THE 愛 ◆j1Wv59wPk2
二人の少女と、一人の少女が再開した。
待ち焦がれていた、そして、絶対に避けたかった邂逅。
片方が一歩踏み出すたびに、もう片方が一歩後ずさる、ような。
そんな状況は突然、あっという間に終わった。
「………は」
奈緒が我に返ったときには、もう動くものは何もなかった。
凛は同じように唖然としたように止まっていて、加蓮は―――地面に、仰向けに倒れこんでいる。
どれだけ目を逸らそうとしても、変わらない。
現実は、目の前で血を多く流し、ぴくりとも動かなくなった少女の姿。
そして、『彼女』は絶叫した。耳を塞ぎたくなるような、酷く悲しい悲鳴だった。
「嘘、だ……加蓮、ねぇ、加蓮っ……!」
目の前の光景に声を上げたのは、奈緒。
しかし倒れた加蓮に先に飛び出していったのは、凛の方だった。
揺さぶられても、一切の反応を示さずに力なく横たわっている。
それを見る凛の姿は、いつもの彼女からは想像もつかない程、狼狽えていた。
「……、………っ」
そこに奈緒が駆け寄らなかったのは、茫然としていたから――だけじゃ、ない。
心配じゃないから、なんて事もあるはずない。
真っ先に駆けつけたいという心はある。
ただ、それ以上に嫌な予感が頭をよぎり、心臓がうるさく高鳴っていた。
そもそも、『人間がいきなり体に穴をあけて倒れる』なんて事は、ありえない。
そうなるには、何か別の事が原因となるはずだ。
例えば、隠れている誰かが加蓮の体を撃ち抜いた、とか。
なら、その隠れている誰かは―――今、一体どこに?
「―――凛ッ!!」
それに思考が至った瞬間。
奈緒は凛の腕を掴んで、こちらに引き寄せた。
「な………っ!」
何を。凛がそう言うよりも先に、耳をつんざく音で遮られる。
それを聞いて、奈緒は自身の悪い予感が確信に至ったのを感じた。
凛もまた、理解する。相手はまだ、こちらを狙っているのだという事を。
そして、すんでのところで助けられたという事も。
「奈緒………っ」
未だ心臓がうるさく高鳴っている奈緒の元に、か細い声が聞こえた。
振り返った凛の表情は、とても不安げで、焦燥しきっているように見える。
奈緒は、思わず声を上げそうになった。
こんなに弱々しい彼女の姿を見たのは、初めての事だったから。
どうしよう、どうすれば、いい? そんな、混乱が目に見えて。
「………一旦、逃げるぞ」
そんな彼女に伝えたのは、あまりにも非情な決断だった。
「……何言ってるの、奈緒? まだ加蓮が、加蓮が……」
「凛っ!!」
酷く動揺する凛を、一喝する。
加蓮がまだそこにいる事ぐらい、分かっている。
それでも、彼女は二人で逃げる事を選択した。それはつまり、加蓮をここにおいていくという事。
凛には、到底理解できない。しかし、それでも奈緒はそう決断した。
奈緒と加蓮、二人にとって最優先だったのは、
渋谷凛が生き残る事。
奈緒が、加蓮の治療を最優先しなかった、その理由。
「加蓮は、もう……っ」
もう―――手遅れなのだと。
胸から多量の出血があり、もうぴくりとも動かない。
実際に生死の確認ができる余裕はないが、その状態の彼女に期待を込める事なんてできやしない。
認めたくない、事実。もしもう救えないとしても、絶対に見捨てたくはなかった。
しかし、現実は変わらない。奇跡なんて、起こりやしない。
冷静な思考が下した判断は、救えない者を連れて行くのは『無駄』だった。
それがどれだけ冷酷なものだったとしても、奈緒はそういう選択をする。
凛は、二人が託した希望だったから。
彼女を生かす事が、最優先だった。
「………………」
その言葉を聞き、凛は茫然としていた。
薄々、感づいてはいた。しかし、それでも認めるわけにはいかないという思いだけがあって。
例えそうだったとしても、せめて連れて行ってあげたいという気持ちだけが先走り。
それだけの事すら適わない、そんな歯痒さに言葉を失っていた。
「……いくぞ」
凛の返答は、聞かない。
事態は一刻の猶予もない。
彼女達がいる場所も、狙われないとは限らないから。
その腕を引っ張り、率先して足を踏み出す。
そうして、三人いた筈の少女達は、二人になってその場を去っっていった。
* * *
「……退いた、みたいね」
手を引き、走り去る二人を、留美は病院出口の影から覗き込んでいた。
その姿は無防備であり、狙いをつけて引き金を引けば、その命を奪えそうな程。
留美は二人に狙いをつけて――しかし、それが実際に行動に移される事はなかった。
「まぁ、こっちとしてもありがたいわ」
手に持っていた自身の武器をおろし、それを確認する。
そうして、留美はやっぱりと小さく呟いた。
元々の弾数の少なさ、混乱に乗じて放った銃弾、あの三人のうちの一人を仕留めた時の銃弾。
そして、先ほど当て損ねた銃弾。結果はそこそこ出たとはいえ、その分の消耗も多い。
この銃で撃てる弾は、無限ではないのだ。事実、今手元にあるものの弾数は一発しかない。
たった一発で、二人の人間を仕留める事などできやしない。
「やるなら、こっちの方が確実……かしら。
ま、終わった後にあの子たちからもらえばいいしね」
そう言って彼女が取り出したのは、『ベネリM3』。
この殺し合いに巻き込まれてから、ずっと持ち歩いていた彼女の武器だ。
重量もあり、隙もないとは言えないが、当てれば二人一気に減らせる事も可能だろう。
事前の評価としては低く見積もってはいたが、これも人を殺傷する為の武器。何もないより、信頼がおける。
勿論、たった一発の拳銃といえども未だ立派な武器。その銃を、自身のウェアのポケットへと仕舞い込む。
そうして準備を整えて、留美は意を決してその建物の中へと入っていった。
「……それにしても、随分と強力な『ライバル』がいたものね」
改めてあたりを見渡して、感心したように声をあげる。
かつては他に、殺し合いに乗る子がいなくなってきているのではないかと予測していた。
が、その結果は最早語るまでもない。
スプリンクラーの水である程度視覚的なモノは薄まったが、それでもこの凄惨な事実は何も変わらない。
はびこる血の匂いは、慣れていなければ相当にキツいもののように感じられた。
様子を伺い、混乱に乗じて銃弾を放ち、混乱が静まった後に二人の姿を見るまで、ずっと影で身を隠していた。
そして、二人の少女――
北条加蓮と
神谷奈緒と言ったか、その二人の会話を聞いて、声に出さずも驚愕していた。
これほどの大惨事を(自身の介入もあったとはいえ)起こしておいてなお、あれだけ冷静かつ平常心を保ちつつ話していて。
まるで、放課後どこにいくかを話す普通の女子高生のような。
もしかすると本当に、最近の子はこんなドライだというのか。恐ろしさもあり、ある種の敬意すら感じる。
成程、これは随分と将来有望な子達だ。そう、皮肉気味に思っていた。
単純に数の差もあり、殺意一つとっても、自身より上回っているかもしれない。
そんな少女達を、わざわざ身を危険に晒してまで狙うというのも効率的ではない。
そもそも行動に起こしたのは無抵抗に近い獲物を狙える可能性が高いからであって、自分の命を散らしては元も子もない。
ならばこの場は任せ、自身は他の獲物を探しに行った方が効率がいいのではないだろうか。
元々、ライバルの減り過ぎによるこのイベントの停滞も危惧すべき事だと考えてはいた。
ならば、ここは身を引くべきか……そう、思っていた。
だが、あの時彼女達の余裕を持っていた姿は一変した。
通路の別の方向から現れた、一人の少女によって。
その表情の変化がどういうものだったのかを理解できるほど、留美は彼女達の事を知らない。
ただ分かったのは、もう既に目の前の二人は完全に無力と化してしまったという事。
先ほどまでの頑なに見えた意思はもう、そこにはない。
あの狼狽え方には、もう積極的に殺す『狼』としての資格はなく。
ただの、等身大の少女で――群れるだけの、『子羊』でしかない。
だから、留美は見限った。
彼女達はこの殺し合いにおいて生かすに値しない。
もう、このイベントにおいて殺し合いをすることはない……と、そう踏んだのだ。
「………」
そうして歩を進め、自分の足元に転がる一人の少女に銃を向ける。
彼女が撃ち抜いた、あの三人のうちの一人――北条加蓮。
留美が見つめる少女は、もうぴくりとも動かない。
当然だろう、そう彼女は判断する。
胸を、撃ち抜かれたのだ。動脈か臓器でも傷ついたか、勢いよく血が溢れ出ている。
そんな状態で、普通の人間が生きている道理もない。
仮に即死でなく、意識があったとしても、そう長くは持たないと、そう結論付けた。
「……弾の無駄ね」
結局彼女はそう見切りをつけて、少女を放っておく。
後々の為、その手に握られていたクロスボウを回収する。それぐらいだ。
そうして、次にその近くに転がり落ちていたデイパックを調べる。
他に支給されている武器の類を回収する為。
留美はその中に、一つの期待を抱いていた。
「成程、これが元凶……って」
そこから取り出したのは、一つの拳大程度のもの。
手榴弾。強力な武器にして、この病院の騒動が大きくなった原因であろう一つ。
それには、留美も既視感があった。
「……やっぱり、同じものよね……。
同じ武器が、別の人間に支給されてる……?」
自身のデイパックからもかつて回収したものを取り出し、見比べる。
その二つは、似通った……というよりも、まったく同じものだった。
彼女らも『元々支給された人間』から奪い取ったのか、あるいはこれ自体が複数人の人間に支給されているのか。
思い返してみれば、確かに心当たりはある。
このイベントが始まってまだ間もない頃に出会った大きな爆発。
あの爆発も、思えば大きく燃え上がるタイプの爆弾だった。
今思えば、あれもこの爆弾のものだったのかもしれない。
(まぁ、そんな事より……まだ結構あるわね。有難い事だわ)
そんな仮定をたてて、しかし今は関係ない事だと早々に打ち切る。
それよりも現状が大事だ、と。中身を確認して、その想像以上に充実した数に満足そうに頷く。
こういった武器の殺傷能力と扱いやすさは、待ち望んでいた程に理解できる。
数があるなら、それだけ優位に立てる事は今更確認するまでもない。
「……結構濡れてるけど、まだ使えるはず……よね」
それでも、懸念する事はなくもない。
スプリンクラーの水であたり一面水浸しとなっており、これもまた例外ではなかった。
留美はこの場所で多くの経験を積んできたとはいえ、元々はただの一般人だ。
この手榴弾という武器が、こんな状況でも正常に作動するという確信は持てない。
おそらく大丈夫――とは思うが、万が一の時に不発したとなったら冗談にもならない。
「一個、試してみようかしら」
そんな不安に駆られた彼女が、そんな判断に至るのに時間はかからなかった。
貴重な爆弾ではあるが、それも使い物にならないとしたらただのお荷物となる。
その判断も、素人である留美には結局『実際に使って確かめる』ぐらいしか手段がない。
勿論、そう易々とそれを実行に移す程、留美は能天気ではない。
単純に手数が減るのもそうだし、爆発による衝撃やあたりに響く爆音も馬鹿にはならないだろう。
かといって、それに長考するような時間もない。逃げる二人も、今のうちに追撃する必要がある。
彼女達がまだ敵意なく逃げているうちに、仕留めておきたい。
ここの選択もまた、重要なものとなる。
さてどうしたものか、と。留美は思考を巡らせ――
* * *
「はぁ……はぁ……っ!」
しんとした通路を、荒い息と足音が響き渡る。
突然襲われ、後先考えずその場を離れて。
あれから二人は、病院内の通路をずっと逃げ続けていた。
腕を引っ張られている凛は俯いて、たどたどしく足を動かすのがやっとなように見える。
失意の底にあるように感じられる彼女を見る事は、つらかった。
(加蓮……ごめん、でも、あたしは……!)
