猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

続虎の威02

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続・虎の威 02

 

 翌日、ハンスにかせられた仕事は身だしなみを整える事だった。
 ヒト奴隷を所有してるような男が貧相なナリをしていたら、誰も怪しんで近づいてこないだろうし、色々と面倒な問題が出てくる可能性があるのだと説明しながら、千宏は「へそくりなんだ」と笑ってかなりの金額が入ってると思われる皮袋を掲げて見せた。
「凄いな……どうやって稼いだんだ?」
「悪い事」
 にこりと、千宏が屈託なく笑う。
 ハンスはそれ以上質問することをやめた。
 昼食後、激しく不平不満を並べ立てるカブラを宿に残して、千宏はハンスを連れて宿を出た。
 元々ぼろきれを纏っていたハンスは、一番体格の近いカアシュの服を借りなければならなかったが、千宏が一言お願いすると、カアシュは特に抵抗する事もなく、むしろ快く服を貸してくれた。
 これもカブラは死ぬほど反対したが、千宏はまるでカブラの声などまるで聞こえていないかのように、完全に無視を決め込んだ。
 ブルックは既に我かんせずを決め込んでおり、長々とソファに寝そべって読書にいそしんでいた。
「商売道具も用意しないといけないんだよね……」
 ぶつぶつと呟きながら、千宏は大通りをふらふらと歩いた。
 あちこちの店を覗くいて回るものだから、百メートル進むのに一時間もかかる。
 その後に大人しく付いて歩きながら、ハンスはカブラの憎悪の視線を思い出していた。
「……よかったのか?」
「なにが?」
 甘そうな果物を前に、なにやら真剣に悩みながら千宏が答える。
 ハンスは溜息を吐いた。
「カブラとか言うトラ。凄い剣幕だった」
 出かける、と言う千宏に対し、当然のように付いてこようとするカブラ達を、千宏は拒絶したのだ。
 護衛が必要だろうと喚くカブラに千宏がした事といえば、ハンスを指差す事のみである。
 カブラはそれが相当ショックだったらしく、ハンスのみならず千宏にまで激しく罵り声を上げていた。
 ここまでずっと、あの男たちがこのヒトの護衛役だったのだ。それを突然現われたイヌの浮浪者の方が頼りになると言われては、怒らない方がおかしいだろう。
 結局果物を購入することは諦めたらしく、千宏は再び歩き出した。
「しょうがないよ。だってとてもあいつらには見せられないようなもの買うわけだし」
「喧嘩別れする事になったらどうするんだ」
「そんな事は起こらないよ」
「どうしてそう言える」
「だってあたしたち友達だもん」
 世間知らずの子供が吐くような台詞である。ハンスは顔を顰めた。
「そんな理由じゃ、不十分だ」
「どうして?」
「親友だって、裏切る時は裏切る」
「じゃ、それは親友じゃなかったんだよ。親友は裏切らないもん」
「そんなこと、裏切る瞬間になってみないと分からないだろ!」
 思わず声を荒げたハンスに、千宏は驚いたように振り返った。
 大通りを行き交う人々の視線が、ちらとハンスに注がれてはすぐさま興味なさ気にそらされる。
 ともすればはぐれてしまいそうな雑踏の中で、千宏はじっと立ち止まったままハンスの顔を凝視した。
「でも、裏切るまでは友達だ」
 唖然とする。
 それじゃあ、この少女は――。
「おいで。このお店、結構よさそうだよ」
 笑って、千宏はハンスを手招いて店へと滑りこんでいった。
 慌てて追いかけ、けばけばしい色合いの強い店の立ち並ぶ中で、一軒だけ落ち着いたたたずまいをしている衣料品店の扉をくぐる。
 上品――と言えば聞こえは良いが、はっきり言って地味の一言に尽きる店だった。
 派手好きのトラの国で、よくこんな店がやっていけるものである。
 千宏はずかずかと店内を突き進み、店主と思しき男に声をかけた。
