Twilight Sky ◆p8ZbvrLvv2
――――――忘れないこの気持ちを、忘れないこの痛みを。
――――――ずっと、感じていたいから。
「Shooting the star 闇を切り裂いて 進むよ」
「ふふふ……うーん、やっぱりロックだね!」
「きっとなつきちもこれを聴いたら驚くぞ~」
そろそろ陽も沈もうかという黄昏時の空の下、小柄な少女が人気の無い住宅街を歩いている。
ヘッドホンを付けて、時折何かを口ずさみながら楽しげに。
これが中年の男性なら間違いなく不審者として通報されるだろうが、可愛らしい風貌をしていたのがせめてもの救いだった。
最早言うまでもないかもしれないが、少女の名前は
多田李衣菜という。
自称、ときどき他称ロックなアイドル。
時に彼女を表す単語に失敬な三文字のワードがあったりするが、それについては割愛。
事務所の期待株でもあり、将来を嘱望されているアイドルの一人だ。
そんな彼女がいつにも増して機嫌が良さそうなのにも理由がある。
先日、かねてより熱望していたCDデビューが決まったのだ。
彼女はその知らせに独特な叫び声をあげることで喜びを表し、そして俄然張り切った。
普段肌身離さず持ち歩いているプレイヤーで、届いたデモテープを何度も繰り返し聞くほどに。
しかし、やる気も方向を間違うと周囲に迷惑をかけるということがしばしばある。
李衣菜にとってのそれは、例えば場所を選ばずに歌詞を口ずさみ始める。
そして、突如悦に浸った様子でニヤニヤと笑みを浮かべたりすると言った行動に現れた。
現に数日前、事情を知らない
岡崎泰葉がその姿を目撃して大いに気味悪がったのだがそれはまた別の話。
結局最後はプロデューサーにご注進が及んだらしく、案の定叱られて仕事中は自重することになった。
「最近は仕事の調子も良いし~、あ~薔薇色の人生だなぁ~」
「この調子でロックを極める……なんてね!」
とは言えデビューが決まった後の李衣菜のモチベーションの高さには、目を見張るものがあったのも事実。
表情も言動も生き生きとしていて、彼女の魅力がより一層引き出されているのだ。
プロデューサー曰く、「なんかめっちゃ輝いてるなー」とのこと。
その上、時折目立っていた歯切れの悪さがなくなったと評価する関係者も居た。
「さーて、レコーディングの日も決まったし気を引き締めないとなー」
「……って、そういえばこの前のちひろさん何かあったのかな」
「ちょっと雰囲気がいつもと違ったけど……体調不良とかじゃないだろうし」
仕事への意欲に燃える李衣菜だったが、数日前に気になることがあった。
学校の放課後、今後の詳しいスケジュールを確認に行ったときのことである。
いつもそれらを担当してくれている頼もしい事務員の様子が少しおかしかったから。
気のせいだったらいいなと思いつつ、その日のことを思い返す。
「李衣菜ちゃん、最近随分調子が良さそうね」
「……えっ、何がですか?」
スケジュールを確認し終わって、ちひろの勧めもあり少し休んでいたときのこと。
これからCDショップにでも寄って帰ろうかと考えていた時に、唐突に声を掛けられた。
視線を移すと、
千川ちひろが事務員のデスクから李衣菜に笑いかけてきた。
「仕事のことよ、プロデューサーさんも随分褒めてたでしょう?」
「あっ……はい、実は自分でもそう思ってるんです」
「あらあら、確かに表情もいつも以上に可愛らしいわね」
「ホントですかっ!?……っと、私はロックを目指してるから可愛いより格好いいの方が……」
「ふふ、そう言われるとちょっと格好よくもあるかしら」
ちひろは作業する手を止めずに、クスクスと笑った。
正直可愛いと言われたことは満更でもない、のだが少し緩みそうになった表情を引き締める。
「そこ笑うトコじゃないですっ、真面目に目指してるんですから!」
「別に冷やかしたわけじゃないのだけど……」
「ホントですかぁ~?みんなそう言って笑うんですよ~」
「本当よ、李衣菜ちゃんならきっとロックなアイドルになれると思ってるわ」
「えへへぇ……」
