JEWELS ◆n7eWlyBA4w



【Now playing:"JEWELS" by Queen】


 初めて本物のロックに触れた時のことを思い出す。

 あの頃のアタシはまだ歌詞の半分も分からなくて、演奏の良し悪しなんかも理解できずに、

 ただ丸裸の状態でビートの奔流に触れたってだけだったけど。

 いや、何も知らなかったからこそ、だったのかもしれない。

《An amazing feeling coming through(かつてないほどの感情が駆け抜けていく)》

 これは世の中をひっくり返す音楽なんだって、暗闇の中にいる自分にも、そう気付けたんだ。

 一生を懸けて追いかける価値があるものだって、そう直感したんだ。

 だから、アタシは――



   ▽  ▽  ▽




「だりーが、サマーライブのメインゲストぉ!?」

 事務所のソファーからずり落ちそうになりながら、アタシは素っ頓狂な声を上げた。
 目の前には、だりーこと多田李衣菜がパニック寸前であたふたしている。
 プロデューサーの呼び出しから戻った時は放心状態だったが、今になって実感が湧いてきたらしい。

「ど、どどどどうしようなつきち! 私がサマーで、ライブがメインで、あれ?」
「おい何テンパッてんだ落ち着け、エイトビートで深呼吸だ」
「はっ! よ、よーし!」

 律儀にビートを刻むだりーを眺めながら、思わず唸ってしまった。
 そうそう巡ってくるはずのない大役だ。だりーにとっては、この上ない足がかりだろう。
 ロックなアイドルとして頂点に立つ。それがだりーの、もちろんアタシにとっての目標でもある。

《Gonna take on the world some day(そしていずれは世界だって手に入れてやるんだ)》

 そのためにこれまで頑張ってきたわけなんだが……それにしても一足飛ばしで大トリとはね。
 間違いなくチャンスには違いない。だけど、プロデューサーも随分でかい仕事を取ってきたもんだ。

「チャンスはチャンスでも大博打だな……だりーの肝っ玉じゃビビっちまうのも無理ないか」
「え!? そ、ソンナコトハナイデスヨー」
「目が泳いでんぞ目が」

 こんなんで大丈夫なんだろうか。見てるほうが不安になりそうだが、気持ちは分からなくもない。
 それでも、だりーがこの土壇場で踏ん張れないやつなら、残念ながらロックなアイドルとはおさらばだ。
 どんな世界だって同じだ。尻込みしてるやつに好機は巡っては来ない。

《No time for losers(負け犬に出番なんてないんだ)》

 肝心なのは、目の前の試練に立ち向かえるか。不敵に笑って進めるか、だ。

「いいかだりー、こいつはチャンスだ。モノにすりゃあ一躍スターアイドルだって夢じゃねえ」
「う、うん……分かってる、分かってるんだけど……」
「だったら簡単だろ。お前のロックを見せるんだよ。観客みんな、お前のロックでアッと言わせりゃいいんだ」
「……! そうか、そうだよね……私のロック……うん!」

 だりーがはっとしたように顔を上げた。何度も口に出した言葉に頷くうちに、顔にエネルギーが戻ってくる。
 ここで俯くやつじゃないと信じちゃいたが、前向きなこいつを見てるとこっちも力が沸いてくるようだ。
 ただ、なにか決心したような顔をしただりーがアタシの目を真っ直ぐ見つめて、そして次に
口にしたことにはちょっと驚いた。

「……お願いなつきち、レッスン付き合って! なつきちだって自分の仕事あるのは分かってるけど、
 でも、今度のLIVEでは私に出来る最高のステージをみんなに見せてやりたいから!」

 どうやら思った以上にやる気十分だったらしい。だけど、そうこなくっちゃな。
 それにもちろん、こんなにもストレートな熱意を見せられれば、一肌脱いでやらない理由はない。

