猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

万獣の詩外伝06

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万獣の詩外伝 MONOGURUI 006

 
 
━━ Take.2 勝つのが好きなんです ━━
 
―― 本編アトシャーマ取材より一年半前
―― 犬国王都、猫井テレビ斜め向かい大衆食堂
 
 インターネットなんてものもなく、電話やテレビも一部都市域にしか普及していない。
 新聞や広告さえ少し田舎に分け入れば伝達されないような、
 現代日本と比べて遥かに情報伝達や運輸輸送の面で劣った世界である。
 自然大きな都市部ではシーズンを問わず、
 一年中仕事を求め地方から出てきた職探しの人間達によりごった返す事になり、
 求人や新規採用の張り紙が街角に絶える事はなかった。
 
 もっとも、それでも通常の商会や工房のような『手堅い職』につこうと思ったならば、
 江戸時代の日本や中世ヨーロッパの徒弟制度に見られたよう、
 地元の有力者による斡旋などを筆頭とした人脈やコネが大事だった時代でもある。
 何の紹介や推薦もなしに、
 藁にも縋る想いで都市部に出てきた人間がその手に掴める職と言ったら、
 一つはあまり待遇や労働環境も良くない、とにかく人手を要する肉体労働や危険労働。
 そうしてもう一つはよほど大きな――…
 
 
 
「ですが兄貴、本当に天下の猫井なんかで俺らみたいなチンピラを雇ってくれるんスか?
どう考えても場違いっていうか、身の程知らずって感じがするんスけど……」
「まぁ聞け、ちゃんと当てはあるんだ」
 普段は寂静としたオフィス街が、それでもややざわめきを取り戻す昼食時。
 独身ビジネスマンをターゲットにした数多の食堂の一つにて、
 二人のイヌの男性が何やら机の上に色々広げながら会話をしていた。
 見ればヒトの世界でいうシベリアンハスキーに酷似した容姿、
 双方共に凍峰種かそれに近い血統だというのは即座に判別できるのだが、
 性格に関してはどうやら両者の差が激しいらしい。
 片方の大柄な方が『いかにも凍峰種』な豪快かつ陽気な性格をしてるのに反して、
 もう片方のやや小柄な方はどうもおどおど、気弱に見える。
 
「なんでもテレビ局の中には他所の国や危険な場所にまでわざわざ番組を撮影に行く
命知らずで物好きな部署があってだな」
 そう言って不敵な笑みを浮かべながら切り出した大柄な方の台詞に、
 けれど衝立を隔ててぴくん、と耳を反応させる少女。
 注文を待ちながらぶらぶらと振られていた足と尾が、ぴたりと止まる。
 
「そこに限っては他の部署みたく、頭とか魔力とかスキルだけが重要視はされねぇ、
とにかく旅慣れてて、後はそれなりに腕っ節や体力の方にも自信がねぇとダメなんだ」
「はぁ、そうっスか」
 大通りから二つ奥まった所に位置するこの通りは、
 比較的大規模な商会や企業の事務所・オフィスが立ち並ぶ高級オフィス街だ。
 そんな風景の中にあってあまり小奇麗とは言えない出で立ち、
 …というか明らかに旅装束と見られる二人の姿はかなりの異彩を放っていたが、
 それでも店内の客がそんな二人に顔を顰めたり首を傾げる様子はない。
 
 それもそのはず、この食堂のはす向かいに建つのは『あの』猫井のビル。
 
「そりゃ確かに俺ら、大陸のあっちこっちをふらふら転々として来ましたし、
そういう意味じゃ土地勘があるって点で兄貴の言う通り有利かもしれませんけど……」
 不安そうな顔をするハスキー弟分に対し、
「……俺ら、テレビだなんて撮ったことはおろかロクに見た事さえないっスよ?」
「馬鹿おめぇ、そんな事言ったらテレビだなんて触った事がある人間が
今の大陸にどれだけ居ると思ってるんだよ?」
 いやに自信たっぷりなハスキー兄貴。
 
「いいか、これはチャンスなんだ。要はまだまだ新しい、未開拓の分野だからな。
俺らみたいなスキルナッシングの人間でも引く手数多で滑り込む余地がある、
先見の妙だとか一山当てるなんて言葉は、こういう時にこそ使うんだよ」
「さ、流石兄貴! 考えてないようで色々考えてるんですね」
 さも食い詰め者と見せかけておいて意外な知性のキレを見せる大柄だが、
 どっこいそれでハイそうですかと猫井に就職できたら、
 今頃世界は猫井の社員だらけだ、世の中誰も明日のご飯に困らない。
 『ちょ、俺超頭いい事考えたんだけど!? 俺Sugeeeeee! 超Coooooooool!!』
 …なんて思ってる事は、でも大抵は他の人間も思いついてるのが現実。
 
「……でも本当にそんな簡単に上手く行くんですかね?
案外そこら辺まで考えてる人間だったら俺達以外にもたくさんいるんじゃ……」
 そういう意味では、やや消極的でネガティブ思考とはいえ
 小柄な方のシベリアンハスキーの方が現実を見てると言えたのだが――
「はっはーん、そこで俺が極秘に入手した情報の出番だよ」
 ――んん?
 
