心の雨 ◆j1Wv59wPk2



「向井はん、寝付きええなぁ」

病院の一角、処置室の端で小早川紗枝は呟いた。
視線の先には、ベッドの上で横になり寝息をたてている向井拓海の姿。
その顔には、彼女の気性からは想像もできないようなおだやかな雰囲気があった。

「まぁ、拓海もここまでずっと頑張ってたしね。ここでしっかり休んでほしいよ」
「ふふっ、あの顔なら次には元気になってくれますやろ」

独り言のように呟いた言葉に、松永涼が言葉を返す。
放送後に病院内で二手に分かれた彼女達は、あれから特に滞りもなく集合していた。
今、部屋の中には拓海と涼が探してきた『お宝』と、その近くに紗枝が取り出した消火器が並んでいる。
そして分かれる前にはあれほど休む事に抵抗があった拓海も、戻ってきた時にはあっさりとに横になり、休んでいる。
彼女も、これまでの道のりで決して少なくない疲労が蓄積しているだろう。
だからこそ、こうやって休んでくれている事に二人はほっとしていた。

「松永はんは休まへんの?」
「アタシは……ちょっとそんな気分じゃないな。今横になっても、正直寝付けそうにないよ。
 この足の痛みも、まぁ生きてるって証なんだろうけどさ……やっぱ辛いね」

紗枝が涼にも休んでもらおうか提案するものの、涼はそれを拒む。
口調はいつもの涼と言えるだろうが、その体には決して軽くない跡が残り、それを見る涼の顔はうかない。
やはり、素人の処置ではその痛み全てを誤魔化しきることはできない。
紗枝もそれを理解していなかった訳ではないが、実際にそれを目の当たりにすると辛く感じた。

「……あぁ、この事は小梅に言うなよ? 変に心配させても困るからさ」

ふとはっとしたように、涼は紗枝にくぎ刺す。
その事に紗枝は呆気にとられたものの、涼の目は真剣だった。その姿に、紗枝は微笑む。

「……松永はんは優しいんやねぇ」
「見栄張ってるだけだよ。褒められる事じゃないと思うんだけど」
「そんな事あらへんよ。うちはええ事やと思いますえ」

紗枝の言葉に、涼は顔を逸らす。
彼女にとって、あまり真正面から褒められるというのはあまり慣れていない。
それでもいつもの状態ならそこまで気にもしなかったかもしれないが、今は精神的にも弱っていた分、少し照れくささを感じた。

「小梅はん、無事で良かったどすなぁ」

そんな何ともいえない間が続いた中、ふいに紗枝がぽつりと呟いた。

「ん?」
「松永はん、小梅はんの事でえろう心配しとったやろ?
 それだけ想っとった人と、ちゃんと会わせられて良かったなぁ思て」
「ああ……ホント、二人には感謝してるよ」

改めて、思い返すように紗枝は呟く。
その言葉にさして意味はなく、ただなんとなく話題の為に呟いただけかもしれない。
それでも、その言葉は涼が今までを振り返る心情にひたるのには十分だった。

「うちも、向井はんのおかげで正しい事できとるわけやし、感謝せぇへんとあかんなぁ」
「そもそもアタシに声をかけたのは紗枝だけどな」
「……なんや、思い返すと恥ずかしゅうどすなぁ……」

邂逅の時を思い出して、紗枝は思わず目を逸らす。
一番最初、彼女達三人が同じ道を歩む事を決意したあの一時。
それを、二人は鮮明に思い出せる。

「いや本当に、二人がいてくれなかったら小梅にも会えずに、どっかで野たれ死んでたと思う。
 アンタ達が生かしてくれて、そして会わせてくれたんだ。だったら後はとにかく生き残るだけさ。
 どれだけ無様だろうと、アタシも、小梅も、皆で、一緒に帰ってやる」

そう語る彼女の眼には、確かな決意の炎が宿っていた。
初めて死にかけて、孤独だと思った恐怖と疑心暗鬼が、彼女を押し潰そうとしていたあの瞬間。
そこから引き上げられて、彼女は救われた。
見失いかけていたものを手放さずにすんで、今彼女はここにいる。
五体満足でなくとも、今確かに松永涼は大事な人と共に生きている。
だからこそ、これからも生き抜いてみせるという決意は固かった。

