プロフィール
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選手名 -青木 宣親(あおき のりちか)
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背番号 - ヤクルト時代 23(04年~09年)→1(10年~11年) ミルウォーキー時代 7(12年~)
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出身地 - 宮崎県日向市
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身長/体重 - 175cm/77㎏
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投打 - 右投左打
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球歴 - 日向高-早稲田大-ヤクルト/東京ヤクルト(03年ドラフト4巡)-ミルウォーキー
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顔文字 - v( `・a・´)v (´・a・`)
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実況板でのあだ名 - 青、タコチカ、バンズ、チンポジ(ちんこのポジションを気にするような打撃フォームから)
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関連用語 - wsd、貫禄兄弟
入団前
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高校は他県の強豪校では無く、地元の日向高に入学。高校時代は1番ピッチャーとしてプレーしており、
2年夏の宮崎県予選1回戦では堤内(元横浜)擁する宮崎日大高と対戦し、9回まで投げ合うも、9失点で敗れている
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早稲田大では投手から外野手へ転向し、1年からベンチ入り。転向理由は「走り込みが嫌」
3年時にレギュラーを獲得し、秋には首位打者獲得、4年時には2番でリーグ4連覇に貢献。
この時の早稲田には田中浩、武内等後のチームメイトも在籍しており、特にチームの中心打者であった鳥谷(阪神)とはプロ入り後に比較される事もあった。
阪神も指名を検討していたという報道があったが、早くからマークしていたヤクルトに入団した。
ヤクルト時代
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1年目は1軍での出場は少なかったものの、フレッシュオールスターで4安打を放ちMVPを獲得。最終的に打率.372でイースタンの首位打者を獲得した。
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2年目はライトレギュラーであった稲葉がFAで日本ハムへ移籍した為、1軍キャンプに参加し、俊足のリードオフマンと期待されオープン戦初戦からレギュラー固定。
シーズンに入ると1番宮本、2番青木の新打順でレギュラーを獲得。シーズン序盤は1軍の壁にぶつかり、三振の多さから3番の岩村と共に貫禄兄弟と呼ばれた。
しかし、若松監督の我慢の采配もあり、夏場から1番に抜擢された後は猛打を奮い、05年10月11日にはイチロー(オリックス→マリナーズ)以来2人目の200本安打を達成した。
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【ヤクルト 5-0 横浜】青木選手、200安打達成!! 館山投手、10勝目!! (公式) リンク切れ
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青木選手、夢への到達!! シーズン200安打達成!! (公式) リンク切れ
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06年は不動の1番センターとして大活躍。前年は宮本との1、2番だったが、このシーズンはリグスとの超攻撃的1、2番コンビを結成。
首位打者の座は福留(中日→カブス)に譲り、2年連続シーズン200安打もならなかったが、192安打を放ち2年連続最多安打のタイトルを獲得。得点圏打率もリーグトップの成績を残した。
本塁打も前年の3本から10本増の13本と確実にパワーアップしている事を見せ付けた。なお、05~06年の連続2シーズンでの安打数394は、94-95にイチローが記録した389を超える新記録である。
41盗塁で赤星の6年連続盗塁王を阻み初の盗塁王タイトルを獲得。
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07年、今度は早稲田大の後輩である田中との黄金コンビを復活。3番に座ったラミレスにシーズン安打数の記録を抜かれてしまったが、
熾烈な首位打者争いに勝利し、2度目の首位打者を獲得した。長打力はさらに伸び、ホームランは大台の20本に乗せている。
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07年オフには北京オリンピック予選に代表の3番打者として出場し、五輪出場を決めた。
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08年は3番を打っていたラミレスが巨人に移籍した為、3番として出場していたがシーズン序盤に右わき腹痛で一時チームを離脱。
復帰後は調子を取り戻し、例年と同じく首位打者争いを繰り広げた。最終的には内川(横浜)に及ばず2位となるも、打率.347をマーク。
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09年はシーズン開幕から不調。
センターの守備でもミスを犯し、高田監督に「もともと守備に気持ちが入ってない人だけど」とコメントされて一時レフトに回された。
8月以降は好調時の打撃が復活し、最終的には打率3割をマーク。チームが連敗で沈んだ中にあって、打撃陣を引っ張る活躍を見せた。
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09年オフに恩師である若松元監督の殿堂入りを祝う会に出席した際、ミスタースワローズの称号である背番号1を継承する事を決意。
岩村以来となる3年ぶりの背番号1が神宮に登場する事となった。
