ヒトコロスイッチ ◆RVPB6Jwg7w
「――さんが、探してましたよ?」
「ふぎゃっ!?」
ウトウトしていた所に唐突に声をかけられて、少女は奇声を上げて跳ね起きた。
薄暗くホコリ臭い一室の片隅。
事務所の片隅。
ちょうど倉庫のように使われている人の気配に乏しいスペースで。
目にも鮮やかな黄緑色の制服をまとった女性は、苦笑を浮かべつつ。
暗幕らしき布の山の中に半ば埋もれたTシャツ姿の少女を、見下ろしている。
なお、本日の少女のTシャツの一言は『毎日が日曜日』。妙に達筆である。
「あー…………ちひろさんかー」
「今日のレッスンを受け持つ予定だったトレーナーさんもカンカンでしたよ~。
双葉杏ちゃんがどこにも居ない、いつまで経っても来ない、って」
ボリボリと腹を掻く少女に背を向けて、棚の中を漁りながら事務員は言う。その口調はどこか楽しそうだ。
もはや日常と化した、サボリ癖のあるアイドルと、それを働かせようとするプロデューサーとの攻防戦。
少女は心底面倒くさそうな様子で、床にあぐらをかく。
「ねえ、見逃してくれない?
ここって、ホントいい穴場だったんだよねぇ」
「ん~、まあ、そうですねぇ。
いちいち告げ口に行くほど、私もヒマじゃあないですけど。
立場上、もし尋ねられたら答えない訳にはいかないですねー。『杏ちゃんならあそこに居ましたよ』って」
「仕方ないなぁ……。
場所変えて寝なおすかァ」
未開封のコピー用紙の束を引っ張り出して微笑む
千川ちひろに、双葉杏は嫌々ながらに立ち上がる。
いまだ担当プロデューサーに知られていない隠れ家的スペースが露呈するリスクと、別の場所に移動する労力。
両者を秤にかけた上での苦渋の決断、といった雰囲気が、その全身から発せられている。
薄汚れた桃色の を引きずりながら、杏はちひろと連れ立つようにして部屋の外へ。
「ところで『ソレ』、よく持って歩いてますけど――何か大切なモノなんですか?」
「え?」
何気なくちひろに尋ねられて、杏は少し首を傾げる。
彼女の視線を追って片手にぶら下げた に目をやって、軽く溜息ひとつ。
「大切、ってのは違うかなぁ。そんな大げさなモンじゃないよ」
「そうなんですか? でも……」
「大事な物ならこんな雑に扱わないって。
なんとなく、だよ。
ほんと、なんとなく家から持ってきちゃっただけ。その辺に放っておくわけにもいかないでしょ」
部屋から出て廊下に出て、それっきり挨拶もせず、双葉杏はちひろとは反対側の方向に向かって歩いていく。
ちひろは予備のコピー用紙を抱えたまま、しばし足を止めて彼女の背を見送る。
その小さな背が廊下の角を曲がって姿が見えなくなった途端、
「見つけたぞー!」「ぎゃーっ! とんだ藪蛇だー!」などと叫び声が聞こえ、ドタバタと走る足音が続くが。
千川ちひろは、小さく唇の端を釣り上げたきりで。
「……それが、『大切』ってことなんですよ」
口の中でひとりつぶやいて、身を翻す。
それが、この大がかりな『イベント』の、およそ半月ほど前にあった出来事。
いや、出来事と呼ぶにも小さすぎる、ほんの些細な日常の一幕、だった。
* * *
「口裏を、合わせておきましょう」
「それはいいけどさー、なんでレトルトカレーにレトルトのご飯なわけ?
いや、嫌いって訳じゃないけどさぁ」
夕陽の差し込むログハウスの中、2人の人物が食卓を囲んでいた。
いや、食卓と呼ぶには随分と簡単なメニュー。
ホームパーティの場などで使われる、使い捨ての紙の器に盛られたカレーライスが2人分。
添えられたプラスチックのスプーンも大量生産された使い捨てのもの。
子供のようにしか見えない小柄な少女が、眼鏡をかけた理知的な女性に不満げな視線を向けるが。
「カップラーメンの方が好みだったかしら?
