ひとりでできるもの。 ◆RVPB6Jwg7w
* * *
――選び出した衣装は、ちょうどサイズがピッタリ合った。
背中に手を回して、ファスナーを上げる。胸元のボタンは飾りの役目しか果たさぬフェイク。
続けて、黒の長手袋を両腕に。
左手にきつく巻かれた包帯が隠れ、一見しただけでは分からなくなる。
最後に鏡の前で、くるりと一回り。
うん、完璧。
スリットから大胆に覗く、黒のガーターベルトとストッキング。
肘上までを覆う、これも黒一色の長手袋。
そして、身体にぴっちりフィットした、袖なしの薄ピンク色のチャイナドレス。
自分で言うのも何だけども、この私、
相川千夏に似合ったコーディネートと言えるでしょうね。
まぁ……
洋風・中華風の違いはあれど、いつかの桜祭りの時の衣装の再現な訳で、似合わない訳がない。
ほんと、こんな業界に首を突っ込んでいなければ、こんな服とは一生縁が無かったことでしょう。
そういえば、チャイナドレスって和製英語よね。
確か、英語ではマンダリン・ガウン。直訳するなら「高級官僚のガウン」。
もしくは……う~ん、ちょっと思い出せない。
もう1つ、中国語の響きをそのままアルファベットに置き換えた呼び方があったはずだけど。
中国関係は、ちょっと専門外。咄嗟に出てこない。
まあただ、ここまでスリットが深いのは日本独自のアレンジだとも聞くし、やはりチャイナドレスで正しいのかしら。
「初めて着たけど、意外と動きやすいわね……。
騎馬民族の乗馬服由来の服。流石といったところね」
靴も地味に、ヒールが低めのものを選択。動きやすいってのは大事なこと。
特に、こんな状況においては。
それにしても――この島の観光協会。
こんなステキな服を着たコンパニオンに、こんなセンスの悪いビラを配らせるつもりだったのかしら。
私は着替えに使ったロッカーを閉めながら、視線を近くのテーブルに向ける。
そこに積まれていたのは、ちょっとした紙の山。
『 屋台通り名物! 海鮮・島ラーメン! 』
売りたい商品は分かるわ。
小エビに海藻にイカの切り身に、これは貝とかも入ってるのかしらね。
ともかく具だくさんで野菜もたっぷりの、あんかけ風のラーメン。
味の方向性としては、長崎チャンポンに近い感じなのかしら。
この島で取れた新鮮な魚介類がいっぱい! という売り文句だけど……
写真が悪い。
構図が素人くさい。
キャッチコピーが凡庸。
どんな具材が入っているのか分かりにくい。
正直、呑気な観光客としてこの島に来ていたとしても、私はコレは選ばないわ。
大量に印刷してチャイナドレスのお姉さんに配らせたところで、このビラじゃあ効果は薄かったでしょうね。
「放送まで、あとわずか、か……。
当面の用事は済んだけど、このまま軽く腹ごしらえをしておくべきかしらね」
海鮮島ラーメンは御免だけども。
屋台通りというだけあって、探せばきっと食べられるものが見つかることでしょう。
* * *
スーパーマーケットを素早く離れた後。
私、相川千夏は、地図の上で『屋台通り』と記されているあたりに足を向けることにした。
本当はもっと物理的な距離を稼ぎたかった。
もっと遠くに離れたかった。
例えば一足跳びに北東の灯台あたりに至れる手段があったのなら、喜んでそうしていただろう。
しかし。
いくつかの要因が、私にこの妥協を選ばせた。
1つ目。
左手に負った傷のこと。
血による偽装のために自分でつけた傷だったけれど、少し深すぎたらしい。
痛みはさほどでもなかったが、じわじわと血がしみ続けてなかなか止まらない。
家庭用の救急箱程度でも構わないので、とにかく早急に、きっちり手を打っておく必要があった。
2つ目。
これは1つ目に含めてしまっても良いのかもしれないが。
その左手からの血が、慌てる中で自分の服にもついてしまっていた。
血痕というのは遠目にも目立つもの。
不意打ちなどの余地を残すためにも、綺麗な服に早めに着替えなければならない。
3つ目。
血痕の問題を抜きにしても、あのスーパーマーケットで、私は一瞬ではあるが姿を見られている。
個人識別ができるほどの情報を与えたつもりはないけれども、それでも、パッと見の印象というのは残るもの。
こちらだって、3名中2名がジャージ姿であったことくらいは分かっているのだ。
あの3人が生き残るとも、生き残った上で再会するとも思わなかったけれど……
それでも、一見したときの印象は変えておいた方が無難だろう。
4つ目。
時間の問題。
放送までに残されていた時間が、ちょっと微妙だった。
できれば放送までには、傷と服の問題をなんとかしておきたい。