引き締めたはずの表情があっという間にだらしなくなる。
しかし、人によっては単純と表現するであろう彼女の純粋さは美徳でもある。
その豊かな感受性こそが、多くの人を魅了する第一歩なのかもしれない。
ロックを含めたあらゆる芸術というのは、皆それらが根底にあるのだろうから。
「そういえば……李衣菜ちゃんにとってロックはカッコいい、なのね」
「……??どういうことです?」
「いえ、ロックってどういうことなのか気になっちゃって」
「そ、そうなんですか……」
「李衣菜ちゃんはその道の先達でもあるのだし、良かったら教えて貰えないかしら?」
いつもなら威勢よく何かしらを答える李衣菜なのだが、今回は珍しく言いよどんだ。
最近好調なのはCDデビューが決まったというだけではない。
けれど、まさかこんなに早くそのことに関係する質問をされるとは思ってもみなかった。
本音を言えば、誰かに聞いてほしかったのも事実ではあったのだけど。
心の準備が出来てなかったのもあり、少し緊張した様子で李衣菜は言う。
「あの……ちひろさん、私が何を言っても笑わないって約束してくれます?」
「どうしたの?急に改まって」
「ああっ、やっぱり何でもないです!」
「…………ふふっ、約束するわ」
「……え?」
「李衣菜ちゃんにとって大切なことなんでしょう?絶対笑ったりしないわ」
微笑みながらちひろは続きを促す。
その表情は先程の苦笑気味だったそれとは違って、妹の話を聞く優しい姉のようだった。
だからこそ、ほんの少しあった躊躇いも少しずつ溶けていって。
李衣菜は思っていたよりも滑らかに、口を開くことが出来た。
「……ついこの前までは、私もロックは上手く言えないけどカッコいいことだって思ってたんです」
「そうね、事務所に入ったときもそんな感じだったわね」
「はい、けれどちょっとキッカケがあってそれだけじゃないって思えるようになって」
「…………」
「この前新曲の歌詞を初めて見た時、凄く心に響いた部分があったんです」
「どんな詞なの?」
少し考え込んだ後、李衣菜は歌うようにその部分を諳んじた。
「巧く歌うんじゃなくて 心を込めて歌うよ」
「世界でたった一人の 君に伝わりますように」
「一度きりの旅だから 自分だけの旅だから」
「好きなもの集めるんだ 間違ったっていいんだ」
李衣菜は口を閉じると、おそるおそる反応を窺う。
子供っぽいと笑われてしまうかもしれないと思っていたから。
けれど、ちひろは感じ入ったように溜息をつきながら呟く。
「素敵な歌詞ね……」
「ほ、ホントにそう思いますか!?」
「ええ、心に沁みるというか……純粋で真っ直ぐな気持ちが伝わってくる」
「良かった……笑われちゃうんじゃないかって思ってたんです」
それは李衣菜にとって、本当に嬉しいものだった。
「私、ロックシンガーが何でカッコいいのかこの言葉で分かった気がするんです」
「もしかして、それが最近の調子が良かった理由?」
「はい!巧くやることを意識するより、心を込めることが大切なんじゃないかって思って」
「そうなの……」
「たった一人の誰かの為じゃないけど、見てくれる人達全員に私の熱い心を伝えられたらいいなって……」
それが前の二つの歌詞。
勿論だが後の二つにも理由はある、それは李衣菜自身の在り方を変えるくらいの。
流石にこれは事務員だろうと姉だろうと、言うつもりはない。
口に出すことばかりがロックというわけでもないだろう。
例え有名人でも噂は気にする、李衣菜とてそれは変わらない。
だから、自分がその道の造詣が深い一部の人に苦々しく思われているのは知っていた。
それも含めての魅力だと言ってもらえたりしても、それは密かな傷なのだ。
もちろん知識を付けることを放棄しているわけではない。
けれど知らない語句が出るとどうしても分かったふりをしたり、誤魔化したりするのは事実だった。
自分自身に責任があるからこそ、人には言えない負い目となってしまった。
それ故に間違ってもいいという言葉は、李衣菜にとって凄く新鮮に聞こえた。