……実のところね、材料だけならアッチの方にけっこうあるのよ。
お肉は相当な量が冷凍してあったし、タマネギにジャガイモにニンジン、カレールーも揃ってた。
お米もあったわね。それこそ手間をかければ、カレーくらいは作れる条件は整っているわ」
まるで気を悪くした様子も見せず、眼鏡の女性――
相川千夏は、淡々と説明する。
彼女の視線の先には、売店コーナーの奥、ちょっとした大きさの冷蔵庫と棚がある。
「ただ材料はあっても、調理器具が足りない。電子レンジと小さなコンロと、やかんくらいしかない。
いえ、あるにはあるのよ?
大きな鉄板とか、飯ごうとか、そこのコンロだとはみ出るくらいに大きなお鍋とか」
「あー、そっか、『外』で使うためのものか……」
理解した、といった風な表情で、小柄な少女――双葉杏は近くの壁を見上げる。
このキャンプ場の簡単な絵地図が描かれたポスター。
その一角には、確かにバーベキュー場が描かれている。
スプーンでカレーを口元に運び、軽く咀嚼し嚥下すると、千夏は言葉を続ける。
「いくらなんでも、炭火を起こして飯ごう炊飯を楽しむ気にもなれないでしょう?
ましてや、2人分だけって状況では」
「まあねぇ。
そうすると、こんなレトルトも置いてる理由ってさ、要はお客さんがミスった時用ってこと?」
「でしょうね。
あるいはカレー以外のメニューをメインに据えていて、あと1品増やしたいとか、少し食べたりないとか。
商品としても日持ちするし、こういう場所で置いておけばそれなりに捌けるでしょうね」
キャンプ場入口の事務所の役目を果たすログハウス、事務所に併設された小さな売店。
そこにはお土産から何から、様々なものが扱われている。
2人はしばらく、無言でカレーを食べ続ける。
「――それで、口裏合わせのことだけど」
「えー、適当でいいじゃん。水族館でのことだよね?」
「ダメよ。
私もそう複雑な嘘をつくつもりはないけれど。
それでも、つまらないミスで冷や汗をかくのは、もうこりごりなのよ」
面倒くさい、という態度を隠そうともしない杏に対し、千夏は眼鏡を光らせる。
その迫力に杏は軽く首をすくめてみせる。
その『つまらないミス』の揚げ足取りで『冷や汗をかかせた』のは、他ならぬ双葉杏である。
こういう言い方をされては、拒めない。
「まあ、でも私からの提案は単純よ。
『私たちが『行動』した、という事実だけ伏せ、あとはおおむね真実を語ることにする』。
言ってみれば、ただこれだけ」
「えーっと、それってつまり……
杏たちが気付いて駆けつけた時には、2人は倒れて燃えていた、ってこと?
