虎の威 第4話
人混みを駆けて、駆けて、駆け抜けて人気の無い一角にたどり着く。
市場を抜ければそこは極普通の住宅街で、テレビで見たヨーロッパ辺りの市場の町並みに似
ているような気がしないでもない。
淡いクリーム色の、ごつごつとした石造りの建造物。
煉瓦か何かで舗装された道。
路地を一本抜けた向こうにはまだ市場の雑踏が見えていて、千宏は乱れた呼吸を整えながら
ごしごしと涙を拭い、雑踏から隠れるように壁に背を預けて座り込んだ。
逃げてきてしまった。
逃げたからと言って状況が好転するわけでもないのに、感情に任せて逃げ出してしまった。
一人で帰れるわけでもないのに。
行く場所があるわけでも無いのに。
気持ち良さそうだったから、止めない方がいいかと――。
「くそ……くそっ!」
膝を丸めて頭をうずめ、誰に言うでもなく悪態をつく。
惨めさがこみ上げて、じりじりと千宏の心臓に爪を立てる様だった。
ひどく胸が苦しくて、苦しさが溢れるようにまたぼろぼろと涙が落ちる。
「なんなんだよ……もう! なんなんだよ! 平気なのかよ! あれが普通なのかよ!」
可愛い猫ちゃんね。触らせて?
お腹撫でてあげると喜ぶの?
うわぁ、かわいい。ごろごろ言ってる。猫ちゃん猫ちゃん、きもちいい?
無邪気な子供の笑い声が今にも聞こえてくるようだった。
自分の立場を再認識する。
「もうやだぁ……」
それでも、縋らなければ生きていけないのだ。
一人で行き抜ける力をつけると――そう心に決めたのだ。それまでは我慢して、この立場を
受け入れなければならないのだ。
ご主人様に媚びて、懐いて、自分の居心地が良くなるように。ご主人様に愛されて、自分の
思い通りになるように。
お客様を噛む犬は駄犬だ。
お客様を引っかく猫は狭い籠に閉じ込められる。
ましてや、ろくに芸も出来ないくせにご主人様に逆らうなんて――。
千宏は自分の手首に噛み付いて、叫びださないように必死に耐えた。
自分は珍獣だ――珍獣だ。珍獣なんだ。
ありがたい事じゃないか。それだけで人は――人間は価値があると認めてくれる。存在それ
自体が価値なのだ。
代わりはいくらでもいるわけじゃない。大丈夫。まだ間に合う。
戻って謝れば許してもらえる。寂しかったの、怖かったのと甘えて見せればそれでいい。
尊厳なんて考えるな。そんな物は存在しない。
尊厳を得るために耐えなければならないのだ。
戻ろう――。
そう、千宏が顔を上げたその時だった。
腕を捕まれ、ふわりと体が宙に浮く。
「おおい! 捕まえたぞ!」
もさもさとした毛皮の感触。さかさまの世界。
肩に担がれている――と理解するのに数秒かかった。
虎だ。黄色と黒の、オーソドックスな虎模様。
「やっぱりか! こっちに走って来たと思ったんだ! おおい、見つけたとよ!」
ぎょっとして、虎の頭越しに振り返った前方に、同様に黄色と黒の虎男。
千宏を担いでいる虎を合わせれば三人か――。
「何――なに、なに? やだ、やめてよ! 降ろして! 降ろしてよ!」
「よーしよし。暴れるなよお嬢ちゃん。一人で怖かったな。もう大丈夫だ」
なにがどう大丈夫だと言うのだろう。
この状況で――一体何が。
「本当にヒトだぜ」
「信じられん。なんだってこんな所に――」
「降ろせって言ってんだろ馬鹿! 降ろせ! 降ろせ馬鹿!」
「分かった分かった。大丈夫だから暴れるな。な? 怖くない怖くない」
「誰かの飼いヒトか?」
「かもしれねぇが。“落とした”んだろ。で、今俺達が拾ったと」
ぞくり――と背筋が凍りついた。
そうか、そういう、扱いか――。
「お使いを頼まれたんだよ! ご主人様は近くにいるんだ! だからお願い降ろして! 降ろ
し――!」
