11PM ◆RVPB6Jwg7w
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
午後11時過ぎ、冷たい雨は未だ暗い空から降り続いている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――理屈ではなく、直感で分かったのだ。
今この機を逃したら、たぶんもう、出ていくチャンスはない。誰かに見つかってしまう。
だから例えば、以前に交わした約束を破ることになるとしても。
彼女は、決断したのだ。
「……よし」
暗い夜中の警察署の、人の気配のない正面玄関口。
あと1歩踏み出せば降り続ける雨の中に踏み出すことになる、ひさしの下。
彼女は1人、深呼吸をする。
ずしりと肩にかかる重みは、防弾防刃チョッキ。
たくさん積んであった防刃ベストよりも高性能な防具であるらしいが、その分、やはり重い。
激しいダンスと長いライブに耐えるためのトレーニングを積んでいなければ、きっと音を上げていただろう。
どっしりとした重量を伝えているのは、肩ばかりではない。
長い髪を揺らし、彼女は改めて腰のベルトに備えた装備を確認する。
そこにぶら下がっていたのは、頑丈な伸縮式の特殊警棒。
そして――ホルスターに収まった、拳銃。
別に二挺拳銃を気取るつもりはなかったけれど、予備のつもりで、2つ並んでぶら下がっている。
日本の警察用規格のリボルバー、S&W M360J、通称「SAKURA」――
こんな所でまで「花」と出会うことになるなんてね、と、彼女は苦笑する。
何にしても、これだけの重装備。
仲間たちと一緒に居る時に身に着けていれば、目立って仕方がない。
必要な時が来るまで隠し持っておく、というのも現実的ではない。
「これは……ここに置いていくよ。
笑顔も、野球も、今は置いていく」
全て準備万端、整っていることを再確認すると、彼女は手にしたバットを改めて眺める。
やや小ぶりな子供用のバット。
早い段階で見つけ、ずっと傍にあった武器。
それを丁寧に、建物と並行になるように。
警察署、正面玄関を出たすぐのところに、ゆっくりと安置した。
たぶん、相手を威嚇したり追い払ったりするなら、このバットの方が適していたのだろう。
刃物など違い、当たったとしても致命的な結果にもなりにくい武器。せいぜい軽い打撲程度。
身を守りたい、けれど相手も傷つけたくない、そんな彼女たちにピッタリだった、護身用の道具。
でも――ここから先は、違う。
今から彼女がやろうとしていることには、バットよりも、拳銃の方が向いている。
姫川友紀は、これから。
単身、どこに居るとも知れぬ『敵』を討ちに行くのだ。
現時点での所在は、見当もつかない。
けれど「遭遇できるかもしれない場所」には、心当たりがある。
友紀なんかよりもよっぽど頭のいい人たちが推測してくれた、『敵』の行動、『敵』の思考。
そこから考えていけば、友紀にも分かる。
いまだ泣き続ける暗い雨雲を見上げる。
彼女の標的たる『敵』も、今頃はどこかで雨宿りをしているのだろうか。
どこかで食事でもして、そしてこんな時間だ、仮眠の1つでも取っているのだろうか。
「だとしたら――悪いね。
そっちの都合なんて、知らないんだ。
イヤでもこの冷たい雨の下に、出てきてもらうよ」
あえて、振り返りはしない。
年若い「仲間たち」を守るためにも。
彼女たちの「希望」を守るためにも。
ここから先は、『大人』の時間だ。
そうして彼女は、姫川友紀は、降りしきる雨の中に。
傘も差さず、合羽も纏わず、その一歩を踏み出そうとして――
――くいっ。
「…………えっ」
不意にその袖口を、無言で引かれて。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
午後11時過ぎ、冷たい雨は未だ窓の外に降り続いている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――予定を、少し早めたいと思います」
雨に閉ざされた夜の警察署、その医務室で。
大石泉は宣言した。
「……というと?」
「雨が上がるのを待たずに、すぐにでも図書館に向けて出発したいと思います」
「図書館と言うと、『例の本』よね。……理由を聞いてもいいかしら?」
ベッドの1つに腰かけた
川島瑞樹が、少女を見上げつつ首を傾げる。
そのまま飛び出していきそうな勢いさえある少女、大石泉は、それでも焦りを必死に押さえて周囲を見回す。
「既に何人かには話しましたが、
木村夏樹さんが遺した『図書館の本』には、続きのシリーズがあります。
『犯罪史の中の爆弾』――『首輪型の爆弾』について、詳しく書かれているはずの一冊です。
シリーズものですから図書館に置いてある可能性は高いですし、内容的にも是非とも手に入れたい本です」
「うん」
「ただ、手に入れたところで読み込むための時間は必要です。
読んで、理解して、そこから対策を考える必要もあります。
仮にそこで構造の推測が一気に進んだとしても、その先どれだけ手間取るかは、まだ見当もつきません。
本の入手は、早ければ早いに越したことはないんです」
「それは、分かるんだけど」
相槌を打ちつつ口をはさんだのは、
高垣楓。
医務室の入口近く、壁に背中を預けて腕を組む彼女は、彼女にしては珍しく不機嫌そうな様子だった。
「分からないのは、『なぜ今になってそんなことを言いだしたのか』、よ」
「…………」
「そこまでの話は『本の続き』があると分かった時点で見えていたことよね。
じゃあどうして『今』、『予定を早める』ことになるの? 説明が欲しいのはむしろそこよ」
「それは……」
厳しく問い詰められて、泉は言葉を濁す。
迷うように視線を向けた先は、瑞樹が腰かけるのとは別の、もう1つのベッドの上。
目が合ってしまった少女は、困ったように微笑むと、か細い声でつぶやいた。
「……やっぱり、私の……?」
「……はい、そうです」
泉もまた困ったように眉を寄せつつ、それでも真摯に、横たわった
栗原ネネのことを見る。
毒入りの茶を飲んでしまった彼女。
つい先ほどまで、救命のためにドタバタしていた、その中心にいた彼女。
なるほど、泉たちの奮闘もあって、最初の大きな危機は乗り切った。
しかし。
「……ネネさんの飲んだ毒は、二段構えのもの、だと理解して下さい。
最初の危機、急性の中毒については、胃洗浄などで何とか乗り切れた、と考えていいと思います。
けれど、この毒は――それよりも遥かに少量で、時間差を置いて、別の障害を起こす可能性があります」
「別の障害って――」
「1日から数日の間を置いて……改めて肺にダメージが来て、呼吸困難をきたすんです。
悲観的なことはあまり言いたくないのですが……
多少は吸収してしまったと思いますし、目を背ける訳にもいきません」
なんとも厄介な種類の毒。
もっともだからこそ、広く知られているということでもある。
医療には素人の大石泉が、ちょっとした物知り程度の彼女が、色々詳しく聞きかじっていたくらいには。
「その症状が出るまでは、いったん、元気になったように見えるそうです。
回復して、もう何の問題もなくなったかのように見えて……でも、後から急に容体が悪くなるそうで」
「それって……どういうことなのかしら?」
「なんでも、全身に回った薬物がゆっくり時間をかけて肺の組織に蓄積して、再度悪さをするんだとか。
呼吸困難への対処も難しくて、腎臓や肝臓にも同時に問題が起きて、私たちなんかではとても。だから」
だから。
せっかく「第一の山」を越えられた栗原ネネが、「第二の山」の症状を発症するより前に――
経験豊富な医師と設備の揃った病院に、彼女を運び込みたい。
できるだけ計画を前倒しにして、脱出までの早さを求めたい。
早々に脱出して、病院に駆け込みたい。専門家たちにバトンタッチしたい。
厳しい表情を崩さぬまま、泉はそう答えた。
ネネは青白い顔でただ静かに目を閉じるのみ。
納得がいかない様子なのは、年長組の2人である。
「呼吸困難ということなら、酸素吸入あたりで何とか持たせられないの?