誰が何をしたのかは知らないけど、2人とも手遅れだった、って」
「ええ。
その直前まで私たち2人が一緒にいたことも。
一緒に現場へと向かったことも。
あなたが消火器を持ってきて消火したことも。
すべて、そのまま、ありのままを語ればいいわ。
語る必要がある局面に遭遇したら、だけど」
夕陽の傾く窓の外、動くものは何もない。
不穏な密談にはまったく不向きな、のどかな風景だ。
「そして……そうなると。
2人の死体を発見した『私たち』が疑ってしかるべき『容疑者』は誰か、分かるわよね?」
「うん。
『
渋谷凛』、だよね。
2人の死亡と前後して、いつの間にか居なくなっちゃってた人。
――なるほどね。
放送が流れてあの2人が呼ばれたら、向こうはコッチを疑うはずだもんね。
でも、あっちは1人きりで、こっちは2人。
『アリバイ』を保証しあえる杏たちの方が有利、ってことか」
「察しが良くて助かるわ」
微かな微笑みを浮かべて、千夏は頷いてみせる。
そう、少し考えれば分かる話。
渋谷凛は、遠からず『容疑者』として杏と千夏のことを疑うに決まっている。
2人が『同盟』を組んでいることまでは読めないかもしれないが、片方だけかもしれないが、それでも。
そして人探しのために島中を巡る予定の彼女は、その疑いまでも吹聴して回る可能性すらある。
下手すれば今後2人は、初対面の相手からさえ、人殺し扱いされかねないのだ。
『ヒロイン』路線を自覚する2人にとっても、そういう扱いをされることは面倒この上ない。
『アイドル』の群れに紛れ込んでおいて寝首を掻くスタイルを志向する2人なら、尚更である。
ゆえにだからこそ、この千夏の提案が活きてくる。
仮に凛の話を鵜呑みにした誰かに糾弾されても、この案なら『嘘つき』のレッテルを凛の側に丸投げできる。
そもそも縁の薄い『ヒロイン』が2人、図って手を組むということ自体が多くの者の想像を超える事態なのだ。
この『嘘』は、相当に、強い。
「それこそ、本人と出くわしてしまった場合にも、この推測に基づいて立ち回りましょう」
「この人殺しー、って非難する?」
「まあ否定はされるでしょうけどね。
こっちも『殺害の瞬間』は見ていないことになっている以上、責めきれない訳だし。
お互いに殺人者のレッテルを押し付け合った末に、第三者の犯行ってことで落ち着くんじゃないかしら」
その場合、こっそり忍び寄って2人を殺し、2人を残してこっそり立ち去った『第三者』の行動が謎になるが。
あまり嘘に深入りし過ぎても仕方がない。謎が少し残るくらいが、おそらく丁度いい。
「了解~。
あとは実際に誰かと出くわしてから考える感じだね~。アドリブ勝負ってことで」
その辺は杏も理解していたのだろう。
こずるい笑顔を浮かべて、何度も頷いたのだった。
* * *
食事を終えて、汚れた紙皿とスプーンをゴミ箱に放りすてた頃に、放送は始まった。
それぞれにジュースとコーヒーを紙コップに注いだ2人は、放送の余韻が消えるのを待って口を開く。
「――禁止エリアは、今度は大丈夫、っと。それにしても雨かぁ」
「――ふぅ。
『あの2人』が同時に脱落、ね……。
『見事刺し違えた』、と見るのは想像しすぎかしら」
「??
誰のこと?」
「こっちの話よ。あなたが知らなくても大丈夫な話」
独り言に対する杏の追及をそっけなく拒むと、コーヒーを一口飲んで、千夏は視線を上げる。
ログハウスの中は、既に灯された電燈の明かりで照らされている。
「ところで、これからのことだけど」
「言っとくけど、雨の中歩くのはヤだよー」
「分かってるわよ。
だからいっそのこと、『長い休み』をココで取ってしまいましょう?」
面倒臭がりの杏でなくとも、雨の降る夜中に歩き回って嬉しい者なんていない。
雨は夜更け過ぎには上がるという予報が告げられていたが、千夏はさらに踏み込んだ提案をする。
「どうせなら、朝が来るまでここに留まる。
そしてせっかく2人いるんだから、片方が見張り役で、もう片方が熟睡。
これを放送ごとに6時間交代」
「ふむふむ」
「ここを訪れる人がいたら、見張り役担当が対応。
できるだけ寝ている方は起こさない。
少なくとも朝までは、可能な限り荒事は避ける。
――こんな感じでどうかしら?」
「いいねぇ。
んじゃ、まずは杏がお先に休むってことで――っ!?」
ちゃっかり『先に寝る番』を取ろうとした杏は、そして千夏の視線に射すくめられる。
ヘラヘラした杏の笑いも凍り付くような、鋭い視線。
目の力だけで相手の発言を封じつつ、千夏は淡々と語り始める。
「――私はね。
『双葉杏』という人物のことを、高く評価しているの。
たぶん、あなた自身が思うよりも、ずっと高くね」
「い、いやぁ。
そ、それは言い過ぎじゃないかなぁ?」
「いいえ。過大評価なんかじゃないわ。
怠惰な性格は噂に聞いていたし、こうして向き合ってみてもそれは分かるけど。
同時に、レッスンをサボりまくっても結果を出せる天性の才能がある。
必要最小限の仕事で、世に名を売る要領の良さがある。
頭の回転も速いし、目の付け所は鋭いし、土壇場での度胸も、思い切りの良さもある。
本当に私は、あなたを『大したもの』だと思っているのよ?」
口ではベタ褒めしつつも、千夏は真顔だ。
うわ、やりづらぁ。
杏は心の中で声に出さずにつぶやく。
怠け者の杏としては、大抵の場合、過小評価してもらった方が色々とやりやすいのに。
「水族館でも、私の『嘘』に気づいて看破できたのはあなただけ。
だから、誤魔化せないわよ?
