タイプ:ワイルド(前編)◆/VN9B5JKtM
G-4エリアに位置するカジノコーナーの景品交換所で、クレアが景品を選んでいた。
A表は『ポケモン及びその関連』、B表は『武器・防具』、C表は『その他』と分類されている。
殺し合いの会場というだけあって、B表は他の二つに比べて充実している。
クレアは表にざっと目を通す。中でも気になるのは『○○の~』と人名や組織名らしきものが入っている品々だ。以下がその一部。
『10枚:
ウソップの輪ゴム』「輪ゴムが武器……? 何の冗談だ?」
『250枚:一枝の六法全書』「六法全書? 良く分からんが、武器じゃなくて本だろ」
『500枚:トニオの包丁』「いや、包丁も武器じゃねーだろ。トニオさんが泣くぞ」
『700枚:ロットンのファールカップ』「ファールカップ……。いや、確かに防具だが……」
『1300枚:デリホウライのトンファー』「誰だよ、デリホウライって」
『2100枚:ギラーミンの拳銃』「ギラーミン? 自分の銃を景品にしたってのか?」
『3200枚:ジョンガリ・Aのライフル』「これじゃ分かんねーよ。口径と装弾数ぐらい書いとけ」
『4200枚:キクロプスのナイフ』「何だ? ナイフのくせに随分と高いな」
『6100枚:ステファニーの軽機関散弾銃』「さっきの
レヴィとか言う女も散弾を連射していたな。最近はこんな武器が流行りなのか?」
ちなみにC表。
『100枚:キースのトランプ』「これは……全部ジョーカーのあのトランプか?」
『300枚:黒の騎士団員の仮面』「団員に仮面って……どんな騎士団だよ」
『1000枚:HOLYの制服(男性用)・エンジェルモートの制服(女性用)』「服が返り血で汚れたら着替えろって事か?」
『1600枚:ソーヤーの人工声帯』「人工声帯……? 本人の代わりに声を発するのか? そんなもん殺し合いで何の役に立つんだよ」
『3000枚:
ベナウィのウォプタル』「何だよ、ウォプタルって。初めて聞いたぞ」
『8500枚:アーチャーの酒』「禁酒法があるとは言え、これは高すぎじゃないか?」
『9999枚:佐山の新庄君抱き枕』「…………この佐山って奴は何を考えてるんだ……?」
数秒ほど悩んだ末、クレアは素直にB表の景品を選ぶ事にした。
A表やC表にも有用なものがあるのだろうが、残念ながらクレアには何が役に立つ景品なのかが分からない。
それならば武器・防具だと分かっているB表の景品を選ぶのが妥当だろうという判断だ。
投入口にコインを流し込むと、ジャララララァァァ、と音を響かせてコインが吸い込まれて行き、全てのボタンが点灯する。
間を置かず、B表の一番下のボタンを押す。表示されている交換レートは、9999枚。
価値が高い景品ほど強力なものだろうという、実に単純だが当然の考えだ。
ボタンが一斉に消灯し、クレアが押したボタンがチカチカと点滅する。
モーターの駆動音と共に取り出し口の奥から景品がせり出してくる。
クレアは空になったコインケースを放り投げると、景品を掴んで取り出した。
セットで付いて来た説明書を一読してからデイパックに仕舞い込み、チラリと横の壁に目を向ける。
クレアの視線の向く先には一枚のポスターが張ってある。
そこに書かれているのは何かの宣伝文句ではなく、参加者にも支給されている会場の地図だ。
ただし、その下のスペースに、支給された地図にはない一文が書いてある。
「うん? 『3つの湖に隠された力を解き放て』……?」
湖と言われて真っ先に思い付くのは、現在クレアがいるG-4エリアに面した湖だ。
このカジノコーナーも湖の畔に建造されている。一歩外に出れば、目前には4エリアにまたがる広大な湖が広がっているのだが。
「おいおい、どう見てもこの会場に湖は二つしかないだろうが。この張り紙を作った奴は数もマトモに数えられないのか?」
いくら地図を眺めても、三つ目の湖など存在しない。
思わせぶりな事書きやがって、と毒づこうとしたところでクレアは本来の目的を思い出し、ポスターに手を伸ばす。
クレアは別に地図が見たくてポスターの前まで来た訳ではない。
このポスター、常人にはただの地図にしか見えないだろうが、クレアにはその中央付近に不自然な折れ目がついているのがはっきりと見える。
例えば……凹凸のある壁の上から押し付けたような、そんな感じの折れ目だ。
ポスターに手を掛け、一息に引き剥がす。
ビリィッと音を立てて引き裂かれたポスターの裏には、見るからに怪しげなボタンが隠されていた。
「このボタン、わざわざ隠してたって事は、ただの飾りって訳じゃないだろう。参加者に発見されるとよほど都合が悪い物なのか?