「せやなぁ………」
「……?」

それに、はんなりと言葉を返す紗枝。
が、そんな彼女の姿を見て、涼は何か引っかかる。
ただ一言呟いた彼女の顔は、どこか憂いを帯びているように感じられた。

「なぁ…」

そんな事が気になって、聞いてみようと声を掛けようとして。


「ん、ぅ………」


小さいうめき声に、二人の体がびくりと震えた。

「……起こしちまったか?」
「いえ、大丈夫みたいやけど………」

二人は体を休めている小梅の姿を見るも、それ以上の動きは無かった。
あまり大きな声で会話していた訳ではなかったが、それで起こしては忍びない。
まだまだ出発するには時間はある以上、できればゆっくり休んでいてほしい。
そう思いつつ見ていた紗枝が、彼女の姿を見てふと何かに気付く。

「……なんや、辛そうな顔やね」

ベッドで変わらず横になっている小梅は、うなされているように見えた。
額には脂汗が滲み、寝息はどうも不規則に思える。
その姿は、あまり快適そうには思えなかった。

「悪い夢でも見てるのかもな」
「うーん……せやったら、うちにはどうすることもできへんけどなぁ」

こっそりと小梅に近づいて、紗枝は様子をうかがう。
その姿を、立つ事の出来ない涼は心配そうに見つめる。
よほど何かがあるとは思えないが、もしも、万が一ということもなくはない。
そんな一抹の不安とも言えない想像に自身で苦笑しながらも、改めて雨が上がるのを待つ―――




「っ………」


そんな涼に、紗枝の上ずった声が聞こえた。


「……どうかしたのか?」

声をかけても、帰ってくるのは静寂。
無言の返答に、涼は怪訝に思い始める。
一瞬嫌な考えが思考をよぎるが、そんな訳がないと頭を振るう。
紗枝はずっとこの場所にいたはずだから、小梅に命の危険が迫ることは無い。
だから、彼女が何かされたなんて考えられないと、そんな筈なのだが。


そうやって精一杯自らを落ち着かせて、もう一度声をかけようとして。




「………血?」


その言葉を聞いたとたん、目の前が真っ白になったように感じた。



「は………っ!?」


頭が理解した瞬間に、体が反射的に動いていた。
足で踏みだして、その元へ駆けだそうとする。
しかし、彼女には『足』が無かった。バランスを崩した体は、地面に盛大に打ちつける。

「ぐっ……!」
「ま、松永はんっ、そない動いたらあかんよ!一度落ち着き!」

足の痛みに顔をゆがませながらも、それでも前に進む事をやめない。
紗枝の呟いた、たった一言が涼を焦らせるのには十分で、今も頭には悪い方向の思考しか浮かばない。
体を引きずって前に進もうとして、しかし激痛でうまく進めない。

「落ち着いてられるか!! そんな、一体いつ……!」

自分が目を離した一瞬の隙に、小梅が傷ついてしまった……!?

最悪の想像ばかりが、頭の中を支配する。
紗枝の言葉も、その思考には届かない。
ただただ疑問と不安と後悔と恐怖と、いろんなマイナスな感情がかきまぜられて、暴れている。
心臓がバクバクとうるさく鳴り、目眩もして、体がこれ以上動くなと警鐘を鳴らしている。
それでも、止まれなかった。じっとしていられなかった。
せっかく掴んだ手を離すようなことを、できるわけがなかった。


そうして、彼女が深く追い込まれている中で。





「え……え………?」




当の本人は、そんな騒動でとっくに目が覚めていた。





    *    *    *


「……ちゃんと治療はされてるみたいやね。これなら新しい包帯巻くだけでええやろ」
「あ……あの………ごめんなさい………」

あれからあの騒動をなんとか落ち着かせて、小梅は改めて傷の確認を受けていた。
背中に薄く描かれた一本の赤い線は、出血は激しくないものの、じわりじわりと滲み出ている。
あまり深い傷ではなく、かといってかすり傷だと言うには大きすぎた。

「ったく、そんな傷うけてたのならあの時にちゃんと言いなよ」
「も、もう痛く無かったし……その、涼さんに心配かけさせたくなかったから……」
「アホ、それが悪化したらどうするんだ。せっかく病院にいるんだから」

彼女が背中に傷をつけられた理由は、紗枝が傷を見ている間に説明された。
小梅が『水族館組』と合流した時に襲われた……というのは病院に着いた際の説明で聞いたが、その時に傷を負っていたという。
それならその説明の時に話しておけというのが涼の見解だったが、小梅自身度重なる衝撃の連続で、すっかり気にならなくなっていたらしい。
意識すると、背中全体がじんじんと痛む。今更動けなくなることはないが、かといってベッドにまで滲む程出血している傷を放っておく訳にはいかないだろう。

