GRIMM――灰かぶり姫の愉悦 ◆RVPB6Jwg7w
意地悪な義姉たちはその報いとばかりに、両目を鳩たちについばまれてしまいました――
結婚式で起こったこの惨劇に、灰かぶりがどういう表情を浮かべたのかは、伝えられてはいません。
* * *
――草原から山頂までは、思いのほか近かった。
そもそもあの救護センターからして、遊園地の敷地内では最も高い山頂よりにあったのだ。
そこからアテもなく飛び出して辿り着いた、ちょっとした草原。
長々と坂道を駆け下りた記憶もないから、そんなに離れていないのも道理だった。
ちょうど近くを通っていた登山道が、案外歩きやすかったのも幸いした。
それでも登り坂に多少は荒くなった呼吸で肩と胸を揺らしつつ、彼女は考える。
小さなつぶやきが、青ざめた唇から零れ落ちる。
「なんで、また戻ってきたんだろ……」
山頂の見晴台。
深い闇と沈黙に沈んだ、見覚えのある光景――見覚えのある死体2つ。
あのまま、ずっと草原で横たわっていても良かったはずなのに。
疲れた身体は、むしろそれを欲していたというのに。
気まぐれにふらりと立ち上がってしまった自分は、なぜ、また、こんなところに。
孤独に彷徨う
十時愛梨は、何に導かれたのかも分からぬまま、静かに星空を仰いだ。
* * *
放り込まれたのは地獄の釜の中。
耳にこびりついたのは『生きて』という短い遺言。
天に向けて引き金を引いて、『希望』と決別した。
そのままの勢いで、2人を襲って殺し損ねて、別の2人を殺して、1人を見逃した。
目的を見失って、指針を失って、全てから逃げるようにして山頂まで来た。
「そしてこの場所で、また、銃を撃てたんだ」
十時愛梨は、じっくりと確かめるように口にした。
深い夜に包まれた山の上。
色彩を失った周囲は先ほどまでの雨に洗われて、それでも彼女の蛮行の痕跡を残していた。
首を失った遺体と――砕け散って、飛び散った、……だったもの。
あの行為に至った理由は、今でも愛梨自身うまく説明しきれない。
ある種の狂気に突き動かされていたようにしか思えない。
それでも、その『発見』は、『引き金を引ける』という事実は、彼女にとって『確かなもの』だった。
『確かなもの』だった、はずなのに。
「なのに、私は許されて『しまった』」
まったく異質な狂気が、狂気と表裏一体の慈愛が、そんな彼女を包み込んでしまった。
想像すらしていなかった無防備な姿で、絡め取ってしまった。
そしてさらにそこに加わった、もう2人。
彼女たち3人は、愛梨のこれまでを全て知った上で『許して』くれた。
疲れ切っていた愛梨は、流されるままに『許し』に甘え、身を委ね、そして――
――シンデレラが齧った甘い林檎の中にこそ、猛毒が仕込まれていたのです――
という言い方をすると、なんだかいろんな童話が混じって混線してしまった感じになるけれど。
『毒林檎』を一口齧って、吐き出して、テーブルをひっくり返して、逃げ出した。
それが今の十時愛梨の置かれた状況を、詩的に端的に表現したものだった。
* * *
「そっかぁ……確かめたかったんだね、私……」
山頂から遠く見渡せば、眼下には点々と灯る街灯の明かり。
そして否が応でも目に入る、眠ることのない遊園地。
無意識のうちにこの夜景を求めたのは、たぶん、自分の内なるモノを再確認したかったのだろう。
雨に濡れたまま、ろくに乾いていない愛梨の身体は冷え切っている。
つらく悲しい24時間を思い出して、愛梨のココロも冷え切っている。
けれど、なぜだろう。
あの暖かった遊園地の救護センターより、ここの空気の方がよっぽど肌に馴染む感じがする。
温もりなんて、もう要らない。
優しさなんて、もう要らない。
愛梨は寒さに震えだしそうな唇で、声を出さずにつぶやく。
あの居心地の悪い『優しさ』に包まれて、ずっと腫物を扱うように扱われ続けるくらいなら。
既にプロデューサーを失ってしまった『可哀想な』自分に対する上からの優しさ。
積極的に人を殺して大きな罪を背負った『愚かな』自分に対する上からの優しさ。
まったく欠片も悪気のない、無自覚で傲慢で半端な優しさ。
そんなモノにうっかり『許されて』しまうくらいなら。
冷たいままで、いい。
許されなくって、いい。
「……みんなも、冷たくなっちゃえ」
ぞっとするほど冷酷な言葉を漏らした自分に、愛梨は驚き、そして、なぜか少しだけ安堵する。
残酷でひどい考えが、次々と湧き上がってくる。
みんなみんな、冷たくなってしまえ。
ここに転がっている2人のように。
島中のあちこちに転がっているみんなのように。
既に冷たくなってしまった、愛梨の一番大事な人のように。
うん、愛梨たち『だけ』が大事な人を失うなんて、不公平だ、ズルい、許せない。
みんなもそれぞれ大事な人を失ってしまえばいいのに。
無意味に唐突に失ってしまえばいいのに。
そういえば、さっきちひろが何か言っていたっけ。
そうだ、みんなにとっては、プロデューサーは人質なんだ。戦わずにサボっていると殺されるんだ。
早く、早く、早く早く脅しだけじゃなくて早く早く1人でも2人でもいいから早く実際に早く無惨にはやく
……今更ながらに、怒りと嫉妬と憎悪が、心の中に荒れ狂う。
愛梨の持っていた生来の『優しさ』が抑え込み捻じ曲げていた、強烈な負の感情。
