猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

万獣の詩断章01a

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万獣の詩 断章『セトの息子達』 第1話(前編)

 
 
=─< 断章『セトの息子達』(上) >────────────────────────=
 
 
 失敗したと思った時には、もうなにもかもが終わっていた。
 望みを叶えるはずの圧倒的な力は、望みに反してあらゆるものを壊してしまった。
 敵も味方も。
 ぼくが壊したかったものも、ぼくが守りたかったものも。
 たった一度の過ちで。
 たった一度の過ちだったのに。
 
 力を持って生まれて来た事は天恵の勅詔だと、全てのそうでない人々は言う。
 才を持って生まれて来た事は運命の祝葉だと、全てのそうでない人々は言う。
 自分と違う存在に向けられる、賞賛と恐怖の眼差し。
 選ばれた存在に向けられる、羨望と嫉妬の眼差し。
 
 だけどぼくは神様じゃない。
 脆く儚い人の器に、この力はあまりにも重すぎる。
 ぼくは別に何かの義憤に駆られて人間を皆殺しにしたいのではない。
 ぼくは別にそこまでの欲望に駆られて山野を焦土に変えたいのではない。
 
 ぼくは、普通でいたかった。
 ぼくは、もっとささやかで当たり前のものが欲しかった。
 ……こんな力。
 ……こんな力さえ、なかったら。
 
 しかし逃げることは許されない、ぼくの背には既に咎人としての十字架がある。
 
 あの人の選んだ道。あの人の目指したもの。
 
 その『プライド』に賭けて、証明してみせよう。
 ――あまりにも大きすぎる力は、人を不幸にしかしないのか?
 ――破壊の力では、人を救う事はできないのか?
 
 違う、と。
 断じて違う、と。
 …違う、違う。
 違う違う違う違う違う違う違う違う違う!!
 
 ここに全てを捨てていく。
 その決意のため、二度と同じ過ちを繰り返さず、『人を超えた人』になるために。
 ぼくは超人。ぼくは正義の味方。ぼくは物語の救済者。
 衆生に交わることなく、観測者であり第三者、だからこそ誰も傷つけない、
 ……ぼくも傷つく事はない。
 
 ぼくの名は。
 
 
 
=―<A-1 : Lynne in : 14 years ago AM 11:03 >──────────────────=
 
 
 建物ン中に入った時から嫌な気配はしてたけどなぁ。
「こちらです」
 部屋ン中に通された時ゃあ、思わず顔もしかめちまった。
「……酷ぇなこりゃ」
 じっとりと淀んだ陰風、立ち込める瘴気。
 ここまで酷くなりゃ、さすがにトーシロにも何かおかしいのが分かるみてぇだな、
 母親だっていう後ろのヘビの嬢ちゃんも具合悪そうにしてやがる。
 
 ……しっかしあれだ。
 話は逸れるけど犯罪だよな、(ヘビなのに)26で10歳のガキの母親ってのは。
 ガキがガキ産んでるようなモンじゃねーか、
 噂にゃあ聞いてたが、想像以上にすげぇところだわ、このハーレムってのは。
 つぅかロリか? この国の国王って?
 ……まぁそれよりもすげぇのが、目の前のこのガキなんだけどよ。
 
 ほとんど骨と鱗だけに痩せこけてブツブツ、
 ゴーカな寝台の背もたれに凭れ掛かったまま、誰も居ない空間に話しかけてやがる。
 …まぁ本当は虚空にでなく、この世ならざるモノに対してなんだろうけどよ。
 しっかしオレだって修行積んで術使わねぇと見られねーようなもんを、
 こんな何の修行も積んでねぇヘビのガキんちょが普通に見れてるっつうこたぁ。
 
「……てめぇ、見鬼(けんき)か」
 かけた言葉に応答なし。
 チッ、こんな美人のおねーさんが声掛けてるっつのに、可愛げのねぇガキ。
 ……ま、取り殺されかけてる今の状態じゃ、
 答えを期待すんのも無理っちゃ無理なぁ話なんだが。
「ケン、キ?」
「よーするに『ミエルヒト』ってこった」
 息を呑む母親を尻目に、オレは腰に手を当てて目の前のヘビのガキを睨みつける。
「ま、あんたらヘビが分かんねぇのも無理はねえな。
こういうのの専門は、昔から狐か獅子って相場が決まってんだし」
 確かにまぁネコやトラ、ライオンの見鬼っつぅのはそこそこ珍しくもねぇんだが、
 ヘビの見鬼ってのはオレも聞いた事がねぇ、初めて見た。
「おまけにこの様子じゃ、憑巫(よりまし)も入ってるってトコか?」
 口笛だって吹くってもんだぜ。
 
 【見鬼】の才も、【憑巫】の才も、
 どっちも生来の魔力が高けりゃ同時に見につくような才能じゃねぇ。
 偶然の恩恵か、何か特別な事情が必要な、
 それをお前、二つ同時にだなんて、笑っちまうぞオイ。
 
「うはははははは、こりゃ洒落になんねえな」
 試しに算命盤回してみた日にゃ、耐え切れずに本当にゲラゲラ笑っちまった。
「こいつ、とっくの昔に死んでるぞもう?」
「えっ、ええ!?」
 
 何度占っても、命数0。
 
「つまりこいつ、もうとっくの昔に死んでなきゃおかしいってこった」
「そ、そんな……」
 明らかにビビって狼狽するかあちゃんの動揺を、でもオレは見逃さない。
「ん~、奥さん、何か心当たりがあるアルネ~?」
「………!!」
 
 ここら辺の話術はまぁ、商売用のテク。
 詳しい事占えって言われたらちょっと手間ぁかかるが、
 でも「いついつに大病して死に掛けた」ぐらいなら徴(しるし)もすぐ分かっからな。
 あとはそういうのをキッカケにグッと信頼させた後、
 値段交渉の時間ってわけよ。
 ……最近はなんだ、機械だの魔科学だの、魔力がない奴にも使える道具、
 そういうのが沢山出てきたせいかオレらロートルは肩身が狭くてね、
 ネコみたいであれなんだか、オレみたいな「インチキ道士」は食ってけねぇわけよ。
 哀しいけど、稼げる時には稼いで置かねぇとなぁ。豊かな老後の為にもさ。
 
 …つか、酷いと思わねぇ? 実力は確かなのによ?
 ちょ~~っと女で、酒飲んで、男遊びが激しくて、博打もやって、肉や魚も食って、
 三日に一度しか風呂に入んない、道服も一週間に一度しか洗濯しねぇだけで、
 「インチキ道士」「ナマグサ道士」だなんて、お前ら方士道士に夢見すぎ。
 日々精進潔斎して清廉潔白、霞食って生きろってか、バーカ。
 ……ほらそこ! そこのオレが女ってだけで「インチキくせ~」とか思ってる奴や、
 肉も酒も男もやるだけで「生臭だ~」って思ってる奴、お前らに言ってる!
 
