彼女たちが巡り会ったよくある奇遇(トゥエンティスリー) ◆John.ZZqWo
このアイドルという希望が求められる時代、都内にあるオフィス街のとある一角にそのプロダクションは存在する。
少し前の時代を思わせるオフィスビルの1フロアを占めているそのプロダクションの特徴は、所属するアイドルの人数とバリエーションだ。
その数はゆうに150人を越え、事務所の色――などというものを考えるのが馬鹿らしくなるほど色とりどりのアイドルらがそこで咲き誇っている。
子役は勿論、大人の女性も、清純派もいればセクシー路線も、それだけでなくニートであるだとか、元婦警であるだとか、ウサミン星人であるだとか……。
逆に正統派のアイドルも取り揃えている。
現在のアイドルシーンのトップをひた走る
十時愛梨やFLOWERSなどはどちらもこのプロダクションに所属するアイドルだ。
他にも
神崎蘭子やアナスタシア、高垣楓、
市原仁奈などなど、日常的にアイドル番組を見ている人ならばこれらの名前もおなじみだろう。
そして今もこのプロダクションはアイドルを発掘し続け、アイドルの数をとどまることなく増やし、連日イベントやプロモーションを仕掛けてアイドル界に花火を上げ続けている。
シンデレラガールズ総選挙や、全日本チャリティーツアーなどはアイドルファンの記憶にも新しいだろう。
であるからして、社長以下、アイドルをプロデュースするプロデューサー、専属のトレーナー陣、事務員や裏方さんの数も相応に所属している。
なので、仕事上、外に出ている人間が多いとはいえ、事務所には常時100人前後の人間がいて、よく言えば賑やかな、悪く言えば窮屈な事務所であった。
立ちあげたばかりの頃はがらんとしてて広すぎると思えたフロアも今ではぎゅうぎゅうと机がひしめき合っている。
お金がないわけではないので、そろそろ新しい事務所を探したほうがいいのかと、社長も何度か周りに相談していた。
けれども、それはまだ実現していないし、この先も実現するかというと少し怪しい。
なぜならば、このプロダクションは今や業界の中じゃ五指に入るほどの勢いと規模ではあるが、プロダクションとしてはまだできて数年しか経っていないのだ。
故に、今いるアイドルらはほとんどが、いやアイドルだけではなくスタッフのほとんどがこの事務所が自分たちの最初であり、一緒に育ってきたという思い入れがとても強い。
がらんとしたフロアに事務机を並べて、パーティーションで区切り、衣裳部屋を作ったり、映像チェックのための部屋を作ったり。
必要なものがあれば購入し、時には持ち寄ったりし、少しずつ居心地のいい場所にしてきたのだ。
柱の傷は……などというものはないけれど、だれにとっても思い入れのある“場所”だった。
そんな思い入れのある場所で、今日もアイドルたちやスタッフたちは仕事をしたり、仕事の合間の休息やコミュニケーションを楽しんでいる。
事務所の扉を開いてすぐのところには来客用のカウンターがあり、今売り出し中のアイドルやイベントのポスターが張り出されている。
そのカウンターの向こう側にずらりと並んでいるのは、経理やスケジュール確認とつなぎの連絡、メディアなどからの受付を担当する事務員の机だ。
更にその奥にはパーティーションを一枚挟んで、アイドルを担当する各プロデューサーの机が並んでいる。ここは普段は空席なことが多い。
そしてその合間合間に事務所でくつろぐアイドルの姿が垣間見れる。
大きなテレビの前にソファが置かれた談話スペースではそれぞれが持ち寄ったお菓子を食べている姿が見ることができるし、
献本のグラビア誌や業界誌、ファッション誌などが収められ、いつの間にやら漫画も持ち込まれている資料室ではそれらを熱心に読む姿が見られもする。
ふたつある会議室の片方はもはや学生アイドルらに占拠され、もっぱら学習部屋として利用されているし、
本来は客に応対するための応接スペースもとあるニートアイドル専用の寝床だ。
狭い給湯室は、それぞれのアイドルがマイカップを持ち込むので食器棚はそれだけでほぼ満杯であり、追加した棚でさらに狭くなっている。
奥にある部屋は、以前はその時流行っていたアロマテラピーを行うリラクゼーションルームだったが、今はブームも去ってただの仮眠室として使われている。
更に奥にある自販機が並んだ喫茶スペースは以前は主にプロデューサー達のためのスペースだったのだが、
アイドルが増えてきたこともあって今は彼女らに占拠され、壁には『禁煙!』のポスターが貼られて、以前はあった灰皿も今はもうない。
そして、その更に奥。
