彼女たちがそれを選んだサーティエイトスペシャル ◆John.ZZqWo



姫川友紀十時愛梨を探していた。
真夜中の街中をしとしとと降る雨に打たれながら、奇妙なことに隣にトナカイを従えて、ただ黙々と歩いている。
雨音で彼女の足音はほとんど聞こえない。けれど隣を歩くブリッツェンの蹄の音は、なにかを刻むようによく聞こえていた。



どこに十時愛梨が、彼女の想定する“悪役”がいるのか。それははっきりしていないが、けれど彼女は西へと歩を進めていた。
まるで自分が抜け出してきた警察署のほうへ振り返るのを嫌うように。
とはいえ、全く当てもなく歩いているわけでもない。姫川友紀は彼女なりに“悪役”の居場所を考えている。

思考の起点はやはりあの町役場からだ。あそこで自分たちは襲われ、そして“悪役”は姿をくらました。
自分たちはあの後、裏口から北に向かって逃げ、とある民家の中でその次の放送までをすごして、それから警察署へと向かった。
標的をしとめ損なったのは“悪役”も先の放送で把握しているはず。ならば、“悪役”はどう自分たちを追跡するのか――いや。

「(悪役の狙いが、泉ちゃんの考える通りのものだとしたら……)」

高森藍子が十時愛梨と遭遇した時の話を思い出す。
その時、十時愛梨は木村夏樹多田李衣菜を殺害した。けれど、いっしょにいて殺せるはずだった高森藍子と日野茜は殺さなかった。
この企画の運営が用意した“悪役”。
それが『アイドル』の殲滅を目的としているのではなく、あくまで扇動を目的としているのだとしたら、“悪役”が追ってくると考えるのは早計だ。

「(じゃあ、どこにいるんだろう?)」

姫川友紀は情報端末を取り出して、自分を中心とした地図をそこに表示させる。
とりあえず、十時愛梨はこの近辺にまだいるだろうと考える。
昨晩と今日の夕方にこの南にある街の中にいたのだ。距離の離れた他の街との間をいちいち往復しているとは考えづらい。

「(やっぱり、病院か学校かな……)」

付近にある施設は、消防署、魚市場、図書館、そしてその先に学校と総合病院だ。
消防署はもう逆方向。図書館は大石泉とバッティングする可能性がある。となればまずは手近な魚市場を見てみて、それから――。

「でも、魚市場って、ねぇ……」

姫川友紀がそう呟いた時、近くの電柱に備え付けられたスピーカーから“彼女”の声が流れ始めた。






『皆さん――――本当頑張ってくださいね?』

千川ちひろのその言葉に姫川友紀は拳を握る。きっと、自分宛ての言葉なのだと彼女はそれをそう受け取った。
決意を新しくするべく彼女は星空を見上げる。そう、星空。この時になってようやく姫川友紀はさっきまで自分を濡らしていた雨が止んでいたことに気づいた。


 @


同じ星空を見上げながら高森藍子と日野茜も千川ちひろの放送を聞いていた。
読み上げられた死者の名前は、前川みく、輿水幸子星輝子の3人。
先のふたりは消息の知れなかったうちのふたりで、3人目は栗原ネネと一度は電話で通じ、その後連絡が取れないでいた相手だった。

「(ネネさん……)」

高森藍子は辿ってきた道を振り返る。星輝子が死んでしまったこと、それに一番傷つき責任を感じるのは彼女だろうから。
もし警察署にいたならなにか言葉をかけることができただろうか。けれど、今思い浮かぶのは安易な慰めの言葉だけだ。
心が弱っているのを感じていた。姫川友紀が一言もなく自分の傍を離れていったこと。そして――

『――――貴方に掛かっている命は一つじゃないのですから』

プロデューサーのことが心配だった。千川ちひろの言葉にプロデューサーは今どうなっているのだろうかと想像してしまう。
どこかの部屋に監禁されているのか。縄で縛られているのか。食事はとらせてもらっているのだろうか。
そして、今この時にも見せしめとして痛めつけられ、もしかすれば殺されているかもしれない。
この殺しあいという企画が始まる時に見せられたプロデューサーの姿は、困惑の表情は浮かべていたけれどただそれだけだった。
それがもし、次に見せられる時に血を流していたら? 画面の中で暴行を受けていたら? あの首輪が、爆発したら――。

「大丈夫ですよっ」

肩をつかまれて高森藍子の体がびくりと揺れる。振り返れば、そこにあったのは日野茜の満面の笑みだった。

「プロデューサーのことだったら心配いりませんっ」

自信満々に彼女は断言してしまう。
どこからその自信が出てくるんだろう。その根拠はどこにあるのだろう。高森藍子はそんな思いを隠すことなく表情に浮かべてしまった。
けれど、そんな高森藍子の顔を見ても日野茜は揺るがない。揺るごうとしようとはしなかった。

