魔法少女ホーネットべすぺ 第6話
事態は想像以上に深刻だったようだ。
「――何ですって?」
という。昨夜の事態を告げた後のべすぱの態度が、既に深刻そのものだったのだ。
その話を聞いた後、しばらくべすぱは考え込んでいたようだったが、すぐにこう言った。
「――何ですって?」
同じ内容を二度言う程であるのだから、大変に深刻である。
「ええと、つまりそれは、どういうことですの?
トールさま。昨夜、その。アレがその、ええと、姉さまのアレをこう」
「変態するとこを見ちゃったんだけど、それってまずかったかな」
「まずかったかって……」
次に来たのは絶句であった。しばらくの間、べすぱが口を開けたままトールを見つめる。
たっぷり十分は経過しただろうか。流石にどうしようかとトールが考え始めたその時である。
「あ……あなたというヒトはッ! ね、姉さまの!? 変態を、み、みみみ、見たんですの!?」
肌の白い幼虫時だけに、紅潮するとそれがはっきりと分かる。
べすぱの、首筋に至るまでもが赤く染まっていた。
「み、見ちゃった……んだけどさ。だからそれって、そんなにマズいの?」
「マズいも何も……姉さまはまだ未婚ですのよ? いやクイーン候補はみなそうですけれど。
それをトールさま。……変態を見るだなんて、本当に……破廉恥な」
「え。恥ずかしいことだったんだ」
トールとしてはさっぱり分からない事ばかりなのだが、べすぱの照れ具合と来たら相当なものだ。
普段――交わりを行う時すらも、どこか冷静な態度を崩さなかった彼女が、今。どうだろう。
視線はまったく落ち着いておらず、口元に当てた手は何かを探すように彷徨い続けている。
「恥ずかしいのは、それは当たり前ですわよ。変態をだなんて、そんな……
……流石に、姉さまに同情しますわ。あそこを見られるだなんて年頃のオトメとして致命的ですもの」
「致命的?」
トールの感性、つまり一般的な少年の感性としては、である。
よっぽど、交接を行ったりそれを妹に見られたりする方がどうかとは思うのだけれども。
「クリティカルですわ。トールさまったらもう……デリカシーに欠けるにも程がありますわよ」
「うーん……」
何が問題なのか、というのがいまだに不明だった。
背中から吹き出してきた蛹の為の糸は、見られてそんなに恥ずかしいものなのか。
戸惑っているうちに、べすぱは壁に張り付いた姉の蛹をじっくりと見つめながら、言う。
「こうなると、姉さまが変態完了した後が大変ですわ。
わたくし、どういう態度で接したらいいかわかりませんもの。
トールさま……あなたのせいですわよ、本当。恨みますわ」
「……なんだかわからないけど。悪かった……のかなぁ」
トールもべすぺの蛹に目をやった。
そのかたちは今までのものと変わらないように思えたが、心なしか――
若干。照れているような、そんな気がしないでもなかった。
色艶のあたりとか。
魔法少女ホーネットべすぺ
第6話「目指すは海! 青く深き世界へ」
暗闇の中に、にわかに小さな光が現れた。
見る間にそれは大きくなり、広がっていた闇を駆逐していく。
そして闇の消え去った後には、鉄と導管で覆われた奇妙な部屋が残っていた。
その場には、三人の怪人物が揃っている。
「さて、では緊急会議を始めるとしましょうか」
歯車の如き異音を発するのは、全身を隠した怪人物、グラディウスである。
「そうね。時間は有限なのだから、なるべく早めに切り上げるとしましょう」
言葉とともに艶然たる微笑を零すのは、手足が触手たる女性、レイヌである。
「承知している」
そして、抑えた声色を発したこの人物。感情がうかがい知れない、ティ・エールであった。
まさに、タコ秘密教団の幹部なる者達が、ここに並んでいるのだ。
一つの円卓を囲み、機能的な椅子に座った三者は、視線を静かに交錯させた。
――無論、顔までフードで覆っているグラディウスの視線だけは、どこを向いているのかわからなかったが。
「ならば私も単刀直入に申し上げるとしましょう。
どうにも困った問題が発生しましてね。特務エージェントを使っての暗殺任務を行いたいと思うのです」
「暗殺だと」
グラディウスのその発議に、ティ・エールは僅かに眉をひそめた。
同時にレイヌは、右の触手の一本でひらひらと顔をあおぐ。
「一体誰を暗殺するというのだ」
「これもまた単刀直入に申し上げますと、先日から我らが関わっているあの……スズメバチ、なのですよ」
「彼らを?」
「そうなのです。いえ、彼らにはね。蒸気兵器等の実験相手として、おおいに役立ってもらってはいるのですが。
ただ、過日私が行った実験で、いささか困った事態が生じてしまったのですよ」
身を乗り出すティ・エールと対照的に、レイヌは左の触手で手近に置いてあったコーヒーカップを手繰り寄せ、その中身に口をつけた。
グラディウスは、そんな二人のどちらも気にせず、淡々と続けていく。
「解析機関のマニュアルをですね、拾われてしまったのです。
お陰で彼らに我々の連絡先が知られてしまったのは確実のようで、いやはや機密漏洩もいいところですね」
「それは失態ではないか」
「ええ、まさしく。解析機関ひとつ失ったという、それ自体は実験の結果ですから、別に構わないのですがね。
如何せん、機密の漏洩は問題ですね。ええ、そうですとも」
レイヌは――カップを口につけたまま。小さく、鼻で笑った。
それに気づいているのかいないのか、ティ・エールのみがグラディウスに冷たい視線を向ける。
「ですから、その始末は私がつけようと思うのです。
彼らにはまだ実験の対象としての存在価値がありますが、機密の保持はそれに勝る重要度ですからね。
だからこそ。彼らの暗殺を行い、機密漏洩を解決したいのですよ」
こつこつと、指で円卓を叩く音が響く。
その音を立てているのは、瞳を閉じて考えているディ・エールであった。
「話は呑み込めた。そういうことならば仕方がない。私は賛成しよう」
「ありがとうございます。レイヌ嬢は如何ですか?」
「そうね……」
コーヒーカップが、円卓の上に静かに置かれる。
「……まあ、否定する理由もないわね。好きになさい」
「賛成三ですから、これは実行ということで良いでしょう。
では私の方で、すぐにエージェントを手配しておきます。四人もいれば充分でしょうか」
「どうかしら。一人で充分ではないの?」
ここで、グラディウスがはじめて顔を動かした。
レイヌの方に、その窺い知れぬ視線が向けられる。
「おや。確実性を期する必要があると思ったのですが、レイヌ嬢。問題でしょうか?」
「別に……特務エージェントは色々と忙しいはずだから、あまり負担をかけるのもどうかと思ってね」
「負担といっても、それが彼らの仕事でしょう。失敗は許されないのですよ?」
「それにしても、スズメバチの暗殺でしょう? それなら幼虫の時を狙えば、素人でも容易くこなせる話よ。
だったら……一人でも充分過ぎる、と。そう思うのだけれどね」
グラディウスは――肩を震わせている。
レイヌの言葉の途中から、そのような仕草を行っていたのだが。
ただし、当然伴われるはずの笑い声がなく、無言で肩を揺らしているその様は、いささか奇妙ではあった。
「いや、なるほど。その通りですね。確かに一人で充分のようです。
貴方の忠告に従い、派遣するのは一人としましょう。いやはや、私もまだまだですね」
「本当に、ね」
そのまま、無言で若干の時が過ぎる。
静まり返った部屋だったが、頃合を見計らってかティ・エールが立ち上がった。
「ならば特務エージェント一名を暗殺任務につかせる。それでいいのだな」
「構いませんとも」
「そうね」
返事とともに、レイヌとグラディウスも立ち上がった。
そのまま、三人ともに部屋の上部を見上げる。
そこには、八本脚の異形――タコを模した神の似姿が飾られていた。
いつの日にか蘇り、世界を統べるとされる海神の姿である。
やがてこの世界に来るべき神。それは、教団のシンボルでもあった。
「幸福なる統治のもとに、本議案を採用する。
夢見る神の名のために、各自怠りなきように」
「幸福なる統治のもとに。私も奮起するとしましょう」
「……幸福なる統治のもとに。ま、せいぜい結果を出すことね」
海神の目にあたる部分が鈍い光を放つ。
同時に――部屋には、最初と同じように闇が広がっていく。
そして部屋のすべてが闇となって閉ざされる頃には、三者の気配もまた消えていた。
――結局のところ。
べすぺが覚醒するまでに、有効な対応法が与えられる事はなかった。
べすぱも色々と考えてはいたようだが、姉に対していかに処するか、それを思いつけなかったようなのだ。
トールとしてはもう何がどうなっているのかよく分からないので、元々どうしようもない。
その結果として、トールはべすぺの蛹の前に正座させられていた。
べすぱは、その蛹を見ながら腕組みして佇んでいる。
「あー、もう。まったく。身内でも……いえ、身内だからこそ、こういう場合どうしたらいいのかわかりませんわ。
反省してますの? トールさま」
「反省、っていうかさ。なんで正座してなきゃいけないんだよ」
「悪いことをしたら、まず正座で態度を引き締めるものですのよ」
だから先日もごろつき二人に正座させていたのだろうか。
どうにも正座の好きなべすぱであった。
「……それにしても姉さまが出てきたらどうしたらいいのやら。
そういう……その、そうなった時の心境って、想像することしか出来ませんけれど……
どうにもこうにも。わたくしなら、それこそ蛹から出て来られませんわ」
「だから、変態する時を目撃しただけだろ?
どうしてそこまで気にするんだか」
「どうしてって……」
絶句、である。べすぱも説明する言葉が無いのか。
「どうして、と言われましてもね。じゃあトールさま、貴方はどうして呼吸をしていますの?」
「そりゃ、呼吸しなきゃ死ぬから」
「で、しょう。つまりはそういうことですのよ」
「え?」
どういう事なのだろう。
いまいち、説明になっていない気のするトールだ。
「いや、それ、説明になってない……」
「……しッ。そろそろですわ」
とりとめのない会話のお陰で、幾分時間は過ぎていたらしい。
気づけば、べすぺの蛹に少しずつヒビが入り始めていた。
ただ、普段ならそのヒビから後光が差してくるのだが。
「今日はえらく地味だね」
「さもありなん、ですわ」
それはもう、地味だった。
光など欠片も見えない。実に地味に、パリパリと蛹が削れていく。
更に、いつもなら狭苦しいとばかりに内側から拳や脚が飛び出てくるものなのだが――
今日は。そういうものも、これっぽっちもなかった。
「気味悪いなぁ……なんか」
「それもまた、さもありなん。ですわ」
二人が注視していると、やがて蛹の一部分が割れて。中が僅かに窺えるようになった。
そこから、しばしの躊躇いの時間の後――
「……さ、炸裂推参」
幼虫の時よりも、更に控えめな様子で。
べすぺが、こそこそとそう呟いたものである。
「炸裂してないし、それ……」
「……さもありなん、ですわ」
一同、揃ってため息であった。
蛹からなかなか出てこないべすぺを待ち続けておよそ一時間ほど過ぎて、ようやく彼女は全身を現した。
その姿に、普段の変態後とそれほど違う部分は見られなかった、が。
ただ、その態度は非常に違っていたりもする。
「べすぺ?」
「う、あう……」
声をかけられただけで、顔など煉獄の炎のように赤く燃え上がる始末だ。
「な、ななななななななな……な、何か用?」
「いや、何か用って……いうか、その。……べ、別に俺は何も気にしてなんて……」
「ききききききき気にするってな、なな何をききき気にしてるのか私もさっぱりっていうかッ!