「嬉しいこと言うじゃねーか。そういうことならとことん付き合うぜ。弱音吐いても知らないからな?」
「大丈夫! どんな特訓にだって耐えてみせるから!」

 そこまで言われたらこっちも本気で行くしかないな。
 それに、日頃にわかだなんだと笑っちゃいるが、本気のだりーがどこまでロックなのか見てみたい気もするし。

「そうと決まればとことんやるぜ! 覚悟しろよ!」 
「よーっし! 燃えてきた! やるぞーっ! おー!」

《I'm out of control(制御なんか利かないぜ)》

アタシとだりーのサマーライブは、こうして一足早く幕を上げた。


   ▽  ▽  ▽


「な、なつきち! そろそろ休憩とかどうかな!」
「どんな特訓にでも耐えるって言ったの誰だよ……」

 案の定というかなんというか、いよいよ音を上げ始めただりーにアタシは呆れ声で応えた。
 こうしてお互いのスケジュールの合間を縫ってトレーニングするようになって、もう一週間になる。
 とはいえ、時間相応の成果が上がってるかっていったら、それはどうも微妙な線で。
 だりーにやる気がないわけじゃないというか、むしろ有り余っているんだが、なんか空回ってるんだよな。
 エネルギーのペース配分が下手っていうのかね。張り切りすぎるタイプなんだよなぁ。

「しゃーねーな、確かにしばらく根詰めっぱなしだったし。ここらで一息つくか」
「やったーっ! なつきち優しい!」

 やれやれ、現金なヤツ。
 だけどそうやって喜ぶ顔を見てるとたまには悪くないかって思っちまうから、アタシも甘いな。
 ただ、あいつがサボりたがってるってわけじゃないのははっきりしてる。
 自分でもどうすればいいのか分からないんだろう。スランプと言えば聞こえがいいけどさ。

《About growing up and what a struggle it would be(成長するってこんなにも大変なことなんだ)》

 どうすれば今の自分を越えていけるのか、その答えが見つからなくて、知らず知らずに焦ってんだ。
 そして、その答えをアタシは与えてやれない。それはきっとだりー自身が見つけなきゃいけないことだから。

(とはいえ、放っとくのもなんだかな……どーしたもんかね)

 と、そんなことを考えていたらだりーの姿が見えない。
 何処に行ったのかと思ったら、自分の荷物の前で何やら携帯CDプレイヤーをガチャガチャやっていた。
 隠すことでもないだろうに、アタシに見つかったのに気付いただりーは決まり悪そうに、
 「そ、そろそろロック成分を補給しなきゃって……」などとごにょごにょ言っている。

(なんだ、腐ってるかと思ったら前向きじゃねーか) 

 思わず笑みがこぼれる。

「せっかくだから、こっち聴こうぜ」

 アタシは自分のバッグから、白地に拳を突き上げるシルエットが配されたジャケットのCDを取り出した。
 前に「UKロックって何?」とか言われて頭抱えて以来、いつか聞かせてやらなきゃいけないと思ってたアルバムだ。
 ジャケットの真ん中に大きく『JEWELS』とプリントされたそいつをちらつかせると、案の定だりーは興味津々で食いついてきた。

「なになに、なつきち! なんのアルバム!?」
「だりーの大好きなUKロックだぜ。ビートルズじゃ芸がないし、U2みたいのはお行儀が良すぎるからな」

 以前の失態を掘り返されて渋い顔のだりーにジャケットごと押し付ける。

「日本で企画されたアルバムでさ。貸してやるよ、たぶんグレイテスト―ヒッツよりも入りやすいんじゃねーかな」
「べ、別に入門用なんかじゃなくったって大丈夫なのに」

 口ではそう言いながらも、だりーはシンプルな真っ白のディスクを取り出してプレイヤーにセットした。 
 いつものヘッドホンをアタシが持ってきたカナル式のイヤホンに差し替えて、二人で片耳ずつ嵌める。
 そうしてアタシ達ふたりは、背中合わせに寄りかかり合って、やがて流れ出すビートに身を任せる用意をした。
 汗ばんだシャツを挟んだ背中越しに、互いの温度とこれから始まる音楽体験への期待を感じる。
 そして、だりーの指がプレイヤーの再生ボタンを押した。