 年老いたトラの紳士である。だが、恐ろしく体格がいい。カブラよりもはるかに強そうだ。
「イヌが着られそうな服、ある?」
 くるりと首をかしげた千宏に、店主は人の良さそうな笑みを浮かべて見せ、そしてハンスに視線を投げた。
「ございますとも。どのようなお召し物をお求めでいらっしゃいますか?」
 トラの敬語だ。初めて聞いた。しかも使い慣れた風である。ハンスはしげしげと老人を眺め、数秒の沈黙の後、今の質問が自分に向けられているのだと気付いてうろたえた。
「あ、いや、俺は……」
「普段着だから、そんなに堅苦しくなくて、一番上品に見えるやつお願い。お金はこれしかないんだけど、これで三着くらい買えないかな?」
 すぐさま千宏が割って入り、店主に先ほどの皮袋を渡す。
 店主は中身を改めると、力強く頷いた。
「十分でございます。それでは、寸法をお調べいたしますので、そちらの青年はどうぞこちらへ」
「それと、なんか何でもいいから、部屋で着てぐったり出来るような服もお願い。これは見た目とか全然気にしなくていいから」
「かしこまりました」
 にこにこと笑いながら、店主がハンスの体に巻尺を当てる。
 おや、と、店主が怪訝そうに採寸の手を止めた。
「……お客様。失礼ですが、一回りか――できれば二回りほど大きなサイズを購入なさる事をお勧めいたしますが……」
「え? なんで?」
「こちらのお客様は、今は随分と痩せておりますが、骨格を考えればもっと肉が付いている方が自然。今の体格にあわせた服を買いますと、生活習慣によっては一月足らずでかなりキツくなりますかと……」
「あんた、そんなにガリだったの?」
 意外そうに千宏が尋ねる。
「たぶん、ここ数年で二十キロくらいは痩せた」
「うわぁ、男の体格って全然わかんねぇー」
「いかがなさいますか?」
「あ、全部任せます」
「ではそのように」
 大まかな寸法を測り終え、店主が店の奥へと引っ込んでいく。
 恐らく、店頭にはサイズがないのだろう。
 する事もないのでその場に突っ立っていると、不意に、千宏がハンスの体にぺたりと手の平を押し付けた。
「……筋肉」
「は?」
 シャツの中に手をつきいれ、体毛を掻き分けるようにもぞもぞとハンスの体を探る。驚いたが、振り払うのもどうかと思い、ハンスはそのままされるがままになっていた。
「こんなにガッチリしてるのに……あ、肋骨。ははぁ。なるほど。アカブは肋骨浮いてなかったもんね」
「アカブ?」
「うん。家のお母さん」
「おまえの母親は俺より体格がいいのか。ケダマか?」
 思わず訊ねると、何がおかしかったのか千宏が思い切り吹き出した。
「ねえ、あたしちょっとあっちでお風呂用品見てるから、終ったら迎えに来て。あんた、好きな香りとかある?」
「……いや」
「じゃ嫌いな香りは?」
「いや」
「そう。ならよし」
 笑って、千宏はばたばたと店を出て行った。
 その、数分後である。
「――なんだ、お嬢ちゃんはいっちまったのか」
 打って変わっただみ声に、ハンスはぎょっとしてカウンターの方へと振り返った。
「悪いが男に媚を売るほど出来た人間じゃねぇんでな。ほら、もってきな」
 乱暴に、服を詰めた袋を放られる。ぽかんと口を開けて絶句したハンスの頭を、トラの老人が乱暴に小突いた。
「なに間抜けな面してんだよ。あとな兄ちゃん。こいつはさっきのお嬢ちゃんにだ。なに、金はいらねぇよ。べっぴんさんじゃねぇか。いつまでもヒモじゃ格好つかねぇぞ? とりあえずこいつをプレゼントして、がっちりハートを掴んどくことだな」
「いや、俺は別にそういうんじゃ……」
「なに間の抜けたこと言ってんだ! てめぇいい年して童貞か?」
「余計なお世話だ!」
「なんだ、まじでそうなのか?」
「違う! そういうことを言ってるんじゃ――」
「照れるなよ坊主! よっしゃ、いっちょ俺様が秘蔵の一冊を進呈してやろう。こいつで勉強すりゃあどんなはねっかえりのトラ娘だってたちまち蕩けて腰をふらずにゃいられねぇって一品だ。彼果てたばあさんだって発情するってもんさ!」
