ああ、よかった ◆j1Wv59wPk2
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「あ、あの、涼さん」
まだ、平和だった頃の話。
仕事を終えてさぁ帰ろうかというところで、そいつは声をかけてきた。
「ん…どうした?」
その声にアタシは反応する。
その姿はおどおどしていて、今にも潰れてしまいそうなほど小さい。
でも、前の姿を知っているアタシからすれば大分マシになっていると思う。
「あの…この前、涼さんに言った映画、持ってきた……んだけど」
そう言いながら、そいつはDVDを取り出す。
パッケージだけでも怖がりな奴は拒絶しそうなそれは、正にアタシ達に合うジャンルのものだった。
そして、そのパッケージのタイトルには聞き覚えがある。
「あぁ……そういや、そんな事言ってたな」
「その、涼さんが良かったら……今から、見たい…」
聞き覚えがある、なんて当たり前だ。小梅が前から言っていた作品だったから。
その前からオススメしていた作品を持ってきて、遠慮がちに一緒にみたいと言っている。
別に断る理由は無い。
「ああ、良いよ。今から着替えてくるから、準備して待っててくれよ」
「………!」
パァッとでも効果音が聞こえてきそうなほどにいい笑顔をする。
アタシは、その笑顔が好きだった。
最初は全く合わないだろうと思っていたのに、ここまで印象が変わるなんて自分でも驚く。
それでも、結果としてここまで気が合っているのだからさして気にしない事にする。
さっさとみたいという思いを胸に秘めて、更衣室のドアを開けた。
すると、そこには待ち構えていたかのように人がいた。
「本当に仲が良いんですね、二人共」
「……まぁ、な」
更衣室の仲でロッカーのチェックをしていたちひろが声をかける。
なんともムズ痒い言葉だったが、まぁ事実だし悪い気はしなかったので肯定する。
「ていうかよ、盗み聞きなんて趣味が悪いな」
「別に潜んでた訳じゃないんですよ?ただ聞こえてきて、純粋にそう思っただけです」
「……ま、良いけどさ」
そんな大した事の無い世間話。
本来ならそこで終わっただろうが、その日のちひろは違った。
「……ところでですね、松永さん」
「ん?」
「いえ、大した話ではないんですけど……小梅ちゃんは、少し人見知りなところがありますね」
「あぁ……少しどころじゃないとは思うけど」
いきなり声をかけて、事実確認。
それには否定しないし、むしろもっと強調するべきだろうとは思った。
最初見た時も怯えていたし、実際知らない人には未だに怯えている節はある。
……で、一体何が言いたいんだろう。
「この業界、そんな中で気を許せる人がいるのはとても力強いことだと思います」
「お、おぅ………」
どんどんと言葉を続けていく。
正直、だんだん小っ恥ずかしくなってきた。一体何を言おうとしているのか。早く結論を言ってほしかった。
「……でさ、何が言いたいんだよ」
「是非、力になってあげてくださいね。ってことです♪
プロデューサーさんもいつも気を配れる訳ではないと思いますので」
で、その結論がそれだった。
まぁ確かに分かる。この業界には何が起こるかわからない……とは言われている。
その危機から守るのは信頼できる人間の役目だろう。
で、プロデューサー以外ならという事で、アタシに白羽の矢がたったってワケらしい。
「……言われなくてもわかってるよ」
口でいうのはやっぱり恥ずかしかったけど、でもそれが真実だった。
そもそも、小梅はアタシが居ることが嬉しいんだろうけど、その逆だってそうだ。
今のアタシにも、小梅が居ることで成り立っている。
だから、言われなくても分かってる。
「用事はそれだけ?ならアタシは戻るけど……」
それを確認して、さっさと戻ろうとする。
今、小梅が待っているのだからさっさと戻りたかった。
「―――ええ、力になってあげてください。どんな状況でも、どんな事をしても……ね」
その時、ちひろが何か小さく呟いた。
「………?」
「いえ、何でもありませんよ。お邪魔してすいませんでした。遅くならないようにしてくださいね」
その言葉の真意はさっぱり分からなかったが、それよりも優先するべきことがある。
言われた通り、気にせず踵を返して扉へ向かう。
そして扉をあけて、アタシはあいつの待つ場所へ向かった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「うゆー………あの炎、心配だにぃ……」
未だに燃え続ける炎を見て、
自転車に跨る二人の少女は長く悩んでいた。
あの爆発は、どう考えても只事ではない。確実に危険な何かが起こっている。
誰かが危機に瀕しているのなら、それはとても心配だ。それは、二人とも共通している。
しかし、それと同時にとても危険な場所と言う事にもなる。何も分からなくともそれは理解できる。
そして何よりも、彼女たちには目的地がある。それが彼女達を悩ます最大の問題だった。
もうすぐ禁止エリアにより道が塞がれてしまい、険しいルートしかなくなってしまう灯台。
そこへの確認に向かわなければいけないのだ。より道をしている時間はあるのだろうか。
二者択一。
片方を選べば、もう片方を一時見逃す事になる。どちらに行こうともおそらく多くの時間が消費されるだろう。
その時間が何を変えるか。それは知るものは居ない。ましてや彼女達にわかるはずもない。
だが、この決断には誇張表現ではなく人命がかかっている。成人すらしていない少女達にはあまりにも厳しい選択だった。
「んー……ねぇねぇ、小梅ちゃんはどうすりゅー?」
後ろで震える少女に意見を求める。
彼女は明らかにあの炎に恐怖していた。無理もない。詳細は分からないがあそこは間違いなく危険地帯だ。
だからこそ、自転車を運転しているきらりの独断で決めるわけにはいかない。
それに、単純にきらり自身も悩んでいた。
どちらが正しいかなどわかるはずもないからこそ、もう一人の意見も純粋に聞きたかった。
「わ、私は………」
その問いに、小梅は答える。
散々悩み、苦悩したが、既にこの時点で彼女の答えは出ていた。
はっきりと、相手の目を見て、自分の意思を伝える。
「私は、あの場所に、い、行きたい……!
これ以上……あんな人達を増やしたく、ない…から……!
