さだめ ◆yX/9K6uV4E





―――それが、彼の運命だった。






     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




彼は本来、人間と共に生きる種ではなかった。犬や猫と違い人間と一定の距離を置く種である。
日本から遥か遠い、高温多湿の大地に生きる彼らは、近年になって人間に飼われるようになった。
彼らの種は、グリーンイグアナという爬虫類の一種であり、日本古来の生物ではない。
その彼らが日本に居るようになった理由は、生まれた地で、囚われて、移され、日本の人間に飼われる様になったというものでしかないのである。
彼らが狭い世界に囚われ、自ら生きる為に活動しない中で、思うことは一体なんであろうか。
望まぬ異国の地に、食物連鎖の頂点、或いは食物連鎖から外れた生き物の戯れによって、ただ生かされるだけを感じる屈辱だろうか。
それとも、ただ安楽として日々を過ごすだけで食も住も安全も与えられ生きていける麻薬にも似た多幸感だろうか。
もしくはその両方を抱えながら、己の獣として命を見つめるだけの諦観なのだろうか。
答えなど、彼らのなかで一個体ずつ得ているもので、つまるところ彼らの思い次第なのだ。
所詮、彼らの種は、人間を害する種ではない。酷い時には人間に、彼らの都合によって害される存在だ。
だからこそ、人間によって決められた運命を、決められたまま生きなければならない。
見方を変えれば、とても哀れで滑稽な命を、そのまま全うしていく、囚われた彼ら。

定めを持った彼らの一つ、名はヒョウというが……彼もまた、人に囚われ、生きていた。
自分の個として始まりを彼が思い出そうとしても、いまいち定かではなく。
気がついたら、異郷の地である日本という土地に居た。
それでも、生まれたのはこんな穏やかな異郷ではなかった。
彼にとっての故郷は、只管熱く、只管湿っていた大地。
人に囚われたせいで故郷を離れ、また人に飼われる生活を送るようになった。
それがヒョウという存在だった。哀しくもそういう存在は、珍しくもなく。
囚われた彼らの種が送る極めて普遍的な存在であった。
彼はその状況に、大きく悲嘆する事もなく、ただただあるがままに受け止めていくしかない。
故郷からの流転の運命を振り返って彼が言う事は


「まあ、そんなものだ」

諦観にも似たまるで瑣末事を語るような思いでしかなかったのである。
言葉にしてみればそれだけ終わる事で、なんにせよ嘆いたところで変わる現状でもない。
連鎖のなかで下位に位置する彼らは、一種の超然めいた心持ちで、現状を受け止めるしかない。
彼は、そう割り切る事にしたのである。割り切れるのは、彼らの種ではなく、彼自身の性格によるものだろうが。
そうして彼は、日本の地にて、より上位であると彼が思う人間に飼われることになった。

古賀家という人間の家族に飼われる事が、彼が日本に来て、直ぐ決まった。
もっとも彼が古賀家というものを認識するのは大分先であったが。
その頃の彼は、かわりゆく状況を肌に感じながら、ただ流されるままだった。
違う国に来たという認識は、何よりも気温の違い、そして大気からであった。
流れ行く緩やかな空気、何処か乾いた風。たくさんの人間の声と息遣い。聞いた事も無い機械音。
自然から切り離された硬い土地を、彼は見続けていたのであった。


そして、最初の春。
穏やかな雲ひとつ無い晴れの日に、彼は古賀家に移された。
最初に居た場所から、移される間、籠の切れ間から見えた風景が、彼の心に残り、そして今もなお忘れられない。
遥かな天空の蒼に、何処までもひらひらと舞散る無数の薄紅色の花びら。蒼と薄紅が彩っているのが彼に目に移り、感嘆し思う。
これが、異国の空なのかとしみじみと。感慨を持った処で何か彼のなかで変わることは無い。
無いのではあるか、ただそれを美しいと思う心は、確かに其処にあった。
空を眺めながら、彼は古賀家に送られ、そしてその家の娘に出会う。
まだまだ幼い娘は、小春といい、人間からすると気味が悪い爬虫類の彼に臆する事無く接し、可愛がった。
娘は奇異な存在である彼の事をとても気に入り、自分が面倒を見るつもりだといった。
もっとも彼は娘を小春という個を認識せず、人間の娘程度であったが。
彼はそのまま娘に抱かれるような、一方的な関係が始まりであった。