病院か消防署なら酸素のボンベくらいあるだろうし、素人でもその程度なら」
「……いえ、ダメなんです。
この毒の中毒では『逆に』高濃度の酸素吸入だけはダメなんです。
なんでも活性酸素が悪さをするそうで……むしろ病状を悪化させてしまいます」
「でも酸素がダメってなると、病院でも打てる手なんて」
「実際に医療の現場でも苦労すると聞きます。特効薬もないですし。
こうなるともう、生半可な『知識』では太刀打ちできません……しっかりした『経験』がないと」
瑞樹の言葉に、泉は自らの服の裾を握り締める。
何とかしたいのは泉も一緒。
けれど、なまじ知っている『知識』が彼女に限界を突きつける。
そして限界を知ればこそ、気は焦り、じっとしてはいられなくなる。
「……私は反対よ」
「楓さん」
「その『第二の山』、『1日から数日後』というけれど、具体的にいつ頃になるか推測できないの?」
「はい。
どんなに短くても丸1日ほどは『持つ』、というだけで。
たぶん、吸収してしまった量や、体質などに拠るんでしょうけど……
個人差、あるいは症例ごとの差が大きい、としか」
「なら。
『比較的長持ちする可能性』に賭けて、じっくりと脱出に時間をかけるという方針は?
それこそ、焦ったせいでつまらないミスなんてしたら、ここにいる全員が――」
「ちょっと楓ちゃん、それは流石に」
「酷なことを言っているのは、自分でも分かっているわ。
けれど私たちが言わずに誰が言うというの?」
「…………」
止めようとした瑞樹もたじろぐほどの語気で、高垣楓は泉を牽制する。
泉は言葉もなく唇を噛みしめるしかない。
当のネネ本人は、怒りもせず、動揺も見せず、黙って横になっているだけ。
要は、こういうことだ。
栗原ネネの急変を恐れて拙速に走り、脱出計画そのものを危険に晒してでも進むのか。
それとも。
確実性を求めてじっくり進み、栗原ネネを見殺しにしかねない危険を甘受するのか。
あまりに酷な二択、この決断が迫られている。
そして事実上、その決断の鍵を握るのは、首輪の問題において最も期待される頭脳の持ち主・大石泉で。
泉は、前者の選択肢を選びたいと言う。
そこに楓が、その選択の持つ意味を分かっているのか、ちゃんと覚悟した上なのか、と問うている――。
重苦しい沈黙。
やがて、ふっ、と笑ったのは、他ならぬ高垣楓だった。
「でも、どうやら止めても無駄そうね」
「……ごめんなさい、楓さん。ここだけは、譲れません」
「なら、邪魔するよりも助けた方が良いみたいね。車を出すわ。パトカーの鍵でも探しましょう」
「「「えっ」」」
さらっと楓が告げた言葉に、3人は思わず声をハモらせる。
「か、楓ちゃん、あなた、免許持ってたの?!」
「高垣楓、25歳、趣味:温泉めぐり♪」
瑞樹の問いに悪戯っぽい笑みさえ浮かべて、楓は自らの公開プロフィールの一部を暗唱してみせる。
「たまにレンタカーを借りる程度で、自慢できるような運転じゃないけどね。
短いオフの間に何か所も巡ろうと思ったら、バスや電車じゃ不便なとこも多いのよ」
「い、意外です……」
「車でサッと行って、サッと本を探して、サッと帰ってくる。それなら危険も少ないでしょう?
本気で急ぐなら、すぐにでも出発するわよ」
「あ……ありがとうございます!」
急に手の平を返したかのようなこの提案、しかし泉にとっては有難いことこの上ない。
素早くそれぞれの荷物を手にした2人に、川島瑞樹は遠慮がちに声をかける。
「泉ちゃん。急ぎたいということだけど……
港の船のチェックは、日が昇ってからでいいかしら?