 あのね、オレら獅子国の道士にとって大事なのは「陰陽合一」なの。
 「陰陽合一」ってのは、陰氣と陽氣のバランスが整ってる事。
 それさえ取れてりゃ、もう男女交合しようが肉や酒をかっ食らおうが別にいいワケ。
 むしろ必要に応じて簡単に陰陽のバランスを崩したり戻したり出来て便利、
 肉食って陰氣に傾いた後は、陽根受け入れて陽氣を取り入れれば、はい元通り。
 身なりが小汚いのもカンケーねぇ、「陰陽」は「合一」してんだからな。
 
 
「はん……なるほど、つまりこいつは【鬼子】だ、あんた」
「お、おにこ…??」
 だから腕はいいんだぜぇ腕は? 伊達に実践道術で食っちゃいねえからな。
 ヘビの国じゃあなんて呼ぶかぁ知らねえが、
 少なくともオレらの宗派に関しちゃ、こういうガキは鬼子って呼ばれてる。
 
「10年前だな。…あんたの胎から出てきた時、こいつは既に死んでるはずだった。
死産、死んで生まれてくる予定、そういう風に決められてたんだよ」
「!!」
 星の巡りを見ても、命数を見ても、両方からそれは明らかだ。
 このガキ、そもそも生命線が無ぇと来てる。
 占い師泣かせ間違いなしのガキだね、オレにもちょっとこいつの運命は覗けない。
 
「どっこい、何を間違ったか。…まぁ天上の神サンにも、地獄の閻羅サンにも、
うっかりミスってやつはあるらしくてね」
 本当に死神がいるのか、キャベツ畑のコウノトリサマが居るのかはともかく、
 よーするに分かり易くいうと、
 あっちで生まれた、こっちで死んだで今日もてんやわんやで働いてる内に、
 業務上過失、「ついうっかり」取り違えた。
 ……「死」んで生まれてくる予定のを、間違って「生」にしちまったんだな、うん。
 どこのドジっ子神サンだよって思うかも知れねぇけど、
 ディスティニーちゃんだって人間?だしな。間違う事もあるわけよ、時々。
 で、それでたま~~~~にこういう『おかしなガキ』が生まれてくる、と。
 生来魔力の高い低い、才能のあるなし、頭のいい悪いとはまた別の次元の話、
 生きながらにして死んだガキ、運命の定から外れた子、【鬼子】。
 
「魂魄の存在位相が半分幽界、…犬猫風に言やぁアストラル界にズレてんのな」
 蛇眼をぱちぱちさせてオレの話を聞いてるおふくろさん。
 ……おお、やっぱりトーシロには分かんねぇか、こういう専門の話をしても。
 でもオレにゃこれ以上分かり易く説明もできねーしなぁ。
 
「だから【見鬼】。どんなに生来の魔力が高かろうと、でも普通に生まれた限りは
特別な術でも使わねえ限り視えねぇようなモンが、こいつには普通に視えちまう」
 上は神様とか死神、下は幽霊や山の精、木の精。
 それどころか普通の人間だったらまず大魔法使いでも絶対に感知できねぇような、
 幽霊にさえなれない超々微弱の残留思念、――鬼や妖の元になるモノまで。
「だから【憑巫】。五感どころか存在そのものがチョロっと向こう側にはみ出してっから、
向こうの存在からも認識されやすい、黙って立ってるだけでモロに影響受けちまう」
 巫女体質。霊媒体質。シャーマン体質。なんとでも呼びゃあいい。
 おかげで『こんなややこしい事』にもなったりするんだけどよ。
 
「……ま、こいつも運が悪いねぇ」
 そういうモンに理解のあるうちの国か、あるいはキツネの国に生まれてれば、
 それこそ重宝されただろう、生き神サマみたくに扱われたろうに。
 なんせこればっかは、普通の遺伝や血筋で受け継がれるようなもんでもねぇからな、
 滅多に無い人材なだけに、幾らでも使い道はある、求人需要ありまくり状態だ。
 
「……いや、それとも運がいいのか?」
 ――もっとも。
 
 そんなわけで、ちゃんと知識のある奴が保護して修行も積ましてやらねぇと、
 長く持って12か15までの儚いガキでもある。
 …なにせ物心つく頃からそれがどれだけ危険な事かもロクに認識しないで、
 鬼や妖と背を並べて普通に生活してるわけだ。
 普通はこのガキみたく、無意識に引き寄せて背負い込んで取り憑かれて、
 招き込んだモンに押し潰される形で自滅する、食い殺される。
 おまけに日頃からそこら中の負の存在、陰氣と接して暮らしてるわけだかんな、
 自然生気を吸い取られて、病弱で身体の弱いガキになるわけよ。
 貧しい農村なんかに生まれちまった日には流行病でコロリ、
 こんな豪華な王宮の奥で傅かれてさえ、宮廷魔術師にも全然気づかれずに
 今まで放置されてきたってのも、まぁヘビだし無理もねぇか。
 滅多になくて、しかも見出されなきゃ早死確実と来りゃあそもそも認知がされねぇ、
 このガキみたく相手にされずに腫れ物扱いってのはまだマシな方かもな。
 迷信深い村とかに生まれたら、気味が悪いってんで叩き殺されるのもあるだろう。
 
 
 そんな事をとつとつと説明してやったら、おお、なんだかーちゃん、青ざめてるな?
 謝礼金ふんだくるのにちょっとあれこれ面白おかしく説明してやったが、
 別に驚かすつもりで言ったんじゃねぇ、ちょっと誇張表現も入ってるんだぞ?
 ……まぁそれで金たくさんくれるんならそりゃ貰うが。
 
「そ…それでイェスパーは、私の息子は助かるんですか…?」
「助かるとも助かるとも! オレを誰だと思ってるんだあんた!?」
 心配すんなぁとばかりにドンと胸を叩いて、
「……ま、お助け具合はきっちり貰えるモンを貰えればの話だけどな?」
 にっかりと笑って手を差し出す事は忘れない。
 背後に刺さる女官やら女兵士やらの冷たい無言視線が痛ぇけど、うるせーな、
 こういうハーレムでのお前らの役目って、背景Aとか、置物Bとかだろ?
 偉い人同士のやんごとなき会話を邪魔するんじゃねーっての、すっこんでろザコ!
 
 
 
=―<A-2 : a horrible rainbow : 14 years ago AM 1:50 >───────────────=
 
 
 ――さて、そんなこんなで真夜中。
 それも草木も眠る丑三つ時、妖が跳梁跋扈するには一番もってこいの時間だ。
 
 ……思いっきり人間の方が不利、
 鬼とか妖に有利な時間じゃねーかって言う奴もいるだろうがな。
 でも逆に言やぁはっきりくっきり『出る』、
 昼間よりも相手の正体をずっと見極め易い時間だって言う事もできるんだぜ?
 
 昼間は生きてる人間の雑踏や息遣い、氣のやり取りに掻き乱されて、
 やっぱおぼろげで判然としない事が多いからなぁ。
 完全に正体掴んで暴露して滅するには、かえってこの時間の方が都合がいいワケよ。
 
「いいか? 何があってもその線の中からは出んじゃねぇぞ?」
 神妙に言って踵を返したけど、やっぱり背中に突き刺さる視線は冷たい。
「中に居る限りはどんだけ騒ごうが悲鳴を上げようが関係ねぇけどな、
出ちまったら向こうも気がつく、何されるか保障できねぇからな」
 ボソボソと『あんな胡乱な輩を信用して~』とか『絶対インチキに決まって~』とか、
 そういう声さえ小声で聞こえてくんだけど……
 ……さて、いつまでそんな態度が続くかだな。
 
 
「よぅ、イェスパー」
 砂漠の深夜だという事を差し引いても寒々しい冷気、
 それが渦巻く部屋の中心の傍に立ち、オレはやせ細ったヘビのガキに声を掛ける。
 同時に小さく口訣を唱えて、丹田から五感へと氣を走らす。
 人ならざるモノを、見鬼ではないオレが捉える為に。
 
 …………
 
 ……これは……ちょっと想像以上だな。
 よくもまぁこんな、居るわ居るわ、こりゃまた随分かき集めたもんだ。
 女に、男に、子供にジジババ、兵士や昔の王様っぽいのまで。
「…死人に囲まれての王様気分は楽しいか? イェスパー」
 ――そんなオレの言葉にピクリ、と微かに反応はしたみてぇだが、
 すぐに無視して鬼の一人との会話に戻りやがった。
 ……ガキが起きてるような時間じゃねえだろとぶん殴ってやりたいトコなんだが、
 周りに鬼火飛ばすようにまでなったガキにンな事言っても無駄か。
 
 だから見鬼の、憑巫のガキは嫌なんだ。
 ただ視えるってだけで、認識できるってだけで、これだけのもんを呼び込みやがる。
 視えさえしなけりゃそもそも生まれようも無いもんを、こんな簡単に。
 