いや、それにしては隠し方が杜撰すぎる。ここを禁止エリアにでも指定すれば、それだけで見つかる心配は激減するんだからな。
という事は、むしろ見つけて欲しかったのか? ならコイツを押すと武器でも出てくるのか、それとも何かの罠か……。
まあ罠だったとしても俺なら余裕で避けられるから問題ないな。という訳で押してみよう。ポチッとな」
と気楽な動作でボタンを押した瞬間、
・━━地に足が着いている。
声が聞こえた。
どこから聞こえてきたのか、音源が特定できない。
あえて言うならば耳元で囁かれたような、そんな声だった。
「誰だ?」
クレアは素早く振り返り周囲を警戒するが、スロットマシンが並んでいるだけで人の気配はない。
電話のような機械を通して声を聞かせているのか、それともよほど巧妙に気配を隠しているのか。
いや、後者ならばそもそも声を発するような真似はしないだろう。ならば前者か。
そこまで考えを巡らせた時、油断なく周囲を見回すクレアの首元から電子音声が鳴り響いた。
『警告。警告。あなたは概念空間へと入りました。
30分以内に概念空間から脱出してください。
脱出が確認できなかった場合、首輪の爆破が実行されます』
「今の声はこの首輪からか? おい、お前は誰だ? さっきの声は何を言っていたんだ? 概念空間ってのは何なんだ?」
矢継ぎ早に質問を浴びせるが、首輪は何の答えも返さない。
諦めて外に出ようとした時、クレアは視界の端にさっきまでは無かった物を発見した。
いや、正確には「さっきまであった物が無くなっている」と言うべきか。
「何だ、これは? さっきまでこんな物は無かったはずだが……。あの声と何か関係があるのか?」
クレアが見下ろす先は床のタイルが剥がされており、直径5mほどの、マンホールを大きくしたような丸い縦穴が空いていた。
身を乗り出して中を覗き込むと、何のとっかかりもない滑らかな穴が20mほど続いており、底からは湖の方へと横穴が続いている。
流石に飛び降りる訳にはいかない。着地はスタープラチナで何とかなるかも知れないが、そのまま上れなくなったら笑い話にもならない。
スタープラチナで壁に穴を空けながら上る事も不可能ではないだろうが、確実ではない以上ロープか何かを用意するのが無難だろう。
幸いこのカジノコーナーから北西に数百mの距離、F-4エリアの湖岸にサーカステントがあった。
空中ブランコに綱渡り、サーカスにロープは欠かせない。そこに行けばロープは調達できるだろう。
だが地下にはわざわざロープを持って来てまで降りるだけの価値はあるのか。
この縦穴はクレアがボタンを押したら突然現れた。つまり、中に参加者が居る可能性は限りなく0に近い。
テントまでロープを取りに行き、更にどれだけ広いのかも分からない地下を探索する。どう考えても数分で終わるような作業ではない。
地下に何があるのかは分からない。何も無い可能性もあるし、罠が仕掛けられている可能性も否定できない。
下に何があるのか気になるのも確かだが、無駄足になる可能性を承知で何十分もの時間をかける価値があるのか。
地下を探索するか、それとも後回しにして他の参加者を探しに行くか。
「コイントスでもして決めるか……ってコインは景品と交換しちまったんだった」
クレアは僅かに考え込むと、何かに思い当たったように頷いて出口へと歩き出した。
そしてカジノコーナーから外に出て数mほど歩いたところで、再び首輪から音声が響く。