暗いとかなり危険なのよ。うっかり海に落ちたりしたら大事だし」
「はい、構いません。
そちらはそちらで、最善を考えて行動してください。細かな所の判断については、お任せします」
「なら私は、少し寝させて貰うわ。
茜ちゃんのお陰で、私の残り時間も伸びたみたい。だったら、体力を温存しておかないと」
瑞樹は微笑むと、腰かけていたベッドに潜り込む。
気丈に振る舞ってはいるが、瑞樹もまた怪我人だ。貫通銃創を負った身だ。
何か変化があった時に迅速に対応できるようにするためにも、寝るならこの医務室が一番だろう。
「私は――」
「ネネさんは、今は体力の回復と温存に務めて下さい。
胃洗浄なんてのは、無理やり何度も吐かせたようなものなので、かなり疲れているはずです。
これから下剤も、効いてきます。
水分摂取をこまめにしつつ、その、出すものをちゃんと出しきる。毒を、出せるだけ出してしまう。
それがまずは、第一です」
「……はい」
「大丈夫、きっと全てが上手く行きます。そうするためなんですから」
最後に、憔悴と不安そうな表情を隠せないネネに、それでも精一杯の笑顔を送り。
大石泉と高垣楓は、連れ立って医務室を後にした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
午後11時過ぎ、冷たい雨は未だ窓の外に降り続いている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「補正用のタオルは、っと……うん、要らないようですね」
「えっ」
「じゃあ次は、その肌襦袢の上からこの長襦袢を着て下さい。
衿芯は入れておきましたから。首の後ろは、ぴったりつけずに余裕を持たせて下さい。
後から見て修正はしますけど」
自身も下着姿を晒す
小日向美穂が、ちょっと不服そうな藍子に薄手の着物を手渡す。
会議室の一角で、少女たちはちょっとしたお着換えタイムとなっていた。
つい先ほどの小日向美穂の飛び降り騒動に前後して、何人もの少女が雨の中に飛び出していた。
当然、全員ずぶ濡れ状態である。
直後は興奮と達成感に満たされていた少女たちも、ことが一段落すれば寒さを覚える。
こんなところで風邪を引いても、いいことなんて一つもない。
そこで警察署中からタオルから着替えからかき集めてきての、お色直しとなった次第だ。
部屋の片隅には、小日向美穂が脱ぎ捨てたヘルメットと防刃ベストが、これも濡れたまま放置されている。
「なんだか、名残惜しいな……」
雨水をたっぷり含んだ巫女服を畳みながら、
矢口美羽は小さくつぶやく。
その姿は、このイベントが始まった当初の普段着に戻っている。
多少は皺が寄ってはいたが、濡れたままの服よりはよっぽど快適だ。
元々自分の服を持っていた彼女は、誰が何を着る? という問題に悩まされることはなく。
大雑把にタオルで身体を拭いただけで、一番最初に着替え終わることとなった。
「ええと、こんな感じかな? 次はどうすれば……」
「ああはいはい、ちょっと待って下さい!」
紐を片手に小首を傾げて困っているのが、
高森藍子。
慌てながらも着付けの世話をしているのが、小日向美穂。
その美穂は、サンタクロースの服をアレンジしたクリスマス用のコスチュームに身を包んでいる。
藍子の着ようとしている『和服セット』は、栗原ネネの支給品からの貰い物。
美穂が着ようとしている『サンタの服』は、藍子の支給品として死蔵されていたもの。
どうやら美羽が『男子学生服』を引き当てたように、舞台衣装を割り振られたアイドルは複数いたらしい。
「ヒモの締め付けは苦しくないですか?
衣紋の抜けはよし、余計な皺もなし、と……。
じゃあ、下準備はこんなもので、いよいよ着物です」
自身もサンタ服のボタンが開いたままの状態で、美穂は本命の着物を広げる。
気品と華やかさを両立させた山吹色の地に、舞い踊る花々。
素人目にも、その絶妙のバランスには息を呑むしかない。
振袖のような派手さは無いが、落ち着いた風情と若々しい活気とが見事に共存している。
見るからに高級な、価格の想像もつかないような程の和服のセット一揃い。
サンタ服と和服、これを美穂と藍子のどちらが着るか、ということで随分と押し問答をしたものだ。
けっきょく、「藍子の方が似合いそう」ということで今の配分となった。
……美穂と美羽、2人に声を揃えてそう言われた藍子は、なぜか大層落ち込んだ様子を見せたものだが。
「ところで……美穂さんって、着付けできたんだ」
「前に仕事で着たことがあって……その時に紗枝ちゃんに、ちょっと手伝って貰ったんです」
「紗枝ちゃん、というと、小早川紗枝さん?」
「ええ。仕事の後も、色々と習って。紗枝ちゃんと、それから……」
横で見てるしかない美羽の何気ない質問に、美穂は、そして不意に返事の途中で顔を曇らせて。
「それから……歌鈴ちゃん、に、いろいろ教わって」
「…………」
それは美羽にとっても美穂にとっても、痛みを伴って想起される名前。
巫女の衣装も、和装の一種。
ただそれだけの、当たり前すぎる話。
会議室に、少しだけ沈黙が下りる。
衣擦れの音と、言葉少なに美穂の指示だけが響く。
そんな重苦しい空気を破ったのは、不意に響き渡った扉を開ける音だった。
「たっだいまーっ!!
みんなの分まで服見つけて持ってきたよー! ……って、みんなもう着てるしーーっ!!!」
扉を開けて僅か3秒で自己完結。
大声を上げて部屋に飛び込んできた
日野茜は、そのままの勢いで会議室の床に崩れ落ちた。
パラパラとその腕から零れ落ちるのは、2、3人分の衣類。
クリーニングされ袋詰めされたままの黒っぽい服に、大雑把に縛られた厚手の道着。
流石に可哀想になって、美羽は恐る恐る声をかける。
「ご、ごめん……先に、着ちゃった。
ちょうど服、あったし。藍子ちゃんも、医務室の方から貰ってきちゃったし」
「いや、いいんですけどっ!
『婦警さんばかりでも何だし柔道着も要るかな?』とか、勝手に思って走り回ってたのは私ですしっ!」
「…………」
「……いいもん……。
自分で柔道着着ちゃうから、いいんだもん……。無駄にはならないもん……。
……あ、タオル借りますね、けっこう走ったんだけど、まだちょっと乾ききってなくって」
何とも騒がしく、勝手に絶叫しては勝手に勝手に落ち込んで、またケロッと普段の笑顔に戻る。
これには美羽も、苦笑するしかない。
いそいそと服を脱いで柔道着を広げ始めた茜に、帯を締めてもらいながら藍子が声をかける。
「ところで、友紀ちゃんは?