「青い鱗、茶色の長衣を来た、お前と同じくらいの歳の女の子」
 ――これにはさすがに反応した。
「腰が曲がって杖を突いた黒蛇の爺さん、紫のベールで顔を隠した女」
 ――慌てて首を動かし、驚愕に眼を見開いてオレの顔を見る。
「槍を持って皮の鎧を着込んだ黄鱗の男兵士、脇に本を抱えた優しそうなお兄さん」
 ――ま、それも当然か。
 なにせ初めて自分以外の、『はっきり視える』人間が現れたんだから。
「あとはお前と同じ年頃か、ちょっとちっちゃい位のガキが多いな。…8人、9人?」
「う…あ……」
 言葉にならねぇ言葉を呻いて、ようやくオレの事をまともに認識してくれるこいつ。
 …うん、まずは掴みは上々。
「凄いな、イェスパー」
 注意を十分引き付けた、オレに十分意が向いたのを確認してから、
 
 
「これ全部、お前が『造った』のか?」
 
 
 事実を認めさせるための刃を、抉り込むように突き刺した。
 
 
「つく――《こんにちわ、ライオンのお姉さん》
 と、相手の返事が帰ってくる前に、こいつのすぐ横の【鬼】から妨害が入る。
《作ったなんて酷いわ、私達はずっと昔からここにいたのに》
 一番傍に居た例の茶色の長衣、こいつと同じくらいの青い女ヘビ。
「アポス……」
 魂が抜けたように王子サマが『それ』の名前らしきを呟くあたり、
 多分こいつが鬼共のボス、
 ……話を聞く限りの、一番最初に王子サマが作った『おともだち』か。
 
《イェスパーだけが私達に気がついてくれたの、彼だけが私達を見れるのよ?》
 はん、鬼の分際でよくしゃべる。
 訊かれてもいねぇのによ。
 
《だから私達、イェスパーのお友達になっ 「「 ――ままごとの人形は黙ってろ 」」
 
 ――ざわり、と。
 辺りの、鬼共の空気が揺れるのが分かった。
 『瘴気』が、強まる。
 
「お前に訊いてるんだよイェスパー。…他の誰でもない、お 前 に 訊いてるんだ」
 …へっへ、痒い痒い。
 他はともかく、オレに対してこれしきの瘴気、笑っちゃうっての。
「お前はそれでいいのか? イェスパー?」
 正中線に一本、真っ直ぐな鉄の棒をイメージして一歩。
 丹田に力を込めながら、ぐっと足を踏み出す。
 
「生きてる友達と遊んでもらえないから、誰にも相手にしてもらえないからって、
拗ねて、引き篭もって、うじうじ自分の殻ン中に閉じ込って」
 金色の瞳が、でっかく見開かれた。
 ベットのシーツを掴む鱗の手に、ぎゅっと力が篭められる。
 
「自分に都合のいい世界を作って、自分の言う事は何でも聞く人形を侍らして…」
《イェスパー、だめよ、聞いちゃだめ》
 そんな力の篭った手にそっと手を添えながら、鬼が。
「…『嘘』と『偽物』捏ね繰り回して、おままごとして楽しいか?」
 でも生憎だったな、どうやらしっかり耳には入っちまってるみてえだぜ?
 
「――本当は気がついてるんだろ?」
 無駄だってのに、このガキは必死に聞くまいと耳を塞ぐ。
 それが何よりも効果がテキメンって事の証明なのにだ。
「……分かってるんだろ? なぁイェスパ
 
 
「アポスッ!」
 
 
 ――ガッシャン、と。
 一歩下がったオレの眼前を傍にあった香炉が猛スピードでかっ飛び、
 派手な音と共に壁にぶち当たって金属音を立てた。
 一瞬窒息した室内の空気、
 ……視界の片隅には、らんらんと目を輝かせる女のガキの姿をした鬼。
 
「……『サイード』、『マサルハ』、『ファウジ』、『サミーフ』! 『バラケ』!!」
 
 名づけ親の王子サマに【名前】を呼ばれて。
 ボス以外の鬼共も、おんなじ様に目を輝かせながらゆらりと動く。
 同時にカタカタ、カチャカチャ音を立てながら、
 窓から差し込む月の光の下、ランプとか、香油壷とか、花瓶……
 ……果ては丸椅子や壁に掛かってた絵画まで。
 
 ひとりでに浮かび上がって、勝手にグルグルと飛び回るその光景に、
 背後に控えさせた女官や衛兵共が、オレにも聞こえるくらい大きく息を飲んだ。
 うん、まー、あれだな。
 『ぽるたーがいすと』だっけか? ネコ風に言うところの?
 ……それもここまで物理的な、目に見えてそれと分かるくらいの強力な奴たぁ、
 やっぱり仕込んでおいて正解だったわ、昼間の内に。
 
「……だぁーから、さ。無駄だっつってるだろ?」
 つま先をちょいと持ち上げて、
「他はともかく、オレ相手じゃあ分が悪ぃっつの」
 バン!と一つ、床を踏み鳴らす。
 
 
 ガチャガタガシャン!!――と。
 それだけで宙を浮いてぐるぐる回ってた調度品類が、全部床に落っこった。
 一瞬で塗り替えられた陣地の勢力図を見て、
 そこで初めて、鬼の親玉の顔の、張り付いてた笑みが消えやがる。
 
「…まぁ同情はするよ」
 ますます強まる瘴気、化けの皮が剥がれ出し、露骨に矛先を向けられる悪意。
「気持ちは分かる」
 でも今しかねぇ、ここで一気に畳み掛けて一息に引き摺り上げるしか。
 
「寂しかったんだろ?」
 初めて思い通りにならない、手に入れたチカラが捻じ伏せられたのを見て、
 でも王子サマの瞳孔が、憤怒というよりは驚愕の様相できゅうっと収縮した。
 
「仲間が欲しかったんだろ?」
《~~~~…………!!》
 横に引っ付いた女のガキの姿の鬼が、必死で耳元に何かを囁いてるが、
 でも無駄だよ、今のこいつの意は、完全にお前達の方には向いちゃいねぇ。
 
「――自分にしか視えないモンを、同じように視える友達がよ」
「…あ……」
 困惑するような、胸を打たれたような表情をして王子サマが喉から声を漏らした。
 
「仲間外れは、辛いもんな」
 ぐるぐると鬼火が舞う。
 鬼火が。
 
「だからこれは」
 それを見たオレは両腕をおーきく広げて……
「ご褒美だ」
 
 ――パン!――
 
 胸の前で、柏手を打った。
 
 
 
「ヒッ」
「キャアアアアアアッ?!」
「…ッ!」
 
 
 途端に背後から上がる悲鳴のオンパレード。
 
「線から出るんじゃねぇって言っただろうがッ!!」
 わたわたと慌てふためいて線から出ようとする女官共に素早く一喝棘を刺し、
 オレは呆然と眼を見開いている王子サマの方に向き直る。
《……貴様、何を――ッ》
 さすがに様子がおかしいのに気がついたか、
 メスガキ姿の鬼がぐわっと目ぇ見開いて脅しつけるようにこっち睨みやがって。
 ……ああ、でもなあ。
「あン? 何って、ちょいと細工して『視える』ようにしてやっただけさ」
 せっかくの可愛い女の子姿が台無しだぜ、鬼さんよ?
 『虫の眼』してないで、ちゃんと人間の姿保とうや、産みのご主人様の前でくらいよ。
 
「後ろのトーシロ共にもなぁ、お前らの姿が視えるよう、氣ぃ足してやったんだ」
 
 ニィッ、と口を歪めて笑って見せた傍で。
 …でも じとり、と生暖かい脂汗が背中の窪みを伝って落ちていくのが分かった。
 あぁ、やっぱ、口で言うほど単純な芸でもねぇのがな。
 こんだけの鬼を、全く才能も修行もなしのトーシロにも視えるようにすんにはちょっと、
 ……ちょっと氣ぃを使い過ぎんのがよ。
 
「さぁて、どうだ? …気分はどうだよ、イェスパー?」
 アホみてぇにぽかんと口を開けているガリガリのヘビガキ。
「今まで自分を散々嘘つき呼ばわりした連中に、見せつけてやれた気分はどうだ?」
 こっちのガードを、陣地を侵蝕しようとうねる瘴気。
 どうやら本気で敵と認識したらしい、鬼共が全力で叩きつけてくる無数の鬼火。
「…ほら、見てみろよあのアホ面、悪かぁないだろ?」
 オレとこいつが日頃『視て』『感じて』るものを目の当たりに、
 カチカチと歯の根を合わせる衛兵共、ガクガクしながら何か呟いてる女官共。
 