「私、プロデューサーのこと信用していますから! プロデューサーもただ捕まってるだけじゃないに決まってます」

つまり! と、日野茜は拳を星空に向かって突き出す。

「プロデューサーは私たちを助けるために頑張っている。私たちはプロデューサーを助けるために頑張っている。チャンスは2倍です!」

突き出した拳がピースに変わる。それは勝利のVサインでもあった。

「そ、そうですよね。そうなんですよねっ」

あぁと高森藍子は安堵した。日野茜の言葉にはなんの保証もない。けれど、強い信頼が、絆という輝きがあった。
燃え上がるような熱量を持ったその光はまるで太陽のようで、太陽は、彼女は全ての生き物にエネルギーを与える、そんな存在だと思えた。






 @


看板が一枚立っていた。
その看板には『この先100m魚市場 業務用から家庭用まで 食堂・朝市あります』と大きく書かれており、また小さく営業時間や連絡先も書かれている。
南北に片側2車線の幹線道路が走っており、そこに東西に走る細い道が何本も交差していて、その交差点のひとつにその看板はあった。

姫川友紀はその看板を見上げながら魚市場に立ち寄るか思案しているところで、高森藍子と日野茜はそんな彼女をちょうど今、発見したところだった。



「友紀ちゃん!」

突然にかけられた声に姫川友紀は驚き、声のする方を振り返った。まさかと思ったが、そこには高森藍子、そして日野茜の姿があった。

「藍子……どうして……」

振り返った姫川友紀に高森藍子も驚いた。
彼女はいつの間にかに兵士のような格好をしていて、雨に濡れた髪が青褪めた肌に張り付き、なによりその目がいつもの彼女のものではなかったから。

「友紀ちゃん、戻ろう? そんな格好じゃ風邪ひいちゃうよ。新しい服だって用意してあるから」

かけられたのはそんな言葉。けれど姫川友紀は、その表情から高森藍子がこちらがなにを考えて警察署を出たのか全て見通しているのだなとわかった。
その上で自分を追ってきたのだ。追いつかれたということは、自分がいなくなったと気づいてすぐだろう。
こんな真夜中に、どこに殺人鬼が潜んでいるかもわからないのに、仲間の大勢いる場所を離れ、自分を追ってきてくれたのだ。
それは、固めた決心が簡単に揺らいでしまうほどの優しさと感動で――、

「あたし、馬鹿だから風邪なんかひかないよ。藍子らこそこんなところで何してんのさ。危ないから早く戻りなよ」

だからこそ、拒絶できる。高森藍子の『希望』がなにがあっても揺らがないのだと確信できるなら、むしろ安心して離れることができる。
笑いながら手のひらをひらひらと振り、拒絶の意思を示すことができる。

「危ないんだったら友紀ちゃんもいっしょに帰ろう」
「あたしはこれがあるから大丈夫だよ」

高森藍子の哀願の視線から自分を守るように拳銃をかざし、そして――言う。

「“悪役”が出てきたらさ。これで“殺す”んだ」

拳銃に遮られて彼女の顔は見えない。見たくないと姫川友紀は思った。きっと、これまでで自分が一番ひどく彼女を傷つけているだろうから。



「――そんなの駄目ですよっ!」

答えは高森藍子ではなく日野茜から返ってきた。

「誰かがしなくちゃいけないことなんだよ」

姫川友紀は拳銃で顔を隠したまま言う。その声はひどく冷めていた。

「川島さんの言ったことを聞いてなかったんですか! “悪役”でも、私たちの仲間なんです! 殺すなんていけませんっ!」
「人殺しが仲間なのッ!?」

交差点に日野茜の声よりも大きな声が響き渡った。胃の奥から吐き出したような、重くて、汚くて、耳と目を塞ぎたくなるような声だった。

「藍子らだって目の前で人が殺されるとこを見たんでしょ? あたしだって見た! そしてあいつは今も誰かを殺そうとしている!」
「それでも……仲間だよ」

搾り出すように高森藍子が言う。互いに、声はアイドルのものではなかった。その声は苦しみと悲しみとやるせなさばかりでできていた。

「悪いのは愛梨ちゃんじゃないよ。こんなことを私たちに強要した人たちで、愛梨ちゃんも私たちと同じ被害者だよ」

それは繰り返しで、高森藍子はいつでもその線から先を譲ろうとはしなかった。
そんな彼女に、怒りの形相で睨みつけながらも、姫川友紀は「ああ、さすがだな」と心の中で思う。なんて強いのだろうと。思いながら、銃口を向けた。