一緒に探してみるって、言ってましたよね?」
「あー、なんかもうちょっと探してみるって。制服も柔道着も『なんかそんな気分じゃない』って。
身体冷えちゃう前に戻ってくれればいいんですけどねー」
「そう……」
茜の何気ない返事に、藍子の顔が微かに曇る。
友紀と何かあったんだろうか? 傍から見ていた美羽は、軽く首を傾げる。
そうこうしている間に、着付けは完成して。
「はい、これで完成です。
どうです? キツい所とかユルい所とか、ないですか? ちょっと歩き回ってみて下さい」
「うん、大丈夫そう。ありがとね、美穂ちゃん」
「どういたしまし……くちゅんっ!」
「って、美穂ちゃんもボタン留めないと!」
そういえば自分のサンタ服は中途半端なまま、藍子の服の世話をしていた美穂。
慌てて彼女は自分の身支度に戻り、藍子は見事な和装で歩きだす。
『情熱』の太陽を思わせる山吹色。
グループ名を思い起こさせる、咲き乱れる花々。
普段の彼女のコーディネートからはだいぶ離れているけれど――不思議と、似合う。
「……あら?」
と、歩きながら具合を確認していた藍子が、ふと思いだしたかのように廊下に顔を出して――
そういえば茜が入ってきた時、開けっ放しになったままだった戸口から、向こう側を覗きこんで。
軽く驚いたかのような声を、上げた。
「どうしたの?」
「いや……外で待ってて貰ってたはずなんですけど……どこ行ったんでしょう?」
「え?」
「茜ちゃん、さっき来た時、ここに居ませんでしたか?」
「誰も居なかったけど……え、誰の事?」
廊下に出てキョロキョロと見回す藍子の言葉に、柔道着を着終えた茜も、美羽も、揃って顔を出す。
警察署、会議室前の廊下。
そこにはもちろん、人影も、「人以外」の影も、存在してはいなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
午後11時過ぎ、冷たい雨は未だ暗い空から降り続いている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
降りしきる雨の中、彼女は暗い街の中を歩き続ける。
とっくに服も髪も濡れていたし、いまさら合羽も傘も馬鹿らしい、と思っていたけれど。
とうとう下着にまで水が染みてくると、流石にこたえる。
長い髪が顔や肩に張り付いてくるのも、単純に鬱陶しい。
「ヘルメットだけでもかぶってくるんだったかな……。
でもアレ、無駄に目立ちそうだったんだよねぇ……」
使えそうな装備は、見つけてはいた。
けれど警察官が普段使うヘルメットは、隠れ潜むよりもむしろ、その存在をアピールするためのものだ。
万が一の時の防備、という目的は同じでも、自衛隊員などとは根本的に前提が違う。
あんなモノを被っていては、彼女の目的は果たせない。
「まあでも、『こんなの』を連れてたら、いまさら目立つも目立たないもないか……」
姫川友紀は、誰に言い聞かせるともなくつぶやいて。
何度目になるかも分からぬ盛大な溜息と共に、振り返った。
そこに居たのは――友紀の後を、つかず離れず、ついてきていたのは。
冷たい雨の中で小刻みに震える、大きく鼻水を垂らした、どこかマヌケな印象の、四足獣。
「ねえ。
悪いコトは言わないから、みんなのとこに帰りなよ、ブリッツェン。
いい加減、風邪ひくよ」
ひょっとしたらもうとっくに……あるいは普段から(?)引いているのかもしれないけれど。
友紀の呆れ顔にも、ブリッツェンはいまいち感情の読みづらい目をしたまま。
プルプルと、ただ小刻みに震えている。
姫川友紀が、覚悟を決めて雨の中に1歩を踏み出そうとした、あの時――
無言でその袖を引いたのは誰あろう、このブリッツェンだった。
警察署でもトコトコと、藍子の後に無言でついて歩いていたトナカイ。
この場には居ないはずのアイドル、イヴ・サンタクロースの、相棒。
廊下で待ってて、と藍子が言えば黙ってそうする従順さに、誰もが意識すらしていなかったけれど。
それでも『彼』は、あの警察署に集まっていた仲間たちの一員ではあったのだ。
そんな従順な彼が、誰に命令された訳でもないだろうに、友紀の袖を咥えて引き留めようとする。
いつの間にか音もなく忍び寄っていて、そして、友紀の出発を邪魔しようとする。
反射的に振り払った友紀は、思わず怒鳴りつけていた。
「邪魔するな」と。
「あっちに行け」と。
後のことも先のことも考えず、ただ感情のままに。
幸いというべきかどうか、友紀の声は雨音に紛れて仲間たちの耳には届かなかったらしい。
友紀の剣幕に、ブリッツェンは震えあがり、2歩3歩、遠ざかって……
しかし友紀が歩き出すと、その距離を保ったまま、何故か『彼』もついてきてしまって。
何度もみんなの所に帰るように促したのに、この有様だ。
「参ったなぁ……きっと、藍子、だよね」
冷たい雨に打たれながら、友紀は天を仰ぐ。
その仕草の意味を知ってか知らずか、少し間を置いてブリッツェンもそれにならう。
警察署に集っていたメンバーのうち、最も藍子に懐いていたブリッツェン。
たぶんきっと、藍子が『彼』に「何か」を吹き込んでいたに違いない。
このブリッツェン、時に驚くほど人間の言葉を「分かっている」かのような行動をとることがある。
ごく普通の家畜程度の知能しかないはずだし、人の言葉など理解できるはずもないのに、だ。
高森藍子と同じチームに属する彼女は、事務所でも何度かそんな場面を目にしていた。
だから、たぶんきっと、今のこれも。
「……ねえ。
もし、大事なとこで邪魔するようなら――イヴちゃんや藍子には悪いけど、あんたも殺すから」
友紀はぼそっ、とつぶやく。
彼女自身、自分らしくもないな、と呆れるような現実味のない言葉。
脅しが通じるとも思えなかったが、しかし『彼』は敏感に殺気を感じたのか、ビクッと身をすくませる。
感情の読みづらいその目が、どこか本気で怯えているようにも見えて、僅かに罪悪感を覚えてしまう。
大丈夫、自分は目的を見失ってはいない。姫川友紀は心の中で再確認する。
この激動の24時間を駆け抜け、正直言えば疲れ切ってはいるけれど。
身体が雨で冷えるにつれ、頭も冷たく冴えわたっていくような錯覚さえ覚える。
仲間のため。
希望のため。
FLOWERSのため。
どういう形であれ障害になるはずの『敵』を単身釣り出し、交戦し、排除する。
その意志と覚悟に、迷いはない。
それを邪魔するのが『希望のアイドル』高森藍子その人であろうと、姫川友紀はこの決意を押し通す。
そう決めて、歩き出したのだから――
たかがトナカイ一匹に、妨害なんて、させない。
姫川友紀は、改めて雨の中を歩き出す。
少し遅れて、何を思うか、ブリッツェンがとぼとぼと追いかける。
どこか遠くで、雨の中、車のタイヤがスリップしたかのような音が、微かに響いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
午後11時過ぎ、冷たい雨は未だ窓の外に降り続いている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――いた?」
「ううん、上の方にも居なかった!」
深夜の警察署の廊下を、少女たちが駆け回る。
「屋上まで上がってみたけど、誰も居ない。もちろんブリッツェンも」
「こっちも、ちょっと思い切って男子トイレまで覗いてみましたけど、やっぱり誰も……!」
いつの間にか消えていた、1人と一匹。
また少し髪を濡らした矢口美羽と、着物姿の高森藍子は、互いの報告の実入りの無さに肩を落とす。
着替えを終えた直後、廊下に待たせておいたはずのブリッツェンの不在に気づいた藍子。
そしてふと気が付けば、服を探していたはずの姫川友紀も、いつまで経っても帰ってこない。
どこに隠れているのか。
あるいは警察署の外にまで出て行ってしまったのか。
もしやどこかでちょっとした事故にでも巻き込まれているのか。
さもなければ――!