「スッとしただろ? 悪くないよな? 悪くないなら――…」
 いなさなきゃなんねぇ鬼火の数のしんどさに、てのひらに脂汗を溜めながら、
「…――戻って来い」
 
 
――< interrupt in >─―
 
 
「お前は『嘘つき』じゃねぇよ」
《ダメよイェスパー、信じちゃダメ、あんな人に貴方の何が分かるっていうの?》
 雷に打たれたように、王子の肉体は硬直する。
「『嘘つき』なんかじゃないさ、イェスパー」
《私より、あんな今日出会ったばかりの、知らない人の言う事を信じるの!?》
 彫像のように凍りついたまま、侍る亡霊の甘言を聞き。
 
《言葉だけで、本心では信じちゃいないんだわ。騙して、笑い者にしようとしてる》
 違う、と信じたかった。
 信じたかったが。
 ……でもその勇気は、もう彼の中には微塵も残っていない。
 
「お前にはただ、ほんのちぃ~っとばかり特別な力があったってだけよ。
他の奴らにはこれっぽっちもねぇ、超珍しい才能があったってだけの話」
《本当は嘲笑ってるのよ、心の底では。…皆が、貴方のお母さんもそうなように》
 チクリと、少年の胸が痛む。
 もうだいぶ感じる事はなくなってたはずの、『痛み』。
 
「壊れてるんじゃねぇ、欠陥品なんかじゃねぇ、特別なのさ、選ばれたんだ」
《ほら、ああやっておだてて、子供相手だと思って嘘の褒め言葉を並べ立てて》
 女官達、衛兵達が、裏で彼の事をどんな風に言っているか、
 彼の目となり耳となって教えてくれたのは、他ならぬ亡霊達の仕事だったが、
「本当はもう分かってるはずだろ?」
《ほら、聞いちゃだめよ。あの人は私達とイェスパーを引き剥がそうとしてる》
 そんな亡霊達もまた自分を欺き騙し利用しようとしているのだと、
 本当は気がついていた、子供特有の敏感さに薄々心底で勘付いていた。
「なんで自分が起き上がれないのか、どうしてどんどん具合が悪くなってくのか」
《皆と同じ。起き上がれないのを、病弱なのを、悪い事だ、いけない事だって》
 それでも。
 女官達や衛兵達が裏で見せる言葉と態度は、全て偽り無き事実の指摘であったし、
 それでもそんな彼を肯定し賞賛し、友人となってくれたのは彼らだ。
 ――お菓子をくれる悪人についていく『独りぼっち』を、一体誰が責められる?
 
「いくら生きてる人間が嫌いだからって、生きてる世界が辛いからって」
《どうして辛いのに耐えないといけないの? 苦しいのを我慢しないといけないの?》
 彼は。イェスパー・ユルングは。
 だから絶望の淵に立つ。これ以上なく深く、暗く、決して波立たぬ鏡の淵に。
「でも『そっち』はダメだ、もうそれ以上『そっち』に行くんじゃねぇ」
《もうすぐよイェスパー。もうすぐ力が満ちる、一緒に【パイリダエーザ】に昇れるわ》
 ――パイリダエーザ。『約束された永遠の楽園』。
 死してその身をセトに捧げた敬虔な教徒が、
 来たる約束の日まで住まい過ごす事を許された天上庭園、死後の国。
「死ぬぞ。それ以上そいつらにお前の命くれてやったら」
《悩みも、苦しみも、辛い事も何一つない。暖かくて安らぎに満ちた天の国に》
 『死ぬ』事自体は、とても痛くて、辛くて、恐ろしい事。
 でも『死んだ後』、その苦難を乗り越えた後には、永遠の安息が待っている。
 ……厳密にはそれは教義の誤解、主旨の取り違えなのだが、
 しかし子供であるイェスパーは、子供向けの物語からそう誤って受け取った。
「死人に……いや、
 故に。
「自分の作ったおままごとの人形に取り殺されるなんざ、洒落にならねえだろ?」
 
 
――< interrupt out >─―
 
 
《…しつこいわね。まるで私達がイェスパーの妄想みたいな言い方して》
 薄く笑って、鬼のボスがオレの方に視線を移した。
 どうやら鬼火や瘴気で力尽くの撃退ができねぇのに業煮やして、
 舌戦に切り替える算段らしい。
 ……望むところなんだよ、バーカ。
《あなた、幽霊が視えるくせに、結局イェスパーの事信じてないん――
「それじゃあお前、『言ってみろ』よ」
 
 問答で、舌戦で、本職の『道士』に勝てると思ってんのか?
 
「『お前は誰だ?』」
 丹田から絞り上げるように、練った力を言の葉に乗せて出す。
 【召鬼法】。これは強要だ。
「『どこの誰だ? 何者だ? いつ死んだ? どうして死んだ? 言ってみろ』」
 
 逆らい難い圧力を伴ってぶつけられたはずの『力ある言葉』に、
 このアマは――幽鬼の群れは、にたりと笑って正面から応じてきた。
 よっぽど自信があるらしい。…自意識過剰もいいとこだけどな。
 
《私の名前はアポス・アーペプ》
 そうか、それがこのヘビっ子がお前につけた【名前】か。
《今から200年くらい前にこの土地で暮らしていた帝国の地方貴族の子よ。
流行り病で死んじゃって、それからずっとここで彷徨っていたの》
 そうか、それがこのヘビっ子がお前にやった【設定】か。
「父親と母親の名は?」
《お父様の名はゲレグ・アーペプ、お母様の名はヘザト・アーペプ》
「兄弟姉妹の名は?」
《生憎と一人っ子だったわ》
 さすがにこの辺はすらすら答えるな、でも。
「じゃあ爺ちゃん婆ちゃんの名は?」
《…………》
 ほら、詰まった。
 
 目線が石みたく硬直して、顔が能面みてぇに無表情になる。
 未記載設定なんだからそれも当然か。
 人間のフリをした人間の紛い物なこいつには、少々解答に困る質問。
 
 ただ、もっと粗悪な、未成長の奴ならこれでボロ出すんだけどなぁ。
「おい、どうした? 爺ちゃん婆ちゃんの名前は何だったって聞いてるんだ」
《…………確か、居なかったと、思うけど》
 多少『ふりーず』はしたものの、すぐに自分で思考してアナログな解答を弾き出す。
《でも詳しい事は忘れちゃったわ、だって200年近くも前の事ですもの》
 
 白々しい。
 …でもま、これだけ生気吸い取ってりゃ、それくらいには成長してて当然か。
 もうかなり学習してる、ヒトガタに近くなってやがる。
 ……元は影の分際で、シラを切るとか嘘を付くとか、人間にしかできねぇ芸当を。
 
「そうか、じゃあ好きな食い物は」
《そ、そんな事聞いて何に…》
 どっこいそれも、畳み掛ければすぐボロの出る事だ。
 あと二週間遅かったらヤバかっただろうが……でもまだ親から独立できてねぇ、
 産みの親の定めた設定に依らなきゃ存在を許されないのがこいつらの弱み。
「好きな食べ物は何だって聞いてるんだよ、人間だったんだろ?」
《……ひ、羊肉のクスクス鍋よ》
 はっ、このアマ……もとい連中、必死だね。
 蓄積した『でーたべーす』の中から、必死に設定に矛盾しない情報を探し出して。
「そうか、それじゃ好きな花は?」
《……忘れたわ》
 でも、さすがに、オスガキの知識を探っても設定できないような個人情報は。
「おいおい女の子なんだろ? それじゃ好きな宝石は?」
《……わ、分からないわよ、私子供なのよ!?》
 おお、苦しい苦しい、必死だねぇ。
 自分『女の子』のくせに、脂汗垂らして随分必死に食い下がりやがる。
 
