猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

carnaval・裏

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羊と犬とタイプライター/carnaval・『裏』

 

 やあ、貴方が拾ったのですか?
 いまここで?
 凄いな。羨ましい。そんな幸運が本当にあるんですね。
 おめでとうございます。
 ところで、ものは相談なのですが。
 そのヒトメスを僕に売ってくださいませんか。
 死んだ幼馴染にそっくりなんです。
 おいくらですか。
 まだ躾もすんでない。
 ええ、まったく構いませんよ。
 現金で……ではどうでしょう。
 ………ああ、譲っていただける?
 ありがとうございます。心から感謝します。
 ………可愛がる?
 もちろん可愛がりますよ。
 さっきの話なのですがね。
 僕の死んだ幼馴染。
 そいつは金持ちの子でね。
 飼ってたヒト奴隷をいじめるのが大好きだった。
 いじめ殺したヒトの怨念で、今度はヒトとして生まれてきたのかと。
 ふと、ね。そんなこともあるんじゃないかと、思いまして。
 ………本当に、よく似ている。
 この、言うことをいかにも聞かなそうな面構えと言い。
 僕の家は当時とても貧しかった。
 僕は影でよくいじめられていたんです。
 じつに、躾甲斐がありそうだ。


 

 すっかり馴染んだ角部屋の下宿で、私は革トランクに荷物をまとめている。
 私物は少なくない。
 衣服に、生活雑貨。
 お気に入りのペンや、ランプ、マグカップ、そのほか諸々。
 本棚等の大きな荷物は、諦めて処分するしかないだろう。
 一番重くて、一番大切なのは、タイプライター。
 他の全てを諦めても、これだけは持って行きたい所だが。
 でも、私物をまとめる猶予を与えられたことだけでも、充分に喜ばなくてはいけない。
 タイプライターは魔滉式で、魔法の使えない者でも使える優れものだ。
 これを探し出して買ってくれたネコはもう居ない。
 思えば、あの男は私にとって、じつに『いい飼い主』だったのだ。
「家事とか、オレできねぇしなー……」
 荷物をまとめるはずが、逆に惨憺たる有様になりはてた室内を見回す。
 掃除とか片づけは苦手だ。
 料理もできない。
 イヌの国では手に入りにくいマッチでストーブに火を入れるあたりが精一杯。
「……オレみたいなの飼って、いったいどんな仕事させようってんだろうね。…あー…」
 ナニもどうもない。
 ヒト奴隷の価値なんて、用途なんて、『穴』さえ開いてりゃ勤まる。
 知性も人格も関係ない。
 それは私にとって死亡するも同然で、同時に気楽でもある。
 仕事が勤まるということは、ただ飼われて養われていることより、ずっと楽だ。
 奴隷でもないのに、自ら性を売る女なんて、いくらでもいるのだから。
 トランクを漁る手が止まる。
「……オチ研かヒト牧場のほうが、まだ、マシだったよな、……きっと」
 切り捨てたはずの後悔が、いまさらジワリと這い上がる。
 奴隷として『物』扱いされるよりは。
 まだ、自らの意思で選んで身体を売るほうが、いくらか『人間』らしいじゃないか、と。
 例えソレが、どれだけ肉体的に精神的に過酷で、磨り潰されるような日々であっても。
 選べるのなら、人間として、そちらを選ぶ。
 その選択を誰が止められるのか。
「………将来設定、大狂いだ。あーあ」
 嵐の後みたいになってる荷物を放り出して、マッチ箱を手に取った。
 とっておきの香をひとつ、火にくべる。
 エスニック風の香りがたつ中、慣れたベッドに横になった。
 ちょっとだけ休憩。
 そろそろ日も暮れるしおなかも空いたし、体調だって良くないし。
 このベッドとも今夜でお別れなんだから、少しくらい名残を惜しんでも罰は当たらない。
 ………そう云えば、今日は昼前から何も口にしていない。
 面倒くさい。
 一文無し同然の私でもパンの一切れくらい買う小銭は持っているけど。
 身体が重い。何もしたくない。
 ―――――あたま、いたい。おなか、いたいな。
 くらくらする。
 風邪でも、ひいたん、だろうか。
 ………こまったな。風邪なんか引いたら、私、値段が下がっちゃう。

 どんどん…どんどんどん。

「おい!? オツベル? どうした、何かあったのか!?」
 聞きなれた声が遠くに響いた。

 

 

 選択肢を選んでください。

    >>偽羊の好感度が85以上、またはアイテム『ショコラトル』を獲得している。 →777へ進め。

    >>偽羊の好感度が84以下である。 →666へ進め。

 

※666

「うう……めそ…もそもそ…ひっく…」
「あらまあ。それは大変でしたわね」
「しくしく……もぐ…えうー」
「でも、今朝方よりずいぶんと顔色が良くなってますよ。痛いぶん、よく効いたんでしょうね」
「…………ずびー」
「お引越しのしたくなら、声をかけてくれればお手伝いしましたのに。重かったでしょう、この荷物」
「………もぐ…しく…」
「オツベルさんがいなくなったら淋しくなります。また遊びにいらしてね」
「…………くすんくすん…」
「お待ちしてますからね。そうそう、ところでオツベルさん、はいこれ、プレゼントです」
「………?」
「消臭効果をうんとアップした生理用ナプキン、一年分。お香って、意外と匂いは誤魔化せないんですのよ?」
「…………ふ、うう、はぅぅぅんんん管理人さぁあああんっ(ひしっ)」
「ええ、あの人なら大丈夫、以前に怪我をしたので鼻は悪いと仰ってましたから。このナプキンはイヌの国で
作られたものだから、これなら絶対に匂いではわかりませんからね。あちらに行っても元気で過ごしてくださいね」