咄嗟にそう叫んだ途端、ぷつん、と首のあたりで何かが切れた。
これだけは絶対に着けていないと危ないんだと、パルマに与えられた首輪である。
ぽとりと地面に落ちたその青い皮製の首輪を見つめ、千宏は呆然と言葉を失った。
「ヒト奴隷にこんな所を一人で出歩かせたら、こうなる事くらい分かってただろうに」
「捨てたようなもんだよ。構いやしねぇ」
「俺達のねぐらに案内しような、お嬢ちゃん」
そんな――。
喉が引きつって言葉が出てこなかった。
あぁ、くそ、まただ。
自分はどうしていつも、声を上げなければならない時にこうやって竦んでしまうのか――。
「なぁ、その前によ、ちょっとだけ味見してみねぇか?」
その上――。
「おいおい……まだ昼間だぞ!」
「お前ほんと分かってねぇなぁ。ヒトのメスは繊細なんだ。ちゃんと媚薬やってからじゃなきゃ
怖がるわ痛がるわ……」
「だからよ、痛がらせなきゃいいんだろ? ちょっと指入れてみるだけならよ、な?」
嫌だ――と叫べば、ひょっとしたらやめてくれるのだろうか。
だが、どうしても声が出てこない。
「っつーかここ、市場じゃねぇかよ。アフアの実くらい売ってるんじゃねえの?」
「おまえ頭いいな!」
「つまり味見ついでにここで媚薬使えば、ねぐらにつく頃にはすっかり出来上がってるってわけだ」
「じゃあ俺ちょっと買ってくるわ。そこの路地にいてくれ。先に始めててかまわねぇから」
虎男の一人が嬉々として雑踏へと駆けていく。
そして、千宏を担いでいる男が動いた――薄暗い路地裏に向かって。
何をされるのか想像が付かないほど馬鹿では無い。
暴れようとした四肢が動かなかった。舌先さえ動かない。
路地裏に積み上げられた木箱の一つに腰を下ろし、虎男は千宏を後ろから抱きかかえるよう
にして膝の上に座らせた。
「おい、この子泣いてるぜ?」
正面に立つ虎男が、ひょいと千宏の顔を覗いて言う。
「お前のツラがこええからだよ。よしよし。お兄さんが守ってやるからな」
「悪かったな悪人面で!」
千宏からしてみれば、虎など全員悪人面なのだけど――。
「へーぇ。結構かわいいもんだな。なんつーかこー……ネズミっぽい?」
「おまえ、小せぇ女はみんなそう見えるんじゃねぇのか?」
千宏を抱えた虎男がゲラゲラ笑う。
「ぁ……あ……」
ようやくこぼれた吐息のようなその声に、二人はぴたりと喋るのをやめた。
「たす……助け……おねが……」
驚いたように目を見開き、虎がお互いに顔を見合わせる。
「すっかり怯えちまってるぞ。可哀想に」
「大丈夫大丈夫。優しくしてやるからな」
ぎゅう、と千宏を背後から抱きすくめ、子供にそうするように緩やかに体をゆする。
すると正面の虎男が腰を屈め、千宏のズボンに手をかけた。
「ぃ、い――ッ!」
ウェストで縛ってあった紐を解かれ、するりとあっけなく脱がされる。
必死に閉じようとする両足をまるで抵抗を感じていないように両肩に抱え上げ、虎男はおお、
と声を上げた。
「まだ何もしてねぇのに濡れてるぞ」
「なぁんだ、調教済みなんじゃねぇか。こりゃあいい」
違う――それは、それはさっきイシュが――。
「よーしよし。前のご主人様よりずっと気持ちよくしてやるからな」
言って、下着の上からべろりと舌を這わされた。
ひ、と恐怖と嫌悪に声が漏れ、ガチガチと歯が鳴った。その間に、千宏を抱きかかえた男が
ぐいと上着をたくし上げる。
慄然として、完全に色を失った自分の体を凝視する。
全身に鳥肌が立っていた。その、お世辞にも大きいとは言えないふくらみを、ふさふさと毛
が生えた両手がふにふにと揉みしだく。
「うわ、やわらけぇ」
誰か――。
「おお。溢れて来たぞ。たまんねぇな」
誰か、助けて――と、心の中で悲鳴を上げる。