そう考えると、遠方まで足を延ばす余裕は、ほとんどなかった。
加えて、この屋台通り。1つの利点がある。
それは、なかば禁止エリアに飲み込まれた場所だということ。
地図の上でもほぼ境界線上。
より厳密に言えば、東西に走る通りの東半分ほどは立ち入り不可能な領域となっている。
おそらく、好き好んで人が集まる場所ではない。
おそらく、あえて近づこうとする場所ではない。
待ち合わせ場所としても、拠点としても、もう少し安心感のある場所を選びたくなるのが人情というもの。
スーパーマーケットから見て、物理的な距離は近くとも、心理的な距離としては「遠い」場所。
これが、あの戦場を脱出した時点での、私の見立てだった。
そして……現地に到着した私が見た街並みは。
第一印象を率直に言うなら、「中途半端な町おこしを試みて失敗した田舎町」、だった。
屋台通り、という名前を見た時点で、何パターンかあり方を想像していたけれど……
予測した中でも、ちょっと正直、がっかりする光景ではあった。
大雑把に言えば――
飲食店を中心に構成された商店街を、恒久的な歩行者天国にして。
丸テーブルと椅子、パラソルをいくつも並べて、食事のできるスペースを路上にしつらえ。
そこに面したいくつもの店舗が、通りに向けて間口を広げて、テイクアウトメニューなどを提供している。
あとは、申し訳程度に、ちらほらと屋台の姿も。
中華料理に定食屋に、海鮮丼にハンバーガー。
屋台の方では、ホットドッグに焼きそば、たこ焼き、アイスクリームなど。
食べ物以外では、貝殻のネックレスを売る屋台あり、安っぽいゲームコーナーあり。ガチャガチャが並ぶ一角もある。
たぶん、好きな店で好きなメニューを頼み、みんなで路上のテーブルを囲むのが想定された使い方なのでしょうね。
フードコートと似た形態。
通りに向けてお盆の返却口が設置されている店もあるので、出来立てアツアツの丼や皿なども持ち出せるんでしょう。
天気にさえ恵まれていれば、悪くない発想だと言える。
ただ、それにしても。
「それにしたって……全般的にセンスなさすぎでしょう……」
思わずため息が漏れる。
そう。
あちこちに立っているのぼりといい、張られているポスターといい、並んでる店といい……
見るからに、イマイチ。
どこか、活気に欠けた印象を受ける。
日に焼けて黄ばみかけた、白いテーブルと椅子。古びたパラソル。
やる気のなさそうな店舗。
色あせたのぼり。
無駄に溢れる手作り感。
都会のオープンカフェのセンスを求めるのは酷にしたって……あまりにも、酷いと思ってしまう。
「どうも、古い商店街を無理やり転用したみたいな雰囲気ね……。
島の観光地化に合わせて一念発起してみたけれど、予算も能力も足りなかった、ってとこかしら」
とはいえ、幸運もあった。
屋台通りの片隅にあった、観光案内所。
それは禁止エリアには含まれておらず、そして、中に踏み込めば救急箱も服も見つかって。
とりあえずの目的は、首尾よく済ませることができた。
そして、今。
* * *
『――それでは、六時間後、また生きていたら、あいましょう』
「ふぅ……」
放送が終わる。
マスタードたっぷりのホットドッグを片手に、私は溜息をつく。
「流石に、これはショックよ……。
あれだけ手を尽くして、まさか『殺しそびれていた』なんて」
情報端末で再確認してみても、間違いない。
そこに、期待した名前は――ない。
けっきょくのところ、あの3人の正体の手がかりをほとんど掴むことなくあの場を離れた私だったけれど――
解像度の悪い監視モニタのせいで、誰が相手なのか分からないままに戦っていたけれど。
たった一言、彼女たちの声が私の耳にも届いていた。
標的たちがマネキンのトラップに引っかかる直前、切羽詰まったような叫び。
『えっ…ちょっと、向井はん!?』
これだけで、3人のうち2人分の正体は知れていた。
おそらく叫んだのは、京都弁の和装少女、小早川紗枝。
呼ばれたのは、いまどき絶滅危惧種にも近い不良娘、向井拓海。
どちらも個人的な親交の無い相手だったけど……それぞれ、違う意味で存在感のある子たちよね。
「最後の1名はとうとう分からずじまいだったから、1人は殺れている可能性はあるけど……。
それにしても信じられないわね。あの状況から、どんな魔法を使ったら逃れられるというのかしら?」
想像を逞しくするなら――
死亡者8人の中に「3人組の最後の1人」が含まれていて。
あの2人を守るため、咄嗟にストロベリーボムの上に身を投げた。
仲間の犠牲に涙しながらも、泣く泣くその場を離れる2人……といったところだろうか?