『ねー旦那ー。あのさー、王都で一番の妓楼ってやっぱ●●●とか●●あたりー?』
『…待て、待て待て待て、それ聞いてどうする気だ行く気かナニする気だ!?』
『ナニって………えへへ。取材ー?』
『ばかやろ、お前みたいな……女みてーなのはだな、踏み入ったとたんに引ん剥かれて
 前から後ろからヤられるのがオチだ! いいな、近づくな、絶対行くなよ!』

『……というわけで、旦那が教えてくんなかったから自力リサーチで行って来たよー。
 ほいお土産、お友達ご優待割引券♪ 良かったねぇ旦那ぁ、今度行ってくりゃいいよー?』
『ななななななんだとぅーーー!?』
『ぎゃああ!? ちょ待、すとっぷギブギブ! ひっぱんな痛い脱げる脱げる!』
『おおお…おおおおおぅぅ…(号泣)駄目なのか…!? 前から後ろからヤられちまったのかー!?』
『誰がだバカ! ふつーに取材して来ただけだっ! すげえいい人だったぜ"桃色ラビット"のママ』
『ウサギの商売女にいい人もわるい人も関係あるかーーーー!!!』
『なぁに堅苦しいこと言ってんだよいい年した男が。軍の上部の常連客ちょー多いらしいぜぇ?
 んーと、ほれ●●の●●●とか●●●●なんかが週に一度は通ってるらしいし?』
『……●●●●大佐ぁーーー!??』
『オトコって虚しいイキモノだよなー。ひゃひゃひゃ。ちなみにママはマダラなんだってさ、これ秘密』
『…………嘘だあーーーーーー!!!』
『っるせぇよ!? って、やっぱ知ってんじゃん顔見知り? 常連? しょっくぅー? 大丈夫ー、
 前の快楽は十二歳で極めちゃったから、魔術でチン●封印して、後ろの頂点を極めてるんだって☆』
『………。…………………。うう………ううううううう……(すすり泣き)』




「ええと……おかえりなさいませ、ごしゅじんさまぁ?」



「………以上の38点により、本官に任じられた任務は通常考えうる常務を著しく離脱しており、
このたびの失敗は任務を命じた上官殿にもあるものと……ええと? あ、あのな、なんだこの
達筆すぎる反省文じゃない物は?」
「反省文っす先輩! ねーちゃんと徹夜で書いたっす!」
「今度はねーちゃんてお前。……あ、いや待て、お前んとこは嫡子の息女ひとりだけじゃ」
「ねーちゃんはねーちゃんっす。妹は本当は妹じゃないけど妹っす。養子に来たときに、これからは
親戚なんだから、ワタシのことは妹だと思えって言われたっす。おれ言いなりっす。養子きびしいっす」
「………確か、お前んとこの親戚筋で妹なんて年頃って言ったら、二代前に入台……ああ!
 言うな! いい、言わなくてもいい! 俺は何も聞かなかったー!」
「でも妹もねーちゃんもおれのことが嫌いなんっす。おれねーちゃんにもいじめられるっす。
うちのキー坊に悪い虫がついたって言われるっす。ひどいっす、おれ三日に一度は風呂にはいるっす。
ノミなんてついてないっす。ちなみにねーちゃんと妹も仲が悪いっす。おれの部屋は戦場っす」
「………………………。」
「あ、ところで先輩! おれ最近、カノジョが出来たっす! 嬉しいっす! やっと春が来たっす!
 桃色バニーって店のいちばんの売れっ妓っす。バニー戦隊のクリムゾンブラックちゃんっす」
「………それは俺の知る限り彼女とは言わないしお前の人生は常春だしああもう何から突っ込めば…
 って、んん? 待て待て、その店は」
「先輩にだけ教えるっす、本当は誰にも秘密って指きりゲンマンしたっす。あの店の女の子たち、
じつはほとんどウサギじゃないんす。ひみつっすよ先輩、誰にも言っちゃだめっすよ」
「……そりゃ何が哀しくてウサギがイヌの国で売春しなきゃならねえんだよ。カネが目当てなら
ネコの国にでも行くだろうし、本物のウサギならいちいちカネなんかとるか」
「あ、それともうひとつ、もっとすごい秘密があるっすよ!
 おれのカノジョのクリムソンブラックちゃんなんすけど―――――」
「その趣味の悪いネーミングに妙に親近感とか既視感を感じるなあ」
「……じつは、ウサギのつけ耳をつけた、本物のメスヒトなんっす! 名前はユカリちゃ……
 せ、先輩!? 先輩どうしたっすか、どこ行くっすか!? 廊下を走ったら怒られるっす、
 大声出したら叱られるっす、窓から外に出るのはハシタナイっす、せんぱいーーー!??」



よいこの『ちゃんとできるかな』【ソティス幼年期教育現場の教科書より抜粋】

●おとしものをひろったら おまわりさんにとどけましょう。
 おまわりさんがちゃんと もとのもちぬしのひとに かえしてくれます。
 おまわりさんがいないときは おとなのひとに わたしましょう。

●おとしものが みたことのない ふしぎなものだったら?
 それはヒトのせかいの 『おちもの』 かもしれません。
 あぶないのでさわらないようにしましょう。
 おまわりさんか おとなのひとをよんで おしえてあげましょう。

●おとしものが 『ヒト』だったら?
 ヒトはにんげんとはちがう みみ を しています。
 もし『ヒト』のみみをしていたら、くびわをしているか たしかめましょう。
 くびわをしていなくて ちかくに かいぬしがいなかったら
 やさしく て か あし を もって すぐにおうちに つれてかえりましょう。
 かえったら おとうさんか おかあさんにいって くびわをつけてもらいましょう。