《A brand new start(新たな始まりだ)》

 ありとあらゆる"ロック"が、この一枚のアルバムには凝縮されていた。

 溢れかえるほどの愛を歌った歌がある。何もかも突っぱねる反骨精神に満ちた歌がある。
 計り知れない孤独に耐える歌がある。在りし日に思いを馳せる哀愁の歌がある。
 明日さえ知れない刹那の足掻きの歌がある。そして死を目の前にして、それでも笑ってみせる命の歌がある。

 ロックとは、すべてだ。このアルバムを聞いてると、アタシは改めてそう思う。

「……ねえ、なつきち」

 どれくらい黙って聞いていただろう。だりーが、ふと口を開いた。

「なんだ?」
「やっぱり、ロックってカッコいいね」
「ああ、そうだな」
「あっ、カッコいいだけじゃなくて、もっと巧いこと言ったほうがいいのかな」

 そうやって見てくれを気にする癖は、なかなか治らないもんだな。

「……いいんじゃないか? 今は『カッコいい』だけでさ」
「えっ?」
「お前もきっと見つけるよ。自分なりのロックってやつを。そういうのってさ、運命なんだぜ」
「……あははは、なつきち、ロマンチストだ」
「なーに笑ってんだよ、ったく。人がせっかく応援してやってんのに」
「はは、ごめん……でも、ありがとう」

 だりーが後ろ向きに伸ばした手が、アタシの指に微かに触れる。

「私がアイドルになる前よりずっと、ロックな自分になりたいって思うようになったの、なつきちのおかげだよ」

 ……柄にもなく顔が火照った。今ほど背中合わせに感謝したことはない。
 こいつ時々、びっくりするほど真っ直ぐなとこ見せるんだよなぁ……心臓に悪いぜ。
 だけどさ、感謝してんのはお前だけじゃないんだぜ、だりー。

《You know I'll never be lonely(いつだって一人じゃない)》

 自分なりの道を探そうと頑張るお前を見てるから、アタシだって走れるんだ。
 お前と違って、そんなこと口に出したりしないけどな。ざまぁ見やがれ、ははっ。

「ねえ、なつきち。私、もっと頑張るよ。きっといつか、自分のロックを見つけたい」
「その意気だ、だりー。今度のLiveなんてそのための通過点さ。そう思えば気楽なもんだろ」
「簡単に言うなぁ……でも、そうかもね」

《Pray tomorrow - gets me higher(明日へ祈ろう、更なる高みへ連れてってくれと)》

 片耳だけのイヤホンから聞こえる伸びのあるハイトーンが鼓膜を震わす。
 ああ、畜生、やっぱりカッコいいな。
 そして意外といいもんだ、同じようにカッコいいと思ってくれるヤツが隣にいるってのは。



   ▽  ▽  ▽



 それからの日々は目も眩む速さで過ぎ去った。
 この日のために出来ることはなんだってやったし、トレーニングの密度も日を追って上がっていった。
 それが最高の結果を出すための最短ルートだったのかは、アタシにもだりーにも分かりはしない。
 それでも無駄なことなんかしてこなかったと言い切れるくらい、アタシ達の熱意は本物だった。
 もちろん、ステージに上がるのはアタシじゃない。それでも、相棒のことは自分の体のようにわかる。
 アタシは疑ってなかった。だりーが確実に成長していること。そしてこの大一番を越えれば、更に変われることを。

 今、アタシ達はサマーライブ会場の舞台袖で、まさに始まろうとするラストLiveに備えていた。
 本来なら部外者のアタシはここにいちゃいけないんだが、プロデューサーに無理言っていれてもらったのだ。
 そのプロデューサーは最後の調整で大わらわで、舞台裏を駆け回りながらスタッフに声を掛けている。
 おかげでアタシにだりーを舞台に送り出す役が回ってきたわけだ。これまでといい、まるで専属セコンドだな。
 もっとも、だりーを一番近い場所で送り出してやりたかったから、この状況は願ったり叶ったりだった。

 そのだりーは赤を基調としたロック調の衣装に身を包み、いつでもステージに躍り出る準備は出来ていた。
 ロックに決めるって言ってたくせに可愛い系の衣装に目移りしてた件は、今のがサマになってるから流してやろう。