「この近くの飲み屋の店員から聞き出したんだがな、
その店じゃ猫井テレビの特別取材派遣チームの第四班ってのが名物らしい」
「だいよんぱん?」
 ぴくっ。
「…で、どんな風に名物なんスか? そのだいよんぱんってのは」
「それがな、まず社員の一人が信じられない話だが元郵便配達員らしい」
「ゆ、ゆうびんはいたついん?」
 ぴくぴくっ。
 
 
――<interrupt in >――
 
「ぃえっきし!!」
「ん? どした鳳也? 風邪か?」
「別にそういうわけじゃ…って、ああーっ、師匠?!
人が見てない間になに勝手に俺のシューマイ盗ってるですか!?」
「ん、いや、これはその、残してるから嫌いなのかなって思って…」
「バカ言わないでください! シューマイが嫌いな人だなんて居ないですよ。
これは好きだから最後に食べるんです。ほら、あっち行ってください」
 
――<interrupt out >――
 
 
「ね、猫井って……あれっスよね? 一流企業、魔洸家電の天下の猫井ですよね?
それがなんで郵便配達員なんかが普通に社員やってるんスか??」
「それだけじゃねえ、他にもどこぞの得体の知れないチンピラ上がりのネコがいて、
しかもそいつが普段から仕事サボってばかりのどうしようもないろくでなしと来てる」
 ぴくぴくぴくっ。
 
 
――<interrupt in >――
 
「びえっくしッ!!」
「うわっ、汚っ?! 今思いっきりツバ飛びましたよ!? 何やってんですか師匠ー」
「ん、あれ、おかしいな、急に鼻がムズムズって……」
「…ヒース、ひょっとしてどっか身体の具合悪いんじゃないの?
この時期は三寒四温っても言うし、油断して風邪引きやすい季節だよ?」
「んな事言われてもなー…、不摂生なんて普段からしてるし…」
「あーもう、伝染さないでくださいよー? お願いですから」
 
――<interrupt out >――
 
 
「おまけに口の利けないヘビのガキがいて、
チームのリーダー格に至っては上役の情夫やってるタラシ男、
その上役のコネで今の地位についたようなもんだってもっぱらの噂だぜ?」
 ぴくぴくぴくぴく!
 
 
――<interrupt in >――
 
「くちんっ!」「ぷしっ」
「「…………」」
「……い、今の可愛らしいくしゃみは……」
「…ぐしっ、…ん、あれ、おかしいな。言ってる傍から僕も体調崩したかな?」
「くちんっ!」
「……ていうかラスキさん、そりゃ体調も崩しますよ。
なんだかんだでもう一週間近くも会社に泊まりこんでるじゃないですか」
「それは皆も同じだろ?」
「ていうか無理だよーこんなん。四月中に終わらせるなんてぜってー無理だってコレ」
「くちんっ!」
「仕事で『出来ません』『無理です』が通れば世の中とっくの昔に天国だよ…」
「そりゃそうですけど……」
「あーあ、こりゃ今度の休みも丸潰れかー、やってらんねーなー」
「くちんっ!」
「ところでラスキさん、珍しいですね、昼飯時なのに何も食べないだなんて」
「泊り込みでティルの奴の弁当がないから昼食抜きってか?」
「ん? いや? 別に…っていうか、さっき焼きそばパン10個食べてきたよ?」
「「…………」」
「くちんっ!」
「……イェスパーホントにだいじょぶですか?」
 
――<interrupt out >――
 
 
「なんだかなー。ホントだとしたら、ちょっと幻滅もんっスね」
「へいっ、お二人さん、トンコツラーメンお待ち!」
 『ホントだとしたら』と仮定形を置きながらもその実すっかり信じた様子で、
 心底ガッカリしたように溜め息をつく小柄な方。
 間違いなく『政治家は全員汚職してる』と内心信じきってる権威不信症者である。
 いるよねこういう奴。どうせ無駄だからって選挙の投票に行かないの。
「結局この手の一流企業って、入るのには実力よりもコネとかツテとかが大事なんスね。
猫井はそういう事しないって信じてたんスけど、なんかガッカリだなー」
「おうともよ。えこひいき企業ならぬ、ネコひいき企業ってな」
 店員に運ばれてきたラーメンどんぶりの乗ったトレイを受け取りながら、
 備え付けの箸に手を伸ばして――…
 
「そこのお前ら、もっぺん申してみよ!!」
 
 
――<interrupt in >――
 
「そういえばティル君は?」
「下の食堂に飯食いに行ったけど?」
 
――<interrupt out >――
 
 
     ◇      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇
 
 
 ……ドンブリに手をつけたままポカンとした二人の視界に飛び込んできたのは、
 まだ幼さを色濃く残した茶色の髪の犬耳少女。
 なんだか“わなわな”と震えて尻尾の毛を逆立てているあたり、
 どうやら怒っているらしい。
「……え、何だよおま 「「 誰が上手い事言えといったでござるかーーっ!」」
 開口一番エキサイトスパーク、
 みだりに人を指差したりしたら失礼なのに、そんなに人差し指を突きつけて。
 垂れ耳もあどけない、野郎と年増しかいない特派四班のオアシス、
 テイルナート・プロキオン(当時)30歳である。
 
「イチリュウ企業ならぬインチキリュウ企業と申したか!?」
「お、俺は別にそんな事は……」
「ラスキさんの事をタラシでスカシで顔がいいだけのヘタレ野郎と申したか!!?」
「…だから言ってねえって」
 完全に興奮してしまって聞く耳持たない少女……を前にして、
 ふと大柄な方の脳裏に蘇る言葉があった。
 そう言えば、ござるござる言うちんまいガキがいるとかいないとか。
「……なんだぁ垂れ耳。お前ひょっとして例の四班か?」
「そうでござるよっ!!」
 半分当てずっぽうで言ってみた事にドンピシャの答えが返ってきて、
 思わず二人で顔を見合わせると……
 ……改めて目の前でエキサイトしている犬耳少女に目を向ける。
 
