猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

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scorpionfish 第7話 白の舞踏

 


 その世界には音がなかった。
 
 微睡みを促す水音も。
 気遣うようにささやかな、衣擦れの音も。
 ガラステーブルに置かれた硬質な宝石を取り上げる音も。
 
 何もなかった。

 あたしの傍らの寝床は、湿ってもいず。
 灰色に見える鱗がひとつ。
 残されていた。
 部屋を満たす蒼い光は、いつものままで。
 静寂がやけに耳に痛かった。

 ————

 鏡越しに、覗き見る。
 散乱した無数の衣装。真珠貝の宝石入れから溢れ出た装飾品。そして、間近に映る困惑したあたしの顔。
 初めて訪れる見知らぬ部屋。水鏡じゃない、本物の大鏡。
 鏡の端で揺れるピンクのドレスの裾。
 メロディを口ずさみながら、楽しそうに衣装選びをするリテアナさんだ。
 ずっと奥、壁の前で腕組みしているのは鱗鎧姿のセレフィアさん。
 彫りの深い顔に一筋の黒銀髪がかかって、何だか物憂げ……。
 さっきまで時折こちらを見てたけど、今は下を向いたまま動かない。
「やっぱシロちゃんにはシンプルなのが似合うわね」
 リテアナさんは、鏡の前に立たされたままのあたしに次々と衣装を当てる。
 着せ替えショーが始まってから小一時間は経過していた。
 みんな背が高いので、リテアナサイズも、セレフィアサイズも、もちろんファルムサイズも、あたしにはぶかぶか。胸が見えそうになったり、裾を引きずりまくったり。
 その度にリテアナさんは溜め息をついたり、ちょっと喜んだり、はしゃいで見せたり、あげくの果てにはすっかり張りきってしまった。
 対照的に、セレフィアさんのリアクションはどんどん減ってる。
「外を出歩くんだから、耳もつけなきゃね♪」
 耳、ですか。
 さっきから尻尾とか、ケモノ耳とかが出てくるのはそのせいですか。
 ヒレ耳はない。その辺がこだわりなのかなあ。……単に泳ぎがへたくそだからかな?
「やっぱ猫耳とか、かわいいかしら。ねえ、叔母さま」
 急に話を振られて、セレフィアさんが慌てて顔を上げる。珍しく一瞬間があった。
(……寝てたのかな?)
「……そ、それよりも。まずそのヒトの丸い耳を隠す方が先決ではないのか?」
 あたしは思わず、白い髪の上から、ヒトの耳を両手で押さえる。鱗のように丸く手入れしてあるけど、ちょっと長めの爪は、サカナの人には生えないから、手入れが難しい。
 リテアナさんが楽しげにこちらを見る。
 セレフィアさんは真面目な視線を向けてくる。
 二人の視線は温度が違ってて。
 リテアナさんは温かいけど、常にテンション高めを演じてるような感じ。
 セレフィアさんは少し距離を置いたような感じ。
 あたしは周囲を見回して、ツバ付きの輪っかを見つけて被ってみた。
「こんなの、どうでしょう?」
 ええっと、これも落ちものだと思うんだけど……。ツバの部分が一方向で半透明な素材で出来てるの。
 ちょうど髪を押さえる感じになるし、ケモノ耳の接続部分も隠してくれるはず。
「いいわねー♪ じゃあそれに合わせてチョイスしましょ♪」
 リテアナさんの嬉しそうな声に、あたしとセレフィアさんは偶然にも同じタイミングで溜息をついた。