 野外ステージの方からは、まだインターバルだっていうのに期待に満ちたざわめきが聞こえてくる。
 観客席を埋め尽くすファン達の、果たしてどれほどがだりーのファンなんだろうか。
 元からのファンもいるし、そうでない人も多いだろう。だりーのことをよく知らない人達だっているはずだ。
 それでも、みんな待っている。これまで数多くの興奮と感動を与えてくれたサマーライブ、その最後の山場を。
 この一大イベントを通して高まり切ったボルテージを爆発させてくれる瞬間を待っている。そう、だからこそ。

《So don't become some background noise(聞き流されるノイズになっちゃ駄目なんだ)》

 渾身のLiveで、今まで自分のことを知らなかった観客すらも熱狂の渦に叩き込んでやるしかない。
 ロッキングガール多田李衣菜の存在を、このステージに居合わせた誰もに焼き付けてやらなきゃな。

「……だりー、平気か?」
「うん……正直言うと、ちょっと震えてる、かも」
「武者震いだって思っとけ。お前のロック魂が嬉しくて震えてるってな」

 そうだ。ここまで来たら、立ち向かうしかない。それにアタシだって見たいんだ、今のだりーの全力全開を。

「アタシは一緒にステージには上がってやれない。だけどさ、信じてるぜ。必ずやってくれるって」
「うん、分かってる。私のロックなハートで、ファンのみんな一人残らず完全燃焼させちゃうから」

 僅かに不安の色をちらつかせながら、それでも目を逸らさずにそう言い切るだりーを見て、アタシは確信した。
 こいつは何かを成し遂げるヤツの顔だ、ってさ。

《Ain't gonna face no defeat(もう絶対に挫折したりはしないだろう)》

 だから今のアタシに出来るのは、全力でエールを送ってやることだけだ。

 どちらからともなく、アタシ達は握った手を突き出していた。
 拳と拳を打ち合わせる。それだけで、伝わるものがあった。だから語る言葉は、あとは一言で十分だ。

「――行ってきます!」
「ああ、行ってこい!」


 こうして、アイドル多田李衣菜の運命のLiveは始まった。


   ▽  ▽  ▽



「みんなーっ! 盛り上がってるーっ? へへっ、今日は最後までロックに行くよーっ!」

 躍動するリズム。驀進するビート。炸裂するメロディー。

 だりーの粗削りな、洗練という言葉からはまだまだ遠い、だけど疑いようもないくらい懸命なLiveが続く。
 確かにだりーは、ロックなアイドルとしてはまだまだ未熟かもしれない。自分自身のロックを見つけられてないから尚更だ。
 だけど、今はそんなことは関係なかった。
 だりーが少しずつ新たな観客を虜にしつつあるのは、確実に激しさを増す歓声を耳にすれば明らかだ。
 にわかロッカーだと笑わば笑え。それでもだりーのロックは、確実に会場中のハートに響きつつある。
 技術だけがロックじゃない。信条だけがロックじゃない。今という壁を打ち崩す、そのパワーあってこそのロックなんだ。
 今までだりーのことを気にも止めてなかったやつだってこのLiveを体験すれば考えも変わる、それだけのエネルギーがここにあった。

《Guaranteed to blow your mind anytime(いつでも君の心を吹っ飛ばせるよ)》

 人の心を奪うのがアイドルなら、今のだりーは、誰が見たってアイドルだ。

「すごい……」

 夢中で応援していたアタシは、すぐ隣から聞こえた突然の呟きで我に返った。
 いつからいたのか、アタシの隣に小柄な子が立っていて、感嘆の声を漏らしていた。
 舞台袖からステージを見れるのだから関係者なんだろうが、見たことがあるような無いような。
 パツンと一直線に切り揃えた前髪に目立たない眼鏡。お揃いのイベントTシャツを着ているから、スタッフか出番の終わった出演者か。
 仮に出演者だとしたら、眼鏡のアイドルは少ないから見たら分かりそうなもんだが。
 とはいえ今のその子は、アタシと同じにただの観客に過ぎなかったから、詮索はしなかった。

