「ぐっ……」
小雨の降る路地裏。人気の無いその場所で、一人の男が窮地に立たされていた。
黒尽くめの衣装に、黒い目隠しをしている、二十代位の男。自称「正義の味方」、
シン・シーだった。
「くっ……」
今現在、彼は傷だらけだった。特徴的なマントはもはや外套としての役割を失っており、流血によって赤く染まっている。暗闇の向こうを見る彼の表情は、憤怒とも悔しさともつかないものを浮かべている。
「な、何者だ、君は……!?」
シンの言葉に反応するように、暗闇の中で何かが動いた。シンにはまるで、相手がニヤリと不敵に嘲笑ったような気がした。
「僕は人間に興味は無い……! 僕は人間の為に、人外を排除する者だ! 君と敵対する理由など無い!」
「理由? ――十分にあるさ」
「人外を狩る者、偽善者シン・シー――君は邪魔なんだよ、僕らの『王国』には」
「……!」
シンの瞳には、銀色のオーラが見えていた。今までこんなにも美しく、かつ禍々しいオーラを彼は見た事が無い。
(この――オーラは!?)
かつて一度、彼はそのオーラに「似た」オーラを持つ相手と戦った事がある。もっとも、その少年はもっと暖かい色をした、金色のオーラを持っていたのであるが、
「何だ、それは……!?」
こんなにも邪悪なオーラを、シンは今まで見た事が無い。様々な人外のオーラを見てきたが、それでもこんなオーラの持ち主は一人としていなかった。
「覚えておけ、偽善者」
暗闇の中で「相手」が言った。
「背徳の獣、この双角獣(バイコーン)の名を」
暗闇の向こうで、二つの黄色い眼が光った。
「ねぇ、聞いた!? 怪人:双角獣(バイコーン)の話!?」
「……バイコーン?」
聞き慣れない単語に、彼、
都シスイは眉を潜めた。声のした方を振り返ると、そこにはクラスメイトの女子が数人見えた。
「何? ついに背徳の獣まで現れたの?」
「あ、シーくん……何、背徳の獣って?」
シスイの言葉の意味が分からないらしく、女の子達はきょとんとしている。やれやれ、と思い、シスイが口を開こうとすると、
「背徳の獣。一角獣(ユニコーン)とは真逆の存在で、二つの角を持つ事から双角獣(バイコーン)。乙女の純潔を守るユニコーンに対し、乙女を汚すものだよ」
「っ!」
シスイを押しのけ、説明をしたのはアッシュだった。彼が触れている肩の部分からぞわぞわと嫌悪感が這い寄ってくる感覚に、反射的にシスイはその場から離れた。
「どうしたの、兄さん?」
分かっている癖に――とシスイは思うが、口には出さない。出来るだけ感情が表に出ないように努めながら、シスイは「何でもない」と返した。
「へぇ、アッシュ君、物知りなんだね」
「それ程でも」
女の子達に褒められ、まんざらでもないようにアッシュはあの人懐っこい笑みを浮かべる。この人畜無害そうな姿が「装い」に過ぎない事を思うと、シスイは複雑な心境にならざるえなかった。
「……俺は
邪魔者らしいんで、他所へ行くぜ」
「まぁ、待ちなよ兄さん」
その場を後にしようとするシスイを、アッシュが呼び止めた。
「……なんだ?」
「そう怖い顔しないで、って……実は、面白い話を耳にしたんだ。昼休みに、屋上に来てよ」
「……そうやって、今度こそ俺の息の根を止めるつもりか?」
「やだなぁ、そんなんじゃないよ――じゃ、待ってるから」
そう言ってアッシュは、シスイの返事も待たずに行ってしまう。シスイは、「もし俺が来なかったらどうするつもりだ?」と思いつつも、アッシュの言う「面白い話」を無視出来ない自分に、かつてトキコから言われた言葉が頭を過ぎった。
「駄目な奴、ね……確かにな」
「……何で兄さんだけじゃない、のかな」
昼休み、屋上に現れた「彼ら」の姿を見て、アッシュは不機嫌そうに言った。
「君は一角君の命狙ってるんだよ? 用心するに決まってるでしょ」