そして、それより後ろは直視できない。
その事を思えば、きっと後悔してしまうだろうから。
親友を置いてきてしまった事に、未だ、奈緒の中で整理はついていない。
一緒だと誓ったのに、それすら無下にしてしまった事に、後悔の念を抱かないわけがない。
ただ、それでも今は生きないといけない。死んでしまっては、すべてが終わってしまうから。
凛だけは、死なせてはいけないから。
届かない謝罪ばかりを繰り返して、彼女は足を動かし続けた。
「……っ、追ってきてはないみたい、だな……」
一度足を止めて、他に何も聞こえない事を確認する。
足音はなく、他に人の気配もない。
襲撃者が身を隠して追跡したとしても、この静かな空間の中では足音ぐらいは響くはず。
しかし今は、それすらもない。
少なくとも距離はとれたのかと、とりあえず一息つく。
「…………て」
と、同時に。小さな声が聞こえた。
一体どこから、なんて考えるまでもない。
自分が発したものでないのなら、誰からの言葉かなんて決まっている。
「どうして……」
彼女――渋谷凛は、そうつぶやいていた。
その「どうして」にどんな意味が込められていたのか、奈緒はすぐには判断できなかった。
殺し合いに乗ったことか、二人で一緒に行動していたことか。あるいは、加蓮を見捨てたことか。
全部、かもしれない。
凛としては、よりにもよって奈緒が加蓮を見捨てるだなんて事、考えもしなかったのだろう。
危険だというのは、分かっていた。それでも凛が知る奈緒なら、そんな危険を犯してでも行くと思っていたから。
もしかしたら、もう自分の知っている奈緒じゃなくなってしまったのかもしれない。
そんな不安を、感じずにはいられなかった。
「…………」
対する奈緒は伏し目がちに、凛を見る。
その表情は、内に秘めていた不安を顕著に表していた。
そんな顔でじっと見つめられる事が、下手に強く問い詰められるよりも、遥かに辛い。
罪悪感に押しつぶされそうになって、目をそらし。
「…生きてて、ほしかったから」
やがて観念したように、その口を開いた。
「あたし達は……いや、あたしから、始まったんだ」
そうして彼女は、今までの事を語り始める。
一番最初に、自分が凛と加蓮と自分のプロデューサーの為に殺し合いに乗ることを決意した事。
真夜中の街で、加蓮を殺しかけてしまった事。
そして、最初の一人を手にかけようとして――彼女を巻き込んでしまった事。
他にももう一人手をかけて、一日かけて北に行って、この病院の中で襲撃して。
沢山の事を、簡潔に話した。
道中で加蓮と話した事や、ステージで踊った事は後回しにして。
殺し合いに乗っていて、もう後戻りできない程に罪を重ねてきた事を、重点的に話した。
「―――凛は、あたし達にできない事ができる、希望だったから。
それは加蓮も同じで……だから、二人で誓った」
そして、彼女のもう一つの問いにも答える。
どうして――加蓮を、見捨てたのか。
この殺し合いで生き残れる、最後の1人。
神谷奈緒も北条加蓮も、もうそうなるつもりはなかった。
ただ、ひとつ。自分達の友人が、自分達の夢を、約束をのせて生き残ってほしかった。
二人の中の最優先は、渋谷凛。
彼女が生き残る事こそ、悲願だった。
だからこそ、加蓮を助けるために凛が危険に晒されるわけにはいかず、死んでしまうなんてもってのほかであって。
加蓮を見捨ててでも、凛の安全を確保する事を優先した。
「加蓮を巻き込んだのは、あたしで……全部、あたしが悪いんだ」
そうせざるをえなかった事を、悔やんでいないわけじゃない。
元々、加蓮は最初こうやって殺し合いに乗るつもりはなかった筈。
それがどうしてこうなってしまったのかと言えば、それは覚悟を決めた奈緒が出会ってしまったからに他ならない。
もしもの話なんてしても意味がない事は、わかっている。
それでも、考えないことはない。
もしも、最初に殺し合いに乗る事を決意していなかったなら。
もしも、最初に出会ったのが加蓮じゃなかったなら。
もしも、最初に襲った少女を早く殺して、立ち去る事ができていたのなら。
今こうしている間にも、自分の犯した間違いを、もう取り返しのつかない罪に苛まれていた。
「…………」
それを、凛は遮る事なくずっと聞いていた。
何を感じているのか、その表情から多くを察する事はできない。
ただ、決していい気分ではない筈だろう。
今までを語る前に、奈緒は嘘を吐く事も考えた。
それこそ、生き残るために加蓮を利用した、とでも言って、凛が自分を見放すような嘘を。
元々、二人が凛と出会う事で一番危惧していたのは、凛も『こちら側』に来てしまう事。
自分達の憧れとして、希望を背負って生き残ってほしいと思う二人にとって、それだけは避けたい。
だからこそ、嘘をついて軽蔑されようとも思った。
しかし、結局そうしたって意味はない。
そんな事を言ったところで、凛が信じてくれるわけがなかった。
どれだけ取り繕ったって、凛は見破ってしまうだろうから。
そう確信するのに、目の前の少女は十分過ぎた。
「……ごめん」
あらかた話し終えた後、奈緒は申し訳なさそうに呟く。
そう言った後は、気まずい沈黙が流れていた。
奈緒は、ただ立ち尽くしていた。
一体、自分はなにをすればいいのか。
なにができるのか。なにを、したいのか、
凛と出会ってしまって、加蓮を喪ってしまった今、その思考が混乱していた。
「……ねぇ、覚えてる?」
そんな沈黙を破ったのは、凛の方。
さっきまでの狼狽したものとは打って変わった、穏やかな声だった。
「あの時の、約束」
「……あぁ」
彼女の言葉に、奈緒は頷く。
凛が何を言っているのか、思い当たる節はあった。
約束――そう呼ぶには抽象的すぎるかもしれない、三人で抱いた夢。
「それも、叶わなくなっちまったな」
けれど、それも過去の話だ。
あの時はまだ見ぬ天へと想いを馳せていたけれど、今はもうそこへ至る術はない。
奈緒はそうやって、吐き捨てる。
そうやって苦い顔をしている一方で、凛はまっすぐとこちらを見つめて。
「私は、まだ諦めてないよ」
そう、言い放った。
「……あたしだって、そう思いたいよ、でも……」
奈緒は思わず、目を逸らす。
そう言った凛は輝いていた。けれど、それが現実的な言葉ではないのはすぐにわかる。
もう自身はアイドルとしてステージに立てやしないし、加蓮だって、きっともういない。
そんな現実を分かっているからこそ、今の凛の事を直視できない。
だというのに、凛の目に宿る強い意志は一切揺るいでいない。
「だって……奈緒は、何も変わってなかったから」
その言葉に、奈緒は表情を変えた。
「な………何、言ってんだよ!?
変わってないなんて、そんなわけないだろ…!?」
思わず、声を荒げる。
この手は血で多く汚れたし、沢山の罪も重ねてきた。
もう、アイドルとして輝くための努力をしてきた神谷奈緒ではなくなった。
大きく、変わってしまった。
それは否定しようのない事実の筈。なのに彼女は。
「奈緒は、私達の為にずっと頑張ってたんだから。なら……いつもの、奈緒だよ」
場違いなほど穏やかな笑みで、そう断言する。
奈緒が、親友の事を想って決断をして。
加蓮が、そんな彼女を見て救いたいと願った。
そんな純粋で、不器用な出来事。
その結果を世界が責めても、凛だけな責めない。
凛は出会ったあの時、奈緒と加蓮が生きていてくれただけでうれしかった。
奈緒と加蓮も、きっと同じだった。それだけで、自分の意思を貫くには十分すぎる。
凛の信じた友人が『神谷奈緒』のままでいてくれた事に、安心していた。
「………ッ」
言葉に、詰まる。
対する奈緒は、内心焦っていた。
凛が、今の自分を認めてしまうのはまずい。
彼女が一番危惧していたのは、凛が加蓮のように『こちらに来てしまう事』だ。
それを、忘れていた。今更、心が警鐘を鳴らしている。
彼女を、突き離せ。一緒になってはいけない、と。
「奈緒」
奈緒が行動を移すよりも先に、凛は話を切り出した。
返事をする余裕がない。それを気にせず、凛は続けていく。
「これ、なんだかわかる?」
彼女が鞄から取り出したものは、無骨なわっか。
血に濡れていたそれは、奈緒にとって見覚えのあるもので。
「……首輪?」
それは、奈緒や凛につけられたものと全く同じもの。
「うん…智香のつけてたものなんだけどさ。私が、とったんだ」
「取った……?」
凛の説明に、奈緒は疑問を浮かべる。
智香。それは二人が手にかけた、最初のアイドルの名前。
何故、その首輪がこんなところにあるのか。
仮にそれと凛が出会ったとしても、それは不思議な事でもなんでもない。
ただ、首輪だけが今ここに、繋がった状態であるというのが不自然だった。
例え当人が死んだとしても、首輪は外れていなかった筈なのに。
「でも、あいつは………、………っ!?」
疑問を口走って、やがて息が詰まる。
奈緒の中で、ひとつの辻褄があった。
何故、首輪だけがこんなところにあるのか。
それも外れていない状態で。思い当たる可能性は、一つしかない。
「うん……私が、取ったんだ…………切って」
奈緒が何かを言う前に、凛は言い切った。
具体的に何を、とは言っていない。でも、奈緒にはすぐに察しがついた。
彼女が『それ』に、手を加えていた事を。
「私が合流した集団が、首輪解除の手がかりを探しててさ。
そのために使うんだって。もちろん、だからってやった事を正当化するわけじゃないけど」
その首輪をしまいつつ、凛は続けていく。
首輪の、解除。その言葉だけで、奈緒は唖然としていた。
そんなのは、夢物語だと、かなわないものだと思っていたのに。
「私も、奈緒が思ってる程綺麗なままじゃないよ。
智香の事を大切に思ってる人達に、きっともう顔向けなんてできない。
それに、智香だけじゃない……私は、いろんな人を犠牲にしてきて、その上にいる」
でも、凛にとって脱出できるという事自体はそこまで重要なんかじゃない。
勿論脱出するのは一番大事だけれど、自分だけが脱出したってなんら意味はない。
ただ、大切な人達の事を救うのだと。
その為に、今目の前にいる友人と、共に頑張ってきた仲間を救う為に。多くのものを犠牲にしてきた。
目の前で見殺しにしてしまった、
本田未央の事も。
助けられた筈なのに自身を優先してしまった、
岡崎泰葉と
喜多日菜子の事も。
思い出すのも辛い程の状態になっていて、それに何もできなかった
