顔のない悪魔
ある休み時間、俺は美術準備室に教材を取りに行くことになった。
「失礼しまっす」
形式的な挨拶をしてがらがらと準備室の引戸を開ける。
「ああ、岩原くんか」
声をかけてきた存在を見て、思わずがたっと引戸に張りついてしまう。
準備室の中に、スーツを着たダンボーが立っていた。
ダンボーがよくわからないという人は、目とおぼしき二つの丸い穴と、口とおぼしき三角形の穴
がくりぬかれた段ボールを、スーツ姿の男性が被っているところを想像していただきたい。
…反射的に体が逃避しようと動いた俺の気持ちがわかっていただけたことと思う。
「どうした、顔色が悪いぞ」
少し落ち着いてくると、ダンボーの中から聞こえてくる声に聴き覚えがあることに思い当った。
「…ノーマ先生、そのショッキングな恰好はなんなんすか…」
そう、普通に考えて準備室にいるのは、美術教諭のノーマ先生に決まっているのである。しかし
ノーマ先生はシャコ頭をしていたはず、一体いつからダンボーにクラスチェンジしたのだろう。
「ふむ、これか。なかなか似合うだろう」
「いや、ですから…」
そうじゃないだろ、と尚も食い下がる俺に、ノーマ先生はふとため息をついた。
「…先日、廊下でばったり出会った一年の女子生徒に悲鳴をあげられてな」
「ああ…」
俺はなんとなく女子生徒の気持ちを察した。たしかに、学校に慣れてない一年生にノーマ先生の
顔はショッキングだろう。しかも出会い頭となればなおさらだ。二年生の俺でさえ心の準備が必要
なくらいなのだから、その衝撃は察して余りある。
「それで、一年生にも親しみやすい仮面教師としての自分を模索してみようと思ったんだよ。その
ついでに遮光性も上げてしまえば、普段のサングラスより過ごしやすくなるかもしれないしな」
そういうノーマ先生の横の机には、バイク用のフルフェイスやらワニの被り物やら、中には○ス
の暗黒卿のマスクや思わず質量のある分身に驚きたくなるデザインの鉄仮面まで、怪しげな被り物
が所狭しと転がっていた。いくつかはお手製っぽいあたりが凝り性のノーマ先生らしい。
「…どれを選んでも外を出歩いたらK察に捕まりそうですね」
「当然だろう、使うのは校内だけだ」
「はぁ…」
校内だったらいいのか。ていうか、あの教頭先生に見つかろうものなら即座にFOBで黒焦げに
されるんじゃないか…?
「岩原くん、君もひとつどうだ?」
「遠慮しときます。しかし、そんなの被ってて息苦しくないんですか?」
「心配ない、通気性は見た目よりいいんだぞ? …それに」
「それに?」
「…なぜだかわからないが、これを被っていると妙に落ち着くんだ…」
もうダメだこの人。
ご満悦のノーマ先生を発生源として、中で盛んに動いているらしい髭が段ボールの内側をかする
カサカサという音が準備室に響く。その音がどうにも黒くて平べったくてつやつやした甲虫を想像
させるので、一般的な女子生徒はこの音でノーマ先生を忌避することになるだろうと俺は予測した。
と、準備室の引戸を開けて次なる人物が登場した。
「父さん、お弁当持ってきたわよ…って、何よそのセンセーショナルな恰好は」
振り向くとそこには、かわいらしい弁当の包みを持った露出趣味タコ女がいた。
…そういや、フーラは家庭の事情でノーマ先生と一緒に暮らしてるって話だったな。父さんとか
言ってるフーラとはなかなかレアなものを見た。
「おおフーラ。どうだ、なかなか似合うだろう」
「…その恰好で廊下を歩いてるのを見つけたら、私家出するわよ」
ずばっと一刀のもとに斬り捨てられ、ノーマ先生がしょぼんとしおれた。
おっと、そういや教材を取りにきたんだっけ。
「先生、色見本ってどこに置いてありましたっけ」
がっくりとうなだれたノーマ先生が無言で指差す。ああ、これこれ。
「んじゃ、お借りしてきます。失礼しましたー」
なんとも不憫な様子の先生を放置して、俺はさっさと用事をすませて準備室を後にした。
「…自信あったんだがなぁ…」
「あら、こっちのクレクレタ○ラの被り物の方がかわいいわよ」
…去り際に少々気になる内容の会話が聞こえたが、気にしないことにしよう。
後日、廊下で黒焦げになっていたノーマ先生が保健室に運ばれたとの一報が入った。
どうやら被り物をしていたようだが完全に焼失していて、何を被っていたのかは判別不能である
とのこと。いずれ教頭先生の美意識に合致しない代物だったのであろう……合掌。