希望 -Under Pressure- ◆n7eWlyBA4w
――重圧が私にのしかかる
――あなたを押し潰す、誰も求めてなどいないのに
――重圧の下で、建物は崩れ落ちていく
――家族は引き裂かれ、人は道端で途方に暮れる
――この世界は一体なんなのか、それを知るのが恐ろしい
――友人達が見える、ここから出してくれと叫んでいる
――明日に祈ろう、私を高みに引き上げてくれと
――重圧が人々へと、路上の人々へと……
▼ ▼ ▼
まるで見えない重圧に全身が押さえつけられているよう。
足取りは重く、鈍く、まるで靴底に鉛の塊でも縫い付けられているみたいで、
両足を交互に出すという今まで意識したことのない動作にすら気力が削られていくのを感じる。
喩えるなら暗く濁った重油の中を泳ぐような、時の流れそのものが粘り気を帯びているような、
自分達をこの場に捕らえて動かすまいという、大きな力が働いているような。
藍子も、隣を歩く茜も、何も言わない。
元々おとなしい気質の藍子はともかく茜が口を利かないというのは天変地異の前触れめいているが、
あるいはいっそ本当に天変地異でも起こったほうがまだマシなのかもしれない。
しかしそんな途方もない絵空事に期待を託すには、二人は苛酷な現実を目の当たりにしすぎていた。
(……もうそろそろ、なのかな……)
藍子の心に巣食う焦りと恐れの綯い交ぜになった感情が、ずくりと疼く。
思い返せば、あの時から――あの家を後にした時から、藍子は一度も時計を見ていない。
時刻を確認してしまえば一層追い立てられる気がしたし、そもそも無意識に遠ざけてもいたのだろう。
それは恐らく茜も同じはずで、沈痛な面持ちながら落ち着きのない素振りは時と共に増していた。
そう、もうすぐ、その時間が来る。
無慈悲にもアイドル達の死を告げるであろう、その時が。
嫌だ。聞きたくない。知りたくない。
そう思う一方で、大事な友達は無事だろうか、それを知りたい気持ちもまた膨らんで。
《はーい、皆さん、お待たせしました! 第一回目の放送です!》
だから、その場違いなまでに明るい声を聞いた時、藍子の胸中を占めたのは怖れが全てではなかった。
みんなは、FLOWERSのみんなはどうしているだろう。
友紀ちゃんは無事だろうか。いつもみたいに朗らかに笑っているだろうか。
夕美ちゃんは大丈夫だろうか。人一倍優しい彼女だから、思い詰めてはいないだろうか。
美羽ちゃんはどうだろう。誰よりも頑張り屋さんなぶん、空回ってないかが心配だ。
意識して最悪の可能性から目を背けながら、藍子はうつむいてただ次の言葉を待つ。
《……さて、ではお待ちかねの死者発表ですっ! 今回死んでしまった皆さんは……》
一人、また一人と、既にこの世にいないアイドル達が名を呼ばれていく。
顔を知る子も、知らない子もいる。一緒に仕事をしたことがある子も、永遠にその機会がなくなった子も。
名前がひとつ増えるたびに、凍結した脊髄を摺り下ろされるような悪寒が走る。
まだFLOWERSのメンバーは呼ばれていない――それでも、多い、多すぎる。
人の命の話なのだ、多寡が問題なのではないと分かってる。しかし、これはあまりに異常に思えた。
もう十人以上のアイドルの名が呼ばれている。そして、恐らくはそれと同じぐらいの、殺人者がいる。
昨日までは自分と同じように輝くステージを目指して頑張っていたはずの、殺人者が。
藍子の脳裏に、この島で初めて対面した時の、そしてつい先刻の愛梨の姿がよぎる。
愛梨のいいところは自分が誰より知っているはずなのに。
そして愛梨以外の、殺す側に回った少女達も、みなそれぞれの輝きを秘めていたはずなのに。
彼女が李衣菜を無造作に射殺するその瞬間がフラッシュバックして、藍子は口元を押さえた。