……べ、べべべ別にそんなななアレはそういうアレがそのそういうそのナニがアレでッ」
言葉としては最早文法がどうこういうレベルではないくらい酷い有様である。
声をかけたトールも、これでは対応に困る。
「言語が意味を完全に喪失してますわよ姉さま。
トールさまも、不用意な刺激は避けてくださいます?」
そんなところで、助け舟を出すべすぱはトールとべすぺの双方にとって救い主であっただろう。
トールは露骨に胸をなでおろしたし、べすぺにしても深呼吸を入れる余裕が出来た。
その二人を困った顔で見つめつつ、べすぱはやむなく話を進める。
「まず……お二人の間にそういう……アレがあったとしても、やるべきことを見失ってはいけませんわ。
そうでしょう、姉さま?」
「そ……それはね、うん。その。そうだけどね。うん、で、でも、なんていうかあの」
「結構」
また崩壊しかけたべすぺの言葉を、その妹は遮る事に成功した。
放置しておいたら、この意味のない単語の羅列がいつまでも続きそうだったから、これは良い働きといえる。
「それで、やるべきこと、というのが何かと言えば、つまりは国境越えですわ。
わたくしたちに幾度となく喧嘩を売ってきた、あのよくわからない蒸気機関の集団……
その拠点らしきものが南海にあるのですから、海を目指す。その為の国境越え、と。
ですわよね、姉さま?」
「……う……うん。そう――だけど、ね」
べすぺは。その応答の終わりで、ちらりとトールの方を見る。
つられてトールも視線を返すと、また彼女は顔を赤くしてうつむいてしまった。
「……何がなんだか」
べすぺの態度とべすぱの言葉から判断するに、どうも変態時の姿を見られるのはよほど恥ずかしい事のようだが。
しかし、トールとしては別にどうという事のない光景でしかなかったのだ。
いくらか物珍しくはあったにしても、普段の彼女らの行動の方が圧倒的に異常度は高いというのに。
「異文化コミュニケーションって難しいもんだなぁ、つくづく」
愚痴が零れるのも無理はないところである。
「とにかくッ!」
べすぱの雰囲気を壊そうと努力を込められた声が響く。
彼女は彼女なりに、姉とトールの間に発生しがちな不穏な空気を破壊するのに懸命なのだろう。
これはこれで、結構有難いと思うトールだった。
「とにかく――やるべきことは分かっているのですから。
もうさっさと宿を出て、国境越えを致しませんこと?
この部屋でうじうじしていても、発展性がありませんわよ、発展性が」
「うー……うん」
まだ俯いたままで、顔の赤みもまるで取れてはいなかったが、べすぺはようやく頷いた。
それを見て、べすぱが額の汗をぬぐい、親指を立てて勝利を示すジェスチャーを見せた。
「……もうホント疲れますわ」
その言葉に、トールは同情を覚えなくもなかったが――
別に、これでべすぺのこの態度が改善される訳でもないという事に気づいて、同情できる立場でもないと肩を落とした。
国境を越える。
簡単に言うが、これはなかなか難しいものだ。
既に説明した通り、スズメバチをまともに出入国させる国はこの大陸には存在しない。
もっとも、国境の管理をそこまで厳重にやれる国というのも、数える程度でしかないのだが。
ただ、キツネ国は中でも治安情勢は落ち着いているし、巫女連を中心とした統治組織もおおむね問題なく稼動している。
観光を主な産業としていても、不用意なものの入国は禁じているから、結果としてこの辺りの管理は厳しい方であるといえる。
故に、スズメバチがまともに国境に向かっても、まず通る事は出来ないのであるが――さて。
我らが魔法少女は如何にするのであろうか。
国境にほど近い、小高い丘の上である。
ここを越えれば海はすぐなのだが、眼前には堅牢な作りの関所が立ちはだかっていた。
それを見下ろして、べすぱはふむ、と眉をひそめる。
「なかなかの門番っぷりですわ。キツネの国はいい国ですわね、こういうのが行き届いていて」
「食べ物も美味しかったし、いい国だったよ、ホントに」
「まったくですわ。ねえ、姉さまもそう思うでしょう?」
振られたべすぺは。
「……へ!?」
気の抜けた声で返した。まあ、これも想定の範囲内ではある。
「まあ……いいですわ。何にせよどれほどの警護を敷いていても、わたくしたちの本気を出せばどうということもなし……
姉さま。お願いしますわよ?」
「あ、ああ。うん。そうね……」
それでも、またべすぺはぼんやりとしていたので、べすぱは姉の膝にケリを入れた。
かくん、と体勢が崩れる。
「あぅッ」
「だから、ボーっとしてないでって言ってますでしょうがッ!」
「ぐ……そ、そうよね……」
――本当に異常だ。
トールとしては、そう思わざるを得ない光景である。
普段のべすぺであるならば、こんな扱いをされて怒らないはずもないというのに。
「べすぺ、なんか……大丈夫?」
そう思って、声をかけてしまう――と。
「あ……」
反応したべすぺは。――やっぱり、というべきか。
「ト、トトトトトトト……ト、トールはその……あ、あの、べ、べべべべべ別に……
だ、だだだ、だだ、大丈夫って、いや、その、あのね? アレはそういうその……」
顔を赤く染めるだけではなく、両手をぶんぶんと左右に振って、何かよくわからないものを否定している。
滑稽なくらいだが、それは必死の証でもあった。
「だーかーらーッ!」
対抗してという訳でもないのだろうが、べすぱがじたばたと手足を振る。
ようやく外見に見合った暴れ方をした、というか。そんな事を気にしている場合ではないが。
「トールさまはもうしばらく黙っていらしてッ!
で、姉さまはさっさと国境越えるッ! それも今すぐにッ!」
「ご、ごめん」
「あ……あう……う、うん……」
かくして問答無用となった。
べすぺの右腕は、トールを抱きかかえる。
そして左腕はべすぱを抱きかかえている。
つまり両の手で、二人を小脇に抱えているという状態である。
「それじゃあ姉さま。やっちゃってくださいな」
「……やっぱりコレなのか」
トールが愚痴ろうとする――と。
「しッ」
「……ぐぅ」
べすぱが口止めしてきた。もう、黙っているしかないのだろう。
「ん……じゃあ、やっちゃうわ」
そのやりとりも目に入っていないのか、どこか気の抜けた声でべすぺは答え、そして――
ふわ、と、その足元が浮き上がる。
背中の羽が、高速振動を始めたのだ。あまりの速さに肉眼では動いている事を確認できないが、しかし。
「んッ……はぁッ」
小さく漏らした掛け声とともに、その力は勢いよく増していく。
身長半分程度の高さまで浮き上がった、その直後。
――轟、と。
トールの耳には風を切る、その豪快な音だけが残り。
三人の身体は、はるか上空めがけて勢い良く飛び出していった。
弾丸のように、などという形容詞があるが、これほどの速さならば弾丸をも上回るかもしれない。
そのまま上昇を続け、ある程度の高さまで辿り着くと、今度は軌道がランダムに変化して飛び回る。
直進したかと思えば、九十度以上の角度で旋回し。
一定の軌道ではなく、まったく不定であるように飛ぶその姿は、鳥などの自然のものではありえない代物だ。
かくも奇怪な挙動をするのにも、一応の理由はあって、このように飛ぶ事で対空霊的監視網をかく乱できるというのだが――
「やッ……やっぱ、これは怖すぎるッ……!」
べすぺの腕の中で、以前にもあったこの恐怖を全身で味わいながら、トールはひたすらに震えていた。
まあ。
上空数百メートルを、高速で飛び回るなど――しかも生身で――
それは、普通、怖いものではある。
しばらくの滞空の後。
トールはまだ震えが納まっていなかったが、流石にべすぱの方は余裕綽々という様子で、姉に声をかけた。
「多少は吹っ切れまして? 姉さま」
「ん……んー。まあ、それはね」
そう言って、べすぺが視線を動かそう――として、べすぱに遮られる。
「そこでトールさまを見ないッ」
「あ。……あー、う」
「まったく。同じこと繰り返されても困りますわよ」
「うー。……んなこと言っても……」
当事者のトールは――まあ、黙っているしかないのだろう。
どうも、今日のべすぺはトールの声を聞くだけで無残な有様なのだ。
この空中で、あのようなうろたえ方をされでもしたら。
そんな事態になったと思うだけでも、あまり楽しくない想像が広がってしまう。
「……蛹の中で色々考えたけど、やっぱりだって恥ずかしいし……」
べすぺの声は小さい。もごもごと口ごもってもいて、風を切る音が耳を揺さぶる空中では聞き取りづらかった。
「それはわかりますけれど。それにしたって、クイーン候補の役目を忘れる程とは」
「だって……あんなとこまで見られちゃうなんて、想定してなかったし……」
「あんなとこって。せいぜい、繭を作る瞬間を見られた程度でしょうに」
「うー……」
飛行速度が、少しだけ落ちた。
「……それが、その。なんていうか……うー。当人抱えた状態だし……んー……」
「なんですの」
「繭を作るその始まりから、作り終える最後……まで……見られ……ちゃって」
「……えええええええッ!?」
大気の圧力をも撥ね退ける大音声であった。
これにはトールも驚いて顔を上げざるを得ない。
「そ、そんなところまでッ!? 余すところなくッ!?」
「……うん」
「ね……姉さまってば……」
べすぺの顔も赤く染まりきっているが、今度はべすぱの顔まで赤くなっている。
よっぽどの事――なのだろう。この姉妹の顔を見る限りでは。
「トールさま……それはやっちゃいけないことでしてよ……?」
「だからそんなこと言われても、意味わかんないってッ」
故にこそ、重々しく告げたべすぱの言葉に反論を返さなければならないと思えたのだ。
ただ――この場で、トールが反論したのはいかにもまずかった。
その声は、抱きかかえているべすぺの耳にも当然、届く。
「あうッ……い、いいいいや、そ、そそ、それはそのッ、ななななんていうかだから……」
耐えられない、とばかりにべすぺは両手を頬に当てて首を振った。
「あーもー、私の純潔返してよ、もうッ!」
――ひとしきりわめいてから。
ひとつため息をついて、彼女は続ける。
「そりゃあね。ちゃんと言わなかった私も悪いけど、トールももうちょっと配慮してくれたっていいじゃない?
ヒトだからとか。そういうんじゃなくって、私、嫌がってたんだから。あの……そりゃお尻は気持ちよかったけど……
でもそういうんじゃなくて、マスコットだからこそ越えちゃいけない一線ってあるでしょ?