な、何もできない……かも、しれないけど……それでも……!」
小梅が選んだのは、未だ煙の上がる危険な方だった。
確かに彼女は恐怖している。あの炎は怖いし、何があるか分からない。
でも、それでも。また『あの人達』のような人がでてしまうとしたら。
それを、見逃したくない。もうそんな人達は見たくない。
こんな自分にも、できる事があるのなら。ずっとついてくるだけだった少女に『アイドル』としての心が、確かに芽生えていた。
「……おーけー!じゃあ一気にほーこー転換しちゃおー☆」
迷う事無くさっきまで通った道を戻る。
その足に迷いは無く、自転車は快調に進む。そのあっさりとした決断に小梅は戸惑った。
「あ、あのっ、きらりさん……!?」
「だいじょーぶ☆きらりもねぇ、気持ちはおんなじなのー!」
先程と同じ調子で小梅に答える。
結局の所、不安要素は小梅だけだったのだ。
灯台は言ってしまえばそこまで急を要する用事でも無い。
禁止エリアになってしまったとしても彼女達がそれを認識していない……という事は無い、と思う。
放送はちゃんと聞こえているはず。だからそちらはそちらの方で対処してくれている筈だ。
それより問題なのが炎の上がった方向であり、こちらは一刻を争う可能性が高い。
誰かが命に晒されている可能性が高いのだから、その本心は炎の方を選んでいた。
そして何より、同じ気持ちだったから。
もう、動かない人を見たくは無い。その名前だって聞きたくない。
(……大丈夫、きらりはまだ大丈夫)
下手すれば普通の成人男性よりも高い身長を持っているとはいえ、本質は17歳の少女である。
死にたくないし、死なせたくない。夢を見るお年頃だし、人の気遣いもできる優しい少女。
それが、目立つ体の奥の方に隠れたきらりの気持ち。
だからこそ、危険な場所にいる危険に晒されている人を救いに行きたいと。彼女は決意をした。
紛れもない、小梅の発言で。彼女は踏ん切りがついた。
「小梅ちゃん!フルスロットルで飛ばすよぉーーーーっ!!」
「は……はい……っ!!」
彼女たちはその場所へ向かう。
その胸に、確かな綺麗事を、確かな『アイドル』としての決意を抱えながら。
* * *
There is nothing for us to lose.
Sure, I can say. I can say.
* * *
スーパーマーケットの2階、警備室。そこに彼女は居た。
「さて、もう引き返せないところで……どう攻めるべきかしら」
彼女――
相川千夏は思考していた。
目の前に置かれているのはデイバッグ。この中に、人を殺傷できる武器が入っている。
その後ろに広がるのは大小様々なモニター。これがあれば、スーパーマーケット内の状態はおおよそ分かると言っても良い。
そしてその画面の一つに映る三つの人影。これは『獲物』だ。自らが引き寄せた、倒すべき獲物。
警戒しながら、尚且つ足を緩めずに進んでいく。行き先は二階……おそらく先程狙った場所、食堂に向かうつもりだろうか。
(既に、『ストロベリーボム』を二つ消費した……できれば、無駄な消費は避けたいところね)
その姿を見ながら、相川千夏は口に手を当て考える。
殺すだけなら至極簡単な話だ。中にある爆弾を死角から投げつければ、ほぼそれで全てが決まるだろう。
数も十分にある。殺す事だけを考えれば確実にこちらに分があると言っていい。
しかし、まだまだ先は長い。消耗はできるだけ避けたい。
11個という十分すぎるほどの数も、長期戦ではいつ切れるか分からない。
できるかぎり消耗を避けるためにも、チャンスを見極めなければならない。
(ただ、悠長に考えてる暇もない……迷いは、自分の身を危険にさらす)
今、この警備室には鍵をかけている。
相手はこの部屋を見つけて、どういう反応をするだろうか。
そういうものかと別の場所の探索に向かう可能性もあるだろうし、無理矢理にでも開けてくる可能性もある。
機を伺うにしてもあまりじっとしてはいられない。決断もまた大事だ。
つまり、大事なのは計画だ。入念な計画を持って臨まなければ無駄な消耗、そして最悪の場合、死に繋がる。
(あと一回の『ストロベリーボム』で三人を殺せれば三つで三人殺害した計算になる。
それでプラスマイナスゼロってところね。できればそれで決めたいところだけど……)
名前とは裏腹に無骨な爆弾を手に握り締め、彼女は更に思考する。
モニターに映った少女達は階段への道を一直線に突き進んでいる。
時間はあまりない。少なくとも彼女達が少し前まで自身がいた食堂に到達するまでには思考を固めておきたい。
より確率の上がる場所、より彼女達を確実に殺せる場所を。
一階の食料品売り場。 一階の日用消耗品売り場。
一階のフードコート。 一階のバックヤード。
二階の通路。 二階の会議室。 二階の事務所。 二階の在庫置き場………
(そうね……できれば逃げ場が少なくて、尚且つ火のまわりが早そうな場所……ここなんか良さそうね)
数多くの選択肢から一つを選ぶ。
前提条件をクリアし、尚且つ場所も悪くない。彼女はそこを勝負の場所に決めた。
(後は、どうやってここに誘導させるか……なんて、考えるまでも無さそうね)
爆弾をしまい、デイバックを背負う。
誘き寄せる方法は直ぐに思いついた。『餌』を撒けば、間違いなく寄ってくるだろう。
(彼女達は非常に分かりやすいわ。おそらく、誘うのに苦労はしないだろうし……うん、おそらくこれがベスト)
その餌の準備の為にも、早急に行動に移さなければならない。
彼女は腰を上げて、自らが移動する準備を完了させる。
計画は決まった。後はそれを実行に移すだけだ。
迷いはない。無駄も減らす。彼女にしかできない戦い方で、獲物を討つ。