ずるりと下着を剥ぎ取られ、直接舌があてがわれた。
ざらりとした感触。
「ひゃあんっ!」
思わず漏れたその声に、千宏自身が驚いた。
そんな――違う。違う。
「気持ちいいだろ? な? 怖くないって言っただろ?」
ざらり、ざらりと、猫のような――。
「あ、あぁ……や、や、や……」
ぬめぬめと、長く分厚い舌が押し入ってくる感触に、千宏は喉を反らせて悲鳴を上げた。
ざらざらとした舌が、柔らかな肉壁を擦り上げて刺激する。
指で――指で慰めた事は何度もある。小さなローターで一人遊びに興じた事だってある。
だが、先程イシュにいかされた時だってこんな風には感じなかった。
ふにふにと乳房を揉んでいた男の指が、爪の先でくりくりと乳首を転がした。
体が言う事を聞かない。ガクガクと体が震え、いつの間にかだらしなく喘ぎ声を零していた
口から、つ、と細く唾液が垂れる。
ぐいと喉を反らされて、震える唇にべろりと舌が這わされた。
無遠慮に口の中に入り込み、だらだらと唾液を流し込まれる。
むっとする獣の臭い――それとも、これが男の臭いなのか。飲み下したくなくて必死に喉を
絞めて抵抗し、そのせいで息が苦しかった。
「んん! ん、んぅー! ふぅん……ん、んぅ……ッ!」
ぼろぼろと涙を流しながら、千宏は上下の口を舌に犯されて目のくらむような絶頂に全身引
きつらせ、それでも立て続けに与えられる快楽から逃れようと必死になって身を捩った。
唇が解放され、しかし出てくるのは制止の言葉ではなく喘ぎ声ばかりで――。
「あぁ! あ、ひぅ……だぇ、や……やぁ、あ、あぁ――!」
「こりゃあ、媚薬なんざいらなかったかもなぁ」
「いや、でも穴は相当狭いぞ。調教済みかもしれねぇが、まだ使ってねぇんじゃねぇかな」
「調教済みでもいてぇのかな」
「さぁ……詳しいのはあいつだしなあ」
ぐちゅり、と音を立てて、きっちりと爪のしまわれた指が這わされる。
やめて、と言う間もなくそれは千宏の中に入り込み、ぐちぐちと音を立ててかき回した。
「――試してみるか」
指が引き抜かれる。
呼吸を止め、千宏は表情を作る事も忘れて眼前の虎を凝視した。
ふるふると、ただ力なく首を振る。
「いやだ……」
今回は声が出た。
そうだ。嫌だ。嫌だ。
「大丈夫だって。痛かったらすぐやめるから。おい、ちょっと足持っててくれよ」
ぐいと大きく足を開かされ、千宏は再び喉が引きつるのを意識した。
嫌だ。いやだ――。
「いやだ……いやだ、いやだ! いやだ! いやだぁあ!」
ズボンを下ろし、平気で子供の腕ほどはありそうな怒張を引きずり出す。
涙で歪む視界で恐怖に竦みながらそれを凝視し、千宏は眩暈と吐き気を覚えてそれが自身に
あてがわれる様子から目をそらした。
ぬちゃり、と音を立て、熱の塊が押し当てられる。
「たすけて……たすけて……たすけ……」
ず、ずず、と、男が腰を押し進める。
無理だ――痛い。痛い。痛い。
「痛い! 痛い、痛い! やだぁ! やだぁあぁあ!」
「チヒロ!」
ぎょっとしたように、二人の虎男が動きを止めて声の方を凝視した。
褐色の肌に、銀色の髪。
「バ――」
「うわ、マダラかよ」
「あーびびった。なんだ? チヒロって」
ずるりと、まだ先端もろくに埋まっていなかった凶器が引き抜かれる。
ずぐずぐとその箇所が痛んだ。その痛みを必死に軽減しようとするように、分泌液だけがと
ろとろと滴っている。
「そいつに何してる……」
「ああ。拾ったんだ。いいだろ」
「ヒト奴隷だぜ? なんならおまえも味見――」
「俺の女に何してる――!」
うぉ、と小さく唸って、二人は顔を見合わせた。
あちゃあ、とでも言うように、がりがりと耳の後ろをかく。
「おまえの――って言われてもなぁ。証拠はあるのかよ。見ての通りこいつは首輪もしてない