今井加奈の事も。
その体を傷つけた、
若林智香の事も。
そして――助けられなかった、北条加蓮の事も。
その全ての上に立って、今の渋谷凛は居る。
「それでも、
私はアイドルを諦めない。もう一度、ステージに立つ」
その事を自覚したうえで、なお決意は揺るがない。
だからこそ、かもしれない。今まで貫いてきて、今更止まれない。
沢山の人が死んでいっても、仲間がその手を離れても、親友が道を違えていたって。
「私だけじゃない。『私達』で、立ちたい」
強く願ったのは、仲間ともう一度あのステージに立つ事。
そして、親友と初めて一緒のステージに立つ事。
一緒に目指した夢は、諦めきれないから。
「みんなで、一緒に」
それはあの雨の中で、この逆境の中で立ち向かう少女と誓った決意の言葉。
「みん、な……」
その言葉をかみしめるように、奈緒は呟く。
そんな事、もう考えた事もなかった。
凛の為に戦い続けて、がむしゃらに生きていくうちに。
そう思う事すら、思考の外へ投げやっていた。
「もう、たくさんの人が団結してるよ。こんな事、おかしいんだって」
希望を追う集団がいる事も理解して、それでも奈緒は殺し合いに乗っていた。
その希望が絶対実るとも限らないから。
だから、もしもどうしようもなく、なんも結果も得られなかった時。
そうなった時に、凛一人を生かすために、それ以外を殺していった。
けれど、もう凛はそんな事を望んでいない。
いや、奈緒は最初から望んでいないことは分かっていた。それにずっと、目を逸らしていただけなのだから。
しかしこうして実感してしまった以上、また同じように足は踏み出せない。
「この首輪だって、外してみせる。プロデューサーも、みんな見つけてみせる。
卯月も探し出すし、未央だって、ステージの上に連れて行く。『私達』は、諦めない」
凛が上げた名前は、奈緒にとってもなじみのあるもの。
彼女がアイドルとして所属するユニットの、仲間。
そして、彼女の大切な存在。
「二人の事も、同じだよ」
そう想っていたのを見越していたかのように、微笑む。
不意を突かれた形となり、どきりとする。
その隙にさらに漬け込むように、凛は奈緒の目の前に手を差し伸べる。
奈緒は、ただその手を見つめていた。すり傷が痛々しい、でも、綺麗な手だった。
「私は、奈緒と同じステージに立ちたい。奈緒は……どう?」
伸ばした手を、ずっと動かさず。
問いかけた言葉は、奈緒の意思を確認するものだった。
その言葉を聞いて、奈緒は俯く。
自分は、どうなのだろう。
最初の間違いから、ずっと走り続けて、目を逸らし続けていた、自分の望み。
今までの事を考えれば、そう夢見る事すらおこがましい。
けれど、そういうのを全部抜きにしてもいいのなら。
ただ、自分の望みを言うのなら。
「……立ちたい、よ……!」
本当の事を言った瞬間に、目の前が滲みはじめた。
結局、望んでいたのはあまりにも純粋で、やっぱり不器用な願い。
ずっと、ずっと大切な人の事を考えて、そのために戦い続けたのは。
いつか夢見た、あの天高くに抱いた夢をどこかで諦めきれていなかったから。
そして、それを聞いた凛は晴れやかに微笑んで。
「じゃあ……行こうか、奈緒。
卯月も一緒に……未央と加蓮に届くぐらいの、ステージを」
はっきりと、そう言い切った。
その姿は、とても輝いて見えた。
もう、さっきまでの失意の底にいた姿も、無茶を言うだけの少女の姿はどこにもない。
彼女は、こちら側へ来るのではなく。
奈緒を、自分の方へと導こうとしている。
親友として――そして、アイドルとして、彼女は手を差し伸べていた。
「…………そっ、か」
それを聞いて、涙で潤んだ目を擦って。
顔を上げた奈緒の表情は、とても晴れやかなものになっていた。
凛は、二人が目指していた強いアイドルであり続けていた。
もう、心配することは何もない。
そして。
「ありがとう、凛。おかげで整理がついたよ」
目的を失った彼女に、居場所はない。
「……え?」
踵を返して、歩き出した奈緒に凛は驚いた。
てっきり、着いて行ってくれる流れだと思っていたのに。
けれど、現実は違う。彼女は背を向けて、歩いていく。
「な、奈緒? そっちは……」
進みだした方向は、彼女達が逃げてきた道。
それはつまり、一度は距離を離したはずの襲撃者に向かい進むという事だ。
奈緒も、それは分かっていた。分かっているからこそ、一人で、向かう。
凛と一緒にいる限り、奈緒は今までと同じ事なんてできない。
かといって、どれだけ逃げようとしたって彼女は絶対に離さないだろう。
諦めて、凛に甘えて生きる事も、奈緒は選べない。
そうすれば、彼女が選べる道はひとつ。
「ああ……ここでお別れだ、凛」
襲撃者を、止める。
凛を守る為に―――差し違えたと、しても。
「な、なんで……っ!」
「ごめんな、凛。でもさ」
奈緒の突然の言葉に、凛は動転する。
凛の申し出を断って、奈緒はまた手を汚す道を歩もうとしている。
凛には理解が追いつかない。けれど、奈緒にはれっきとした理由があった。
「加蓮が、待ってるんだ」
たった、それだけ。
それだけが、一番大事な理由。
「約束したんだよ。ずっと一緒だって」
加蓮がこんな道をいってしまったのも、元を辿れば自分のせいで。
そして先にいってしまった今、自分だけがやっぱりやめた、なんてわけにはいかない。
最期まで一緒にいる、そう誓ったから。
その言葉に奈緒も加蓮も、互いに安心していた。
一緒だったから、今まで歩んできた道も怖くなんてなかったんだ。
だから、加蓮だけを一人向こう側にいかせるわけにはいかない。
自分だけが更正して、加蓮だけを『間違った道』に取り残す事は、できない。
そして、なにより。
「あたしと加蓮の『これまで』を、無駄にしたくないから」
彼女を残して生きていく事は、この一日ずっと一緒に生きてきた事を否定するようで。
それを、奈緒自身が許すことができなかった。
「……っ」
凛の動きが、止まる。
それは偶然にも、凛が抱き続けてきた行動理由と似通っていて。
否定する言葉が、見つからなかった。
「ありがとう、凛。こんなダメなあたしに、手を差し伸べてくれて。
おかげで、もう後悔はないよ。自分に素直になれた、から」
奈緒に悩み苦しむような姿はない。
本当に、自分がやりたいこと。やらなければいけないことが、分かったから。
後は、それに殉ずるだけ。不器用な自分でも、できることだった。
「……あぁ。あと、これ。
あたし達さ……アイドルとして、遺したものがあるんだ。見てくれたら、嬉しいな」
そして思いだしたように、自身のバッグから何かを取り出す。
それは、手のひらサイズの機械――デジカメと、呼ばれるもの。その手に、ポンと置く。
反応は、何も返ってこない。けれど、奈緒はそんな事を気にしない。
一番見せたかった人物に、託す事が出来たから。それだけで、十分だ。
「うん、それじゃ……もう、いくな」
これで、ここでやる事は全部やった、筈だ。
もう一度、振り返って歩みだす。
満足な別れ、とはいかないだろう。けれども、いつまでも燻ってるわけにはいかない。
全部、自分の『ワガママ』から始まった事だ。
それにみんなを振り回して、こんな勝手な別れを切り出す事がよくないというのは分かっている。
けれど、もう戻れない。
戻るつもりもなく、戻ってはいけない。
「まっ……」
それでも、凛は納得できないだろう。
我に返ったように突然声を上げ、引き留めようとする。
だから、それを遮るように。
「………ッ!?」
ガキィン、と力強い音を鳴らした。
「……な、奈緒……?」
駆け寄る足は、壁に叩きつけられた奈緒のトマホークに遮られた。
それは血に濡れて、紅く怪しく光る。
今まで、決して少なくない数の血を吸ってきたもの。
凛が足を止めるには、十分すぎるほどの恐ろしさがあった。
そして、それを振りかざした少女の表情は、苦渋の表情をしていて。
「頼む……もう、止めないでくれ……!」
絞り出すように、懇願を発していた。
返される言葉は、何もない。
そして、今度は無言で、その場を立ち去る。
足音だけが大きく響いていく。
そして、距離が大きく離れていって。
「奈緒っ!!」
一瞬だけ、その動きが止まる。
けれど、それも本当に一瞬なのだろう。
彼女の意思は固い。止められない。それでも、止めなくちゃ、と。
その気持ちだけが先行し、心臓が大きく高鳴る音だけが聞こえて、そして。
「………うづ、き」
その声は震えて、今にも泣きだしそうな程弱々しくて。
その姿もまた、今にも崩れ落ちてしまいそうに震えていて。
「卯月、どこかで見なかった、かな……?」
一言、そう投げかけた。
「……悪い、見てないよ」
「そっ、か」
その言葉を聞いて、奈緒は安堵していた。
彼女が、もう一つの大切なものを優先して。
そして、それはここで別れる事を、許容してくれたという事だった。
ただ、凛が訪ねたもう一方の期待には応えられそうにもない。
それだけが、心残りとなって。でも、それももうどうしようもない。
「……じゃあ、あたしは行くから」
そうして奈緒は、踵を返して、そのまま歩いていく。
凛は、その後姿を追う事も、止める事もできなかった。
「……………ッ!」
そうして一人残った中、凛は地団太を踏む。
奈緒の意思は、硬かった。
止めたかったのに、止められなかった。
止めなくちゃいけないと、そう思ったのに。
口から出たのは、妥協の言葉。そんな自分が、情けなかった。
凛にとって、奈緒と加蓮はどっちも比べられない程の友人だ。
そして、奈緒にとってもそれは同じはず。凛と加蓮の間に、奈緒が想う差はない。
そんな中で奈緒が加蓮に負い目を感じていて、加蓮を選んだ。
それを凛が言葉で止めるのは、限りなく難しい。
(私は、あきらめない、けど……)
そして、それ以上に凛自身が悩んでいた。
決めていたはずの意思が、揺らぎ始めていた。
死んでしまった加蓮の元へ向かおうとする奈緒。
それを仮に止めたところで、奈緒はずっと罪にさいなまれるのだろう。
自分の親友を、自らの過ちで死なせてしまった罪を。
そして、自分だけがのうのうと生きている事を。
ならば――死なせる、というのも、友人として一つの選択肢なのではないか?
彼女達の気持ちを止めてまで生かす事が、他の皆にとって、そして当人にとって本当に幸せなのだろうか?