 男は下宿の階段を駆け上がり、見慣れたドアを開け放ちました。
 さらりとした風が吹き抜けました。
 あまり昼間には来た事の無い、二階の奥の角部屋は空っぽでした。
 急に部屋が広くなったような気がして、男は立ち尽くしました。
 机もベッドもストーブもそのまま。
 でもベッドマットは窓際の日の当たる場所に斜めに立てかけられていて、シーツと枕は
どこかに出払っているようでした。
 モップがけしたところなのか、板張りの床はうっすらと湿り気をおびています。
 小物や本が詰め込まれていた棚はずいぶんすっきりしていました。
 なにより、雑多な物と、紙束と、じっとりと座り込んで動きそうにもなかったタイプライターが、
ごっそり机の上から消えうせていました。
 冬の間ずっと焚かれていたストーブに火の気はなく。
 灰を掃除したのか、間抜けに口をあけた中すら、さっぱりと空っぽです。
 ひどく絶望的な顔をして、男は一歩、後退りしました。
 それから、落ち着かない風に、喉元や頭をさすって落ち着こうと努力します。
 結局、気持ちは収まらないまま、ガンと壁に拳をぶつけると、来た道をとって返しました。
 本当はどこに向かうべきか、彼は最初から知っています。



【犬と羊とタイプライター/carnaval・裏】 

 

                  ―――――バッドエンド

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

※777


「うう……めそ…もそもそ…ひっく…」
「あらまあ。それは大変でしたわね」
「しくしく……もぐ…えうー」
「でも、今朝方よりずいぶんと顔色が良くなってますよ。痛いぶん、よく効いたんでしょうね」
「…………ずびー」
「お引越しのしたくなら、声をかけてくれればお手伝いしましたのに。重かったでしょう、この荷物」
「………もぐ…しく…」
「オツベルさんがいなくなったら淋しくなります。また遊びにいらしてね」
「…………くすんくすん…」
「お待ちしてますからね。そうそう、ところでオツベルさん、はいこれ、プレゼントです」
「………?」
「消臭効果をうんとアップした生理用ナプキン、一年分。お香って、意外と匂いは誤魔化せないんですのよ?」
「…………ふ、うう、はぅぅぅんんん管理人さぁあああんっ(ひしっ)」
「ええ、あの人なら大丈夫、以前に怪我をしたので鼻は悪いと仰ってましたから。このナプキンはイヌの国で
作られたものだから、これなら絶対に匂いではわかりませんからね。あちらに行っても元気で過ごしてくださいね」

 

 