「すげぇだろ? あれが多田李衣菜だ」

 やれやれ。見ず知らずの子に何を自分のことみたいに自慢してんだろうね、アタシは。
 それでもそういうことを言ってしまいたくなるくらいに、今のだりーは眩しかった。
 この子にもその輝きが伝わっているのは間違いないはずだ。食い入るような視線を逸らそうとはしないから。

「なんでこんなにも輝けるの……? なんでこんなに、人の心を動かせるの……?」
「なんでって? そりゃあ、あれがアイツのやりたいことだからだよ」

 そう、それがアタシにはくすぐったいくらいに誇らしかった。
 あれが、だりーが選んで勝ち取った輝きだ。アタシと二人で、この瞬間のために磨き続けた輝きだ。
 それがこの子を、アタシを、満場のギャラリー達を揺り動かしていく。
 会場の全てに、多田李衣菜のハートビートが伝播していく。声を上げるたび、体をターンさせるたびに加速する。
 見てるか、みんな? あれがだりーだ。どうだ、凄いだろ?

「人形じゃないんですね、あの人は……ううん、本物のアイドルはみんな……」
「ははっ、もしアイツが人形でも、今なら糸を引きちぎってでも駆け回るんじゃねえかな」

 隣の子は、何か鬼気迫るくらいの必死さで、だりーのステージに見入っている。 
 この子の言う通り、操られるだけの人形なんかじゃない。だりーも、そしてアタシもだ。
 自分の意志で、自分の夢を追いかけてるんだ。自分の力で、この地面を踏みしめて。

《I'm standing on my own two feet(アタシは、こうして自分の足で立ってるんだ)》

 アタシだって負けてられるか。だりーにいいとこ持ってかれるばかりじゃカッコつかねーし。
 次はステージで決着つけようじゃねーか。いや、逆にセッションってのもありかもしれないな。
 ははっ、火が付いてきやがった。責任取れよ、だりー。

 そのだりーのステージは、いよいよ最後のサビに突入していた。
 ステージ上でだりーがジャンプを決めると、会場全体が鳴動するような錯覚すら感じた。
 ボルテージは最高潮。いや、その先へ、更に上へ。
 上限なんかないんだ。持てる力を出し切れば、それだけ高くへ行けるはずだ。

「よし、行け、だりー……!」

 拳を握り締める。無意識に体がビートを刻む。
 これがフィニッシュだ、ビシっと決めてみせろ。お前のロックを見せてやれ!

 熱気で霞みそうになる視界の先で、だりーがあのCDジャケットのフレディ―マーキュリーのように拳を突き上げた。


   ▽  ▽  ▽


 打ち上げに参加してほしいとねだるだりーをあしらって、アタシはひとり帰路に就いていた。
 スタッフ側のブースに入れてもらえてたとはいえ、流石に参加者でも無いのに行ったらマズいだろ。
 それに終電ギリギリだし、今夜ばかりはプロデューサーに送ってもらうわけにはいかないからな。
 いくらステージが大成功だったからって、だりーのやつ浮かれすぎだっての。

 そう、だりーのステージは夜空も割れんばかりの拍手喝采で幕を閉じた。
 あとでプロデューサーの様子を見に行ったら、魂抜けたみたいにぼんやりしていたぐらいだ。
 プロデューサーに限らず、きっと誰にとっても予想外のステージだったに違いない。
 きっとアタシ以外の誰にとっても、だけどな。

 きっとあいつは無我夢中で、今は何を成し遂げたのか分かっちゃいないだろう。
 だけどきっといつか必ず、自分なりの何かに気付けるんじゃないか。そう思えるLiveだった。

「ほんとに凄いステージだったわね。見ているこっちが熱気で溶けちゃいそうだったくらい」
「おわっ!? ちひろさん、いったいいつの間に……」
「さっきからいましたよー。夏樹ちゃん、ずっと上の空だったんだもの」