「駄目です友紀さん! そんな、殺しあったら思う壺です! 怖いことや不安なことに負けないで!」
「茜ちゃんの言うとおりだよ。戻れば、みんなで考えればもっといい方法が思いつくはずだから」

駄目だよ。と、姫川友紀は呟く。構えた銃はふらふらと蝶のように揺れていた。

「そんなことしている間にあいつは誰かを殺しちゃうんだ。
 次に殺されるのは藍子かもしれない。今頃警察署で美羽が死んでるかもしれない。行方知れずの夕美が今銃口を向けられているかもしれない」

そんなの、耐えられないよ。誰にも聞こえない小さな声でそう呟き、姫川友紀は引き金を引いた。






乾いた破裂音が鳴り響き、そして世界はしんとした静寂に包まれる。

「……………………?」

それは永遠に続くと思われたが、恐る恐る目を開けると目の前にはさっきまでと変わらない世界がそのままあった。

「え?」

高森藍子は自分の身体を確かめる。拳銃で撃たれたと思った。けれど、身体のどこにもそんな跡はない。痛みが緊張で麻痺してるなんてことも、ない。

「あ、茜ちゃ……あれ?」

じゃあ、撃たれたのは隣に立っていた日野茜かと思い慌てて横を見る――が、そこに日野茜の姿はなかった。地面に倒れているわけでもなく、その姿が消えていた。

「藍子さんっ!」

呼ばれる声に振り返る。
探していた日野茜の姿は交差点を隔てた向こうにあった。そして同時に気づく、その更に向こうに走り去っていく姫川友紀に後姿があることに。

「友紀さんは絶対に連れて帰りますんで、先に帰っててください! うおおぉぉぉおお、全力っ、疾走ぅうううううう!!」

言うが早いか、日野茜は姫川友紀の背中を追って走り出した。
遠ざかる彼女の声に、一瞬躊躇したものの自分も追おうと高森藍子は足を踏み出そうとして、けどそれはすぐに遮られた。

「……ブリッツェン」

日本の気候が肌に合わないのか、いつも情けない表情で鼻水を垂らしているトナカイ。彼(?)が高森藍子の行く手を阻む。
今度は誰に頼まれたのだろう。今走り去った日野茜にか、それともこちらの身を案じた姫川友紀にか。後者のような気がすると、高森藍子は思った。






 @


あれから少し後、高森藍子(と、お供のブリッツェン)は警察署への帰途へついていた。
最初はあの場でふたりが戻ってくるのを待ったが、その気配は感じられず、ブリッツェンに袖を引かれるとしかたなくあの場を離れたのだ。

「大丈夫かな……」

姫川友紀と日野茜がどうしているか心配でならなかった。
万が一のことが起きるなんてことは考えていないが、あのふたりの相性は言ってしまえば火に油の関係だ。説得して穏便に連れ戻すというのは想像しづらい。
一晩中追いかけっこをして、しまいには島の端にまで行ってしまうのでは――なんて考えてしまう。

「とにかく無事で戻ってきたら……ん?」

不意に懐の内側でなにかが振動する。少しだけ考えて高森藍子は情報端末のことを思い出した。
そして、ついさっきの想像も同時に思い出してしまう。
一体この端末の振動はなんだろう? 運営からのお知らせ? だとすれば考えられるのは――プロデューサーのこと?

「……………………」

高森藍子は暗闇の中で足を止める。懐の中の振動はまだ続いたままだ。ほうっておけば止まるだろうか?
けれど、意を決し、一度喉を鳴らしてから高森藍子はポケットの中に手を入れる。たとえどんな最悪な光景を見せられるとしても、見逃すことだけはできない。
ゆっくりとポケットから端末を取り出し、ボタンを押せば振動はあっさりと止まり、そしていつもの白い画面が表示された。

「え?」

ぴたりと高森藍子の中の時が止まる。それは彼女が全く想像していなかったものだった。


 【 相葉夕美(通話待機中) 】


白い画面の上に、ただそれだけが表示されていた。






【G-4/市街(魚市場よりやや北東)/二日目 深夜】

【高森藍子】
【装備:少年軟式用木製バット、和服、ブリッツェン】
【所持品:基本支給品一式×2、CDプレイヤー(大量の電池付き)】
【状態:健康】
【思考・行動】
 基本方針:殺し合いを止めて、皆が『アイドル』でいられるようにする。
 0:??????
 1:通話に出る(?)
 2:警察署に戻り、日野茜と姫川友紀の帰りを待つ。
 3:自分自身の為にも、愛梨ちゃんを止める。もし、“悪役”だとしても。