「あんた、そんな性格でよくあんなふうに振舞えたな」
「そりゃおまえ、その方が女にモテるんだよ。わっかんねぇかなあ? ちっと頭をつかやぁ、得がたい人材が求められるもんだって気付くはずだぜ?」
 理解できない。
 ハンスは心底げんなりし、結局秘蔵の一冊とやらを袋の中に無理やり押し込まれて店を出た。

 商店街を散々歩き回り、宿に帰りついた時には日はすでに傾きかけていた。
 千宏は男物のシャンプーやリンスを買い込み、また、「商売道具」の数々も抜け目なく手に入れた。
 といっても、首輪や怪しげな衣装は元々持っていたらしく、買ったのはローションなどの消耗品である。
 ヒトが使っても無害である事は実験済みなのだと、千宏は少し照れくさそうに微笑んだ。
「さて。じゃあ、はい」
 笑顔で、シャンプーとリンスを押し付けられる。
「ちゃあんと隅々までふかふかになるんだよ。命令だからね!」
「は。了解しました」
 命令という言葉に、思わずそんな答が出る。
 よろしい、とふんぞり返った千宏に見送られ、ハンスは風呂場にこもり、念入りなシャンプーの後、産まれて初めてリンスで毛皮の手入れをした。
 イヌのハンスの嗅覚には少々強すぎるが、爽やかな森の香りのリンスだ。よく毛に馴染ませてからよくすすぎ、全身の毛を乾かす。
 それだけで、段違いだった。風呂上りはいつももつれる尻尾の毛が、実に素直に流れている。
 命令どおり、腰にタオルを巻いただけで部屋に戻ると、千宏がブラシを片手にハンスを待ち構えていた。
 心なしか、とてつもなく楽しそうだ。今にも舌なめずりしそうな勢いである。
「さぁさぁ、お客様。どうぞこちらへ。さあこちらへ」
 ぐいぐいと腕を引かれて、ベッドにうつ伏せに寝るように指示される。
 その背中に、千宏がどっかと腰を下ろした。別に重くもないが、少し戸惑う。
「いひひひ。たまらんな。いや猫もいいけど犬もいいよね。うわあ取れる取れる。これは快感。なんたる快感」
 理解できない。
 しかし、いい気分だ。
「お客さん、かゆい所はありませんか?」
「いや……平気だ」
「ハンスって、ちょっとハスキーっぽいんだね」
「うん?」
「あたしの世界での犬種。シベリアンハスキーっていうね、かっこいいイヌがいるんだ。少し似てる」
「そうか」
「うん」
「オオカミっぽいんだよ。あたし、オオカミって好きだなぁ」
 さすがにむっとして、ハンスは肩越しに顔を上げて千宏を睨んだ。
「――俺はイヌだ」
「……うん。知ってる。あれ? あたしなんか悪い事言った?」
 千宏が心底不思議そうに首をかしげる。
 ハンスは言葉に詰まった。
「知らないのか?」
「なにが」
「リュカオン」
「悪いけど」
 聞いたこともない、と言う。
 ハンスは溜息を吐いた。
「イヌとオオカミは敵対してるんだ」
「そうなんだ……どうして?」
「オオカミがイヌを裏切った」
「どうして?」
「さあな」
「それって、大戦がうんぬんって話?」
「そうだ」
「でもそれって、もう歴史の授業レベルの話だよね」
「そうだな」
「なのにまだ敵対してるの?」
「――何が言いたい」
「別に。ばかみたいって思っただけ」
 ハンスは言葉を失った。
 しかし千宏はあくまで泰然としており、ブラッシングの手も止めていない。
「なんだと?」
 自然、声が低くなった。
「だって、裏切ったのは今のオオカミじゃなくて、昔のオオカミなんでしょ? そんなの、お前のご先祖が俺のご先祖を殴ったから、俺がお前を殴り返してやるって言ってるようなもんじゃん」
「奴らの裏切りのせいで、俺たちイヌがどんな生活を強いられてると思ってるんだ!」
 叫んで、ハンスは身を起こして千宏を睨み付けた。
 呆然とした様子で、千宏もハンスを凝視する。
「……知らない」
「――何?」
「あたしは、イヌの国がどんなだか、知らない」
 沈黙があった。
 長い沈黙の中で、千宏は身じろぎ一つしない。