「分かんねえんだよなぁ、こういうのは案外よ。なにせ『設定』されてねぇもんなあ」
《なっ――》
 ……でも、早く消えてくれねえかな、
 実は脂汗流してんのは、さっきからこっちも同じなんであって。
 ……持久戦、長期戦ってやつは、どうもオレには。
「名前や身分はともかく、意外とこういう所でボロが出る、例えば――」
 【穴】が閉じりゃあ話は早いんだが。
 あんだけ呼びかけたっつのに、閉じる気配もない、こりゃ無駄足だったかな。
 …まぁこんなガキに人生論説くだけ、無駄だったのかもしらねえが。
「一日は何時間だ? 一ヶ月は何日だ? 一年は何日だ? ええ?」
 
 途端、僅かに安堵した表情で鬼の顔が緩む。
 優越したような、人を見くびったような。
 
《…馬鹿にしないで。24時間、**日、***日よ》
 へえ。知ってんだ。
 ……こんな普段気にもしねえ当たり前の常識まで学習してるっつう事は、
 あんまり良い傾向とは呼べねぇな。
「……。…じゃあ1月の初めは何の祝日で何をする日だ? 木偶人形?」
《元旦よ、幾らなんでも、私だってそれくらい》
 最悪、このガキを殺してでも、受肉して生まれてくるのを阻止しねえと。
 親の腹食い破って完全に現世に出てきたら、間違いなく厄介な事に……
 
《街じゃ新年を祝うお祭りがあって、花火を打ち上げたり出し物をやったりするわ》
《年始めには家の家族部下全員が一堂に会して食事を取るの》
「お年玉は――
《貰えたわ。それで街の屋台で皆と一緒にお菓子を食べ歩――「「 ダ ウ ト 」」
 
 ……厄介な事になるから。
 だからここで潰す。
 
「……旧帝暦って、分かるか?」
 こいつらは、影だ。
 200年前に流行り病で死んだ、アポス・アーペプなんて名前のガキは存在しない。
 全部こいつの――王子サマの作った物語の中の、【設定】だ。
「一日が24時間? 60秒60分24刻み? どこの国の、いつの時代の話だ?」
 こういう姿形のガキがいたのは確かだろ。だからこそ影が残ってる。
 でもこいつは、その影を依り代、ヒトガタにして、
 この王子サマが無意識に生気を、魔力を注ぎ込んできた結果生まれちまった、
「お前ら200年前、旧帝時代から、ネコの暦、ネコの文化でセーカツしてたんだな」
 ――ツクリモノだ。
 
「12月と1月の境が年の節目? 元旦が新年のお祝い? お年玉?」
 だからこんな、ちぐはぐな事が起こる。
 
「なぁ、嬢ちゃんも、お前らもさ」
 200年前の幽霊だって言っときながら、でも今の習慣風習に順応した記憶。
 そりゃそうだろ、さすがの王子サマでも、でも10歳だ。
「『今』じゃなくて、『自分が死んだ頃』のこの国の思い出話をしてもらえねーかな?」
 知るわけがねぇさ、
 自分が当たり前に使ってる、セパタ、統一度量衡、共通時法、共通暦法。
 全部ここ100年ぽっちで、だけど急速に広まったもんだなんてな。
「できるだろ? 即興の造り物じゃねぇんだったらよ?」
 
 
《………あ…》
 完全な『魔法』『精霊』じゃない、不完全で穴だらけのこいつら。
 でもそれでも『魔法』であり『精霊』――構成が概念の域に掛かってるこいつら。
「ほら、言えよ、一つくらいは覚えてるだろ? 帝都時代の祝事とか」
《…あ、あ亜、a……》
 自己の存在目的と意義、構成定義に重大な齟齬や矛盾が発生すれば、
 それだけで自壊、良くて半壊は避けられない……はず。
「親父お袋の名前まで覚えてんだ、さすがに一つも言えないなんて事ぁ、無ぇよなぁ?」
 自己矛盾を消化して解消しきれねえ……はずだったんだよ。
 
《……い、イェスパー!》
 なのに。
《わ、私達、本当にあなたの造り物なの!? あなたが作った人形なの!?》
 この鬼、途端に女が泣きつくみてぇに抜け殻の王子サマに抱きつきやがって。
《違うわよね? 私達、『ともだち』よね? …そうだって言ってよ!!》
 ――こいつ。
 ――このクソアマ。
《『勝手に作って勝手に消す』なんて、 そ ん な 酷 い 事 し な い わ よ ね ?》
 
 ちらりとこちらに向けた顔、にたっ…と笑う鬼の親玉に。
 オレの手札は、万策尽きた。
 女の泣き落としなんて、もう使い古された古典的手口だけどよ。
 でも自己矛盾を、主人の憐憫と許容に転化する事での消化。
 ……ここまで癒合同化が激しいと、オレにはもうどうにも手管が見つからない。
 『救済』の策が思いつかない。
 『破壊』や『滅却』、『器』ごと滅ぼす以外に具体的打開策が見当たらない。
 
(ああ、ダメだ、こりゃもう)
 ――泣いて頭を下げてきた、こいつのお袋さんの顔が脳裏に浮かぶ。
(いや、ここは一旦体勢を立て直して)
 ――『助けてくれ』って頼まれたんだ、『倒してくれ』って頼まれたんじゃない。
(でも、時間が)
(今ここで滅ぼしきれなかったら、ぜってぇ面白くねぇ事に)
(どうする、どうする、どうす――…)
 
 
「……もういいんだ、アポス」
 
 
 ――小さな声だった。
 驚愕に目を見開くオレらの前で小さく、でも確かにはっきりと。
「……演技はもういいよ、今までどうもありがとう」
 ……な…に…?
「ぼくの命が欲しいんなら、あげるから」
 オレはもちろん、目の前の鬼共でさえ、思わず耳を疑うその言葉に目を丸くして。
 こいつ、何を――
「どうせ要らない、何の役に立たないものなんだし」
 言っ、て――…
 
 
――< interrupt in >─―
 
 
 ――それは本当に彼の、10歳の子供の本心からの言葉。
 それがどれだけ忌まわしい事か、イェスパー・ユルングは実は理解していない。
「お姉さんも。気持ちは嬉しいけど、もういいんだ」
 日々熱に喘ぎ、悪寒に苦しんできた彼にとって、生は楽しいものではない。
 人生の大半を寝台に臥して過ごしてきた彼にとって、生は豊かなものではない。
 憎まれも、愛されもしない、空気のような王子にとって、生は。
 父親から道端の石ころ程度にしか見られていないのを知る子供にとって、生とは。
「死ぬのは怖くないんだ。…死んだらもう誰にも迷惑をかけなくて済むから」
 ――楽しくない。
 ――楽しくない。
 ――そんな拘るほど楽しくない。
「生きてても、辛くて苦しいだけで、面白くないし」
 なにより死は、いつも彼の隣にいた。
 死んで生まれてきた彼にとって、死は別に遠いものでも、恐ろしいものでもない。
 彼はいつだって死の中にいたのだ。
 生きながらにして『負』に包まれ、『反』に覆われ、『幽』を背に、『死』に囲まれて。
「だからぼくみたいなのは、さっさと天国に行っちゃった方が、みんな
 
 
 
=―<A-3 : against pain : 14 years ago AM 2:13 >─────────────────=
 
 
 何が起こったのか、すぐにはよく分からなかった。
 
 反転する視界、ものすごい衝撃。
 ぎしぎしと痛む熱で浮かされた身体、口に中に広がる鉄臭い味。
 
 一拍遅れて凄まじい激痛が頬を中心に襲いかかって来ても、
 それでもイェスパー・ユルングは自分がぶん殴られたという事実を理解できなかった。
 母親にすらぶたれた事がないのであれば、無理もない。
 聞き分けはよいが性情のおとなしい、気の小さくて線の細い子供である。
 ましてや病弱の、身体の弱い子供である。
 
「あ……」
 ぼたぼたと口の端から垂れる赤い粘液。
 刹那喉奥に引っかかった異物感に噎せて咳き込んだ結果、
 朱に混じって白い固形物が2~3個吐き出された。
 口中に広がる生暖かくも芳醇な鉄の味に、イェスパーが愕然としかけた時。
「っ!」
 喉輪を掴まれて宙吊りにされ。
 少年は初めて、失神すら不能な圧倒的恐怖の存在を知る羽目になった。
 