 曲がりくねった路を通り、何度も密閉扉を開けて、たどり着いた場所。
「リテアナおねえさま、おはようございます〜!」
 天井の高い大広間。
 そこには、たくさんのサカナのおねえさんたちがいて、華やかな雰囲気とざわめきに包まれていた。身動きする度にヒレの先が触れてしまいそう。
 みんな、揃いの鱗鎧に揃いの髪型。そして熱帯独特の鮮やかなヒレの形と色。
 ヒレの形も色も、たくさんあるのに、見分けがつかない。
 先に入っていったリテアナさんは周囲に笑顔を振りまいている。
「あの、これって……」
 あたしは入口で気後れして、背中を押すセレフィアさんを振り返った。
「ここでは外しておけ」
 セレフィアさんが、そっとあたしの頭に手を伸ばす。
 ちょっとくすぐったいな、と首をすくめた時に、ネコ耳飾りの重みが頭から消える。
「あの?」
 見上げるあたしに、身を屈めてあたしのポケットに耳飾りを突っ込みながら、セレフィアさんが耳元で囁く。
「ここはケモノ厳禁でな。ヒトの方がまだ都合がいい」
 ハスキーな声。長い黒髪があたしの頬にかかる。
 こんなにセレフィアさんが至近距離なのは初めて。
 ちょっとドキドキしたその時。
 前方から嬌声が上がった。
「セレフィアおねえさまよ〜〜〜!!」
 あたしはびっくりして辺りを見回す。
 な、なに?
 あっというまに、あたし達は囲まれた。
「おひさしゅうございますぅ」
「先頃遠洋より戻りましたの」
 うっとりしたサカナの乙女達が周囲を囲む。
 目当てはもちろん、セレフィアさんで。あたしの事は障害物がある程度にしか見えてないみたい。鱗鎧を着てなければ、……えーっと、何だっけ……。ジョシコーのノリ?
「お疲れさま、皆」
 セレフィアさんは慣れた口調で答える。
「お気遣い痛み入りますわ」
「今度お稽古にお付き合いくださいましね」
「暇があれば」
 猫尻尾はそのままに、あたしは人波に溺れかけていた。
「絶対でしてよ」
「セレフィアおねえさま、こっちも見てくださいな」
 完全にずるっと倒れそうな所を、力強い腕が抱き留める。
 あたしは転倒を免れ、上に引き上げられた。
「大丈夫か」
 小声で囁かれる。
 助けてくれてありがとう、という間も無く、黄色い悲鳴が上がった。
「なんですの、あたくしたちのセレフィア様にっ」
「この白いの、くっつきすぎですわ」
 う。
 もしかして、埋もれかけたの、わざと?
 リ、リテアナさん〜。
 あたしは弱々しく助けを求めるように、片手を上げた。
 ヒレに埋もれて、どう見ても指先しか、遥か彼方のリテアナさんには見えなそうだったけど。
「皆さま、こちらに注目」
 こちらに気付いてくれたのか、タイミング良くリテアナさんが声をかけた。
 ざわめきの中をよく通る声。なんていうのかな、人を惹き付ける声。
 鱗鎧の乙女達の関心がリテアナさんに向く。
「定例会議を始めるので、セレフィアも通してあげてくださいな。そのヒトと一緒に」
 セレフィアさんもぴくりとしたのが、引き締まった腕から伝わった。
 あたしはセレフィアさんを名前で呼んだ事にちょっと驚く。
(ヒト?)
(ヒトなの?)
(あ、首の……)
(じゃあ、あれが紅珊瑚の魔女の所の……)
 ざわめきは好奇に変わる。
 セレフィアさんが腕の戒めを解いて、背中をとん、と押す。
 あたしはぎこちない動きで一歩踏み出した。セレフィアさんに押されるようにリテアナさんの所まで行く。
 リテアナさんがいる所は一段高くなっていて、あたしもその横に座らされた。
 セレフィアさんは当然のようにリテアナさんとの間にあたしを挟んで座る。
 クロダイの二人に囲まれて、あたしは否が応でも目立つ事になった。
「それでは定例会議を始めます」
 でも、すぐに会議が始まると、あたしへの視線は、立っているリテアナさんへと向けられた。
 リテアナさんが進行役みたい。
「案内人は報告を」
 発言者が次々に立って報告していく。
 船がどこどこの水路についたとか、どれだけの人数が魔窟に来たとか、それは主にケモノの動向、入窟者に関するものだった。
 船の大きさ。錨の位置。
 ケモノの種族、メンバー構成、積み荷。使った出入り口。取引された品。持ち帰る品と人数。食事の好みから、帰りのルートまで。
 たまにトリの種族の名前も出てくる。こっちは船とは限らないみたい。
 どうやってそこまで調べたんだろうというぐらい、みんな事細かに報告していく。
 それにしても、衣料品、宝飾品、食品とかはともかく、武器とか、防具とか、落ちものとか、魔法何とかとか、何だか聞きなれない言葉も多い。時には言葉の意味すら分からないものもある。
 この前歩いた時には気付かなかったいろいろな物を取り扱っているみたい。
 好奇心にかられて聞き耳を立てていたあたしに、物騒な言葉が飛び込んできた。
「禁輸品を発見しましたので処理しました」
(禁輸品って?)
 あたしはこそこそと脇のセレフィアさんに小声で問いかける。
(水質に影響する持ち込みは禁じられている。水に溶ける薬等は特にな)
 クスリかあ。
 確かに粉末とかが海水に溶けたら大変だよね。
「船と乗員は?」
「処理の際、抵抗されたので制圧しました。乗員の死亡は3名。残りの6名は外洋に流しました」
 え?
「そう。貨物と禁輸品の処理は?」
「いつもの通りに。22番水路に新たな巣が出来ました事をご報告します」
 巣って……。ええと。その、そういう事?
「了承しました。ケモノの種族によっては注意してね」
 ええ?
 リテアナさんもそれで流しちゃうの?
(なんで?)
 小声であたしは呟いた。
(……下らぬ事を口にするな)
 セレフィアさんの押し殺した冷たい声が耳元に響く。
(でも、)
 その時、初めてセレフィアさんがいつもの銛とは違う、刀剣を携帯している事に気付いた。 
 他にも気付いた事がある。
 サカナのふつーの男の人は、魚の頭部を持っていて、ちょっと気持ち悪い。でもそれ故にあたしの目から見ると目立つ。
 でも、ここには、これだけ女の人が多いのに、その姿はない。……そもそもみんな同じ格好で見分けつかないんだけど。
 同じ意味で、リテアナさんとセレフィアさんのような浅黒い肌の持ち主もいない。
 その肌と髪とヒレを持つのは、壇上の二人だけ。
 均質化されたサカナの案内人達。
 ケモノ人への厳しい態度。
 そしてあれ以来姿を見ないあの子。
(ここは、楽園みたいに綺麗だけど、死んだ珊瑚で覆われているように、ほんとは……)
 あたしは、胸元の紅珊瑚のチョーカーを、固く握りしめた。