シスイと共に現れたのは
朱鷺子だった。彼女は不機嫌さ満面の表情で、シスイの傍にいる。そんな二人の姿に、アッシュは舌打ちをした。
「仲の良い事ですね……忘れたの、兄さん? その子、
ホウオウグループだよ?」
「んな事ぁ、分かってるよ。どっかの誰かさんが余計な事をしてくれたからな」
「……それでも、アテにするんだ」
毒の含まれたアッシュの物言いを、シスイは「ああ」と平然な顔で受け流した。
「トキコはホウオウグループだけど、俺にとっちゃ大事な友達(ダチ)だ――友達が友達を信じるのに、理由がいるかよ」
「……バッカじゃないの? それでアースセイバーとホウオウグループの全面戦争になった時、兄さんは自分の仲間と朱鷺子ちゃん、どっちの味方をするつもりなのさ」
アッシュの言葉にビクッと、シスイではなく、朱鷺子の方が反応した。彼女は若干不安げな表情でシスイの方を見上げると、そこには「大丈夫だ」と瞳で語る彼の姿があった。
「本題はどうした、アッシュ? ……お前の『面白い話』とやらを聞かせろよ」
「答えをはぐらかすのかい、兄さん? ……ま、別にいいけどさ」
呆れた様に肩を竦めつつも、アッシュは次の瞬間には表情を引き締めていた。
「……シン・シーがやられた」
「何!?」
シン・シー。その名を聞いて、シスイも流石に冷静でいるのを忘れた。
『人外の天敵』、『自称:正義の味方』、『境界線を引く者』。シン・シーと言う男を表す単語に『人外』と言う言葉は付き物であり、彼はどの組織にも所属せず、『人に在らざる者達』を目の敵にする存在だ。実際、シン・シーの被害を受けたアースセイバーやウスワイヤ所属の妖怪やワーラットと言った異種族は多く、「
百物語組」内でもかなりの被害が出ている。
シスイも交戦した事があるが、その時はまだ実力を見せていなかった。そして聞いた話では、百物語組の一人、第九十九話「閻魔」
ゴクオーを倒した事すらあると言う。そんな化け物染みた男が倒されたと言う話を聞かされて、驚かない訳にはいかなかった。
「やられた、と言っても、死んだ訳じゃないけどね……でも、事実上の敗走と言っていい。あの自称正義の味方が、手も足も出なかったんだからね」
「……まるで、奴が倒されるのを間近で見ていたみたいだな」
シスイがそう問いかけると、アッシュは彼に向かって何かを放り投げた。シスイが受け取ると、それはメモリーディスクのようだった。
「ホウオウグループの偵察兵器、
バードウォッチャーが偶然捉えた、シン・シーと『怪人:双角獣』の戦闘映像だよ」
「『怪人:双角獣』? そう言えば、朝もそんな話していたけど……一体何だよ、そいつは?」
「そのディスクの中身を覗いて見れば分かるよ……それじゃ、僕の『面白い話』はここまで」
自分の用事はこれで済んだとばかりに、アッシュは二人の横を通っていく。相手がいつ仕掛けてきてもいいと身構えるシスイらに対し、アッシュは全く警戒する素振りすら見せない。まるで眼中無しだ。
「あ、そうだ。朱鷺子ちゃん、もし良ければ、今晩一緒にディナーにしない?」
「べー。やなこったー」
出入り口に差し掛かったところで、まるで忘れ物でもしていたようにアッシュが振り返った。それに対し、朱鷺子は「べ」と舌を出して拒否し、更にはまるでアッシュに見せ付けるようにシスイの腕にしがみついた。
「……兄さんとは一緒にご飯食べる癖になぁ……」
そう呟いたアッシュの横顔が、一瞬寂しげであるかのようにシスイには見えた。確認しようにも、その時にはもう彼は階段を下りてしまっていた。
「……何だ、あいつ?」
「しーらない」
アッシュの様子に、どうやら朱鷺子は気付いていないようだった。シスイは何だか釈然としないものを感じつつ、頭を掻くと、手の中にあるアッシュから渡されたメモリーディスクを見た。