「で、だ……そんな傷を付けやがったのは一体誰なんだ……?」
「ひっ……」
「松永はん、顔が怖いどすえ……」

さも本題とばかり詰め寄る涼の気迫に、二人は思わず怯える。
だが、その話題もまた重要な事に変わりはない。
人を傷つけるような人物……殺し合いに乗るような人物の情報は、これからの立ち回りに大きな影響が出る。

「え、えぇと、確か……喜多、さん………」

そんな問いに対して、小梅は少し詰まった後その名前を言う。
元々、彼女はその少女と話した訳ではなく、結局彼女が今どうなっているかもさっぱり分からない。
しかしその名前を聞いて、二人は心当たりがあるといった風に向かい合う。

「……喜多はん、っていえば」
「あぁ、さっき放送で呼ばれてた……」

ついさっき、聞いた名前だ。
ただし、その名前は病院のスピーカーの向こう……『放送』で、呼ばれていた。

「……謝らせる事もできない、って事か……」

その事実に、涼は思わず歯噛む。
自身も、今までで既に二度も殺されかけた身だ。その内の一回で、体には大きな傷が残った。
だが、だからといって殺そうとした人物に憎悪の念があるかと言うと、正直実感がわかない。
拓海は、例え『引き返せないところまでふみこんだ奴』さえも間に合う、助けると言った。
拓海が今そこについてどう考えているか分からないし、涼自身もそこについては未だに決心がついていない。
だから、例えば小梅に傷をつけた少女に出会って、ちゃんと話しあえるような状況になって、そうしたら自分が一体どう思うのか、なんてさっぱり分からない。

だが、結局の所そんな機会すらなかった。
小梅を襲った少女は、もうこの世にはいない。そいつもまた別の誰かに殺されてしまった。
それについて涼自身が抱いたこの複雑な感情は、何とも説明できそうにない。
ただ、もう謝らせる事も『許す』事もできないのか、と。そんな実感だけがのしかかっていた。

「ほ、放送……?」
「あぁ、小梅は寝てて聞いてなかったんだっけ。端末から見れるよ」

その話題に一人ピンと来ていなかった小梅に、涼は自分の携帯端末を見せる。
それを小梅はたどたどしく操作し、そして、ぴたりと手を止めた。

「泰葉、さん」

そこには、彼女にとって心に深く残っていた名前があった。
あまり長く話していたわけではない。そこまで彼女の事を知っているわけでもない。
彼女とは、あまり良い思い出も無かった。ただただ怖い、逆らえないとだけ、そう思っていた。

――今は、どうなのだろう。
今なら、彼女の言うアイドルに少しは近づけているのだろうか。
今の白坂小梅は、彼女に認められるような強さを持っているのだろうか。
そんな思いがよぎっても、もうそれを確認することはできない。
哀しい……という気持ちではなかったが、なにか心の中に空虚な穴ができた気がした。

「……とりあえず、小梅も別に大丈夫ならいいけどさ、あんまり無茶しないでくれよ? 小梅まで倒れられたら本末転倒だ」

涼の言葉に、小梅はこくんと頷く。
何はともあれ、その傷には色々と騒がさられたが、とりあえずは今後に大きく影響するほどではない。
勿論けが人であるのに変わらない以上、充分に配慮しなければならないだろうが、そう急を要する事態でもなさそうだった。
その事実に、とりあえず涼も紗枝も一息ついた。

「せや、飴さん食べはります? これ、向井はんと松永はんが持ってきてくれたんやで」

ふと思い付いたように、机の上に置いてあったビニール袋からお菓子を一袋取り出す。
まだまだ先は長く、雨がやむまではここにいる全員が足止めをくらっている。
だからこそ、動けない時はしっかりと休む事が大事だ。いざ行動する時に、万全の状態でいられるように。

「あ……そ、その………」

しかし、当の小梅はあまり顔色がよろしくない。
その様子に、二人は身構える。
まさか、今頃他に隠していた怪我等があったりするんじゃないのか。どこか体調がすぐれないのか。
そんな思考が場を包み――

「………トイレ………」

その言葉で、緊迫した場の空気は一気に崩れた。

「……あー、まぁ多分この建物にはアタシら以外いないし、多分大丈夫だと思うけど……場所分かる?」
「は、はい……来た時に、確認した……」
「そうか、じゃあ早めにな」