「あっ、あのっ、いま装備保管庫の方、見てきた、んですけどっ」
さらに2人の下に、赤を基調としたクリスマス風のコスチュームをまとった少女が駆けよってくる。
小日向美穂だ。
よっぽど急いで走ってきたのか、荒い息をつきながら言葉を弾ませている。
「落ち着いて、美穂ちゃん。
それで、保管庫って?」
「はい、あの、夜明け前に、周子さんと一緒に調べた場所で。
さっきまで私がつけてた、ヘルメットや防弾チョッキがあったところです」
美穂は説明する。
塩見周子と一緒に、警察官の持っている装備を探し回ったこと。
重過ぎて使えそうにない全身プロテクターや、山積みの防具類を見つけたこと。
未だ防刃ベストのことを防弾チョッキだったと勘違いしている美穂だが、しかし大事なのはそこではなく。
「その……友紀さんも、ブリッツェンも居なかったんですけど。
前は鍵が掛かってて開けられなかったロッカーが、1つだけ開いていて、中は空っぽで……!」
「…………っ!」
「そこって、ピストルとかが入ってるんじゃないかな、って2人で話してたやつなんです。
あと……そのロッカーのあたりの床が、まだちょっとだけ、濡れていました……足跡とかあって……」
周子と美穂が以前諦めざるを得なかった、装備保管庫の鍵付きロッカー。
それをどうやって開いたのか、多少の謎は残るものの……。
濡れた痕跡を残す人物など、身体を拭きもせず着替えもせず歩き回った、友紀くらいしか、いない。
「っとー! 大変大変っ!! ココの入り口あたり見てきたんだけどーっ!」
さらにそこに大声を挙げつつ駆け寄ってきたのは、柔道着姿の日野茜。
その手に握られていたのは……
「え、それって、友紀ちゃんの持ってた――バット?」
「そう! これ!
この警察署の、正面玄関のとこに!
落ちてた……というか、たぶん、きっちりと揃えて、置いてあった!」
「あえて置いていった、ってこと?
あれ、でも、それならさっき出ていった泉ちゃんや楓さんが気づかない訳が……」
「駐車場に出るなら、正面玄関より南側の出口の方が近いから。
たぶん2人はそっちに回ったんじゃないかしら」
「友紀ちゃんも2人と一緒に出掛けた……ってのは、ないよね、やっぱり。ブリッツェンのこともあるし」
4人は互いに顔を見合わせる。
大石泉と高垣楓が、予定を変更して、車で図書館に向かう。
実はそのことは既に、泉の口から聞いてはいた。
会議室で着替え始めた直後、藍子が長襦袢を手に取る前に、泉が顔を出して告げて行ったのだ。
同時にその時、泉は友紀の行方を気にかけている。
藍子も聞いていた、図書館に行く際に友紀にも同行をお願いする約束。
それを気にしての確認だったのだが。
『まだ服を探してる? ……そうですか。
ならすいません、友紀さんに謝っておいて貰えますか。
こっちからお願いしておいて申し訳ないですが、友紀さん抜きで行ってきます、って。
ちょっと待ってられないですし、彼女が風邪を引いたりしても大変ですし』
と、酷く慌てた様子で伝言と、医務室で寝ている2人のことを託して飛び出していったのだ。
そのことを思い出せば、泉や楓と友紀が一緒にいるとは、ちょっと考えづらい。
ということは――
「……たぶん、ブリッツェンは友紀ちゃんと一緒にいるんだと思うの。
私が、ちょっと『お願い』しておいたから。きっとそのままついていっちゃったんじゃないかしら」
「『お願い』?」
「まあ、ほぼ同時に居なくなってるんだから、無関係とは思えないよね」
ブリッツェンと親しい藍子が、『彼』は友紀を追って出て行った、と断言する。
彼女がそう言うのなら、他の3人にはそういうものか、と納得するしかない。
そして友紀がひとり武装を整え、誰にも告げずにこの場を離れる理由なんて――
「……たぶん、『敵』、だよね」
「うん……」
姫川友紀が、誰の目にも明らかに過剰反応していた推論上の存在――『敵』。
有力候補として
十時愛梨の名が挙がっているが、しかしその確証はなく。
ただ、誰もがその推論に異議を唱えられない相手。
明らかに危険で、皆の安全と、脱出と、生存のための脅威となる、『敵』。
なぜ、今このタイミングで友紀が行動を起こしたのか、それは誰にも分からない。
どうやって、美穂たちが一度は諦めたロッカーを開けることができたのか、それも分からない。
けれど彼女が、義理を欠いてしまうことも、心配をかけることも承知で勝手に事を起こすとしたら。
他に、それらしい動機なんてない。
茜が持ってきた子供用バットを何とはなしに受け取った藍子は、ギュッとそれを握り締める。
それはきっと、決別の証。
野球狂だった友紀が、それさえも置いていくという――そんな、無言のメッセージ。
「藍子ちゃん――それで、どうするの?