少なくとも私に対して、無能を装うのは無駄だと悟りなさい」
「……ひょっとして千夏さん、根に持ってる……?」
「何のことかしらね?
そして『頭の良い』あなたなら、そう不用意な嘘はついていないわよね? 私と違って?
殺人行為を伏せはしたけれど、それ以外の部分については、おおむね真実を語っている。
そうでしょう?」
淡々と言葉を重ねる千夏に、えも言われぬ圧迫感を感じ取る。
いけない。
このままでは反論の余地なくやり込められる。
そう予感しながらも、杏には返す言葉が見つからない。
「――聞いたわよ?
ベッドでたっぷり、それこそ放送を聞きのがすくらいに、熟睡してた、って」
「ううっ……!」
「対する私の側は、本当は椅子に座って待ち伏せをしながら、少しばかりウトウトしただけ。
正直ね、かなり限界が近いのよ。
このままベッドに飛び込んだら今すぐにでも意識が飛びそうなくらい。
分かるわよね――『本当は頭のいい』あなたなら、どういう選択肢が一番『賢い』か、って。
どうすれば一番『最終的にラクができて』『生き残りにも有利か』、ね?」
相川千夏は断言すると、クールな彼女には珍しく、ニッコリと笑ってみせた。
双葉杏は、仏頂面よりも怖い笑顔というものがこの世に存在することを、身をもって思い知らされた。
* * *
暗い『陶芸体験教室』の片隅に即席の寝床をつくりながら、相川千夏はひとり考える。
ログハウスの玄関口に通じる広い部屋には、灯りを灯して双葉杏が見張り役。
さきほど、ヒマ潰しに、と言いながら、陶芸教室から画板のような下敷きの板と粘土を一塊、持ち出していた。
まあ、ゲームもTVもネット環境もない以上、ヒマなのは確かなのだが。
ここに残されていた粘土の羊は、そんな気まぐれを起こすに十分な程の造形美を備えていた。
粘土製の『双葉杏』は叩き潰した彼女も、並んでいた羊にまでハンマーを振り下ろすことはなかった。
きっと杏は今頃、羊と並べられるような『作品』の制作に勤しんでいるのだろう。
まあ、杏が『そこ』に居る限り、奥まった部屋にいる千夏がいきなり襲われる心配はない。
なので粘土遊びでもなんでも、好きにしていてもらおう。
キャンプ場利用者へのレンタル用として倉庫に用意されていた毛布を敷きながら、千夏は思考を整理する。
(既に当初の、『6時間ごとに休憩と活動を繰り返す』方針は、破綻している……。
でもあの作戦の本質は『休憩を意識して取り、スタミナ面での優位を意識して保つこと』。
これはこれで、悪くはない)
硬い床に毛布を2枚重ねて敷いて、敷布団代わりとする。
キャンプ用品としては寝袋も見つけてはいたが、これはちょっと使いづらい。
寝具として十分な機能を備えている一方、咄嗟の場合に飛び出すことが困難なのだ。
仮に誰かの襲撃を受けたとして、芋虫状態のまま殺されるとかマヌケにも程がある。
なのでこの寝袋は、袋に詰められた円筒形の形のまま、枕替わりに使わせてもらうことにする。