「ここで私の命運は決まる……決めてみせるわ」
モニターは、食堂に入る獲物の姿を移していた。
* * *
勢い良くドアが開かれる。
スーパーマーケット内の食堂。先程の人影があった場所に着いたが、そこは蛻の空だった。
「くそっ……どこに行きやがった!」
向井拓海は部屋をすみずみまで見渡すが、人の気配はなく、隠れられそうなところも特に無さそうだった。
となれば、この部屋にはいない。相手は別の場所に移動したと考えるべきだろう。
「ここには居ないみたいだな……何処か、別の場所に逃げたか」
「せやなぁ……そもそも、じっとしとるとは思えへんし」
「でも、まだこの建物の中には居るはずだ……あっちから誘いだしたんだからな」
相手は、まだスーパーの中からは出ていない。
それはほぼ確実だ。相手には、拓海達を始末しようとする意思がある。
その為に爆弾を使っておびき寄せたのだ。だから、この建物から逃げるとは思えない。
「気をつけろよ……どこから襲ってくるかわかんねぇんだからよ」
「わかってるよ、とりあえず近くにも居ないみたいだ」
扉から顔を出して廊下を確認する。
人の存在は確認できない。だが、どこから攻めてくるかは分からない。
誘い出した時点で、言わばこのスーパーは相手の拠城と言える。
だからこそ、最大限の警戒をして探し出さなければならない。
(上等じゃねぇか………突き崩してやるよ)
なんとしても、彼女を止めなければならない。
綺麗事を実現させる為にも彼女を『止める』。
それがどれだけ難しい事かは理解している。傍から見れば愚行だと言う事も全員がわかっている。
それでも、彼女たちは真剣だ。綺麗事だとしてもそれを実現させる為に、確固たる意思を持って―――
その時、何かが崩れる音がした。
「………?今、何か」
そしてその言葉が終わるよりも早く、続けざまに弾けるような音が響いた。
「ッ!?」
その音に思い当たりはある。と言うよりも、この異常な世界でなら真っ先に思いつくであろう可能性。
それは―――
「今のって……銃声!?」
静かだったスーパーマーケットに響いた音は、三人に更なる緊張感と焦燥感をうむのには十分だった。
「待てよ……一体なんだって銃声が響くんだ!?」
「もしかして、うちら以外にも誰かおったんやろか……」
「だとしたら……くそっ、まずいぞ!」
涼の疑問に、紗枝が自らの考えを言って、そして三人の思考が固まる。
何の理由も無く銃声がなるとは思えない。
その銃があの爆弾魔が持っていた物かも分からないし、そもそも何に向かって放たれたのかも分からない。
しかし、この建物の中でなったのだから無関係とは考えにくい。間違いなく関わっていると言っていい。
どちらにし放っておくことはできない。あの銃声が誰かを傷つけた可能性がある以上は、野放しにはできない。
ドアを開け、廊下の両端をみわたす。その部分では異常は見られない。
「あっちかっ!」
銃声のした方向へと、三人は駆ける。
その道中、拓海が勢いに任せ突っ込みそうになったところを何回も紗枝が止める。
その引き金となった人間がいるかもしれない可能性を考慮して、ある程度は冷静に。
と言うよりも、そもそもの可能性として誘い出す為の銃声の可能性もあるのだ。
しかし、例えそうだとしても足を止めるつもりはない。むしろ好都合だ。
変に時間をかけて探し出すよりも場所を知らせてくれた方がいい。
三人の気持ちは重なり、突き進む。
そして、一つ不自然にドアの開いた部屋があった。
「あそこか……?」
「向井はん、気をつけぇや。何があるかわからへんよ」
「あぁ……大丈夫だよ」
拓海達はその扉にそっと近づく。
特攻服を扉の前にたなびかせて様子を伺う。反応はない。
取り敢えずの安全を確認して、扉からおそるおそる覗く。
中は在庫置き場のようだった。
棚が並び、商品と思われる物が積まれている。それだけなら何ら違和感はない。普通の光景だろう。
しかし、その奥は様子が違うようだった。
商品が崩れて山になっている。おそらく最初に聞こえた物音はこれが崩れた時の音のものと思われた。
一体何があったのかは分からない。だが問題は最初の物音より銃声の方だ。
それにより何かが傷つけられたのか。―――その答えは商品の山にあった。
「なっ―――!」
その光景を見た瞬間に、拓海は駆けていた。
「えっ…ちょっと、向井はん!?」
その突飛な行動に思わず驚く。
後ろから付いていた二人には、何があったのかは理解できていない。
止める間も無く中に入っていった理由。
それを二人は部屋を覗いて、直ぐに理解した。
―――手だ。
商品の山の下敷きとなっている、………血塗れの手。
「―――ッ!」
それに思わず二人も駆け寄る。
その光景が目の前に広がった瞬間、三人の頭を最悪の可能性がよぎる。
やはりあの銃声で誰かが犠牲になっていたのか。
怪我の状態、そしてその安否は遠目からは分からない。
しかし確実に無事でもない。
それを確認しようとして。しかし拓海は動きを止めた。
「ちょっと待て、これ………」
その拓海としては不可解な動きに、残りの二人は疑問に思う。
しかし『それ』を間近に見た瞬間に、その場にいた全員が『それ』が何なのかを確認し、そして理解した。
「………マネキン?」
あまりにも無機質な手は、人間の物ではなかった。
マネキンがあるのは不思議ではない。ここはスーパーなのだからおそらくここにも一つくらいはあるだろう。
しかし問題は血だ。これが三人が見間違えた最大の原因となったものだ。
マネキンから出るはずもないし、しかし他の商品の中からから出ているというわけでもない。
ここで、確実に誰かが傷ついたのは事実の筈だ。少なくとも、傷ついた誰かがいた筈。
これは一体誰の血だ?