楓さんたちは出掛けちゃってるし、ネネさんたちは動けないし……!」
「……追います。
追いかけて、追い付いて、止めます」
おずおずと美羽に問いかけられて、高森藍子は、珍しくもきっぱりと言い切った。
言い切って、そして藍子は美羽の肩に手を乗せると。
「……美羽ちゃん」
「な、なにっ!?」
「私は、すぐに友紀ちゃんを捕まえて、戻ってくるから。
こっちは――留守は、任せちゃって、いい?」
「――――っ!」
力強い言葉。
思わぬ言葉に、美羽は息を呑む。
FLOWERSの末妹。グループの最年少。
皆に可愛がられ守られて、転んで間違えて足を引っ張ることも多くって。
日々、自らのあり方を模索しては、上手くいかずに悶絶する、そんな矢口美羽という少女が。
誰もが認めるリーダー・高森藍子から、こんなにも真っ直ぐな信頼を、向けられている。
なら、それに返す答えは勿論。
「――が、頑張るっ!」
少しだけ声は裏返ってしまったけれど、美羽は力強くうなづいてみせたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
午後11時過ぎ、冷たい雨は未だ窓の外に降り続いている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
タイヤと濡れた路面が悲鳴を上げて、一台のミニパトがドリフト気味に駐車場に到着する。
制止の際の反動で、小柄な車体がひときわ大きく揺れる。
目の前には、大きな建物。
やはりこの距離、車を使えば、図書館までは本当にすぐに着いてしまう。
「はい、とうとう、到着で~す!」
「……お、おつかれ、さまでした……!」
楽しそうに声を挙げる高垣楓に、助手席の大石泉は疲れ切った様子で大きく息を吐く。
たぶんいつものダジャレなのだろうけれど、そこにツッコミを入れる余裕もない。
自慢できるような運転ではない。
出発前、そう聞いてはいたが――それは何というか、だいぶ婉曲な表現であったようだ。
てか、これで細い山道を走って温泉に行くとか、本当に大丈夫なんだろうか。誰か止めろよ。
予想外の所で受けた精神的疲労に、泉は大きく溜息をつく。
「それにしても……楓さん」
「何?」
「その……なんで、わざわざ付き合ってくれたんですか?」
「…………」
ワイパーを止め、エンジンを止めた楓に、泉はずっと気になっていたことを尋ねる。
泉の問いに楓はハンドルに手をかけたまま、フロントガラス越しに天を仰ぐ。
「あんなに、嫌がってたのに……慎重論を唱えてた、楓さんなのに。
車まで出して貰って、なんというか……」
「…………」
「なんというか……こっちの手伝い、という以外にも、何か理由あったのかなって」
「…………」
しばしの沈黙。
車の屋根を、雨粒が叩く音だけが響く。
やがて、楓は迷うように、躊躇うかのように、口を開いた。
「……分からない、のよ」
「何が、です?」
「どういう態度を取ればいいのか。どう接すればいいのか。私には正直、分からないの。
だから――理由つけて仕事みつけて、逃げてきちゃった♪」
「誰のこと、ですか?」
楓は力なく微笑んで見せるが、泉にはいまいち腑に落ちない。
いつもニコニコ、柔らかな物腰を崩そうとしない高垣楓。
ときおり反応に迷う冗談を飛ばしはするが、温厚な彼女が人を嫌ったり避けたりというのは想像しづらい。
そんな泉に、楓は困ったような笑顔のまま。
「誰、というか……
人を殺しちゃった子。
そして、人を殺そうとした子に、ね」
「……っ!」
「どうしても、考えてしまうの。
どうしても、被ってしまうの。
これだけ経っても、まだ、簡単な疑問が頭から離れないの。
……ねえ、本当に、何でなのかしらね。
まゆちゃんが、死ななければならなかったのは」
佐久間まゆ――。
その名は、泉も既に聞いていた。飛行場での悲劇の顛末は、一通り説明を受けていた。
そこで高垣楓が強いショックを受けたであろうことも、容易に想像はついた。
けれど、それを表に出さない人だったから……ついつい、泉も失念していたのだ。
警察署に留まっていれば、小日向美穂と……毒殺を試みた少女と、顔を合わせずにはいられない。
一度は殺し合いに乗る決意をしたと告白した矢口美羽も、健在だ。
「おかしいでしょ?
もう、名前が呼ばれてしまったのに……もう、とっくに死んでしまったというのに。
私は未だに、
ナターリアちゃんのことを許せずにいるの」
「…………」
「美穂ちゃんを意識すると、どうしても、思い出さずにはいられなくて……。
だから、ちょっと距離を置いて気持ちを整理したかった、っていう……ただ、それだけのこと」
雨が降り続いている。
無理して急いで、時間を惜しんでいるはずの大石泉も、楓の独白に、ただ黙り込むしかなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
午後11時過ぎ、冷たい雨は未だ窓の外に降り続いている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「…………」
「…………」
なんとなく居心地の悪い沈黙が、廊下を覆い尽くしている。
医務室の前、廊下の壁際に置かれたソファに、少女が2人。
矢口美羽と、小日向美穂が、並んでただ、無言のままに、座っている。
医務室の中には、川島瑞樹と栗原ネネ。
瑞樹は寝息を立てている。
ネネはときおり、トイレとベッドとを、往復している。
この2人に何かあったら動けるように、でも、外で何かあった時にも対応できるように、と思ったら。
丁度いい具合に置かれていた、このソファのあたりに居るくらいしか、ない。
誰かがここで留守を守るしかない。
けれど特に今、何かやるべきこと、というものは――ない。
今すぐやるべきことも、こなすべき仕事も無くなってしまうと。
小日向美穂の胸の内には、先送りしてきた課題が、どうしても戻ってきてしまう。
つまり、自分のしでかしてしまったことに、どう責任を取るのか。どう償うのか。
幸いと言っていいのかどうか、声高に美穂を糾弾するような人物は、この場に1人も居なかった。
感情的に責め立てる人物も、厳罰を求める人物も、追放を主張するような人物も、このグループには居ない。