 赤い色っていうのは、青い光の中では灰色に見える。
 青い光だけだと、ファルムの姿もくすんで見える。
 だけど。
 魔洸燈の白い光も。軸に絵の描かれた蝋燭の光も。ファルムは嫌がって遠ざけた。
 円窓から入る青い光だけを、明かりにして。
 何日も、何日も過ごしていた。
 口紅をつけないファルムの唇は青ざめて見える程白く。
 色のない瞼は、よく閉じられており。
 あたしは、退屈を持て余していた。

 本当に水槽のサカナになった気分だった。

 ————
 
 見慣れない魚の泳ぐ水槽が、目の前にあった。
 そこに映るのは、見慣れない白猫。
 白い猫耳が、ぴょこんと頭の上で揺れる。
 白い尻尾が歩く度にふらふら揺れる。
 胸を押しつぶして晒しを巻いた上に、へそ出しのノースリーブYシャツに、白いホットパンツ。ネコっぽいつけ爪も完備して、あたしは目をぱちくりさせる。
「これでマダラ美少年の完成〜♪」
 あたしにネコ風メイクを施していたリテアナさんがようやく離れた。
 サンバイザーを斜めに被り直して、ケモノ耳のつけねと、ヒト耳を隠す。
 そういえば、これの事、サンバイザーだって、思い出した。
 少しずつ記憶が戻ってきているのかも。
「リテアナさん、これは?」
 目の前の水槽を指さす。
「ああ、新商品用の生け簀よ♪」
 ……サカナの人に、観賞魚という視点が、あるかなと思ったのが間違いでした。
「準備は出来たか」
 着替えに行っていたセレフィアさんが戻ってくる。
 男装だ。やはり帯刀している。
 よく見たら、より美青年ぽく見えるようにメイクをしている。
「ううん、まだ半分ですわ、叔母さま」
「見ればわかる」
 セレフィアさんが、リテアナさんの髪を結うのを手伝う。手慣れた感じでアップにすると、今度は鏡台の前に座ってお化粧を始めた。
 ……いつもと違って、明らかに濃い。
「あの、なんでそんなにファルムメイクなんですか?」
 いつもの雰囲気からは一変してゴージャスメイクを施しているリテアナさんが、こちらを見ずに答えた。
「営業用よ。叔母さまの格好も、シロちゃんの格好も」
「営業用?」
 きょとんと、セレフィアさんに視線を向けると、微かに笑いを堪えているのがわかった。
「ファルムメイク……ッ」
 ……そんなにうけたのかな。
「あら、マダムファルムの装いは権威を出すのに有効ですのよ?」
 リテアナさんが口調も服装に合わせ始めた。
「……わかってる」
「嬉しいですわ、叔母さま」
 セレフィアさんは軽く溜息をついて、髪を梳いてやりながら、口元を軽くゆがめた。
「いつもの少女趣味ドレスも計算か?」
「あれは、趣味ですわ、叔母さま♪」
 リテアナさんは、わざと叔母さまと連発して、顔をしかめるセレフィアさんの反応を愉しんでいる。どうも、リテアナさんにやり込められるのがセレフィアさんの常らしい。
 何故か、リテアナさんは微妙にセレフィアさんに意地悪だ。
 セレフィアさんの方は振り回されているのか、それともマイペースなのか。いまいち表情が読めない。元々冷静そうな人だし。
「さっきはね、魔窟のお仕事。今度は商売のお仕事なのよ? シロちゃん」
「商売ですか?」
「そう。さっきのは警備のお仕事。治安を守るのはサカナ人のつとめなの」
「……それにしては、物騒な事言ってた気がしますけど」
 ふと、口をついて出てしまって、慌てて口を押さえる。
「生憎、わたしたちクロダイ族はマダムファルム程、優しくないの」
 リテアナさんがふっと目を細めた。
「リテアナ」
 セレフィアさんがたしなめる。
「あら、叔母さま。……別にわたくし、いぢめていませんわ?」
「だが」
「……少し軽口でも叩いてみたら、過保護に飛んでくるかしら、と思ったのですけれど」
 あたしはうつむいた。
「ご迷惑でしょうか」
「そんな事はない」
 セレフィアさんが即答する。
「……そなたを手離す等、余程の事情があったのだ。そなたの身は我らが責任を持って守る」
