最高で最低の奴隷Ⅳ 歪みし忠節 序章(中編)
それは、金属の箱だった。
直方体の巨大な金属塊がいくつも連結しており、それが広大な地下道を疾走している。
しかし、魔法金属を何層にも重ね複合させた装甲面は虹色に輝き、その表面には一流の職人達が何人も協力して作り上げた精緻な装飾が施されていた。
箱は箱でも、それは見る者に宝石箱のような印象を抱かせる程豪華絢爛な箱だ。
その箱が、下に付いた車輪を回しレールの上を疾走している。
『鋼の処女』の名を冠するその箱の正体は、白虎総合商社が大陸中に誇る乗り物にして、その主要産業の一つである鉄道を支える電動機関車の一つだ。
国と国を繋ぐ交通手段が貧弱なこの世界において、白虎総合商社が作り上げたこの国外直通鉄道網は正に金の卵を産むダチョウの集団である。
大陸の端から端までを繋ぐ鉄道網は、長距離大量運輸をほぼ独占し、それこそ国家予算レベルの利益を各国から吸い上げているのだ。
しかし、今地下道を疾走している車両はそのような運搬業務に携わるような存在ではない。
通称『鋼の処女』と呼ばれるこの車両は、白虎総合商社の総帥専用車両なのである。
採算など川に流す勢いで資金をつぎ込み、要塞並みの堅牢さと火力、そして王宮並みの快適さを兼ねそろえた車両だ。
やがて、地下道を轟音とともに疾走していた豪華絢爛な宝石箱は、スピードを落として停車する。
停車した場所は、車両に負けず劣らずの豪華な場所だった。
外気と室内を遮断するための硬化ガラスを隔てて、磨き抜かれた大理石の床に赤い絨毯が敷かれ、天井を支える柱にはこれまた精緻な彫り物が彫り込んである。
支えられる天井は恐らく並の家屋の5階に匹敵するであろう高さを誇っており、そこから吊り下げられているのは宝石をふんだんに散りばめた巨大なシャンデリアだ。
そして、室内を彩るのはどれも最高級品である絵画や彫刻などの美術品だった。
空気が抜ける音とともに車両の扉が開き、その中から人影が降りてくる。
「あ~本当疲れたわ。これだから、機車は嫌いよ」
公的には、今現在本領で陣頭指揮を執っているはずのミリアが赤くなった目を擦りながら車両から降り立った。
その後ろに荷物を持ったセリスが付き従っている。
「ご主人様、そんな事を言ったら、まるでご主人様が乗り物に乗ったぐらいで疲れる繊細な神経の持ち主と誤解されちゃうじゃないか――――言葉には気をつけた方がいいよ」
「あんた、喧嘩売ってるの?」
「別に、ただご主人様が疲れているのは単にゲームのやり過ぎだと思うな。下手の横好きって言うの? はっきり言って向いてないよ」
半眼を向ける主に、しかし奴隷の表情はいささかも崩れない。
「そ、それは―――」
下僕の冷静な意見にミリアは言葉を詰まらせた。
実際、たまの休みと言うことで徹夜でゲームを敢行したミリアとその相手をしたセリスとの勝敗は、どれ一つ何一つとしてミリアに勝てる物はなかったのだ。
そこで終わっていればいい物を、意地になったミリアが何度となくセリスに再戦を申し込み、そのたびにコテンパンにやられたのだ。
そして気付いたときにはすでに朝になっていたと言うオチである。
「あ、そう言えば約束はもちろん覚えているよね」
「わ、分かってるわよ」
「それなら結構」
セリスの言葉にその主は悔しそうにも頷いた。
車両の中で二人はある賭をしていた。
『ゲームに一回負けるごとに、負けた方は勝った方の命令を一度だけ何でも聞く』と言う賭だ。
この賭を提案したのはミリアであり、無論彼女は勝つつもりであった。
いつもいつも、主を主と思わない奴隷に仕返しをするためにだ。
長い主従関係の中でミリアは、セリスがこの手の賭け事や約束事の勝敗はきちんと守ることを学習していた。
あらゆる事において、セリスに頭の上がらないミリアにとって賭け事は正に逆転の一手だった。
しかし、相手が賭の代金を踏み倒さないことよりも、自分が賭に勝てるかどうか考えていないところが彼女らしいと言えばらしいだろう。
チェスにトランプ、ルーレット、麻雀に将棋、その他諸々―――
ルーレットやトランプでは運がよければ一度は勝つことが出来るのだが、総合的に見ると必ず彼女が負けているのだ。