事務所の一番奥まったところにある廊下の更に一番奥に、あまり誰もその先を知らない……というよりも、倉庫や掃除用具入れだと思われている扉があった。
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「それではごゆっくりおくつろぎください、お嬢様」
ぺこりとおじぎをし、兎の耳をぴょこんと垂らしたメイドがテーブルから離れその部屋を後にする。
残されたのは純白のクロスがかかった小さなテーブルと、テーブルの上で湯気を立てる白磁のカップ。そして、そのテーブルを囲うふたりの少女だけだ。
ふたりの少女は同一のようでありながら対の雰囲気を漂わせる、言うなれば太陽と月、また光と影と形容してもいいような容姿をしていた。
ひとりは、真紅を基調とし黒のレースがあしらわれたドレスを着て、蜂蜜色の髪の毛を軽く揺らしてまだあどけなさの残る顔に微笑みを浮かべている。
ひとりは、漆黒を基調とし赤のフリルがあしらわれたドレスを着て、ふたつにくくった銀灰色の髪の毛を緊張した表情の左右に揺らしている。
ひとりは
櫻井桃華。そしてもうひとりは神崎蘭子であった。
この事務所の中で数少ないこの『隠しVIPルーム(と、某ウサミン星人が呼んでいる)』を利用しているアイドルのうちのふたりである。
「やはり、紅茶であるのでしたらこのローズヒップティーだとわたくしは思うのですけれど、神崎さんはいかがかしら?」
小さなスプーンで赤い水面を揺らしながら櫻井桃華は同席する神崎蘭子に問いかける。
ふたりはこう面と向かって話をするのは初めてだったし、櫻井桃華は相手よりもふたつも年下だったが、しかし彼女はそんなことは物怖じしたりはしない。
「盃を満たす真紅こそが、カーミラの美を永遠に保つ…… (あ、赤くて……とても、きれいですね)」
逆に、神崎蘭子のほうはというと堂々とした――しかも、お嬢様然とした櫻井桃華が目の前にいることでとても緊張していた。
この『隠しVIPルーム』は利用者が極めて少ないが故に彼女にとっては気軽にひとりでいられる場所だったのだ。
誰かと同席するなどということは今回がはじめてだった。
「そうですの。よくご存知でしてね。ローズヒップティーはお肌にいいんですのよ」
しかし、『隠しVIPルーム』などと呼ばれるものの、この部屋は別にそういった用途のために用意されたスペースではない。
むしろ、大多数が誤解しているように倉庫や不要物入れなどという方がしっくりくるスペースだし、社長以下、このスペースの実態を知らないスタッフも多い。
正確なところを明かすと、フロアをその時その時の必要に合わせて区切っていった際にできたデッドスペースというのがこの部屋の正体である。
故に、正式な用途はないし、場所も辺鄙なので誰も興味を持っていない。
「禁断の盃は今傾けられよう。それこそが運命を我に流し込む (そうなんですか? はじめて知りました。お、覚えておかなくちゃ)」
初めに誰がこのスペースを発見し、ここにテーブルや椅子を持ち込み、更には秘密のお茶会をはじめたのか、それは誰も知らない。
ただ、この部屋でのお茶会に参加した者は皆、自分以外の誰か――『秘密のお茶会同盟』のうちのひとりが始めたんだろうと想像はしている。
「運命……、神崎さんはその言葉をよく使いますわよね?」
「ひぇ? あ、はい………… (逃れることのできぬ呪縛!)」
強く見つめる瞳に神崎蘭子のカップの中でスプーンが高い音を立てる。
「……運命、というものは確かにあるのでしょうか?」
「ひ、人は地に生まれ出ずるその瞬間より業(カルマ)を背負う宿命…… (私は、そうあってほしいと思います)」
神崎蘭子の答えを受けて、櫻井桃子の瞳が揺れる。
常に自信を滲ませていた表情も今はどこか悲しげで、その姿は年齢相応の小さな、不安を抱える少女といった風に今は見えた。
「あの、ここだけの秘密ですけれども、……わたくし、想いを焦がす人がいますの」
「禁断の果実! (それは恋愛相談ですかっ!?)」
櫻井桃子はテーブルの上で小さな手を組み、頬に薔薇色を浮かび上がらせる。
「わたくしは、それは……そう、運命だというほどに確かだと、そう言えますの。例え成就するのが何年も先だとしても、わたくしのこの想いは変わらないと」
「楽園を追われる覚悟がありや? (そんなに想えるなんて羨ましい。私はどうなんだろう……?)」
「けれども、あの方もそうであるのか自信はなくて……、魅力的な方ですし、でしたらわたくしなんかよりもなどと考えては不安になることも一度や二度ではありませんの」