「校内の百物語組関係者は、これで全部ですかね?」
情報処理教室に集まった人々を見回しながら、シスイはそう確認した。
ゴクオーしかり、
カイムしかり、ノラしかり、現状でいかせのごれ高等学校にいる百物語組はこの三人だった。この三人にシスイ本人を加え、朱鷺子も同席している。
「ねぇ、百物語組のあたしらはともかく……何でトキちゃんまでいるの?」
「不甲斐無い俺の協力者、ってところさ。別にいいだろ? こいつが俺らと同じ堅気の人間じゃない事位、アンタらだって承知してる筈だ」
「まぁ、それもそうだねぇ」
ノラを言い包めたシスイであったが、よくよく考えてみるとこの状況、結構まずいのかもしれない。何せ小会議とは言え、アースセイバーが集合している中にホウオウグループ所属の朱鷺子が紛れ込んでいるのだ。実際問題、命取りである。
(まぁ、トキコなら大丈夫だろ)
そう思える根拠は無いが、それでも信じるに値する、とシスイは勝手に納得する。これを聞いたらまた朱鷺子に「駄目な奴」と言われそうだが、もはや知らんと彼は決め込んでいた。
「既に説明したとおり、俺独自のルートから、シン・シーが倒されたと言う情報が入りました」
「天子殿、それは本当なのか? わしには、信じがたい話だがのぉ……」
懐疑的な意見を述べるゴクオーに、シスイは頷く。彼自身、信じられないと言うのが現状だ。
「俺だって、信じられないってのが本音ですよ……後ゴクオーさん、その『天子殿』っつーの、止めてもらえません?」
「天子殿は、天子殿じゃろう?」
「……改める気ゼロですね」
相変わらずなゴクオーの様子に、シスイはため息をつく。彼は何やら、シスイを初めて目にした時から何やら思うところがあるらしく、『天子殿』と言うニックネームでシスイの事を呼ぶ。麒麟=一角獣と言う理屈から朱鷺子から「一角君」と呼ばれたり、ノラから「キリン君」と呼ばれるのは分かるが、『天子』と言うのが一体どこから出てくるのか、シスイにはさっぱり分からなかった。
「それで都君、その情報に根拠は?」
「根拠は、これからお見せする映像です」
そう言って、シスイはアッシュから渡されたメモリーディスクを取り出す。それをパソコンの端子に差し込むと、画面に出てきたディスク内の情報の、「TeisatuEizou#48」と言う部分をクリックした。
再生された映像は、どこかの監視カメラの映像に思えた。どこかの路地裏を映している。最初は特に何の変哲も無いが、やがてその内に変化が訪れた。路地裏に、何者かが駆け込んできたのだ。その部分で、シスイは一旦映像を停止させる。
「シン・シー……!?」
思わず、ゴクオーが身を乗り出して画面を覗き込む。画像が荒く、撮影環境が悪い事も相まってはっきりと見えている訳ではないが、それでもこの黒マントを彼が見間違える訳が無い。彼のみならず、カイムやノラも息を呑んでいた。
「確かに、あのシン・シーとは思えないな……ボロボロじゃないか」
「ええ。ですが、これは間違いなく奴です――そして更に問題があるのは、この次の映像で」
シンは、自分が出てきた通路を振り返り、何かを言っているようだった。ただ残念な事に、撮影している場所から距離がある為、何を言っているのかまでは録れていない。
そして、その映像を見た数秒後。シンが見ている闇の向こうから、彼が対峙している者の姿が現れた。
「何だ……こいつ……!?」
カイムが、思わず声を漏らした。ゴクオーもノラも、画面に映っているモノを見て目を見張っている。既に映像を確認していたシスイらにしてみれば二度目の映像であるが、そんな二人にとっても、その映像が持つ衝撃は大きかった。