し、今は俺達のもんなんだ」
「拾った奴の物――ってのは、常識だろ? 落としたほうが悪いん――」
「泣いて嫌がってんのがわからねぇのか馬鹿野郎! 返せよ。チヒロをそんなふうに扱う奴に、
はいそうですかって渡せねえ」
面倒くさそうに、虎男が萎えた陰茎をズボンに納めてバラムを見る。
ゴキゴキと首の骨を鳴らし、先程までとは明らかに違う、凶暴な目でバラムを見た。
「おい、マダラのお坊っちゃんよ。口の利き方ってもんをしらねぇな。あ? なんならケツに
突っ込んでよがらせてやろうか? ヒトのお嬢ちゃんと一緒に媚薬たっぷり使ってよ」
憤怒に燃えた表情で、バラムがじっと虎男を睨み据えた。
無理だ――と思った。敵うわけがない。
だってバラムは人間みたいで――この虎は、虎なのだ。
爪の鋭さも、牙の鋭さも、体の大きさも、きっと力だってぜんぜん違う。
その時、おおい、と明るい声がした。
「買ってきたぜ薬――って。うわ。何やってんだよおまえら」
先程、市場に消えた虎男である。
そして、
「――何があった」
と急に真剣な声を出した。
「どうもこうもねぇよ。こいつがいちゃもんつけてきて――」
「チヒロを返せ」
これだよ、と肩を竦める。
「――おまえら、こいつに何かしたか?」
「今から一発ぶん殴ってやる所よ。そのあとケツに突っ込んでや――」
「馬鹿野郎死にてぇのか! こいつはバラムだぞ!」
ぎょっとして、バラムと対峙した虎男が目を見開く。
「バラム――って、まさか、アカブの兄貴か!」
ざ、と、今にも飛び掛らんばかりだった虎男が飛びのいた。
そして、千宏とバラムを交互に眺め、忌々しげに舌打ちする。
「クソッ! あぁ、畜生!」
放してやれ、と声が上がり、ひどく未練がましい動作で千宏は解放された。
バラムは屈強な虎男達を睨みつけたまま動かない。
「悪かった。野良だと思ったんだよ。だからアカブには黙っといてくれよな。な!」
この場を終決させた虎男が、へらへらと笑いながらバラムに懇願する。
そして名残惜しそうに千宏を見つめ、他の二人を引き連れてそそくさと去っていった。
意味が――全く意味が分からない。
助かった、という事だけは分かった。
また、バラムに助けられたのだ。
「チヒロ……平気か? どこか怪我、してねぇよな」
「……うん」
そうか、と、ほっとしてバラムが笑う。
そして脱ぎ捨てられた下着とズボンの拾い上げ、砂を払って無言で千宏に差し出した。
あの三人は――あの三人の虎男達には、欠片の悪意も感じられなかった。
きっと、いい人達なのだろう。動物も好きなのかもしれない。
そして――それでも、当然のように千宏を犯そうとしたのだ。猫を見つけたら撫でようとす
るような、そんな決まりごとじみた雰囲気さえ漂わせて――。
バラムは、嫌だと言ったらやめてくれた。
やめてくれたのだ。言葉を聞いてくれたのだ。
この世界で、それがどれだけ優しい事か千宏は知りもしなかった。
それなのにいきなり全てを求め、食い違う価値観に激昂した自分は馬鹿だ。
住んでいた世界が違うのだ。
それでもバラムは、この世界の基準から考えれば逸脱して優しいのに――。
「ごめん……ごめん、バラム……ごめ……ありが……」
「あぁ、いや、俺こそ……あの、なんだ。イシュ、止められなくてごめんな。嫌だったんだよ
な。そうだよな、俺だってあんな市場の真ん中でいかされたら屈辱だもんな」
俺、馬鹿だよなぁ、と、バラムがうな垂れる。
「もっと早く見つけてやれなくてごめんな……俺、普通より耳悪いし、嗅覚だって並以下だか
らよ……」
丸めた服を渡されて、ごしごしと涙を拭われる、
促されて大人しく――下着はもう使い物にならなかったので捨てたが――服を着て、千宏は