ましてや、チェスや将棋などは問題外である。
前にセリスが自分の世界の将棋のようなゲームである、『正十二面体チェス』と言うゲームをやった時は、相手であるシルスに対して一度たりとも負けていなかった。
ちなみに、ミリアもシルスにチェスや将棋で負けたことはない。
王手を掛けられると『待った』をしてもらい、結局勝つまで『待った』してもらうのだから負けることはないだろう。
そして今現在二人の賭の白星は、ミリア378回、セリス59792回と百倍近い差が開いている。
命令の権限は互いに相殺されるため、単純計算でミリアは60000回近くセリスの言うことを聞かなければいけないことになっている。
これだけ差が開いた理由は、途中で負けているミリアが『命令の回数を増やそう』と言ったのが原因である。
後は負け込んだミリアがさらに回数を上乗せし今現在に至るのだ。
正にギャンブルで破滅する大馬鹿者の典型と言えるだろう。
「随分遅かったわね」
ミリアが次こそは全ての負け分を取り返すと意気込んでいると突然声が掛けられた。
鈴が鳴るような声音はとても美しくはあったが、その温度は液体窒素もかくやと言うほど冷ややかだ。
「……………何であんたが此処にいるのよ。メル」
「あら、此処を何処だと思っているの、前から蛆が湧いてそうな頭と思っていたけど、そこまで酷いとは思っていなかったわよ。このどら娘」
途轍もなく不機嫌な視線を向けるミリアに、メルと呼ばれた声の主は不敵そう返す。
ミリアの視線の先にいるのは二人の少女だ。
前に出ている少女の方はヒトで言うなら十代半ばの容貌だった。
まず目に入るその美しさだ。
小さく彫りの深い顔立ちに、その銀の瞳はひたすら玲瓏であり、全てを見下す傲慢さに煌めいている。
顔を構成する全てのパーツは、誰一人反論出来ないほど完全に計算し尽くされて配置され、その肌にはシミ一つなく、正に白磁そのものだ。
ミリアの方も、美人と言えば美人ではあるが、この少女と並べば見劣りするのは否めない。
特に精緻な刺繍を施された白いワンピースに包まれた肢体は、ミリアとは違いメリハリのある体付きだ。
しかしなりより驚くべき事は、その少女の髪の色だ。
全ての色に染まることを拒否したかのような、純白の白髪である。
彼ら虎にとって白髪は王族の証であり、畏怖の対象なのだ。
虎の寿命は普通は平均的に五百年ちょっとだが、これが王族や一部の大貴族になると七百から八百年近く生きる個体が出たりする。
公的記録では、虎の最長寿は千五百七十二歳となっている。
さすがにそれは冗談の値としても、虎の王族が普通の一般の虎とどこか違うのは事実だ。
そしてメルと呼ばれた少女の背後に控えているのは、こちらはエプロンドレスを着込んだ茶色い髪の虎だった。
ヒトで言うなら十代後半の年だろう。
凡庸な髪の色に対するかのように、その瞳は紺碧と翡翠のオッドアイだ。
全体的に童顔で顔立ちは整っているのだが、何というか『善良』とか『お人好し』とか『間抜け』と言う感じを抱かせるほど表情が緩んでいる。
その少女がメルに宥めるような視線を向けて口を開く。
「姫様、ミリア様達もせっかく来てくれたんですから、もうちょっと歓迎してあげた方が―――」
「ふん、そんな必要ないわよ。こっちはわざわざ忙しい中時間を割いてあげてるんだから―――だいたい何よ。予定より三分も遅れてるじゃない。最近の流行は目上の人物を待たせることなの?」
嘲るようなメルの視線にミリアのこめかみがヒクヒクと震える。
「す、すいません。姫様本当は一月前からこの日を楽しみにし「黙りなさい、キーシャ」へぶぅっ!!」
主を庇おうとしたキーシャと言う名のメイドは、その主によって沈黙させられた。
正確にはメイドの鳩尾にめり込んだ主の肘打ちによってだ。
「あ、それならこっちも似たような物だよ。ご主人様は自分の睡眠時間削ってまで、持ってくるお土産を選んでいるし」
崩れ落ちるメイドを視界の端に捕らえながらの言葉は遮られなかった。
当然、首を引いた顔の鼻先を通過したトランクは完全に回避している。
「ふ、ふん、まあ私は心が広いからそれぐらいは許してあげるわ。海よりも深い私の慈悲に感謝する事ね」