 手離す。
 そうなのかな。
 やはり。
「叔母さま」
 今度は、リテアナさんのフォローが入った。
「あ、ああ。……準備は済んだか、リテアナ」
「ええ。……そうそう、シロちゃんに見てもらいたいものがあるのよ」
「? なんですか?」
 あたしは、気分を切り替えて話に乗る。
「こっち、こっち」
 手を引かれて倉庫みたいな部屋に出る。
「これは……」
「落ちもの倉庫よ。マダムファルム程整頓されてはいないけど」
 部屋は、天井も、奥の壁も見えない程がらくたのようなものに埋め尽くされていた。
「……リテアナ、これが次の競売に掛けられるものか?」
「そうですわ。あの『たいやきぷれえと』に似てるでしょう?」
「しかし、これはただ穴がぽこぽこ凹んでいるだけだぞ。あの精巧な魚の彫り物には及ぶべきもない」
 たいやきぷれえと?
 なんか、聞いた事ある単語だなあ。
 あたしは、セレフィアさんの持った物を覗き込む。
 取っ手のついた16個の穴が凹んだ分厚い鉄の板。
 うーん、なんか見覚えがあるんだけど。
 なんだっけ。
「ん? 知っているのか?」
「落ちものの知識が戻ってきてるのね、助かりますわ」
「えーと。んーと」
 これは……。
「多分、たこやきぷれえとだと思います」
「『たこやきぷれえと』?」
「『たこやき』ってなにかしら?」
「油を塗ったそのぷれえとに、粉を溶いた水をいれて、たこのぶつ切りをいれて、串でくるくるまわして焼く物です。出来上がりはまんまるになります」
「まあ!」
「ふむ……。おもしろい。売れそうだな」
 二人は感心した面持ちであたしを見た。
 ……あんまり落ちる前は覚えていないのに、食べ物の事だけは結構思い出すんだよね。
 食いしん坊なのかなあ、あたし。
「ありがと、シロちゃん」
 ファルムライクなリテアナさんに抱きしめられて、あたしは複雑な気分だった。
 同じ巨乳でも、この胸は本物。この胸は本物。
 ……やわらかいなあ……。
「じゃ、本命行きましょう〜♪」
 はっと我に返る間もなく、そのまま、腕を組まれて引っ張られていく。
 後ろからたこやきぷれえとを眺めながら元の位置に戻したセレフィアさんがついてくる。
 魔窟の中は、はっきり言って迷路だ。
 あたしは、元居た水鏡の間が何処の通路だったのかすっかり忘れている。
 倉庫も通ってきたし、帰りも送ってもらう事になるだろう。
 ……でも、あたしは、あの部屋に戻りたくない気分だった。
 今は。
「そうそう、あれをつけないとね」
 倉庫から曲がりくねった裏の路を歩く途中、リテアナさんが仮面を3つ、取り出した。
「そうだな、そろそろ……」
 セレフィアさんが受け取って、青い蝶の仮面をつける。
 鼻筋から目元を隠す仮面を付けると、本当に、いつもとは様子が変わって見えた。
 リテアナさんの仮面は孔雀の羽みたいなゴージャスな羽の仮面。
 あたしのは、目元を隠す、白い仮面。
 ざわめきが上から降ってくる。
 この辺は、もう、吹き抜けみたいだ。
 表の通りの売り声が響いてくる。
 日はとっくに暮れて。
 魔窟の中を照らすのは、魔洸燈。
 ふ、っと目の前に同じく仮面を付けたサカナの女性が一人。
「お待ちしておりました」
「……お待たせ。ショーの準備は整ってる?」
「はい。滞りなく。先程リハーサルが終わりまして、踊り子達も、マダムのお越しを首を長くして待っております」
「そう。……レセ、行きましょう」
 レセ、と言われたセレフィアさんが無言で頷く。
「そちらの……新人は?」
「まだ、お試し期間中なの。今日は見せびらかす玩具」
「承知いたしました」
 あたしは軽く会釈して、二人とともに中に入っていく。
 身分は、一応隠してるみたいだから、あたしもうっかり名前を呼ばないようにしないと。
 それにしても、なんで白猫の姿なのに、新人、なんだろ?
 さっきみたいにサカナ人ばっかりじゃないのかな?