『渋谷凛』は、諦めない。けれど、『神谷奈緒』は違う。
なら、彼女がする決断は。
「……私、は」
何が正しいのか、分からない。
凛の意思を貫いて、止めるべきなのか。
奈緒の意思を尊重して、立ち去るべきなのか。
選択肢のなかで、彼女は迷い。
そして―――
* * *
「―――――………」
少女が意識を取り戻した時、目の前には大きな銃口が突きつけられていた。
それを薄らと理解しても、少女は何一つ行動を起こさなかった。
というよりも、起こせなかった。その体はとても重くて、ぴくりとも動かせない。
このまま抵抗らしい抵抗もできず、引き金を引かれるのだろう。
彼女の心は、その現実をあっさりと受け入れる。
しかし、そうして覚悟を決めてみても、一向に終わりの時は訪れない。
一体どうした事かと不思議に思う加蓮をよそに、その銃口は眼前から離れていく。
拍子抜けだった。
相手も、こんな体でどうにもできないだろうと判断したのか。
そうなのだろうな、と一人勝手に納得していた。そもそも、こうして意識を取り戻した事自体が当人にとっても意外だったから。
どうして、今私は意識があるのだろう。
通路の白い天井を見上げる少女――加蓮は、薄らぼんやりと疑問を浮かべる。
確か、胸を撃たれた記憶がある。それが何かを理解するより前に、その意識は閉じた。
実際、胸に言いようのない違和感があるし、体も寒い。きっと、限界が近いのだろう。
だというのに、何故か今意識が戻っている。何が理由なのかはわからないけれど、まだ自分はここにいる。
一体、何故? どうして、目を覚ましたのだろうか。
神様がくれた、最後の時間。とでもいえばいいのか。
けれど、かと言って何ができるというわけでもなく。
相変わらず体はただ死ぬのを待つだけで、動く事すらままならない。
そんな状況で、意識だけ目覚めて一体何をしろというのか。
口にも出せずそんな理不尽に嘆く彼女は、ただ波のように襲い掛かる不快感の波に耐えるだけしかできない。
彼女の心は、再び冷めていた。どうせ、何もできないのだから。
どうせ終わるだけなら、早く終わってほしかった。終わる事に、今更悔いなんてなかったから。
(……ごめん、奈緒)
―――いや。
悔いがない、わけじゃない。
いつ終わってもいいとは思っていても、こんなにあっけなく終わるのはやりきれない気持ちはある。
終わる事に後悔はない、なんて。そんな綺麗事を言えたならどれだけよかっただろう。
覚悟はしていた、つもりだったのだけど。感じる寒さは、きっと血が流れすぎただけではなかった。
そんな中で一番罪悪感を感じていたのは、今までずっと共に行動してきた仲間の事。
思えば、始まりは守るために離れようとした彼女を、自分のわがままで一緒に行動する事になった。
きっと、少なからず自身の存在は重荷になっていた事だろう。
彼女だけではない。この気持ちを貫き通すために、多くの人が犠牲になって、夢を終わらせてきた。
そんな事をしてきて、今更やっぱり死にたくないなんて思うのは都合がいいのだろう、けど。
(やっぱり、私………もう一度、会いたいよ)
もし、ひとつだけ。
ひとつだけまたわがままを言えるのなら。
少しの間だけでいい。
また、三人で話がしたかった。
話の内容なんて、どうでもいい。
ただ、何の足しにもならないような世間話をして。
あの、安心できる空気の中で、笑いあいたかった。
そんな、なんてことのない日常を。
自分達の行動原理からすれば、絶対に叶わない儚い夢を。
本当は、ずっと抱いていた事に今更気付かされた。
(……嫌だ)
嫌だ。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
このまま、死にたくない。
何もしないまま、終わりたくない。
生きるのは、無理でも。
ここで死ぬのが、仕方ないとしても。
せめて、何かを残したい。
少しでも、彼女達の役に立ちたい。
周りも気にせずに、もがきはじめる。
首を動かすのが、やっとという程小さな動きで。
傍からみれば、ほとんどわからない程度のものであっても。
それでも、何かをするために。
「………?」
その時、ふとあるモノに気づいた。
倒れた衝撃で、自身のデイパックから転がり落ちたのだろうか。
崩れた瓦礫に隠れ、丁度加蓮のように寝ている体勢でないと見えないような場所だ。
襲撃者も、見逃してしまったのだろう。
そこに落ちていた――苺の名を持つ、爆弾を。
「……………」
それを見て、彼女は理解した。
今、自分が唯一できる事。彼女達の為に、遺せる事を。
体は重く、血を失いすぎた頭はぐわんぐわんとしていて、気持ち悪い。
正直、もう少しも体を動かしたくない。
もう、このまま全部手放してしまいたい。そんな甘い考えが、脳裏に浮かぶ。
それでも、目の前のそれを使った『可能性』が頭をよぎった時、限界の体は少しずつ動いていた。
どうやらまだ、この体力もなく今にも消えそうな命にもできる事があるらしい。
あと、もう少しだけ。途切れそうになる意識を繋ぎ留める。
今、できることをやりきるまでの時間を稼ぐために。
この爆弾の威力は折り紙つきだ。それは、身に染みるほどわかっている。
これを起動して、遠くに投げる力もない。
今ここで使ってしまえば、爆発に巻き込まれて、確実に死ぬだろう。
だが、どうせこのままでも死ぬのに変わりはない。
そして今、自分達を襲った襲撃者が近くまで来ていた。
なら――と。
気の遠くなるような、とても長く感じた一瞬を経て。
それを、掴む。
アイドルとして歩みだしていた人生の終わりが、こんな呆気ないものというのもつまらない。
どうせなら、最期には盛大に散るのも悪くはないか。
掴んだ右手を、自らの胸に置き、左手も同じように置く。
そうして両手で爆弾を掴み、ピンに指をひっかける。
二人は、遠くへ逃げただろうか。それだけが、気がかりだ。
巻き込む事だけは避けたかったが、もう今の加蓮に回りを見渡すほどの体力はない。
せめて、そう願うぐらいしかできない。
「………っ」
意識が、途切れかける。
時間は、あとどれくらいだろうか。おそらく、もう殆ど残されていないだろう。
あいにく、アイドルとして努力し始めて、根性だけは前よりついた筈。
後少しの最期の行動ぐらい、やりきってみせる。
(……じゃあね)
目の前に上げられた爆弾を、見ながら。
そのピンを、最後に力を込めて――――――
「――――それは、見逃せないわね」
轟音と共に、目の前が真っ赤に染まった。
* * *
ピンの抜けていない手榴弾が、宙を舞う。
そのまま水たまりへ落ち、ぽちゃん、と小さな音だけが響いた。
「残念。最後のあがきぐらい、予想してたのよ」
『両腕を失った』加蓮を前に、留美は構えたショットガンをおろす。
和久井留美は、この島の中で多くの事を経験してきた。
中には、思わずひやりとした事もあり。中には、一歩間違えれば死んでいた状況もあった。
随分な道を歩んできたが、それは彼女を――和久井留美を、大きく成長させたものでもある。
そんな彼女が、今更『生死が不明な人間』の警戒を怠る、わけがない。
圧倒的な、経験の差。それが、この状況を分けた。
「……反省があるとすれば、こんな死にかけの人間に一発使っちゃった事かしら。
まぁ、こっちには弾数の余裕があるし、問題はないか」
一人ぶつくさと呟く留美は、ポンプを操作して、金属音を鳴り響かせる。
慢心するつもりもないが、この銃で戦う分にはまだ十分の弾数はある。
使い勝手はお世辞にも良いとは言えないが、それでもずっと使ってきた散弾銃。
愛着がわく、と言うには少し違うかもしれないが、それでもこの武器は自身の強みの一つだと理解していた。
「……ふぅん」
そんな事を思考している間も、留美は眼前の少女を見つめる。
弱々しいが、まだ息はあった。
その事に、関心の意を浮かべていた。元々の消耗もあり、即死でもなんらおかしくはないはずだったのに。
「体を撃たれて、両腕を吹き飛ばされて……まだ生きてる。体が弱いって聞いていたけれど、しぶといのね」
「……どー、も」
もはや脅威になりえない少女に、留美はただの世間話といった具合に話しかける。
彼女は不思議と、胸を撃たれた時よりも意識がはっきりしているように見えた。
腕を吹き飛ばされた衝撃と痛みが、彼女の意識を覚醒させたのかもしれない。
どちらにせよ、ここまでくれば生きているのは体が丈夫かどうかより、精神力の問題と言えよう。
ただ返す言葉も絶え絶えで、武器らしい武器だってもう見当たらない。
物ひとつ持てない少女は、意識こそあれど、死ぬのも時間の問題だろう。
「最期に付き合ってあげるのもいいけど……悪いわね。私、急いでるのよ」
そう一瞥して、踵を返す。
彼女の目的は、もうここにはない。
未だ生きていて、逃げ出した二人を、ここで仕留める。
その意思に変わりはなく、だからこそここで時間をつぶすわけにもいかず。
もうこの少女に興味はないと言わんばかりに、足を踏み出し。
「――その必要は、ないんじゃ、ない?」
加蓮の言葉に、踏み出した足を止めた。
「………どういう、事かしら」
死にかけの少女に向けて、もう一度振り返る。
その姿はおおよそ脅威とは感じない――が、警戒は怠らない。
言葉の真意が、つかめない。もしかすれば、まだ想像もつかない程の奥の手が隠されているかもしれないのだ。
馬鹿げている想像ではあるが、それを否定する根拠もない。
「追わなくたって……奈緒は、戻ってくる」
が、次に放たれた言葉は、留美の想定とはまた別の事だった。
「……?」
「やくそく、したんだ……一緒だ、って。だから、奈緒は……きっと」
留美の困惑をよそに、加蓮は話し続ける。
その脳裏によぎったのは、教会を前にして誓い合った光景。
あの時、奈緒は加蓮も驚くような大声で一緒にいることを誓ったのだ。
不器用で、こっちが恥ずかしくなるような――そして、とてもうれしかった。
そんな約束を、彼女が破るわけがない。
「そうならないかもしれないから、私は向かいたいのだけれど」
「そうなるから、言ってるの」
留美から見れば、それは子供の指切り程度の信憑性でしかない。
事実、二人は加蓮を置いて逃げ出したのだ。望みは薄い。
けれど加蓮は、頑なに信じきっている。神谷奈緒は必ず戻ってくる、と。
だからこそ、留美の言葉をすぐに切り返した。
「……はぁ。時間稼ぎにしてもお粗末ね」
「あぁ、じかんかせぎ……いいね、それ」
加蓮としては、別にそういうつもりはなかった。
そんな事を知って、留美はため息をつく。
どうにも会話が通じそうにない。
瀕死の人間なのだから、思考能力も落ちているのは不思議ではないのだが。
一体何をしているんだろうか。そんな自己嫌悪じみた感情が出始める。
こんな死にかけの少女、さっさと放っておけばいい。
別に、こんな事に付き合ってやる道理もない。
「じゃあ、その時間稼ぎついでにひとつ聞いてもいいかしら」
ない、はずなのに。
気付けば留美は、彼女の話に乗っていて。
「――なんで、そんな満ち足りた表情をしてるの?」
それは、一つの興味本位からくる疑問だった。
「あなたは人を殺してまで生き残ろうとして、夢半ばで倒れた。
最後のあがきも失敗して……後悔ばかりが残る終わりの筈。そうでしょう?」
そう口に出す留美は、何をしているのかと自分で自分に呆れていた。
そんな事、彼女が生き抜いていく『これから』には何ら関係はない。
けれど、一度口に出してしまった以上は止まらない。
もしも自身が彼女の立場だったら、悔しくて哀しくて、絶対にやりきれない筈だろうから。
「………さぁ」
ただ、その問いは加蓮自体にもすぐに答えがでなかった。
満ち足りた、表情。
疲弊しきった自身では分からなかった。今自分は、そんな表情をしていたのか。
何故、だろう。
思えば、何もせずに終わる事が嫌だとは思っても、生きていたいと強く願っていたわけじゃなかった。
確かに、生きていたいという思いはあったはずなのに。
生きたい。
確かに、もっと生きていたい。
けれど。
その楽しみを教えてくれた人を押し退けてまで、生きたくなんかない。
また、つまらない人生に戻るぐらいなら。
その大切な人達の為に、こんなささやかな人生をささげた方が。
結果的に、夢へつながる事だって、ある。
(……なんて)
さっきまでとうってかわった、その穏やかな気持ちに自分でも可笑しく感じながら、彼女は微笑む。
やりたい事は、もうやりきった。
この場所で、彼女自身の夢なんてものはなく。
ただあるとするならば、それは全て、別の人間に託されている。
ここで北条加蓮という個人が死んでも、夢は、受け継がれていくから。
その夢を受け継ぐ人こそが渋谷凛で――あるいは、奈緒でもいい。
あんな約束、守ってくれなくてもよかった。
凛に説得されて、やっぱり生きていく、なんて事になっても別にいい。
むしろ、嬉しいかもしれない。でも一人だけ仲間外れなのは、ちょっとだけ不満だ。
拗ねて、哀しんでそして二人の事をおもいっきり、応援して。
特等席から見守るのも、悪くはない。そう考えていて、心は満たされていた。
この一瞬、最期だけは、ひどく独りよがりな優越感に浸れていて。
だから。
「―――教えて、あげない」
最期には、何も言う事はなかった。
「……………」
その言葉に留美は、何か表情を変えた。
具体的にどう変わったか、もうぼやけて見えやしない。
ああ、とうとう終わるのか。
案外長かったなぁ、と。意識の閉じる、その瞬間。
佇む敵の、更にその向こう。
こちら側に向かい歩いてくる、一つの影。
それは見慣れた、一人の少女。
ほら。
やっぱり、来てくれた。
(私の、最高の………親友)
* * *
「あら」
静かになった空間の中で、留美は銃を別の方向へと向ける。
足音が、聞こえたからだ。事実、通路の向こう側から、こちらへ歩いてくる一人の少女がいた。
「来るのが遅かったわね。彼女、今息を引き取ったところよ」
「そうか」
「もう少し早ければ、助かったのかもしれないのにね?」
留美は、煽るように言葉を投げかける。
その挑発気味の言葉は、自身の感情の昂ぶりも否定はできないが、それ以上に意図的なものがあった。
それで逆上して迫ってくるのなら、好都合。冷静さを失った相手を仕留めるのは、いくらか楽だ。
更に、対峙している今の距離は、遠い。
留美の持つ武器はお世辞にも射程距離が長いとは言えず、自身の射撃の腕だってたかが知れている。
すぐに放つのは確実ではない。その距離を、つめる。
「いや……いいんだ、別に。
遅かれ早かれ、こうなることは覚悟してた。あたしも、あいつも」
しかし、対する奈緒はその挑発に対しても大した反応を示さない。
何かをかみしめるように、うつむいて呟くばかりだった。
そんな奈緒の姿を見て、留美は少し不快なように表情を変える。
こちらの思惑がうまくいっていない事も半分、残りは一種の失望でもあった。
大切な人を喪って、自暴自棄になっているかのような姿。
留美にとっては、諦めに近いような姿に、少なからず苛立ちを覚えていた。
「そう……なら、あなたもここで一緒に逝く?」
ショットガンを持つ手に、力を込める。
心に荒波が立ちつつも、思考自体は冷静に進める。
逃げたのは二人、しかし、今目の前にいるのは一人。
姿の見えないもう一人への警戒は、怠らない。
その上で、気づかれないようにそっと距離を詰めてゆく。確実に、仕留められるように。
「……そうだな。アタシもそろそろ、潮時かもしれない」
その事を知ってか知らずか、奈緒はその歩みを止めた。
「いいよ、ここで死んでやる。でも……」
様子が、変わった。
留美はそんな彼女を前にして、身構える。
何か、仕掛けてくるのか。留美は引き金に力を込めて、相手の出だしを見守る。
ひとつ、気にかかる事があった。
こちらには銃という優位性がある。なのに、それでも相手はなお臆しない。
生を諦めたが故の無抵抗なら、何ら問題はない。だが、もしそうでないとしたら。
もし、何か抵抗手段のがあるのだとしたら――。
「……凛の進む道に、アンタは邪魔だ」
そして、留美は思い出す。
彼女には、留美が最も警戒する武器があったという事。
決して、牙をもたない『子羊』なんかではないという事を。
「っ……」
躊躇なく、その『ピン』が引き抜かれる。
それを見て、留美は軽く舌打ちをした。
この殺し合いが始まった最初の頃から、ずっと警戒していた筈のものだというのに。
奈緒はその場所から大きく振りかぶり、手に持っていた『手榴弾』を、投げる。
大きく弧を描き、こちらへ向かい飛んできた。
その瞬間が、まるでスローモーションになったかのように感じられた。
この廊下に、逃げ込んでやり過ごせそうな場所はない。
かといって直撃を食らえば、無事でいられないのは考えるまでもない。
「…………!」
が、留美の目に迷いはなかった。
逃げられるかは、分からない。むしろ、難しいだろう。
ならば、別の手段はたった一つ。こちらから立ち向かっていくしかない。
彼女は即座に、そう判断した。
そして、その爆弾との距離が半分にまで詰められた時に。
(当たれ……っ!)