少しでもボロを出さないように、そんなことばかり考えてた自分が馬鹿馬鹿しく思えるくらいに。
だからこそ間違ってもいい、とにかく自分の真っ直ぐな気持ちを主張しようと意識が変わったのだ。
失敗して、失敗して、失敗して。
けれどその分、学べばいいじゃないかと思えるようになって。
今はまだ見えなくとも、その先に皆が認めてくれる自分自身の「ロック」があると信じられるようになった。
CDデビューのレコーディングも小手先の技術に頼らず、心を込めて歌おうと思う。
「……そういえば、有名なロックシンガーに銃で撃たれて亡くなった方が居たわね」
決意を改めて噛み締めていると、ちひろが突然そう呟いた。
次いで彼女が言った人名には、李衣菜にも聞き覚えがあった。
それは、遠い異国であるこの国ですら知らない者は居ないであろう偉大なロックスター。
「えーっと、確か熱心なファンに撃たれちゃったんでしたっけ?」
「確かそうだったわね、本当に理不尽な話」
「けど、急にどうしてそんな話を?」
そこで、李衣菜は少し違和感を感じる。
今まで話を聞いてくれていた彼女の姿が、そこにはなかったから。
「もし、李衣菜ちゃんがロックなアイドルになって、そんなファンが出てきたらどうする?」
「えっ……」
「もしかしたら、ある日理不尽に殺されてしまうかもしれないわ。
それは有名人だからだとか、特別な人に限った話じゃない。
思わぬ事態が起こって、何が何だか分からないまま死んでしまう人だっている。
そんな『理不尽』がまかり通ってしまう状況が、世の中にはあるの。」
「ちひろ……さん?」
そうやって言葉を紡ぐちひろさんは、いつもの優しげな表情じゃなくて。
何かを押し殺しているような、そんな顔だった。
「……ごめんなさいね、変な話しちゃったから忘れて頂戴」
「いえ……」
「まだ時間も早いし、何処かへ寄って帰るつもりだったんじゃない?」
「ええと、CDショップに行こうかと……」
「だったらそろそろ行かないと、家に着く頃には外が真っ暗になっちゃうわ」
「ホントだ……それじゃあ失礼します!」
「ええ、お疲れ様」
違和感を抱えたまま、李衣菜は頭を下げて事務所を出た。
だから、ドアを閉める音でちひろが最後に呟いた言葉は聞こえなかった。
「そしてその『理不尽』は、すぐ目の前にあるのかもしれないのよ」
「…………っ!?」
突然すぐ横で、自動車の強いブレーキ音が鳴り響いた。
先日の出来事を思い返していた李衣菜の意識は、あっという間に現実へ引き戻される。
間もなく住宅地を抜けて、自宅にかなり近い場所。
不意に強い悪寒が体を突き抜け、走り出そうとしたその瞬間。
突然背後から腕のようなものが首に巻き付けられ、ガッチリと身体が固定される。
反射的に叫び声を上げ、もがこうとした時に何かが顔に吹き付けられた。
もっともそれを認識した頃には既に意識は遠のいていて、身体から力が抜けていった。
デモテープはとっくに終わり、次の曲が鳴っている。
それが、李衣菜が最後に知覚した日常だった。
時は進んで、今よりもほんの少し前。
多田李衣菜は
十時愛梨に狙撃され、銃弾の雨を浴びて倒れこんだ。
駆け寄った
日野茜と
高森藍子の呼びかけにも一切反応を返さない。
それを見た二人は、李衣菜が即死したのだと思っていた。
(そっか……私、撃たれたんだ……)
だから、その場に居た人間は少女の"ロスタイム"に誰も気付かない。
銃弾を受けた時に大事な神経が切れてしまったのか、意識はあれど身体が動くことはない。
呼吸すら傍目から見たら見落としてしまうくらいに細く、儚かった。
それが、多くのものに縛られながら得た最期の時間。
(ごめん、茜さん……もうここで死んじゃうみたい)
泣きながら必死に体を揺さぶる茜を見て、酷く悲しくなる。
置いていかれる彼女もそうだけど、置いていってしまう自分だって辛い。
少しの間だけど確かに仲間だったその少女に、別れの言葉すら告げられないのだから。
(この人……FLOWERSのリーダーだっけ……何であんなことしてたんだろ)
もう一方で、自分の手を握り必死に呼びかけてくる少女を見てぼんやりと思考する。