何にしたって無傷で3人、あの場を脱することはできなかったと思うのだけど。
下手したら、大きな怪我を負いつつも、3人とも生き延びている可能性だってある。
ここは安易な楽観に走らない方が良さそうだ。
「やはり、数というのはそれだけで脅威ね……。
相手だって、立派にアイドル。
それぞれ強運や決断力に長けていても当然だものね」
私だって1対1ならそうそう遅れを取る気はないけれど。
数人がかりでは、どうしても厳しい。
何人もいれば、1人くらいはこちらの予想を上回ってくる可能性がある。
「そうなると――取れる手としては。
真っ先に思いつくのは、こちらも『数で対抗する』、という策なんだけども」
ぱくり、とホットドッグを一口噛み切って、咀嚼しながら考える。
本当はもう少しマシなものを選びたかったのだけど、そうそう手間もかけていられない。
頼めばすぐに美味しいクラブハウスサンドが出て来る、行きつけのカフェじゃあないのだし。
屋台の小さな冷蔵庫にあったものを、これまた屋台の中のトースターで焼き上げた、お手軽な昼食。
これも商品として用意してあったペットボトルの紅茶で唇を湿らせ、考えを詰めていく。
「殺し合いに乗った者同士、信頼なんてできっこない。
仮に同盟がありえるとしたら、一緒に『シンデレラ・ロワイヤル』の話を聞いた他の4人だけど……」
彼女たちなら、同じ境遇の仲間同士。一時的に手を組む余地がある。
いつどこで寝首を掻かれるか分かったものではないけれど、たぶんかなりの間、肩を並べて戦える。
共通の障害を前に、きっと共闘することができる。
でも、唯ちゃんと智香ちゃんは早々に脱落してしまった。
響子ちゃんは狂ってしまって、
ナターリアのこと以外は見えていない。
残る選択肢は智絵里ちゃんだけど……ダメね、悪いけど、とても戦力になる気がしないわ。
というか、まだ生きてるのよね、彼女。
正直、真っ先に返り討ちにあってしまうと思っていたのだけど。やはり怯えてどこかに引き籠っているのかしら。
ナターリアよりもこっちが優先じゃない、響子ちゃん?