『概念空間からの脱出を確認しました』
結局この声が何を言っているのかは良く分からなかったが、クレアは気にせずに西へと歩みを進める。
それから数分後、クレアは物言わぬ屍と成り果てたレヴィの傍らに佇んでいた。
濃密な血の臭いが蔓延する中、クレアは「ある物」を回収するために屈み込む。
クレアが目的の物を手に入れた直後、かすかな物音が風に乗って彼の耳へと届いた。
それはクレアにとって馴染み深い音。
日常生活で良く耳にしていた音。
馬蹄が、地を叩く音。
音が聞こえて来たのは北西の方面。
大通りに面した入り口から獲物が迷い込んで来たのだろう。
クレアの口角が嬉しそうに吊り上がる。
獲物の到来に、クレアの顔に禍々しい怪物の笑みが浮かび上がる。
狩り(ハンティング)が始まる。
◇ ◇ ◇
夕闇が空を覆い太陽が西へと沈む頃、ウルフウッド達は遊園地を駆けていた。
時刻は既に18時を回り、待ち合わせの時刻までは残り3時間を切っている。
ウルフウッド達はこの後も廃坑、古城跡を探索して人を探さなければならないため、広い遊園地を隅々まで探している時間はない。
危険人物と出会う可能性もあるため、チームを分ける訳にもいかない。
そこでウルフウッド達は屋外を一通り見て回り、友好的な参加者と出会えば仲間に勧誘する事にした。
建物の中に隠れている参加者は探している時間が無いので、捜索するなら後でライダーの探知機を借りる事になるだろう。
そしてF-2エリアからG-2エリアへと入った辺りで、ウルフウッドの背筋にゾクリと悪寒が走った。
向けられた相手にまざまざと死を感じさせる、そんな強烈な殺気を隠そうともしていない。
本能が警鐘を鳴らす。
これは「相当ヤバい相手」が「殺る気になっている」のだと、誰に言われずとも肌で感じ取れる。
「鹿! 走れ!!」
ウルフウッドの叫び声にただならぬ物を感じ、チョッパーが速度を上げる。
前足が力強く地を叩き、後足が勢い良く大地を蹴る。
直後、バランスを崩したかのようにチョッパーが倒れ込む。
ウルフウッドは咄嗟に梨花を小脇に抱え、受身を取って着地する。
片手で梨花の頭を抑えて伏せさせながら、懐からデザートイーグルを取り出す。
「痛ったぁ……っ。チョッパー君、急にどうしたの……え……? チョッパー君!?」
レナは梨花を間に挟んでウルフウッドの反対側に乗っていた。
そのためチョッパーが倒れた時にウルフウッドの手が届かず、そのまま地面に投げ出された。
擦り剥いた膝をさすりながら顔を上げたレナが、倒れるチョッパーを見て異変に気付く。
チョッパーの負傷を見て取り、起き上がってその傍に駆け寄る。
「アカン! 伏せぇ!」
そのレナの腕を、ウルフウッドが掴んで引っ張る。
ガクンと体勢を崩したレナの肩から血飛沫が吹き出した。
ふらり、とレナの体がウルフウッドに手を引かれるまま力なく倒れ込む。
チョッパーが倒れた時も、レナが撃たれた時も、銃声のようなものは聞こえなかった。
これは相当厄介な相手だと気を引き締めて、ウルフウッドは周囲を見回す。
「そこかぁ!」
そして建物の陰から半身を乗り出している赤い人影を発見し、銃撃を加える。
銃弾が壁を削り、人影が顔を引っ込めた。
その隙にウルフウッドは倒れた二人を建物の後ろまで運ぶ。
「レナ! レナァッ!!」
「落ち着き、急所は外れとる。早めに治療すれば助かるで。オイ、鹿! 走れるか?」