……もう、いいけどさ。今度からはこういうの、ホントなしにしてよね。トール」
それなりに吹っ切れたのだろう。べすぺとしても。
ショック療法的な部分があったと考えられるが、まあ、精神状態が戻ったのは良い事であった。
それでようやく冷静さの戻りつつある瞳を、抱きかかえていた二人、すなわち妹とマスコットに向けた時――
「あ」
当然の事ながら。
両手を使って妙なジェスチャーなどしたものだから。
そこに抱えられていたものたちは、今となっては遥か下方へ――
「うわー!?」
絶叫とともに、魔法少女は急速降下して落ちていく妹とマスコットを追いかけていく。
地上に赤い花が咲くか咲かないかの分かれ目であった。
そんな大空の遥か下で。
まだ、小ごろつきと大ごろつきが干乾びている廊下にて、レイヌはグラディウスに呼び止められていたのだ。
彼女が歩いた後にはぬるぬるとしたものが残されている。
レイヌは、足となる部分が触手である、タコの希少種スキラーなので、こうなるのは仕方のない事ではあった。
「何かしら? 珍しいわね、貴方が話しかけてくるだなんて」
「いえ。どうにも、少しばかり気になったことがありましてね」
近くの導管から蒸気が漏れ出す。
それが小ごろつきの顔にあたり、ふぎゃあ、と情けない声を出して彼はのたうちまわっていた。
「普段、貴方の傍にいつも控えているあの……助手の方でしたか?
最近は見えないようですが、どうしたのでしょうか」
「ん……ああ。あれには少し使いに出てもらったからね、いなくて当然よ」
「使いですか? 用事など、わざわざ助手の方を使わなくてもよろしいのでは……」
のた打ち回るうちに、小ごろつきの爪が大ごろつきを引っかいて、なんだか惨状になりつつあった。
が、それをまったく気にも留めず、グラディウスとレイヌは言葉を交わし続ける。
「重要な用事なのよ。あの子でないと信頼がおけないから。何しろ外に出てもらわないといけないし」
「外! なんとも危ない話ですね。か弱い女性一人で外に出たのですか?」
「まあ……か弱いかどうかは。肉体的にはそうでしょうけれど」
「しかし外は危ない。何しろ――」
もう一度。導管から、蒸気が吹き出た。
「何しろ。最近は危険が多いものですから……物騒な話に巻き込まれて、死んでしまうこともありえますね」
「……ふふ。ああ、そんな危険もあるわね……」
――口に出している言葉とは裏腹に。
レイヌも、そしてグラディウスも。何故か、二人揃って笑い声をあげていた。
「でも大丈夫よ。相手が一人だけなら、まず間違いなく返り討ちにしてくれるわ。彼女だけでは無理でも……きっと、ね」
「ほう。近頃の女性などは随分と勇ましいものですね。そうだとよろしいのですが」
「そうでないと困るわ。本当に大事な用事なのだから」
転げまわっているごろつき達は、ようやく意識を復帰させてきたようだったが――
レイヌ=ディア・ゴーン。そしてグラディウス。
この二人の幹部は、相手を飲み込むように笑っていた、のだった。
そして。
浜辺であった。
国境を越えてしまえばすぐの、この浜辺に魔法少女達は立っている。
――いや、マスコットであるトールは立っていなかった。
地面に座り込んで、小刻みに震えながら両手で自分を抱きしめている。
「ま……まあ。そもそも変態を見たりしなければ、私だって落としたりはしなかった訳で。
だから私は悪くないッ!」
「……それは無理がありますわ。いっくらなんでも」
海に向かって拳を固め、力説するべすぺに向けるべすぱの視線は冷たい。
彼女は、まだトールよりは落ち着いているようだが。
「本当、貴重な体験でしたわよ。あれだけの落差のフリーフォールだなんて、そう簡単に出来るものじゃありませんものね?」
「そ……そうよね」
「わたくしは、多少なりとも己の力で空を飛び、自由落下とてこなしたことがありますから。
こうして、落ち着いてもいられますけれど……
ヒトの身にあれは酷でしょう? 姉さま。いくらなんでも」
「……わ、私は悪くないわよ」
そう言い張ってはいるものの、何分、トールが受けた精神的ショックは相当の代物であるのは明白であった。
当事者意識に欠けるところのあるトールだったが、これは流石にこたえたようだ。
「とにかくッ。じゃあ私は落としちゃったし、トールは変態を見たんだし……
これで貸し借り無しってことで……」
独り言とも呼びかけともつかぬ言葉だった。最初は勢いも良かったのだが、段々小さくなってしまっている。
これは、「変態を見られた」という事実を思い出した為ではないかと考えられる。
それはともかくも、その言葉にトールは顔を起こしてべすぺに目を向けた。
そして――口元だけで、小さく笑う。
「……な、何?」
ひょっとして壊れてしまったのだろうか、などとべすぺは思った。
こういう状況で笑われても困るのだが――と。
「ああ、うん。わかったよ、べすぺ。
……なんかこっちも色々吹っ切れたみたいだからね」
「吹っ切れた?」
「やっぱり……ああいう経験するとね。現世では死ぬ瞬間って意識してなかったけど……
ああいうものだったんだ、って。……なんか、色々自覚しちゃったよ」
「あー、まあ、現世とかそれは多分違うと思うんだけどね。まあ吹っ切れたってんならいいけど」
すっくとトールは背筋を伸ばして立ち上がった。
震えもしっかり止まっている。意外に頼もしい。
「よし。行こうか、べすぺ、べすぱ」
「へ?」
「はあ。構いませんけれど」
トールが歩き出したのにつられ、べすぺとべすぱも後ろに続いた。
二人とも妙な気分だったが、殊更騒ぐ事もなかったようだ。
実のところ、トールが率先して自分から行動したというのも、ここが始めてだったりするのだけれど。
今はまだ、べすぺもべすぱもそれを気にする理由もなく。
違和感を感じながらも、素直に後ろを歩くしかない。
しかし歩いたのはいいとしても、考えてみればそういう問題でもないのだ。
「目的は海の向こうにある島、ヒドラ島だったっけ? 海を渡らなきゃいけない、か」
「なのよね。流石に海を越える程には私の航続距離も長くないし……」
遥か海の彼方、水平線の向こうをじっと見る。
地理的に言えば、この海岸からほぼ直線でヒドラ島に辿り着けるはずだ。
ただし、距離が相当にあって、スズメバチの羽であっても途中で墜落するのが関の山である。
幾つか島は点在しているので、そういった場所で休めば辿り着けなくもないかもしれないが――
「途中でエネルギーを使い果たして、幼虫に戻ってしまっても問題ですのよね。
というか、確実にそうなるでしょうから。流石にわたくしも、勝算ゼロの賭けには手が出せませんわね」
一同揃って考え込む。
空を飛んでの交通が出来ないとなると――残るのは。
「船か何かは出てない……のかな?」
「船。ああ、その手もあったわね」
探せば、近くに港のひとつもあるだろう。
そもそも普通は海の向こうに渡るには、飛ぶよりも船を先に考えるものであるとも言える。
「ヒドラ島への直行便とかあればいいんだけど、まあ……どうなるかは行ってみないとわかんないわね。
んじゃあ、探してみましょうか」
「ですわね」
そんなこんなで。
海岸線を歩く事数時間、港らしきものが目に入ってきた。
あまり立派とはいえない建物である。築数百年は経っていそうだ。
係留されている船を見ても、二、三人乗るのがせいぜいのような小さなものしかない。
「これは……あんまり期待できないかも」
「既に閉鎖されたか、村の共用みたいな感じのちっちゃい港か……そーねー、ちょっとこれはねー」
「とりあえず行くだけ行ってみましょうか。期待はできませんけれども」
その港を使っている人が聞けば怒り出しそうな事を言いながら、一同は歩みを進めた。
すると、その港から、一人の青年が走ってくるではないか。
まさか今の会話を聞きつけて、激怒した――というのも、考えすぎではあろうが。
青年は走って、走り続けて、三人の目の前に来ると、ようやく立ち止まり息を整えた。
興奮していたものか、距離にしては荒い息である。
「な、何か用事でも?」
問うたべすぺに、青年は顔を上げて――にやりと笑った。
「間違いないよな。あんた、スズメバチだろう?」
「そうだけど……」
懐から何かを取り出して、青年は押し付けてくる。
そのまま受け取ると、彼は安堵のため息をついた。
「受け取ったよな? ちゃんと、それ、受け取ったんだよな?」
「あ……う、うん。そうね」
「……やった! これで長者だ!」
そう叫ぶと、青年は踊りながら去っていった。
本当に踊っていたから、これは何というか、凄いものを見た気分になる。
「長者とかなんとか。変な人が多いですわね」
「まったく。何がなんだかわかんないわよ」
ぶつぶつと言いながら、押し付けられたものを観察する。
それは、一般的に言うところの封筒であった。中には一枚の手紙が入っている。
「ふむ。どれどれ?」
曰く、
タコ秘密教団について重要な情報をお話したいと思います。
近くにある宿に部屋をとっているので、よろしければ来てください。
――内容は簡潔そのものである。ただし、これは、なんというか。
「……やっぱ、罠とか挑戦状とか、その類?」
「あんまりにもあんまりだからなぁ……」
という。そんな感想しか出てこないのは仕方が無かった。
「やー、いやいやどうも。わざわざお越しいただいて申し訳ないですねぇ」
教えられた宿を訪れ、その部屋の扉を開けた時、三人はしばらく固まってしまった。
何故かと言えば、それは部屋の中で待っていた人物に原因がある。
「いや、出来ればもっとこう、食事とか出来る場所にしておきたかったんですけど。なかなか貴方たちが現れないものでアレでして……
こっちに近づいているって話は聞いてましたからぁ、こうやって伝言を頼んで、それでこう。アレな訳ですねぇ」
口調は慇懃で、敵意というのは見られない。ただ慇懃というよりは慇懃無礼にも思えるが。
しかしそれ以上に、この人物と来たら――
室内だというのに、フルフェイスの黒いヘルメットなど被っているのである。
バイザーもしっかり降ろされていて、顔がまったく見えない。
そのくせ、顔から下の服装は特徴あるローブで、古式ゆかしいところがある。
ローブの前面には大きなタコの文様が描かれていた。タコに関係のある宗教団体と見える。
「な、何者なのよ貴方は」
「何者――ああ、ええ、はいぃ。やっぱりアレですか、このヘルメットですよね?