「……クソが」
 先刻までとは別人のような、突き刺すような怒気、ドスの利いた恐ろしい声に、
 睾丸は縮み上がり、歯の根は噛み合わず、ナメクジに睨まれたように全身が凍る。
 ――恐怖。
 ――恐怖だ。
「ナマ言ってんじゃねえぞ、ガキの分際で。…あぁ?」
 それでも彼女はライオンで、寝たきりの子ヘビ一匹摘み上げるなど造作もない。
 大人の力で手加減無く、歯が折れるほどに殴られた頬の痛みは、
 今やイェスパーが感じた事もない灼熱感と激痛を伴って全身に伝播していた。
 病から来る緩慢の恐怖でもない、疎外から来る社会的恐怖でもない、
 それは暴力による、突発的な、横殴りの根源的恐怖。
「…人がこんなに、汗水垂らして苦労してヒィヒィ言ってるってのによ」
 ――コロサレル。
 初めての体験になる恐慌と激痛に、少年はガタガタ、声も上げられずに震えて涙し、
 病人の寝巻きの股座には、見る見る湯気の立つ黄色い染みが大きさを増す。
 
「『助かりたくない』? 『死にたい』? 『あげる』? 『自分は要らない子』だぁ!?」
 いたいけな子供を振り回し、憎々しげに喚き散らす赤毛の獅子に、
 背後に控えた女官達や衛兵達はおろか、妖物ですらあっけに取られて立ち尽くした。
 状況を正確に把握できている者は、おそらく一人もこの中にはいない。
「っざけんじゃねえよ! はぁ!? 何だよオイお前! えぇ!!?」
「あ゙ぐ…ッ」
 寝台に思いっきり叩きつけられた後、今度は襟首を掴んで持ち上げられる。
 まるでボロ雑巾のように扱われながら、でも向けられた先は。
 
「……言ってみろよ」
 圧迫から解放された喉が、すぐに引き攣った音を立ててすぼまった。
「……母ちゃんの目ぇ見て言ってみろよ、まん前でよぉ?」
 背より猛烈な怒気を浴びせかけられながら、宙吊りのイェスパーはそれを見た。
 彼と同じに震えながら、それでも涙を浮かべて立ち尽くす母の姿を。
 悲痛を浮かべながらも彼から目を逸らそうとしない、産みの親の姿を。
 
「『生きてて楽しくありませぇん♪』、『早く死にたいでぇす♪』って」
 子供が子供を産んだような母だった。
 親子というよりはもう姉弟に近い、少女のような母親だった。
「『どうして産んだんですか』、『生まれて来たくなんかありませんでした』って」
 この子供にしてこの親あり、
 ただ飾りとして生まれ、ただ飾りとして嫁ぎ、ただ飾りとして子を孕んで産んだ。
 そんな運命に抗おうともしなければ、恨み嘆いて悲観するわけでもなく、
 ただただ諦観の内に、レースの翻る窓辺、籐椅子に座っているような女(ひと)。
 彼の『腑抜けさ』は、間違いなくこの母からの遺伝。
「……言ってみろ」
 でもイェスパーは、そんな母の事を、誰よりも。
「言ってみろってんだよ、ジャリガキが!!」
 ――今度の涙は、痛みからでも、恐怖からでもなかった。
 強制的に向き合わされたのは、彼がずっと目を逸らして逃げ続けてきたもの。
 
 
 
 イェスパー・ユルングは、死にたいと願っていた。
 別に死んでもいい、命を捨ててもいいと、正真正銘本心から望んでいた。
 
――《あなたのお母さんもそうよ、お母さんも皆と同じ》
 だから信じた。
 同年代の子達の声、女官の声、衛兵達の声こそ伝えれど、
 でも母の声だけは直接伝えはしなかった彼女が、それでもそう彼に囁いた時、
 信じた。
 信じたかった。
 ……思い込みたかった。
 自分は、母に、嫌われているのだと。
 
 
 イェスパー・ユルングは『愛』を知る。
 その貴くも得難きものを、それでも確かに知っている。
 
 それは、寝台に臥す自分の頬を撫でてくれる、滑らかにもひんやりとした手。
 額の濡れ布巾を、汗ばんだ寝巻きを取り替えてくれる手。
 寝台の側に腰掛けてはまどろむイェスパーに寝物語を読んで聞かせてくれて、
 夜中に怖くて一人で厠に立てない彼に、嫌な顔一つせず付き添ってくれる。
 眠れない夜は一緒の布団に手を繋いで寝て、
 雷や嵐の恐ろしい夜には、やはり手を繋いで一緒に震えながら眠った。
 ……それは、当たり前のようにそこにあるもの。
 ……手を伸ばせばすぐ届くところに、いつでも触れられるものとしてあったもの。
 
 夕暮れの中、窓辺の籐椅子に腰掛けて、穏やかに刺繍を営む美しい人を、
 翻るレースのカーテンの中、涼しい顔を受けて蒼穹を仰ぐ人形の姫を、
 だからイェスパーは、愛すべくして愛した。
 『視えない』のに彼のいう事を信じてくれる彼女の事を、
 真剣に聞き入って頷いてくれる母親の事を、愛すべくして。
 ……いつも諦念を滲ませて、静物のように窓の外を眺めている哀しそうな人を。
 ……儚い、色白な、今にも消えて、どこか遠くに行ってしまいそう、
 世間知らずの箱入り姫が、好きで、好きで、大好きだった。
 
 それは『希望』だ。
 誰からも見向きもされない、いてもいなくてもどうでもいい無価値な石ころを、
 けれど彼女だけは見てくれる、彼のその手を握ってくれる。
 たった一粒の、櫃底の希望。
 無機質な世界で、陰氣に囚われて幽鬼に囲まれながら、
 それでもイェスパーが今日まで生きて来られたのは、その希望があったから。
 
 だから物心つくに従って、絶望した。
――『ははうえ、ははうえ』
――『ははうえの望みは、なんですか?』
――『ははうえの幸せは、なんですか?』
 彼がそう尋ねる度に、母親は笑って彼の事を抱きしめ。
――『貴方が幸せなら、母上は幸せよ、イェスパー』
――『貴方の幸せが、私の幸せ』
 次第にイェスパーは、そんな母の顔を正面から見れなくなっていった。
 たった一粒の希望の光を、真正面から見据える事ができなくなっていった。
 
 彼は、幸せではなかった。
 確かに希望はあったが、でもそれ以上に辛くて苦しい事があまりにも多すぎた。
 絶え間なく襲ってくる、発熱、頭痛、吐気、悪寒。
 友達もろくに作れない、いじめられっ子。
 王位を目指そうにも、病弱の上に末弟の彼には権力はあまりにも遠い。
 
 イェスパーは、母が大好きだった。
 この世界の何よりも、そして生きている者達の中で、ただ一人母だけを。
――『ははうえ、ははうえ』
――『ははうえの望みは、なんですか?』
――『ははうえの幸せは、なんですか?』
 自分の事はどうでもいいから、母に幸せになってもらいたかった。
 自分の事なんて見捨てていいから、母に幸福になってもらいたかった。
 母に喜んでもらいたかった。
 母の望みをかなえてあげたかった。
――『貴方が幸せなら、お母さんは幸せよ、イェスパー』
――『貴方の幸せが、私の幸せ』
 
 イェスパー・ユルングは知っていた。
 タンスの中に隠れながら、物陰で本を読みながら、寝台に臥しながら聞いていた。
 子供でしかないが、子供だからこそ。
 「あれでは成人するまで生きられない」、そう周囲の大人達が漏らすのを。
 「ムダメシグイ」「フグ」「カタワ」、己がそう呼ばれる存在である事を。
 そうして。
 母が己の医者代、薬代を捻出するために、恥を忍んで実家に度々金を無心し、
 また嫁入り前に持ってきた宝石類や調度品類を手放している事も。
 