最初の夏。
蒼い空に燦々と輝く太陽。じめじめとした暑さに、虫達がいつまでも鳴き響く、日本の夏。
初めて経験する夏に、彼は記憶に眠る故郷を想起し、古賀家で過ごし始める。
出来るならこの季節が続けばいいと彼は思うが、それが叶わぬ事も理解していた。
また、徐々に人間に飼われるということに、彼は適応し始めた頃だった。
そして、名前も与えられ、ヒョウといわれ始めていた。
彼はまだそれを自分だと認識できてはいなかったが。
餌を与えられ、人間、特に娘が構ってくるという空間。
娘は無邪気に彼を抱きついてくるが、いつも彼は邪険にし、時に反抗する。
それでも、なお甘えてくる娘に辟易しながらも、慣れるより他はあるまい。
そう彼は考え、こうなってしまったのも運命なのだからとあきらめる他は無く。
快適さを感じながら、人間の纏わりに鬱陶しさを感じていた夏だった。

最初の秋。
暑さは通り過ぎ、植物が実り、葉が彩りを迎え、涼しさを感じる頃。
彼は夏を恋しく思いながら、秋の植物の美味しさに驚嘆としていた。
与えられる果物のなんと瑞々しく美味しい事か。
きっと野生で居る限りでは、こんな甘味を常日頃食べられる訳はあるまい。
人間に飼われることも少しは悪くないではないかと彼が感じた、秋。
その頃から、彼は完全に娘を主な飼育者と認識し、小春という名前だという事も理解した。
娘はやはり子供でまだとても我侭である事も、彼は解った。
彼が言うことを聞かないと直ぐに泣きだし、近寄るととても笑顔になるということも。
それが何を意味するか彼には、解らなかったが。
ヒョウ君と、彼が自分の名前だと理解した名前を呼ぶ時の娘は、彼にとっても不思議な響きになっていた。


やがて、最初の冬がやってくる。
空から舞い落ちる白い塵。
其れに彼が手を伸ばすと、色を失い透明になり、消えてしまった。
何よりも、彼の身体から熱を奪う、恐ろしい物体と彼は認識する。
雪というその物体は、彼が生まれた故郷には存在せず、そしてそれにより忌むべき季節の到来を知った。
本来彼が、感じることも無かった冬を。
彼の種は、日本の寒さには到底耐えられるものではない。
彼が生きるべき処では、そんな寒さになる事は無いのだから。
身体から何もかも奪っていくような感覚に、彼は恐怖を感じ、体を大きく震わせた。

そして最初の冬の時、事件は、彼がどうにもならないところで起きた。
あらましはとても簡潔で。古賀小春が、彼が生きる為に必要な暖を取らなかった事。
変温動物である彼が日本の冬を乗り越えるには、独力では叶わない。
そして飼い主たる古賀家の人は、家を離れていて彼一人だった。
故に身を刺す寒さに、身体の温かみを奪われていくのを痛感し、己が死を彼は悟る。
飼われている人間の世話がなければ、ただ寒さに震えて死ぬだけしかない哀れな生き物。
野生で生きている上では断じて有り得ない惨めな死に方をするのか。
ただ其処に居るだけで死に行く自由もなにも無い終焉を迎える。
ああと彼は悲嘆の息をゆっくり漏らし、彼は静かに目を閉じた。
飼われたものの宿命なのだろうと。結局、己が関与できない所で命を定められ、死んでいく。
人間という存在の気紛れによって決まる憐れな存在。
そうなってしまった事に嘆く事はなくても、諦観をし、彼は命を終えることを受け入れた。


だが、彼は暖かさを感じるともに、また再び目を開けることができたのだった。
目を開けた先に見えた世界は、古賀小春が自分に抱きついてわんわんと大きな声で泣いていたということだった。
只管ごめんね、ごめんねと謝罪を繰り返し、抱きしめることに彼はただ困惑するしかなく。
その中で、彼は古賀家の人間が帰ってきて、瀕死の彼に気づき慌てて救命措置、即ち部屋を暖め始めたことを悟る。
人間の手で死にかけ、また人間の手で生かされる。
ああ、やはり自分はそういう運命なのだと、身体に生気が宿り始めるとともに確信する。
全ては人間のさじ加減や気紛れで決まるか。或いは人間の感情というもので決まる。
人間の感情とは不思議なものだと彼は抱かれながら、思う。
古賀小春は自分の過失でただただ泣き、只管に彼を思って生かそうとした。
そこにあるのは一体なんという感情なのだろうか。
懐きという感情なのだろうかと彼は考え、身体から感じる温かさに彼はふと思い出す。
野生の頃、記憶というには余りにも曖昧な何か。
単純に言葉にするとそれは、母性、つまりは母の愛だと彼は感じる。
そうなるば、古賀小春は自分を子供のように思っているのだろうか。
彼には人間の本当の思いを知ることなどできようもなく、知る必要性もなかった。