姿を現した人物のまず目を引くのが頭だ。頭部全体を包み込む、ヘルメットとも兜とも取れるマスク。それは額の部分から二本の角が伸びており、有角の馬か、或いは悪魔の様な印象を見る者に与える。首から下はすべて身体のラインが見えるボディスーツの様な物に包み込んでおり、所々に装甲らしき物が見て取れる。胸部部分の装甲には赤い光球が光っていた。
「……双角獣(バイコーン)」
「え?」
不意に朱鷺子が呟き、画面を覗き込んでいた三人が振り返る。彼女はそれ以上を口にしなかったが、それが一体何であるのか、シスイには分かった。
「一角獣(ユニコーン)の反対の獣。穢れの無い乙女を好み、その乙女の純潔を守るのがユニコーンだとしたら、バイコーンは正しく真逆の存在。背徳を好み、乙女の純潔を汚す二本角の馬だ」
「それがどうしたのじゃ、天子殿?」
「どうやら、そいつの名前らしいです。『怪人:双角獣』。今日も、クラスメイトの女子が噂をしてました」
最近はやり出した都市伝説だと言う。
夜、人気の無い道を一人で歩いていると、何時の間にか足音が増えている。歩き方は人間のものなのに、足音はまるで馬の蹄が地面を鳴らすような音だと言う。そして振り返ると、そこには二本の角を生やした馬の顔をした人間が立っていて、振り返った人物を襲う、と言う内容だ。
「ネットで調べてみましたがね……確かに、そんな噂話はあるらしいです。大体ガセですが、中には実際に襲われた、って言う人もいて、間違いなく『実体を持った都市伝説』ではあるようです」
「双角獣……確かにな、こいつは二本角で、見ようによっては馬みたいな頭をしてる」
シスイの言葉に納得するように、カイムが頷く。
残念ながら映像は、角度の関係からシンと『双角獣』がどんな戦いを演じたかまでは、録画出来ていなかった。しかし立ち上る土煙などから、それなりに激しい戦闘だったと言う事が伺える。状況から判断して、確かにこの『双角獣』がシンを追い詰めたに間違いないようだ。
「何者なんだ、こいつ……」
誰とも無く零れたその言葉は、この場にいる全員の思いを代弁しているようだった。
「……はぁ……はぁ……!」
今日は最悪な日だと、珠女は思っていた。
酒飲み仲間の
タマモと飲み比べをしていた。女だけで飲んでいる自分達のところへ、若い男達が群がり出してきた。全員タイプじゃなかったので、酔い潰れさせて「ざまぁ見ろ」と二人で笑ってやった――そこまでは、最高の気分だった。
だが、今は、
「くそっ……!」
珠女は逃げていた。あらん限りの力で逃げているが、どんなに逃げても相手は一定の距離で追ってくる。まるで、「追い付こうと思えば、いつでも追い付けるんだぜ」と、語らずとも告げているかのように。
「……はぁ……はぁ……!!」
それ、と遭遇したのは、帰り道の事だった。ほろ酔い気分でご機嫌に二人で歩いていると、不意に足音が一つ増えた事に気付いた。最初は、酒屋にいた奴が後をつけて来ているのだと思った。面白そうだから、このままからかってやろうかと二人で考えていると、
(ん? ……この、足音……)
その足音の異質さに気付いた。歩く感覚、歩調は、間違い無く人間のそれだ。しかしその足音は、馬が蹄を鳴らして歩くような音なのだ。
(タマモ、分かる?)
(ああ、分かる。誰かにつけられとるの――それも、かなり良く無いモノに)
ふと、珠女の脳裏に、最近巷で聞く都市伝説が頭を過ぎった。怪人:双角獣。夜歩いていると何時の間にか足音が一つ増えていて、振り返ると襲ってくると言う謎の怪人。
(タマモ。一、二の、三、で、二手に分かれよ)
(それはむしろ危険じゃないか、珠女? 今は二人だから襲って来ないだけで、と言うのも考えられる)
(大丈夫だよ。都市伝説の通りなら、振り返るまで向こうは襲って来ないのだし)
(……もし都市伝説ではなく、本当に誰かがつけて来ているなら?)