その問いの答えが出るよりも先に―――後ろから、物音。
「………?」
その音に振り返る。
そして、そこにいたのは―――
「――――――」
あの時の女性が、こちらに黒い物体を投げる姿だった。。
* * *
全速力で、走る。
その後ろからは、地を震わす轟音と熱風が迫っていた。
「………ッ」
その豪風に思わず体がぶれる。
後少し逃げるのが遅れていたならば、あの爆風に巻き込まれていたかもしれない。
その威力の凄さと恐ろしさを改めて体感した千夏は、階段でひとまず足を止める。
「少し賭けだったけど……これで、一気に三人」
息を整える為、体を少しだけ休める。
その間にふと、自らの手を見つめ……その手は、血に濡れていた。
(ここまで徹底すれば、流石に何の問題もないわね)
最初は、銃声だけでもおびき寄せようと思ったのだ。
しかし、それだけではどうも不十分に感じられた。大体、音だけでどうやって部屋の中まで誘導するのか。
何か使えるものはないかと在庫置き場を物色し、そしてそれは直ぐに見つかった。
あの時三人を誘き寄せる餌に使った手はマネキンだ。商品を崩し、手だけを露出させる。
(自分を傷つけてまで作った餌は、想像通りの成果を発揮できた訳だし)
ならば、あのマネキンの手に付いていた血は誰の物か。
徹底する思考の彼女は、これでも心配だった。マネキンの手と言うのは、意外と遠くからでも認識ができる。
出来れば部屋の奥まで引き寄せたかった。だからよりリアリティが欲しい。あの無機質な手をどうカモフラージュするのか?
―――答えは簡単だった。より人間に似せようとするならば、人間のものを使えば良い。
自分を傷つけて、餌を完成させた。そして、その時に使用した銃の音が彼女たちを誘き寄せる。
全ては、上手くいった。不意を突かれた三人は間違いなく豪炎に巻き込まれて死んだだろう。
(響子ちゃん……これで、良いんでしょう?私も、もう戻れない……)
しかし、それに後悔はしていない。するものか。
彼女は直ぐに歩みを進める。その足は真っ直ぐに、そして留まる事無く進んでいく。
例えどれだけ自分勝手なエゴだとしても、どれだけ間違っていると感じても、止まるつもりはない。
決して譲るつもりはない。どれだけの存在を蹴落としてもあの人の元へたどり着いてみせる。
彼女の眼鏡の奥に、冷静さと共に確かな決意があった。
――気がつけば、スーパーマーケットの入口を通り抜けていた。
太陽はもうすぐ真上に到達しようとしている。それだけの時間が経ったという事だ。
出来れば外からあの場所の確認もしたい。万が一無事なら窓から脱出される可能性もあるし、万全を喫したい所だが。
(……少し休みたいわね。この爆発の関連性を疑われる前に離れようかしら)
大した事はしていないが、どうも疲労が抜けていない気がする。
もうすぐ放送があるのなら、『ファイブデイウイーク』……そろそろ休憩に移りたい。
まだまだ先は長いのだ。体力は温存し、常に万全の状態でいたい。
休憩する場所をまたダイナーにするか否か……どちらにしろこの場所の近くは避けたかった。
近くにいるというだけで関連性を疑われる。出来ればそういう悪印象な接触はしたくない。第一印象から、勝負は始まっているのだ。
「……ここに移動しようかしら。誰もいなければ良いけど」
そう決めて、その方向へ歩き出す。
彼女は決して歩みを止める事は無い。あの人の為に……そして、自分自身の為に。
身勝手だとか愚かだとか、そんな事はどうだっていい。自覚はしているし、自覚しているからどうというつもりも無い。
眼鏡をかけ直して、彼女は進む。その道に決して迷いはなかった。
【C-6/一日目 昼】
【相川千夏】
【装備:ステアーGB(18/19)】
【所持品:基本支給品一式×1、ストロベリー・ボム×8】
【状態:左手に負傷】
【思考・行動】
基本方針:生き残り、プロデューサーに想いを伝える。
1:爆発の関連性を疑われる前に、別の場所へ移動。
2:以後、6時間おきに行動(対象の捜索と殺害)と休憩とを繰り返す。
※スーパーの入口と在庫置き場の前は位置が離れており、向井拓海、
小早川紗枝、
松永涼の安否を確認していません。
彼女が何処へ向かうかは、後続の人に任せます。
* * *
全てがスローに見えた。
それほどまでに、彼女の反応は早かった。
その恐ろしさを彼女が一番知っている。だからそれが目に映った瞬間に、ヤバいと言う事を最も早く理解した。
今までの彼女だったら、それで終わりだろう。認識して、それで終わり。
しかし、今の彼女は違う。頼れる仲間と共に、確固たる意志を持った彼女は違う。
こんな所で死ぬわけにはいかないという意思が、彼女をほとんど反射で突き動かした。
ストロベリーボムが地面に落ちるその瞬間。彼女は誰よりも早く近づいて――――
「…………ッ!!」
―――力の限り、蹴った。
その衝撃で爆発するかもしれない、という考えは蹴り終わってから思いついた。
しかし、どちらにしろあのままでは全員が巻き込まれてしまうのだから、例え危険だとしてもしなければならなかった。
そして、結果として爆発はしなかった。爆弾はまた宙を飛び、扉の方向へと飛んでいく。
そして、その爆弾が扉に当たるか否か…というところで、それは爆発した。
彼女が咄嗟にとった行動により、爆弾は元届いたであろう位置よりかなり離れた。
しかしその勢いは凄まじい。例え離れようともそれは正しく威力を発揮した。
周りの棚もなし崩しに崩れていって、引火し、燃えてゆく。
初めから、これが狙いだったのだろう。
この場所は狭い。そしてそれ以上に所謂『火気厳禁』の場所でもあったのだ。
そこで起こった爆発は近くにある全てに引火し、炎を巻き起こす。
そして、その爆発に彼女たちは―――
* * *
全てが、いきなりの出来事だった。
気づいた時には、あの時とは比べ物にならない熱風が三人を襲っていた。
「うあッ……!!」
罠だったと気づいた時には、全てが終わっていた。
彼女達はその勢いに吹き飛ばされ、拓海は壁にぶち当てられる。
あの爆弾魔の計画通りに進んだ場所で、しかし拓海たちに大した怪我は無かった。
それが何故なのか、彼女達は直ぐには理解出来なかった。
「うぅ………」
「な……なんだ、何が起こったんだ……?」
近くでうめき声が聞こえる。だが何かの衝撃で視界が定まらない。
存在と無事を確認できない。それが一層拓海の焦りをうむ。
「おいッ!二人共大丈夫か!?」
拓海が確認の為に声を張り上げる。
「う、うちは大丈夫……やけど………」
それに直ぐ反応する声が一つ。
そのおっとりとした声は紗枝のものだ。
徐々に視界もクリアになり、実際に無事だということを目視できた。
しかし、それで安心はできない。まだもう一人居るはずだと。
そう、もう一人の存在は………涼は?