「ええと……おかえりなさいませ、ごしゅじんさまぁ?」
 数日後。
 あかるく清々しいお日様の下、陰気な顔のマダラの羊が、心底イヤそーに棒読みしました。
「………。」
 対するわんこの旦那、言葉を失います。
 男の夢とか浪漫とか幻想とかの具現の台詞なのに、こんなにトキメキを感じない言い方をするのはどうなんだろうか、
と思っています。
 眉間を押さえて気を取り直します。
「……いや、あのな。なんだそれ」
「だって、………これからそう呼ばなきゃいけないんだろうなーって」
 オツベル、ぶすぅっ、と不本意そうにへちゃむくれています。
 言いたくないけど嫌々だけど仕方ないから言ってやる、という態度ありありです。
 下宿の前庭、爽やかな休日の午前中です。
 少ない休みを返上して、荷物を二階から運び下ろしてくれた男に対する態度ではありません。
 前庭はレンガを敷き詰めたつつましげな道がつき、左右には下宿の家主の育てている蔦薔薇やら家庭菜園やらが
広がっています。
 そんな素敵なガーデンで顔をつきあわせて、一人と一匹は揃って物言いたげな陰気顔です。
「……なんでだよ。だいたいな、お前がそんな、従者とか小間使いとか、そういう柄じゃないだろうが」
「当たり前じゃん。オレ、自由人なの。フリーダムなの。自分自身以外に主人なんて持たない主義なわけよ、判る?」
「なに、妙なこと言い出すなよ。笑っちまうかと思ったろうが。それになぁ」
 前庭に積み重ねた荷物の山を見回して、男はぽりぽりと頭をかきます。
 全部、男がオツベルに代わって運んだ荷物です。
「家賃だって出世払いって決めただろ? ……それに、お前みたいな小食、ひとり居候にしたところで
たいした負担じゃない」
「そりゃ魔法を使う奴に比べたら誰だって小食だっつーの。…つか、イヌの国の食糧事情って魔法を使うのやめたら
けっこう解決するんじゃ……まあいいや。ふーん。じゃあオレ、なーんにも気兼ねせずに、旦那んちで食っちゃ寝
してりゃいいわけだ? ふぅーん」
 ゆーらりゆーらり、棒切れの身体を揺らせて、オツベルは刺々しく言います。
 男は何も言いません。
 その棘が、男に対してではなく、オツベル自身に向けた棘だと知っているからです。
 ヒトのくせに、一般には弱すぎて愛玩家畜として保護されている生き物のくせに。
 オツベル・スタァを名乗るこの個体は、飼われたり養われたりすることを嫌うのです。
 自分自身を養えない自分を、悔しく、憎らしく思っているのです。
「……まあ、俺も半分は宿舎や仕事先で寝泊りするから、家の中に目が行き届かなくてな。
 やりたきゃ掃除くらいしてくれても一向に構わないぞ」
「えー。オレに掃除やらせる気ー? まじ旦那、勇者? 前衛芸術家? 窓拭きとかやったこともねえよーぅ」
 じゃあ大人しく食っちゃ寝しててくれ。
 言いかけた言葉を男は飲み込みます。
 正直に言えば、家に閉じこもって誰にも会わずに寝起きしてて欲しいと思っています。
 イヌの王都は比較的、警察機構がまともに働いているとは言え、ヒトを放し飼いするなど心臓に悪くて
仕方がありません。
 さて、不貞腐れているオツベルですが、文句を垂れる筋合いでないことは重々わかっています。
 ですので、はあ、とため息をついて、肩を落とし、気持ちを固めます。
「……わかってる、ちゃんと」
「じゃあ、光熱費代わりに庭に水やりするってことでどうだ? ここと違って木しか生えてないが、夏場なんかは
水遣りのためだけに戻るのも人に頼むのも面倒で困ってたんだ」
「……みずぅ?」
 何か言いかけたオツベル、きょとんと目を丸くします。
 水やりなんて、オツベルの基準では夏休みの子供の手伝いレベル、仕事のうちにも入りません。
 けれど毎日のそれがどれだけ面倒かと言うことも、この下宿生活で家主のガーデニングを見学して知っていました。
「……水やりで、光熱費代わり? ……他は?」
「他のは、出世払いなんだろう?」
 抜けぬけと言うイヌの顔を、オツベルは不思議そうに見上げます。
 食費に家賃に雑貨諸々。生きていくのは物いりです。
「……ふうん。へえ。ふぅーん」
「……何だ。言っとくがこれ以上は負からないぞ」
「んーー。まあ、そのくらいなら、やってあげてもいいけどー。……水やりってさ、『朝』起きてからでいいんだよね?」
「バカ抜かせ。夜中に水なんかやったら凍るし、夏場は湯になって木が傷んじまう。早寝早起きの習慣をつけろ、このモヤシ」
「えええー!? ぶーぶー、文筆業は夜じゃないと仕事進まないよー!」
「知らん。部屋にカーテン閉めて仕事すればどうだ?」
「えええええー!?」
 大げさに不満そうにオツベルは声をあげます。
 男は内心ほくそえみながら、知らん振りを決め込みます。
 しばらく不平不満と、いかに夜の時間に筆が進むかを訴えていたオツベルは、やがてげんなりと肩を落としました。
「おうぼう家主ぃー」
「文無しに部屋を貸す優しい家主に何を言う」
 これで話は着きました。
 庭に下ろした荷物の山の中、貸し荷馬車の到着を黙って待ちます。
「……ねー。旦那んちって、どんなのー?」
「どんなのって言われてもな。ここよりは小さいよ。今はほとんど使ってない。…んー、俺の親父の代の……」
「ああ。妾宅」
「っ。お前、なんでそういうのにだけ勘が鋭いんだよ!? ……いや、第一違う。妾宅に建てたのは爺さんの代で、
親父の代には改装して、末っ子夫婦とか抱えの庭師一家なんかがだな」
「えー、オレあんま街の中心から離れるのやだなー。市場とか新聞屋とか近くないと困るぅー」
「困るーじゃねえ。我侭言うな。市場挟んでここから……反対側だな。距離はそんなに離れねえよ。
あのへんは昔は何にも無かったが、今じゃ猫井の社宅なんかが建って、ここより外食には困らないくらいだ」
「あー、再開発地区ってかんじ? ねー、旦那の宿舎からは遠いんだよね?」
「………まあな。でも、月の半分、いや三分の二くらいはそっちで寝泊りするから」
 というのは嘘です。狭い宿舎のほうが性にあっているので、持ち家には様子見くらいにしか通っていません。
 しかし今後、この居候がいるとなれば、徹夜仕事明けでもそちらに通うようになると、男は己が未来を
正確に予知しておりました。
「ちなみに、小さいけど天然温泉を引いてるから。掃除する気があるなら毎日入れるぞ」
「嘘!? マイ温泉!? うわ、すげーぶるじょわじー! やたー! おんせんー!」
 オツベルの目が輝きました。
 イヌの国は温泉地帯、貧しくても共同温泉でひとっ風呂くらいはなんとかなるお国柄。
 でも内風呂で温泉となると、そう多くはありません。
 簡単にはしゃぐオツベルを見ながら、イヌは満足そうです。
 こほんと咳払いして続けます。
「……ま、ここの下宿の広い風呂に比べたら手狭だけどな、そこは衝動買いのツケで我慢するんだな」
「うぐ」
 別にお前さんのことだからすぐに稼いで取り戻すんだろうけど、だいたい何時の間にあんな大金を
稼いでやがったんだ、林檎いっこも値切ってたくせに、まあお前がちゃんと水やりと鍵の番くらい
勤まるんなら、ずっとあそこに住んでくれたっていいんだむしろいてください、云々。
 用意していた言葉をつなげようとして、その前振りに投げた言葉に、オツベルが固まりました。
「……う……うう」
 しょぼーん、と細い背中が見る間にしょぼくれます。
 あ、あれ、しまった、地雷を踏んだか、と男は背中にたらりと汗をかきました。
 庭先にうずくまったオツベル、地面にのの字なんか書き始めました。
 イヌ国での出版に向けて溜めていたお金と、そのために前借した資金。
 その全てと、生活と、下宿の家賃のための金額を全部つっこんで、オツベルは先日、高い買い物をしたのです。
 男は失言に唇を噛みます。
 出費の痛手は大きく、オツベルはこうして住みなれた下宿を出て行かねばならなくなったのです。
 出版社の印刷機の下に寝泊りするもん、と言い張るオツベルを男が我が家に勧誘するのとても骨でした。
 それは確かに、高くて衝動的な買い物でしたが。
 オツベルならば、オツベルがその場に居合わせてしまったのなら、仕方の無い出費だったと、男は知っています。
 ちりんちりん、と鈴の音が鳴りました。
 ちかごろ流行りの『じてんしゃ』に乗って、玄関先に小さな包みを抱えた男が立っていました。
「お届けものでーす。えー、『ゆかり』さん、ご在宅ですかー?」
「げふ」
 イヌが意表を突かれて吹き込みました。
 オツベルが嫌な顔をして立ち上がります。
「……オレのペンネームだよ。はいはーい。オレのことだと思いまーす」
 花壇を身軽に跳び越して、ぺろぺろと手を振りながらオツベルが駆けて行きます。
 サインして、届いた小さな木箱を受け取りました。
「ぅわおぅ!?」
 受け取ったとたん、その予想外の重みで前のめりにコケました。
 背の低い石塀にぶつかった箱が悲鳴をあげて砕けます。
 がしゃん、とか、ごしょっ、とかいう重い騒音をたてて散らばったのは、箱にみっちり詰まっていた
銀貨銅貨の山でした。柔らかな庭土にぶちまけられた金属片には、金色の物も数枚混じっています。
 優に、小食の羊が下宿代を支払いながら四ヶ月は暮らせる金額です。
「………。」
「………。」
 オツベル、絶句。
 イヌも絶句。
 ぱちくり、と目をしばたかせた届け人、おもむろに帽子を脱ぎますと、そつなくオツベルに手を
差し出しました。
 手の意味がわからなくて戸惑いの顔をしたオツベルですが、長い沈黙のあと、やっと気づいて、どうもと
言いながら手を握り返し、助け起してもらいます。
 腰の土を無意識に払うオツベルに、届け人は帽子を丁寧に胸元に掲げて、一枚の紙片を取り出しました。
「お届け物なら赤犬急便、これ名刺です。今後ともどうぞごひいきに」
「は。あ、はい、ども」
 オツベルは名刺を反射的に受け取りました。
 届け人は深々と頭を下げると、姿勢を戻す動作で同時に帽子をかぶりなおし。
 まったく何事もなかったように自転車に跨り、石畳の路地に消えていきました。
 言葉もなく見送るオツベルたちの視線の先、もう見えなくなった角の向こうで、
遠くにちりりんと鈴が鳴りました。
「………。」
 オツベル、のろのろと足元に散らばる大金に視線を落とします。
 硬貨の小山の中に、ちいさな紙片を見つけました。
 引きずり出してみれば、いわゆるピンクチラシの切れっ端の、その裏側に、殴り書きの
日本語で『今月分+先払い』と書いてありました。
「………。」
 なんとも言えない味のある、疲弊し果てたような陰気な顔で、オツベルはノーコメントです。
 一部始終を見守っていたイヌの旦那、おおまかな事情を察してやはり無言です。
 硬貨の大半を占める銀貨が、午前中の陽を受けてきらきらと輝いています。
 おなじく陽を受けて、庭に出された引越し荷物が、うず高く積まれています。
 荷馬車はまだ着きません。
「………。」
「………。」
 ぴーひょろと青空で鳥が鳴きました。
「……ねー、旦那ぁ」
「……ああ、なんだ?」
 一人と一匹の声も薄っぺらで空々しく響きます。
 世を儚む病棟の美少女のような顔で、オツベルはぽつりと言いました。
「花売りって……儲かるんだねぇ…」