これはまぁ、色々理由があって外すとアレなんですけどなんていうかぁ……
まあ、お気になさらずお気になさらず。アレですよ、個性ですよ個性」
「個性。なら仕方ないわね」
「仕方ないんですよぉ」
がっしりとした握手を交わすべすぺと奇人であった。
「で……何者なの? 貴方は」
「はいぃ。ぶっちゃけますと、タコ秘密教団のものです」
「ぶっちゃけたわね」
「ぶっちゃけました」
もう一度がっしりとした握手を交わす。
「というか……これだと話が進みませんし。そこに丁度あつらえたかのようにテーブルと椅子がありますのでそこへどうぞ」
「よし……なら、私も腹を据えて相手をしようじゃない。
トール。べすぱ。貴方たちも、ほら」
「あー。うん」
「……なんですの、この流れ」
初対面で毒気を抜かれ、べすぱはどこか憮然としている。
トールはあまり気にしなかったが、ただ彼はこの奇人に違和感を感じながら眺めていた。
「どうもなぁ。なんだろう。これは……うーん」
「トールもぶつぶつ言ってないで来なさい」
「……やっぱり初めてだけど、これって……あー、うん」
一同、円形のテーブルを囲んで着席する。
この部屋は一人部屋のようで、こんなテーブルと椅子があるのは奇人が運び込ませたものなのだろう。
奇人にしては先見性があるらしい。
「さて、色々と聞きたいことはあるかと思うんですが……何から話したものですかねぇ」
「だから、貴方は何者なのよ?」
はぐらかされ続けてきたが、これで三度目だ。
三度目の正直とはよく言ったものである。
「二度あることは三度あるとも言うね」
「トールは余計な独り言を言わない。で、貴方はなんなの?」
そう問われると、奇人はしぶしぶと言った様子でヘルメットの脇に手をやった。
何事か動かすと、バイザーが音を立てて上がっていく。
その下から現れたのは――女性であった。
「ええと。じゃあ自己紹介しますねぇ。
私は、タコ秘密教団で働いている、門真のぞみと言うものです」
「……変な名前ね?」
「べすぺとべすぱも相当変な名前だと思いますよぉ。それに……トールさん、でしたよねぇ。
貴方は別に違和感感じないでしょう?」
「それは……っていうか、ひょっとして」
のぞみは、にんまりと唇をゆがめた。
「ご明察です。私も貴方とおんなじ、地球出身のヒトなんですよぉ」
「へー、ヒトね」
「まあ。ヒトがですの?」
「やっぱりな……」
トールは、見当はつけていたのだろう。落ち着いたものである。
一方でべすぺとべすぱは、そののぞみの顔をまじまじと覗き込んだ。
そんなに若くは見えないが、歳を取っているようにも見えない。不明な人物だ。
ただその瞳はどこか遠くを見つめているようで、そこだけは大変な年季を感じさせるものがあった。
「まぁ……私も色々ありまして。なんやかやで教団に入っている訳なんですが。
つまるところはアレですよぉ。ヒトなんですから所詮戦う能力なんてありませんし。
警戒とかはしてもらわなくても結構です」
そこまで言うと、のぞみは軽く唸ってから手をヘルメットの脇にやった。
そうして先だってと同様の操作を繰り返す、と、またバイザーが下りてくる。
再び顔が完全に隠されてから、のぞみはゆっくり首を振った。
「こうしてないとどうもアレなので。顔を見せないのはちょっと失礼かなぁとは思うんですが了承してください」
「うーん。まぁ、それはわかったからいいけどね。
話を戻すとして。じゃあ次の質問。貴方は戦う能力ないっていうけど、貴方の所属してるその教団。
それ、なんで私たちを襲ってくるの?
あのゴルバスだとか、ライオネルバッハだとか。この間の変な魔法機械とか」
「やっぱりそれ聞きますよね。いいですよ、その辺はざっくり答える為に来ましたから。
ええっと……そうですねぇ、それは――」
――それは。
それは実験なのである、とのぞみは言う。
「兵器の稼動試験なんですよぉ。蒸気兵器とか蒸気人とか、解析機関とか。
ああいうのってアレで、試験運用として身内で試すのはいいんですけどねぇ。
実戦で使ってどの程度役に立つかっていうのは、また話が別ですからぁ」
試験というのも色々とあるが、毒ガス噴霧器にしろ蒸気人にしろ、兵器である。
兵器というのは戦いで使うものであるので、やはり戦いの場に投入して様子を見るのが望ましい。
コントロールされた環境下でのテストならば、教団内でも出来る。
だが相手にまったくそのような意図のない、本当の実戦でのテスト――となると、これは難しいのだ。
「やっぱり試験と実戦では得られるデータってのは物凄く違いますからねぇ。
しかも蒸気人。あれはですねぇ、強力な個体に対抗するために作られた代物ですから。
『強力な個体』をターゲットに出来なければ、なかなかテストも上手くいかないんですねぇ」
この世界にあって、群の中でずば抜けた素質を持つ者が存在しているというのは周知の事実である。
ヒトの世界では個人差といってもそんなに大したものではなく、武器があれば逆転できる程度のものだ。
しかしこの世界の個人差というのは、時に凄まじいものとなる。
単騎で一軍を向こうに回す、そんな者がごろごろしているのだから。
「ですがそういう人、極々稀に存在しているそんな感じのアレな方々――
そんな人はおおむね国家の重鎮か、でなければ一流の悪党ですからねぇ。
在野の人物にしたって、それほどの人となると有名ですから……
実戦テストに付き合ってください、なんて言える訳がないですよぉ。秘密教団なんですから」
――そうなると、どうやってテストを、誰を相手にすればいいのか。
これは相当に深刻な問題だったのだが――
「……丁度良く貴方たちが現れたって訳です。
実力は相当のものでありながら、その習性が故に国家とは折り合いが悪く手を出してもそんなに目立たない。
何しろ普段からあちこちで善行と言って首を突っ込んでいる訳ですからねぇ。逆に恨みだってかってるでしょう。
国境だって平気で破るし。ナニなとこありますよね?
だから最悪殺しちゃってもそんなに……って言う感じですか」
実験と、それによって得られるデータにはセパタで買えない価値がある。
教団の理想の為に、全てはそれに集約するのだ。
「……と、まあ。そんな理由がありますので、私たちの教団が手を出したという話です」
「それはまた……身勝手な理屈ですわね。
わたくしたちを実験台のように扱うだなんて」
「ま、私は気にしないけどね。善行を積む上での障害なんて多ければ多い程いいのよ」
納得できるかどうかはさておいて、筋の通った話ではあった。
思えば、ライオネルバッハにしても度々そのような言葉を放っていたのだ。
べすぱは難しい顔をしていて、その姉は頷いている。
二人がそんな様子なので、残ったトールが後を引き継いだ。
「狙ってくる理由はわかりました。……でも、その、タコ秘密教団は何の為にそんなことを。
兵器を作るって、そんな戦争を起こすのでもないのに――」
「戦争起こすつもりですよぉ?」
「……はい?」
「タコ秘密教団はですね。万民の救済を掲げた団体なのですねぇ」
教団の掲げる理想は、万物平等、万物平穏の世作りである――とのぞみは言う。
「偉大なる、これから来るべき神の名のもと、どの種族のどんな人々も平穏に、安らかに。
誰しもが苦しむことのない世界を願い、その実現を希求する。
その為に己の全てを捧げる――教団員の誓いといいます、これを」
己の全てを捨石とし、世界中の人々が安らかに暮らせる世を作る。
立派な心がけではある。が、まあ、教団などを名乗るのなら、そういう建前はよくあるものだ。
「それは結構なことだけど……なんでそれが戦争に繋がるのよ? まるっきり逆でしょ?」
「ははぁ、そこに深い訳がありましてぇ……」
世界中を平穏になどと言っても、祈るだけでは叶いはしない。
現実問題として、今の世の中では平穏で安らかに暮らしている人など数える程しかいないのだから。
もっとも豊かなはずのネコの国からして、貧困層の生活は見るに耐えぬというではないか。
ましてや、貧しい国、いまだに争いをやめぬ国――悩みの尽きぬ人々は数え切れぬ程にいる。
イヌの国では貧しさに耐えかねるものもいるだろう。
ネコの国でも一歩奥へと踏み込めば、生まれてから一度も希望を抱かぬまま腐りはてるものとているだろう。
戦火に巻き込まれ散っていくヘビやカモシカ。このようなものは世界各国にいる。
まったく平穏で安全な場所など、一体この大陸のどこにあるのだろう。
今もなお、至るところで、助けを求めて適わず、消えていく命は無限に存在しているのだ。
そして一人一人の命を救ったところで、この連鎖は終わりはしない。
これほどに膨れ上がった悲劇は、最早原因を取り除くしか救済の手段はない――
――ならばその原因は何なのか。
それは、すなわち「差」にあると教団は教える。
種族の差。魔力、腕力、種族において出る差は大きい。
個人間の差。同じ種族の者の間ですら、強きもの弱きものの差がある。
住む土地の差。環境が悪ければ、食べる事さえ出来ずに朽ちていくものはいる。
差によって優位と劣位が生まれ、優位のものはますます差を広げていくだろう。
そうなれば、一度劣位となったものは差を埋める事などどれだけ尋常の手を尽くしても不可能となる。
差の広がり続けた果てに待つもの――そう、戦乱だ。二千年前とて、結局の原因はそこになるのではないだろうか。
まさに「差」こそは、全ての悲劇の根源たるべき問題なのだ。
この差をいかにして取り除くというのか。
――機械、という答えがある。
今、もっとも注目されている技術に魔洸機械なるものがある。
偉大なる魔法の力を機械とし、誰にでも扱えるよう調整を施したものだ。
これなど一見して平等を生み出しそうだが、しかしそうではない。
作成者の魔力的素養に左右されてしまうのでは、結局魔力の弱い種には挽回できぬ代物だ。
この技術を発展せしめた人物が、今をときめく大魔術の女王である事からして明白であった。
しかしてタコ秘密教団は、その鍵を蒸気機関に求めた。
同じ、機械の一種ではある。が、こちらは魔力を介在させない。そこに「差」は生じない。
蒸気機関が生み出す大いなる力は、種族間、個人間の力の差を容易く埋めてしまう。
蒸気の力があれば、ヒトとトラでもまったく同じ仕事が出来る。
力の強い種族も弱い種族も平等に。今よりもはるかに上の水準で、力というものが誰にでも与えられるのだ。
蒸気機関で世界を埋め尽くしさえすれば、世から力の差などは消滅するだろう。
いかなる人物であろうと最大限の効率で労働が可能となるのだから、生産効率はあらゆる場所で最大に、そして平等となる。
生産性の向上があれば、いずれは所得の差とて埋まる。そうなれば貧困による悲劇は起こるまい。
――これこそ産業革命である。
だが産業革命を起こすとしても、その規模が小さければ効果は望めないだろう。
小さな国ひとつで産業革命を起こしたところで、救われるものはごく僅かだ。
また、産業革命によって既存の差を消滅させようとすれば、必ず旧来の秩序が襲い掛かってくるだろう。
既得権益にしがみつく者は、現在の歪んだ秩序を是とするからだ。
それら全てを打倒して、世界で同時に産業革命を巻き起こす。
既存の国家体制は、産業革命の為には不要な代物。
大陸中の国家を破壊し、蒸気機関のもとに全種族をまとめた統一国家を建設する。
いかなる種族であろうとも、平等に、平穏に暮らせる国家を作り出すのだ。
その国は蒸気機関に満ち溢れ、人々は肉体という檻から解き放たれる。
鉄――魔法と相性の悪い金属で埋め尽くされるので、魔力行使は阻害される。だが、それはやむをえまい。
むしろ、魔力の差が解消されるので望ましいところではないか。
その上統一国家となる事で、住む土地の差すらも解決される。
国境がないので、誰であろうと住みやすい土地に移住できるのだ。
まさしく理想国家、理想世界の実現である。
この世界救済の大偉業。これこそが――
「――世界同時産業革命。うちの最終目標って訳です」
話を聞く限りではあまりにも壮大で、そして荒唐無稽な話だった。
存在自体が荒唐無稽なべすぺとべすぱですら、言葉を失い考え込んでいる。
「なるほど。これで事態は把握できました」
トールだけは、ただ。その荒唐無稽さをも、すんなりと受け入れたようではあったが。
そんなマスコットに、べすぺは意外そうに目を向ける。
「結構落ち着いてるのね?」
「驚くのは君たちに散々やらされたからね。
それに、そういう誇大妄想を持ちたがる輩ってのは別に珍しいことでもないし。うん」
「ですよねぇ。誇大妄想ですよねこんなん。まず出来る訳がないし。バカみたいですよ」
自分から言い出したのにこの言葉である。
のぞみの立ち位置がいまいちわからない発言だ。
「バカって。貴方の教団のことでしょ?」
「バカですよ。出来もしない夢なのに。
……まぁ、建前上は教団の最優先目標ですけどね。んなもん信じてる人なんてそんな、ちょっとアレな人だけですよ。
私とか、あと私の上司とか。単に蒸気機関が面白いし、金になるかもしれないからって参入してる人もいるんですよ」
それは――まあ。そういう事もあるだろう。
「でまあ、問題はですね。こういうバカみたいな話を本気にしちゃってる人がいるってことでしてねぇ。