「ぐ……クソ………っ」
「大丈夫か涼………ッ!」
その存在の声があがり、拓海は周りを確認する。
そして拓海は涼の姿をすぐに確認する事ができた。ならそれは幸運なのか。
――拓海は、理解してしまった。
何の犠牲も無しには進めないという現実を。辛すぎる、非情な現実を。
「あぁ……拓海か……無事、みたいだな………」
結論から言えば、彼女もまた致命傷は逃れた。
彼女が全力で蹴ったその距離は、なんとか炎の射程距離ギリギリまで離すことに成功した。
そしてどちらにしろ爆発の風圧を受けて、炎の直撃はしていない。彼女もまた、炎を避ける事は出来ていた。
……しかし、その牙は未だに少女を捉えている。
「正直、全然大丈夫じゃないよ……痛すぎて、泣けてくる」
棚が崩れて、片足が巻き込まれてしまっている。
数多くの商品と思われる物が積まれ、掘り起こすのも非常に困難になっている。
そして、一つ一つが重い。棚自体も複雑に絡み合って持ち上げられる気配が無い。
………そして、何より―――
「棚が………」
「火が迫って来てやがる……クソッ、やっちまった……」
―――時間が無い。
勢い良く燃える炎は全てを巻き込み、こちらへと近づいてきている。
あとどれくらいでここまで来るだろうか。5分?3分?……直ぐにでも燃え移るかもしれない。
また近づいてくる炎はただ燃え移ってくるだけでは無く、充満する煙もまた彼女たちを追い込む。
体力も奪われ、正常な思考もままならなくなってくる。
「涼……ッ!………駄目だ、抜けねぇっ!」
「松永はん………そんな………」
彼女達がどれだけ力を入れても、足を押しつぶす山々はびくともしない。
単純にそれだけではない。熱が伝わり、鉄の部分が非常に高熱になっている。
持ち上げるどころか、そもそも持つ事すら困難な状況。絶望的だった。
「なんで……なんで、こんな……!」
もはや打つ手がない。打開策が思いつかない。
思考が袋小路に追い詰められる。何故、こうなってしまったのか。
――もはや、考えるまでも無い。それは全て、自分のせいだ。
ただ前を見て突っ切っていたから、後ろを突かれた。
そして、その後ろからの攻撃に後ろにいた仲間が犠牲になってしまった。
そして彼女の思考はどんどんと後ろの方向へ、闇の方へ――
「……自分のせい、だなんて思うなよ……」
それを止めたのは、他でもない当人の言葉だった。
「アタシは…アンタらが手を差し伸べてくれたから、救われたんだ………。
正直、言ってることは綺麗事だって思ってたけど……それも、悪くなかった……、
信じてみたい、って……思ったんだよ………小梅と、皆と一緒に……帰れる道を……」
拓海の心を読んだかのように、彼女は今までを振り返り、感謝している。
彼女がいきなり語る事に、拓海は理解ができていない。
本来なら、もっと焦って、脱出する為に尽力するのが普通じゃないのか。
それを何故、こんなに落ち着いて、悠長にしているのか。
……彼女がそうしないその理由はもう、うっすらと分かっていた。
ただ、それを認めたくなかっただけだったのかもしれない。
どうしようもない事実から、ずっと目を逸らして。
「………何言ってんだよ」
「それを先導するのは……アンタらだろ……?こんな所で、死んだらいけないだろ……。
アンタらがアタシを助けようとして全員死んだらそれこそ意味がねぇよ………。
あそこの窓から飛び降りれば………そんな高くないから……行ける、筈だ……。
もう、アタシの事は良いから……行ってくれ……二人共…………」
そして、彼女は事実と最悪の解決案を伝える。
その瞬間の涼の姿は極限の状況に似つかわしくない程落ち着いていた。
まるで―――いや、違う。まるで、などではなく間違いなく『諦めた』表情をしている。
拓海にはその姿が、その表情が、その瞳が―――自らの心に突き刺さっている気がした。
「何言ってんだよ……っ!そんな、そんな―――」
自分が、死ぬことを想定しているような。
その瞳に、拓海には既視感があった。
死を覚悟して、希望の道を開こうとする目。かつて、後ろにいる少女がしたような。
あの時と同じ、しかも状況的には更に確実な死が近づいている。
拓海は、その目を見るのが嫌だった。暗に答えを、どうしようもない現実を告げられているようで。
「小梅に会えたら、伝えてくれよ……ごめんな、って。
……小梅だけでも、生き残ってくれ……なんて。ハッ、こんなこと言う日が来るなんてよ……」
後ろで、一瞬炎の勢いが強くなる。
涼はその炎を背に受け途切れとぎれの声を出す。
その顔に伝うのは汗だけでは無い。自分の現実を冷静に理解したからこそ頬をつたう、雫も混じる。
「本音を言えば死にたくねぇ……けどよ……あんたらになら、託せるんだ……!
頼む……こんなふざけたイベントぶっ壊してくれ……そして、小梅を……頼む……」
もうすぐ死ぬというのに、涼は不思議と満ち足りた気分だった。
後悔も未練もあるけれど、小梅にももう一度会いたかったけど。
それ以上に――託す事ができた、遺す事ができたという気持ちが上回っていた。
嗚呼、良かった。そう思えるほど、彼女の心は穏やかだった。
―――――これが、ロックってやつなのかな。
夏樹や李衣菜がいつも口ずさんでいた言葉が頭をよぎって、彼女はそっと――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
それは、最初の放送が流れる少し前の出来事だった。
放送が迫る中、ベランダから戻ってきた涼と少し話す機会があった。
対して当たり障りの無い、ちょっとした話であったが。
拓海にはほんの少し気になる事があった。小梅の事だ。
涼は小梅の事を第一に考えて行動している。一体何が彼女をそこまで突き動かしているのだろう。
「それでさ、あいつは遠慮がちにアタシと映画見ようって言うんだよ。断る気なんてないのにな」
実際にその疑問を口に出したわけではないが、その理由はあっさりと分かった。
小梅の話をする涼は、本当に楽しそうだった。
か弱い妹の話をしているようで、可愛いペットの話をしているようで、趣味の合う友人の話をしているようで。
そして………涼自身が救われている、親友――
白坂小梅の話をしている。
本当に、深い友情で二人は繋がっていたのだ。
そしてそこに紗枝が割り込んで、さして話題は大きくならないまま今後の方針へと移っていった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そして―――今、あいつは命の危機に晒されている。絶望的な状況に。
その状況であいつは、自らを諦めてアタシ達に託そうとしている。
あんなに楽しそうに話していた小梅の事も諦めて――――いるのか。
――――いや、違う。断じて違う!