 裏路から入って、何度か紗幕を潜り抜けると、そこは妖しい世界が広がっていた。
 薄暗い店内はいくつか天幕で仕切られていて、珊瑚で囲まれた照明が、穴蔵を照らすようにぼんやりと光っている。
 客同士が素顔を見られないようになっているみたいだ。
 中央には鍵穴みたいな丸舞台に花道がくっついた感じのステージ。
 そこだけが青く浮かび上がっている。
 今は、誰もいない。
 客席は徐々に埋まりつつあって、その誰も彼もが、あたし達のように仮面をつけていた。
 そして、もうひとつだけ、お客さん達には共通点があった。
 ケモノから、サカナまで。
 幅広い種族の、あたしが目にした中でもっとも多種多様な、女性達。
 男の人がいない。
 ここまで挨拶されたのもすべて、サカナの女性スタッフだった。
「楽屋に顔を出されますか?」
「いいわ、今日は連れがいるし。皆やきもち焼きでしょう?」
 妖艶にリテアナさんが微笑む。
 あたし達は、奥まった、薄い紗幕のかかった席に通された。
 水のぽよんとした感触が、座ったクッションから返ってくる。
「マダムっ!」
「お待ちなさいっ」
 サカナの女性スタッフの牽制をよそに、誰かが天幕に飛び込んできた。
 セレフィアさんがさっと立って、剣を侵入者の喉先に向ける。
「無礼な」
「……これはこれは、青き蝶の麗人……失礼を」
 闖入者は一歩後ずさって、優雅に一礼した。
 尾羽がばっと広がる。
 あたしは、ぽかんと口を開けた。
 その柄には見え覚えがあった。 
 さっきから、リテアナさんが身につけている仮面と同じ模様の尾羽。
 その姿は、どう見ても。
 孔雀だった。
「ご機嫌麗しゅう、マダム」
 なんで、海の中の船に孔雀が?
「……はて」
 孔雀男の目がキラリんと光る。
「誰ですかな。その……白ネコは」
 あたしは敵意を含んだ視線で穴が開きそうな程見つめられた。
 セレフィアさんは、先ほどから切っ先を向けたままだ。
「……ふふ、いいでしょう。新しい掘り出し物なの」
 リテアナさんがあたしを後ろから抱きすくめて微笑む。
「マダムの寵愛はこの美しき尾羽のキトラにこそ相応しいもの……。お戯れも程々に」
 な、なんかものすごく牽制されてる。
 セレフィアさんが居なかったら、今すぐ襲いかかられそうな、そんな視線。
「では、もうすぐショーの時間ですので」
「ええ。愉しみにしているわ」
「光栄至極」
 孔雀男はばっと尾羽を閉じて、天幕から出て行った。
 あたしは緊張が解けて、クッションに沈み込む。
「ごめんなさいね。わたくしの美しさが罪なのだけど……」
 しれっとリテアナさんが言った。あまりにも演技っぽく。
 セレフィアさんが剣を鞘に戻す。
「戯れが過ぎるぞ」
「そうですわね」
 あたしは毒気を抜かれて喋れない。
「……そろそろショーの時間ですわ。……思う存分、当倶楽部青珊瑚の名物ショーを楽しんでね」
「くらぶあおさんご?」
「この店の名だ。オーナーはそこに」
 リテアナさんがにっこりと微笑む。