つまるところは、アレな人……本気で世界をどうにかしようとしてる人たちが、悪いことに大多数なんですねぇ……
そーゆー人たちが、蒸気人やらを作ろうとしてる、と。困ったものですよねぇ」
困ったものであった。
深刻に困ったものである。
何しろ、それがある程度は妄想でない証拠に、魔法少女達は幾たびかの戦いを経ている。
「それじゃ、そのうち本気で世界征服に乗り出すって訳? 貴方たちの教団って」
「なんですよ。……マズいでしょう、これは。
成功するとは思えませんけど、それにしたってロクなことにはなりませんよ?」
どこかの軍隊に鎮圧されるにしても、被害は出るだろう。
万が一成功するにしても、その過程でどれだけの被害が出るものか。
成功したところで本当に理想国家などというものが実現するのか、その保障さえないのだ。
どう転んでも、これは見過ごしてはいられない話である。
「聞く限りでは、理想だけなら偉いものなのですけれど……
世界征服となると、これは阻止しなければいけませんわね。……って、のぞみさま?」
「はいはい」
「それを教団員の貴方がわたくしたちに告げる、というのは……どういうことですの?」
のぞみは頬杖をついて、肩を落とした。
表情は窺えないので、どんな感情なのかはわからない。
「言いましたよね。私と私の上司は、そんなものバカらしいって思ってるって。
そんなもん実行されたくないんですが、何せ少数派ですから発言力なんて無いんですよねぇ。
一応、蒸気の使徒として、仲間ではありますから存在は認められてますが……
率直に言っちゃいますよ? 潰したいんですよ、そんな計画」
気負いもなく、実に自然に――のぞみは、反逆を口にした。
薄々読めていた事ではあったので、べすぱも得心している様子だ。
「潰す為には必要なのが……つまり。貴方たちなんですよ」
理想に燃え、世界征服すら辞さない派閥がべすぺ達に目をつけたのは、すなわちその戦闘能力の高さゆえである。
蒸気人に匹敵するその力を、彼らは試験対象として欲していた。それはつまり、蒸気人に対抗できる力がべすぺ達である事の裏返しだ。
故に。
蒸気人を擁する彼らと戦うには、スズメバチの力を借りるのが一番の近道なのだ。
計画を潰すには、手っ取り早いのは暴力に訴えるのがいい。
蒸気人などの兵器関連施設を完膚無きまでに潰してしまえば、大半のものは諦めるはず。
いくら理想に燃えていても、潰されてしまえばそこでおしまいになるだろう。
「スズメバチの威力をお借りして、教団の変な理想を叩き潰して……
で、私たちとしては、そんな理想は捨ててですね。のんびり蒸気機関をいじる集団に仕立て直したいなぁ、と。
助けてもらいたいんですよホントに。……どうですかねぇ?」
「それは――」
腕組みしたべすぺが、決定的な言葉を返そうとした。
その時である。
「む。むむむ。ちょっと待ってもらえません?」
「――な、何よ?」
答えを待っていたはずののぞみが制止する。
勢いを削がれたべすぺは不満そうに彼女を睨むが。
「いや。私の左手がちょっとほら」
見ると、のぞみの左手が、ぎこちない動きで痙攣していた。
少し危ない印象を受ける動きである。
「禁断症状とか?」
「近いけど違います。私、実はですね、特技があるんですよ。
昔のアレの後遺症で左手が時々動かなくなる時があって、そういう時に限って――」
滔々と語る、そんなのぞみの顔――すなわちヘルメットの、バイザー部に。
まったく不意に――後方から。
一直線に伸びる『何か』が、大変な速さで――
「……ッ!」
「私の傍……はい?」
べすぺが、瞬時の飛び込みでのぞみを引き倒す。
しかし、それとまったく同時に、のぞみの頭部があった場所――丁度引き倒したべすぺの羽の部分に。
伸びてきた何かが、命中する。
「ぐぅッ!?」
「私の傍に危険が迫……へ」
何かはその激しさを保ったまま伸びて、壁に激突した。
すると綺麗な程に、そこに小さな穴を開ける。
そのままその何かは動いたが、動いた通りに壁に穴が開いて――いや、切断されているのだ。
それは貫通していたべすぺの羽をも、切り裂くしるしを見せている。
壁をも切断する、一直線に伸びる何か。これではまるで。
「レーザービーム!?」
――なのではないか。
トールが、これには驚いてそう言うと、べすぺに引き倒された彼女が呟いた。
「流石にそこまでは無理ですって、いくらうちでも」
その呟きを聞きとがめたのは、トール――もそうだが。
「じゃあ一体なんですの? 今のは、どうせ貴方たちのとこの手合いか何かでしょうに」
べすぱであった。べすぺは、貫通された羽の様子を気にしている。
「何って、私だって何でも知ってる訳じゃないんですから……」
ぶつぶつと言うのぞみの周りに、自然と一同は集まる。
今の一撃は、明らかに彼女を狙ったものだった。二度、三度と攻撃が続けばまずい事にもなる。
それにしても、ここは宿の一室で、数歩歩けば壁から壁へ辿り着く、その程度の狭さだというのに。
軌道から考えると、この攻撃は室内から放たれたように見えた。摩訶不思議ではあるが、必殺を狙ってのもののようでもある。
まさしく。
これは、プロの手口である、と。そう言えた。
「とはいっても……なるほど。特務エージェントですかねぇこれは」
以上の情報から推測したのが、のぞみのその一言である。
「特務エージェント? 地味に胡散臭い単語が出てきましたわね」
「うちの特殊工作部隊ですよ。色々悪いことをしてまして、暗殺とか誘拐とか。
理想を語っていてもそーゆーアレは必要なんですよねぇ。
でまあ、そういう人らな訳ですからね。それはもう、隠密で暗殺で、そんな感じですよ?」
「よくある話ですわ、まったく。――姉さま、トールさま。そういう相手らしいですわよ?」
「敵は忍者って訳ね……」
「……忍者は違うと思うよべすぺ」
もう、羽に空いた穴の事はひとまず置いておくらしい。
べすぺは妙な事を呟きつつ、部屋を間断なく見回した。
「んー、殺気らしきものはなくもないけど、気配がどうも掴めないのよね。忍者っぽいっていうか。
あー……なんか解説してくれない、トール」
「今の段階では情報が何にも無いから無理だ……よッ!?」
弱音を吐いたマスコットの顔面に、べすぺの蹴りが飛んできた。
正面から喰らって、彼は軽く吹き飛ばされる。
「な、何をいきな……り」
そしてまた、トールのいたその場所に、あの『何か』が飛んできた。
「注意する暇なかったわ」
「……なるほど」
その『何か』は、またしばらく一直線に伸び続けて、壁に切れ跡を作る。
今度は見逃すまいと、視線をその『何か』の元と思われる場所に向ける―ーけれど。
『何か』はもう消えていて、痕跡も何も残っていなかった。
「この状況。これはまずいぞ。
相手の飛び道具の殺傷力は十分、これはべすぺの羽を貫いたり、木造と言っても壁を容易く撃ち抜いたところから確実だ。
急所にあの一撃が刺さったなら、確実に被害が出てしまうだろう。
しかし、こちらは打開策を何も持っていない。相手の姿も見えなければ、武器の正体もわかっていないんだ。
戦闘において相手の姿が確認できないことの不利は言うまでもない。
――絶体絶命のピンチだッ!」
「そう……どう見ても不利よね、これは」
自主的な解説のわりには、不利を認識させてくれただけで役に立つものではない。
今の状況。解説の通りであるが、更に――
二度の射撃を阻止できたのは偶然でしかなく。その上阻止したといってもべすぺ自身被害を受けているのだ。
あの『何か』が連続して飛んできていたら、まず間違いなく誰かが倒されていたのだろうが。
「ったく……正面から来ない相手は厄介ね……」
今のべすぺに出来る事は、とにかく目を動かして『何か』が出てくるのを見極める事だけだ。
攻撃に転じる事は、当面出来そうもない。
せめてべすぱが変態していれば、分担して戦う事も出来たというのに。
「あの時、叩き起こしてでもべすぱと一緒にヤって、成虫にしておけば……もうちょっとマシだってのに」
「今更言っても仕方ありませんわ」
「しかもその場合、私の変態を覗かれたりしなかったはずなのに……」
「どーでもいいですわよ、そんなのッ!」
あまり緊張感がない。
だが、べすぺが肌で感じている殺意だけは本物だ。
敵は殺気を完全に消している。相当の熟達者なのだろう。
しかしながら、その意志、殺意は――これはヒリヒリと伝わってくる。
殺気が感じ取れれば方向くらいはわかるのだが。殺意だけでは無理だ。
「忍者……恐るべしね」
その言葉には、ちょっぴり憧れの色が混じっている。
妖怪といい忍者といい、どうもべすぺにはそっち方面の趣味があるようだ。
兎にも角にも、次なる射撃に備えて魔法少女は目を光らせる。
光らせているのだが、相手も待ち構えられているところに挑むような迂闊はしないらしい。
何事もないまま、時間だけが過ぎていく。
「……だぁ、まどろっこしいッ!」
そう叫ぶと、べすぺは身を伏せていた三人を片端から掴み、窓の外へと投げ出した。
同時に『何か』が飛んできたあたり敵も卒が無いようだったが、これはべすぺは読んでいたようで、辛うじてかわす。
「ふふん。追ってきなさい、忍者」
『何か』が消えていくのを見計らい、べすぺも外に飛び出す。
これで部屋からは誰もいなくなった――と、少なくとも視覚にはそう見えた。
ただ、部屋の隅に淀んでいた影が、かすかに震えてきた。そんな幻も、見るものがいたのなら気づいただろう。
海岸に程近い宿である。
少し動けば、そこには広く見晴らしのよい砂丘が広がっていた。
小高い丘の天辺に陣取り、べすぺは腕組みして待ち構える。
べすぱと、トールと、それからのぞみも一緒にいる事にはいた。
「姉さま、これはどういう意図ですの?」
「ふっふっふ。これだけ見晴らしのいい場所なら、あの『何か』がどこから来るか丸分かりって訳よ」
「逆に好きなように狙い撃ちされる気もしますけどねぇ」
「……ですわよね」
のぞみとべすぱは不満を抱いている。しかしながら。
「それはいい案だね。俺も乗ろう」
「よし。それでこそマスコットよ」
トールは、べすぺの方を見る事なく。
べすぺも、わざわざ確認せずに、その言葉に頷いた。
「なんかトールさま……ちょっと変わった感が出てますわ」
「私は昔に会ってないので何とも言えませんがねぇ」
何にせよ、ここはべすぺのアイディアに乗るしかないのだろう。
渋々といった様子で、トールはべすぺの右側を。べすぱはべすぺの左側を。そしてのぞみはべすぺの後ろ側を、それぞれ睨んだ。
これで、360度、いかなる場所からの攻撃が来ても、その正体を見抜けるはずである。
「一瞬でも気を緩めちゃダメよ。あと見つけたらすぐに知らせるように」
炎天下、砂を睨むのは四人である。
これならばべすぺの負担も減って、あの狭い部屋で神経を張り詰めるよりは長持ちするだろう。
ただ問題なのは、これでもやはり誰かが気を抜けば攻撃されかねないというところで、
「すみません、目が疲れたので少し休みます」
開始から数十秒。のぞみがそう言って座り込んだ。
「ってちょっと、貴方ッ――」
『何か』は一直線に犠牲者を狙う。
うなだれたのぞみの頭に、『何か』は見事に命中して。
「あッ」
一名は間の抜けた声を出して。――当事者だというのに。
「げッ」
「馬鹿ッ」
「うわッ」
三者が悲鳴をあげた、次の瞬間――
『何か』の勢いに押されて、のぞみは後ろ側に倒れた。
「のぞみさま!? 大丈夫ですの!?」
「今、モロに命中してたわよね……?」
「これは……もう……」
どう見ても直撃だった。恐らく、彼女は既に、もう。
そう思った一同だったが、まあ、簡単には行かないのが世の中だ。
「いやぁ驚きました。当たり所が良かったので助かりましたねぇ」
次の瞬間には何事もなく起き上がっている彼女がいる。
場の空気が白々しくもなるが、それよりも重要な事があった。
丁度、頭部に命中した――つまりヘルメットに当たったお陰で助かったらしい。
という事は、ヘルメットには『何か』が残っている可能性もある。
「ちょっと触りますよ、のぞみさん」
トールが手を伸ばしてそこに触れる。
妙に生々しい金属の質感がまず伝わってきた。恐らく、ヘルメットの材質だろう。
プラスチックなどでもないようで、これはこれで不思議素材なのだが、今はそれはどうでもいい。
その金属の上に付いているもの。それを確かめるのが先決だ。
そして触った感触から、判明したものとは、
「なんだこれ。水……液体?」
手には慣れ親しんだものの感触が残る。
どうやら、ヘルメットに命中したそれは、何らかの液体で。
「液体銃……水鉄砲じゃあるまいし、そんなものが……」
そう推論を立てては見たが、自分でもおかしいと思って破棄しようとする。
ところがそれを聞いて、大きく反応した人物が一人だけいた。
「水鉄砲……あああ、思い出しました、思い出しました。
うちは確かにそんなもの作ってましたよ、いや、完全に忘れてたんですが」
倒れっぱなしののぞみである。
彼女は、倒れたまま記憶を言葉に変えていく。
「そうそう。うちの技術でですね、実戦で使用可能な水鉄砲作ったんでした。
アレですよ、水鉄砲ってポンプなんかを使って水に圧力をかけて、水圧で飛ばすものでしょう?