最早ほとんど機能していない頭でかろうじて誰なのかは認識出来た。
どうしてあの時、人を庇っていたのかは分からない。
けれど、優しい性格だというのは見てるだけで伝わってくる。
それでもこの手を取る事は、もう出来ない。
(私を撃った人……十時さん、だっけ)
正直今でも信じられないけれど、先程自分を撃ったのは間違いなくあのシンデレラガールだった。
つい先日まであんなにも輝いた笑顔を浮かべていたあの人が、殺し合いに乗ったのはどうしてだろう。
もうそれを確かめる術はないけれど。
望んで人を殺しているわけではないだろう彼女が、少し可哀想に思えた。
撃たれた側の自分が妙に冷静なのもおかしな話だと思う。
段々薄れていく意識の中で、二つ心残りだったことを思い出していた。
一つはもうすぐレコーディングする予定だった「Twilight Sky」のデモテープ。
ここに来てからは悲しくなるだけだと一度も聴いていなかった。
たったそれだけのことが、無性に引っ掛かる。
(結局大切な物が分かった気がしてたのに、ここじゃいつも通りだったなぁ)
(理不尽だよ、本当に)
もう涙を流したり、自嘲気味に笑う力も無い。
そんな李衣菜の僅かに開いた双眸の端に、何かが映った。
誰かが棒のような物を杖にして歩いてくる。
近くへ来ると、それを放って這いながら目の前に来た。
銃弾を浴びる直前に一瞬見えたあの後ろ姿。
李衣菜はそれが誰なのか、この場に居る誰よりもよく知っている。
(なつ…………きち)
足を怪我しているだろう彼女は、よりによってこの場で一番そうあって欲しくない人だった。
木村夏樹は片腕を支えにしながら、もう片方の手で李衣菜の肩を掴む。
泣きそうな顔で、半ば怒鳴るようにして呼びかけてくる。
けれど、やっぱり体は何処も言うことを聞かなかった。
(ごめん……私まだ生きてるけど、もう声すら出せそうにないんだ……ごめん)
(なつきち……怪我してる……しかもそんなに真っ青になって、重症なんだ)
(どうして私の周りだけこんなことばっかり……)
もう一つの心残りは、まだほとんど想像の出来なかった夢物語。
自分が本当のロックアイドルになれたとき、夏樹と共にステージに立ちたいという目標。
密かに尊敬していた彼女に認めてもらえるような、熱いものを見せたかった。
けれど結局、まともにギターの演奏も出来ないまま終わってしまった。
泣きたくても、涙が出ないことがこんなにも残酷なことだと初めて知った。
(もう、やだな……)
(みんなが泣いてる……なのに何も出来ない)
(こんな思いするくらいなら……頭を打ちぬかれた方がマシだったよ)
誰もが自分の死を嘆き、信じまいと抗っている。
まだ生きている自分がそれを見るのが、どんなに苦しいことか。
もう、何も見たくない。
残り僅かになった時間、三人を見る事がないよう視線の端に意識を移す。
そして、自分の手の中にあるものに気付いた。
『ろ、ロックに行くぜ――――ッ』
(……そっか、大事なこと忘れてた)
(無我夢中 きらめいて)
(まだ最後の瞬間まで、出来ることがあるよね)
恐竜の形をした、録音した声を吐き出すだけの他愛のない玩具。
それがロックの道を目指す雛鳥に、最後の魂の煌きを宿した。
紛れもなく、偽りのない真っ直ぐな熱い心は伝わったのだ。
誰でもない自分自身に。
李衣菜は想う。
死ぬときだからと言ってカッコつけたりしなくてもいい。
どんなに無様でも良いんだ。
例え最後の別れを告げることが出来なくてもいい。
掴んだ大切なものをしっかりと握りしめて、逝こう。
見栄を張らず、飾ったりせず、心から真っ直ぐに願う。
きっと、それが私にとって「ロック」であることなんだ。
(なつきちと、茜さんと、高森さんと……十時さん。)
(どうか、アイドルのみんなが、これ以上傷つかずに済みますように)
(どうか、無事で……あります……よう…………に)
多田李衣菜は最期の瞬間まで、そう願い続けていた。
――――――We call you "Rock"
最終更新:2014年02月27日 21:04