 突然の声に振り向くと、一歩遅れてアタシの隣を歩く事務員のちひろさんの姿があった。
 あの前髪パッツンの子といい、今日は人の気配に気付かない日だな。
 それだけアタシがLiveに没頭してたってことかもしれないけどさ。

「ねえ、夏樹ちゃん。李衣菜ちゃんのステージ、夏樹ちゃんから見てどうだった?」

 そんなアタシの考えをよそに、ちひろさんはアタシにそんな質問を向けてくる。
 どうだったも何も、あのLiveを見て燃えなかったやつがいたらお目にかかりたいもんだけど。
 そう言うと、ちひろさんは「そういうことじゃないの」と首を振った。

「今だから言っちゃうけど、李衣菜ちゃんってもっとポップで可愛いほうが合うんじゃないかって思ってたから。
 今回のステージはロック路線だったでしょ? 李衣菜ちゃんにとって、ロックは彼女に合った生き方なのかしら。
夏樹ちゃんから見て、李衣菜ちゃんはロックなのか気になったの。ロッキングアイドルの先輩としてどうなのかなって」

 なるほどね、そういうことか。
 なんで生き方なんて表現なのかは知らないが、確かに今回のLiveはだりーにとって分岐点になるのかもしれない。
 本格的にロックな方向に舵を切ることは、もしかしたらだりーにとってはしんどい選択なのかもな。
 やりたいことやなりたい自分に蓋をして、無難に可愛らしいアイドルをやっていけば、もっと確実に上手く行くだろう。
 それだけの地力があいつにあることは、皮肉にも今日のステージが証明しちゃったし。
 でもさ。それでもアタシは、こう思う。

《She knows how to Rock'n'roll(あいつはロックが何か知ってるよ)》

 あいつは確かにロックのことなんてまだ全然分かってないと思う。だけど、あいつにはロックが分かってるとも思うんだ。
 ロックってのは、がむしゃらに、ひたすらに、真っ直ぐにぶつかっていくものだから。
 あいつ自身は自覚してないかも知れないけど、そういう本質が、本当のロックの魂が、
 だりーの中にはあるんじゃないかって、アタシのロック魂がそう言うんだよ。根拠なんてないけどな。

 そんなことを言ったら、ちひろさんはきょとんとした顔をして、それから何故かおかしそうに笑った。
 何か変なことを言ったのかと思ったけど、どうやらそういうわけじゃないらしい。

「いいえっ。またひとつ、楽しみが増えたなって思っただけです」
「楽しみ?」
「ふふっ、こっちの話ですっ」

 いたずらっぽく人差し指を自分の唇に当てるもんだから、深く聞く気は削がれてしまった。
 それにしても、この人も大概謎だよなぁ。いったい何考えてるのやら。
 そんなアタシの考えが見透かされていたのか、ちひろさんはアタシの顔を覗き込むようにして口を開いた。

「でもね夏樹ちゃん。自分の生き方を貫くことは、真っ直ぐに見えて遠回りなのかもしれないわ。
 夏樹ちゃんは、そして夏樹ちゃんが言う通りなら李衣菜ちゃんも、知らず知らずのうちに生きる選択を狭めるかもしれない。
 信念を守ろうとさえしなければ、もっと賢い選択が出来たかもしれないのに、別の未来があったかもしれないのに、ってね」


 突然に真面目な口調になったから、面食らった。……ロックの話をしてるんだよな?

「偉そうなこと言っても、こんなこと誰よりもロックを知ってる夏樹ちゃんには釈迦に説法でしょうけど、ね。
 変な言い方になっちゃってごめんなさい。私は、夏樹ちゃんがこれからも夏樹ちゃんらしくあることを『期待』するわ」

 言うだけ言っておいて、そのままおやすみなさいと告げるとちひろさんはそのまま小走りで駅の方角へ走っていった。
 置き去りにされたアタシは反射的に手を振りながら、今の言葉の真意を読みきれずにいた。
 いったい何を言いたかったんだろう。少なくともアタシの生き方に苦言を呈したわけじゃなさそうだ。
 忠告だとしたら、いったい何のための? やっぱりあの人の考えはよく分からない。