バラムに手を引かれて再び市場へと戻って来た。
途中、落ちていたはずの首輪を探したが見当たらず、首輪がない、とバラムに言ったらもう
拾ってあると言う。
店に戻ると、イシュとは別の女性が店番をしており、謝礼にとキスをねだって上機嫌に帰っ
ていった。
疲れただろうから、今日はもう帰ろうとバラムが言い、千宏はありがたくその言葉に甘える
事にした。
全身、あの虎男達の臭いが染み付いている気がして気分が悪い。
早く体を洗いたかった。
バラムに手を引かれ、見た事のない生物が引く馬車のような箱に乗る。
落ち着くから――と言ってバラムが買い与えてくれた果物ジュースがおいしくて、千宏はそ
れを飲みながらまたボロボロと泣いていた。
「……俺さ。マダラだから、喧嘩に勝ったことねぇんだ」
不意にバラムが切り出した言葉に、千宏は泣くのをやめてバラムを見た。
「で、俺が泣いて帰るとよ、アカブの奴がすげぇ怒って、俺の喧嘩相手ぶちのめしちまうんだ。
まるで兄弟逆でよ。今も昔と同じで、俺が喧嘩して殴られたりすると、アカブの奴が仕返しに
行くんだ――いらねぇって言うのによ」
俺がマダラだからなんだろうけどな、と、バラムが小さく苦笑する。
「俺は弱いマダラだから――守ってやらねぇと、って、思ってるんだろうな。アカブはでかい
し、力も普通より強いから、俺とは逆に喧嘩に負けた事ねぇんだ」
だから、あの虎男達は逃げたのか。
アカブの報復が恐ろしくて――。
「あいつがいなきゃ、俺、おまえの事守れなかったんだよなぁ……」
がたん、と馬車が大きく揺れた。
「格好悪いよな、俺……」
マダラは綺麗。でも弱い。
きっとそれは、千宏がヒトである事と同じくらいどうしようも無い事で、それでもバラムは、
屈強な虎男達の前で臆さずに、千宏を助けに入ってくれたのだ。
「そんなことない」
格好いいと思った。
森で獣から救ってもらった時も、さっき、怒りに燃える瞳で屈強な虎男達を睨み据えたその姿も。
「弱いのは仕方ないじゃん……でも、それで、弱いからって格好悪いって事になるんじゃ、あ
たしなんてゴミみたいじゃん……!」
「チヒロはいいんだ。女だし、それにヒトだから……」
「バラムだってマダラじゃんかよ! マダラは弱いんでしょ? 弱いもんなんでしょ! だっ
たら弱いの普通じゃん! 仕方ないじゃん! 弱いのにあんなふうに出来るのは格好いいんだ
よ! 心が強いってことなんだ!」
「チヒ――」
「格好いいんだよ!」
千宏の激昂が理解できずに、バラムが瞳孔を丸く開いて沈黙する。
「あたしは弱くて……痛いの、が、怖くて……悲鳴上げたいのに、怖くて声も出なくて、悪態
の一つもついてやりたいのに出来なくて! すごく惨めで、格好悪くて、自尊心ボロボロなの
に! どうしてそんなに格好いいのに分からないんだよ! 馬鹿じゃないの! 気付けよ!
アカブがあんたを守るのだって、あんたがいい兄貴だからでしょ! 力が無くて弱い分、他の
所でアカブを助けてたんじゃないのかよ!」
ぐしゃりと、手の中にあった紙コップが潰れてジュースの残りが少しだけこぼれた。
それをじっと睨んでいると、また涙で視界がぼやけてくる。
泣いてばかりだ。
泣くことしか出来ない――泣く事でしか抵抗を示せない。まるで赤ん坊じゃないか。
格好悪い――凄く、凄く格好悪い。
おろおろと、バラムがどうしていいか分からないという様子で千宏を見た。
尻尾の挙動が明らかに不審である。
悩んで、悩んで、悩みぬいた挙句、バラムは恐る恐る――本当に恐る恐る千宏の体を抱き寄せた。
そんな様子が妙におかしくて、尻尾や耳は相変わらず可愛くて――。
たまらず、千宏は小さく吹き出した。