「グゥッ……! 大丈夫だ……何とか走れる」
チョッパーがヨロヨロと立ち上がる。
「ほんならおどれは梨花と嬢ちゃん連れて先行きいや。アイツはワイが何とかしたるわ」
「なッ……! バカ言うなよ! お前一人を残して行ける訳ねェだろ! 俺も一緒に……」
「グダグダ言うとる暇があったら早よ行けや!! おどれは医者やろが! 怪我人が居ったらそれを治すのが医者の仕事と違うんか!」
ウルフウッドの怒号が響く。
レナが苦しそうに息を荒げるのを見てチョッパーは絞り出すような声で返事を返す。
「くッ…………! ウルフウッド……済まねェ!」
チョッパーが人型に変形し、レナを抱きかかえる。
ウルフウッドのスーツの裾がクイッと引かれる。
視線を落とせば梨花が震える手でスーツの端を掴んでいた。
「ニコラス……死なないで」
「当たり前や」
その頭をポンポンと軽く叩き、安堵させるように笑みを浮かべて答える。
梨花達が東の方へ駆け去ったのを確認し、思考を戦闘用のものへと切り替える。
建物の陰から現れた赤い人影に銃弾を撃ち込む。
その弾丸が、つまみ取られた。
「んなっ……!?」
沈み行く西日に照らされて、怪物が姿を現す。
頭からペンキを被ったような、真っ赤な、真っ赤な服装。
顔の右半分が、右肩から先が、右の脇腹から背中にかけてが、右大腿部の半ばから先が。
右半身がコンクリートと混ざり合い、肌色と灰色、更に紅い血の色が溶け合ったようなマーブル模様を作り出している。
更にはその体と重なるように、身長2mほどの筋肉質の人型が佇んでいる。
コンクリートと一体化した右半身が動かないのか、その人型が半身の動きを補助している。
以前とは随分と見た目が変わっているが、間違いない。
第一回放送前に森の中で襲って来た男だ。
「また会ったな……。おんどれ、何者や?」
「俺か? 俺はただの怪物さ。そう、お前ら全員を喰らい尽くす――怪物だ。
そうだな。呼びにくければ『葡萄酒(ヴィーノ)』か『線路の影をなぞる者(レイルトレイサー)』とでも覚えておけ。
……いや、どの道ここで死ぬんだ。その必要も無いか」
人型が右腕を伸ばす。
その手は親指の先を軽く握りこむように――例えるならば、コイントスをするような形に握られている。
腕はやや下方に下げられており、拳が下を向くように手首が曲げられている。
直感的に危険を感じ取り、ウルフウッドは上体を横へと反らした。
刹那の後、ヒュンと風切り音を残し、耳元を高速で何かが通り過ぎる。
「ほう、良く避けたな」
クレアがレヴィの死体から回収した物、それはスプリングフィールドXDの弾丸だ。
地下に降りるか、参加者を探すか。コイントスで決めようと思った時に、クレアはふと考え付いた。
スタープラチナの腕力で投擲されれば小石も立派な凶器と化す。
ならばその力で、コインを上に弾き上げるのではなく弾丸を前方に撃ち出せば。それは人を殺傷するのに十分な威力を持つのではないか。
結果はクレアの期待以上だった。
威力の点では拳銃に及ばないものの、急所を狙えば十分に殺せるレベルだ。命中精度も問題ない。
何より発砲音がしないため、銃声で自分の位置を特定される心配が無いというのが大きい。
ついでに言えばスタープラチナの指で弾いて発射するため、どんな口径の弾丸も無駄なく利用できる。
(小石か何かを指で弾いて飛ばしとる……! 嬢ちゃんらもアレで撃たれたから銃声がせぇへんかったんか!)