「ドン・ジョヴァンニの戯れ……! (ああ、私もなんだか不安になってきました!)」
「あのお方がそれほど不誠実ではないとは信じていますけれど、……時には運命という名の赤い糸が存在するならば、あのお方を括りつけてしまいたいと……」
「呪いにて想い人を虜とするか (もしそんなことができるのだったら、私も……)」
櫻井桃子は小さく溜息をつくと少しだけ紅茶を飲み、そしてゆるりと微笑んだ。
「まぁ、運命の赤い糸や魔術をなんていうのは冗談ですけれども、あの方をわたくしの虜にしたいというのは本心ですの。
それで、明日はわたくしの誕生日であの方もパーティに参加してくれると言ってくれたのですけど、どうアプローチするべきか……というのが本題ですわ」
「明日が誕生日なんですか? 私と同じですっ! (我と時の運命が交わりし者!?)」
相談した相手が偶然にも同じ誕生日だと知って櫻井桃子の顔がぱぁっと明るくなる。
「それはとても奇遇ですわ。もしよろしければご教授いただけないかしら? 貴女も想い人はいらして? でしたら明日はどのようなアプローチを?」
「あ、あの……、私は、そんな、恥ずかしぃ…… (断罪の場にて落とされる刃を待つのみ!)」
櫻井桃華の翠色の瞳がキラキラと輝く。そして、それを向けられる神崎蘭子はというとただ狼狽するばかりだった。
「これこそ運命の引き合わせというものではありませんの? でしたら、この機会、互いに不意にするのは勿体無いと思いますわ!」
「流星の眩さが我が瞳を貫く……! (そ、それはそうですけど……心の準備が……!)」
「正直に言いますと相談する相手がいなくて困っていましたの。ですからこの奇縁はまさにわたくしにとって僥倖といえるのです!」
「百詩篇集にはそのようなことなど…… (私にとっても予定外です><)」
身を乗り出さんばかりの櫻井桃華に、神崎蘭子はたじろぎ手に持ったカップを揺らす。
このままでは零れ落ちた紅茶が真っ白なクロスに消えない染みを作ってしまうかもしれない――というところで彼女に助けの手が差し伸べられた。
「ふたりとも、なんだか楽しそうですね♪」
現れたのは、この部屋の秘密を知る数少ないスタッフのうちの一人。
千川ちひろだった。
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結局のところ、櫻井桃華の恋愛相談は彼女の乱入によって終わることとなってしまった。
もっとも、そうでなかったとして彼女が望む回答を得られたかは甚だ疑問だが、神崎蘭子は次の仕事の時間だったのでなんにせよ致し方ない。
「残念ですわ。せっかくの偶然でしたといいますのに」
「果たして、それは櫻井さんが思っているほどの希少な偶然だったでしょうか?」
冷めた紅茶に口をつけようとした櫻井桃華は千川ちひろの言葉にぴくりと眉毛を上げ、彼女の顔を見上げた。
「どういう意味でして……?」
「櫻井さんと蘭子ちゃんは誕生日が同じ……という話ですよね?」
「ええ、そうですわ。とても奇遇だと思うのですけれども」
「私、その誕生日についておもしろい話を知っているんでお話しますね」
言いながら千川ちひろはテーブルをぐるりと回り櫻井桃華の目の前に立つ。そして、椅子には座らずにそのまま話を始めた。
「誕生日が同じという話ですけれども、では櫻井さんから見て蘭子ちゃんと誕生日が同じという確率は何%ですか?」
「……? それは、1/365だと思いますけれども。パーセントにすると……」
「あ、パーセントはいいです。じゃあ、蘭子ちゃんから見た場合、櫻井さんと誕生日が同じという確率は何分の一になりますか?」
「同じく、1/365だと思いますの」
「そうですね。どちらも正解です。では、私から見た場合、櫻井さんと蘭子ちゃんの誕生日が同じであるという確率はどれくらいになると思います?」
「はい……?」
櫻井桃華は首を傾げる。問いの意味するところがよく理解できなかったからだ。
例え、誰が誰をという話であっても誕生日が同じである確率は変わらない気がするし、それ以外の場合があるとは普通には思えない。
「千川さんはわたくしたちのプロフィールをご存知ですから、その場合は100%ということでしょうか?」
「それそれで事実ではありますけど、この問題の答えではありませんね。けれど、確率は当たってます。ほとんど100%なんですよ」
「なんですってっ!?」
思わず声が大きくなってしまい、櫻井桃華は恥じらいの表情を浮かべ口に手を当てる。
「失礼。……では、そのなぞなぞの種明かしを教えてもらってもいいかしら?」
「んー、なぞなぞじゃなくて確率の問題なんですけどね」