 

 

『ねー旦那ー。あのさー、王都で一番の妓楼ってやっぱ●●●とか●●あたりー?』
『…待て、待て待て待て、それ聞いてどうする気だ行く気かナニする気だ!?』
『ナニって………えへへ。取材ー?』
『ばかやろ、お前みたいな……女みてーなのはだな、踏み入ったとたんに引ん剥かれて
 前から後ろからヤられるのがオチだ! いいな、近づくな、絶対行くなよ!』

『……というわけで、旦那が教えてくんなかったから自力リサーチで行って来たよー。
 ほいお土産、お友達ご優待割引券♪ 良かったねぇ旦那ぁ、今度行ってくりゃいいよー?』
『ななななななんだとぅーーー!?』
『ぎゃああ!? ちょ待、すとっぷギブギブ! ひっぱんな痛い脱げる脱げる!』
『おおお…おおおおおぅぅ…(号泣)駄目なのか…!? 前から後ろからヤられちまったのかー!?』
『誰がだバカ! ふつーに取材して来ただけだっ! すげえいい人だったぜ"桃色ラビット"のママ』
『ウサギの商売女にいい人もわるい人も関係あるかーーーー!!!』
『なぁに堅苦しいこと言ってんだよいい年した男が。軍の上部の常連客ちょー多いらしいぜぇ?
 んーと、ほれ●●の●●●とか●●●●なんかが週に一度は通ってるらしいし?』
『……●●●●大佐ぁーーー!??』
『オトコって虚しいイキモノだよなー。ひゃひゃひゃ。ちなみにママはマダラなんだってさ、これ秘密』
『…………嘘だあーーーーーー!!!』
『っるせぇよ!? って、やっぱ知ってんじゃん顔見知り? 常連? しょっくぅー? 大丈夫ー、
 前の快楽は十二歳で極めちゃったから、魔術でチン●封印して、後ろの頂点を極めてるんだって☆』
『………。…………………。うう………ううううううう……(すすり泣き)』

 

 

「花売りって……儲かるんだねぇ…」

「冗談でもそういうこと言うとな、外国人滞在者保護の立場から、こっちにも考えがあるぞ?」
「考えー?」
「ああ。ヒントを出そう。輝黒鋼製のぱんつ」
「だが断る。……いやそれはマジで断る。あと目、目がマジなのまじ勘弁」
 恐れをなしたようにオツベルはあとじさりました。
 真顔で言い切った男はあくまで真顔です。
 彼はやると言ったらやる男です。
「……まあ、男だし。オレ。…勤まるわけねぇし。あー、オンナに生まれてりゃ良かったなー」
 ため息をつくようにオツベルが言いました。
 オツベルの足元に散らばる硬貨は、オツベルが最近支払った大枚に比べれば微々たる物ですが、
小食な羊ひとりなら、下宿代を支払いながら優に四ヶ月は暮らせる金額です。
 これだけあれば、あとは荷物を元通りに二階に運び込んで、すぐにも今までどおり仕事に打ち込むことが出来ます。
 オツベルはこの下宿を気に入っていました。
 それを、イヌの旦那はよく聞かされていました。
 それなのに、イヌの男は、まだ一歩も動けず、何も言えないでいました。
 やがて、ゆるゆるとオツベルが、ふりむきました。
「………金、出版社とか新聞社に借りてるんだ。前借りで。……それ返せるまで、やっぱりそっち行っていい?」
「……、いいとも。ああ、構わんさ。ど、どうせ遊ばせとくには勿体無いし、温泉あるし、ベッドマット干してきたし」
 カクカクと肯く男、ちょっぴり早口で無表情です。
 背中に隠した尻尾は千切れて飛べとばかりに振れています。
 だってせったく荷物まとめたしー、と面倒くさそうに陰気な羊がぶつぶつ溢します。
 くるりと半回転、ザルとかスコップ借りてくると言って、硬直する男の脇を行き過ぎます。
 通り向けざま、ちょん、と細い指先が男の背に触れ、
「ありがと」
 という小さくてぶっきらぼうな声が残りました。
 背中から大砲でぶち抜かれたような衝撃で、男が今度こそ完璧に固まります。
 軽い足音が遠ざかり、まるでタイミングを計ったように、窓から、お二人ともお茶にしませんかと声がかかりました。
 男が、お帰りなさいご主人様、の代わりに、短いオカエリという言葉を聞くのは、この翌々日のことです。