一発、二発と飛来する弾丸を、近くの建物の陰に隠れてやり過ごす。
弾丸がコンクリートの壁をガリガリと削る。
音が止んだのを見計らってウルフウッドも顔を出し、クレアに向けて拳銃を発砲する。
その銃弾を、スタープラチナが拳を振るい、軽々と弾き飛ばす。
己が撃たれている事など意に介さず、クレアは悠然と歩みを進める。
(何やねん、あの人形は!? 反則やろ! 何で無手のアイツが堂々と歩いとって、銃持ったワイが逃げ隠れせなアカンのや!)
ウルフウッドは心中で愚痴を零しながら、手早くデザートイーグルのマガジンを交換する。
更に左手をデイパックに突っ込み、中から大型の十字架を取り出す。
ジャキッ、と音を立てて十字架が展開し、その本当の姿を露にする。
二丁の機関銃をくっつけたような、前後に一つずつの銃口を持つ奇妙な銃。
リヴィオ・ザ・ダブルファングの本来の得物、二重牙。
ウルフウッドは角から飛び出し、クレアに狙いを定めて二重牙を連射する。
銃口が断続的に火を噴き、鉛弾の雨がクレアへと降り注ぐ。
それを、
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァッ!!」
「んなアホな!?」
スタープラチナが防ぐ。
足を止め、目にも留まらぬ拳のラッシュを繰り出して、クレアに迫り来る弾丸を一発残らず弾き飛ばす。
銃弾の嵐が収まった直後、クレアが駆け出す。
ウルフウッドが即座に反応し、二重牙が再び銃弾を吐き出す。クレアはそれを巧みにかわしながら距離を詰める。
小刻みにステップを踏んで銃弾を回避し、それでも避け切れない弾丸はスタープラチナの拳が弾き飛ばす。
両者の距離が縮まるにつれ、徐々に銃弾がクレアの近くを通り過ぎるようになる。
5m。毛先を掠め、赤毛が数本パラパラと宙を舞う。
4m。太腿を掠め、赤黒く染まった車掌服が裂ける。
3m。肩を掠め、コンクリートの破片が削れ落ちる。
2m。頬を掠め、血が滲む。
1m。射撃が止む。
クレアが左拳を振りかぶり、ウルフウッドが顔の前で両腕を交差させ防御姿勢を取る。
拳が振り抜かれる。
ウルフウッドの腕がミシミシと悲鳴を上げ、僅かに遅れてジンジンと痺れが走る。
咄嗟に後ろに跳んで衝撃を和らげたが、勢いまでは殺せるものではない。
その細腕からは想像できない力で吹き飛ばされ、たたらを踏む。
直後、危険を感じて横に飛ぶ。
弾丸が大気を切り裂く音。
一瞬前までウルフウッドの顔があった位置を、高速の物体が通り過ぎて行く。
ウルフウッドは建物の陰に隠れ、呼吸を整える。
クレアが姿を見せた瞬間を狙うべく、角から数mの距離を取って銃を構える。
ザッ、ザッ、と砂利を踏み締める音が少しずつ近づいて来る。
建物の向こうから影の先端が現れ、徐々にその全体像を露にしていく。
グッ、と銃のグリップを握る手に力を込める。
怪物が顔を出すと同時にありったけの弾丸をブチ込めるよう、建物の角に照準を合わせて身構える。
建物の陰から現れた靴の先を視界に捉えた。
その瞬間、
(な…………んやとぉ!?)
