはどうしたいんだろう……)」

塩見周子の後姿を見ながら小日向美穂はポケットの中の小瓶に触れる。ポケットの中に入っているのは毒薬だ。
これがあることを目の前の彼女は知らない。だが小日向美穂も別に隠しておこうと思っていたわけでもない。
ただ、バックの中身を確認しあった時には気づかなくて、後から出てきただけの話だ。
言おうと思えばいつでも言うことができる。いや今すぐにでも言ったほうがいいだろう。しかし、どうしてか小日向美穂にはそれができないでいた。

目薬を入れるほどの小さな瓶の中に入っている毒薬は無色透明で、この一瓶分を飲ませればその相手は絶命するという。
呼吸循環不全を起こし、致死量に至らない場合でも適切な治療が行わなければ数日間苦しんだ上で死ぬと説明書には書かれてあった。

ぐるぐると小日向美穂の頭の中で色々なことが現れたり消えたりする。
プロデューサーのこと。彼と腕を組んでいた彼女のこと。殺しあいのこと。目の前で死んだ人。そして自分を助けてくれている塩見周子。

「(わたしはどうしたいんだろう……)」

それは彼女自身にもわからないことだった。
ただ今は想いは秘せられるだけで、猛毒を握った手がどくんどくんと心臓のように鼓動を打つだけだった――。






【G-5・警察署の前/一日目 早朝】

【塩見周子】
【装備:洋弓、矢筒(矢x25本)、防護メット、防刃ベスト】
【所持品:基本支給品一式×1】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:殺しあいにはギリギリまでのらない。外からの助けを待つ。
1:魚市場に向かう。
2:疲れる前に寝床(ホテル)を確保しておこうかな?

【小日向美穂】
【装備:防護メット、防刃ベスト】
【所持品:基本支給品一式×1、草刈鎌、毒薬の小瓶】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:殺しあいにはのらない。皆で幸せになる方法を考える?
1:塩見周子についてゆく。
2:親友(道明寺歌鈴)に対して……?


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最終更新:2013年01月21日 00:38