 @


「くそっ……!」

姫川友紀は真夜中の街を全力疾走していた。街灯が等間隔にスポットを作る道をひたすらにまっすぐ走り続けている。

「まぁってくだ、さぁ、いいいぃぃいいいいいいいいいいいいい!!!」

そして、日野茜に追われ続けていた。
最初に拳銃を撃って驚かすことで得られたアドバンテージは30メートルほど。そしてその差は今はもう半分くらいになっている。

「こんなはずじゃ……」

姫川友紀は足の速さについてはそれなりの自信があった。FLOWERSの中のアクロバット担当は自分で、運動能力は4人の中で一番だったからだ。
ダンスは自分が一番派手に動くし、ソロパートでバク転なんかを見せることもある。ステージよってはトランポリンでジャンプだってする。
レッスンでだって最初にへばっちゃうのは藍子で次が美羽、前日にお酒を飲んでなかったら次は夕美で、飲んでたら自分という感じだった。
なので、すぐに引き離して逃げ切れると思っていた。けれど――、

「逃がしませんよおおおおぉぉぉぉぉおおおぉぉぉおおおおおおお……!!」

日野茜は早い。早いだけでなくずっと叫んでいる。叫んでいる上でどんどんと距離を縮めてくる。まさにエネルギーの塊だと姫川友紀は思った。
そして、このままでは遠からず追いつかれてしまうとも。こちらはもう顎が上がりはじめスタミナの底が見えている。けれどむこうはまだ体力が有り余っている様子だ。
もう一度拳銃を撃とうか? しかし、走りながらではちゃんと“外す”ことができるかわからない。それに当ててこないとばれていたら意味がない。

「ぐぅ……っ!」

姫川友紀は逃走方法を変更する。ただの長距離走で敵わないなら、でたらめに道を曲がってまいてしまうしかない。
早速、ペースを落とさないよううなり声を上げながら角を曲がる。この近辺は住宅街で、曲がった先にも代わり映えしない戸建ての住宅が並んでいるだけだった。

「うおおおおぉおおおぉぉぉぉおおおおぉぉぉおおおおおお!!」

どこかに飛び込めば隠れられるかと思ったが、すぐに日野茜が追いついてくる。ここでは無理だと更に次の角を姫川友紀は曲がった。
そして次の角を見つければまたすぐに曲がる。今は行き先は考えない。逃げることだけを考えて、街中をジグザグに走り続けた。
古い長屋の前を通り抜け、煙草屋の角を曲がり、小さな郵便局の前を横切り、金物屋のある次の通りに飛び込み、更に住宅街の中を走る。

「諦めませんんんんんぅぅぅぅううううわあぉおおおおおおぉぉぉおおおおおお!!!」

けれど、背後から追ってくる声は途切れない。まるでロックオンしたミサイルのように延々と追ってくる。

「くっそ…………!」

姫川友紀は意を決すると呼吸を止めて加速した。もはや走り続ける体力はない。なので無呼吸で走れる100メートルで決着をつけるつもりだった。
目の前の角を曲がる。最悪なことにその通りの左右はただ壁が続くだけで建物の入り口はひとつもなかった。
だが、その向こう。この通りの突き当たりを曲がったところにここらでは珍しい高層のマンションを見つけて、姫川友紀は最後の加速をする。

「……………………ッ!」

足首を痛めそうな急カーブで角を曲がり、その先にマンションの姿を捉える。依然、通りは高い壁が続いている。だが途中にゴミ集積所と電柱があった。
背後に声は? まだ聞こえる。けれど同じ通りにはまだ入ってきていない。体力は後10秒持つかどうか。これがラストチャンスだった。

「(やってやる……!)」

姫川友紀は加速した足を緩めずに壁際によると、一瞬ジャンプし、そして、“そのまま壁を走った”!
いや、正確には壁を蹴りながらその壁をスピードを殺すことなく登り始めた。
一歩、二歩、壁から離れる身体を三歩目でゴミ集積所の鉄のゴミ籠を踏んで無理矢理引き戻すと、
四歩五歩と更に登って、電柱に手をつきながら七歩目を蹴って八歩目で壁の上に立ち、間髪入れずに足を踏み出して壁向こうの駐輪所の天井に飛んだ。

「(ワン、ツー…………!)」

天井の撓みと膝のバネを使い、頭のカウントにあわせてジャンプ。マンションの雨どいに飛びつくと、足を蹴り上げ鉄棒の要領で身体を上に引き上げる。

「(キャッツ魂ぃ………………ッ!)」

雨どいから手を離すと、ふわりと身体が浮く。その瞬間、最後の力を振り絞って姫川友紀はマンションの2階のベランダへと手を伸ばし柵を掴んだ。
そして、そのまま身体を持ち上げると柵を乗り越えてベランダの中へと転がりこみ、更に床の上で一回転すると物陰へと滑り込んだ。