掛け布団については、抱えて持ってきた毛布の余裕がまだまだある。
事務所スペースの奥にはもう一つ目立たない扉があって、その先はちょっとした倉庫になっていたのだ。
(さっきは少し褒めすぎた感はあるけれど、双葉杏が意外と論理的なのは間違いない。
だからたぶん、『今はまだ』彼女は私を裏切らない。『今はまだ』私を切り捨てない。
私のように話の分かる協力者というのは得難い存在のはずだし、そうそう裏切られることはないはず)
寝床の目途がついた彼女は、しゅるり、と両手の長手袋をはずす。
暗がりの中にも鮮やかに、左手に巻かれた白い包帯が姿を現す。
続いて、チャイナドレスもジッパーを降ろして、下着姿に。
いくらなんでも、このままステージにも上れそうな衣装で寝る訳にはいかない。
脱いだ服を手近な椅子の背にかけ、ガーターストッキングも外しにかかる。
(それにしても……やはり、違和感があるのよね。
双葉杏。
唯ちゃんから話に聞いていた印象だと、もっとこう、自然体というか、善良というか……
それこそ、物事を深く考えずに楽観に走るような人物。
こういう状況に置かれたとしても、『とても殺し合いに乗るような人物ではない』。
だからこそ、私も彼女の意外な言動に虚を突かれたのだし。
まあ、その印象はある意味で、今の私にとっては都合がいいのだけど――)
暗がりの中でブラジャーさえも外してパンツ一丁になってしまうと、千夏は一枚のTシャツに袖を通す。
売店コーナーの片隅から失敬してきた、観光地土産としても定番の一品だ。
あえて選んだのは男性用のLサイズ。
ダボダボな分、長い裾が腰のあたりまで覆ってくれて、即席の寝間着としては悪くない。
(何かが足りない。
そんな気がするのよね。
事務所でたまに見かけた時も。
TVに映っていたのを見た時も。
どこか、今の彼女と違っていた気がする……。
雰囲気とかそういう曖昧なモノじゃない、もっと確固たる、『何か』が……)
手の届くところに荷物をまとめておき、特に拳銃は咄嗟に手に取れる位置にメガネと一緒に並べておく。
準備万端すべて整えて、千夏は横になって毛布をかぶる。
心身ともに疲れ果てていた彼女に、睡魔は素早く忍び寄る。
意識を手放す寸前、ようやくにして千夏は思い至る。
(そうだ……毛布……
児童心理学で言う、『ライナスの毛布』だ……!
ということは、今のあの子はかなり不安定な状態で……
でも『だからこそ』こういう展開になっている……
警戒……注意……いや、読み切れない……
何がおきても対応できる心構えだけは、常に持って臨まないと……)
やがて暗闇の中に、規則正しい寝息が刻まれ始める。
* * *
簡単な仕掛け。
引き算と初期配置だけで構成されたささやかな陰謀。
斜面の途中に危うい均衡を保って静止しているガラス玉、動かしてやるにはどうしたらいい?
それは簡単、小さな支えを1つ、抜いてやればいい。
無理に押してやる必要もない、ただ1つの『欠損』だけで、『それ』は容易に転がりだす。
ガラス玉の行方は誰が知る?