多少なりとも対応に困ってる様子の人は居たけれど、基本的にみんな、優しく接してくれて。
だからこそ、美穂には、これからどうすればいいのか、途方に暮れてしまう。
「……あの、美穂さん」
「は、はいっ!」
急に隣から声をかけられて、思わず美穂は飛び上がるように背を正す。
そう、彼女に対しても、美穂はどう接したらいいのか、良く分からずにいるのだ。
藍子たちが傍にいる間は、あまり意識せずに済んでいたけれど――
矢口美羽。
小日向美穂が、本当は殺そうとしていた、その相手。
そんな彼女が、まさにそのクリティカルな核心を、口にする。
「その、美穂さんは……
わ、私を、殺そうとしていた……んですよ、ね? 藍子ちゃんから、聞きました」
「…………っ」
「あ、別にその、謝罪して欲しいとか、そういうことじゃないんですけど……」
美羽は美穂の方も見ないまま、言葉を探すかのように向かいの壁に視線を泳がせる。
美穂はぎゅっと拳を握りしめて、美羽の言葉を待つ。
「その……私まだ、よく分からなくって」
「えっと……なにが、です?」
「自分が、本当に殺されそうになってたんだ、ってことが」
「…………」
美羽が、自分の中の気持ちを一つ一つ確かめるかのように、不器用に言葉を紡ぐ。
美穂は、せめて逃げてはいけない、と、身を正して耳を傾ける。
「私と歌鈴ちゃんも、一度は人を殺すんだ、って心に決めて……
誰が憎い訳でも、嫌いな訳でもなかったのに、誰かを殺そう、と話し合って。
後から無理だ、って気づいたけど、でもあの時には間違いなく、2人とも本気で」
「…………」
「でも、そうだったはずなのに……自分も、そっち側に居たのに。
自分が狙われたって聞いても、よく分からないんです。
許せばいいのか、怒ればいいのか、笑えばいいのか……その程度のことさえも」
「…………」
「それで、いっぱい考えて、考えて……思ったんです」
そこで言葉を切って。
ゆっくりと、美羽は美穂の方を振り向いた。
その瞳はどこまでも真摯で、真剣で、真っ直ぐで。
それはどこか、あの時屋上で手を差し伸べた、高森藍子の瞳にも似て。
「私は――あなたのことを、小日向美穂さんのことを、もっと知りたい、って。そう思ったんです」
「…………」
「たぶん、私たちは、もっと話をするべきなんだと思うんです。
お互いを知るべきだと、思うんです」
自分たちのこと。
お互いのこと。
アイドルのお仕事のこと。
それぞれのプロデューサーさんのこと。
道明寺歌鈴のこと。
高森藍子のこと。
姫川友紀のこと。
相葉夕美のこと。
そのほか、いままで出会ってきた、全ての人のことを。
2人の間に、話すに値するものは、いっぱいある。
そうだ、きっと美穂は、知らなければならないのだろう。
これからのためにも。
これまでを知るためにも。
美穂は痛みと反省を胸に抱きながら、美羽の言葉に静かにうなづく。
窓の外の雨音は、だいぶ弱くなってきている。
留守番役の2人の間に、たぶん、語るための時間だけは、たっぷりと与えられているはずだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
午後11時過ぎ、冷たい雨は――――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
急ぎ追いかけるつもりだった彼女だが、やはり急な出発ともなると、多少の準備は必要だった。
身支度を整え、忘れ物がないよう自分の荷物を一通り確認し、残されていたバットを握り締め。
警察署の正面玄関を出ようとしたところで、肩をポンッ、と叩かれた。
「……キャッ!」
「っと、ごめん、驚かせちゃった!?
てか私も付き合うよ! 1人じゃ色々と危ないしっ!」
振り返った高森藍子の目に飛び込んできたのは、柔道着姿であけっぴろげに笑う、日野茜だった。
その肩には荷物と、一本の竹箒が担がれている。
「ま、ほんとのコト言うとさ!
ただ、じっと待ってるってのが性に合わないってだけなんだけどね!」
「茜ちゃん……」
「それにユッキが駄々捏ねたりしたら、引きずって帰るのにも人手はいるっしょ!
力仕事なら、まーかせてっ!」
「……ありがとう」
ニッコリ笑って、力こぶを作って見せる。
そんな茜の気遣いに、着物姿の藍子も柔らかな笑みを浮かべる。
「それで、どこに向かったか、見当ってついてる?」
「まだ悩んでいるんですけど、候補としては2ヶ所あって……。
その、泉ちゃんたちが話していたことなんですけど」
おそらく『敵』を倒すためだろう、武器を持って出て行った(と思われる)姫川友紀。
しかし『敵』の正体や居場所について確証がないのは、彼女も同じだったはず。
ではいったい、どこに行ったのか?
どこに行けば『敵』と会えると考え、行動を起こしたのだろう?
「まず、皆さんが役場で襲われたのは『学校に立ち寄ったからじゃないか』っていうんです。
『学校』に何か大事なモノがあって、そのせいでマークされて尾行されたんじゃないか、って。
だから」
「ふむふむ。
『学校』に誰かが行けば、ちひろさんあたりから『敵』に連絡が行くのかな?
なら『学校』にまた行けば、もう一度『襲ってもらえるかもしれない』。
なるほどそこを返り討ちに、ってのは、いかにもありそうだね!」
「ええ。
それから、役場で瑞樹さんが傷を負って、『総合病院』に治療に行くことも考えたそうですけど。
逆にそれは読まれやすいんじゃないか、待ち伏せされるんじゃないか、って話が出て。
だからこそ、こっちの方向に逃げてきたわけで……」
「もし、その推測が正しいなら――
『敵』さんは今も『病院』に居そうだよね。
待ち伏せのつもりで先回りして、でも誰も来なくて、この雨で雨宿りすることになって……!」
「はい。
そして友紀ちゃんも、泉ちゃんたちとずっと一緒に行動してましたから。
こういう話を、ずっと聞いてきたはずですから。
きっと、同じように考えたと思うんです」
『学校』に向かい、再び『敵』が襲ってくるのを待つつもりなのか。
それとも、『総合病院』に向かい、待ち伏せするつもりで構える『敵』の虎口にあえて飛び込むのか。
選択肢は2択。
友紀がどちらを選んだのか、彼女たちは推測せねばならない。
「ま、でも、道は途中までは一緒だよね! とりあえずは出発しよっか!