その姿勢のまま、肩がびくりと跳ねる。
完全に追い討ちをかけられた格好。呼ばれると分かっていたのに、覚悟したはずなのに。
自ら目の当たりにした彼女の死を、厳然たる事実として突き付けられるのがこんなにも辛いだなんて。
茜の様子を伺う気にはなれない。そんな勇気はない。
それでも、受け入れるしかないと、必死で自分を落ち着かせようとして、
今度こそ、心臓を鷲掴みにされる思いだった。
全身の血が音を立てて引いていく感覚。激しくなる動悸だけが耳にこだまする。
藍子はぎゅっと両目をつむり、歯を噛み締めた。そうしないと嗚咽が漏れそうだった。
(夏樹、さん……っ)
こうなってしまうだろうとは思っていた。
彼女の意思を尊重したからこそ、自分達は彼女と別れ、今こうしているのだから。
だから程なくして彼女が……死ぬ、そう、死ぬだろうということも、理解していたはずだった。
そう納得したはずだったのに、折り合いをつけたはずだったのに、この心のざわめきはなんだろう。
心が、頭で考えるほど分別よく感じてくれない。体が、理性を受け付けてくれない。
夏樹のあとにもうひとりの名を告げて、全ての死者の発表は終わった。
15人。その中に、FLOWERSのメンバーの名前はなかった。
だけど、それだけを素直に喜ぶ気持ちにはなれなかった。
「…………こんなのひどいよ」
だから、藍子はこの時、その言葉は自分の口から出たものかと一瞬錯覚してしまった。
ハッとして顔を上げたその先には、拳をきつくきつく握り締め、必死に何かを堪える茜の姿があった。
その大きな瞳に今にもこぼれ落ちんばかりの涙をたたえ、両肩をぶるぶると震わせて、
茜は爆発寸前の感情をその小さな体に必死で押し込めようと闘っていた。
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確かに茜の中には、李衣菜の死を改めて思い知らされたこと、半ば予期していたとはいえ受け入れがたい夏樹の死、
そして既に15人の命が奪われ、何人ものアイドルが殺す側に回ったという事実がごちゃごちゃになって、
悲しみと絶望と憤りの混合物が心の奥に沈殿していたのは間違いなかったのだけど。
しかし、彼女を衝き動かしていたのは、そのどれに対する感情でもなかった。
「……名前を読んで、それでおしまいなの? 死んじゃったら、もうおしまいだっていうの?」
李衣菜の死が、名前のたった五文字だけで片付けられてしまった。
彼女がどんなふうに生きて、どんなふうに死んだのか、そんなことは全部無視されてしまった。
それが茜には歯がゆくて、悔しくて、切なくて仕方なかった。
放送を聞いて彼女の死を知った人達には、きっと李衣菜の生き様も、死に様も、伝わりっこない。
ついさっきまで生きていたのに、あんなに一生懸命だったのに、誰にも知られないまま忘れられてしまう。
そんなのってない。そんなこと、あっちゃいけないのに。
「かわいそうだよ……こんなの、リーナがかわいそすぎるよ……っ!」
声を漏らすと、そのまま泣き叫んでしまいそうだった。
李衣菜だけじゃない。その李衣菜を誰よりも知る少女、木村夏樹もまた、命を落とした。
そしてその命も、同じように扱われた。あくまで作業的に、事務的に、機械的に。
夏樹には李衣菜とは違う命があったのに。彼女だけじゃない、死んでいった15人の誰もが、
それぞれの夢を抱いて、それぞれの未来を目指して、それぞれのステージに立っていたはずなのに。
自分はあまり頭は良くないけど、それでも、そんな自分にも、これはひどいことだって分かる。
「人が死ぬのは、もっと辛くて苦しくて悲しいことじゃなきゃいけないのに!
