第10話
宵闇が少しずつ白(しら)じんで来る。朝の訪れ。どこか遠くで鶏が鳴いた。
葉奏は小さく嘆息して、時計を見やる。六時半を少し過ぎていた。
椅子から立ち上がり、ワインとグラスを棚へと戻す。その後に、ティンカーベルの寝ているベッドへと近付いた。
「ティン、起きなさい。もう時間よ」
優しげな問いかけ。ティンカーベルがベッドの上でもがいた。
「んー・・・まだ寝たい・・・」
「それ以上寝るつもりなら」
にこ、と葉奏が極上の笑顔を浮かべた。
「指一本ずつ爪剥がした後全部折った挙句に両手両足を引きちぎって熱湯に放り込みティンカーベル汁にして飲んじゃうぞ?」
「起きました」
即座にティンカーベルが起き上がり、少し寝ぼけた目をしながら葉奏の肩へと乗る。
「OK。それじゃ、行きましょうか」
「あの起こし方マジやめてよ・・・」
ティンカーベルがぼやく。葉奏は聞こえないふりをした。
階段を下りて酒場に着く。そこには既にディス、ショーティ、歌妃が待機していた。
「ごめんね、待たせちゃった?」
葉奏が三人に近付きながら言う。ディスと歌妃は微笑を浮かべていたが、ショーティだけは目が半分閉じていた。
「いいや」
ディスが首を振る。
「荷物と食料は、昨日のうちに馬車に積んでおいたよ。人が乗れるスペースも幾分あるし、まったり行こうか」
ディスの言葉に、葉奏が頷きを返す。そして五人で酒場の外へと出た。
小さめの馬車と、その横に立っているリオ。
「ご苦労さん、リオ」
ディスが近付いて頭を撫でる。リオが少し照れたような顔をしながら頷いた。
「・・・兄上」
リオが小さく、呟くように言う。
「本当に・・・うちが行かなくてもいいん?」
珍しく、真剣な表情。ディスが肩をすくめた。
「ああ」
ディスが目を細めながら返す。
「今回は、お前の力が必要なほどじゃない。留守を頼む」
どこか奇妙な会話。葉奏は多少の違和感を覚えながらも、追求はしなかった。
馬車の中には、大体三人が乗れるスペースがあった。歌妃が御者(ぎょしゃ)となり、馬車の中で葉奏、ティンカーベル、ディス、ショーティが適当な会話をしながら、旅は進んでゆく。
「なあ、姫」
ディスがふと、気づいたように葉奏を見た。
「さっきから気になってたんだけど、それ何だ?」
ディスの指さしたのは、葉奏の腰に差してある黒い物体だった。L字型に曲がった、見た目から鉄製だと思えるもの。
「ああ、これね」
葉奏がそれを手に取り、くるくると手の先で回す。
「アクセサリーにしては随分重そうだし、棍棒にしては使い勝手悪そうだしねえ。柄(え)も太いし短いし」
殺傷力など、恐らくはまるでない棍棒。しかしそれは、どこか無機質な殺意を感じさせた。
「お守りみたいなものかな」
葉奏が肩をすくめて答える。
「なんか、ずっと持っておかないと不安なのよね」
「妙な趣味してるなぁ」
ディスが笑う。ショーティが
「はっちゃん趣味わるーい」
と冷やかした。たさティンカーベルだけは、葉奏のもつその『お守り』をじっと見つめていた。
「・・・どっかで見たことあるんだよなぁ・・・」
うーん、とティンカーベルが頭を抱える。霧に包まれたように、それを思い出すことはできなかった。
街道を馬車がゆっくりと進む。適度な揺れ心地を味わいながら、四人が適当な会話を続ける。
と――。突如として、馬車が止まった。
「姫ー。モンスターきたよー」
やる気なさげに、歌妃が馬車の中へと告げる。
「敵は?」
葉奏の問いかけ。歌妃が肩をすくめる。
「ゴブリンが五匹。多分食料狙いでしょ。たいした敵でもないし、ぱぱっとやっとくり」
「あ、じゃあ私やるー」
壁にかけておいた弓矢を手に取り、ショーティが立ち上がる。
「ディスにい様、私がどれだけ強くなったか見て♪」
「あいよ」
ショーティとディスが揃って、馬車の外へと出る。葉奏とティンカーベルもそれに続いた。
グルル・・・と飢えたような声音。ゴブリンがじりじりとにじり寄る。
「いっくよー」
ショーティが嬉しそうに、弓矢を構えた。
ひゅんっ、と小さな風切音と共に、ゴブリンの眉間(みけん)へと矢が突き刺さる。
倒れ伏すゴブリン。同時にショーティは一歩後方へ退き、背中の矢筒に入っている全ての矢を弓につがえた。『流星矢のディス』が得意としていた三大矢術の一つ、『矢嵐(やあらし)』。
ゴブリンが一斉に、ショーティへと襲い掛かる。ショーティはそれを待たずに矢を全力で引き、放つ。幾つもの矢が、それぞれに狙いを定めて疾走した。
「アギャー」
ゴブリンの数多い悲鳴と共に、四匹が一斉に倒れ伏した。
全ての矢が、確実にゴブリンの体へと刺さっていた。一目では幾つあるか数えられないほど、その数は異常に多い。
「どう? どう? 私強いでしょ!」
ショーティがはしゃぐように叫ぶ。ディスがにや、と微笑んだ。
「ま、及第点(きゅうだいてん)ってところだな」
そして、少し上を見上げて続ける。
「なら、俺から課題を出してやるか」
ディスが言い終わるか否かのタイミングで、二つの影が目の前に降りてきた。
一人は大柄な、鎧に身を包んだ壮年の男。もう一人は、まだ幼さの残る魔術師の少年だった。
「はぁーっはっはっは! お前らの命もこれまで! 全ての金目のものを置いていけ!」
壮年の男が言う。月並みな台詞を並べながら、髭面で笑っていた。
「ちょ、ちょっと親父、よく見ろよ! あれ、『流星矢のディス』じゃん!」
「なにぃっ!?」
男が眉間に皺(しわ)を寄せながら、ディスを見る。
「おい! 本当じゃないか! 何でこんな危ない奴を襲うんだよ!」
「言い出したのは親父だろうが!」
「よく考えろハジャ! さっき通りかかった『七魔団』の一行にケンカ売るよりはマシだろうが!」
「どっちも危ねーだろ!」
目の前の、親子らしい盗賊がぎゃーぎゃーとわめく。ディスがふぅっ、と軽く嘆息した。
「ショーティ、課題だ」
にや、と笑いながら。
「あいつらを殺さずに戦闘不能にしてみろ」