留美は、引き金を引いた。
「ぐっ……」
轟音と共に、散弾は爆弾をズタズタに引き裂き。
その勢いで、大きな爆発が巻き起こる。
耳をつんざく破裂音、目に直接刺激する炎の光、そして容赦なく襲いかかる熱風。
距離こそあれど、その衝撃は無慈悲に留美に襲いかかる。
思わず怯み、しりもちをつく。
だが、後は肌がひりひりとする程度。どうにか、しのげたらしい。
「……強力ね、やっぱり」
目の前には、スプリンクラーで既に水が広がっていた筈の廊下がまたも激しく燃え上がっていた。
それはまさに、炎の壁とでも例えられそうな形相で。
ちょっとやそっとで弱まる気配はなく、改めてそれの恐ろしさを身に染みて体感する。
こんなものが複数人に配られている……今更ながら、この殺し合いの過酷さを改めて実感していた。
(ここを通るのは難しそうね……火が収まるのを待ってる暇もない、か)
おもむろに立ち上がり、落ち着いて現状を確認する。
今、目の前の通路は爆弾の炎で塞がれてしまっている。
このまま継続して彼女達を狙うのなら、この病院内で別に入る場所を探さなくては。
そう考え、踵を返す。
「――――!」
その瞬間、背筋に悪寒が走った。
一瞬、炎がより一層勢いを増す。
その中、かすかに感じた違和感。炎が揺れ、風を切る音。
―――何かが、来る?
留美は、反射的に振り返ると。
「っ、らぁぁぁぁぁぁ!!」
そこには、炎の中から飛び出し斧を振りかぶる、あの少女の姿が迫っていた。
「な……っ!」
そして、そのまま彼女の肉を断ち切る音が――聞こえなかった。
「……無茶苦茶、するわね……」
「お前だけは、ここを通すわけにはいかないからな……!」
代わりに響いたのは、金属同士がぶつかり合う、甲高い音。
ぎりぎり、と。その攻撃を防いだショットガンが悲鳴を上げる。
留美は、炎の中から襲ってきた奈緒の凶刃をギリギリのところで対応できていた。
(これは、運がよかったわ……!)
防がれてもなお力を込める事をやめない奈緒の攻撃に耐えながら、留美はそう思考する。
相手が『炎の中から突っ込んでくる』なんて、完全に想定外だった。
結果こそこうやって耐えたものの、この不意の一撃は、本当なら防げていなかった可能性が高い。
普通なら考えられない行動。が、相手が差し違えてでも、という思考の元なら、十分に予測できた筈。
そうして九死に一生を得たことを自覚し、背筋が凍る。
そしてそれ以上に、死を恐れずに迫る相手がかくも恐ろしいものかという事を実感していた。
(命あっての物種、ってね……)
だが、安心するにはまだ早く。むしろ、まだ何も終わってはいない。
爆弾の火に反応して、またスプリンクラーの水が降りしきりはじめる。
そんな状況も、そして対峙する留美の思考も気にせず、奈緒はより力を込める。
その気迫は、あるいは本当にこの銃ごと体を断ち切ってしまいそうな程に。
このままでは、まずいか。そう思考しているうちに。
(………?)
不意に、押されていた力が軽くなった。
防いでいた刃が一瞬だけ離れ、抑えていた力が空回る。
「っ!」
そして、一体何が起こったのかを理解するよりも先により強い衝撃が襲った。
「この……!」
そして連続して、二度、三度とトマホークが叩き付けられていく。
一発で崩せないなら、息もつかせぬほどに叩きつける。それが、奈緒の選んだ選択だった。
武器同士が衝突する度に、防いでいるショットガンと、それを支える腕が悲鳴をあげる。
至近距離で、奈緒は何度も何度も、その得物を叩き付けていた。
傍から見れば不格好で無様な、
(意地でも叩き割る、ってつもり……!?)
苦々しい声をもらし、しかし奈緒はそれを気にせず続行していく。
未だ防戦一方となり、焦りが生じ始める。
彼女が防御にしか使えていないショットガンは重く、咄嗟に構えて応戦する事などできやしない。
かと言ってこのままではやがて押し切られる事は明白だ。
このままではまずい。思考がそのまま、顔に出始める。
(いける! いけるぞ……!)
対する奈緒は何度も叩きつけながら、その勢いに希望を見出し。
留美がこのままいけばまずいと感じたのと同じように、奈緒もこのままいけば倒せると感じていた。
トマホークで銃を壊す、なんて事は現実的でないとしても、体力を消耗した相手の隙を突く事ぐらいはいつかできるはず。
このまま押し切る。そのためにただ攻め続ける。やがて倒せる事を、半ば確信していた。
その気持ちがはやり、いつも以上に大きく振りかぶって。
ドン、と。体に衝撃が走った。
「………え」
――思えば、彼女は今までずっと最初の一撃が成功していた。
だからこそ奈緒は、経験が足りなかったのかもしれない。
未だ抵抗の意思を失わないものと戦うという、その経験が。
「……お仲間の武器にやられる気分は、どう?」
その体には、クロスボウの矢が突き刺さっていた。
「ぐ…………、ぁ……」
トマホークの刃が、留美の眼前で止まっている。
もしも、もう少し遅かったか、あるいは彼女が痛みに怯んでなかったなら、その頭は砕けていただろう。
それほどまでに、『ピストルクロスボウを取り出し、放つ』というのは、留美にとっても危険な行為だった。
「っ……!」
突如、不意に訪れた激痛に、奈緒の体は震える。
そして、からん、と音が響く。
痛みに耐えかねて、彼女は手に持っていた得物を落としていた。
相手は手ぶらになり、更に手負いとなり。
形勢は、大きく変わった。
だが、彼女の表情に安堵や油断といったものはない。
また、終わってなどいないのだから。
「………これで」
ただ一つ言えることは。
この戦いは、もうすぐ終わりを迎える。
そう確信し、留美は慣れないピストルクロスボウの充填を諦め、一度放り。
そして懐に入れた拳銃を取り出して、彼女に向ける。
その時ふたつの強い視線が、交差し。
「終わりね」
引き金を、引いた。
* * *
「……が、はっ」
結論から言えば、放った銃弾は奈緒の体を貫いた。
より一層、吹き出す血の勢いは増し、彼女は怯む。
「…………はぁっ」
更に言えば、留美もまた一切の抵抗を受ける事なく、無事に立ち尽くしていた。
しかし、それでも留美の動悸は止まっていない。疲れを吐き出すように、息を大きく吐く。
奈緒は、ふらふらと後退していき。
しりもちをついて、力なくうなだれる。
彼女を中心として、血の海が広がり始め。
――その腕から、またあの『爆弾』が転がり落ちていた。
「本当、心臓に悪いわ……」
それを確認して、留美はつぶやく。
奈緒は、トマホークが蹴飛ばされるその間に、新しい爆弾を用意していた。
矢が体を貫き、手に持った武器を落としてもなお、彼女の戦意は消えていなかったのだ。
形勢が逆転した事に油断していたならば、今度こそ道連れにされていたかもしれない。
ここにきて、一体何度肝を冷やしたか。しかし、それも最後になるだろう。
力を使い果たし、へたり込んだ相手を見て、留美はやっとそう思えた。
「……あなたは負けて、火もまた弱まってきて。思惑も、実らなかったってわけね」
スプリンクラーの水がまた勢いを増して、炎もだんだんと弱まっていく。
よくもまあこれだけ多くの水があるものだ、と留美は場違いにもそう思っていた。
目の前には、痛みに悶える体力すらない一人の少女の姿。
立ち尽くす留美の体には、結果的に目立った外傷はない。
どちらが勝者かは、傍から見ても歴然としているだろう。
決着は、ついた。とどめをさそうと、留美は距離を詰める。
「……はは」
その時、弱々しく笑った奈緒に、ぴくりと反応して動きを止めた。
瀕死であるはずの少女の、不敵な笑み。
ただそれだけの事、それでも、留美は警戒する。
今まで、様々な事で慢心して、その度に痛い目を見てきた。
満身創痍にしか見えない彼女の姿に、それでも奥の手がある可能性がある。
これが二度目で、前の少女の時は何もなかったとしても、その身構えがなくなる事はなかった。
「何?」
「いや……因果応報って、こういうことなんだな、って……」
弱々しく呟くのは、自虐的な言葉。
留美に知る由もないが、奈緒も加蓮も、多くの人間の体を傷つけてきた。
思い返せば始めて手にかけた相手は、二発の矢が刺さり、そしてもう一発の矢が致命傷となった。
その状況は、どこか今と似通っているように思える。
罪は返ってくるものなんだな、と勝手に感じていた。
「……そう」
だが、そんな事留美にとってはどうでもいい。
その笑みが懸念していた、何かを企む笑みでなく、本当に諦めの笑みだったから。
それならばもう、問題ない。そう判断して、散弾銃を向ける。
「顔は、やめておいてあげる」
確実に、殺す。その決意の表れとして。
そのショットガンを、胸へと向け、目を瞑り動かない奈緒を一瞥し。
轟音が、響いた。
* * *
「―――――――――」
ああ、終わってしまったか。
その心は、驚くほどあっさりと受け入れていた。
せめて、相手を道連れにぐらいはしたかったけれど。
結局、それすらかなわなかった。
締まらないなぁ。と。自分で自分に呆れる。
「…………………」
あんな事を言っておいて、凛には何もできなかった。
むしろ、彼女の目指していた事を考えれば、足を引っ張ってしまったともいえるだろう。
けれど、それを謝る事すらもうかなわない。
そんな罪悪感を抱き、彼女は事切れるその時を――
「………?」
――その時を?