(だったらむしろ好都合! この変態に、百物語組に手を出した事を後悔させてくれる……!)
――今、十分前の自分に言いたい。
(身の程を知らなかったのはどっちだ!!)
荒く息をする珠女の前には壁。場所は袋小路であり、背後には何者かの気配。
(くっそ……まさかワシが嵌められるとは……!)
ずっと
振り返らずに走っていたが、その結果がこれだ。珠女は相手に誘導させられ、この場所に追い詰められたのだ。
「上等じゃないか……相手になってやるよ……!」
このまま背を向けていても仕方が無いと、意を決して珠女は振り返る。手には、彼女が戦闘時に好んで使用する大斧が握られていた。
そして珠女の視線の先に、「怪人」は静かに立っていた。
二本の角を有する、馬の様な、或いは悪魔の様な頭部。全身を覆う鎧。胸に輝く赤い光珠。暗闇の中でそれは、圧倒的な存在感を放ってそこに存在していた。
「――ハァッ!!」
先手必勝とばかりに、大斧を叩き込む。狙いは、相手の脳天真っ直ぐだ。それに対して、「双角獣」は避ける気配が全く無い。虚を突かれて動けないのか、それとも何か考えがあるのか。
そして大斧は、避けられる事も無く「双角獣」の頭部に命中し――
「な……に……!?」
――その両角に受け止められるようにして、止まっていた。
『いやはや、なかなかに血気盛んだね。頭が揺れたよ』
くぐもった声が聞こえた。思っていたより若い声だと、珠女は思った。自分とそう変わらないように、彼女は感じた。
『さて――次はどうするんだい?』
「う――おぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
角の間から斧を抜き、力任せの連撃を叩き込む。しかし、常人ならばとっくに挽き肉になっていてもおかしくないこの攻撃を受けていながら、
(傷一つ無いって、どう言う事!?)
避けている訳ではない。珠女の攻撃を、すべてその防御力のみによって受け止めてしまっている。
『それで終わりかい?』
珠女が攻撃の手を止めると、「双角獣」が問いかけてきた。心なしか、相手が嘲笑ったように彼女には思えた。
『それじゃ、今度はこっちの番だ』
「双角獣」が言うと、奴の胸部に埋まっている光球が光った。すると、そこから何かの柄の様な物が現れ、「双角獣」はそれを掴んで、まるで自分の身体から引き抜き出すように、それを引っ張る。
そうして出てきたのは、珠女が使っているような斧だった。片刃の大きな斧であり、石突の部分には棘付の鉄球が備わっている。
『お返しだよ』
「こい――つっ!?」
「双角獣」の動きは、もはや人間のそれから逸脱していた。重量の長柄武器を、その辺に置いてある棒切れとまるで変わらない調子で振り回し、自らが巻き起こす強風を纏いながら襲ってくる。「人間の形をした竜巻」。そう形容するに相応しかった。
自然災害を前に、人間は無力である――それは、妖怪でもそう大差は無い。珠女が太刀打ち出来たのは三撃目までだった。四撃目で大斧を手から弾き飛ばされ、五撃目で石突の鉄球で身体を打たれていた。珠女の華奢な身体は軋み、ビルの外壁に叩きつけられた。
「が――ハッ!?」
叩きつけられた場所から、ドスンと重力に従って落ちる。打たれた部分がじくじく傷み、もしかしたら内臓がダメージを負ったかもしれない。全身を襲う激痛に、珠女は身動きが取れなかった。
『あっちゃー、やり過ぎちゃったか……』
カポッ、カポッ、と蹄を鳴らす様な足音を立てながら、悠然と「双角獣」が近付いて来る。
『ねぇ、死んだ? 死んだ?』
「ぐ……」
『ああ、良かった。ちゃんと生きてるね』