――唯ちゃんを早々に失った影響は、大きい。改めて自覚する。
響子ちゃんは私が見せた弱気をあっさりとなじってくれたけれど。
私自身、彼女を殺してでも想いを遂げるのだと、つぶやいてはみたけれど。
殺し合いという状況に抵抗したのではないか、とも推測してみたけれど。
いつか、どこかの時点で、唯ちゃんと巡り合い。
どっちが生き残っても恨みっこなしとか、そんな軽い口約束で共同戦線を張る。
そういった展開を、きっと私は無意識のうちに、夢見ていたのだろう。
積極的な彼女と、慎重な私。
ひらめきと行動力に長けた彼女と、知識や冷静さを強みとする私。
きっと、最高のコンビとなったはずだ。
きっと、主役に相応しい働きができたはずだ。
おそらく、あの仕留め損ねた3人くらいなら、余裕で圧倒できるくらいに。
無意識のうちに手の内のホットドッグを齧ろうとして、既になくなっていることに気づく。
ああ、やっぱりダメね。これは考えるべき話ではなかった。
頭を振って、弱い考えを振り払う。
「失われた可能性を妄想してみても、仕方ないわ。
それこそあの子に笑われちゃう。
『ヒロイン同盟』の結成が難しいことを前提として、その上でどんな手が取れるか、でしょう?」
そう。今考えるべきはそれだ。
数の力は侮りがたい。
しかし、数の力で対抗することもできない。
ならばどうするか。
甘ったるい紅茶を一口飲んで、あえて声に出す。
「やはりここは――危険を承知で、羊の群れに紛れ込む。
その上で、最高のタイミングで華麗に裏切ってみせる。
これしかないでしょうね」
上手くいけば、一挙に大量の戦果が見込める大作戦。
油断させておいて罠を張り、ストロベリー・ボムを適切に使用すれば、一つのグループ丸ごと一網打尽も夢ではない。
ストロベリー・ボムもかなり浪費してしまった以上、これまでよりも効率を求めるのは当然の帰結。
安全性を考え、各個撃破に徹してもいいかもしれない。この辺は実際に遭遇してから考えるところだろう。
同時にこれは、情報という面でも優位を得られる可能性がある。
人が多ければそれだけ見聞きした物事も増える訳で、ライバルたちの動向の一端でも掴めるかもしれない。
次なる標的の目星も立てられるかもしれない。
一匹狼を気取って放浪を続ける場合と比べれば、得られる判断材料はケタ違いなはず。
それに先に定めた自分の方針からすれば、次の6時間は「休息の予定」。
とはいえダイナーできっちり仮眠を取った関係上、眠気の面では差し迫ったものはない。
休息と一言で言っても、その休み方も様々。
集団の中に紛れ込み、情報を引き出し、保護を受けつつ一休み。
次の放送あたりまでを「様子見の時間」と定め、「その次の6時間」でしっかりと「収穫」する。
そんな腹積もりで動くのも、悪くはないんじゃないかしら。
もちろん、危険はある。
例えば、集団が外部から襲撃される可能性。
続々と増え続ける死者の数は、やる気になっている子たちが一定数いることを示している。
上手いこと集団を盾にできればいいけれど、もろともになぎ倒される危険もない訳ではない。
例えば、スーパーマーケットで遭遇した、向井拓海と小早川紗枝(+、ひょっとしたら生き残った謎の人物X)。
このあたりとも、再度接触してしまうかもしれない。
服を替え、印象を替えたつもりでも、こちらの正体を看破されてしまうかもしれない。
少なくとも、いきなりあの2人(+α?)と「こんにちわ」、というのは避けたいところよね。
「スーパーマーケットから、さらに遠ざかる方向で……人が集まりそうな所。
すぐそこの禁止エリアから追い出された人たちが、とりあえず腰を落ち着けようと思える場所。
何らかの事情で別行動をして、待ち合わせようと思った時に間違いのなさそうなランドマーク。
そう考えると、最有力の候補は――」
丸テーブルの上に広げた地図の上を、私の指が滑る。
屋台通りからつうっ、と指を動かして、ぴたり、と止まったのは。
「――水族館。
仮に誰もいなかったとしても、しばらく待つ価値くらいはありそうな場所よね」
私は立ち上がり、ホットドッグの包み紙を手近なゴミ箱に放り込む。
元々、この屋台通りで長い休憩を取るつもりはなかった。
当座の方針が決まれば、あとはすぐ動くに限る。
水族館を目指し。
そこに『アイドル』の集団があれば、人畜無害な存在を装って仲間入りして。
次の放送まで、うまいこと庇護を受けながら休憩。
日が暮れる頃を目安に、裏切りの算段を立てておく。
もしもアテが外れたら……ま、その時はその時ということで。
「カバーストーリーとしては――偽りの自己申告としては。
慎重さと臆病さを取り違えて、ひとり誰とも接触せずに潜んでいた愚か者、でも騙ってみせようかしらね。
市街地であれば、その気になれば不可能な話でもないでしょうし」
増え続ける死者の数に、今頃になって不安に駆られた臆病者。
考えすぎて身動きが取れず、完全に出遅れてしまった頭でっかちな大人。
このあたりを演じてみせれば、お人よしな子供たちを納得させるのは難しくないはずよね。
おそらく、侮られるくらいが丁度いい。
集団に入り込むにも、後から集団を葬る上でも。
「私はひとりでも大丈夫だけど――でも、そういう子ばかりでもないはずだものね」
* * *
「――いやよ。私はひとりでも大丈夫だし」
「そんな~。
冷たいこと言わないでよ~、ちなった~ん。
ゆいとちなったんが組んだら、きっとぜったい、誰にも負けないんだからさっ♪」
……あれは、いつのことだったろう。
あまりにいつも通りの日常すぎて、明確な日付が思い出せない。
よくある事務所での、仕事に出かける前の時間調整の、ちょっとした待ち時間だったはず。
その日、分厚い洋書に没頭していた私にまとわりついてきたのは、
大槻唯ちゃん。
太陽のような笑顔の、女の子。
私自身、そう愛想の良い方ではないという自覚はあったけれど……
そんな私に物怖じせずに語りかけてくれる彼女は、年こそ離れていたけれど、親友と呼んでもいい相手だった。
もちろんこんなこと、面と向かって口にしたことはなかったけれどね。
「確かに、桜祭りの時は楽しかったわ。それは認める」
「それじゃぁっ!」
「でも、ああいうのは『たまに』だから良いんでしょう?