あんなにあっけなく、素っ気なく扱っていいことなんかじゃないのにっ!」
茜の友達を……そう、一緒に過ごした時間は少なかったけど、紛れもない友達を、モノか何かのように。
これは侮辱だ。茜の大事な人達への侮辱だと、茜はそう直感的に感じていた。
茜は、良くも悪くも一直線な性格だから。
だからこそ、本当に本当のことは、決して見誤ったりしない。
本当に許しちゃいけないのは、死んだアイドルを殺したアイドルじゃない。
もっともっと大きな、自分達に殺し合いを強いる得体の知れない悪意だ。
「このままじゃ、誰も幸せにはならないよ! 殺されても、殺しても、ただ辛いだけだよっ!!」
茜の怒りは、理不尽なるものへの怒りだった。自分達を押さえつけるこのシステムへの怒りだった。
自分を、李衣菜や夏樹や死んでいったアイドル達を、そして藍子や今を生きるアイドル達を、
今なお抑えつけ押し潰し踏み躙る、悪意という名の重圧への怒りだった。
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『アイドルはLive(生き様)だ』
茜の姿を見て、藍子は、自分達に未来を託し死んでいった夏樹の言葉を思い出す。
茜の憤りは、どんな時でも真っ直ぐな彼女のあり方は、裏表無いアイドルの生き様だと思う。
それが、希望のアイドルのあり方に迷う藍子には、少し羨ましくすら感じた。
でも、皮肉だけれど、この放送を聞いて改めて感じたことがあった。
もし愛梨の言うように、藍子が希望のアイドルなのだとしたら……その資格があるのだとしたら。
だとしたら、藍子の希望は、彼女一人に依って立つものではないはずだ。
友紀、夕美、美羽、ばらばらになって一層その存在の強さを感じる仲間たち。
彼女達がいるから今の藍子がいる。アイドルとしての藍子は、彼女達に支えられていた。
(ごめんね、みんな……私、大事なこと忘れてた。どうやったらみんなに希望を与えられるんだろうって、
そればっかり考えて……でも違うよね。私、今までみんなに、たくさん希望をもらったんだから)
藍子は顔を上げた。
少しだけ、ほんの少しだけ、自分の中の迷いに答えが出たような気がした。
そして、そのほんの僅かな希望で、目の前で肩を震わせる少女を勇気づけられたらいいと思った。
「茜さん……私、希望ってなんなのか、ちょっとだけ分かったような気がするんです」
両目を真っ赤にした茜が、おずおずと藍子の顔を見上げる。
その視線に、今出来る精一杯で微笑み返し、藍子は続けた。
「ずっと考えていたんです。愛梨ちゃんになくて、私にあるものってなんだろうって。
私にもしそんなものがあるとしたら、それはきっと、独りじゃないってことだと思うから」
ふと思い出したのは、楽しかったあの日常の一コマ。
翌日に歌番組の収録を控えたあの日、プロデューサーに告げたあの言葉。
『私、誰よりも貴方の笑顔を見るのが、す、好きなんですよ』……その言葉の真意こそ伝わらなかったけれど。
ファンが優しい気持ちになれたら、幸せ。笑顔なら、もっと嬉しい。その気持ちに嘘偽りはない。
なぜなら、藍子自身が、みんなから優しい気持ちをもらったから。たくさんの笑顔をもらったから。
そのぶん藍子は、一途に、真摯に、笑顔を与えるためのアイドルでいられた。
だから自分の……
高森藍子の、“Live(生き様)”とは。
「FLOWERSは、花束なんです。私一人なら、人をほんの少し優しい気持ちにさせるくらいの小さな花だけど、
四人集まればもっとたくさんの人を笑顔にできる花束になるんです。
四人いたから、どんな高い壁だって越えられた。どんな遠くまででも、笑顔を届けられたんです」
FLOWERSの希望は、人と人との繋がりの中から生まれる希望。
愛梨が藍子の中に見出した希望が、本当にあるとするなら、それはきっとそういうことだと思った。