配置を決められるのなら、その行方は決められる。
ガラス玉の転がる先に、黄色い小さなドミノを立てておくことも。
黄色のドミノが倒れたら、その振動が時間差を置いて、別の桃色のドミノに伝わるようにすることも。
とてもとても、簡単なこと。
無理に押してやる必要もない。無理に誘導するまでもない。
それはとても簡単で、シンプルで。
分かってしまえば、誰にでもできる。
実際に綺麗に機能するかどうかは運任せだけど、勝算は決して低くはない。
ただ、なかなかやろう、と思いつけないという――それだけの話でしかない。
* * *
窓の外には、いつしか雨が降っている。
粘土弄りに熱中していた双葉杏は、いまやその手を止め、呆然とした表情で自らが作り上げたモノを眺めている。
それはありふれたキャラクターの再現だった。
誰にでも馴染みのある、とある動物のデフォルメ。
長方形の角を丸めたような輪郭に、上方に2本長く伸びた耳。左右に突き出した短い両手。
顔のパーツは3つの点と1つの弧だけで構成され、まるでやる気が感じられない。
顔も首も胴もまるで境界線なくひとつながりで、ただ一ヶ所、腹部には目立つ大きなポケットがあって。
気の向くままに粘土を弄り。
適当に作っては壊し、作っては壊しを繰り返した杏が、気が付いた時には既に完成させていたもの。
いつしか熱中して、細かい造形の再現に専念して、よし出来た、と思ったその瞬間、はっと目が醒めたもの。
杏自身、なぜコレを作ろうと思ったのか、理屈では説明ができないモノ。
破れて飛び出した綿まで再現された、杏がいつも抱えている、うさぎのぬいぐるみ。
この島で目覚めた時には既に手元になかった、杏の半身。
杏には知る由もないことではあるが。
粘土の羊を作り上げた少女は、己の心中にある想いを汲み上げようとだけ考え、あの作品を生み出した。
ならば、その羊に触発されて粘土遊びを始めた彼女にとっても、それはおそらく。
『ライナスの安心毛布』。
『スヌーピー』という犬のキャラクターで有名な漫画『ピーナッツ』に登場する少年の1人、『ライナス』。
その彼が何故か常時手にしている、ボロボロのブランケット。
あるいはそれに代表される、心理学上の用語でもある。
それを持っていると安心する。
それが取り上げられると不安で仕方ない。
そんな、特定の玩具や人形、あるいは毛布などに対する、子供の一部に見られる異常な執着。
怠惰と、子供っぽさと、成長の止まった妖精のような身体と、そしてさりげなく秘めている高い能力。
アンバランスな性質をいくつも併せ持つ17歳の少女、双葉杏。
そんな彼女のバランス維持に欠かせない存在、彼女にとっての『ライナスの毛布』こそが、きっと。
窓の外には、いつしか雨が降っている。
拳を振り上げ、粘土のうさぎの上に振り下ろそうとして――
叩きつけられなかった手が、力なくゆっくりと下がる。
死者の声も、この場にいないプロデューサーの声も、もう杏の耳には聞こえない。
こんな時に限って、幻影たちは姿を隠し沈黙を守っている。
そのことが良いことなのか悪いことなのかさえも、今の杏には、まるで分からなかった。
【D-5・キャンプ場/一日目 夜中】
【相川千夏】
【装備:男物のTシャツ、ステアーGB(18/19)】
【所持品:基本支給品一式×1、ストロベリー・ボム×7、チャイナドレス(桜色)】
【状態:左手に負傷(手当ての上、長手袋で擬装)、睡眠中】
【思考・行動】
基本方針:生き残り、プロデューサーに想いを伝える。生還後、再びステージに立つ。
1:杏と行動。
2:日が昇るまでこの場に留まる。次の放送まで眠り、その次の時間帯は自分が見張り担当。
3:杏に対して……?
※現在、チャイナドレスを脱いで手袋も外し、下着姿+Tシャツ姿で毛布にくるまっています。
メガネ・拳銃・荷物は手近なところに置いてあります
【双葉杏】
【装備:なし】
【所持品:基本支給品一式x2、ネイルハンマー、シグアームズ GSR(8/8)、.45ACP弾x24
不明支給品(杏)x0-1、不明支給品(莉嘉)x0-1】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:印税生活のためにも死なない。そのために殺して生き残る。
1:千夏と行動。
2:次の放送まで粘土遊びでもしながら見張り役。その次の時間帯は爆睡予定
3:…………。
最終更新:2014年06月19日 20:05