それをですね、蒸気機関の圧力装置を応用して、手動で凄い圧力をかけられるように改良したんです。
確か地球にもあったような気がしてましたが、こっちの人は並外れた力を持ってるケースが多いですからねぇ。
とんでもない水圧をかけて、人体への殺傷能力を持たせたって代物があったりする訳なんですよ」
水は高圧力下では刀よりも鋭い刃に変貌する。
金属加工という分野では、熱を生じずに金属を切断する水の力は特に有名なものだ。
使い方を変えれば、このように暗殺にも応用可能なのだろう。
「忍法水遁の術ね……」
「だから姉さま、恣意的に無理な解釈はやめてくださいな」
どうあれ、これで敵の武器は判明した。
『何か』とは、高性能水鉄砲だったのだ。
と、分かっていても、だからどうするという話だが。
「正体が分かったところで一方的に攻撃されるのは変わらないじゃない」
「まぁそうなんですけどね。せめてあのエージェントが誰かさえ分かれば……
姿を消す能力を持ってる人がいたかどうか、ちょっと覚えてないんですよ。
いや、名前と顔が一致しないっていうかですね。私記憶力は悪くないんですが」
「いいから黙ってて」
脱線していくのぞみの言葉を遮って、べすぺは再び周囲を睨む。
そして、小さく頷くと、魔法少女は拳でトールとべすぱを地面に倒す。
「姉さま、いきなり何ですの?」
「蹴られたり殴られたり今日は忙しいなぁ」
「思いついたのよ。あれが水ってんなら、やりようはあるわ。
見てなさい。私のやり方を」
三人が横ばいになった事で、砂丘の上にはべすぺが一人堂々と立つ事となる。
穴の開いた羽を目いっぱいに広げ、自らの存在を誇示するように彼女はそびえる。
静かに瞳を閉じて、魔法少女は待ち構えていた。
どれほどの時間が過ぎたものか。
敵も警戒しているのだろう、水鉄砲は一向に来ない。
べすぺは、あまりにも無防備な姿を晒しているというのにだ。
倒れている三人も何も言わず、時をただ待ち続ける。
やがて。
「……来たッ!」
水撃である。
べすぺの正面、まさに真っ向勝負だ。
敵も警戒の限りを尽くした末に、あえての全面勝負に出たのだろう。
だが、ホーネットべすぺは惑う事もなく。
己の正拳を――
瞬時の見切りで、水撃にあわせたのだ!
「水圧による銃には、拳圧で対抗するッ!
これが私のやり方よッ!」
生身が正面からぶつかれば、確実に切断される程の水圧力である。
のぞみが助かったのは、まったくヘルメットのお陰であって、これを拳で受けるなど考えられるものではない。
一瞬で皮膚は裂け、肉は抉られ、手が真っ二つになってしまうだろう。だが!
べすぺの拳は、水圧に堂々と立ち向かい。
決して退く事なく、拮抗さえしている!
「例えどれだけの圧力をかけようとッ! 私の拳が打ち砕くッ!」
例え羽が裂かれようとも、彼女には大地を蹴る足がある。
その反動を生かす俊敏がある。
故に。
水撃の発射箇所さえ見えれば、突撃する事に何の障害もない!
そう、今や水の場所は明らかとなった。発射された圧力水が途絶えるまでの、僅かな時間ではあるが、それは正面にあるのだ。
そこは、他と同じような砂の最中であったが、ただ唯一違うのは。
「あれは……あんなところに黒いヒレがある。
そうか、わかったぞ、べすぺ。
あれは、サカナのヒレだ!」
水撃が発射されていると思しき場所には、砂に紛れて黒い三角形が突き出ていた。
海面に存在するべき代物、サカナの、いや。サカナというよりは更に限定されて、海の恐怖たるべきもののヒレだ。
トールもまた、そこから読み取ったのだろう。
「海中から迫るサカナの恐怖は、海面に浮かぶヒレに象徴される。
恐るべき音色とともに、気づかぬ不幸な被害者を襲うのは、ヒレの下に潜む魔魚なんだ!
恐らく敵は、ヒレだけを地上に出し、地下にその身を隠して銃で狙い打っていたのだろう。
つまり、あの黒いヒレの下! そこの倒すべき敵はいる!」
「解説見事よッ! 後は私が手を下すッ!」
全ての条件は整った。
水撃が途絶え、べすぺの拳にかかっていた水圧もまた消えていく。
圧力と圧力が激突した時に、片方の圧力が消えてしまえば、残った圧力は弾けるように飛ぶものだ。
まさに今。べすぺは全体重、全拳圧、全気迫を拳に込めて、あのヒレに向かって飛ぶ!
彼女の拳がヒレの、その頂点を目指して進み――
そして!
――決着である。
拳の炸裂したその後には、クレーターとも思える跡が出来ていた。
その中心部に目を回して倒れる、黒装束のものが一人。
命中したヒレの部分は弾けたかに思えたが、こうして倒れている姿にはそのような痕跡はない。
「インパクトの直前に身体を捻って、直撃だけは避けたみたいね。なかなかやるわ、この忍者」
「ちなみに、もし直撃していたら?」
トールの問いに、べすぺは首を振るだけだ。
何となく察して、追求する愚は犯さずに気絶しているらしい敵を見る。
しかしそうして冷静に眺めると、その姿は言われてみればなんというか、アレである。
「ほら、やっぱ忍者でしょ?」
「忍者……に、見えなくもないけどね」
全身を隠し、それでありながら動きやすい黒装束。
それとこれは余計であるが、裾からわずかに見えたのは網タイツだったりするのだ。
「まさに忍者ね。忍者は本当にいたのよ!」
「そりゃ何百年前かは本当にいたよ。今はまあ……目の前のはあんまり事実って思いたくないなぁ」
頭部は頭巾となっており、それは簡単に外せるようだ。
外したそこには、蒼い髪の女性の顔が現れる。
「む、忍者の素顔を見てしまったわ。忍者的に美味しい話ね」
「少し黙ろう、べすぺ」
馬鹿な話をしている主従を横に見ながら、のぞみは教団衣の中に手を入れてごそごそとやっていた。
興味深そうにべすぱがそれを眺めている。
「何やってますの?」
「んーっとですねぇ。……よし」
衣はゆったりとしたつくりなので、両手を入れても十分にスペースが余っているようだ。
その中からもう一度彼女の手が出てきた時、そこには薄く青い液体の入った試験管が握られていた。
「それは、毒か何かでして? わたくし、毒なら多少は詳しいですわよ」
「これは毒ではないですねぇ。その逆っていうか、まあ、あそこに倒れてる子に与える必要があるんですよ」
「……なんでまた、ですの?」
「うち、特務エージェントに限っては死して屍拾うものなしですから。失敗イクォール自害な訳で。
自害に使う毒を中和してあげないと、死んじゃいますからねぇ。いや、せちがらいですよねぇ」
「まあ、忍者だとしたらそういうものでしょうけれども……ところで、あれ」
自分で忍者と言いつつも、べすぱは疑問を抱いているようだ。
姉が忍者忍者と連呼していたものだから釣られてしまったが、忍者と言うのも、今時どうなのか。
「あれって本当に忍者なんですの?」
「顔見て思い出しました。特務エージェント、シャークレシア。
確か、東方に修行に出て忍術を身につけ、得意技として影乗頭の術を習得した人でしたねぇ。
ヒレだけ出して、身体を地面の下に隠すってのは、この影乗頭の術なんですね。
ホオジロザメであることを生かした、見事な忍術ですからねぇ。偉いものですよ」
「……あー。本当に忍者でしたのねー」
タコ秘密教団。
実に、懐の広い組織であった。
べすぺの拳は、直撃せずとも大地を揺らし、あの敵、シャークレシアの意識を容易く刈り取っていた。
実はそれに加えて、忍術を用いた事がシャークレシアの大きな負担となっていたらしい。
お陰で、夜になっても目を覚まそうとしない有様である。
生け捕りにした以上は情報を得る為にも放置する訳にはいかず、その日は宿に戻る事となった。
縄でぐるぐる巻きにしている上に監視もつけているので、しばらくは安心と言える。
なので、その間にやるべき事があった。
ねっとりとした液体は、指ですくうと爪の間にも入り込んでぬるりとした感触を伝える。
気持ち悪いかというとそうでもなく、むしろこのぬるぬるさが心地よくもあるのだが、堪能している暇はない。
「ねえ、早くやってよ」
前で待っているべすぺがそう急かすのも、その理由の一つだ。
「ああ、わかってるよ。でもなんていうか、これって効き目あるんだ?」
「べすぱが作った奴でしょ? だったらね、問題ないのよ」
トールは。羽に傷をつけられたべすぺの、その傷を診ていたのである。
実はこれは結構痛いものらしく、戦闘中は気合で涼しい顔をしていたべすぺも、終わってみれば顔を歪めていた。
そんな姉に対し、べすぱが差し出したのが、トールが今手に持っている軟膏のようなものだ。
彼女曰く、「あらゆる傷に作用して痛みを消し直りを早くする。わたくし謹製の万能塗り薬ですわ」だとの事だが。
半信半疑で、トールはそれを傷ついた羽にゆるゆると塗っていく。
半透明だった羽だが、塗られた場所は部屋の灯りを反射して鈍い虹色に輝いていた。
「あ……効く効く」
同時にべすぺはほう、という息を吐きながら小声を出す。
少なくとも痛みを伴う劇薬ではなさそうなので、トールも安心して塗る。
「……ん、ふぅ」
塗る。
「はぁ……ん」
塗り続ける。
「あ……ぁ、ん、はぁッ……」
塗り終わった。
微妙に微妙な声を出していたべすぺだったが、とりあえず塗り終わった事で落ち着いた顔になっている。
傷ついた羽の側の腕を軽く動かしてから、納得したようによし、と呟いた。
「本当に効き目あるんだなぁ、べすぱの薬って」
「そりゃそうよ。あの子が使える、二つの『秘密の花園』の一つなんだから」
「花園?」
べすぺはトールの方に向かい、近くの椅子に腰掛ける。
そしてひらひらと手を振りながら、べすぱの軟膏を指差した。
「そう。私たちクイーン候補は、旅に出る前にクイーンからみんな二つずつ『秘密の花園』を授かる訳よ。
べすぱは股間の針を媒介に、毒だけでなく様々な薬品を合成する『秘密の花園』持ってるのよね」
「つまり、その。『秘密の花園』って、特殊能力みたいな代物かな」
「そーゆーんでもなくてねー。オトメが持つべき二十四の秘密の花園よ。
詳しいことはまぁ、そのうち話してあげるわ。マスコットだしね」
相変わらず、スズメバチというのは妙な単語の飛び出る種族のようだ。
お陰でなかなか慣れる事もなく、いつも新鮮な気分でいられるのは結構な事だったが。
それにしても。
薬の効き目がよほど心地よいのか、はたまた動きをそんなに確認したいのか。話の間もべすぺは羽をぱたぱたと動かし続けている。