どうせ、人間の手から自分が完全に離れる事は出来ないのだ。
最初から最後まで人間の手によって命が運ばれる定め。
だが、そうだとしても、彼は今、死の危機にたたされながらも、感じているものがあった。

「まあ、これも悪くない」

そんな感情に支配さた彼は、古賀小春の胸に抱えながら、最初の冬を終えたのだ。



二年目の春。
春の桜の美しさを感じながら、彼は古賀小春の胸に居た。
冬以降小春は、彼を放す事は少なくなった。それを若干鬱陶しいと感じながらも、そのまますごした。
人間が言うには、小春に懐いたという。
そうなのだろうか。彼自身はそれを意識することはなかった。
だが、穏やかに流れる時間は、悪くはない。
そう、思うことにした。

二年目の夏。
彼は古賀小春が嫌がる虫をなんとなく、食べた。
彼の種は本来肉食ではなく、食べる必要などなかった。
彼自身、命を弄ぶつもりで食した訳ではない。
ただ、古賀小春が嫌がる姿を見るのが、堪らなく腹立たしい。
それだけのことだったが、それによって、彼自身が親しみというものを小春に感じていることを知る。
ならば、虫を、命を食べるという行為も、自分自身で肯定するべきなんだろうと結論付けることにした。
だが、それ以降好物と勘違いされて、何度も渡される羽目になったのは、彼自身予想も出来ず、閉口するしかなかった。

二年目の秋。
実りの秋を堪能しながら、古賀小春がアイドルになったというのを知った。
アイドルというのを彼が理解することは、終生無かった。
ただ、人間として特別な存在になった事は理解する。
そのことによって、古賀小春に笑顔が増えたこと。
古賀小春が、楽しい表情を浮かべるようになったこと。
それだけを認識し、ならばいいのだろうと心から納得し、彼自身は実りの秋を堪能した。


2年目の冬。
彼がもう寒さに震えることは無かった。
古賀家には、炬燵という文明の利器が導入された。
彼にはそれがこの世にこんな幸福な空間があったのだろうかと思い知ることになる。
温かくて、ただ過ごしているだけで平穏になる空間。
それを古賀小春と味わうものは、格別だった。
冬はもう怖いものではなく、ただ多幸感を感じるものになった。
それは、炬燵と古賀小春によるものだというのに、彼自身が理解していた。
もうその頃には、古賀小春になれていたのだと彼は思う。


三年目の春夏秋冬。
彼は古賀小春と共に在り、共に過ごした。
特に語る必要も無く、言葉もいらない。
それだけ普遍だったということだった。



そして、四年目は――――殺し合いに巻き込まれた。









     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇









彼が、殺し合いに古賀小春に共に巻き込まれても、彼は古賀小春と共に在ることを望んだ。
時たま逸れる事はあっても、小春と近い距離に居た。
そして一日が過ぎた頃、病院と居る施設に連れてこられた時、彼は強い不快感を感じた。
人間にとっては消毒された清潔感でも、彼にとってそれは自然とかけ離れた異物だ。
ただ綺麗な空間など、彼には耐えられず、小春の手から離れ逃げ出す。
何処に逃げる訳でもない、ただ外に行こうとしただけだ。
そうした時、病院から焦げたような臭いを感じ、人間数人がけたたましく移動していた。
彼は、古賀小春が背の高い人間に運ばれたのを見ると、彼女を追うことにする。
人間とイグアナの足では瞬く間に離されているが、小春が居る位置はなんとなく解るのだから、気にはしない。

彼は、少しずつこの島で起きていることを理解していた。
何故だか解らないが、人間同士で命の奪いあいをしているらしい。
愚かしいことだ、同種で殺し合いをするとは。
自然ではありえぬ、余りにも野蛮な行いをする食物連鎖の頂点、或いは外れた生き物。