 ――言っちゃ悪いが、どう見てもただのバカなガキにしか見えない。
 背が小さい。かといって筋肉質なわけでもなく、
 武を嗜んだ者の独特の身ごなしもなく、何か特殊な訓練を積んだようにも見えない。
 女なのもあって腕力体力は自分達の半分もなさそうで、
 かといってとびっきり頭が良さそうかと言えばそんな風にも見えず、
 凄まじい魔力の持ち主特有の、感情の高ぶりに伴う威圧感も感じられなかった。
 ひょっとしたら何か非常に珍しくも特殊な技芸の持ち主、
 あるいは凄い技術者だとか、研究者だとか、発明家なのかも知れなかったが、
 あいにくとそれに関しては見ただけで分かるような代物ではない。
 ……第一、それ以前にやっぱりどう見ても子供だ。
 目の前の少女がシベリアンハスキー二匹の目には、どう見ても20歳ぐらい、
 ヒトでいうところの中学生程度のガキンチョにしか映らない。
 
 繰り返すようだがこの猫井という企業、この世界における『ブランド企業』だ。
 ヒトの世界でいう『マイクロソフト』とか『コカコーラ』、『ディズニー』には劣るだろうが、
 それでも『ネコの企業』『ネコの国の商人』の中では最有名の一柱、代名詞。
 自然ものすごく儲かってるだろう事は言うに及ばず、
 給料が良い、猫井の社員になればきっとたくさんお金が貰えるという事は、
 狼国や蛇国の人間にだって簡単に想像がつく。
 ……要するにヒトの世界において『大企業病』と呼ばれる型の安直思考なのだが、
 ともかくそんなわけで猫井の志願倍率は今日も今日とて高い、
 「とりあえず猫井に就職」を目指す野心家はネコの周辺諸国に後を絶たなかった。
 
 ――さて、そこで問題。
 そんなめちゃめちゃ競争倍率高くて入るのが難しい会社の社員を、
 明らかに自分よりバカで、空気も読めなければ言動がいちいち頭の悪い、
 能力も劣ってるとしか思えないイヌがやってる事が分かったら?
 
「へっ、ガキが」
 
 Answer:「カチンとくる」
 
「ちゃんと毛ぇ生えてんのか? ぱんつ下ろしてみろや」
 
 
 
 薄暗い裏町や歓楽街の片隅、場末の酒場や寂れた安宿などで、
 普段から挨拶代わりのシモネタに慣れ親しんでいたら違ったのかもしれない。
 あるいはそれなりに人生経験も積んで世の中の裏も表も知り尽くした女だったら、
 皮肉を交えた気の利いた切り返しでもって流してみせたのかもしれない。
 ――だが残念な事に彼女はそうではなく。
 
 どすッ!!
「ぐおっ?!」
 
 頭突き一閃!!
 年は若くとも胸中に操を立てた主君を抱くわんこである。
 どっこい。
 
「……ってえな、いきなり何すんだこのアマ!?」
「……っぁ?! やっ…」
 
 ∥ ティルの ずつき!
 ∥ ハスキーあにきに 3ぽいんとの ダメージを あたえた!
 ∥ こうかは いまひとつの ようだ
 
 男と女の差に加えての、小型犬系雑種と大型犬純血種のポテンシャルの違い、
 おまけに何の武術も習っていない上に運動神経も×と来ている。
 そんな少女の身体能力は、ざっと見積もって「ヒトの成人男性に毛の生えた」程度。
「離せでござるよー! アッー、アッー、アッー!」
「先に手ぇ出してきたのはそっちだろうが!? って、こら、バカ、暴れんなっ」
 そんな多少体力に自信のあるオスヒト程度の膂力でもって、
 イヌの中でも特に大柄で身体能力に秀でた凍峰種の男に挑もうなど愚の骨頂。
 しかも悪い事には、
 
「だあっ、だからおとなしく―― “むにっ”「「ひゃうぅ?!」」 ――…お?」
 暴れる彼女を拘束しようと胸倉に伸ばされた手が、
 意外にも布地だけではない、予想外の体積を捕らえてそこにめり込んだ。
 柔らかで暖かな感触は、大きめな男の手にすら余り、
 
「…なんだお前、ガキのくせにエロい乳しやがって。…ひょっとして感じてんのか?」
「やっ、そ、そんな事ない……あうッ?!」
 必死に否定しようと声は、しかしつねりあげられた乳房から走る感覚によって
 何かを耐えるようなくぐもった呻きとして遮られた。
 
 だから嫌だったのだ。
 テイルナート・プロキオンが好んで作業服やトレーナー、レザーパンタロンといった
 厚手でごわごわした、それも通常よりもぶかぶかのサイズの物を着たがるのは、
 アシスタントディレクターというその職務の性質上の理由もあれど、
 それ以上に自分の肉体のラインを極力人目から隠すためでもあった。
 胸部や臀部に注がれる周囲の人間達の視線。
 童顔のくせに出る所は出て引っ込む所は引っ込んだ、
 エロパロ風に言うところでの“いやらしい体”の持ち主である彼女だったが、
 でも本人に言わせれば好きでこんな身体になったのではない。
 ……胸の大きい女はバカに見られがち、というお決まりの風潮も手伝い、
 それは彼女にとってコンプレックス以外の何物でもなかった。
 現に今だって――…
 
「…はっは~ん、んな事言ってよ? 案外そのエロい身体つきで相手を誘惑して
今の仕事に首尾よく収まったんじゃねえのか? 実際のところはよ?」
「ち、違うもん! …ひゃっ!? や、やだぁっ?!」
 
 …――男の視線は、すっかり目の前の女の身体に釘付けになっている。
 手探りに感じた胸の膨らみは、ボリューム、形、弾力共に全て申し分なく、
 さわさわと撫で上げた尻は見事なまでの張りのある安産型、
 そんな尻からズボンの穴を通して伸び、
 撫でられた拍子にぴくん、と痙攣し硬直して跳ね上がる茶色毛の尾を見ては、
 イヌの男としては興奮するなという方が無理があるというものだ。
 羞恥に赤らむ顔は変に色香を漂わせて嗜虐心を誘い、
 微かに潤んできらきらと陽光を写し取る瞳は劣情をそそられる事この上ない。
 まったく、エロいイヌである。
 