「双角獣」は珠女の腕を掴んで持ち上げた。腹がじくじくと痛んだが、相手はそんな事に構う訳が無い。
「お前は……一体なんだ……!?」
『…………』
「都市伝説とか言ったが……お前はワシらみたいなもんじゃない……」
『…………』
「お前は都市伝説を装った何かじゃ……! 一体何が目的で、こんな真似を――」
『――都市伝説・侵話』
「え……?」
カシャ、と言う音共に、「双角獣」の口元にあるマスクが外れた。露になった「双角獣」の顔は案の定若く、その口端を吊り上げて奴は嘲笑った。
「そんなに気になるなら、教えてやる。僕は百物語を侵す者……侵話だ」
「侵……話!?」
「そうさ。百物語を侵食し、君達を滅ぼす……アンチ・フォークロアってところさ」
珠女を掴んだまま、左手で斧を振り上げる。鈍く光る刃の光に、思わず珠女は目を瞑った。
「だから死んでよ、百物語。あ、いや、これで一話減って、九十九話か」
無常に告げるその言葉が、珠女の最後の言葉になる――
――はずだった。
バキン、と言う音が鳴り、遅れてから重たい物が地面に落ちる音がした。
恐る恐る珠女が目を開くと、自分はまだ生きており、
「あ――」
彼女を庇うように立つ、赤毛の男が目に入った。
「ぐ――紅蓮!」
「…………」
二人の間に割って入った男――紅蓮は、その腕力のみで「双角獣」の斧をへし折っていた。更に虚を突かれて動きが止まっている「双角獣」を殴り飛ばし、その身体を、先程奴が珠女にしたようにビルの外壁へ叩きつける――もっとも、叩きつけるどころか、「双角獣」の身体はビルにめり込んで隕石よろしくクレーターを穿っていたが。
「…………」
その巨腕で抱き抱えた珠女へ、紅蓮が視線を送る。言葉は無いが、「大丈夫か?」と問いかけているのが分かったので、珠女は小さく頷いた。すると紅蓮も頷いて答え、彼女をゆっくりと地面に降ろす。
「…………!」
そしてすぐさま振り返る。見れば、「双角獣」はビルから身体を引き剥がし、地面に降り立つところだった。
「痛ァ――ちょっとちょっと? 不意打ちとか、卑怯なんじゃない?』
外していたマスクを嵌め直しながら、「双角獣」が言う。しかし紅蓮は全く意に介しておらず、奴を睨み付けて身構えるだけだ。
『やる気満々だね……噂には聞いてたけど、あんた本当に強いんだね、紅蓮』
「…………」
『おおっと、やらないよ。流石の僕でも、アンタとやり合ったら無事じゃ済まないもの』
「双角獣」の体から、煙が噴出した。それが煙幕だと気付くと、紅蓮は急いで煙の中へと飛び込むが、既に時は遅かった。
『だけど――僕が勝つ』
「双角獣」が残した言葉が、辺りに響いていた。
町を見下ろせるビルの上で、「双角獣」はヘルメットを脱いでいた。露になった素顔は、都シスイとそっくりなもの――
AS2、アッシュだった。
「ああ、父さん?」
『アッシュですか……どうですか、BD『バイコーンヘッド』の調子は』
「最高だね、言う事無しだよ。こいつがあれば、本当に百物語組を全滅させちゃうかもね」
『……アッシュ。貴方の役目は――』
「分かってるよ、父さん……僕の役目は、百物語組を潰す、なんて事じゃない」
ニヤリと、彼を生み出した者とそっくりな笑みを浮かべる。
「僕の役目は火付け人――戦火を撒き散らす。そうだよね?」
『分かっているなら結構です』
プツッ、と通信機の電源が切れる。アッシュはそれを握ると、視線を再び宵闇に沈む町へと映した。
「さぁ、侵そうか、この町を」
それが幕開け。都市伝説:侵話の始まり――
最終更新:2011年11月19日 13:52