そう送り出すと、小梅は早足で部屋を後にした。
こうしてまた、部屋に起きているのは松永涼と小早川紗枝の二人だけとなり。

「ふふ……小梅はんも、松永はんに心配かけさせたくなかったんやって」

そう言って紗枝はにこりと笑った。

「何がいいたいんだよ」
「二人とも仲がええんやなー、って話」
「別にいいだろ……」

紗枝の言葉に、涼は顔を逸らす。
涼が小梅を想っているのと同じように、小梅もまた涼の事を深く想っていて。
それが微妙なすれ違いを起こしていた事に、紗枝は可笑しくて、そして微笑ましく感じていた。

「……うちには、そんな人おらへんからなぁ」

そんな彼女達の事を見て、紗枝はまるで昔を思い返すかのような口調で息を吐いた。

涼は、その顔に既視感があった。
というより、ついさっきの話題でみた、ほんのりと寂しげな雰囲気を漂わせているように感じる表情。
その時も、涼と小梅についての話だった気がする。
彼女は、二人の話題になると憂いを帯びた表情を浮かべているようだった。

――彼女にも、何か思う所があるのだろうか。
思えば、小早川紗枝という少女について、涼はあまり知らない。
テレビでも有名なアイドルの一人であるという事ぐらいは分かるが、逆にいえばそれくらいだった。
故に彼女の人間関係だとか、そういうのも全く分からない。
言葉の意味だけとらえれば、ここに彼女の知り合いはあまりいないとも取れる。
だが、それだけだと紗枝のその表情に納得がいかなかった。

「気張らんとね」
「……あぁ」

とはいえ、そのことについて深くは追求できない。
彼女が何も言わないなら、それに突っかかるのは無粋というものだ。
きっと、拓海もそんな判断をするだろう。彼女に何かの存在が影を落としていたとしても、それをこちらから干渉する事はしない。
紗枝自身が話してくれた時に、一緒に考えよう。そう、涼は思っていた。




雨は、未だに上がらない。


【B-4 救急病院 処置室/一日目 夜中】



【松永涼】
【装備:毛布、車椅子】
【所持品:ペットボトルと菓子・栄養食品類の入ったビニール袋】
【状態:全身に打撲、左足損失(手当て済み)、衰弱、鎮痛剤服用中】
【思考・行動】
 基本方針:小梅を護り、生きて帰る。
 0:小梅が改めて心配。
 1:足手まといにはなりたくない。出来ることを模索する。
 2:申し訳ないけれども、今はみんなの世話になる。
 3:みんなのためにも、生き延びる。



【小早川紗枝】
【装備:ジャージ(紺)】
【所持品:基本支給品一式×1、水のペットボトルx複数、消火器】
【状態:健康】
【思考・行動】
 基本方針:プロデューサーを救い出して、生きて戻る。
 0:………
 1:雨が止んだら『天文台』へみんなで向かう。
 2:天文台の北西側に『何か』があると直感。
 3:仲間を集めるよう行動する。
 4:少しでも拓海の支えになりたい。



【白坂小梅】
【装備:拓海の特攻服(血塗れ、ぶかぶか)、イングラムM10(32/32)】
【所持品:基本支給品一式×2、USM84スタングレネード2個、ミント味のガムxたくさん、鎮痛剤、不明支給品x0~2】
【状態:背中に裂傷(軽)】
【思考・行動】
 基本方針:涼を死なせない。
 0:トイレに行きたい。
 1:涼のそばにいる。
 2:胸を張って涼の相棒のアイドルだと言えるようになりたい。


 ※松永涼の持ち物一式を預かっています。
   不明支給品の内訳は小梅分に0~1、涼の分にも0~1です。


【向井拓海】
【装備:鉄芯入りの木刀、ジャージ(青)、台車(輸血パック入りクーラーボックス、ペットボトルと菓子類等を搭載)】
【所持品:基本支給品一式×1、US M61破片手榴弾x2、ミント味のガムxたくさん、ペットボトル飲料多数、菓子・栄養食品多数、輸血製剤(赤血球LR)各血液型×5づつ】
【状態:熟睡中、全身各所にすり傷】
【思考・行動】
 基本方針:生きる。殺さない。助ける。
 1:とりあえず、出発まで寝かせて貰う。
  2:雨が止んだら出発する。市街地を巡って仲間を集めながら『天文台』に向かう。
 3:誰かを助けることを優先。仲間の命や安全にも責任を持つ。
 4:スーパーマーケットで罠にはめてきた爆弾魔のことも気になる。
 5:涼を襲った少女(緒方智絵里)のことも気になる。


  ※軽トラックは、パンクした左前輪を車載のスペアタイヤに交換してあります。
   軽トラックの燃料は現在、フルの状態です。
   軽トラックは病院の近く(詳細不明)に止めてあります。


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向井拓海
松永涼
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最終更新:2013年12月30日 20:06