あれ。
何か、おかしい。
いつまでたっても、自身に来るはずの『終わり』が来ない。
轟音はもう鳴った筈。それならば、もう弾丸がこの体をずたずたに引き裂いてもおかしくはないのだが。
恐る恐る目を開けると、目の前には銃口を――こちらにではなく、その後ろへと向けていた。
その光景に、理解が及ばない。何故、こちらに向けて銃を撃たなかったのか。
こちらに対してじゃないのなら、一体、どこに向けて放った?
奈緒が、そう思っておそるおそる同じ方向に目を向けると同時に。
「――――!?」
何かが上を通って、目の前の女性が吹き飛ばされた。
「な……」
「ごめんね」
一体、何が起きたのか。
突然の事を理解するよりも先に、体当たりをしてきた人影は、声を上げる。
「よく考えてみたんだけど、やっぱり……私が、嫌だよ」
耳を、疑った。
それは聞きなれた、凛とした声で。
「あのまま、お別れなんて絶対に嫌だ」
手に持つ、大きな盾で二人を守りながら。
「私が、そう思ったんだ。私が、そうしたかった」
放った言葉は、とても単純で。
「だから……悪いけど、嫌だって言っても無理矢理連れて行くから」
とても、力強く。
渋谷凛の姿が、そこにあった。
「り……凛!? お前、どうして……!」
「これ? 盾なら、そこで拾った」
「そうじゃなくて……っ!」
茫然とする奈緒に、凛はいつもの感じで言葉を返す。
そのシールドは、奈緒が襲撃していた少女が持っていたもの。
逃げる時にそのまま放置されて、凛がここに来るまでに回収したのだろう。
それは分かった。が、聞きたいのはそんな事じゃなくて。
「……奈緒が加蓮を大切に思ってるようにさ、私だって同じぐらい、奈緒を大切だって、思ってる。
だから……うん、私は、私のやりたいようにやる。もう、迷わない」
けれど、凛は分かってたかのように語った。
その表情に、もう迷いはない。
終わってみれば、その結論は至極単純なものであった。
理屈も道徳も、何ら関係ない。
世間様がどう言おうと、誰がどう非難しようと、関係ない。
当人に拒絶されたって、最終的には、自分がどうしたいかってだけじゃないか。
それだけで、手を差し伸べる理由になる。
結局はただの『我侭』なのだけれど、きっとそれでいい。
後で、後悔なんてしたくはないから。
「死んだら、そこで終わりなんだから」
放たれた言葉に、奈緒は言葉を詰まらせた。
そう言い放った彼女の姿が、もう一人の親友の姿と重なる。
二人は、どこまでも似通っていた。放っておけないところも、その価値観も。
意外と不器用なところも含めて。やっぱり、似た者同士なんだな、と。
その後ろ姿を見て、何を言うよりも先に、奈緒は笑った。
「……姿が見えないから、先に逃げたものかと思っていたけど……」
「冗談。親友を置いて、逃げるわけないでしょ?」
「馬鹿な子ね」
「バカで結構」
突き飛ばされた留美が立ち上がり、即座に体制を整える。
その突然の乱入者に対しても、留美はある程度冷静だった。
対面する二人は、互いに一切目を逸らすことなく、その火花を散らしていた。
(とはいえ、ちょっとよろしくない状況ね……)
悠長に語る留美は、その内心攻めあぐねていた。
二人はライオットシールドの影に隠れ、ちょっとやそっとの攻撃は通しそうにない。
かといって現状を維持すれば、そのうち相手が行動や攻撃に移るだろう。
少なくとも、状況は圧倒的優位から五分五分以下にまで引き下げられた。
その事実に、小さく舌打ちをする。こんな事ならばさっさと蹴りをつけておくべきだったかと後悔しても、もう遅い。
やらなければならないのは、この状況を打破する事だ。
できなければ――ここで、終わる。
(やるしか、ないか……)
時間は無限ではなく。だからこそ悩んでいる暇はない。
確証のない方法であっても、やらなければ未来はなく、夢も終わる。
こんなところで、終わるわけにはいかない、と。
決意を固め、睨みつける。
目の前を見やれば、そこには同じように強い視線を向ける少女の姿があった。
しばしの、沈黙。
先に仕掛けたのは――大人の、方。
「それ……いつまで、持つのかしらね」
手に持った散弾銃から。
一発、放たれた。
「……っ!」
強い衝撃が、盾越しに凛を襲う。
それに怯むものの、構える力は弱めはしない。
歯を食いしばって、続け様にくるであろう衝撃に備える。
そして凛の予想通りに、二発、三発と短い間隔で銃弾は撃ち放たれていく。
それに悲鳴をあげるかのように、みしみしと、盾が嫌な音をたてる。
もしかしたら、この盾が耐えられないかもしれない……そんな不安が、頭を過ぎる。
四、五、六。
いつ終わるかも分からない衝撃の連打と、いつ砕けるかも分からない軋む盾の恐怖。
しかし、今はじっと耐えるしかない。凛は、この中にもいつか好機はあるはずだと確信していた。
銃の弾数というのは、無限ではないはずだ。別段詳しくない凛にも、それぐらいは分かる。
だから、いつか生まれる筈の隙をつく。
それしかない、と。凛は伝う汗を拭う暇もなく耐え抜く。
それは、まるで自身が固く決めた意思のように。
「……………!」
そして、七発目。
その衝撃を受けた瞬間、『間』が、空いた。
(来た……!)
それが本当に隙だったのか、完全に理解したわけじゃない。
もしかしたら、罠かもしれない。
けれど、それが次にいつ訪れるか分からないチャンスかもしれないという事だけで、彼女は一歩踏み出した。
ここを逃せば、今度は為す術もなく盾ごと撃ち抜かれてしまうかもしれない。
何もせずに終わるのだけは、嫌だった。
手に握るは、護身用のスタンガン。
殺意を持った相手に立ち向かうには、あまりにも不十分なものかもしれないけど。
それでも、引けやしない。
後ろにいる大切な親友を置いて、逃げる訳にはいかないから。
もう、自分に嘘はつきたくないから。
しかし、目の前の留美の行動は、凛にとって想定外なものだった。
「…は……?」
『背を向けて逃げ出した』。
銃の反動で相手も後退していたのか、既に距離は邂逅時よりも大分遠く。
彼女はそこから手に持つ銃に弾を込めることすらせずに、一目散に駆け出したのだ。
「………っ」
その姿に一瞬戸惑ったものの、すぐに気を取り直す。
逃げる留美の事は気になる。けれど、今の凛にはもっと優先するべきものがある。
「奈緒……!」
距離が十分離れているは事を確認して、凛は庇っていた友人の方へと振り向く。
そこには、血を止めどなく流して顔面蒼白な奈緒の姿があった。
素人目にも、相当消耗している事がわかる。
すぐにでも治療しなくてはいけない。
場所を移して、少しでも処置をしなくては。
「……っ、あたしは、いい……一人で歩ける…!」
肩を貸そうとした凛を、止める。
そして言葉通りに、よろよろと立ち上がる。
その姿は明らかに無事ではない。
「でも……っ」
「それより、さ……」
心配する凛の言葉を遮って、奈緒は腕を上げる。
震えた指は、一つの場所を指差した。
「あいつを、連れて行って、ほしいんだ……」
そこには、もう動かなくなった一人の少女の姿があった。
* * *
「……どう、奈緒?」
「いっ、た……凛、ちょっと強く巻きつけすぎじゃ……」
対峙していた通路から、場所は変わり。
ベッドに寝かせた奈緒の服を脱がせて、凛は真剣な表情で四苦八苦していた。
病院で見つけた包帯をとりあえず巻いて、血を止めようとしてみる。
これが本当に正しい処置なのかどうか、そんなのは全然わからない。
そんな知識は全然ないし、あっても学校で半分聞き流していた保健体育の授業ぐらいだ。
こんな事なら、ちゃんと覚えておけばよかった、と。そう内心で後悔してももう遅い。
「でも、ちょっとは楽になったよ」
「本当に?」
「ん、まぁ……」
巻かれる側の奈緒は、生気のない白い顔で呟く。
念を押されても、ばつが悪そうに返す事ぐらいしかできない。
当人にとっても、所詮は素人判断でしかなく。
ただ、心配をかけさせまいと強がることぐらいしかできなかった。
「それより……悪いな、加蓮を連れてきてもらって。
あんなところに、放置させたくなくてさ……ずっと、着いてきてくれたのに」
そう語る彼女は、何かを噛み締めるように一方を見つめる。
そこには静かに眠る、もう動かない親友の姿があった。
「…………」
凛も、何も声をかけられない。
彼女を担ぐ時に、嫌という程理解してしまっていた。
腕もなく、軽くて、ぴくりとも動かない。
もう、この世にいないという事を。嫌という程。
「……もう、少し」
嫌な沈黙が流れる中、凛が口を開く。
「もう少し私が早く来てたら、何か変わってたのかな……」
「凛……?」
あまりにも小さく、弱々しい声。
奈緒の知る凛のものとは思えないそれに、思わず顔を上げる。
凛は、ずっと加蓮の方を見ていた。
その姿は疲れ切っているようで、瞳は揺れていて。
強さが、すっと抜け落ちて。今にも、崩れ落ちそうな。
「っ……そんな事はない! 凛は……何も、悪くない……っ!」
その姿に、奈緒は言葉に言い表せないような不安を抱いた。
もしここで、彼女が折れてしまったら。
自分達のせいで一緒に立ち止まってしまう事だけは、嫌だった。
「…………」
しかし、その想いもから回るように凛は俯く。
奈緒の知る凛はいつだって、強かった。
けれど、本質は15歳の少女でしかないのだ。
この長い一日の疲労に耐えきれるほど、強くなんてなかった。
些細なきっかけ一つで、崩れ落ちてしまいそうだった。
「………っ」
なんとか、しなければ。
彼女まで終わってしまう事だけは、避けなくてならない。
足を引っ張りたく、ない。
けれど、自分たちではこれ以上は無理だ。嫌でも、実感してしまう。
どうにかして、彼女を先に進ませないと。
その為には、きっかけとなる何かが、いる。
「……なぁ」
彼女を一歩進ませる――導ける、誰かが。
「そう思うなら、まだやる事があるだろ」
気付いた時、考えるより先に口に出ていた。
「え……っ」
「ここで止まってたら……きっとまた後悔する。
凛には、まだ見つかってない大切な仲間がいるんだから…!」
ここにいては、きっと凛はダメになってしまう。
だからこそ、彼女には先に行ってもらわないといけない。
その為の目先の目的も、ある。
彼女には、奈緒達三人とは別の、もう一つの大切な人がいるのだから。
「……卯月」
「ああ……ここで悲しんで、卯月まで間に合わなくなっちゃう、だろ…?