本気の速度となると目に見えない速さになるので、目で十分に追えている今は本当に慣らし運転程度のものなのだろう。
なのだが、そうやって動いている羽を見ていると、トールの脳裏に不意に浮かぶ一事があった。
あの羽の生えてきている場所は、丁度背中にあたるはずである。
背中というと、数日前のあの時の事だ。
幼いべすぺの背中から、凄まじい勢いで噴出していた、白く美しい糸の奔流。
あの糸が変化してこの羽に変わったものか、などと考えると、どうも落ち着かなくなってくる。
「……しつこく恥ずかしい恥ずかしい言われ続けたからかな。別にあんなの気にしてなかったってのに」
――なのだ。
べすぺやべすぱが、執拗に『破廉恥』だの『酷い』だのと言い続けていたものだから、今になってトールも妙なものを見た気になってきた。
余計に騒いでさえくれなければ、あんなものは本当にどうでもよかったというのに。
「自業自得じゃないのか、あれって。……にしても」
ぱたぱた。ぱたぱたと。
一度気になると本当に気になるものだ。ああいう、動く物体は。
自然と視線も固定されて、ずっと見つめてしまう。そうなると、会話をしている相手がどう思うか。
「……何よ? さっきから」
「あ、いや。ちょっとね」
「ちょっと?」
べすぺはトールの視線を追う。
当然、それは自分の羽に伸びている訳で。
しばらくはその視線に怪訝そうな顔をしていたのだが――やがて。
「あ……え、ちょ、まさか、トール、それは……」
思い当たったのだろう。
自分の動かしている羽が、どこから生えてきているのか。
そしてその場所を、つい先日誰に見られたのか。
「……ど、どこ見てるのよ……」
己の頬に熱が篭り始めたのを感じながら、それでもどうにか目を逸らすだけでべすぺはそう言えた。
今朝方などは言葉すら成り立たなかったのだから、落ち着いているのは確かだ。
ところが、ここで。
「ど、どこって言われても。……あの、なんていうのかな。それは……まあ、その」
「……トール?」
何故か、朝から気にしていないと言い続けていたはずのトール本人がそんな具合に――
「いや、その。……気にしてはいないんだけど、あんまりね」
「……あ、あ、あう、あ……」
目線の制御が上手く出来ない。
体中の血液が、心臓と顔にだけ集中しているかのように、鼓動と紅潮が止まらない。
べすぺは、なまじ一度吹っ切れたつもりでいただけに、この揺り返しは自分でも予想できなかった。
「き、き、気にしないって……い、言ってた……のに」
「そうだけど、君たちがしつこく言うから――」
「わッ……わ、わわわわ、私はそんなアレじゃッ!」
わかっているのだ、それは。
見られた事は既に過去に過ぎ去った思い出でしかなく、今気にしてもどうにもならない。
それどころか、気にするだけ無駄に時間を過ごす事にもなって、無益この上ない。
魔法少女としてこの態度、これはあまりに恥ずべき行為なのだ。
――そんな事はべすぺにだってわかっているのだ。
でも。
でも――
でも!
「……見られちゃったんだからしょうがないじゃない……」
オトメであるのだから仕方ないのだ。
「あんなに近くで、まじまじと……最初から最後まで見ちゃうんだから……」
オトメであるので、涙だって出てしまうのだ。
――涙?
そう。べすぺは、自分でも気づかないうちに、涙を零していた。
トールがそれを見て、ありえない出来事に狼狽したのは言うまでもない。
「嫌だって、見ないでって言ったのに、あんな、あんな……最初から最後まで見るなん、て……」
魔法少女ホーネットべすぺは、今やコントロールできないこの感情の流れにどうする事も出来ないでいた。
変態というもっとも「見られては恥ずかしい行為」を見られたのである。
ヒトには、その感情は伝わらないかもしれない。これは、種族特有の感情らしいから。
それでもその、恥ずかしいという感情を、辛いと思うこの心くらいは、察してくれてもいいんじゃないか、とそう願う。
「私のこの気持ちはどうしたらいいのよ、もう……ッ」
ついには、一滴の涙が床に降りた。
――何故泣く。
――というか、泣くのか、べすぺって。泣けたのか。
――で。これってこっちが悪いのか? やっぱり?
トールの思考もつられてそれは乱れる。
巡り合って以来、振り回され続けてきたが、この振り回され方はあまりに予想外だ。
こうなると、もう何が悪いとか、そういう話でもないのだろう。
口元に手をあてて涙を零している彼女に、自分がどうにかしてやらなければいけないのだ。
べすぺの腕から零れ落ち、大地に激突するかと思われたあの刹那、トールは何かに気がついた。
死なるもの、その実感が目に見えて迫っていたからであろうか。
死という実感を隣り合わせにした時に、その逆を渇望しうるのはまたヒトの真理であるのならば――
どうあれ。
この場においてやるべき事はひとつ。
そしてこの世界にあってやるべき事も、きっとひとつなのだ。
それなら。
「べすぺ! ショック療法だ!」
「え……ショック、何……?」
「変態を見られた原因はお尻での体験にある。
つまり君はその体験がセットになってトラウマになっているはず。
ここで逆の発想をして、お尻での体験を素晴らしいものに変えれば、君のトラウマは消えるはずッ!
そうなればもう恥ずかしがる必要はなく、今後の生活も完全なものになる! のだ!」
「……何の解説をして……」
「だから今からしよう! べすぺ!」
何という力強さであろうか。
言っている事は無茶苦茶で、筋も通っていないというのに、ただ勢いばかりでこの場を支配せんとしている。
「か……解説……」
それこそは、解説の妙であると。
べすぺは寝物語に母から聞いた事がある。
「ってはい!?」
そうこうしているうちに、気づけばべすぺは四つんばいで、尻を突き出す格好にされていた。
トールは、あの塗り薬とは別の袋を左手に携えている。
「ちょ、ちょっとトール!? いやあの、その解説って意味わかんないし!」
「大丈夫。これはべすぱがくれた代物なんだ」
「あの子の? いやあの子がくれた何よ?」
「ローションだよ。滑りを良くする上に気持ちもよくなるらしい」
「なるほど――」
で、トールはそれを持った状態でべすぺの後ろに回り、さて何をするつもりなのやら。
なのやら、というか。
どう考えてもそれは一つというか。
「――ってちょ、何考えてッ」
「よしやろう!」
「よしやろうじゃなッ……」
袋の中にある粘液は、事実べすぱが分泌したものである。
先日から、時折幼虫であるべすぱとそちらで交わっていたものだが、やはり助けがないと入りにくい場所なのだ。
それを改善すべく、成虫時のべすぱが用意していたのがこの粘液、生体ローションなのだが。
トールはそれを右手中指にたっぷりと取ると、黄と黒のストライプとなっている彼女の下半身の、その突き出ている尻の谷間に持っていく。
その胸もそうだが、実に形のよく張り出たお尻である。
が、目的地はその尻の、間の奥の部分だ。
生体ローションの袋はベッドの傍の机に置いて、空いた左手で尻たぶを開き、場所を顕わにしてやる。
「だ、だからこれがどういうつながりで、トールッ」
「……えい」
ちゅぷり。
指先の粘液が、窄まりに触れた。
「ひッ……」
べすぺが背中を硬直させる。
構わず指を進める――
「んはぁぁぁッ!?」
――と。
絶叫とともに、べすぺの腰が砕けた。
ただ、それでも尻だけは突き上げられているが、もう腕すらも力が入っていない様子である。
「べすぺ……?」
「い、今の……な、なに……?」
またべすぺの目の端に涙が溜まっていた。
が、これは多分、先ほどまでの感情のほとばしりとは違うものだろう。
「幼虫の時点で既に天才だったよな、べすぺは」
「天才って……」
「そしてべすぱの言っていたことを重ね合わせれば、だ」
――ご安心くださいまし。他の種族ならばいざ知らず、わたくし達スズメバチ……それも成虫は、ほとんど排泄はしませんの。
――不要物は毒として使用致しますから。つまりお尻の穴は清潔そのもの……
――むしろ、こういう用途の為にあると言っても過言ではありませんわ。
「……こういう用途の為にある器官となった、今のべすぺは……まさに無敵!」
「さっきからおかしいにも程がふああああああッ!?」
言葉を終わらせると同時に、トールは肛門を潜り抜けた指を激しく動かす。
鍵状に歪めてくにくにと刺激すると、まったく同じようにべすぺは悶えて見せた。
「そ、それなし……んはぁ、あぅッ」
が、そこはあくまでその程度に抑え、指を引き抜く。
たっぷりと取った生体ローションも、内部に塗られて指にはべたつく程度しか残っていない。
「よし。感度は良好だ」
「……あぅ……」
全身を弛緩させたべすぺは、唇の端からよだれを零していた。
心神喪失するまでの衝撃だったようで、なんというか、確かに素質はあるらしい。
その有様を見届けて、トールはまた例のローション袋を掴む。
今度は掌にごっそりとつけて、己の――べすぺの珍しい乱れ姿にいつになく滾っているものに塗りつける。
ひやりとした冷たさと、染み込んでくるような不思議な感覚は以前のままである。
ただこれを用いる相手は、べすぱではなくその姉、べすぺになっているが。
その違いが、どんな結果の相違をもたらすのか。それは少し、楽しみでもある。
何の抵抗もないのをいい事に、亀頭の先をひくひくと震えるべすぺのそこにあてがい。
にゅる、と。
生体ローションの助けか、はたまた彼女自身の力によるものか。
こんな場所だというのに、非常にスムーズに受け入れ――
「んはッ……あぅぅぅッ!?」
首をのけぞらせてまで、叫んだ。
あえぐというレベルではない、そう、叫びである。これは。
「べ、べすぺ?」
「んぁ……あ、あぅ……」
問いかけても答えはない。ただ口をパクパクと開閉させているだけだ。
ならば仕方ない、と、入ったペニスをぐっと奥に進める。
「あ、あれ?」
その、入り口。括約筋が締める肛門は、受け入れる事それ自体は異常なまでにスムーズだというのに。
それが奥に入ってきたら、きゅうきゅうと締まるようになって、抜き差しに負荷をかける。
通り抜けた部分では奇妙な蠕動が起こり、知らず奥へと吸い寄せられていくのだから、挿れているだけで射精感がこみ上げる始末だ。