――『ああ、イェスパー、イェスパー、可愛いイェスパー』
――『どこにもいかないで、お願いよ』
――『お母さんを置いて、先にどこかへ行っちゃわないで』
 
 仔馬が、誰に教えられずとも、生後速やかに四足で立つ方法を知るように、
 イェスパーは自分が死ななければならない事を理解する。
 それも速やかに、できるだけ早く。
 長引くほど彼女を拘束する。下手な期待を持たせるほど余計に彼女を悲しませる。
 彼が、何よりも愛している人が。
 彼の全てを投げ打ってでも、幸せになってもらいたいと願う女(ひと)が。
 
 疎んでもらいたかったのだ。
 なじられ、罵られ、これ以上ないというくらい憎まれて足蹴にされたかった。
 冷たい目で、『はやく死ねばいいのに』と言われたかった。
 蔑みの目で、『お前なんか産まなければ良かった』と言われたかった。
 言って欲しかった。
 ……見捨てられたかった、見捨てて欲しかったのだ。
 そうすれば。
 そうすればもう。
 だから。
 だから思い込もうとして。
 自分は母に疎まれている、要らない子なのだと思い込もうとして。
 思い込もうとして。
 思い込もうとして。
 思い込もうとして。
 
 
 
「……あ」
 目の前で、最愛の女(ひと)が泣いている。
 親子というよりは、もう姉弟に近い、少女のような母親が。
 泣かせたのは誰か?
 悲しませたのは誰か?
 ――彼だ。
「…………あ」
 半分死んで生まれてきた、いてもいなくてもどうでもいい王子にとって、
 生まれてきた時から死と隣り合わせだった彼にとって、死は別に遠いものではない。
 イェスパー・ユルングは、だから死にたいと願っていた。
 別に死んでもいい、命を捨ててもいいと、正真正銘本心から望んでいた。
 
 
「ははう―― 「「……だめ」」
 涙に濡れた、悲痛の声。
 たったそれだけで死を受け入れ、死を覚悟していた少年の心が大きくたわんだ。
 頬を殴られた痛みよりも、なお勝る激痛。
 今まで目を逸らして考えないようにしてきた分、嘘を信じて誤魔化そうとしてきた分、
 世界でもっとも愛する人の声は、少年の心を切り刻み、深々と抉る。
「ごめ 「「…だめ、イェスパー……っ」」
 抉る、抉る、抉る、抉る――…
「行っちゃ駄目えぇッ!」
 
 
 
 
 
 明日をも知れぬ病身の身に、『死んでない』だけなのが楽しくないのは本当で。
 疎外されての空気の様な存在感、『生きてない』のが面白くないのは本当で。
 ……でも『死にたかった』のではなく、『生きたかった』のでもなく。
 ……『消えてしまいたかった』のでもなく、『世に認められたかった』のでもなく。
 イェスパー・ユルングは。
 
 
 
 
 
「……ごめ、んな……さい…っ」
 ただ母を。
「……ごめんな、さい…、はは…うえ…」
 もうこれ以上。
「…はは……うえぇ……ッ」
 悲しませたく。
 
 
 
 
 
 
 
 
 ――穴は閉じた。
 
 
 
=―<A-4 : rampage assault : 14 years ago AM 2:29 >───────────────=
 
 
 空気の流れが、『それ』と分かるほどに変わった。
 同時に部屋隅に蹲った女官達からの、まるで気が触れたようなけたたましい悲鳴。
 今更そんなものが盛大に上がるのは、【供給源】を失った『彼ら』の姿が。
 
 ……確かに、大部分を構成するのは人間の魄(はく)、
 もっとも色濃く表れ、目に見える形で強く残っていたのは人間としての姿形だ。
 ――でも『100%』が人間ではない。
 その根源、本質の部分では、他にも色々なものが混じってしまっている。
 虫の魄。魚の魄。小動物の魄。植物の魄。
 より無機的で、より原始的な、人ほどには高等で無い、人以外の『残滓』。
 故に彼らは鬼(クイ)と呼ばれ、故に彼らは妖(あやかし)と呼ばれる。
 
 【穴】が閉じられ、【憑座】との連結が切断された結果か。
 人外の奇声を上げて踊りかかるその先頭は、ヘビの少女の肉体をベースに、
 砂蠍の頭を持ち、脇腹から蜘蛛の足を生やして、蟷螂の鎌の両手を持った……
 ……先刻まで『アポス』と呼ばれていたモノ。
 そうして、ある者は魚の頭を。ある者は植物の樹皮と根を。ある者はうねる触手を。
 蟲の体節。獣の手足。蝦蟇の頭部。肥大した目玉。蜻蛉の羽根。
 
 刹那の出来事。
 へたり込んだ少年と、それに駆け寄ろうと界の外に出てしまった母親に、
 雲霞のごとく殺到しようとしたそれら百鬼夜行を――…
 
 …――眩いばかりの閃光が、轟音と共に横薙いだ。
 
 
――< switch over >─―
 
 
「大」
 
「逆」
 
「転」
 
「……だな」
《………ガ…ぁ…》
 視覚と聴覚をことごとく塗り潰した光と音の狂宴の後。
 へたり込んで抱き合う母子の視界に戻ってきたのは、見る影もなき『残骸』と……
 ……そしてその前に仁王立ちして見下して、
 稲光の残り香を纏った払子を右手、道服をたなびかす緋髪の雌獅子。
《…く……あ……、オま、え……》
 その正体は、狂おしいまでの想いより生まれた不完全な魔法、不完全な精霊。
 いかなる武器、たとえ重機関砲を喰らおうとも傷つかないそれは、
 しかし故にこそこうして散り散りに引き裂かれ、消滅の時を迎えようとしていた。
 
 修復可能な限界を超えて、構築を破壊され、定義を破壊され、設定を破壊され。
 構造構成における致命的なまでの損壊、もはや魔法として存在できぬ程に、
 術式(スクリプト)に破損をきたし、貯蓄魔力(リソース)も喪失し。
 だが、それでも。
 それでも、ここまであっけなく。
 具現の依代たる【憑座】とのリンクが断たれた瞬間を狙われて、
 無限の供給源たる【穴】が閉じた瞬間を突かれたとは言え、
 それでも。
 こんな、ここまで成長した彼女が、ここまで一瞬で、まるで砂の楼閣を殴るように。
 
《…いっ……タ、い…》
「――何、おかしい事ぁねぇ。単にオレはこっちの方が得手だってだけの話さ」
 『アポス』という名だった存在は、そこで改めて敵対者の姿を仰ぎ見た。
 緋色の服に、緋色の髪。紫苑の瞳に、黄色種の肌。
 落ち着きなく尾を揺らめかす雌獅子は、凶暴なまでの狩猟者の笑みを浮かべ。
 仙人というよりは、悪魔のような。
「昔から、浄霊とか、封印とか、退魔調伏なんてモンより――」
 さっきは確かに脂汗を浮かべて、
 今にも崩れ落ちそうだったこの女の実力を。
「力ずくでぶっ飛ばして、消し飛ばす方が得意でね」
 本質を見誤っていた事を、彼女は素直に自認した。
 
 ゆっくりと持ち上げた左の掌に、再度膨大な力が集まるのを感じて。
「――無極生太極」
《…ア、あハッ。…あハハはハはハハははッッ♪》
 肩から上――顔右半分だけになった禍霊は、狂女のような哄笑を上げた。
 残った体節、触覚を折り曲げて、蟲の瞳をぎょろぎょろさせながら、
 人間をベースに色々なものが混じってしまったモノが、力を持っただけの存在が。
「――太極分両儀」
《イェす、パー?》
 ぎとり、と睨んだ先で、へたり込んだままの少年が身を竦める。
 反射的に母親が抱きしめて守ろうとするが、その視線は既に釘付けの状態。
 交差した。
 生者と死者の、主人と家来の、――造物主と被造物の、――本物と紛い物の。
 恐怖と悲痛に染まった視線と、憎悪と皮肉に染まった視線が、交差した。
「――両儀啓四象」
《わたシたち…、ワタ、シ、たち、ヒっ、おトもダチ、もだち、よ、ネえェ?》
 もう少しだったのに。
 もう少しで彼の腹を内側から食い破り、現世に生まれ出る事が出来ていたのに。
 子が親を、被造物が造物主を殺す事での、因果反転、虚実交換、受肉の儀。
 もう少しで蜘蛛糸を手繰って、地獄の釜底から現世に這い出る事が出来ていたのに。
 そう思って、笑って、笑って、笑って、笑って。
「――四象至八卦」
《オトもだちヨネエええええぇぇぇぇぇぇ!!?》
 