 

 

「先輩、オンナを囲ったって本当っすか!」
 ごん。ばたん。
 ………。
 窓の無い詰め所の、いつものデスク。
 先輩と呼ばれた男は、一撃でノックアウト、机に鼻面をぶつけました。
 おなじ部屋につめていた同僚たちは、ちょっと自然が呼んでる、自分も自分も、と言いながら
そそくさと席を立っていきます。
 鼻を押さえた男が、ゆっくり起き上がりました。
「……囲ってねえ。あとオンナじゃねえ」
「自分のオンナでもないのに囲ったっすか!? すげぇっす先輩、さすがっす、しびれるっす!」
 だから、世間的には女性じゃないし、囲うとかそういうつもりじゃないし、プライベートだし。
 衝動買いのツケで下宿代も払えなくなった身寄りのない外国人ひとり、顔見知りのよしみで仕方なく、
格安の出世払いで自宅に泊めてやることになった、それだけだってば。
 たくさん言いたいことが浮かびますが、なんだか言葉になって出てきません。
「……あ゛ー……。」
 自分で言いかけた言葉が、嘘でも建前でもなく、ほぼ事実であることに気づいてしまったりもします。
 浮かれて毎日定時で帰宅しちゃったり、夜中に階下の部屋から寝息が聞こえる気がして眠れなかったりとかしていますが、実際問題、パーフェクトにプラトニックです。
 偽の羊が偽であること、性別♀であることの二つは、ごく一部の者しか知らない秘密です。
 だからどうしてこの後輩くんが、そんなような誤解に行き着いたのかは判りません。
 ですが後輩くんは人の話をきちんと聞かない子ですので、この程度の誤認は日常茶飯事です。
 男が訂正するのも疲れて黙っていますと、後輩くん、ますますバフバフでっかい口を開閉して
お喋りを続けます。
「そのオンナもアレっすね! 自分のオトコでもないオトコの家に転がり込むなんて、もう
犯されたいとしか思えないっす! 淫乱っす男食いっす先輩逃げてーーー!」
 がおー、と、乱食い歯を剥いて後輩くんは悲鳴をあげます。
 この後輩くん、スカートはいてる女はみんな強姦願望があると信じてる口です。
「いや………あのな……アレは……そぉいうんじゃないから……いやホントに……」
 なにか目じりに熱いものを感じながら、男は一応、動かしがたい事実を述べます。
「違うっすか!? そんなバカなことないっす!? だって一つ屋根の下に男女ふたりっすよ!?
 そのつもりじゃなかったら何っすかその女!? そこまで先輩の下半身を信頼してるっすか!?
 ありえないっす、男の下半身は別の生き物っす、でも先輩ならありえるっす、さすがっす!!」
 うおー! と、後輩くんは、わけのわからない論理展開を賞賛の万歳で締めくくりました。
「…………下半身に、信頼………?」
 あれー、そうなのかなー、そういうことなのかなー、と、男、後輩くんの勢いに押されて
ちょっぴり考え込みます。
 困窮した末でのこととは言え、男寡の家に転がり込んだ『彼女』のことを、ほんのり疑問に
思いながらも、つい棚に上げていたのです。
 ………いやでもアイツ、女だってばれてないつもりなんだろ?
 あー、でも男同士でも、マダラはホモ殺しだから男だからって信用できない、って言ってたぞ?
 ってことは、えーっと、つまり?
「…………恋人でもない男の家に住むって……手を出されないって信頼してないと、全くありえない…?」
「当然っす! 聖人君子っす! 完璧な信頼っす! 紳士の王様っすよ! ときめくっす!」
「………………。」
 ぼんやりと、男は思案します。
 そういえば、引っ越してから数日、悶々としながら、何故かなんとなく手を出せないでいたのです。
 自分でも、ちょっと不思議に思ってはいたのでした。
 疑問は解決しました。
 そこまで鉄壁の信頼を寄せられているのなら、そう簡単には裏切れません。
「…………あ」
 男はぱくん、と顎を落としました。
 意中の相手と、一つ屋根の下に暮らし始めたのに。
 じつは、今までよりずっと、押し倒しにくい状況になってしまったと、今になって気が付きました。
「でも大丈夫っす先輩! オンナはちょっと強引な男のほうが好きっす! 据え膳食わぬは男じゃないっす!」
「……そ……そぉかな……う…ううう……はっ」
 さめざめと涙に暮れかけた男、はたと気づいて顔をあげました。
「い、いやいやいや、違う、そうだそうだ待て待て待て。あいつ、どんな状況で何度押し倒しても泣くんだよ!」
 悲しい事を口走りながら、男は目を輝かせます。
 ここでない場所、いまでない時を垣間見る悪癖を持つこの男、パラレル世界? で、すでに何度かオツベルを押し倒しております。そして例外なく絶望的な顔で泣かれております。
 男がこれまで手を出すのを躊躇い続けてきた理由の大きなひとつがそれであります。
「押し倒すからじゃないっすかね?」
 男の幻視能力のことも知らないのに、後輩くん、さらりと脊髄反射で答えました。
「……………!?」
 男、愕然と顔をあげました。
 驚愕の表情で、まばたきもせず後輩くんを見つめます。
 その手がわなわなと小刻みに慄いております。
 長い沈黙がありました。
「押し倒すから……泣く………? そんな………バカな……?」
 震えながら、理解を拒否して小首を傾げます。
「ふつーは泣くっす。陵辱行為は女性の尊厳を踏み躙るっす。時代は強姦を超えて合意のうえの和姦っす」
 力強くこっくりと、真理を告げる預言者のように後輩くんが申します。
 雷に打たれたように男はぶるぶると震えております。
「……じ……じゃあ……じゃあ…? 押し倒すのが駄目なんだったら、じゃあ……」
 ふと、男のふるえが止まりました。
 人間、極限の寒さに置かれると、もはや震えることもないというやつです。
 自分の母が実は父だと知った子犬のように、男は自分の動揺にも気づかぬ体で聞きました。
「……じゃあ……俺はどうやってアイツを押し倒せばいいんだろう……?」
 駄目男、ここに極まれりけり。
「まずはお友達からがいいんじゃないっすかね? たとえば」