『今宵も集いし淑女の皆さん、お待たせいたしました。開演でございます。……当倶楽部の誇る、いずれも劣らぬ美丈夫達の競演をお楽しみください!』

 照明が変わる。
 音楽が鳴った。
 舞台に、数人が躍り出てくる。
 色とりどりに着飾った、男の。
「あ、あの。あの人たちは……?」
「当、倶楽部青珊瑚が誇る、踊り子達よ? 選りすぐりのケモノとトリなの」
 確かに。
 そこにサカナの男の人はいなかった。
「ここは一体……」
「淑女のための社交場。……まあ、ほかにケモノのオス向けの施設はいろいろとあるの。でも淑女専用はうちだけよ」
 リテアナさんが囁くように言った。
 天幕の向こうは、女性達の熱気と嬌声で満ちあふれていた。
「まあ、皆訳ありの子達ぞろいなのだけど、お客様達には好評なの」
 そのうち。
 あたしはもっと、唖然とする事に出会った。
 ショーに出ている男の人達が、次々に脱いでいって、最後にはパンツ一枚になって踊るのだ。
「これって……」
「ストリップよ。当然」
 セレフィアさんも無言で頷く。
 よく見ると、かなり食い入るように眺めている。
 あたしは、なんだかついていけなくて、出された飲み物を飲んでいた。
 甘くて口当たりがいいけど、ぽーっとするなあ。
 横に目をやると、セレフィアさんの前には空になった杯が幾つもあった。
 いつのまに飲んだんだろ。
 それに。なんだかいつのまにか、微妙に周囲が酒臭いような……。
 リテアナさんの方は一杯もまだ空いていない。

『お待たせいたしました、次の登場は、当倶楽部青珊瑚の誇る華麗なる2対の翼! トキオとキトラ!』

 ん?
 にゃんだか、聞き覚えのあるフレーズが。
 ステージに大きな的が引き出されてきた。
 その横から、さっきの孔雀男が現れ、優雅に一礼する。
 身につけているのは食い込みそうなハイレグパンツだけで。
 その羽毛はつやつやと照明を浴びて美しい。
 尾羽を拡げると、客席から溜息が漏れた。
「麗しの御婦人方、今宵もこの美しき尾羽のキトラは、皆様に恋い焦がれておりました」
 そう言いながらも、視線をちらりとこちらへ向ける。
 リテアナさんは何処から取り出したのか、羽仮面と同じ扇を持って仰いでいる。
 それを目に留めたのか、一瞬孔雀男の体が歓喜に震えた。
「この美しき尾羽のキトラ、皆様の為に今宵の勝利を捧げます!」
 正面を向いて宣言する。
 なんか、すごい分かりやすい人だ。
 それでも、今ので感激した客が居たらしく、歓声が上がった。
「キトラー!」
 ……ついて、いけないかも。
 