こほんと咳をする真似をしてから、千川ちひろは回答を――『誕生日のパラドクス』を櫻井桃華に披露した。
「櫻井さん、蘭子ちゃん、それに他の誰であっても、それぞれがそれぞれの相手に対して同じ誕生日である確率は1/365で変わりません。
では私、千川ちひろの場合、つまりこの事務所を俯瞰する立場から見た場合としてはどうなるか。
櫻井さんは今この事務所にアイドルが何人所属しているか知っていますか?」
「ええと……、先日、150人を越えたというのは聞きましたが正確には……」
「だいたいそれくらいの認識でいいですよ。それだけいればもう十分以上ですから。
それでもう一度質問です。この事務所に所属するアイドルが150人と仮定して、その中に誕生日が同じ人が混じっている可能性はどれくらいでしょう?」
「1年は365日ですから……だいたい、半分くらい。一組いればいいほうではないでしょうか?」
そう思うところが錯覚なのです――と、千川ちひろはにんまりと笑った。
「可能性で言えば、ほぼ100%です。そして複数組の誕生日が同じ組み合わせができる公算が大なんですよ。
実際の話、この事務所の中で誕生日が同じ人って多いんですよ? 例えば、わかりやすいのだと元旦生まれの富士鷹さんと道明寺さんとか」
「ず、随分、多いのですわね……」
「でしょう。じゃあ、どうしてそんなことになるかを説明しますね。わかってしまえば簡単なんですよ。
櫻井さんと蘭子ちゃんの間で誕生日が同じ確率は1/365ですけど、じゃあ二人の誕生日が違うとして、そこにもうひとり加わったらその人の確率は何分の一ですか?」
「ええっと……?」
「わかりやすく、櫻井さんの誕生日が1/1で、蘭子ちゃんの誕生日が1/2としましょうか。
そしてそこに第三者が現れた場合、彼女が二人と同じ誕生日である確率は2/365であり、逆にそうでない確率は363/365になりますよね」
「あ、わかった気がしますわ。
席取りで考えると、人が加わるたびにすでに“誰かの誕生日である日が増える”……なので、人が増えるほど誕生日が被りやすくなるのですわね」
「そのとおりです♪ さすが櫻井さんは頭がいいですね。
そして、誕生日がいっしょの人が同じ場所にいる可能性が50%を越える際の人数が23人で、これを誕生日のパラドクスと言うんです!
でもって、だいたい70人を越えれば誕生日が同じ人はその集団の中にいると考えて間違いないんですよ」
はぁ、と櫻井桃華は感心の溜息をつく。確かに理屈で考えればわかる気がする。けれどもそこから出てくる答えはやはりとても不思議だ。
たった23人いれば誕生日が同じ人が半分の確率でいて、70人を越えればそれはほとんど確実になるだなんて。
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「しかし、わたくしがよいタイミングで見つけた相談相手を失ってしまったということには変わりはないんじゃありませんの……?」
事情あってのこととは承知だが、櫻井桃華はあえていじわるな風に千川ちひろを問いただす。けれど彼女の笑みは崩れなかった。
「だったら探せばいいじゃないですか。365人にひとりの相手は23人目までに半分の可能性で見つかるんですから」
それはどうなんだろう。と、櫻井桃華は思う。けれど、千川ちひろが言いたいことはそういうことではないというのもすぐに気がついた。
「なるほど。助言を感謝いたしますわ。さすがはちひろさんですわね」
言って、櫻井桃華は席を立ち、部屋の出口へと向かう。
その先には何人ものアイドルがいるだろう。
事務所のあらゆるところで、あらゆる個性を持ったアイドルが、今までは遠ざけたいと思っていたような子も幾人かはいるに違いない。
けれども、こんな隅っこの部屋に隠れているだけでは、それこそ今日のような奇遇を待つしかない。
それよりも、この部屋を出ればその可能性をいくらでも掴むことができるのだ。
23人で50%? 70人を越えれば100%? では、150人を越えていれば……?
「ああ、わたくし……なんだか、ゾクゾクしていますわ」
櫻井桃華は扉を開き、マッドティーパーティから日常へと――帰還した。
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後日、櫻井桃華は暗黒と絶望の世界の中で、彼女を護ると誓う騎士(ナイト)と出会うことになる。
それが、偶然だったのか、あるいは必然だったのか。それは運命の神様にしかわからない。
最終更新:2013年06月19日 06:28