プロフィール
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選手名 -武内 晋一(たけうち しんいち)
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背番号 - 8(06年~)
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出身地 - 兵庫県神戸市
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身長/体重 - 175㎝/85㎏
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投打 - 左投左打
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球歴 - 智辯和歌山高(甲)-早稲田大-東京ヤクルト(05年大社ドラフト希望枠)
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顔文字 - ( ,, `ー´)
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実況板でのあだ名 - うんち
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関連用語 - wsd
入団前
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和歌山県の強豪、智辯和歌山高に入学。同時に投手から野手に転向し、1年時から主力に。99年夏・00年春・00年夏と三季連続で甲子園出場。
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99年夏にベスト4、00年春に決勝まで進出する。特に00年夏には3番を務め、5割以上の打率を残して20世紀最後の甲子園優勝に大きく貢献した。
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3回戦のPL学園戦は事実上の決勝戦として注目を集め、2年生エースの朝井(楽天→巨人)、加藤(元ソフトバンク)のバッテリー
今江(ロッテ)、中尾の二遊間に桜井(元阪神)、小斉(ソフトバンク→楽天)が揃ったタレント勢を圧倒的な打力で打ち倒す。
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準々決勝では浦和学院の坂元(ヤクルト→日本ハム→横浜→西武)との奪三振対決を制して勝ち上がってきた香月(近鉄→オリックス→巨人)擁する柳川高と対戦。
7回まで2対6と苦戦を強いられるが、8回に武内がライトスタンドにソロホームランを放ち反撃の狼煙を上げ、勢いそのままに山野の3ランで同点。
延長11回に後藤のサヨナラタイムリーで準決勝に進出した。
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準決勝では根市(元楽天)擁する光星学院、決勝では東海大浦安高を降し、最後まで圧倒的な打力を見せつけ、3年ぶりの優勝を果たした。
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堤野(慶大)・武内・池辺(慶大→新日本石油)・後藤・山野などを擁したこの年の智辯和歌山打線は現在でも甲子園のチーム打撃記録となっており、高校野球史上最強との呼び声も高い。
当初はその打線で4番を務める予定だったが、練習試合で敬遠されすぎたため3番に変更したと高嶋監督がコメントしている。
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00年秋~01年夏、同校の主将を務める。練習試合では強豪校相手に大勝が多かったが公式戦は1勝4敗に終わり、当時近年最弱の学年と呼ばれた。
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3年夏も県予選1回戦で山本芳(元広島)擁する和歌山工高に1回戦で敗れている。
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01年夏の内部向けの壮行会で監督が「智辯和歌山史上最強の学年」と明言する程の戦力だったがメンタル面ではそうはいかなかったようだ。
武内自身もディフェンディングチャンピオンの主将としてのプレッシャーで一週間前から食事が喉を通らなかったという。
同壮行会では武内の隠し投手としての登板も明言されていたが、叶うことはなかった。
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早大に進学すると、ここでも1年春からファーストレギュラーの座を掴む。
青木と田中浩等、後のチームメイトと共にプレーし、豪華4連覇メンバーの一員として早稲田黄金時代の一翼を担う。1年春からリーグ戦全試合出場、4年時には主将を務め首位打者にも輝いた。
社会人監督時代に松中(ソフトバンク)を育て、現在早大を率いている応武監督曰く「21歳時の松中より武内の方が優れている」とのこと。
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05年日米大学野球では、勝負強い打撃で見事MVPを獲得。
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阪神や巨人なども獲得を狙っていたが、早大パイプで地道にマークし続けたヤクルトの05年ドラフト希望枠で入団。
ヤクルト時代
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06年4月1日の開幕シリーズ第2戦の阪神戦、6番ライトでデビュー。
1回表に今岡の打球を日光で見失い落球。ホロ苦デビューかと思われたが、6回裏に安藤から同点3ランを放ち勝利に貢献。
9回裏にリグスがサヨナラ四球を選び試合はサヨナラ勝ち。武内はデビュー戦でお立ち台にあがった。