「んふぅ……! ふぅ……ふぅ……!」

両手を組んで口を押さえ、姫川友紀は真っ赤な顔をして鼻で呼吸する。できるだけ気配を消そうと、呼吸の音が漏れぬように身体を丸める。
そして、頭の中で流れるどくどくという音を聞きながら、遠くに聞こえる日野茜の声に耳を澄ませた。
もし自分がマンションの中へ飛び込んだことがばれていたらもうお終いだ。もう一度逃げ出す体力はない。だから、姫川友紀は彼女が見逃しているよう必死に祈った。

「姫川さあぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああぁあぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあんんん………………」

声が遠くから近づいてきて、だんだんと大きくなり、そして次第に小さくなると、ついには聞こえなくなる。

「ぶはあぁ……っ! ふはぁ、はぁはぁ……んっ、はっ、はぁはぁ…………」

完全に声が聞こえなくなってから更に10秒我慢して、姫川友紀は口から手を離し丸めていた身体を広げた。
吐く息と吸う息が交通渋滞を起こし肺が軋み、心臓が信じられないくらいビートを刻んで、頭が割れるように痛み、目の奥がチカチカとする。
膝と肘がいっしょに笑い、腹筋が意識してないのに勝手にびくびくと引きつる。疲労と体力の限界だった。けれど、姫川友紀は賭けに勝ち、逃げおおせた。

「はぁ――っ、はぁ――……、ん、…………はぁ、はぁ……」

冷たい打ち放しの上で四つん這いになると姫川友紀はガラス戸を開き、部屋の中へと這いずり転がり込む。
土足のままだったがそれも気にせず、畳敷きの和室に入ると、壁に背をつき足を伸ばして、そこでようやく人心地ついた。

「まったく……無駄な体力……」

天井を見上げながら姫川友紀は少しの間休憩しようと決めた。今すぐ出て行って、また誰かに会ってしまったら無茶をした意味がない。
なにより、出て行こうにもその分の体力すらもう残っていなかった。本当に無駄な体力を使わされたものだと姫川友紀は思う。
目を瞑れば寝てしまいかねない。
なので、姫川友紀は情報端末を取り出すと真っ白な画面を見つめ、整わない不規則な呼吸をしながらこれまでとこれからのことを思うことにした。






 @


『うんっ! 皆……絶対殺し合いなんてしてない……そう信じてる。皆で脱出したい」』

そんなことを言ったのはあたし自身だった。
バス停のベンチで目を覚ませばすぐ傍に拳銃を握った川島さんがいて、あたしは本気でビビったんだけど川島さんはそんなあたしに優しくて。
その後すぐに泉ちゃんとも出会えて、そして3人で意気投合した時にあたしはこんなことを言ったんだ。
とっても無邪気で、そして無責任な言葉だった。



『ですから私が主催者なら……そう、恐怖と敵意を煽るために、“悪役”を用意するくらいはすると思うんです』

一番最初の放送が流れ、あたしたちが衝撃に身を縮こまらせている時、泉ちゃんはその可能性を口にした。
そして、あたし宛にメッセージが届いたのはその直後だった。
学校へ向けての出発を前にトイレを済ましておこうとふたりと離れたタイミングであたしの情報端末にちひろさんからメッセージが届いた。
最初の書き出しは【このメッセージのことを他人に話すとプロデューサーが死ぬ】。あたしは真っ青になったよ。トイレに行くのも忘れるくらいにね。
そして、肝心のそのメッセージの内容は――

『――――悪役、敵。それも、やらないといけないのも、大人なのかな?』

それがメッセージの内容だった。ちひろさんからのメッセージには【あなた自身が悪役になりませんか?】とあった。
そして、その気さえあればFLOWERSとプロデューサーをまとめて生き残らせることもできるって。あたしの心は揺れたよ。けれど、

『それはきっと、――――どうしようもないけど、大人の責任、なんだ。 』

多分、この時にあたしはもう道を選んでいたんだと思う。



『姫川さんが途中で情報端末を落としたりするからこんなにも時間がかかったんじゃないですか』

学校へ向かう途中、道を外れ草原を突っ切ってショートカットしようと言い出したのはあたしだけど、理由はただ近道をするだけじゃなかった。
あたしはあの草原で“探し物”をしなくちゃいけなかったんだ。
ちひろさんからのメッセージにあったあたしに必要となるもの。それをあの草原の中で情報端末片手に探していたんだよ。

『ちひろさんを探したりとかする前に他の子らを探したほうがいいんじゃない……?』

学校で2回目になる放送を聞いたあたしはそんなことを言った。
そう、泉ちゃんが“悪役”の話を出して直後にちひろさんから“悪役”への誘いがあった時にあたしはもう気づいてたんだ。反抗や脱出なんて無理だって。
あたしたちは居場所だけでなく、行動もなにを話していたのかも全部監視されていたってことなんだから。