 

 

「おかえりー。……旦那? どしたの?」
 出迎えたオツベルが怪訝な顔で聞きました。
 玄関に立つイヌは、まるで難破船から帰ってきた幽鬼のような顔をしています。
 血の気のない、とは言っても毛むくじゃらなので顔色など傍目にはわかりませんが、とにかく
不景気な面の男が、おそるおそる片手を差し出しました。
「?」
 ものすごく不審げにオツベルがノートを覗き込みます。
 他の世界で言うところの良い子の学習帳、子供の小遣いで買える白紙のノート一冊。
 質実貧乏なイヌの国製らしく素っ気無いグレーの表紙に、病的に震える文字で
『交換日記』
 と書いてありました。
「………。」
「………。」
 両者、無言です。
 なんじゃあこりゃあ? と問う代わりにオツベルが半眼でイヌの旦那を見上げます。
 男は凍りついたフランケンシュタイン風の濁って瞬きしない目で見つめ返します。
 内心、あれ……俺……いったい何やってるんだろう…と自分でもわかってない感じです。
 うんざりしきった顔で、オツベル、ため息をつきました。
「バカか。どこのちゅーがくせーにっきだよ」
「きゅうん………」
 しおしおしお、と男の尻尾が垂れ下がりました。
 もう生きていく気力もない……という風に肩まで傾く男の手から、ノートが抜き去られました。
「……面倒くせぇなあ。今日なんてオレ、食ったメシと旦那の面が笑えたってことくらいしか
書くことねぇぞ?」
 オツベル、ぼりぼりと頭をかきつつ、億劫そうに言いながら、ノート片手にすたすた歩いていきます。
 男は呆然とその背を見つめました。
 ふと、オツベルが振り向いて男に言うには、
「……旦那。寒いよ。ドアしめてよ」
「……は。あ、ああ、悪い」
 慌てて家に入ってドアを閉めます。
 がちんと鍵をおろして、それから、奥へ振り向きました。
 暗い廊下の奥、オツベルが向かう先の居間から暖かな光が溢れています。
 ただよう匂い、今日の夕飯は近所の食堂の定番スープ、お持ち帰りのようです。
 流れてくる温もりに誘われるように、男は意識せず踏み出しました。

 

 

「………以上の38点により、本官に任じられた任務は通常考えうる常務を著しく離脱しており、
このたびの失敗は任務を命じた上官殿にもあるものと……ええと? あ、あのな、なんだこの
達筆すぎる反省文じゃない物は?」
「反省文っす先輩! ねーちゃんと徹夜で書いたっす!」
「今度はねーちゃんてお前。……あ、いや待て、お前んとこは嫡子の息女ひとりだけじゃ」
「ねーちゃんはねーちゃんっす。妹は本当は妹じゃないけど妹っす。養子に来たときに、これからは
親戚なんだから、ワタシのことは妹だと思えって言われたっす。おれ言いなりっす。養子きびしいっす」
「………確か、お前んとこの親戚筋で妹なんて年頃って言ったら、二代前に入台……ああ!
 言うな! いい、言わなくてもいい! 俺は何も聞かなかったー!」
「でも妹もねーちゃんもおれのことが嫌いなんっす。おれねーちゃんにもいじめられるっす。
うちのキー坊に悪い虫がついたって言われるっす。ひどいっす、おれ三日に一度は風呂にはいるっす。
ノミなんてついてないっす。ちなみにねーちゃんと妹も仲が悪いっす。おれの部屋は戦場っす」
「………………………。」
「あ、ところで先輩! おれ最近、カノジョが出来たっす! 嬉しいっす! やっと春が来たっす!
 桃色バニーって店のいちばんの売れっ妓っす。バニー戦隊のクリムゾンブラックちゃんっす」
「………それは俺の知る限り彼女とは言わないしお前の人生は常春だしああもう何から突っ込めば…
 って、んん? 待て待て、その店は」
「先輩にだけ教えるっす、本当は誰にも秘密って指きりゲンマンしたっす。あの店の女の子たち、
じつはほとんどウサギじゃないんす。ひみつっすよ先輩、誰にも言っちゃだめっすよ」
「……そりゃ何が哀しくてウサギがイヌの国で売春しなきゃならねえんだよ。カネが目当てなら
ネコの国にでも行くだろうし、本物のウサギならいちいちカネなんかとるか」
「あ、それともうひとつ、もっとすごい秘密があるっすよ!
 おれのカノジョのクリムソンブラックちゃんなんすけど―――――」
「その趣味の悪いネーミングに妙に親近感とか既視感を感じるなあ」
「……じつは、ウサギのつけ耳をつけた、本物のメスヒトなんっす! 名前はユカリちゃ……
 せ、先輩!? 先輩どうしたっすか、どこ行くっすか!? 廊下を走ったら怒られるっす、
 大声出したら叱られるっす、窓から外に出るのはハシタナイっす、せんぱいーーー!??」