幼虫の時もこの経緯はあったが、成虫となった今は全てが成熟し、味わいを深くしている。
「み……見事すぎるよ、べすぺ」
「あ……あぅ……あぅ」
本人は褒められても何も言えない、どころかリアクションすらとれないようだった。
ただトールもただではすまない。そうやって黙っているだけでも、もう。
「く……あッ」
びゅるるるッ。びゅッ。
――達してしまった、のだ。
「んひぁッ……え、な、い、今……」
「ぐ……」
腸奥に精が流れてきたのを受けて、べすぺは少しだけ覚醒した。
そのままゆっくりと首を回し、自分にのしかかるトールの顔を見る。
「わ……訳わかんないん……だけ、ど……」
「……俺もわからないから大丈夫」
「な、何が……ッ」
本人に理解できなくても構わない。
今は、そう。するべき事は一つなのだ。
「うぁぁぁぁッ!」
射精の勢いが収まりかけるや否や、トールはまたすぐに突いた。
それでも問題ないくらい、ペニスに血は漲っている。
――いや。問題ないどころか、それ以上に力が溢れてくるのだ。
射精していたその時点で、萎えるどころか滾る気配があったくらいなのだから。
「んぁぁぁぁッ!? んぁ、あ、あうあうあうッ!?」
ストロークは細かくしか取れない。
大きく動くのを許されないほどきつい締め付けである、というのもそうであるし。
べすぺの乱れようが、あまり大きくしすぎると壊れてしまうんじゃないか、と危惧させるほどというのもあるからだ。
「く……うぅ、くッ」
「わ、わかんないッ……な、なんでこ……んぁ、あああッ!?」
何しろ、べすぺが完全に力を抜いてしまっているため、一度突くごとに身体は大きくずれていく。
腰を掴むにしてもどうも位置の関係でやりづらい。――よって。
トールは、べすぺの背中の羽の双方を掴み、軽く引き起こした。
「ちょッ……や、そこ痛ッ……んぁぁぁぁッ! き、気持ちいッ……いけど痛ッ」
「ちょ……ちょっと我慢しててよ、べすぺ」
「我慢って、痛いのと気持ちいいのどっち……ぃ、あうあうあぁッ」
羽を広げるようにして引っ張ると、反射的にべすぺは上半身を持ち上げた。
これでいくらかはやりやすくなったので、腰に力を込める。
そして、彼女の耳元に囁いてやる。
「……この羽の場所から、糸が出てきたんだよね」
「……ッ、やッ……」
お尻をいいように蹂躙されて。
そのせいで、変態が早まって。
結果として目撃された、あの姿――
「だ……だめぇ……ッ」
「……もう一度出すよ、べすぺッ」
「だ、だめッ……」
羽をひっぱり、のけぞらせた体勢にして――
「だめ……なのに、なのにぃ……んぁぁぁぁッ!」
びゅるるッ!びゅくッ!
二度目の腸内射精。が、それと同時に。
「あ……毒……出ちゃう……」
びゅるッ。びゅッ。
その瞬間を、トールはまたしても目撃してしまった。
自身も射精の快楽で、朦朧とすらしていたのだが。
のけぞった体勢で、上を向いていたべすぺの針。その針から。
どろりとした、毒液が――
彼女の絶頂。それとともに。
勢いよく、部屋の壁に吹き上げていったのだ。
「しゃ……射精……じゃないよな。毒だし……」
どちらかというと、いわゆる潮を吹いたという奴に分類されると言えない事も、無い事も無い。
でも多分、どちらにしてもあまり意味はない。
ちなみにこの毒液、目などに入ると失明の可能性が極めて高いので危険である。
正面から浴びせられたら、色々とマズい。
「……そういう体位は、駄目だな。うん。身体に悪そうだ」
淡い決意であった。
が、同時にこれは、今後もやろう、というトールの意志の表れでもある。
一言で言えば、酷い話だ。
「……トール」
「ん?」
後始末をしてやって、部屋の壁も拭いて――近くで見たら壁が少しばかり溶けかかっていた。実に危ない――。
身を整えていたら、べすぺの声である。
「……よくもまあ。ものの見事にやってくれたわね?」
「そうだね」
「……何か、言わなきゃいけないことは?」
「無い」
力強い断言であった。
「無い……って」
「だって、もう、俺に変態見られたことなんて気になってないだろ?」
「それは……」
まあ、それ以上というか。
毒を出すところも見られてしまったので今更というか。
「ちなみに毒出すのは、元々そんなに恥ずかしくもないのよ」
「あれ。そうなんだ?」
「まあ、やろうと思えば任意で使えるし……でもねぇ」
べすぺの羽が振動する。
片方は傷ついているので、容易く浮遊する事は出来ない。
が、それでももう片方だけの力で、うつぶせになっていたべすぺがベッドの上に胡坐をかく姿勢へと変化した。
「……あー。まあ、いいわ。なんか本当に吹っ切れちゃった」
「ほら、ショック療法成功だろ?」
トールはVサインを出してみせた。
しばらく、べすぺはそれを見て考え込んでいたものの。
「……オッケー。トールも段々らしくなってきたじゃない」
この時の彼女の表情は、言葉で表現するのは本当に難しいものであった。
やはり怒ってもいるのだけれど、照れてもいて。しかもどこか、嬉しそうですらある。
それで、最終的には、べすぺもに、と笑って。Vサインを返してみせた。
この日この時、マスコットと魔法少女の間に何かが生まれた。
それが何なのかは、まだはっきりと言葉には出来ないが、きっと大事なものだろう。
「……まあなんですね。あれはいつもあんな感じなんですか?」
「いつもはもう少し控えめに思えましたけれど。でも、そんなですわよ」
「なるほどねぇ。いやぁ。若いですねホントに」
なお、全てのやりとりは隣の部屋のべすぱとのぞみに筒抜けであった。安い宿なので、壁はあまり厚くない。
この二人は、まだ気絶から目覚めないシャークレシアの監視と、目覚めたら尋問を行うという、そのつもりだったのだが。
結局、いまだにちっとも目覚めないせいで、トールとべすぺのやりとりを一部始終聞く羽目になったのである。
「なんですの。その言い方だと、あなたが若くないみたいでしてよ?」
「まあ実際若くないですから私。もうすぐ大台乗っちゃうくらいで」
「大台って……」
べすぱが、指を三本立てて見せる。すると、のぞみは軽く首を振った。
いささか引きながら、べすぺは立てる指の数を一本増やす――と。
「ぴんぽん、ですねぇ」
「……えー?」
「ははは、いやまあ、色々あるんですよ」
話を打ち切ろうとする様があまりに露骨なので、べすぱも追求はしなかった。
ヒトというのはどこまでいっても異邦人。色々あったというからには、色々あったのだろう。
それを追ったところでメリットなどはないものだと、べすぱもそれなりには知っている。
ので、それよりももっと重要な事に目を向けた。
「それにしても、あなたの言葉が全て嘘って可能性もある訳ですわよね」
「ん? あー、まあ、ありますよねそういうの。テキトーにこうやって頼んで、おびきよせて一網打尽とかですか」
「その通りですけれど……あなたの言葉が罠でないかどうか、というとどうも……ちょっとアレですわ」
「それについては信用してもらうしかないですし。ああ、そういえば……」
人差し指を立てて、のぞみは勢い込む。
「上司から言われてたんですが、信用してもらうためにこう言え、と」
「ほほう。なんですの?」
「私たちは困っているので、ぜひ助けてください」
棒読みである。
いまいち心が篭っておらず、本当に困っているのか疑わしくもなるくらいだ。
なのだが、そう言われたとなると。
べすぱは――歯噛みして、のぞみを睨んでいた。
「その言葉……助けを求める声を無碍にすることは魔法少女としてあってはならぬこと……
く、そう言われたら信用せざるを得ないじゃありませんのッ!」
「お、本当にそうなんですね。うちの上司にしては珍しく正しいこと言ってたんですねー」
のほほんとした調子が、ますますべすぱにとっては腹立たしい。
しかしクイーン候補たるものは、この誓いを破ってはならないのだ。
救いを求めるその声。あるいは声にならない叫びを聞いたのならば、即座に手を伸ばすのがたしなみである。
「……その上司とやら。わたくしたちのことを知っているようですわね」
「らしいですよ。昔なんかあったって話ですね。二百年くらい前ですか? その頃とかなんとか」
「二百年……結構な昔ですわね」
「なんか、血液を操る相手となんやかやでアレしたとか。胡散臭いなぁと思ってたんですがねぇ」
べすぱは当惑する。
どうもどこかで聞いたような話だ。確か、それは前回のクイーン候補選定の折。
当代のクイーン、すなわちべすぱ達の母が関わった事件のような――
「まあアレですよ。こっちだって一方的に協力を要請するだけじゃありません。
ちゃんと、こっちからのサポートだって用意してますから」
当惑は中途で打ち切られた。のぞみにとっては、先代の話などあまり関心のない事なのだろう。
実際、彼女からそれ以上の話を聞くのは無理とも思える。
(聞くとしたら、その上司とやらですわ)
心の奥にメモをして、べすぱは改めてのぞみの言葉に耳を傾ける。
サポート――というが。
「具体的にどういうサポートをしてくれますの?」
胸を張って、のぞみはそれに答えを返す。
心臓のあたりを軽く拳で叩き、自信の程をうかがわせた。
「海越えですよ、海越え。うちの本部……ヒドラ島までの足を用意してあるんです。
これはねぇ、びっくりしますよきっと。それはもう凄いですからね」
「……ふう、ん。まあ、船は欲しいと思っていたところでしたけれども」
とりあえず、あまりそれには期待しない事にした。
後に残っているものは、と、まだ気絶したままのシャークレシアがある。
「しかし本当目覚めませんわね。……実は死んでるとか?」
「そんなことないと思いますが、まあ――」
「多分、次回くらいには目覚めるんじゃないですか?」
「……またそういうことを。台無しじゃありませんの」
だそうな。
第6話 終わり
次回予告!
多分覚醒しているであろうシャークレシア。さて、彼女をどうするべきか?
しかし物語はそんなところには留まらず、いよいよ海へと突き進む。
のぞみの用意した足、果たしてそれはまともに使えるものなのか。
そして海。あの世界には、一体何が待ち受けているのであろうか?
次回、魔法少女ホーネットべすぺ第七話、「海中大決戦! きらめく復讐の刃」
誇りあるもの、尊きものを目指して、次週も炸裂推参ッ!