「まぁ、ここじゃ何だからな。場所を変えてじっくり話し合おうや、落とし前についてな」
 ただ大柄な男の頭の中の猫井に関するあれやこれやの不平不満は、
 おかげさまで綺麗さっぱり消えてしまっていた。
 現時点では自分が拘束している目の前の少女の事しか頭にない……というか、
 ぶっちゃけ「話し合おう」とか言いつつ思いっきりヤっちゃう気満々、
 もうどうやって上手い事言いくるめてベットインしちゃうかしか考えてなかったりする。
 まったく、悪いオオカミさんである。
 
「…あ、兄貴やめた方がいいっスよ、ほら、他の人達もこっち見てますし……」
「うっせえなーお前は。そんなんだからまともに女一人も引っ掛けられないんだよ」
 公衆の面前で、自分の静止にも関わらず暴走し始めた兄貴分に、
 小柄な方のシベリアンハスキーはどうして良いか分からずこちらもおろおろ。
 
 強引な男は嫌われる、しつこい男は嫌われるとも言うものの、
 とにかくいい女と来ると目がなくて、それこそ種馬男ならぬ種犬男のように節操がない、
 ……それがこの兄貴分の致命的な欠点だった。
 彼らが大陸中をあっちこっち追い出されるのを繰り返してふらふらして来たのだって、
 元はと言えばそうやって兄貴分が護衛対象の令嬢に手を出したり、
 仕える主人や依頼主の娘、時には既婚者や未亡人にまで手を出してきた結果。
 
「いやっ! は、離してくださいでござるよぉ。離して……」
「へっへっへ、そんなに嫌がんないでくれよなぁ?
別に取って喰おうってわけじゃないんだからさ、なんなら飯でもおごろうか?」
 率直に言っちゃえばズバリ『ヒモ』とか『間男』ってやつなのだが、
 その分あっちの方面、下半身の方の性能の高さは弟分から見てもミラクルなもの、
 何人もの難易度の高い女性を陥として来た実力に偽りはなかった。
(これはこの女の子ももうダメっスかね……)
 唯一事態の深刻さを知る弟分が、内心ぼそりとそう呟く。
 
「あ、あの……お客様。申し訳ありませんが相手の方が嫌がってるようですので…」
 義務感半分、躊躇半分で店員らしい別のイヌの青年が声を掛けるも、
「んー? んな事言ったってよ、でもアンタだって見てただろ?
先にこっちに突っかかってきて、おまけに頭突きまでしてきたのは向こうだぜ?」
「それは……ですがその……」
 期待するだけ無駄だろう。
「それを話し合おうって俺は言ってんのに……何か問題があるってのかよ!?」
 多少ステレオタイプな悪党っぷりなのが気になるが、
 そんなステレオタイプの悪党が登場した所で、しかし物語のように正義の味方が
 『止めたまえ!』と乱入してきてくれないから現実は非情。
 実際周囲は触らぬ神に祟りなしのイヌやら野次馬丸出しのネコばっかりで、
 都会の世知辛さが身に染みた。
 
「…うっ、ぐすっ、…ら、ラスキさぁん、ラスキさぁん…!」
「って、な、泣くなよなぁおい、まだ俺何にもしてねえのに?!」
 とうとう泣き出してしまった犬耳少女にもはや万事休す、
 『万獣の詩外伝 ~犬耳少女の貞操~ (完) 』かと思われたその時。
 
「 待 て い ! 」
 
 ――空気が変わった。
 
「!!?」
「ム」
「ヤ」
「何奴!?」
 
 
――<interrupt in >――
 
「…? なぁたいしょー。今ティルの奴が大将の事呼んでなかったか?」
「?? 僕は特に聞こえなかったけど……気のせいじゃない?」
 それにしてもこの男、使えないイヌである。
 
――<interrupt out >――
 
 
 白と黒。無彩の二色。
 褐色の肌にカールのかかった白い髪の毛、猫耳とロングテールが目に眩しい……
「……!! キャ、キャロさん?!」
 凛々しくも気高いネコの成人女性。
 
「……ティルちゃん」
 カツリ、と鳴らされたハイヒールの音に、びくりと首根っこ掴まれた犬耳少女が震えた。
「これは一体どういう事かしら?」
「も、ももも、申し訳ございませんでござるっ!」
 体高差の関係で地に足つかず、ハスキー兄貴に宙ぶらりんにぶら下げられたまま、
 顔面を蒼白にしてバタバタする姿が滑稽で、
「テイルナートは猫井の名を私闘に用いたのみならず、このような辱めまで……っ」
 それでも涙に濡れたその瞳が、彼女の味わった屈辱を表してもいる。
 恐れ慄いて畏まる様はなはだしく、
 もしも身体が自由だったなら即座に平伏して床に額を擦り付けていた事は
 想像するだに難くない。
 
「で、でもこいつらっ、みんなの事バカにしたでござる!
ラスキさんなんて、局長さんの愛人で、そのコネで偉くなっただけの浮気男だって――
「ティルちゃん」
「ひっ!?」
 
 ……ただ、なんだろうか?
 気のせいか恥ずかしい所を見られた羞恥やら屈辱、
 目上の人間に手間を掛けさせ迷惑を及ぼした事に対する萎縮というよりはむしろ。
「な、なにとぞごめんなさいでござる、ごめんなさいでござりまするでする!!」
 純粋な恐怖。
 ガクガクブルブルして平謝りに謝るその絶大な感情の矛先が、
 目の前の女一人に集約しているように見えて仕方ないのははてどういう事なのか。
 尻尾を股の間で丸めてしまってまでの完全に恐慌過剰、
 二重敬語どころか三重敬語にさえなってしまっているのがパニックの程を表しており、
「かかかくなる上は天国にて 割 腹 !
ここここいつらはテイルナートがメガンテしてでも道連れに討ち果たします故――
「ティルちゃん!」
「ひゃううん!?」
 とうとう支離滅裂な事を口走り始めた少女に対し与えられたのは、
 