「しかし、真っ直ぐに見えて遠回り、か。ああ、よーく分かってるよ」

 ただ言われたことにだけは心当たりがありすぎて、思わず苦笑が漏れた。
 ロックは反抗の音楽だ。ロックであることは、何かとぶつかり続けることとイコールだ。
 きっとアタシは、アタシが目指す数多のロックスターと同じように、きっと永遠にスマートには生きられないに違いない。
 アタシの生き方は、傍から見たらひどく不器用で危なっかしく見えるのかもしれない。

 それでもアタシは信じる。どんなにカッコ悪く見えようと、アタシの中にあるこの憧れだけは本物だから。
 ぶつかり続けて、転がり続けて、それでも、自分だけの道を自分なりに真っ直ぐに突き進んだやつだけが、

《No one but the pure in heart(純粋な心の持ち主だけが、)》

 本当のロックを、本当の輝きを手に入れられると、そう信じる。

 最後の瞬間まで自分の命を叩きつけるように生きてやろうと、最高に熱い夜の余韻の中で、アタシはそう思ったんだ。



   ▼  ▼  ▼





 ――そして、その瞬間は、想像していたよりも早くにやってきた。





   ▼  ▼  ▼



 ――なにもない舞台の上に、どうして私たちは生きているのか

 ――この見捨てられた場所でなにが起こっているのか、それを誰が知るだろう

 ――私たちがここでなにを探しているのか、それを誰が知るだろう


            (殺らなきゃ、殺られる。アタシも、プロデューサーも。そういうことかよ)

    (それは……それは! プロデューサーに買ってもらった大事なヘッドフォンなんだ!)

        (“We Will Rock You”……必ずアッと言わせてやるぜ、だ)


 ――またひとり、私たちの中の誰かが心無い悲劇に襲われる

 ――舞台を隠す暗幕の裏で声をあげることすら叶わずに


            (勝てよ。今アンタが考えていることは全部間違ってる。アイドルはLive(生き様)だ)

     (……そっか、大事なこと忘れてた)

       (まだ最後の瞬間まで、出来ることがあるよね)
                            (負けるなよ、『希望』のアイドル)


 ――いったい、誰がどうしてこんなことを望むのか


          (…………いいな。これだったら……二人で、ロックの神様の元に行けるぜ)

     (どうか、無事で……あります……よう…………に)

               (…………は、……ははは、はははは…………、やっぱ、だりーは見所あるよ)



 ――しかし、それでも――……



              (ろ、ロックに行くぜ――――ッ)





《The show - the show must go on(ショーは続けられなくてはいけない。ショーを止めてはいけない)》



   ………………

   …………

   ……



   ▼  ▼  ▼




 いつの間にか、日は高く上がっていた。
 窓に掛かったレースのカーテンの隙間から、光の束が屋内に投げかけられる。


 その眩しさに顔をしかめることもなく、二人の少女は、壁際にもたれて互いに寄り添うように座っていた。


 全身に広がる痛ましいほどの緋色の染みと、涙ぐましいばかりの治療の跡さえなければ、
 あるいは友達同士が午後の日差しの中で仲良く眠りに落ちているように見えたかもしれない。


 だけど、苛酷なまでの現実が、逃れようのない事実が、そこには確かにあった。


 彼女たちは、同じ夢を抱いて生きた彼女たちは、もう二度と動くことも歌うこともない。


 それでも、誰かがここにいたならば、二人の横顔はどこか満ち足りてすらいるように感じるだろう。
 二人は何も語らない。代わりに、ヘッドフォンから流れ出す歌声だけが微かに響いていた。
 あの日、二人で一緒に聞いたあのアルバムが、リピートを経てまた何度目かの終わりを迎えようとしていた。


 彼女たちが何を信じて生き、最後に何を勝ち取ったのかは、結局のところ、彼女達だけが知っているのだろう。
 そう誰でもない誰かに告げるかのように、最後のフレーズが流れる。 




《Anyway the wind blows...(……いずれにせよ、ただ風は吹くのさ)》




                                        ..."JEWELS" fin


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最終更新:2014年02月27日 21:06