「だから私が、一途に“希望のアイドル”を目指すとしたら、それはきっと、もう一度花束を作ること。
一人だけなら潰れてしまいそうな小さな小さな希望を束ねて、もっと大きな希望にできるなら、
それが私の、やるべきことなんじゃないかって思うんです。そうありたいと思うんです」
ほんのわずかな希望でもいい。ほんのちっぽけな花でもいい。
道端にひっそりと咲いて誰もが見落としてしまうような、そんなありふれたものでいい。
そんな小さな小さな希望を集めて、花束を作ろう。
この重苦しい空の下では、誰もの目を引く大輪の花なんて咲かせられないだろうけど。
木漏れ日に揺らぐ儚い花でも、束ねればきっと他の誰かの希望になる。
「まだ、私自身の希望が何なのか、その答えは見つからないけど……。
だから、力を、ううん、希望を貸してください。私一人に出来ないこと、一緒にやってほしいんです。
一人でできないことでも、二人なら出来るかもしれない。お願いします、茜さん」
茜に向かって、改めて手のひらを差し出す。
茜はそれをぽかんと見つめたあと、慌てて涙でいっぱいの両目をごしごしと拭った。
それから差し出された手を両手で握り締め、ぎこちなく、だけど太陽のように笑った。
藍子もその手を強く握り返し、そして木漏れ日に咲く花のように微笑んだ。
この日が始まって初めて、心から微笑むことができたように思えた。
▼ ▼ ▼
「それじゃ、これから他のアイドルを探しに行くんだね?」
「はい。私達の言葉が届くかは分からないけど……少しでも希望を持ってる人がいるのなら、
私はその人と話がしたいです。この間違った争いを、止めるためにも」
「迷わず行けよ、行けばわかるさ、だね! ロックだね!」
「ろ、ロック……は関係あるんでしょうか……」
「リーナが言ってた、『ロックに行くぞ』って。私、ロックってなんなのかよく分かんないけど……
でも、リーナや夏樹がそんなふうに生きたいって思ってたんだから、プラスの力だよ。きっと」
「プラスの力、ですか?」
「そうそう。だから、リーナや夏樹の“LIVE(生き様)”を引き継ぐことが、私にとってのロックだよ!
全力全開のフルパワーで立ち向かう! どんな壁だって、私達のロックで風穴開けてやるんだっ!!!」
「生き様を、引き継ぐ……そうですね。李衣菜さんや夏樹さんも、ずっと一緒です」
「……うんっ! だからみんなで、やるぞーーーーー!!! おーーーーー!!!」
気合の拳を突き上げる茜と、それを見て微笑む藍子。
吹けば飛ぶような希望を胸に、二人は歩いていく。
だけどこの世界を覆い尽くすような重圧の下でも、咲く花はきっとある。
できることは、あるはずだから。
【G-3・市街地/一日目 朝】
【高森藍子】
【装備:なし】
【所持品:基本支給品一式×2、爆弾関連?の本x5冊、不明支給品1~2】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:殺し合いを止めて、皆が『アイドル』でいられるようにする。
1:他の希望を持ったアイドルを探す。
2:愛梨ちゃんを止める。
3:爆弾関連の本を、内容が解る人に読んでもらう。
※FLOWERSというグループを、
姫川友紀、相葉夕美、
矢口美羽と共に組んでいて、リーダーです。四人同じPプロデュースです。
【
日野茜】
【装備:竹箒】
【所持品:基本支給品一式x2、バタフライナイフ、44オートマグ(7/7)、44マグナム弾x14発、キャンディー袋】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:殺し合いには乗らない!
1:他の希望を持ったアイドルを探す。
2:熱血=ロック!
最終更新:2013年02月04日 16:46