ユニットとして恒常的に活動するというのは、また違うと思うのだけど」
「ぬぇ~。
ちなったんったら、いけずだにぃ~!」
そっけなく言い捨てる私に、唯ちゃんはソファに寝転んでジタバタと不満を露わにする。
その口真似は、
諸星きらりさん、だったかしら。
ほんと、交友関係の広い子よね。
だからこそ、なんで私なんかを相手にしてくれていたのか、いまでもよく分からないままなのだけど。
そんな唯ちゃんが私に持ちかけていたのは、ユニット結成のお誘い。
互いに異なる個性を持つ2人、グループを組んで売り出すというのは1つの方法ではあるだろう。
上手くいけば、それぞれの個性を際立たせ、新たな境地に突破することもできるはず。
ただそれは、諸刃の剣でもあるわけで。
互いに個性を潰し合ってどの方向にアピールするのか分からなくなってしまったり。
互いに互いを縛りあって、活動の自由度が無くなってしまったり。
臆病な私は、言い訳を重ねつつ、まずデメリットに目が行ってしまう。
慎重を期すつもりで、なかなか最初の一歩が踏み出せない。
だからこそ私には、プロデューサーさんのさりげない一押しが必要なのだ。
この話だって、プロデューサーさんから持ち掛けられていたなら、きっと……!
「よーし、じゃあ、まずはユニット名を考えようかっ!
カッコいい名前があったら、ちなったんもその気になるっしょ!」
「ならないってば。
あと、テーブルの上に足を載せない。お行儀悪いわよ」
「やっぱ、ゆいとちなったんのイメージって言ったら、桜だよね!
一年中桜祭りって感じでっ! 女の子2人で、花盛りなワケ!」
「季節感ないわねぇ」
唯ちゃんがこういう風に暴走している時は、止めても無駄だってことくらいとっくに学んでいる。軽く流すに限る。
それに、不思議と不快ではない。
こういう業界に入らなければ接点も無かったであろうタイプ。知りあうこともなかっただろう相手。
私みたいな女と一緒にいて、何が楽しいのか。
仏蘭西の恋愛小説から抜け出してきたような金髪碧眼の少女は、天真爛漫にニコニコと笑っている。
「だから、うーんっと、『サクラフラワー』!
ねえ、なかなか可愛くない?