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10年は3番打者・1番打者として209安打をマーク。自身2度目の200安打を達成し、3度目となる首位打者のタイトルを獲得した。
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11年は打撃が不調で、東スポに「『3割打てなかったら引退』って書いていいですよ」という記事も掲載された(結果的にメジャーに移籍したため、NPBは引退ともいえることになった)。
結局、11年シーズンの打率は.292で、7年連続の3割到達はならなかった。オフにポスティングでメジャーに挑戦。ミルウォーキー・ブルワーズが交渉権を獲得した。
メジャー移籍後
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ミルウォーキーでは当初は控えであったが、結果を残しシーズン途中からスタメンに定着した。
WBC日本代表
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WBC日本代表に2回選出されている。
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06年の第1回大会では第2ラウンドまでは代走等のバックアップ要員としての出場であったが、準決勝の韓国戦では1番センター、決勝のキューバ戦では
上位を打つ川崎(ソフトバンク)、西岡(ロッテ)に繋ぐ9番センターとして出場し、通産1安打ながらも世界一に貢献した。
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09年の第2回大会では「侍ジャパン」の3番レフトとして全試合スタメン出場。特に第2ラウンドでの活躍が目立ち、3戦目の崖っぷちに追い込まれたキューバ戦では4安打2打点の活躍で日本の危機を救った。
決勝戦終了後は12安打7打点と安定した結果が評価され、大会ベストナインに選出された。
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余談ではあるが、第2回大会では3番に座っていた青木は実況板では前年の得点圏打率の低さを危惧され「日本完全にオワタ」といったような扱いをされていたが、
WBCではシーズンとは打って変わった勝負強さを発揮しており、この辺りが国際試合で活躍しレイズへ移籍した某先輩を彷彿とさせている。
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第2回大会では韓国代表として出場していた林昌勇とのヤクルト対決も実現している。第1ラウンド最終戦ではピッチャーゴロに抑えられ、決勝戦では2敬遠という結果となった。
オールスターMVP
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06年7月21日のオールスター第1戦でMVPを獲得。
06年のオールスターは第1戦がヤクルトのホームである神宮、第2戦が青木の地元である宮崎サンマリンスタジアムで開催された為、
まさに青木の為のオールスターであった。
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第1戦では1番ライトで先発出場し、1回に松坂からライト前ヒット。続く2番赤星の打席の初球ですかさず二盗を決め、
3球目には調子に乗って三盗を試みるが失敗。
3回にはSHINJOが放った平凡なライトライナーをポロリしてピンチを招くが、第2打席で元ヤクルトの吉井からちゃっかり勝ち越しアーチを放つ。
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これらの活躍が認められ、地元神宮で見事オールスターMVPを獲得した。
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ちなみに前日の7月20日にはフレッシュオールスターで飯原がMVPを獲得しており、青木は飯原に「MVPを獲るように」と発破をかけていた。
その他
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06年3月19日に放送された「ジャンクSPORTS」で先輩の石川の事をカツオ(似てるから)と呼んだり、
年賀状で真中に『今年も去年同様、いい成績が残せるようがんばります』と書いて「基本的に失礼。先輩をライバルだと思っていない」と批判された。
この為か、一部では失礼王子と呼ばれる。
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スワローズTVで若松監督と競演した際、監督がちゃんちゃん焼きを作ってる際ただ傍観。
元監督が懸命に話している時に米野が真面目に聞いているのに対して普通に食事。元監督が乾杯の音頭をとっても
まったく立ち位置を変更することなく、米野と監督は青木に乾杯、とやりたい放題であった。
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早稲田大時代の卒業論文のテーマは「盗塁」
部員50人の記録を取って比較した結果、(1)スライディング(2)加速度(3)トップスピードの速さを見て、スタートの大切さを改めて感じたという。
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05年にレギュラーとして活躍し始めていた時、変な選手が多い早稲田大出身者にしてはマジメだと思われていたが、
日刊ゲンダイに早稲田大時代にビデオで見たAVの撮影現場を見つけたと言って喜んでいたという証言が記載。
最早ヤクルトの早稲田大出身者が変態だというのは逃れられない運命のようである。
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08年1月23日に日向市民栄誉賞第1号となる。黒木(元ロッテ)も同時受賞。
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08年のオールスターにファン投票で選出されることとなった。交流戦では青木が脇腹を痛めていたため対戦が無かったこともあり、ダルビッシュ(日ハム)から「対戦したい選手」に指名される。「どうやったらまた脇腹を痛めさせてやるかしか考えていない(笑)」という物騒なダル側の宣言に「それならサエコ(ダル夫人)のお面をかぶって登場する」と受け返した。
実況板での扱い
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日本最高クラスのバッターではあるが、実況板では色々いじられている選手である。
前述の失礼王子的な性格に加え、08年の得点圏打率の低さやアベレージヒッターであるにも関わらず長打狙いで凡退(3番を任せられたという事情もあったが)という短所をからかわれる事が多い。