 
「 で か し た 」
 
 
「……へ?」
 ぽん、と宙ぶらりんになったまま両肩を叩かれてぽかんとする女性。
 見れば目の前の上司は、先輩としての慈愛と寛大さに満ちた笑顔でもって
 彼女に心暖かな眼差しを与えていた。
「……散り際に微笑まぬ者は、生まれ変われまいぞ?」
「……きゃ、きゃろさぁん……」
 じわりと少女の目に溜まる涙を、そっと指で拭ってやるネコの女。
 
「……で、もういいか?」
 急激かつ異様な展開についていけず、
 “百合くせえなぁ”と思いながら呆れたように大口を開けていたハスキー兄貴だったが。
「最後まで黙ってなさいよ『雑草』。少しくらい空気読めないの?」
「な゙っ!?」
 ぼとりと摘み上げていた少女を落として目を剥いたのも、これでは無理はない。
 
「てめ…っ、ふざけんのも大概にしろよ!? 下が下なら上の奴も上の奴だな!
こっちがこれだけ紳士的に出てんのに、落とし前つける気あんのk――
「――無双猫井の看板に泥を塗られ申した」
 凛とした声。
「一刻も早く身の程知らずを締め上げねば。まごまごしてると世間が嘲笑い始め申す」
 ヤクザ者の安っぽい恐喝を打ち消して、
 まるで目前のチンピラなど存在していないかのように唇の端に笑みを乗せつつ
 思わせぶりに顎に手を持っていく様子はまるで悪魔のようだ。
「物笑いになってからでは遅い。一度潰れた面目は容易には戻りはせぬ故にな」
「ど、どうすれば……」
 しんと静まり返る店内の中、自分の非が咎められたのだと感じたのだろう、
 地べたにぺたんと座り込んだ犬耳少女が泣きそうな声を上げる。
 他に声を出す者がいない中、
 少女の怯えた問いかけが場に浸透するだけの“間”をたっぷり取った後おもむろに。
 
「一応の見せしめを立てる」
 吐かれた言葉の物騒さは、流石に店内に若干のざわめきをもたらした。
 
「…あ、あの……店内でそういった乱暴な事は――」
「猫井をナメる者は直ちに処される。そうでなくては面目は守れぬ」
 哀れな店員が空気のように存在を無視されるのを眺めながら、
 それでも男は冷静に、女の言葉に潜んだ思惑を看破するべく思考を巡らせていた。
 
(――挑発だ)
 そうとしか考えられない。
 ふざけた態度と言葉遣いではあったが、だからこそそれしか選択肢がない。
 
 余裕めいた嘲笑の裏には、見え隠れする憤怒がある。
 こちらを見下すようないけ好かない眼差しの裏には、隠しようのない侮蔑がある。
 一見すれば泰然として傍若無人の唯我独尊に見えるがこの女、
 明らかに彼に対しての強い敵意を抱いていた。
 おそらく狙いは、自身は余裕綽々で落ちついている事を周囲に顕示しつつ、
 彼への挑発を繰り返し『頭の悪い反応』『チンピラ然とした反応』を引き出す事での
 『社会的な勝利』、彼を衆人の目前で笑いものにする事。
 
 動機は『可愛い妹分をいじめてくれた事への報復攻撃』といったところだろうが、
 それにしたって捻りのない、
 どうしてこの手の『正義の味方ちゃん』は世の中からついぞいなくならないのだろう。
 相手が頭の悪いチンピラだと見て取るや否やこんな強気で偉そうで。
 食い詰め者ナメんな!って感じである。主人公常勝のストーリーはもう古いのだ。
 
 男――ハスキー兄貴(仮)は、決して馬鹿な男ではない。
 凍峰種のイヌ、どう見ても馬鹿にしか見えないチンピラ然とした容姿と言動に反して、
 その裏側にはそれなりに怜悧な思考、それなりの計算高さが備わってた。
 そうでなければ散々大陸のあっちこちで女性関係のゴタゴタを引き起こしながら
 今日まで五体満足で生き延びて来られた道理がないし、
 隣でおろおろする弟分にげんなりされながらも付いて来られる道理がない。
 ヤバい相手、手も足もでない相手からは素直に尻尾を巻いて逃げる賢明さを持ち、
 (女に寄生してだが)世の中を上手く渡っていく、生き抜いていく知恵も持つ。
 冗談では済まされないレベルの目に余る女癖の酷さを持つ『悪い奴』ではあったが、
 同時にそれでありながら賢いイヌであるのも確かだった。
 
 ――しかし。
 ――それでもだ。
 
「無論誰でも良いというわけには参らぬ。当の本人達に贖ってもらわねば」
 余裕ぶった態度。
「……つまり、目の前のこいつらの事でござるか?」
 おずおずとした犬耳少女の問いかけに、
「相応しかろう」
 いけ好かないシャム猫女が自信たっぷりに頷くのを見ては。
 
「上等だコラアアアァァッ!!」
「あ、兄貴ぃ!?」
 
 挑発だとは分かっていても。
 挑発だとは分かっていても。
 それでもケンカを買わずには居られない、それがこの男の『愚かさ』だ。
 女なんかにここまでコケにされて、
 ここまで公衆の面前でいいように恥をかかされて、
 尻尾巻いてすごすごと引き下がれる程、自分は人間が出来ていない。
(乗ってやろうじゃねえか、その挑発によお!?)
 