彼女はずっと、あいつに会いたかったんじゃ無いのか。
それを会えないまま、ここで死なせるのか。皆を助けるって、誓ったはずじゃないのか。
こいつが、ここで死んでいい道理は―――無い!!
* * *
Nobody knows what it means, "Hung in there!"
* * *
「……ざけんなよ……」
彼女は迷いを振り切って、小さく呟いた。
ぼそりと、それは本当に小さく言った声だったが。
その信念の篭った声は確かに二人に届いた。
「……え?」
「ふざけんな―――って言ったんだよ!!
アタシは誰も見捨てるつもりはねぇんだ、てめぇも一緒に来なきゃ意味無いだろッ!!」
「……拓海」
「てめぇはまだ生きてんだろうが…なのにそんな諦めた口聞いてんじゃねぇよ!!
死にたくねぇんだろ!?アタシは絶対に譲らねぇ、何としてでもてめぇを助ける!」
そう言って、高熱になった棚を何とか掴みあげようとする。
拓海は、怒っていた。
涼に、この世界に、上で見ている奴らに………そして、自分自身に。
口に出した信念は、もはや留まる事を知らない。
例えどれだけ不可能だと分かっていても、自分の信念は曲げるつもりは無い。
「言いたい事があんなら好きなだけ言ってろ……!
けどよ……それはてめぇ自身がそいつの前で言え!!アタシが言ったって意味無いんだよ!!
いいか!?てめぇが何言ってもアタシは止めねぇからなッ!!」
一つ叫ぶ度に、汗が飛び散る。煙の影響か、目がかすむ。
炎はかなり近くまで迫って来ている。一刻を争う自体だという事は、この場にいる全員が理解していた。
だが、例えそうだとしても絶対に諦める訳にはいかない。絶対に見捨てる訳にはいかない。
彼女の硬い信念は、ある意味ではその心の支えになっていた。
決して曲げない意志があるから、それについてきてくれる仲間がいるから前へ突き進める。
それを失ってしまえば、きっともう前に進めなくなってしまうから。
「向井、はん……」
「……悪い、紗枝。アタシはもう誰も死なせたくねぇんだ。紗枝だけでも先に早く脱出してくれ」
その信念がひどく無茶で、自分勝手で、そして涼の決意を一種裏切る行為になるのは分かっている。
だからそれを仲間にも強制する事はできない。そんなものを他の仲間にまで背負わせる事はできない。
「……何言っとるん。うちら、仲間やろ?
うちも横に並んどるんやから一緒に手伝いさせてぇな」
だが、彼女もまたそれを背負う事に決めた。
紗枝も一歩、前へ出る。
彼女もまた、拓海に道を示してもらったから。思わず笑ってしまうような、綺麗事に救われた一人だから。
「堪忍な、松永はん。
でもなぁ、うちらのやりたい事実現させる為には、やっぱり諦める訳にはいかへんみたいやわ」
拓海の道は、自分の道だ。
ずっと彼女は、拓海の支えになろうと思い続けていた。
拓海がとても重い、困難を極める信念を背負うのならそれをも共に背負いたい。
いつの間にか、拓海の意思が彼女自身の意思になっていたのだ。
「……そうかよ、分かった。だったら………アタシも覚悟決めてやる」
どれだけ言おうとも、二人は絶対に自分を見捨てないだろう。
それを聞かずとも理解した涼は、先程までとは違う、力の篭った目でもう一度顔を上げる。
そして、その目に映った物を見て、彼女は一つの可能性を思いつく。
「紗枝、お前あれ持ってたよな……なんて言うんだっけ、薙刀?」
「……これ?」
「そう、それだよ。それでよ―――」
その可能性は低い訳ではない。それだけを聞けば悪い案ではない。
なら何故今まで思いつかなかったのかと言えば、それは覚悟が足りなかったからだ。
現実を直視する覚悟が足りなかったから。でも、それが今はある。
だからこそ今、その可能性に賭けられる覚悟があるから、涼は二人にそれを委ねる。
「―――アタシの足、ぶった切ってくれ」
何の犠牲も無しには進めない。紛れもない、現実。
「な……っ!」
「……多分、もうこの足は使い物にならねぇ……だから、こんな足は捨ててやる。
助かるには、もうこれしかない……痛そうだし、したくねぇけどよ。もうこれしかねぇんだよ」
そう語る顔には、とても辛そうな顔をしていた。
今の痛みや熱さもそうだろうが、それ以上の試練を今からしようとしている事を自覚していた。
あまりにも非情な決断。五体の内の一つを捨てようとしている。
しかし、実際にはこれが確実だ。手段も時間もない以上、もう何かを犠牲にしなければ生きられない。
その事は三人が理解していて、だからこそ戸惑われた。
「………」
「で、でも松永はん……っ!」
「……貸せ、紗枝」
「あ……っ」
決めあぐねる紗枝の薙刀を拓海が掴み取る。
その顔は、紗枝からは全く読み取れなかった。
「涼……本当に良いんだな?」
「時間が無い………早く――――やってくれ」
目をつぶり、恐怖と痛みに耐えようとしている。
そして、それを上から見下ろす拓海の手も震えている。
彼女もまた、自分がこれからやろうとしている事に恐怖していた。
しかし、火は目前まで迫って来ている。どかす暇も無いし、おいて逃げる事はしないと誓ったのだ。
そして、もうこれしか手段は無い。
それを理解しているからこそ、紗枝から無理矢理薙刀を取り、目の前まできた。
やらなければ、ここで終わる。決断は―――早かった。
「…………―――――ッ!!」
意を決して、不格好に薙刀を振り下ろして―――
「あ……ぎ―――ッ!!」
想像以上に生々しい音が、彼女達の脳に響いた。
「ああッ――ア――が―――あッ!!!」
普通に生きていったなら間違いなく経験しなかったであろう行為。
そのもはや痛みとも呼べぬ試練が、涼の足を破壊し、体力と精神をすり減らしていく。
そして、それは当人の拓海にも想像以上の罪悪感と、嫌悪感のある行為だった。
素人であり、心の奥底で未だ躊躇していた一撃では終わらない。
何回も、何回も何回も――――突き刺していく。
ぶちぶち、と肉を潰し、ちぎる音。
骨に当たっても、それを砕くか折るかのように『破壊』していく。
「う………っ」
その光景を、ただ見ることしかできない少女が一人。
目を閉ざせば、その凄惨な光景を拒否する事ができる。
しかし、彼女はその光景から逃げる事はしない。
二人が頑張っている中で、一人だけが逃げる事はできない。
「………ぁ゛………っ」
涼の息も絶え絶えになり、ほぼ声もあがらなくなってくる。
彼女の体力的にも、そして残る時間的にもこれ以上は長引かせられない。
躊躇はできない。拓海は彼女の足を……潰さなければ、いけない。
もはや足とは呼べぬ程に醜くなった『それ』を見下ろしながら、拓海は。
「涼……ッ、くそっ……クソッ!