 
      ――もういいんだ、アポス
      ――ぼくの命が欲しいんなら、あげるから
      ――今までどうもありがとう
 
 
 …――自分が泣いている事に愕然と。
 それが『アポスと呼ばれていたモノ』の、その場での最後の思考となった。
 
「邪怪禁呪、悪業を成す精魅、天地万物の理を以って微塵とせむ――禁」
 
 
 
 ホワイトアウト、ブラックアウト
 
 
 
=―<A-5 : reject real, because they answer : 14 years ago PM 6:32 >────────=
 
 
 ――どこの国にもあるだろ? 似たような【怪談話】が。
 
 とても仲のいい親子。おしどり夫婦。恋人同士。
 その子供や片割れが、突然の事故か何かで死んじまう。
 別れを言う暇もなく唐突に。
 ありがちなプラスアルファじゃ、些細なきっかけで誤解から仲違いしたまんま。
 土砂崩れや鉄砲水、溺死なんかで、『死体が見つからない』事も多い。
 
 で、残された方は、絶対「息子は」「夫は」死んでないって信じるんだ。
 もう何日も経ってて、他の家族や近所の人間が全員首を振っても、信じ続ける。
 …本当はもう絶望的なんだって薄々感づいてても、認められない。
 あの子は、あの人は、帰ってくる、帰ってくる、死んでない、死んでない、死んでない。
 見ている方が居た堪れないくらいに、
 もう気が触れちまったんじゃねぇかってくらいに、信じ続ける、目を逸らし続ける。
 
 …それである晩、戸口を叩く音が響く。
 『愛しい人、帰ってきたよ』『おふくろ、ここを開けてくれ』って。
 待ってた本人は、もう狂喜乱舞して喜ぶが。
 ……でもそれ以外の家族は、すぐに戸口の外に立ってるモノの正体に気がつく。
 間違いなくそいつの声に、でも肉の腐ったような匂い、湿った水音。
 異様な空気が辺りに立ち込めても、でも待ち望んでた本人だけは気がつかない。
 
 ――当たり前だよな。他でも無いそいつの『願い』が、呼び戻したんだから。
 
 “あの子は、あの人は、死んでない、死んでない、帰ってくる、帰ってくる”
 ……そんな狂おしいまでの想いが引き起こした、不完全な魔法。
 信じ続けて目を逸らし続けるあまりの妄執が引き起こした、歪んだ奇跡。
 もちろん、帰ってきたのは『帰ってきて欲しかった本人の魂』じゃない。
 …『帰ってきて欲しかった奴のカタチ』だけ似せた、何か別の、おぞましいモノ。
 
 ここで必ず「開けてくれ」「入れてくれ」って頼むのは、
 でも連中が自力じゃ入って来れない、向こう側からは開けられないから。
 『生者の世界』、『現世』、『現象界』に、
 でも『負』で、『反』で、『幽』で、『死』な連中は、自力じゃ上がっては来れないんだ。
 本来はそれくらい虚ろで、儚い、力無く、存在するはずのないモノ。
 ――生きてる世界の側から、生きてる人間の手で引き上げて貰わない限りは、な。
 
 だからあの手この手で誘惑して、あるいは脅しつけて開けさせようとする。
 『入れてくれ』『開けてくれ』『何で入れてくれないんだ』『早く開けてくれ』。
 声、音、幻聴、幻覚、
 実体を伴わないあの手この手、全ての虚象を総動員して、
 それで何とか誘惑に耐えて、開けずに済ませられればそれでいいんだが……
 ……でも開けちまったら、その時はもう。
 
 …ああ、そうさ、そうとも、その通りだよ。
 鬼(クイ)も、妖(あやかし)も、幽(ゆうれい)も、でもそのほとんどが人が望んだモンだ。
 全部人間の、生きてる人間の心の中からやって来たモンだ。
 現実を見つめたくない想い、事実を否定したい気持ち、都合のいい奇跡を望む心。
 狂おしい、あまりにも強すぎる想いが魔法の域にまで到達して、
 ……魔が答える、無意識に、けれど間違いなく術者本人が望んだままに。
 
 死者に、死んじまった人間に出来る事だなんて、だからタカが知れてるのさ。
 …本当に力を持ってるのは、いつだって生きてる人間の、生きた想い。
 
 
 
「……そういうわけだ。結局元凶は、全部あんたの息子だったって、な」
 三日後。
 夕暮れの日差しの中で皿に山盛りの果実に貪りつきながら、
 オレはお袋さんと一対一で向かい合っていた。
 赤色に染まる部屋の中に居るのは、今はオレとこの女の二人だけ。
 さすがに『こんな話』、例の女官共や衛兵共の前でするわけにいかねぇから、
 苦労して人払いしてもらって、なんとかここに漕ぎ付けられた。
 ……これが第一夫人様とかなら、ぜってーこうはいかないんだろな。
 お袋さんが見捨てられまくりの影薄い夫人だった事を、今だけは点に感謝しとく。
 
「あいつが『望んだ』んだよ」
 むしゃりと汁気たっぷりのヤシの実の削ぎ切りを齧りながら、二の句を継ぐ。
「だから『来た』、願いのままに、望みのままに」
 ――厳密に言えば、あそこまで劇的に反応する事はまずほとんどねぇんだが。
 どっこいそこは、あの王子サマの生まれ持っての余計な体質が災いした。
 『視えちまう』――『認識できちまう』って事は、たったそれだけで十分やっかい。
 対象を認識できる、明確なイメージを思い描けるって事は、
 魔術の世界じゃ実に重要な要素だかんな。
 
 …二つと無い才能、お前は選ばれたんだって、オレ、あいつに言ってやったけど。
 でも実際、そう考えればどうなんだろうな、この【見鬼】って奴の能力も。
 
「だからあいつが変わらない限り、結局は元の木阿弥だ、『再発』する」
「……!」
 びくりとおふくろさんが身を震わせたが、でも可哀想だがこりゃあ事実だ。
「オレがやったのは、もうカタチを持ってあいつの周りにべっとり纏わりついてたのを、
できるだけ細かく引き千切って、遠くにぶん投げて吹き飛ばしてやっただけ」
 吹っ飛ばして、それで終わりだったなら最初からそうやってる。
 『救済』しなくていい、『破壊』すればいいだけだったんなら最初からそうしてるさ。
「でも【核】が滅んでねぇんだからな。引力がある限り、そりゃ再生もするさ」
「そんな……」
 そうして【核】を破壊しちまったら元も子もない、【核】だけ傷つけずに周りだけ
 削ぎ落とさなきゃダメだったせいで、あんなにややこしいかったんであって。
 
「じゃあ…一体あの子は、どうすれば……」
 ただ、途方に暮れたような顔をするおふくろさんに対し。
 
「いやいや、言っただろ、『変わらない限り』ってな」
 にやりと笑って、オレは次の果実に手を伸ばしながら指を振る。
「…かわ、る…?」
「そう、要は生きるのが楽しいって思わせればいいのさ」
 杯に注がれたエールを煽ると、両手を広げて高らかに。
「太陽が眩しい! 空気が旨い! 食べ物も美味しい! 女の子は可愛い!
死人の友達を作らなくったって、生きている友達さえ居ればいいやっ!
ああ、人生ってなんて素晴らしいんだろう! 生きてて良かったー…ってな♪」
 そう、なるだけ冗談めかして言ったつもりだったが。
「…………」
 ああ、暗いな~おふくろさん。
 まあ実の息子が10歳で既に自殺志願者って知れば当然かも知らねぇがよ。
 でも、ま。
「そんな事――…」
「いやいや、あるんだなーこれが、ちょうどいい手段が」
 
 
 
 
 

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