ウルフウッドの眼前に包丁が出現した。
反射的に後ろに倒れ込み、首をひねる。
間一髪で回避に成功。
頬の皮一枚を切り裂いて飛んで行った包丁は、矢のような勢いで背後の壁に突き刺さった。
ウルフウッドの頬に一筋、うっすらと赤い線が刻まれる。
(何や、今のは……? 刃物? どっから飛んで来た? いや、どっから出て来た!?)
あの赤い怪物に攻撃された、それは間違いない。
だが肝心の攻撃方法が分からない。
何らかの動作があれば気付いたはずだ。
だが実際は、刃物が眼前に迫るまでその存在を知覚できなかった。
今のは数十センチから放たれた弾丸さえも撃たれた後に目視で回避出来る、
ウルフッドの反射能力があったからこそ回避が出来たのだ。
だが今のは
何の気配もなく、
何の前触れもなく、
まるで虚空から湧き出てきたように、
ウルフウッドの目の前に突然現れた。そうとしか思えない。
「これも避けるか。大した反応速度だ」
困惑するウルフウッドの前に、クレアが姿を現す。
「さて。このままやり合っても俺の勝ちは揺るぎない訳だが、お前一人に長々と時間をかけてもいられない事情があるのでな。
悪いが、ここから先は出し惜しみ無しでいかせてもらう」
クレアはデイパックに手を入れ、カジノコーナーで手に入れた景品を取り出す。
それを目にした瞬間、ウルフウッドの全身が硬直する。
全長2m近い漆黒の十字架。
余りにも見覚えがあるフォルム。
色こそ違うものの見間違えるはずがない。
最強にして最高の個人兵装。
「パニッシャー、やと?」
ラズロ・ザ・トライパニッシャー・オブ・デスの扱う三丁のパニッシャー、その内の一丁。
ガチャリと金属音を鳴らし、十字架の先端の外装部分が左右に分かれる。
中からロケットランチャーの砲門が顔を出す。
ウルフウッドに向けて、砲弾が放たれる。
◇ ◇ ◇
ウルフウッドとクレアが激闘を繰り広げている頃、梨花達はG-3エリアを東へと駆けていた。
戦闘に巻き込まれない程度の距離が離れた事を確認すると、レナの治療をするため近くにあったレストランに駆け込む。
気休めに過ぎないが、食事を出すところなら衛生面には気を遣っているだろうという判断だ。
「レナ、待ってろよ。すぐ治療するからな……!」
チョッパーは治療中に血で手が滑らないように自分の怪我を止血する。
ガーゼを当てて包帯を巻きつけると、薬品箱から消毒液、鎮痛剤、生理食塩水など、治療に使う薬を手際よく取り出していく。
梨花はそれを黙って見ている事しか出来ない。
命に係わるような傷じゃないと分かっていても、レナが苦しそうに呻き声を上げる度に不安に襲われる。
ウルフウッドは一人で襲撃者と戦っている。
彼が強いという事は良く知っているが、それでも胸騒ぎが収まらない。
本当に大丈夫なのか。
今頃はやられてしまっているのではないか。
必死に不安を押し殺す。
その時外から聞こえてきた爆発音を耳にした瞬間、堰を切ったように恐怖が溢れ出す。
「ニコラス!」
「おい! リカ!」
気付けば梨花は走り出していた。
後ろでチョッパーが叫んでいる声が耳に入るが、何を言っているのかを理解する前にするりと抜け落ちていく。
ウルフウッドの元に行って無事を確認する、それしか考えられない。
自分が行っても出来る事など何も無い。
自分が行っても足手纏いになるだけだ。
そんな事は分かり切っている。
だが、それでも。
これ以上自分が知らないところで大切な人が居なくなるのは嫌だった。
梨花が出て行った直後、取り残されたチョッパーはギリッと歯を食いしばった。
今すぐに梨花を追いかけて連れ戻したい。
いや、出来る事なら今も敵と戦っているだろうウルフウッドに加勢したい。
「チョッパー、君……」
「レナ! 大丈夫か!? しっかりしろ!」
「私なら、大丈夫……だから。梨花ちゃんを、追いかけて……」
だが、まだレナの治療が済んでいない。
苦悶の表情を浮かべて強がるレナを置いていく事など出来るはずがない。
「バカヤロー! 医者が患者を放って行ける訳ねェだろ! すぐに終わらせるから、じっとしてろ!