 

 

よいこの『ちゃんとできるかな』【ソティス幼年期教育現場の教科書より抜粋】

●おとしものをひろったら おまわりさんにとどけましょう。
 おまわりさんがちゃんと もとのもちぬしのひとに かえしてくれます。
 おまわりさんがいないときは おとなのひとに わたしましょう。

●おとしものが みたことのない ふしぎなものだったら?
 それはヒトのせかいの 『おちもの』 かもしれません。
 あぶないのでさわらないようにしましょう。
 おまわりさんか おとなのひとをよんで おしえてあげましょう。

●おとしものが 『ヒト』だったら?
 ヒトはにんげんとはちがう みみ を しています。
 もし『ヒト』のみみをしていたら、くびわをしているか たしかめましょう。
 くびわをしていなくて ちかくに かいぬしがいなかったら
 やさしく て か あし を もって すぐにおうちに つれてかえりましょう。
 かえったら おとうさんか おかあさんにいって くびわをつけてもらいましょう。

 

 

 男は下宿の階段を駆け上がり、見慣れたドアを開け放ちました。
 さらりとした風が吹き抜けました。
 あまり昼間には来た事の無い、二階の奥の角部屋は空っぽでした。
 急に部屋が広くなったような気がして、男は立ち尽くしました。
 机もベッドもストーブもそのまま。
 でもベッドマットは窓際の日の当たる場所に斜めに立てかけられていて、シーツと枕は
どこかに出払っているようでした。
 モップがけしたところなのか、板張りの床はうっすらと湿り気をおびています。
 小物や本が詰め込まれていた棚はずいぶんすっきりしていました。
 なにより、雑多な物と、紙束と、じっとりと座り込んで動きそうにもなかったタイプライターが、
ごっそり机の上から消えうせていました。
 冬の間ずっと焚かれていたストーブに火の気はなく。
 灰を掃除したのか、間抜けに口をあけた中すら、さっぱりと空っぽです。
 ひどく絶望的な顔をして、男は一歩、後退りしました。
 それから、落ち着かない風に、喉元や頭をさすって落ち着こうと努力します。
 結局、気持ちは収まらないまま、ガンと壁に拳をぶつけると、来た道をとって返しました。
 本当はどこに向かうべきか、彼は最初から知っています。

 

 

 ………ああ。先輩、行っちゃったっす。
 まるで鬼神のようだったっす。
 蒸気機関車のようだったっす。
 先輩、せっかく秘密を教えてあげようと思ったのに、聞かないで行っちゃうなんて酷いっす。
 人の話を最後まで聞かないなんて、先輩も仕方の無い子っすねー。
 クリムゾンブラックちゃんは役職名で、ユカリちゃんは源次名っす。
 飼い主の名前から源次名をとったって言ってたっす。
 王都のど真ん中に落ちてきたカノジョを、その場で拾い主から現金で買った大富豪の飼い主っす。
 ああいう店の女の子が、本名をほいほい表に出してるわけないっすよ先輩?
 本当の名前は、ウメコちゃんっだって、おれだけこっそり教わったっす。
 へんな名前っす。ヒトの名前はたいていヘンだけど、とびっきりヘンな名前っす。
 おれがそう言ったら、カノジョ、私もそう思うって笑ったっす。
 いままで他に、正面から言われたことないって言ってたっす。
 きっといままでカノジョが会ってきた奴らはそんなこともわからないバカばっかだったんす。
 すごかったっす、笑顔ちょーかわいかったっす。いつもはずっと怒ってる顔してるっす。
 先輩にも見せてあげたいっす。純正品の『つんでれ』っす。本物っす。ブランド品っす。
 この前、耳飾りをプレゼントしたんす。カノジョが着てる服の色の石のついたやつっす。
 高かったんす、ネコの王女の一人が作ってて、マグロ二匹と宝石と銀のぶんの値段したっす。
 おれボスに保証人になってもらってローン組んだっす。自動引き落としで楽勝っす。
 幸運を招く耳飾りっす。ブッフーの糞を踏むところを鳥の糞で済むようになるっす。
 変動確率操作指定なんとかって魔法がかかってて、もー、ちょーものすごいらしいっす。
 あげたときに、私ピアスホールなんて開いてないって怒って箱ごと投げつけられたっす。
 角がおでこに当たって痛かったっす。涙が出たっす。癖になりそうだったっす。
 次に行くときには棘がいっぱいついて痛そうな薔薇の花束を持って行こうと思うっす。
 先輩は初心者だから、豆腐とかクッションみたいなのから持っていくといいっすよ、…って
 教えてあげたかったっす。はあ。残念っす。でもそそっかしい先輩もかわいいっす。

 

 

「あれ? おかえり旦那、なんだよ今日はちょー早いじゃん。って、うわ何、何何なに!?
 ひぁっっちょっ、うわぁ!? ひゃああああ!? 何すんだ何してんの、きつい苦しいぐぇ!??
 おおおお待て待て待て頼むからちょっ落ち着け落ち着いてお願いお願いお願いーー!?
 つか何、何だよ、うわ、えっ、嘘なんで泣いてるの!? いやおかしい、おかしいから!?
 ………はぁ!? なにが!? いやっ鼻水! はーなーみーずー!? うさぎぃ!?
 知るかよ、なんの話だよ、はあ!? うわそれ何、通信機!? いや待って、いらないから!?
 はかないから、そんな特注の鉄のぱんつとか!? ほらぁ、おるとろすさん困ってるじゃんか!?
 いや金はなんとか都合ついた、って金ならいくらでも払うとかどこのオヤジだお前、ひぃ!?」…

 

 

 

【犬と羊とタイプライター/carnaval・裏】
      ―――――トゥルーエンド

 

 

 

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