 
 
 理性よりも、本能を。
 理屈よりも、感情を。
 それを『愚か』と笑うのならば、なるほど彼らは『愚か』だろう、
 ヒトの多くがそう見るよう、この世界の獣人達はヒトよりも『愚か』で『下等』である。
 それを『野蛮』を蔑むのならば、なるほど彼らは『野蛮』だろう、
 草食の種族の多くがそう見るように、肉食の種族は『野蛮』で『凶暴』である。
 
 そしてまた彼女らも『愚か』だ。
 後先考えずに勝ち目のない相手に突っかかっていくイヌの少女も、
 しなくてもいい余計な挑発をしてわざわざ相手を怒らせるネコの女も、
 挑発と分かってて乗らずにはいられない単純なイヌの男と同じくらい愚か。
 まったくどうして、だから彼らはケダモノで。
 ヒトよりも総じておつむの弱い、愚かで野蛮な獣人で。
 
 ――けれどそれを恥に思った事はない。
 
 後悔はしても、反省はしない。
 痛い目を見た事はあっても、曲げようと思った事はない。
 彼らはイヌで、ネコである。
 ウサギではないし、ヒツジでもない。
 固有の文化風俗を持つ知的生命体ではあるが、ヒトそのものではあり得ない。
 その価値観。その社会観念。その種族特性。
 片や野山からは遠ざかったとはいえ都市においては比類なき小さな狩人。
 片や首輪をつけられたとはいえそれでも文明に近づいた野の狩猟者。
 共に肉を食らう者であり、共に獲物を狩る者だ。
 出会い、互いの縄張りが重なり合えば、争いいがみ合うは必定。
 それを『愚か』と笑うのならば、『愚か』であっても構わない。
 それを『愚か』と笑うのならば、
 
(『愚か』であっても!)
(構わねえ!)
 
 
     ◇      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇
 
 
 ハスキー兄貴(仮)の出自は『凍峰種』と呼ばれる、犬国北部に多い大型血統である。
 威嚇の唸りを鳴らしながら緩く身構えた兄貴の姿は、
 イヌというよりはむしろオオカミ、ヒトの世界で人狼と呼ばれた怪物の姿そのもの。
 なのにそんな魔物のような存在に相対するのが、
 日本の汚文化の妄想が結実したような猫耳と尻尾を生やしたアダルトレディ、
 褐色の肌に白い髪という
 地球の生物学的にあり得ない色相をした女だというのだから奇態であった。
 
「あ、兄貴……」
「黙って見てろ」
 
 体格の優劣や男女の性差、
 手にした得物の長さと重量が必ずしも強さに比例するわけでもないが、
 しかし我々の世界において柔道やボクシングがそうなよう、
 無手での近接格闘技においてならウェイトの優劣は非常に大きな懸念材料となる。
 ライト級がヘビー級に勝つのは難しく、女が男に勝つのは難しい。
 『武神』や『伝説』と讃えられるような頂点を極めた使い手ならこの限りではないが、
 そんな人間がほいほい転がっていないのはこちらも向こうも同様だ。
 
 片や身長200超の筋骨隆々とした獣人、片や身長165弱のすらりとした女性。
 ……始めから勝負のついたような話にならない対戦ではあれど、
 しかし女が既に兄貴の死の間合いの中に入ってしまっているのも事実であった。
 
「…早く来いよ? 日が暮れちまうぜ?」
 
 実際兄貴本人からして、それが分かってるからすでに余裕綽々である。
 女性関係で問題を起こして除隊処分を食らってしまったとはいえ、
 それでもこの男は元軍人、かつては犬国北国境域に駐留していた経歴を持つ。
 ヒモ・ジゴロの真似事をしてるとはいえ、現在でもいっぱしの職業傭兵、
 その傭兵の眼力からしてこの勝負、絶対に自分の負けはないとの断言ができた。
 驕り? 侮り? 断じて違う。
 そのような結論を下した理由は、ずばり彼の視線がちらりと見やったその先にある。
 
 すらりと長い――多少は鍛えられてるのだろう――贅肉の皆無な麗しの脚線美、
 しかしその先端についているものを見れば、劣情すら超えて失笑の方がこみ上げる。
 ……ハイヒール。
 ……そう、馬鹿げた事にハイヒール。
 
(あったまオカシイんじゃねえのかこの女?)
 落ちモノの漫画の読みすぎなんじゃないかと、そう男が思ってしまうのも無理ない事だ。
 それくらいそれは馬鹿げていた、ハイヒールでステゴロに挑むだなんて。
 これが男が相手だったら思いっきり怒鳴り散らして頭の一つもはたいてる所だが、
 女だと思うからこそニヤニヤ笑いが浮かんで止まらない。
 
 戦闘、こと組み手においては、動きやすい格好をする事は実に重要だ。
 それをあんな体重も乗せられない重心の不安定な靴に、
 まともなハイキックも放てそうにない見た目だけは澄ましたタイトスカート。
 こんなのに負けたらそれこそ恥以外の何物でもなかろう、
 それでなくてもこちらはプロフェッショナル、バリバリ現役の職業傭兵なのだ。
 向こうはせいぜいアマチュアレベル、趣味で嗜んだ護身術程度、
 そうしてこれが空想創作なら『美しい方』が勝って『醜い方』が負けるのだろうが、
 けれどこれは現実だ、現実はそんなに甘くない。
 
 もっとも地球でなら詰み確定なこの状況でも、この世界においてはもう一つの要素、
 魔法というイレギュラーが存在するから気が抜けないのでもあるが。
 ……しかしこれに関しても既にこの状況下では恐れるに足らない、無力に等しい。
 