なお、この試合で武内はプロ初出場、初安打、初打点、初本塁打、初四球、初エラー、初牽制死と初物尽くしであった。
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鮮烈なデビューとなった物の、以降は勢いが続かず、戸田での出場がメインとなった。
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07年、シーズン序盤には1軍で出場していたが、大半は前年と同じく戸田での育成が続き、打率.367でイースタン首位打者を獲得した。
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08年、開幕ベンチ入りを果たし、武内と同じく戸田の帝王と呼ばれた畠山、ユウイチと共に1軍での活躍が増えている。
ポジションや左右の兼ね合いもあり、常時出場とは行かないが、08年のプレーを見た解説者の間では常時出場させるべきとの声も少なくない。
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守備が上手く、スタメンファースト畠山(08年)・デントナ(09年)、ホワイトセル(10年)、試合途中から武内に交代というシーンも多く見られた。
厳しいポジション争い
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高校・大学とほぼファースト一筋でやってきて、大学時代は4年間リーグ戦全試合出場でノーエラーという優れた実績。
(高校1年秋に外野、2年~3年の時に左投手の経験あり。00年秋、01年夏ともに地方で早々に敗れたため公式戦での登板はなかった)
柔軟なグラブ捌き・俊敏な反応・的確なコーチングなど、高い守備力もスカウトに高く評価されていた。
しかしプロにおけるファーストのポジションは、外国人やパワーヒッターが優先される傾向がある。
左投げの武内はプロで活躍の場をより広げるため、入団後は外野の練習を積極的に行っている。
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先輩の青木や早稲田の監督は、武内の外野適性に太鼓判を押しているようだ。
not ピザ
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高校時代と今の武内では、体型もプレースタイルも大きく違う。
高校時代は丸々とした体型から高い打球を放つ長距離打者という印象であった。
しかし大学に入学すると100㎏近くあった体重を85㎏まで落とし、フォームもクローズドからオープンスタンスに変更。
アマトップレベルのスピードと言われるスイングから低く速い打球を連発する、中距離打者タイプに変貌したのであった。
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武内は実は足も遅くはない。「野球小僧」の計測では、左右の違いはあれど田中浩より一塁到達タイムが速いらしい。
大学の4年秋には盗塁王になるなど、積極的で意外性のある走塁も武内の大きな武器なのである。
08年には畠山やユウイチの代走として出場し、そのまま一塁の守備固めとして入るケースも度々見られる。
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08年7月17日の阪神戦の9回、畠山の代走として出場し、プロ野球で18年ぶりとなる三重盗の一員となった。
なおこの際記録された二盗が武内の一軍初盗塁である。
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ちなみにウエイトトレーニングは苦手らしい。
呪われし系譜
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高校野球界では強豪で知られる智辯和歌山高だが、その出身選手は上のレベルで伸び悩みやすい傾向があるようだ。
特にプロ野球には高塚(元近鉄)、中谷(阪神→楽天→巨人、12年引退)、喜多(元ロッテ)を輩出したが、アマ時代の評判に比べて結果が出ていない。
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一方で武内は、ヤクルトなどに有力選手を数多く送り込む早稲田大学の出身でもある。
武内が智辯和歌山の呪いを打ち破って活躍できるかどうか、長い目で見守って行きたいもの。
年度別成績
年度 | チーム | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 四死球 | 三振 | 盗塁 | 打率 |
2006 | 東京ヤクルト | 12 | 24 | 4 | 2 | 0 | 0 | 1 | 4 | 5 | 8 | 0 | .083 |
2007 | 東京ヤクルト | 24 | 41 | 2 | 3 | 0 | 0 | 1 | 3 | 3 | 12 | 0 | .073 |
2008 | 東京ヤクルト | 116 | 169 | 20 | 39 | 11 | 2 | 1 | 13 | 10 | 37 | 2 | .231 |
2009 | 東京ヤクルト | 112 | 144 | 15 | 37 | 4 | 0 | 2 | 13 | 16 | 23 | 0 | .257 |
2010 | 東京ヤクルト | 109 | 142 | 25 | 38 | 9 | 0 | 6 | 22 | 20 | 38 | 0 | .268 |
2011 | 東京ヤクルト | 73 | 102 | 10 | 22 | 4 | 2 | 2 | 11 | 10 | 27 | 0 | .216 |
2012 | 東京ヤクルト | 52 | 82 | 7 | 20 | 3 | 0 | 1 | 3 | 11 | 14 | 1 | .244 |
| 通算 | 498 | 704 | 83 | 161 | 31 | 4 | 14 | 69 | 75 | 159 | 3 | .229 |
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最終更新:2012年12月13日 00:42