『…………“大人”ってなんですか?』

そして、あたしはその後に忘れてたトイレを済まして川島さんにそう聞いた。
川島さんはあたしの質問に受け止めることだって答えてくれたよ。大人は子供を見守り、セーフティネットになってあげることだって。
それは正しいなぁってあたしも思った。……けれど、今はそんな時間はないんだ。
FLOWERSや他のアイドルのみんなが自分で答えを見つけ出し、そしてここから生き残る。そんな猶予も可能性も今のここにはない。

『でも、なんだかかわいそう……』

ある教室であたしは一組だけ残された机と椅子、そして監視装置を見つけた。
それを見て、泉ちゃんはここに、この企画がスタートする直前までいたのは“悪役”だったんじゃないかって言った。
あたしはそれを聞いて気づいたよ。とても当たり前のことに。泉ちゃんが“悪役”のことを言い出した理由を考えればいつ気づいてもよかったんだ。
つまり――“悪役はひとりとは限らない”。むしろ、死者を出してみんなを焚き付けることが目的なら何人もいないとおかしいんだって。



『……できる事なら、絞り込みたい。誰が“悪役”かを』
『成程ね……とはいえ、殺し合いに反対している参加者の中に紛れ込んでいるって可能性もあるけれどどうなのかしら?』

あたしはその言葉に内心穏やかじゃなかった。その時はまだ“悪役”になると決心していたわけでもないし、誰かを殺したわけでもなかったけど、
ふたりがあたしがちひろさんからアプローチを受けて揺れているのに気づいているんじゃないかって。

『誰が、一番最初に、居なくなったかを考えたいんです』

そして泉ちゃんは最初にみんなの前から姿を消した子が“悪役”かもしれないって仮説を立てて、その直後にあのメッセージが届いた。

【希望の花束の中に、絶望の一輪が混じっている。正義の花は、何の為に咲き誇る? 咲き誇るための力が欲しいなら――――】

そのメッセージにあたしの心は大きく揺れた。心だけでなく、身体も。端末を持つ手が震えて、わけのわからない寒気が身体を包むのを止められなかった。
絶望の一輪――今ならそれが誰かわかる。
藍子じゃなかった。あの子は『希望』のままで。そして美羽でもなかった。美羽も揺れていた、けどそれは彼女自身の葛藤で、まだ絶望じゃなかった。
だったら、もうひとりしかいない。夕美だ。どうして夕美が? けれど夕美でしかありえないのならわかる気もする。
夕美は多分、あたしたちの中で一番FLOWERSにこだわっていたから。

ある日、ちひろさんはあたしにこう言った。

『――――なら、貴方はきっと、アイドルとして、どうにもならないところで、貴方の手で犠牲を出しながら、それでも、護るでしょうね』

それはどうしてか?

『――だって、みんなもうここ以外には居場所がないじゃないですか』

酷い言葉だ。けれどそれは図星だったよ。少なくともあたしにとってはね。
アイドルを、FLOWERSを辞めたらあたしにはなにも残らない。ただ野球を見ながらビールを飲むことしかできない。
藍子はFLOWERSを結成する前はずっと不遇だったって聞いた。美羽だって、いつまでも芽の出ないアイドル候補生扱いだったって。
夕美もFLOWERSが解散してしまえばもうやりなおすことも、インディーズに戻ることもできないって思う。あの子は、あたしたちの中で一番プライドが高かったから。

あたしたちにはアイドルしか、FLOWERSしかないっていうのは紛れもない真実だった。



『私、FLOWERSのためにがんばろうとした。私が死んでも誰かが生き残ればいいって。……でも、なにもできなくて、それどころかまた足を引っ張って』

その後に再会した美羽にこんなことを聞かされて、FLOWERSのために犠牲になる。手を汚す。それは聞かされるとこんなにも辛い言葉なのかと知って、
だからこそあたしは決めたんだ。それは誰にもさせないって。大人のすることなんだって。

『あたしは――――力が欲しい』

そして、あたしはこの言葉をちひろさんに送った。泣く美羽を励まし、あの子の中に光が見えた時、もうこの光を消しちゃいけないって思ったから。



『十時愛梨が“悪役”だよ。間違いない』

その時、あたしは“悪役”が複数いるってことに確信を持った。十時愛梨は間違いない。その行動が“悪役”だってことを証明している。
泉ちゃんは十時愛梨があのモニターの部屋にいた子じゃないって反論したけど、だったら話は簡単だよ。