愛梨の持っていた天性の『人の好さ』が否定し目を背けていた、攻撃的な情念。
優しく穏やかな愛梨だったからこそ、今頃になってようやく向き合うハメに陥っている、そんな魂の深層。
その一方で、どこまでも冷え切った理性のまま、そんな自分を内側から観察するもう一人の愛梨がいる。
愛梨はどこか自嘲するように思う。
こんな気持ち、とても『シンデレラガール』には相応しくない。
まるでシンデレラではなく、意地悪な義理の母と姉たちみたいだ。
ああでも、だけど、物語の中のシンデレラだって。
あんな陰湿なイジメを受け続けて、綺麗なままでいられたはずがないんだ。
そう考えて、ふと、思い出した。
思い出してしまった。
『幸せになったシンデレラは、義理の母や姉もお城に呼んで一緒に仲良く暮らしました』
なんていうのは、後になって物語に加えられた蛇足の綺麗ごと。
幼児が聞いてもおかしいと分かる、無理のある欺瞞。
子供すら騙せぬ子供騙し。
原初のシンデレラは、もっと暗く、凄惨で、容赦がない。
義理の姉たちはガラスの靴に合わせて踵を切り、足の指を切り、その小細工も見抜かれて失敗する。
それでも王子の寵愛を得たシンデレラにすり寄ろうとした姉たちは、鳩たちに目玉をくり抜かれる。
そんな、本当は怖い童話のお話を、愛梨もどこかで聞いた覚えがあった。
アイドルたちの頂点を決める大イベント、シンデレラガール総選挙。
それは『第一回』と銘打たれていた。
あの時点では『2回目』以降の予定も計画も何もなかったけれど。
「私は『シンデレラ』。
『第一回』の――『初版』の、『シンデレラ』。
当たり前に泣いて、笑って、恨んで、仕返しも考える……ごく普通の女の子」
愛梨の血の気のない唇に、薄い笑みが浮かぶ。
負の感情と冷たい理性とが、ようやくかっちりと噛み合ってひとつになる。
「そうだね……『優しく』してくれたみんなにも、『お返し』をしてあげなきゃ。
『あの2人』はもういいから、あとは卯月ちゃんかな」
どこかすっきりと冴えわたった頭で、愛梨は遊園地の方を振り返る。
『優しく』してくれた島村卯月。
『許して』くれた島村卯月。
そんな彼女に対する『お礼』は、何がいちばんふさわしいだろう?
「確か『ニュージェネレーション』を諦めない、って『言って』たよね……。
どうすればいいか分かんない、とかも書いてたよね。
だったら……」
足元の首なし遺体をちらりと眺めて、愛梨は手の内のサブマシンガンの重みを思い出す。
そういえば空になっていた弾倉を、既に手馴れてしまった手つきで交換する。
この銃を使ってやってあげたいこと。
普段の愛梨ならきっと想像もできなかったような、ヒドイこと。
「未央ちゃんだけじゃ寂しいだろうし、未央ちゃんだけってのもズルいし……
残りの2人も、私が一緒に『してあげる』。
順番に未央ちゃんのところに、『送ってあげる』。
そうだね、凛ちゃんが先で、卯月ちゃんが最後かなっ?
うん、それがいいよねっ、うん、そうしようっ!」
それはきっと、とても素敵な思いつきだった。
* * *
ふと見上げれば、吸い込まれそうな濃紺の彼方に、微かに夜明けの気配を孕み始めた空。
白み始める、と表現するにはやや早い、しかし、漆黒と星々だけの時間も終わろうかという頃合い。
今宵最後の星の光が、深い宇宙の色の奥へと遠ざかりつつある。
とりあえず、
渋谷凛を探そう、と思った。
どこに行ったか見当もつかないけれど、卯月とは違う方向に山を降りれば、きっと見つかるはず。
その程度の考えで、さっきとは別の登山道を選んで下り始める。
山頂近く、愛梨が通り過ぎた道の脇には、小さな木の看板が残されていた。
坂の下を指して刻まれた矢印には、ただ一言、『キャンプ場』とのみ記されていた。
【E-5 登山道/二日目 黎明】
【十時愛梨】
【装備:ベレッタM92(15/16)、Vz.61"スコーピオン"(30/30)】
【所持品:基本支給品一式×1、予備マガジン(ベレッタM92)×3、予備マガジン(Vz.61スコーピオン)×2】
【状態:絶望】
【思考・行動】
基本方針:絶望でいいから浸っていたい。優しさも温もりももう要らない。それでも生きる。
0:キャンプ場に向かう。
1:みんなみんな、冷たくなってしまえ。
2:ニュージェネレーションはみんな殺してあげる。できれば凛、卯月の順に未央の所に送ってあげる
3:終止符は希望に――――
* * *
――それから、しばらくして。
十時愛梨は、無様に大地に倒れ伏していた。
涙が溢れる。目がちかちかする。
明るくなっていく空の下、立ち上がることもできずに激しく咳き込む。
ごりっ、と頭に硬い金属が押し当てられる。
それは間近に迫った死の感触。
軽く引き金を引かれただけで、自分は山頂の
本田未央のようになるのだ――と、愛梨は正しく理解する。
銃口を突き付けられたまま、愛梨は涙と鼻水とよだれでグチャグチャになった顔を上げる。
滲む視界のむこうには、凍るような殺意をまとった『魔女』のシルエット。
「――――、――――」
『魔女』が何かを言った。
それは、とてもとても冷たい言葉。
温もりなんて、欠片もない言葉。
その心地よい冷たさに、愛梨は、原初のシンデレラは――そして。
* * *
最終更新:2016年04月20日 00:26