羊と犬とタイプライター よくわかるこれまでのなれそめ
いぬのおまわりさんは働き者です。
きょうもねこの国との境ちかく、ネズミも住まない赤茶の荒野を、
ツギハギだらけの乗合馬車でがたごと行きます。
いぬのおまわりさんは働き者です。
およめさんももらわず、楽しみと言えばコーヒーを飲むことくらい。
だからこれまで、お仕事以外、まして自分の楽しみのためなんかに、
新聞や本を読んだことなんてありません。
ガタゴトガタゴト、乗合馬車は犬の王都を目指します。
いぬのおまわりさんはお仕事の帰り道。
だからこの馬車に乗り合わせたのもただの偶然で、
けして王都になんかたどり着けないなんて知りません。
知らないので、たとえば他のお客と楽しくお話しても
まったくちっとも構わないのです。
向かいに座ったのは猫の商人と雄羊のマダラの二人連れ。
猫は無愛想、羊はへらへら機嫌がよくて、
めずらしい品物をいぬのおまわりさんに見せてくれます。
がたがたごとごと、馬車は荒野を進みます。
ふんわりと、ふしぎないいかおりがしましたが、
おまわりさんはしらんぷり。
いぬのおまわりさんは働き者です。
お仕事以外で本なんか読んだりいたしません。
けれど幸か不幸か、読んで楽しい本があることはつい最近知りました。
いぬのおまわりさんは働き者です。
たくさんのつらいこと、かなしいものを見てきました。
だからとてもおどろいたのです。
本の中には、もっとつらくてかなしいことが詰まっていました。
ほのおが、ごうごう、空を焦がします。
おんぼろの馬車はバーベキュー。
さわがしいいぬのこども、わかいカップル、きむつかしい年寄り、
無愛想なねこの商人も、みんな一緒にほのおの中。
いぬのおまわりさんは働き者です。
おしごとをなまけたことなどありません。
きょうもねこの国との境ちかく、だぁれも見てない荒野の中で、
きちんとまじめにオツトメします。
けれど何の間違いか、ふと思ってしまったのです。
つらくてかなしくて、どうしてか面白くて、だけどとてもやさしい、
この手書きの本の。
まだ書かれていない、つづきがよみたいな、と。
いぬのおまわりさんは働き者。
まいにち鍛錬を欠かさなかったので、おまわりさんは助かったことになりました。
国の境の赤茶の荒野の、だれもしらない秘密のできごと。
荒野のとうぞくたちには血も涙もありません。
いきのこったニンゲンは彼だけで、あとはみぃんな死にました。
「あっれ? なあちょっ待ってそこの、ねえ旦那! ケーサツの旦那っしょ!」
なんにちもなんにちもトリシラベを受けたあと。
やっとお日様の下に出てきた雄羊の角の若者が手を振りました。
いぬの王都の軍部の前で。
いぬのおまわりさんは、しらないふりで振り向きます。
おたがい悪運が強いねと、陰気に笑う偽の羊に、いやほんとにと生返事。
だからいぬのおまわりさんは知りません。
羊が猫のことでどれだけ泣いたかだとか。
ずっと後になって、あの旦那はほんとにバカだねと呟いてることだとか。
羊の仕事は本を書くこと。
本をつくるのはほかの誰かのおしごとです。
まだいぬのお店にない本を、とても面白かったとわらういぬなんかいないのです。
たとえば、はじめから猫と羊のことを知っていて。
もっと知るために、おしごとで読んだ怖い狗のほかには、だれひとり。
ひみつをのぞいた者は、黒コートにつれていかれてしまいます。
その黒コートは、いぬのおまわりさんと、きっとおんなじ顔をしているのです。
だから羊は知っています。
いぬの嘘と裏切りに、羊がまもられているということを。
わたくしたちの知っている犬は羊を護るものですが、
この二人はどちらもニセモノですので、どうなることかはわかりません。
ほんとうはいぬでもおまわりさんでもないイヌと。
ほんとうは男でもニンゲンでもない生き物と。
これは、そんな嘘つきの二人のお話です。