クソォォォォォォォォォォォォォォッ!!」
汗とも涙ともつかぬ雫が一粒落ちて、
全体重を乗せた薙刀が、『それ』を切断した。
* * *
現場に駆けつけた時には、その建物から煙がもくもくと出ていた。
初めは、何が起こっているのか分からなかった。……今でも、よく分かっていないのだが。
中に誰かがいるという保証はないが、誰かいるのなら危険であろう。
中に入るべきか否か?ときらりと小梅が相談しようとした、その時だった。
「おらあぁぁぁぁッ!!!」
窓から、人が飛び出してきた。
「あうっ!」
「ぐっ……!いってぇ……」
飛び出してきたのは二人……いや、正確には三人だ。
一人は背中におんぶされている。
偶然か狙ったのかは分からないが、着地地点の道路の脇には丁度車のボンネットがあった。
車が大きく音をたてて、そして彼女達は地面へと転がり落ちる。
衝撃がいくらか緩和されたようで、今の衝撃で大きな怪我はしていないようだった。
「えっ、なになに!?いきなり何が起こって………!」
「……っ、てめぇらは………?」
隣で大きく驚くきらり。小梅も声には出さないものの、いきなりの出来事に呆然としていた。
その声でこちらの存在に気づき、彼女達は体制を整える。
しかし敵意が無い事を察したのか、単純に疲労していたからか、直ぐに警戒を解いた。
「……殺し合いには乗ってなさそうだな。
わりぃけど、ちょっと待ってくれ。今アタシ達には怪我人が……」
「む……向井はん、あの子………」
背負った人物を地面に下ろそうとする。
しかし、その動作が完了するよりよりも早く隣の少女が止めた。
彼女はこちらをみて唖然としていた。それが何故かはきらりには分からなかった。
しかし、隣にいる少女はその事に意識を向ける事はなかった。
彼女は、背負われた少女の事を知っていた。誰よりも、知っていた。
「涼、さん………?」
彼女は遂に気づいた。気づいて、しまった。
* * *
But I'll be right beside you from now on.
so,on―――――
* * *
「―――――――――」
声が聞こえる。
一つや二つでなく、もっと多くの数がいる。
だけど、その言葉を認識する事が出来なかった。
精神的にも肉体的にも大分参っている。このまま意識を放棄したい気分だ。
だが、そうもいかなくなった。霞んだ目に、あいつが映ったから。
「………こ、うめ?」
そこに立っていたのは、間違いなくアタシがずっと探していた白坂小梅本人だった。
「涼、さん………?」
彼女は怯えた表情でこちらを見ている。
見た感じはどうやら無事な様だ。アタシはそれに安堵した。
もし体が完全に無事だったなら、駆け寄って抱きついていたかもしれない。
恥ずかしいけど、それくらい嬉しかったし、安心したんだ。
「ああ――――」
――でも、それも出来そうにない。今のアタシは、歩く事すらままならないから。
「よかった」
だから、たった一言だけ、呟いた。
* * *
「あ………」
―――あの人は、私の姿を見て何と言ったか。
自分自身のボロボロの体も気にせずに、何と。
「………あ………っあ………!」
―――私は、馬鹿だ。
その人はずっと、ずっとずっとずっと、私の事を思ってくれていたのに。
それなのに、私はただ恐怖で逃げ続けて、あまつさえ大切なその人さえ信じられなくなって――!