 そして、反対側から、やたら派手な照明を浴びて現れたのは。

 ふんどし姿のニワトリ男だった。



 あたしは、どのくらい固まっていただろう。
 ニワトリ男は、変わらずマッチョで。
 いやに紅白のストライプのふんどしがよく似合って。
 まわりで、孔雀男が対抗するようにくねくね歩き回って。
 牽制をものともせずに、花道の前まで堂々と歩いてきて、一礼する。
 そのあいだ。
 あたしは固まっていたらしい。
 花道の先頭まで来た時に、ようやく、反射的に体が動いた。
「どこへ行きますの?」
「いや、その、えーと」
 忍び足のつもりなのに、ぐるんと回って一回転。
 リテアナさんの膝の上に倒れ込んだ。
 ああ、今日は化粧濃いなあ。
 孔雀の羽の仮面越しでも、それが分かる。
 まるでファルムみたい。
 結い上げた髪がきらきら光ってる。
 紫のホルターネックドレスの胸元は、雫型に開いていて。
 そこから、おっきな胸の谷間が、こぼれおちそう。
 頭の下の、膝の感触。
 なんだか、ここちよい。
「大丈夫か?」
 あたしの顔を、のぞき込んだ、レセさんの顔。
 半分は青い蝶の仮面で隠れてる。
 セレフィアさんなのに、レセさんの時は、まるで男の人みたい。
 腰ビレの位置までスリットの入った青のロングチャイナを着て、左の胸に皮の胸当て。
 二人とも、シンクロの選手みたいな、しなやかな体つき。
 そして、艶めかしさと、凛々しさ。
 たたえているものが違う。
「……でもっ」
 あたしは。あたしを見下ろす二人の間に挟まって、視線を走らす。
 傍には小さな珊瑚ランプだけ。
 遠くの舞台は明るいけど。
 客席は暗い。
「大丈夫だ。今のお前は何処からどう見ても、新人の白猫マダラだ」
 レセさんが言い聞かせるように、あたしを元通り座らせる。
 猫耳尻尾をつけているのは、ヒトだってばれないため。
 男の子の格好をしているのは他の人に正体がばれないためと、ここに連れてきやすくするため。
 わかってる。わかってる。……でも。

 怖い。

    怖いのは、あのニワトリ男じゃない。
 
 怖い。

     怖いのは、あの時のファルムの顔。

『さて、皆さんご存知の通り、この二人は半ば憎み合う関係にございます。理由は当倶楽部青珊瑚のオーナー、マダム青珊瑚の歓心を買いたいとの切なき男心』

 花道の先頭で、二羽の鳥は向き合った。
 にらみつけるポーズ。
 尾の短い片方は演技。尾羽を広げる片方は本気。
 そんなずれ具合に、あたしは、いつしか食い入るように、舞台を見つめた。
 あれ? 二人とも、股間のふくらみが無い。
 両脇の二人に尋ねたいんだけど、恥ずかしくて言えない。
「ん? なあに?」
 リテアナさんが振り向いてくれる。
「あの、その、……あれ」
 うう、言いづらい。
 赤面しながら小さく指差すと、リテアナさんはようやくわかってくれた。
「サカナとトリは普段はああなのよ。だって泳いだり空を飛んだりする時に邪魔でしょう? まあ、我が一族はちょっと例外だけど」
 女の子になったり男の子になったりするのは、確かに特殊そうです。
 銅鑼が鳴らされて、今まで登場していた踊り子達が、ステージ奥から2列に分かれて走って入場して来た。
 向かい合う二人のトリをよそめに、花道へと進み出て、最後の踊りを踊る。
 そのうちの数人が、踊りながら小さな的を左右に並べて、その下にしゃがみこんだ。
 奥の幕から躍り出てきた二人のケモノが足早に駆け寄って、何かキラキラする物を、トリの二人に渡す。
 音楽が奏でられ始めた。
 ぼーっと立っていたニワトリ男が、ずっと睨みつけていた孔雀男の視線に、頬をぽりぽりと掻いた。

『では二人の妙技をとくと御覧あれ!』

 司会さんの声が響く。
 孔雀男が優雅に一礼して、奥へと走りながら、手に持った何かを、花道の右側の的へと投げる。
 仮面の淑女達の溜息が漏れた。

『的中、的中、的中です!』

「至極当然」
 孔雀男が優雅に一礼する。
「さて、次は貴様だ、刻男」
 孔雀男がニワトリ男をびしっと指差した。
「この美しき尾羽のキトラの華麗なる手技に敵うはずも無いが、今宵はマダムの御前、良い気分だ。敵前逃亡を許してやらなくもないのだぞ?」
「キトラーっ!」
 やはりついていけないかも。
「いい」
 やる気の無さそうな感じで、ニワトリ男が、投げナイフを構えた。
 曲が変わって、パーカッションだけになる。
 ニワトリ男はそのまま身を沈め、羽ばたいた。
 銅鑼が鳴り響く。
 ニワトリ男はナイフを投げずに、跳躍で的をすべて一撃で蹴り落として、花道中央に降り立った。

『……華麗なる足技です! 皆さん拍手を、拍手を!』

「刻男、反則だぞ!」
 孔雀男がわめく声が拍手にかき消されかける。
 拍手もやむと、再び照明が二人のトリに集まった。
 暗い照明の中、破られた小さな的を男達が片付け、去っていく。