途中で捕まえられれば、それに越したことはないしっ!」
「……ですね」
茜は笑い、藍子もつられて微笑む。
気付けば雨は、止んでいる。
どこか清涼感すらある雨上がりの夜の街に、少女たちはその一歩を踏み出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
日付が変わる直前。夜空はようやく、泣き止んで。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
【G-4・街中/一日目 真夜中(放送直前)】
【姫川友紀】
【装備:特殊警棒、S&W M360J(SAKURA)(5/5)×2、防弾防刃チョッキ、ベルト、ブリッツェン?】
【所持品:基本支給品一式×1、電動ドライバーとドライバービットセット(プラス、マイナス、ドリル)、
彼女が仕入れた装備】
【状態:疲労、しかし疲労の割に冴える醒めきった頭、ずぶ濡れ】
【思考・行動】
基本方針:FLOWERSの為に、覚悟を決め、なんだって、する。
1:FLOWERSを、そしてみんなを守る。そのために『悪役』を誘い出し返り討ちにする。
2:学校と病院、どちらに行こう……?
※警棒、拳銃(M360Jサクラ)×2、防弾防刃チョッキ、ベルト、を手に入れました。
他にも何か手に入れた装備があるかもしれません
※ブリッツェンが友紀の後についてきています。同様にずぶ濡れです。
※ブリッツェンは、藍子に何か『お願い』をされているようです。
※学校と病院、どちらを目指したのか(あるいは別の選択をしたのか)は後続の書き手にお任せします。
【G-3・図書館前(駐車場)/一日目 真夜中(放送直前)】
【大石泉】
【装備:なし】
【所持品:基本支給品一式x1、音楽CD『S(mile)ING!』、爆弾関連?の本x5冊、RPG-7、RPG-7の予備弾頭x1】
【状態:疲労、右足の膝より下に擦過傷(応急手当済み)、焦り】
【思考・行動】
基本方針:プロデューサーを助け親友らの下へ帰る。脱出計画をなるべく前倒しにして進める。
1:急ぎ図書館で、首輪爆弾に関する本を探し調べる。(持ち帰って警察署で読む?)
2:楓さん……?
3:夜が明けたら港に船を探しに行く。そして、学校も再調査する。……計画を早める?
4:緊急病院にいる面々が合流してくるのを待つ。また、凛に話を聞いたものが来れば受け入れる。
5:悪役、すでに殺しあいにのっているアイドルには注意する。
6:行方の知れない
三村かな子のことが気になる。
【高垣楓】
【装備:仕込みステッキ、ワルサーP38(6/8)、ミニパト】
【所持品:基本支給品一式×2、サーモスコープ、黒煙手榴弾x2、バナナ4房】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:アイドルとして、生きる。生き抜く。
1:泉の図書館調査を助ける。
2:美穂とどう接したらいいんだろう。ナターリアのことを、どう整理をつければいいんだろう。
3:まゆの思いを伝えるために生き残る。
4:……プロデューサーさんの為にちょっと探し物を、ね。
5:お酒は帰ってから……?
※2人とも、まだ姫川友紀の単独行動、藍子と茜が友紀を追って警察署を出たことを知りません。
友紀&ブリッツェンとは、違う道を通ってすれ違い、追い越してしまったようです。
【G-5・G-4との境界付近/一日目 真夜中(放送直前)】
【高森藍子】
【装備:少年軟式用木製バット、和服】
【所持品:基本支給品一式×2、CDプレイヤー(大量の電池付き)】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:殺し合いを止めて、皆が『アイドル』でいられるようにする。
1:単身飛び出していった友紀を止める。
2:学校と病院、どちらに行く……?
3:自分自身の為にも、愛梨ちゃんを止める。もし、悪役だとしても。
※未確認支給品の最後の1つは『クリスマス用衣装』でした。小日向美穂に譲渡しました。
【日野茜】
【装備:柔道着、竹箒】
【所持品:基本支給品一式x2、バタフライナイフ、
44オートマグ(7/7)、44マグナム弾x14発、キャンディー袋】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:藍子を助けながら、自分らしく行動する!
1:藍子と共に、友紀を連れ戻す!
2:できることがあればなんでもする!
3:迷ってる子は、強引にでも引っ張り込む!
4:熱血=ロック!
※藍子と茜の2人が学校と病院、どちらを目指すのかについては、後続にお任せします。
【G-5・警察署 医務室/一日目 真夜中(放送直前)】
【川島瑞樹】
【装備:H&K P11水中ピストル(5/5)、婦警の制服】
【所持品:基本支給品一式×1、電動車椅子】
【状態:疲労、わき腹を弾丸が貫通・大量出血(手当済み)、睡眠中】
【思考・行動】
基本方針:プロデューサーを助けて島を脱出する。
1:今は身体を休めて寝る。体力の回復と温存が最優先
2:日が開けたら港に船の確認をしにいく。(その時、車を出す?)
3:もう死ぬことは考えない。
4:この島では禁酒。
5:
千川ちひろに会ったら、彼女の真意を確かめる。
【栗原ネネ】
【装備:なし】
【所持品:基本支給品一式×1、携帯電話】
【状態:憔悴】
【思考・行動】
基本方針:輝くものはいつもここに 私のなかに見つけられたから
0:皆のためにも生きる。厳しくとも怖くとも最後まであきらめない。
1:今は休み、体力の温存と回復を図る。
※毒を飲みましたが、治療により当座の危機は脱しました。
※1日~数日の間を置いて、改めて容体が悪化する可能性が十分にあります。
※未確認支給品の最後の1つは『和服』でした。高森藍子に譲渡しました。
【G-5・警察署 廊下(医務室前)/一日目 真夜中(放送直前)】
【矢口美羽】
【装備:鉄パイプ】
【所持品:基本支給品一式、ペットボトル入りしびれ薬、
タウルス レイジングブル(1/6)、歌鈴の巫女装束】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:藍子からの信頼に応える。
1:美穂のことを、もっと知りたい。もっと話したい。
2:藍子に任されたから……頑張る!
3:悪役って……。
※歌鈴の巫女装束を脱ぎ、最初に着ていた私服姿に戻っています。
【小日向美穂】
【装備:クリスマス用衣装】
【所持品:基本支給品一式×1、草刈鎌】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:恋する少女として、そして『アイドル』として、強く生きる。
1:美羽に戸惑うけれど、ちゃんと受け止めたい
2:改めてネネに罪悪感。
3:悪役って……?
※装備していた防護メット、防刃ベストは雨に濡れた都合で脱ぎ捨てました。
必要になりそうなら再度また取ってくるつもりでいます。
最終更新:2014年02月27日 20:35