リカ……ウルフウッド……。ケガなら俺が全部治してやる。だから……絶対に死ぬんじゃねェぞ……!」
◇ ◇ ◇
クレアがロケットランチャーを発射すると同時、ウルフウッドは横に飛び退いた。
通り過ぎて行った砲弾が背後の壁に着弾し、衝撃で吹き飛ばされる。
爆炎が地を焦がし、熱風が肌を焼く。
暴風に煽られて地を転がったウルフウッドはその勢いを殺さずに起き上がり、そのまま走り出す。
直後、今までウルフウッドの居た場所を機関砲の掃射が薙ぎ払う。
スピードを落とさず建物の陰に滑り込み、態勢を整えるまでの遮蔽物とする。
性能が極端に落ちてるとはいえ、パニッシャーだ。
圧倒的な火力に対抗するには、拳銃では心もとない。
ウルフウッドはデザートイーグルを懐に仕舞い、デイパックからスーツケースを取り出す。
中にマシンガンとロケットランチャーを仕込んだ、旅行に持って行くには余りにも物騒な代物だ。
建物の向こうからガシャン、と金属音が聞こえる。恐らくパニッシャーのロケットランチャーを装填しているのだろう。
右手にスーツケース、左手には二重牙を携え、ウルフウッドはクレアを待ち受ける。
ウルフウッドは突然刃物が現れても対応できるよう、先程の倍以上の距離を開けて建物の角へと狙いを定める。
建物の陰から黒い十字架が飛び出したかと思うと、クレアが半身を乗り出して十字架の先端をウルフウッドへと向ける。
銃声が轟く。
ウルフウッドは両手の銃を乱射しながら、クレアから離れるように後ろへ退がる。
クレアは建物の角から飛び出し、ウルフウッドへとパニッシャーを向けながら距離を詰めて行く。
前に進むクレアと後ろに退がるウルフウッド、当然クレアの方が早い。
見る見る距離が縮まっていく。
このままでは追いつかれると判断したウルフウッドは、銃弾を撃ち込みながら思考する。
あの赤い怪物は右半身を人型で補うようにして動いている。パニッシャーを構えているのも左手だ。
右半身が動かないのならば、そちら側が死角になるはずだ。
そう結論し、ウルフウッドはクレアの右側へと回り込み銃弾をばら撒く。
瞬間、クレアが跳んだ。
高跳びでもするかのようにパニッシャーを突き立て、スタープラチナの右足で大地を蹴る。
左腕一本で体重を支えながらクルリと回転し、倒立するような姿勢になると同時、パニッシャーを押し出すように左腕を真っ直ぐ伸ばす。
クレアの体がふわりと宙に浮く。
空中で体を横向きにひねり、両足で壁に着地する。
そのまま膝に力を込め、ウルフウッドへと跳躍する。
弾丸のような勢いで空を翔けるクレアが、ウルフウッドの頭部へと鈍器を振るう。
前方へと倒れ込み、地を這うように身を屈めてこれを回避する。
大質量の鉄の塊が頭上を通り過ぎ、豪風を巻き起こす。
真後ろからズザァッと着地の音が聞こえる。
ウルフウッドは体勢を低くしたまま振り向き、クレアに銃口を向ける。
狙いを定めて引き金を引く直前、それまでクレアの右半身の補助をしていたスタープラチナが一歩を踏み出した。
そのままサッカーボールでも蹴るように、ウルフウッドの顔面を目掛けて蹴り抜く。
ウルフウッドは咄嗟に目の前にスーツケースを突き出し、その底で蹴りを受け止める。
スーツケースを支える両手にビリビリと痺れが走る。
何とか防御はできたものの、後ろに蹴り飛ばされて距離が開く。
空中でバランスを取って着地すると同時、スタープラチナを呼び戻したクレアがウルフウッドへと向き直る。
ウルフウッドが手首の返しでスーツケースを反転させる。
クレアの手の中で漆黒の十字架がクルリと回転する。
動きを見せたのは両者ほぼ同時。
だがスーツケースとパニッシャーでは取り回しに大きな差がある。
クレアが十字架を構えなおした時には既に、スーツケースの砲口がその身を捉えていた。
「遅いわ! 吹っ飛べや!」
吼え声と共に、スーツケースからロケット弾が放たれる。
撃ち出された砲弾は真っ直ぐにクレアへと飛んで行き、瞬く間にその距離が0になる。
ロケット弾が着弾し、爆発を起こす。
寸前。
その場所からクレアの姿が消え、数mほど離れた位置へと移動していた。
(ッッ!?)