『演舞はお楽しみ戴けたでしょうか』

 司会の声が響く。
 ニワトリ男は無言で、舞台奥にいる孔雀男にこちらに来るように促す。
 渋々と言った感じで孔雀男も花道の先端までやってきた。
 照明が、舞台奥の大きな的に集まる。
 よく見るとそれには、手足首を止める枷がついていた。

『いよいよ、本日のメインイベント、人間射的にございます!』

 ぐるぐるそれを回されると、あたしの視界もぐるぐる回る。
 なんだか、変。
「あら、甘いお酒に酔ってしまったの?」
 甘いお酒が、お酒?
 ああそっか。さっき飲んじゃったんだっけ。
「うふふ。かわいらしいこと」
「待て、何を……」
「決まっていますでしょう? 的ですわ」
 あれ?
 なんかあたし運ばれてるみたい。
 くらくらする。
 ふらふらする。

『おお、本日の的は、新人マダラ猫美少年、シロくんです! 皆さま拍手でお出迎えください』

 かちゃ。
 そんな音が耳の傍で響く。
 うーん、そんなにばんざいさせても何も出ませんよ?

『さあて、当倶楽部の華麗なる軽業師達の競演をとくと御覧あれ!』

 照明が、あたしを照らす。
 視界が白く埋め尽くされる。

 ここは、どこ?

 舞台の上?

 くらんだ視界が元に戻ると、客席の遠くが見えた。
 あたしを見上げる、人、人、人。
 みんな女性のお客様。
 小さな珊瑚ランプに照らされて。
 あたしの全身を眺め回す。

 その手前には、二羽の鳥。 
 気障に尾羽を整え、獲物を構える孔雀男。
 相変わらず何考えてるんだから分からない、ぬぼーっとした表情で、こちらを見つめているニワトリ男。
 二人の手には、いつのまにか新しい、ダーツ。
 それぞれの羽根の色をした、それを、10本ずつ。

 あたしが、的?

 考えが追いつかずに、あたしはまばたきをした。
 的がぐるぐる回転する。
 あたしの視界もぐるぐると。
 加速をつけて回っていく。
 そんな中に、焦点の合う席があった。
 円卓の向こうからこちらを見つめている、清楚そうな美人。
 魔洸照明の中で銀髪に見える、ストレートの白い髪。
 光沢のある羽の仮面は、その下の薄薔薇色の頬を引き立てて。
 桜色の唇は、柔らかそうで。
 銀の糸を編み込んだ袖のない服を着ていた。
 ただひとつ、上品な装いとも、清楚そうな面立ちとも、相反して引き立つのは。
 耳の上から生えた、ねじれた角。
 舞台上のあたしと目が合うと、その人は優しげに、にっこりと微笑んだ。
 あたしは、一瞬自分が的になっている事を忘れた。

 瞬間。
 あたしの真横を、羽のダーツが音を立てて、あたしの後ろの的に突き刺さる。
 髪が舞った。
 でも、それ以上、あたしには触れずに。
 回転する的がゆっくりと止まるころには、あたしは、まるで周囲を縫い止められたような格好だった。

『ただいま計算中です! しばらくお待ちください』

 さざ波のような拍手の広がる中、あたしはスタッフさんに囲まれて、周囲の羽ダーツの数を数えられる。
 
『キトラ! 7本!』

 おお、という声が上がる。

『トキオ! 9本! この勝負、見事トキオの勝ちです! 皆さま暖かい拍手をどうぞお願いいたします!』

 賛辞の拍手。
 それに包まれながら、あたしの視界は、ゆっくりと降りてきた幕に閉ざされていく。
 改めて鳴り始めた音楽とともに、中央で二人が踊り始めた。
 今まで出てきたケモノ&トリダンサーズが勢揃いして、舞台の両袖を飾る。
 回転しながら飛び上がり、舞いながら、どんどん距離を縮めて、互いに触れる直前で飛び退く。
 あ、孔雀男の尾羽ってほんとは尾羽じゃなくてその前の羽なんだ……。
 幕が下りきる前に、遠く、それぞれ思い思いの客席へと散っていく踊り子達の後ろ姿が目に入る。

『本日のいたいけな的、シロくんが退場します! 皆さん、拍手でお送りください』

 これも、暖かい拍手。
 いや、いらないから。
 この視界がぐるんぐるんするのを、どうにかしてください……。

 そこで、あたしの意識は途切れた。。
 
 
 
 
 

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