もう、こんな事を繰り返しちゃいけない……探しに、いってやれ、よ……」
その子の安否は、何もわからない。奈緒や加蓮も、結局一度も出会わなかった。
ただ、時間が経てばそれだけ無事である可能性は低くなる。それだけは、確実に言える。
もし彼女までいなくなってしまえば、もう凛は立ち直れない。
だからこそ、今すぐにでも探しに向かってほしかった。
けれど、凛はその場を動こうとはしない。
その理由なんて、とっくに分かっていた。
「…確かに、卯月は大切な仲間だよ。
でも、奈緒だって私にとって比べ物にならないぐらい、大切な…!」
「大丈夫」
奈緒の身を心配する凛を、強い言葉で遮る。
「……応急処置の甲斐あって、まぁ割かし楽になったし、さ!
あたしはあたしで、ここで休んでる。もし見つかったら、また戻ってくればいい、だろ?」
胴に巻かれた包帯を叩いて、自分が大丈夫だとアピールする。
その衝撃に、またじわりと包帯に赤い染みが広がった。
凛の表情は、一向に明るくならない。
そんな事は気にせず、奈緒は笑った。
「心配は、いらないよ。
まぁ、色々しちゃったけど…それも償っていく、きっと。
せっかく凛に、助けてもらった命、だしな!ちゃんと、生きていくから……!」
自分は死なない、と。精一杯主張する。
傷で動けない自分の為に、その足を止めるわけにはいかないから。
いつものように、元気な姿で見送らないと。
痛む体を押さえて、彼女にそう誓う。
けれど、それを見つめる凛の眼は悲しくて。
「嘘」
ただ一言だけ、そう言い放った。
「……っ」
「奈緒の強がりは、分かりやすいから…」
凛は、分かっていた。
どれだけ包帯できつく、ぎゅうぎゅうに締め付けたって、血は止まってくれなかった。
思いつく限りのいろんな処置をしてみたって、奈緒の表情は一向に明るくならなかった。
素人である凛には、限界があって。
あるいは――もう間に合わない程に、消耗していて。
「……なん、だよ。こういう時ぐらい、空気読んでくれよな……」
彼女がもう手遅れなのだと理解するには、十分すぎた。
「……ごめん、奈緒……私……!」
顔を俯き、震えた声が響く。
強く握った手には、二つ三つと雫が落ちる。
彼女が受けた傷は、致命傷だった。
もっと早く……それこそ、そんな傷を受ける前に駆けつけられていたら。
そんな事を考えても意味がないとわかってながら、それでも考えてしまう。
「謝るのは、あたしの方だよ……結局、凛の足を引っ張っただけだし」
対する奈緒の方も、これまでが決して正しい選択だったとは言えない。
むしろ、はっきりというなら間違っていたのだろう。
多くの人を殺した。それは、凛の目指していたものとは相容れない道。
それに大切な親友まで巻き込んで。悔いがないはずは、ない。
「でもさ……うれしかった」
「えっ?」
「凛には見捨ててくれ、って思ってたけど……いざ来てくれた時は、本当にうれしかったよ。
それだけで、あたしは十分だ……はは、加蓮に嫉妬されちゃうな」
なのに、奈緒の心には満ち足りた気持ちがある。
それはやはり、最期の最後にこうやって話せたからだろう。
いつもは恥ずかしくて言えなかった事も、こうやって腹を割って話せる。
自分にはもったいないぐらいの、餞別だと。そう感じていた。
「ありがとう、凛……あたし達の知ってる、強い凛でいてくれて。
でさ……できたら、これからも、あたし達の憧れた凛でいてほしいんだ」
まっすぐと見つめる奈緒の表情は、まるで憑き物が落ちたかのように晴れやかだった。
奈緒が凛に託すのは、ひとつ夢。
『アイドルになりたい』という気持ちに、直視できなかった自分達に道を示してくれた、その光が。
いつまでも、陰らないように。
自分勝手なのはわかっている。彼女がこれを断れない事もまた、知っている。
けれどこの言葉一つで、凛はまた強くなってくれる。
そう、奈緒は確信していた。
「行ってくれよ、凛」
「………」
「あたし達に、時間をかけてる暇なんて、ないだろ。
それに……なんかさ、今のあたし達は、あんまり見られたくないんだ」
伝えたい事は、もう言った。
言い終わった奈緒はばつが悪そうに、目を逸らす。
少なからず、終わってしまう。そんな最期は、あまり見られたくない。
彼女の最後の、そんな小さな強がり。
少しだけ、間があいて――凛は立ち上がる。
それは彼女が、決意した証でもあった。
「ごめん、な」
「ううん……」
それを理解して、奈緒はつぶやく。
最期の最後まで、彼女の事を悲しませてしまった。その事に、負い目を感じる。
けれど、もうどうしようもないから。最期のお別れは、しっかりとしたかった。
「……私、行くよ」
「あぁ……すぐに戻ってくんなよ? 70年ぐらいはな」
「………ふふっ、そうだね」
奈緒がひとつ激励して、凛はそれに笑みで応える。
言葉の明るさだけを取れば、まるで日常のような会話。
今生の別れになるとは思えない、けれど彼女達らしい別れの時。
そうして、凛は扉を開き。
「なぁ」
その時、小さな声が響く。
それは、本当に聞き逃しそうな程の声で。
「まだ、あたし達は友達って…言えるのかな……?」
ぽつりと呟いたのは、漏れ出した弱音。
「ううん」
それに答える声は、強く、凛々しく。
「親友だよ」
はっきりと、そういった。
「……私は、忘れないから。二人に出会えて、本当に良かったって思えた、から…!
ずっと、ずっと覚えてるから……どんなに経ったって、私だけは、ずっと……っ!」
顔は、こちらを振り向かない。けれど、その表情はなんとなくわかる。
握る拳は、震えていて、声もまた、震えていて。
「……そっか。ありがとう」
彼女の答えを聞いて、奈緒は噛み締めるように呟いた。
結果だけを見れば、神谷奈緒と北条加蓮は責められるべき事をしただろう。
けれど、凛は。他の誰もがそう言っても、凛だけは。
その内に秘めた気持ちを分かっている。
私達は、分かち合えた奇跡を、絶対に忘れない。
「………ありがとう………!」
同じ言葉を繰り返す奈緒の声もまた、震えていた。
二人は、互いに顔を合わせなかった。
もしまた見てしまえば、きっともう前には進めなくなってしまうから。
ここにある暖かなぬくもりに、すがってしまうから。
「……っ!」
凛は、駆け出した。
一切振り向く事なく。
足音は早くも遠ざかっていく。
彼女は、旅立っていった。
呪縛から解き放たれて、もう一人の大切な仲間の元へと向かったのだ。
「りん……っ、ありがとう……!
あり、がとう………っ、うあぁぁぁぁぁ………!!」
それからも、ずっと、ずっと泣いていた。
ここにはもう、一人しかいない。
気にするものはなにもない。だからこそ、子供のように泣きじゃくり続ける。
それは、彼女の今までを全部洗い流すかのように。
ずっと、ずっと泣き続けていた。
* * *
「…………よし」
そうやって、ひとしきり、泣いて。
落ち着いて、顔を上げた奈緒の表情は凛々しく。
それは何かを、強く決意していた。
神谷奈緒は、少なからず死ぬ。
しかし、それがいつなのかはわからない。彼女は医者でもなんでもないのだから。
哀しい事に痛みはまだ収まりはしないし、意識もはっきりとしている。
まだ楽には、なれそうにない。
だが、悠長にいつか訪れる終わりを待ってはいられない。
もうろくに歩けもしないのに意識だけあっても、意味なんてなく。
それに、『彼女』を待たせるわけにもいかなかった。
そんな強い意志があって、だからこそ、彼女は。
「……迎えに、いかなきゃな」
そんな悲壮の決意を、固めていた。
奈緒は、この世界から別れる為の道具を探していた。
真っ先に思いついたのは、持っていた手榴弾。
これを使えば、一瞬で楽になれるだろう。
けれど、そうすればこの部屋は勢いよく燃え上がるだろう。
きっと、加蓮も巻き添えになる。
既に事切れているとは言っても、その姿を自らの手で破壊したくはない。
もしここにピストルクロスボウがあったなら、それを頭に射るだけですぐに終われただろう。
けれど、それももうここにはない。
おそらく、あの襲撃者に取られたか。どちらにしろ、今ないものを使う事なんてできやしない。
そうして、色々と考えても良い案は思いつかず。
「……やっぱ、これしかないか」
最後に選択肢として残ったのは、彼女がこのイベントの間、ずっと持っていたもの。
「………っ」
握りしめて、息を呑む。
これを使って終わる事がどれほどの事か。それは彼女が一番よく分かっていた。
長く使っていたからこそ、知っている。これは、そこまで切れ味がいいものじゃない。
切るというよりは、叩くとか、砕くとか。
そういう表現の方が、適切な武器。
「やっぱ……そう簡単に楽にはなれないんだな……」
だからこそ、その手は震えていた。
そんな武器を使って、今から自分は自分自身の頭を砕く。
そこで、神谷奈緒という人生は、終わる。
あまりにも辛い、その最期。やはり、因果応報という事か。
これも報いなのだろう、と。そう考えてみても、心が落ち着くはずもない。
「は……っ……」
吐き出した息は震えていて、それと同じように体も震える。
もう流れないと思ってた涙も、嗚咽と共にとめどなく溢れてくる。
こうやっている間にも、終わってしまうということをじわじわと理解していて。
心の底から湧き出てくる恐怖が、彼女の心を錯乱させ始めていた。
「っ……なんで、なんでこんな事に、なっちゃっ、たんだよ……!」
止まらなくなるマイナスな思考は、どんどん原点へと遡っていく。
間違いを犯してしまった罪悪感、理不尽に巻き込まれた憤り、ここで終わってしまう恐怖。
負の感情は、最早収まりはしない。
目の前で鈍く光る赤色の刃に、奈緒は更に一人追い込まれていく。
「加蓮……っ!」
弱い心は、縋る何かを探し始めた。
そしてすぐ近くにいた、もう動かない少女の名を呼ぶ。
返事は、返ってこない。そこにもう、人はいない。
「返事、してくれよ……加蓮、かれん……!!」
どれだけ願ってみても、彼女はもう動かない。
神谷奈緒はこの場所で、たった一人ぼっち。
孤独に、震えながら。
ぎゅっと、目を瞑り。
「……ぁ」
小さな声と、ともに。
震えが、止まった。
目を、開ける。
そこには、変わらずもう動かない少女の姿。
けれど。
「待って、る……」
奈緒は、そこに何をみたのだろう。
他の誰にも、分からない。
けれど、奈緒には確かにそこにある何かに反応していた。
「……そっか」
さっきまでが、嘘のように。
震えの止まった腕を、高く上げる。
もう、彼女に恐怖はなかった。
「ふたり、いっしょなら」
胸に抱いた、あの思い出があれば。
「こわくなんて、ないよな」
それが、その部屋で響いた最期の言葉だった。
* * *
外は、もう日差しが上り始めていた。
その光に照らされて、少女は立ち尽くしていた。
「もう、こんな時間なんだ」
時間は、もう早朝と呼ぶような時間だ。
この場所に連れてこられてから、二度目の朝日。
それを認識すると、体がどっと重くなるように感じた。
思い返せば、休憩なんて塔の上で若干体を休めた程度しか記憶にない。
それを除けば、彼女は丸一日、休むことなく走り続けてきた事になる。
疲労は、もうとっくの昔に無視できない程たまっている。
気を抜いてしまえば、一気に倒れてしまいそうなほどに。
でも、今の凛にそんな事をするつもりはなかった。
そうしたいほどの、疲労がある。喪失感がある。
けれど、ここで足を止めてしまったら、きっともう立ち直れない。