我ながらナイスアイデアだよねっ☆」
「……恰好いい名前を探すんじゃなかったの?」
「あー、でも、これだと『 FLOWERS 』と被っちゃうかー。
まあ、ゆいたちならすぐに追い抜いちゃうけどねっ♪」
「被るとかいう以前に、『 flower 』ってのは草のように咲く花のことよ。樹に咲く花はまた別。
広義の意味でなら、花全般を指すけれど。
それでもちょっと違和感のあるネーミングじゃないかしら」
「あー、そうだっけ。ゆい、ちょーっと英語ってニガテなんだよねー☆」
悪びれもせずに、舌を出してみせる彼女。
そういえば……くだらない話なら沢山したけれど、彼女の家庭の話を聞いた覚えはない。
欧米人の血が混じっていても不思議ではない、その容姿。
ご家族からそっちの言葉を習っていたりはしないんだろうか。
とうとう、尋ねそびれたままになってしまった。
「で、何て言ったっけ、樹に咲くお花って?」
「それはね――」
あの時、私は彼女にちゃんと答えられたのだろうか。
どうにも肝心のところの記憶が曖昧だ。
ちょうどそのタイミングでプロデューサーさんがやって来て、いつの間にか次の仕事の予定も迫っていて。
ユニット結成の話も、英単語の話も、すべてひとときの馬鹿話として、うやむやになってしまったから――
* * *
「もしも、生きて帰ることができたなら――そして、その上で可能なら」
あの子との思い出を、まぶたの裏側に映しながら。
私は、独りつぶやく。
まずその前提からして容易でないことは、嫌というほど分かっている。
あの子も早々に脱落した、この殺伐とした高難易度イベント。
策を弄し自らを傷つけても、3人も殺せない厳しいイベント。
けれどもし、この島から生きて戻れたとしたならば。
「再び、ステージに立ちましょう」
私は、誓いの言葉を口にする。
現実的には厳しいことは分かっている。
ただ生き残るだけでも難しいのに、さらに加えて。
人を傷つけ、殺し、数多のアイドルを踏み台にした者が、再び光り輝くステージに?
どう考えても簡単なことではない。どう考えても許されることではない。
けれど。
それでもなお、あのスポットライトの下に戻れる日が来るとしたら。
あの子が信じてくれた、私の才能。私の魅力。
私の一存だけで、埋もれさせるわけにはいかない。
「その時には……ソロユニット。
そう、相川千夏、ただ1人きりのグループとして名乗りを挙げてみせるわ」
珍しい話ではあるけれど、音楽界の先例ならある。
たった1人のユニット。たった1人で構成される、音楽プロジェクト。
芸名とはまた意味の違う、もう一つの名乗り。
おそらく私には「この名前」が必要だ。
この厳しい戦いを勝ち残るために。
弱く安易な考えに流されないために。
何より、あの子のことを忘れないために。
「名付けて――『サクラブロッサム』。
私はこの名を掲げて、再び、あの舞台に立ってみせる。
夢も、恋も、愛する人も、全てこの手に掴んで見せる。
大人の女は、貪欲なのよ」
あの子の分まで、生きると決めた。
あの子の分まで、幸せになると決めた。
あの子の墓前に捧げるに相応しい花は、きっと、天国にも届くほどの歓声くらいしかない。
あの子の死を告げられて、こんなにも経ってからその大切さに気づくなんて。
まったく私は、火の付きが悪いにも程がある。
こんなことだから、あの3人を仕留め損なったりもするのだろう。
さあ、出陣だ。
次こそもっと、上手くやってみせる。
寂れた屋台通りから、ゆっくりと歩き出す。
桜色のチャイナドレスの裾が、静かに揺れる。
次の6時間、隠れ潜んで欺いて、侮られた上で偽りの絆を結ぶ、地味な戦いを挑む計画だけど……
けっして、流されたりはしない。
けっして、ミイラ取りがミイラになったりはしない。
情を移すことなく、振り回されることもなく、時と機会が巡り来たら、鋭くすっぱりと切り捨ててみせる。
だって私は。
あの子に先立たれてしまった私は。
もう、ひとりでやるしかない――いや、きっと、やれるはずなのだから。
【C-6 屋台通り/一日目 日中】
【相川千夏】
【装備:チャイナドレス(桜色)、ステアーGB(18/19)】
【所持品:基本支給品一式×1、ストロベリー・ボム×8】
【状態:左手に負傷(手当ての上、長手袋で擬装)】
【思考・行動】
基本方針:生き残り、プロデューサーに想いを伝える。生還後、再びステージに立つ。
1:水族館を目指し、そこに集団がいれば紛れ込み、情報と安全を確保。次の放送までは様子を見つつ休息。
2:1が上手くいったら、さらに次の放送後、裏切って効率よくグループを全滅させる策を考える。
3:以後、6時間おきに行動(対象の捜索と殺害)と休憩とを繰り返す。
最終更新:2013年06月15日 07:48