「…びびったのか? 猫井の社員さんよ?」
 
 嘲りを投げながらに相手の全身、上から下までを舐め回すように観察してみれば、
 武器はおろかナイフ一本、護身用のマジックアイテムさえ帯びた様子はない。
 ……否、たとえ生半可な魔導器があったとしても最早情勢は変えられないだろう。
 狭い店内、これだけ近接され密着されてしまっては、
 術を詠唱するにせよ魔法の道具を使うにせよ発動する前に彼の拳が届く。
 相手が意識を集中し、対象を指定して、言霊を紡ぎ終わるその三工程の間に、
 彼はただ全身ごと拳を前に突き出す、その一工程で事足りる。
 
 ――詰みだ。
 ――どう考えても詰み。
 
 何にもまして、仮に一撃を彼に与える事が出来たとして、その後どうする?
 その細くて柔らかな腕の一撃で、
 たかだか2~3秒程度で詠唱から発動まで持っていけるようなちゃちい魔法で、
 どうやって彼を『見せしめ』にしてみせる?
 
 ヒトから見ては異形の怪物にしか見えない、獣人の男である彼の肉体は、
 別に無限の再生能力を持つわけではないし、多少ヒトに比べて丈夫な程度だ。
 大砲の弾を受ければ死ぬし、斬られれば痛い、怪我も病気も普通にする。
 ――が、それでもヒトよりなら『多少は』頑丈。
 スラッグショットガンや狩猟用ライフルで撃たれたなら重傷は免れないものの、
 9mm拳銃弾や小粒の散弾くらいはまぁ耐えられる。
 ヒトよりも遥かに発達した分厚い筋肉の鎧もその理由の一つであるが、
 何よりも大きいのはその表面に密集した獣毛の効果だ。
 打撃を受けては衝撃を吸収し、刺突や斬撃を受けてはその鋭さを絡め取る。
 絨毯や毛布をハサミで切ろうとして刃が噛んでしまった覚えがある者なら分かるよう、
 夏には暑苦しさとして彼らを苦しめるこの被毛こそが、
 しかし獣人男性の打たれ強さの最大の理由、生得の天然の鎧だった。
 美しさを失った代わりに、得たのは頑健さと防御力。
 ただでさえ女性やマダラに対してと比べて打撃ダメージの通りが悪いその身体に、
 果たして女のか細い拳や蹴りがどこまで通用するか見ものも見もの。
 だから。
 
「兄貴……」
「へっ、遅い、遅いってんだ、かすりもしねえよ」
 油断していた。
 敵戦力の決定的な火力不足、致命打を受ける可能性が全くないと踏んだからこそ、
 これ以上ないくらいに油断していた。
(アマチュアに。趣味の延長線上の素人に。何が出来るってんだこの間合いで)
 あるいはどこか、妬みから来る小馬鹿にした部分があったとも。
 女のくせに。都会人のくせに。オフィスレディのくせに。
 いい気になってええカッコしてるんじゃねえよと、そう呟いている男の一面。
 
「……今なら泣いて謝れば許してやらないでもないぜ?」
 
 元々相手が素直に謝るか、
 一撃打ち込んできた所を腕でも捕まえて地べたに転ばせばいいと考えていた男が、
 すぐに千日手に飽きて構えを解いたのも、だから道理と言えば道理だ。
 ……よくよく見てみれば後ろのイヌとはまた別のタイプでいい女だったという事も、
 構えを説いた理由に大きく影響していたかもしれない。
 
「そうだな、お前ら二人のうちのどっちかがお詫びの意味も兼ねて」
 下心を隠そうともせず、格好つけて肩を竦めて見せて、
「今晩一晩俺と付き合ってくれるってんなr 「「 そぉい!」」
 軽く目を閉じて首を振ったその瞬間。
 
 ―― ば し ゃ ん
 
「「…………」」
 
 “……?”
 “液体?”
 “何本かのぬるっとした細長いもの?”
 “頭に被さる重量?”
 “………熱?”
 
――ヒトの世界に『そぉい!』と呼ばれる特殊なアタックスキルがあるッ!!
 
 
 ∥・ 蘇王維(そ おうい)
 ∥
 ∥かつて古代中国の宋王朝の時代に蘇王維という稀代の武芸者がいた。
 ∥棍を持たせては当代に並ぶ者ないと言われた達人であり、
 ∥その技を持って皇帝陛下の武芸指南にも取り立てられる程であったが、
 ∥ある時その皇帝が催した宴に招かれた席で、
 ∥皇帝暗殺を目論む一派の襲撃に出くわすという難事に直面した。
 ∥貴人の宴に招かれた関係上、愛用の得物を手元に持たなかった蘇王維だが、
 ∥驚くべき事には宴席の大皿や食器を武器に、
 ∥獅子奮迅の働きを見せて襲撃者の撃退に大いに貢献したのだという。
 ∥後に蘇王維は皇帝が食すべく奉られた料理へのこの無礼な扱いについて
 ∥深く皇帝に謝罪し罰を望んだのだが、皇帝は感謝と共にこれを許した。
 ∥
 ∥本来食事を粗末に扱うのはどのような理由があっても許される事ではないものの、
 ∥これらの出来事から後の中国においては、
 ∥常識に捉われずいかなる場においても臨機応変に対応できる機知を持った人間を
 ∥『蘇王維のような者』と称するようになったという。
 ∥
 ∥現代の欧米に根強く残る『パイ投げ』の文化や、
 ∥日本の少年誌に連載中の漫画において、「そぉい」という掛け声と共に
 ∥相手にラーメンをぶっかけるキャラが登場した事が、
 ∥この蘇王維の精神が現代にも息づいている事の証左なのは言うまでもあるまい。
 ∥
 ∥                   ―― 民明書房 『DNAに刻まれた中国』
 ∥
 
 
「ぅうあっっちいいいいいいいィィィィィィィィィ!?!?」
「ギャアアアアアアアアアア!!? 熱いよ兄貴ィーーーーーーッ!!」
 
――ハスキー兄貴(仮)が注意を逸らした一瞬の最中、
――キャロ副主任の両手はッ
――テーブルの上にあったとんこつラーメン×2を掬い上げてッ
――『そぉい!』の掛け声と共に兄貴と弟分の頭の上に被せていたのだッ!
――熱い白濁スープは予想以上の大ダメージを与えていたッ
――精妙な手首の切り返しが出来なければ、
――ラーメンは丼を二人の頭に被せる前に床に零れてしまっていた事だろう!
 