そうなってしまったら、もう大切な人を救えない。それだけは、嫌だ。
後悔も、休憩も、全てが終わってからすればいい。
「……誰も、いなかったのかな」
ここに来た理由の一つに、『病院組』に情報を伝える事があった。
けれど、結果としてはここはほぼ壊滅状態。
多くの人が死んだ。少なくとも、集団で残っている望みは薄いだろう。
逃げ出した誰かが、まだ近くにいる可能性もなくはない。
凛自身の目的とも一致していたし、まずは人探しかと決意を改める。
手に握りしめていたのは、奈緒から預かったデジタルカメラ。
ここには、二人が遺した証が入っているのだという。
しかし凛は、その中身を確認する事なく、デイパックの中へとしまいこんだ。
今はまだ、見ることはできない。
それを見てしまえば、もう動く事はできなくなってしまいそうだったから。
病院から去る前に、後ろを振り返る。
そこには、誰もいない。二人の姿は、勿論もう見えやしない。
けれど、凛はあたかもそこに誰かがいるかのように、微笑み返した。
「……二人とも、見守っててね」
誰にも聞こえないような声で呟いて、彼女は、また前を向いた。
この島の何処かに、まだ迎えにいかないといけない子がいる。
あの場所で分かれてから、もう一日も会えていない、大切な、仲間。
もう、後悔しないために。その一人だけは、何が何でも探し抜く。
そして。
「二人に誇れる『アイドル』になって、そっちに届くほどのステージを見せるから」
彼女の――彼女達の望みを、一身に背負って。
そうして
自転車を立ち上げて、踏み込む。
力強く、進んでいく。
――静かに手が触れた、朝の光。
それはとても、暖かくて――――
【B-4 救急病院前/二日目 早朝】
【渋谷凛】
【装備:マグナム-Xバトン、レインコート、折り畳み自転車、若林智香の首輪】
【所持品:基本支給品一式】
【状態:軽度の打ち身】
【思考・行動】
基本方針:『アイドル』で、あり続ける。
1:卯月を探す。
2:病院にいたはずの人達も探し、泉達の情報を伝える。
3:自分達のこれまでを無駄にする生き方はしない。そして、皆のこれまでも。
4:みんなで帰る。
* * *
「……へえ」
彼女達が別れ、凛がその場を立ち去り。
そこから、暫くの時間が経った後。
静かになった病室の中で、ひとつの声が聞こえた。
その声はとても冷めていて、その主は目の前の光景をつまらなそうに見つめていた。
そこにあったのは、二つのベッドに横たわった二つの死体。
「戻ってくる必要も、なかったってわけね」
それを目の当たりにして、声の主は何度目かも分からない小さなため息をつく。
彼女――和久井留美は、逃げ出して一度病院から出た後、また別の入口から侵入していた。
理由は勿論、殺し損ねた二人を仕留めるため。
突然の乱入者に不意を突かれ、逆境に立たされて。
そんな状況に、誰よりも留美自身が焦りを感じていた。
冷静さを失った時、大概ろくな事が起こらい。
それを留美は、この一日で嫌という程経験していた。
だからこそ、多少損する事になろうともまずは一旦引く事を選択した。
こちらの体制を整え、一度落ち着く為に。
離脱する為に放った銃弾は多く、多少の期待はしていた『盾を破壊し二人を仕留める』なんて事も起こらず。
それでも、この消耗は自身の命に比べれば安いものだ。
アイドルとして戻ると決意した以上、多少慎重すぎるぐらいが丁度いい。
体に傷がつけばつくほどに、その難易度は比例して跳ね上がるのだから。
改めて、自身の目指す夢への難易度の高さを思い知る。無論、彼女に諦めるつもりはない。
そうして安全を確保して、また慎重に、時間をかけて病院内を探索していた。
しかし、結果だけを見ればそれは無駄足だったと言えた。
標的のうち片方は、既にここで事切れて、そしてもう片方の姿も、ここにはない。
留美には行先を推理する当ては全くなかったが、予想はできる。
最後の一人はここに二人を置いて、この病院を去ったのだろう、と。
「それにしても……ねぇ」
気になる事と言えば、事切れていた少女のうちの、片方。
少なくとも、留美が病院を離れる直前までは生きていた筈の方。
神谷奈緒の姿が、気にかかっていた。
普通に考えれば、留美の与えた傷がそのまま致命傷になったと考えるのだろうが。
その姿が語る事実は、そうではなく。
「……自害、と考えるにしては難しいような……」
どうみても、そばに置かれたトマホークで『かち割られた頭』が死因としか思えなかった。
その得物は奈緒の手に強く握られていて、それだけを見るなら彼女の自殺と考えるのだろう。
しかし、その手段として頭に叩きつけるというのが、理解できない。
留美は勿論自殺なんてした事はないが、それでも自分で自分を殺すのが楽ではない事ぐらいはわかる。
自ら命を断つのなら、まだ余っているであろう爆弾とか、もっと楽にできる方法はあったはず。
何故、わざわざこの手段をとったのか。それが理解できない。
となれば、他殺の可能性も否定はできず。では、誰が?
(もしかしたら、第三者がいたのかもしれないわね)
そう呟き、あたりを見渡す。
どうしても、『自分で自分の頭を割る』よりも『誰かに襲われ、自殺に偽装された』可能性の方を考えてしまう。
そしてそれを行った人物が、もしかしたら近くにいるのかもしれない。
おそらく、このイベントに積極的な誰かが。
「……とにかく、もうここに用はない」
結局、それも仮定の存在でしかない。が、用心するに越した事はないだろう。
ここでの収穫はその程度しかないと見切りをつけ、留美は目標を変える。
目に映ったのは、彼女が握りしめていたもの。
「手軽な武器も、手に入ったしね」
そしてそういう成果とは別に、有用なものも手に入った。
まず、北条加蓮に支給されていた『ピストルクロスボウ』と、その予備矢。
もう残り弾数も心もとない拳銃に比べ、こちらは逐一リロードする必要はあるものの、ある程度心強いだけの数はある。
更に、同じく加蓮とここにいた奈緒から拝借した手榴弾……ストロベリーボム。
こちらに関しては既に一個は持っていたものの、逆に言えば一個しかなかった。
数が増えたというのは、単純にしてとてもありがたい。
一度抱いた不安自体は拭えていないものの、強力な武器になることは期待してもいいだろう。
そして、今ここで手にした軍用トマホーク。
思えば、こういった近接戦闘用の武器もろくなものがなかった。
灰皿やなわとびで戦うというのも無茶であった。が、これならある程度役に立つ時があるだろう。
単純に手段が増えたというのは、ありがたい。そう思い、今はその武器をしまう。
一応、こびりついた血――それと、色々なものは申し訳程度に拭き取って。
「さて……」
めぼしいものを回収して、その場を立ち去ろうとして。
その前に、視線だけ振り向く。
何も変わらない、もう二度と動かないふたつの死体。
その二つお表情は、不思議と晴れやかに見えた。
「……あの子も大変ね」
それを見て、留美は皮肉気味に笑う。
脳裏に映っていたのは、病院から去る前に対峙していた、この場にはいない少女の姿。
強い意思を持って、睨みつけていた。きっと、大切な人を守るために。
けれど、その大切な人はもういなくなってしまった。
彼女のその想いは、もう一生報われる事はなくなった。
夢というのは、呪いと同じだ。
それを解くには、叶えるしかない。
けれど、彼女の持っていた夢はもう、叶わない。
大きな呪いとなって、ずっと彼女を蝕んでいくのだろう。
行き場をなくして、ぐるぐると廻り続けて。
15歳の少女が背負うには、あまりにも重すぎるものとなって。
「なんて……人の心配してる場合でもない、か」
そこまで考えて、今度は自嘲気味に息を吐いた。
人の心配なんてしてる暇はないはずなのに。ただ、少しだけ気になっていた。
幾多のライバルのうちの一人。きっと、いつかまた対峙する事になるのだろう。
留美がこの夢を貫き、彼女もその夢を追い続ける限り。
(最終的に、叶えたものの勝ちなのよ)
留美はもう、甘い夢を抱く事を否定しない。
少女の暖かい夢も、大人の強い決意の混じった夢も。
けれど、そんな彼女達が抱く夢と、自身の抱く夢は共存しえないものだ。
だからこそまた対峙した時、その時は――全力をかけて、潰す。
自らの夢とまっすぐ向き合って、絶対に叶えると決意した大人は、強い。
「………あら」
廊下を進む留美の顔を、窓から差し込む光が照らす。
その方向に目をやれば、既に日が登り始めていた。
夜が明ける事を表していて……そして、もうすぐ放送があることも、暗に示していた。
「もうこんな時間だったの……なら、どうしましょうね」
そう呟くと、一度進めた歩みを止める。
このまま積極的に乗っていくのならば、既に北は大方片付いたと見て南下するつもりだった。
ただ、そうなると気がかりなのは時間。
彼女が事前に見積もった『六時間』というリミットには、到底間に合いそうにない。
(とすれば……後は、まだ大きな揺さぶりが来ないことを祈るばかり、か)
留美の抱いていた前提は、放送の内容にもよる。
もしもこの放送間でそれなりに死者が出たと向こうが判断したのなら、何も起きないかもしれない。
そうすれば猶予は伸び、南の方へと足を伸ばせるだろう。
しかし、そうでなければ。誰かのプロデューサーが見せしめになれば、もう悠長に狩りなどとは言ってられない。
無力だったはずのアイドル達まで、敵となるだろう。
そうなると……結局は、向こうの出方次第だと言える。そんな受動的な結論に至り、留美は小さく溜息をつく。
(……ま、いいわ。急いては事を仕損じる、って言うしね。慎重に行きましょう)
とはいえ、揺さぶるパターンでも様子見に徹すればいいだけの話だ。一応、それだけの余裕はあるはず。
楽観視はできないが、仮にプロデューサーの誰かが犠牲になるとしても、そこに留美のプロデューサーが当てられる事はほぼないと断言できる。
自惚れと取れるかもしれないが、彼女はこの場で多くの成果を挙げているつもりだ。
一番とは言わなくても、まだ誰も殺してない参加者よりも『イベントの参加者』としての優先度は高い筈。
そんな者の行動原理をすぐに潰すなど、明らかに合理的ではない。
確証こそないが、概ね当たっている自信はあった。
「さて……病院なら休憩する場所には困らないけど」
そうして予定を変更し、一度腰を落ち着けるために踵を返す。
身の安全の確保ができるなら、病院で様子見として居座るのは悪くはない。
そう判断して、彼女は病院の奥へと消えていった。
暗躍した猫は、休息の時を迎える。
生まれ変わった自分の初陣に、確かな手ごたえを感じながら。
【北条加蓮 死亡】
【神谷奈緒 死亡】
【B-4 救急病院/二日目 早朝】
【和久井留美】
【装備:前川みくの猫耳、スポーツウェア、S&WM36レディ・スミス(1/5)】
【所持品:基本支給品一式、ベネリM3(7/7)、予備弾x28、ストロベリーボム×6、ガラス灰皿、なわとび、コンビニの袋(※)、軍用トマホーク、ピストルクロスボウ、専用矢(残り12本)】
【状態:健康】
【思考・行動】
基本方針:和久井留美個人としての夢を叶える。同時に、トップアイドルを目指す夢も諦めずに悪あがきをする。
1:まずは次の放送を待ち、その後は内容によって判断する。
2:いいわ。私も、欲張りになりましょう 。
最終更新:2016年04月20日 00:31