『他にも悪役の人っているんですか……? 十時さんだけじゃ、ないんですか……?』

美羽がそう言った。そう、もっともっと“悪役”はいるってだけの話でしかない。
神谷奈緒北条加蓮だって怪しい。あのふたりが最初からいっしょで、ふたりで誰かを殺しまわっているなんてそれこそできすぎた話だよ。
もう死んじゃったけど、ニュージェネレーションを襲った水本ゆかりだって、誰かはわからないけど爆弾で火をつけまくってるやつだって“悪役”だったのかもしれない。
そこまで考えてあたしは自分がどう動けばいいかわかったんだ。それはあたしにしては冴えた発想だったと思う。

ちひろさんはこう約束した。【殺した人数分だけ命を救う】って。ひとり殺せばプロデューサーを、もうひとり殺せばFLOWERSの誰かを。
だったら、わたしは他の“悪役”を殺す。5人殺せば、FLOWERSとプロデューサーは助かる。
そして“悪役”がひとりもいなくなればもっと多くの子が助かるかもしれない。



『正直なところ、“悪役”というのは私も存在すると思うわ』
『それが、私たちが想像するのと同じものかどうかはわからない。けれど、私たちの中に運営側の息がかかった特別な“ひとり”がいるのは多分、間違っていない』
『それでも、“その子”は私たちの仲間よ。今も殺しあいにのっている子。もう誰かを殺してしまった子も、私たちの仲間。……それは変わらないでしょ?』

川島さんがそう言った時、あたしは全て見透かされているんだって思った。
実際はどうだったのかわからない。けれど、あたしはあの言葉があたしに向けたものだったんじゃないかって思わずにはいられなかった。
なので、川島さんが医務室へ送られて行く時、あたしはそれに付き添うことができなかった。
はっきりと問われれば、ごまかすことはできないと思ったから。

そしてそのすぐ後にネネちゃんが倒れる事件が起きて、その犯人は小日向美穂だってすぐにわかって、あたしは彼女を殺してかまわないと思った。
そうじゃないくても逃げ出したあの子を追うべきじゃないって思った。
仲間を殺そうとしたのならそんなやつはもう仲間じゃない。仲間だったら最初っから殺そうとできるはずないんだ。殺そうとしたら、“悪役”だ。

けれど藍子は頑なで、そしてあの子を救ってみせた。命を助けたってだけでなく、『アイドル』へと連れ戻したんだ。
強いと思った。それが藍子の『希望』であの子の正義(やりかた)。そしてあたしには絶対真似のできない正義(やりかた)で。
あたしは“力”を手にしてあの子から離れようと決めた。

“力”は簡単に手に入った。草原で拾った使い道のわからないカード(探し物)。
それは警察署の中にある、なんだか偉い人が使ってそうなある机の引き出しを開けるためのカードキーだった。
中には装備保管庫のロッカーを開くための鍵があって。アタシはそれをちひろさんに教えられた通りに見つけて、“力”を手に入れたんだ。


雨の中、『希望』に背を向けて逃げ出したのは、きっと、あたし自身があたしを情けないと思ったからなんだよ――……。





 @


バタン。――そんな音で姫川友紀の思考は遮られた。
なんの音だと彼女は頭を上げる。そうすると、音の正体も、どうしてそんな音が鳴ったのかも全部簡単にわかった。

「おじゃまします!」

廊下の先、玄関の扉を開き、丁寧に靴を脱いで入ってくるのはうまくまいたはずの日野茜だった。

「なんで?」

思わず、姫川友紀の口からそう言葉が漏れる。日野茜はのしのしと目の前まで来ると得意げな顔で答えてみせた。

「私、目もいいですから! ……友紀さんの入った部屋が何号室かまではわからなかったので、探しましたけどね」

つまり、ちゃんと見られていたのだ。マションションの中に入るところを。その上で、彼女はまかれたふりをして姫川友紀が隠れている部屋を探していたのだ。

「さ、帰りましょう」

そう言って、日野茜はまだ床にへたりこんだままの姫川友紀に手を差し伸べる。
姫川友紀を見つめる彼女の目は、それはまぎれもないアイドルの目で、滾るような熱を持つ瞳だった。

「……帰ってどうするのさ?」
「わかりません!」

問いかけに日野茜は即答する。そして、「けど、みんながいます」と、笑って見せた。

「私は頭がよくないので首輪とか爆弾とか脱出方法とか全然わからないですけど、でも元気だけは人一倍あるつもりです。
 難しいことは泉さんや川島さんが考えてくれます。だから私は不安なんてありません。そして、友紀さんもいたらもっと心強いと思います」

だからと、日野茜は手を掴むよう促す。そんな彼女に、姫川友紀は眩しそうに目を細めて言った。

「茜ちゃんはまっすぐだね」
「そうです。私はまっすぐ前にしか走れません」

認め、そして彼女はその続きを語る。

「なので、プロデューサーが教えてくれたんです。“進め”と“待て”だけ覚えろって。俺が合図したら進んで、合図したら待てって。
 それで待ってる間は元気を溜めるんです! 元気があれば次に進む時になんでもできるんです。だから――」