――『そぉい!』は一歩間違えばお友達が大ヤケドの大変危険な技であり、
――良い子の皆が使用する事は禁じられているッ!
 
 だがまだだ、まだ終わらない。
「グっ…」
 煮えたぎったラーメンぶっかけられたぐらいで戦闘不能に陥るほど、
 元軍人の自分の身体はやわに出来ていない。
「おっ…」
 獣は手負いになってからが恐ろしいのだ!
 怒りはあらゆる理性を吹き飛ば――…
「おおオオオオオオォォォォォッ!! てめぇこのアマ何さら――
 
 ぶんっ ガシャン
 
 ――キャロ副主任が追撃で支払ったのは、隣卓から奪ったサイダー瓶であった。
 
「貴様の求愛(ナンパ)は侵略行為」 ごしゃっ
 更に観葉植物の植木鉢。
「誰にも女性をモノ扱いする権利はない。
生まれ変わるその時まで、己の罪業を猛省せよ!」 バシィン、バシィン、バシィィン!
 更に六人掛けの業務用長テーブル。
「 野 良 イ ヌ 相 手 に 、 魔 術 は 用 い ぬ !」
 真剣勝負を制するものは、Lvの高さでもHPの多さでも攻撃力の強さでもない。
 
 あなたは しにました。
 
 
     ◇      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇
 
 
(テーブルで……)
 涙が自然と溢れて来た。
 その問題のテーブルを振り回した拍子に店内の天井照明一個が巻き添えを食らって
 床に落下し砕け散ったが、それはこの際どうでもいい。
「も、もうやめてええぇぇ! 兄貴のHPはもうゼロッスよぉ!!」
「 ど け 」
 店内の客はあらかた逃げ出すか隅に避難するかしてしまったが、
 それでも自己の勤めている猫井こそが世界一であることを目の当たりにしたから。
「ムチャクチャだ……」
 誰かが呻くように呟くのが聞こえたにせよ、
 でもいつか自分も辿り着きたい、最強の女性の姿が目の前に輝いているから…。
 
「当方に女性の尊厳あり」
「…!!」
 
(いつか拙者も……)
 
「 正 義 誕 生 !」
「アォォオン♪」
 
 ――勝利のポーズ!!
 
  ・
  ・
  ・
  ・
  ・
  ・
 
 
     ◇      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇
 
 
「……で、これは一体どういう事なのかな?」
 にこやかに笑う慧芒種の青年の前、
 ガラス戸一枚を隔てて、しゅん…とネコの女とイヌの少女がうなだれていた。
 ――勿論これは表彰台の光景ではない、留置所の光景だ。
 
「なんでうちの班から犯罪者が出たりとかしてるのかなあ?」
「…いや、その……」
「……あ、あぅ、あぅん…」
 どう見ても営業妨害、それも器物損壊を含む威力業務妨害罪によるタイーホです。
 通報を受けて駆けつけたイヌのお巡りさんに連行、ありがとうございました。
 ファンタジー小説じゃどんなに街中で主人公がチンピラごろつき相手に大暴れしても
 大抵お咎めなしか、無能な警察権力は影も形もないのがお約束なんだけど、
 どっこいそうはいかないのが現実なんだよな。
 伊達に『イヌのお巡りさん』とか言われるだけあって、
 この国の駐在軍人は優秀すぎるから困る。
 
「もっ、申し訳ございませぬでござる。テイルナートが、テイルナートがそもそも…ッ」
「いや、ティル君はいいんだよ、ティル君が悪くないのは分かってる」
 涙ながらに平伏する少女に向けられる同情の視線は、
 前方からガラス板を隔ててが一つ、後方から背中を眺めてが一つ。
 ……隣にいる『名物』『常連』女の巻き添えをくらってここにぶち込まれた事は、
 面会立会いのお巡りさんにだって容易に想像がつく事である。
「キャロ」
 その常連の彼女に対して向けられる、爽やかな笑顔。
「減給六ヶ月ね」
「なっ…?!」
 ――ラスキが下したのは、懲戒処分(重)であった。
 
「ちょっ、それどういう事よ!? どうしてそういう事になるわけ絶対におかしい!
そもそもあんたがティルちゃんをさっさと自分のモノにしないのが悪いんじゃない、
危うくどこの馬の骨ともしれない凍峰イヌのスケコマシに
寝取られた挙句種付けまでされそうになったティルちゃんを見事救ってみせた私が、
読者の皆的に拍手喝采される事はあってもこんな扱いを受ける覚えはな――
「 減 給 六 ヶ 月 ね 」
「たわば」
 最 終 審 判 。
 
 
「まったく、キャロはヒースと比べれば少しは大人かと思ったのに、どうしてこう……」
「…………なによ」
 激昂する事から全てが始まる。
「あんたがそんなんだから、『情夫』だとか『コネ』だとかあんなのに。…だから私が……」
「………?」
 感情に素直でなくては大業ならず。
「キャロ、言いたい事があるならもっとはっきり……」
「あーもう五月蝿いわね! どうせ私は年増ヒステリーの暴力女ですよ! ほっといて!」
 ネコという種族はDQNなり。
 
 
 
 
 

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