智慧というのは、得れば得るほど、生き物を愚かにするだけなのだろうか。

何の為に、殺す必要性があるのだろうか。
生きるためにだろうか。
人間は、自由に生きることができるというのに。
少なくとも、彼が知る人間は、衣食住に困る必要性はないのだ。
だというのなら、何故彼らは殺しあうのだろうか。
快楽のためだというのだろうか。
悪戯に命を奪い、気紛れで命を生かす人間だからこそ、命を軽くみるのだろうか。
それが全てではない、古賀小春はそういう人間でないのは彼は解っている。
だが、人間というのは、余りにも残酷だ。

だというのなら、やはり智慧が人間を狂わしているのだろう。
余計なことを考えすぎて、やがて破滅へと導くもの。
生きるために、智慧を得ている筈だろうに。
その智慧こそが、人間を堕落に、愚かにしている。

彼は、そう思えてならない。


硬い地面を、人間の智慧の結晶である道路を、彼は歩いて。
何故その豊かな智慧を人を生かす事に使わないだろう。
愚かにも人の命を奪うことに使う人間。
そして、其処に古賀小春が巻き込まれていること。
彼は、少ない智慧で、憤然として、焦燥にかられながら、古賀小春を追った。


そして、古賀小春を、ある家で遂に見つけた。


但し、命が抜け落ちたただの骸として。

其処で、古賀小春という人間は、もう死んでいるのだ。
骸として、朽ち果てるだけのものにしか、ない。
彼はすぐに理解し、古賀小春の下に寄り添った。
これは、古賀小春ではない。二度と動かぬ骸。
そうである事は理解しても、その場から動くはできなかった。

どうやら、彼の飼い主は、幼い命をあっという間に終わらせたらしい。
彼女より年上の存在によって、余りにも無残に散らされてしまった。
後悔も憤怒も諦観も嘆息も彼は不思議とわかない。
終わってしまったのだ。何もかも全て、総て、凡て。
彼女と過ごした空間も、時間も、温もりも。
ただただ、それだけを感じて。

終わってしまったのだ、何かも。

彼の目の前で、蠅が煩く飛んでいた。
やがて古賀小春に近づこうとしたが、彼はそれ食べて、封じた。
彼女の骸を、虫に塗れる事は、彼自身が許さなかった。
特別な人間の彼女がそんな骸になることは、到底あってはならない。

逆に言うと、それ以外はどうでもいい。
自分の命でさえも。
飼われた命は、飼っていた者のものだ。
どうなろうと、もう知ったことはではない、彼にとっては。
古賀小春を知っている人間が自分を動かすかもしれない。
それなら、それでいい。どうせ人間の手で生かされるしかないのだ。
それがおきないなら彼は此処に居るまでだ。

つまるところ、彼は、ヒョウという存在は、古賀小春と共に在ることを決めたのだ。
この骸にたかる虫を排除しながら、此処で朽ちる。
元々人間に飼われることでしか、自分は生きられない。
それが哀れにも野生から抜け落ちた彼の辿り着く先なのだ。
その事をよく知っていた彼は、一人になったというなら、やがて死ぬ定めだろう。

ならば、それでいい。それが、ヒョウという存在の運命だろう。

そう結論付け、彼は目を閉じる。




ふと、ある時、古賀小春がテレビというものを見ていた時の事を思い出す。
其処にあったのは、彼の故郷だった。最もその頃には彼にとって縁が遠い存在になっていたのだが。
小春がさびしそうに、それを見ながらつぶやいた言葉がある。


『ヒョウ君にとって、あの島で自然に生きることが、幸せだったのかなぁ……?』



不思議な幼い子供の問いだった。
野生がいいか、飼われるのがいいか。
あの時は、特に言うことも無かった。
だが、今なら何かを言えるのだろう。




「――――おれは、べつに、どちらでもよかったのだ」






そうして、彼は、流転の人生を、運ばれた命を此処で終わらすことを、多幸感に包まれながら、決めたのだった。






※ヒョウ君は、古賀小春の遺体に寄り添っています。ほかの人間に連れて行かれるようなら、抵抗しませんが、それ以外ならばその場から離れません。


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最終更新:2016年04月20日 00:45