「嫌……!涼、さん……!やだ、やだぁ……っ!」
「あ……っ」
小梅は脇目もふらずに涼の元へ駆け寄った。
その行動に押される二人。しかし事情を知っているからこそ対応が出来なかった。
声をかけても、なにも反応がない。
それが、小梅の嫌な予感を更に加速させる。
彼女の顔には生気が無い。目の前にいるのに、そこに彼女が居る気がしない。
まるでその手から離れていくような崩れていくような、そんな焦燥感がある。
彼女からだんだんと魂が抜けていく。止めたいのに、止められない。
「やだっ、死なないで……涼…さん……っ!!」
後悔の念が、小梅の中を渦巻く。
あれから、自分は何かをしたのか。その答えは直ぐにでた。
そして今、彼女に何かできるのか。
助けたい。こんなところで、お別れなんて嫌だ。
そう思っても、何も変わらない。答えは否。彼女は何もできない。
そして彼女はただ、目の前で『消えていく』大切な人を見ていることしかできなくて―――
「―――ばーか、誰が死ぬかよ」
そんな思考を、他でもないその人自身が止めたのだ。
「え………あ……っ!」
「はっ……小梅を置いて…逝けるか、ってんだ」
「涼さん……涼さ……ん……!!」
その、もう二度と聞けないと思っていた優しい声が聞こえた。
それだけで、彼女はどれだけ救われた事だろう。
今まで押し殺されていた感情が溢れ出していく。
言葉にならず、行動にならなくても、その想いはその場に居る全員が理解できた。
「悪いな、ちょっと…疲れててよ……少し、休ませてくれ……」
しかし、まったくの無事ではない。実際に彼女の傷は深く、喋るだけでも精一杯のようだった。
「え……そ、そんな……っ」
「大丈夫……アタシは、小梅をおいていったりは…しねぇよ。約束する」
掴んだ手を力強く握り返す。
それは、彼女の確固たる意思の現れだった。
そして、その覚悟。例え体がどうなろうとも生を掴み、一緒に帰るという心も。
その全てを手に込め、握り返して。
「……ありがとう、小梅。無事でいてくれて」
そして、彼女はもう一度目を閉じた。
* * *
「……さて、じゃあそろそろアタシ達も行くか」
あれから暫くの時が流れ、向井拓海はそう言った。
涼の足には本来あるべきものはなく、そこには赤い布が巻かれているだけ。
その布は拓海の特攻服と一緒に付いていたサラシであり、応急処置と呼ぶには不十分すぎた。
だから、彼女を治療できる場所へ連れて行かなければならない。
しかし近場にそれができそうな所がないから……彼女達はもう一度、病院へ向かう。
できれば合流した二人にも同行してほしかったが、そうも行かなかった。
既に別の集団と水族館で集合の約束をしているらしい。
具体的には灯台に残っているアイドルを迎えに行ったが、既に時間は無く、仕方なく一度戻ろうと考えてたという。
この場所で同じ様な意志を持つ集団がいるという事を知れたのは収穫だったが、そこへは今すぐには向かえない。
灯台も水族館も非常に気になったが、それ以上に優先すべきことがある。
だから同行はできないと言っていた……が。
『わ、私は……涼さんと、一緒にいきたい』
その中で一人、決意した少女がいた。
自分の無力さはわかっている。
ずっとただ怯えていただけ。一歩踏み出すことさえ遅れて、ずっとついていくがままだった。
でも、それもここで終わりだ、と。彼女は決意する。
大切な人が危険な状態にある現実を認識したからこそ、彼女はやっと一歩を踏み出せた。
今度は自分の意思で。大切な人に勇気づけられた心を持って。
そしてその言葉を聞いて、きらりは大きく頷いたのだ。
『……ん!おーけー☆だったら、きらりは一度しゅーごーして、泰葉ちゃんたちに伝えてくりゅー☆
それでぇ、きらりんたちの方がびょーいんに向かえば涼ちゃんも動かなくて良いと思うの!どぉ?』
その言葉から、きらりは独特な言葉を流暢に使って提案した。
その勢いに二人は押されたが、実際その提案自体は悪くなかった。
怪我人を動かすことは出来れば避けたい。そちらの方から来てくれるのならその方が良いに決まっている。
方針は決まり、きらりは自転車に乗ってその場所へ向かっていった。
そして未だ煙の出るスーパーから出発するのは拓海に紗枝、涼。……そして。
「えーと……小梅?」
「は、はい」
声をかけると、小さい体をビクリと震わして反応する。
……拓海には正直に言えば苦手なタイプだった。
何故彼女が涼と仲が良いのかが不思議だったが、結果として二人は硬い絆で繋がっているのだ。
それを不思議に思っても仕方がない。彼女もまた守ると決めている。
それが自分の信念であり、そして……今、背負っている彼女の想いだからだ。
「よろしくな」
「よろしゅう申し上げます」
「……よ、よろしくお願いします」
彼女達は集まった。
それぞれの、しかし同じ道へ向かう思いが、そこに集まっていた。
* * *
例えどれだけのものを無くしても、本当に失うものはそこには無いと思う。
”頑張れ、あきらめるな”
その言葉の本当の意味は今でも、分からないけど。
それでも、これからはずっとそばにいる。ずっと、ずっと――
【C-6 スーパーマーケット前/一日目 昼】
【向井拓海】
【装備:鉄芯入りの木刀、ジャージ(青)】
【所持品:基本支給品一式×1、US M61破片手榴弾x2、特攻服(血塗れ)】
【状態:全身各所にすり傷】
【思考・行動】
基本方針:生きる。殺さない。助ける。
1:涼を治療する為に、病院へ向かう
2:引き続き仲間を集める
3:涼を襲った少女(
緒方智絵里)の事も気になる
【小早川紗枝】
【装備:ジャージ(紺)】
【所持品:基本支給品一式×1】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:プロデューサーを救いだして、生きて戻る。
1:涼を治療する為に、病院へ向かう
2:引き続き仲間を集める
3:少しでも拓海の支えになりたい
※薙刀は在庫置き場に置きっぱなしです。おそらく焼失しました。
【松永涼】
【装備:イングラムM10(32/32)】
【所持品:基本支給品一式、不明支給品0~1】
【状態:全身に打撲、左足損失(サラシで縛って止血)、気絶】
【思考・行動】
基本方針:小梅を護り、生きて帰る。
0:―――――
【白坂小梅】
【装備:無し】
【所持品:基本支給品一式、USM84スタングレネード2個、不明支給品x0-1】
【状態:背中に裂傷(軽)】
【思考・行動】
基本方針:涼の事が心配
1:拓海達についていく
2:泰葉に対する恐怖は、もう……?
【諸星きらり】
【装備:折り畳み自転車】
【所持品:基本支給品一式×1、不明支給品×1】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:もう人が居なくなるのは嫌だから、助けたい。
1:きらりは一度水族館に向かって、皆に説明して病院に向かうー☆
2:杏ちゃんが心配だから杏ちゃんを探す……んだけど、後回しになっちゃう……
2:小春ちゃん達迎えにいきたいけど、今は難しそうだにぃ……
3:怪我した人のことが心配……
最終更新:2013年05月30日 07:58