友紀さんも焦らなくていいんですよ。と、日野茜は優しく言った。その言葉は、一番欲しいと思っていた言葉だったかもしれない。

「出番が来るまで待ちましょう! 寝てないんじゃないですか? お腹すいてるんじゃないですか?
 そんなんじゃ駄目です。そんな時は悲しいことばっかり考えちゃいます。元気がない時はなんにもできないんです!
 帰りましょう。帰って寝て、いーっぱいご飯を食べましょう!」

目の前の『アイドル』に、姫川友紀はああと溜息をついた。
よかったと、こんな子が藍子の傍にいてくれたんだと。だからこそ、藍子は、そして本当なら自分がこんな『向日葵』じゃないといけなかったんだと。

――パンッと短く乾いた破裂音が部屋の中に響いた。






ずっと、子供のままの自分が嫌いだった。大人になっても大人になる方法がわからず、子供のままの自分が嫌いだった。
そして本当は子供なわけでもない。
その時その時の場面にあわせて自分は大人だと子供だと使い分け、面倒をのらりくらりとかわし続け、現実に目を瞑っていた自分が嫌いだった。

大人にもなれない。子供のままだったわけでもない。情けなくて汚い自分。本当はFLOWERSのみんなの面倒も普段から見なくちゃいけなかったんだ。
ムード作りは気のきく夕美に任せて、プレッシャーは藍子に押し付けて、よく悩む美羽の前では物分りのいい姉を演じつつなにもアドバイスしてあげれなかった。
都合のいい大人でも子供でもないところに逃げ込み、前に進むことから目を背け、今の楽しさだけに目を向けただ享楽にふけっていた。

けど、もうそこから脱さないといけない。正しい正しくないなんかよりも仲間も護るために、今こそ“大人”の自分が一歩を踏み出さないといけないんだ。

あたしは――“悪役”になるんだ。






部屋の中に冷たい静寂が戻り、そして身体の中では再び心臓の音が痛いくらいに響き始める。

「引き金を引くのが簡単だったのは、あたしが“大人”になったから、かな?」

薄く煙をあげる拳銃をベルトに戻すと、姫川友紀は壁に手をついてのろのろと起き上がる。休む時間は欲しかったが、もうこの部屋では無理だった。

「……これで、プロデューサーは助かるよね」

畳の上に倒れたそれを一瞥すると、姫川友紀はまだ震える足でふらふらと身体を揺らしながらその部屋を、彼女が開いたドアから出て行く。
そして、その部屋には畳の上で大の字になった日野茜が、額に穴を開けられきょとんとした表情で、これからはただ冷たくなっていくだけの死体として残された。






【日野茜 死亡】


 @


藍子は『希望』なんだ。
『希望』のアイドルっていうのはずっと前を向いているってこと。どんな力もないんだ。藍子は大それた力なんてなにももってはいやしない。
けれど、いつだって前を向いてるんだ。
そしたらね、それを見た誰かがなにを見てるんだろう?って藍子と同じ方を向く。そうするとその方向に『希望』があるって気づくんだよ。
少しずつ少しずつ、それに気づく人が増える。増えたらそれはいつしか大きな流れになってる。

藍子も、最初は誰かが見ている『希望』を見たのかな?

でもそんな『希望』に、今は藍子と向き合っているあたしが見ているこれは、藍子の後ろの果てにあるこれってなんなんだろう?



――それって、もしかして『絶望』ってやつなのかな?






【G-4/市街/二日目 深夜】

【姫川友紀】
【装備:特殊警棒、S&W M360J(SAKURA)(3/5)、S&W M360J(SAKURA)(5/5)、防弾防刃チョッキ、ベルト】
【所持品:基本支給品一式×1、電動ドライバーとドライバービットセット(プラス、マイナス、ドリル)、
       彼女が仕入れた装備、カードキー】
【状態:疲労、しかし疲労の割に冴える醒めきった頭、ずぶ濡れ】
【思考・行動】
 基本方針:FLOWERSの為に、覚悟を決め、なんだって、する。
 0:『絶望』と向き合うのはあたしだ。
 1:“悪役”としてFLOWERSとプロデューサーを救う。
 2:助ける命と引き換えに誰かを殺す。出来る限りそれは“悪役”を狙う。
 3:まずはこの近くにいるはずの十時愛梨を探す。
 4:学校、または総合病院に向かう。

 ※日野茜が持っていたものは、日野茜の死体と同じ場所に残されたままです。
   【竹箒、基本支給品一式x2、バタフライナイフ、44オートマグ(7/7)、44マグナム弾x14発、キャンディー袋】


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最終更新:2015年03月08日 11:24