砲弾が虚しく空をすり抜ける。
ジャリッ、と地を踏み締める音が響く。
クレアがパニッシャーを突き出し、ウルフウッドへと砲口を向けている。
ウルフウッドは反射的に、クレアへと二重牙の銃口を向ける。
その引き金を引く前に、
ロケットランチャーの発射口から、砲弾が放たれた。
白煙の尾を引きながら、ロケット弾が飛来する。
ウルフウッドが二重牙の引き金を絞る。
狙いはクレアではなく、迫り来る砲弾。
銃弾が、ロケット弾を撃ち抜く。
直後、眼前で爆発が巻き起こる。
爆風に吹き飛ばされ、ウルフウッドの体が勢い良く壁に叩きつけられる。
体中の骨が軋みを上げる。
弾みで両手の武器を取り落とす。
バウンドした体が重力に引かれて崩れ落ち、ゴロンと仰向けに転がる。
怪物の足音が近づいて来る。
力を振り絞って体を起こそうとしたウルフウッドの胸に、ズシンと衝撃が走る。
「クッ……!」
「今度こそ仕留めたと思ったんだがな。しぶとい奴だ」
クレアが十字架の先端を押し付けている。
パニッシャーの重量に胸を圧迫され、息が漏れる。
(瞬間、移動か……!!? ……いや、ただ移動したんと違う。移動する前と後で奴の姿勢が変わっとった……。まさか……。まさか……!)
思い当たった最悪の可能性。
虚空から包丁が現れた事も。
一瞬で数歩分の距離を移動した事も。
そう考えれば全て説明がつく。
「おんどれ、まさか……! ディスク、入れたんか?」
「ディスク? ああ、そう言えば元々はお前らの持ち物だったな。何だ、今まで気付いてなかったのか?」
予想通りの、外れていて欲しかった答えが返ってきた。
スタープラチナのスタンドDISC。
時を止める能力。
世界を支配する能力。
(ゴツイ人形とパニッシャーだけでも十分過ぎるほど強敵やっちゅうのに、その上コイツは時を止められるっちゅう事か?)
諦観が、ウルフウッドの全身を支配する。
抵抗の意思と共に、力が抜け落ちる。
「正直ここまで手間取るとは思っていなかった。俺を相手にここまで善戦したんだ、誇っていいぞ。
……で、そこに隠れてる奴。お前もいつまでもブツブツ言ってないで、そろそろ出てきたらどうだ?」
クレアの呼びかけに答えるように、建物の陰から人影が姿を現す。
まず目に入ったのは、夜闇の中でも鮮やかな赤色。
次いで、月明かりを反射し銀色に輝く天使の翼。
「ニコラスから離れて」
真紅のドレスを身に纏い、蓮の杖を両手に構えた
古手梨花が、そこに立っていた。
時系列順で読む
投下順で読む
最終更新:2012年12月05日 02:54