「こ、こっちだって、たまたま目が冴えて暇だっただけよ」
両者とも頬を染めてそっぽを向いているあたり、根っこの部分では同じなのかもしれない。
そんな主達を見ながら、召使い達はやれやれと肩をすくめる。
「姫様、実は半日前から此処で待ってたんですよ」
「本当、この二人ってよく似てるよね。ご主人様、普段は仕事なんか見るのも嫌なくせにこの日が近づくと一生懸命仕事をするから、見ていて微笑ましいというか何というか――」
巨大な壺が、復活したばかりのキーシャの頭蓋を直撃するが、セリスに直撃コースであった騎士の鎧の鉄兜は難なく回避される。
「あーあ、お二人とも歴史ある遺物に対する敬意とかはないの?」
「あんたがデタラメ言うからでしょうっ!!」
慇懃無礼な召使いの態度にそこら辺にある歴史的遺物を投擲するミリアであるが、当然のことながら全て回避される。
逆にキーシャの方は、主に頭部を掴まれ、そのまま柱に叩き付けられていた。
三十分経過―――
「まあ、何だろう。せっかく会えたんだから、お互い啀み合うのはなしにしようよ。ほら、ご主人様達が暴れるから、部屋がこんな風になっちゃったよ」
「あんたのせいでしょうがっ!!」
散乱した部屋の惨状を嘆く召使いに、しかしミリアは傍にあった槍を投げつける。
虎の腕力によって放たれたそれは人どころか、鎧すら貫通する威力だが、セリスの小さな手にあっさりと掴み取られる。
「おっと、これ以上散らかさないでね。そろそろ時間だから―――」
セリスの手から離れた槍は床に落ちることもなく、そのまま宙をゆらゆら浮きながら元あった場所に戻っていく。
槍だけではなく、鎧や絵画、彫刻さえも元の位置に戻っていく。
しかし驚嘆するべきはそこではない。
砕け散った壺の破片が独りでに繋ぎ合わさり、破けた絵画は画板が再生して、手足が曲がった銅像は元の形に修復される。
その様子はセリス達以外の全ての時間が巻き戻るかのようだ。
逆転箱【リバースボックス】
指定した領域内にある指定した物質を、一定時間で初期設定の状態に復帰させる魔法というかテクノロジーだ。
ダンジョン内の一部などに使われている技術で、破壊された部屋を元の形に自動修復する事が出来る。
毎回毎回、周りの物を破壊する主達に最初は自らの力で部屋を修復していたセリスだが、キリがないため、ダンジョン内から発掘した技術と自分の知識を使ってこの部屋を組み立てたのだ。
「じゃれ合うのも良いけど、少しは考えて暴れてね。まさか王宮中にこの仕掛けを設置するわけにはいかないんだから」
『じゃれ合ってなんかいないわよっ!!』
息のあった否定の言葉に、さすがのセリスも一瞬呆気に取られ、次の瞬間には吹き出していた。
『笑うなっ!!』
「ぷっ、ゴメン。面白すぎるからちょっと黙って―――」
どうやら二人の様子がツボにはまったらしいセリスは、手を振って沈黙を促した。
「だから笑うなっていっているでしょうがっ!!」
「…………………」
セリスの言葉に叫ぶのはミリアであり、メルの方は沈黙を貫く。
この辺が学習能力があるか無いかの違いだろう。
「あーはいはい、大丈夫だよ。もう落ち着いたから―――」
爆笑から苦笑にギアチェンジしたセリスだが、ミリアもメルも憤然とした様子である。
「もう、そんなに怒らないでよ。せっかくの休暇なんだし―――」
『…………………』
宥めるようなセリスの声に、しかしながら二人揃ってそっぽを向く。
この二人の対抗意識は並大抵の物ではなく、実は仲が良いくせに意地を張り合うために、二人揃って機嫌を損ねると厄介だ。
両者とも意地っ張りなため、先に折れると負けだとでも思っているらしく二人同時の説得はほぼ不可能と言っても過言ではない。
セリスは大仰に嘆息するとミリアの方を向いて手を振った。
「ご主人様、先に荷物を持って部屋に行っててくれない? 僕は姫様と話があるから―――」
「な、何であたしがそんなことを―――」
「ゲームの白星を一つ使うよ。と言うわけで、GO」
召使いとは思えぬ発言にいきり立とうとするミリアだが、自らの敗北の代償を盾に取られると弱い。
非常に不満げな表情をしながらも、荷物を積んだカートを引きながら出口への扉を潜っていった。