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同じアベレージヒッターで本人が目標とするイチローの様な完璧なバッティングというより、ヤクルト時代の岩村の様などこか抜けた所を継承している。
日本での年度別成績
年度 | チーム | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 四死球 | 三振 | 盗塁 | 打率 |
2004 | ヤクルト | 10 | 15 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 6 | 1 | .200 |
2005 | ヤクルト | 144 | 588 | 100 | 202 | 26 | 4 | 3 | 28 | 42 | 113 | 29 | .344 |
2006 | 東京ヤクルト | 146 | 599 | 112 | 192 | 26 | 3 | 13 | 62 | 76 | 78 | 41 | . 321 |
2007 | 東京ヤクルト | 143 | 557 | 114 | 193 | 26 | 2 | 20 | 58 | 88 | 66 | 17 | . 346 |
2008 | 東京ヤクルト | 112 | 444 | 85 | 154 | 29 | 5 | 14 | 64 | 52 | 47 | 31 | .347 |
2009 | 東京ヤクルト | 142 | 531 | 87 | 161 | 23 | 2 | 16 | 66 | 88 | 65 | 18 | .303 |
2010 | 東京ヤクルト | 144 | 583 | 92 | 209 | 44 | 1 | 14 | 63 | 81 | 61 | 19 | .358 |
2011 | 東京ヤクルト | 144 | 583 | 73 | 170 | 18 | 5 | 4 | 44 | 60 | 55 | 8 | .292 |
通算 | | 985 | 3900 | 664 | 1284 | 192 | 22 | 84 | 385 | 488 | 491 | 164 | .329 |
タイトル
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セントラル・リーグ首位打者:3回(05年.344)(07年.346)(10年.358)
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セントラル・リーグ最多安打:2回(05年:202本)(06年:192本)
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セントラル・リーグ最多盗塁:1回(06年:41個)
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セントラル・リーグ最高出塁率:2回(07年:.434、09年:.400)
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セントラル・リーグ新人王:(05年)
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セントラル・リ-グベストナイン外野手部門:5回(05年~09年)
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セントラル・リーグゴールデングラブ賞外野手部門:4回(06年~09年)
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セントラル・リーグ月間MVP打者部門:3回(05年8月度・07年3・4月度・10年9月度)
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オールスター・ゲームMVP:1回(06年第1戦)
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セントラル・リーグ会長特別賞:1回(05年)
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セントラル・リーグ連盟特別表彰:1回(10年)
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優秀JCB・MEP賞:1回(05年)
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イースタン・リーグ首位打者:1回(04年.372)
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イースタン・リーグ最高出塁率:1回(04年.436)
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イースタン・リーグ優秀選手:1回(04年)
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フレッシュオールスターMVP:1回(04年)
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東京六大学リーグ首位打者:1回(02年秋)
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東京六大学リーグベストナイン外野手部門:3回(03年秋~04年秋)
代表歴
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WBC日本代表:2回(06年・09年)
第2回WBC優秀選手(ベストナイン)に選ばれた。
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アジア野球選手権大会日本代表<北京オリンピックアジア予選>(07年)
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北京オリンピック日本代表(08年)
アマ時代の球歴
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夏の宮崎県大会ベスト8(99年)
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全日本大学野球選手権ベスト8(03年)
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最終更新:2012年11月10日 23:15