「だったら……知りもしないなら、知った風な口をきくな……」
 吐き捨てて、ハンスは立ち上がった。
「貸してくれ。自分でやる」
「ん」
 千宏からブラシを受け取り、部屋の隅のソファで黙々と自分にブラシをかける。
 一言も何も言わずに、千宏はふらふらと部屋を出て行った。恐らく、カブラ達の部屋に行くのだろう。
 ひどく惨めな気分だった。
 ――馬鹿みたい。
 ああ、まったく馬鹿げている。
 いつまで――いつまで過去に縛られなければならないのだ。自分達じゃない。世界を征服しようと企てたのは、自分達では無いのに――。
 二時間程度で、千宏は再び部屋に戻ってきた。
 そして、とうにブラッシングを終えて窓の外を眺めていたハンスに、真っ直ぐに歩み寄ってくる。
 そして一言、
「馬鹿みたい」
 そう、はっきりと言い放った。
「みんな逃げ出しちゃえばいいのに、そんな土地。あんたたちは体も大きいし、力だって強いんだから、色んな仕事できるでしょ? 軍事大国なんだったら、警備会社でも立ち上げて金持ちに売り込めば? あんたたちバカなんじゃないの? やれって言われた事をはいそうですかって何年も何年も馬鹿正直に守り続けさ!」
「なん――」
「他の国に愛想振りまいて尻尾振って、受け入れてもらう努力も出来ない国なんて馬鹿げてる! 閉じこもってろ! わかりました! それでずーっとなんのアクションもなく陰々滅々と同じ場所にこもってたら、なに企んでるんだって怪しまれて当然じゃん!」
「ふざ――」
「絹糸だかピアノ線だかしらないけど、そんなのだって馬鹿げてる! あんた達が大人しくそんなもんに縛られてるせいで、バラムはあんな何もないところで、永遠に起こりもしない戦争に備えて縛られてなきゃならないんだ!」
「ふざけるな! そんな事ができたら、誰だってとっくにそうしてる! おまえなんかに――たかがヒトごときに何がわかるって言うんだ!」
 半ば叫ぶようにして、ハンスは怒鳴った。
 何も知らないくせに。なにもわからないくせに。ル・ガルの寒さを知らないくせに。たかが性奴隷のくせに――。
「あっそう。じゃ、なんで誰もしてないの?」
「それは――」
「あんた達はトラに一発殴られたら死ぬの? 正体がバレると犯されるの? 捕まって奴隷商人に売られるの?」
 愕然と、ハンスは息を止めて目を見開いた。
「誰かに怪我をさせると保健所で殺されるの? 軽い風邪で死に掛けるの? 食べもの一つ食べるのに怯えないといけないの? イヌの国から一歩出たらそこは全くの別世界で、二度と国には戻れなくて家族にも会えなくなって、自分が何処にいるか何が出来るか理解も出来ないうちからペット扱いされて、犯されて、犯されて、犯されながら発狂するのが何よりの幸福だって言われるような生き物に成り下がっちゃうわけ?」
 何も言えずに、ハンスは壁に背を預け、ずるずるとその場に座り込んだ。
「馬鹿みたい。馬鹿。馬鹿犬。あんたたちはやろうと思えばなんだって出来るくせに、なにかやろうとも思わないで現状を嘆いてるだけじゃない」
「俺は違う! 俺は――俺は……!」
 変化を望んだ。全てが輝いて見えた。全てが羨ましかった。
 だが、何も変わらなかったではないか。こんな事になるとわかっていたら、ネコの誘いになど乗らなかった。
「俺は……」
 国に従う事をやめ、ネコに従う事をやめ、自由になって――そしてどうした?
 生きていただけだ。ただ、生きていただけで、自分から何かを成そうとした事は一度もない。
 千宏は――この、性奴隷に過ぎないヒトの少女は、それでも何かを成そうとしているというのに――。
 気付けば、千宏は泣き出していた。
 真っ直ぐにハンスを睨みおろしながら、意志の強そうな瞳から涙を溢れさせていた。
「どうして――」
「あんたが馬鹿なことばっかり言うから、こっちまで惨めになってきたんだよ! この馬鹿犬!」
「す、すまん。謝る。俺が悪かった」
 謝罪の言葉はするりと出てきた。
 千宏の言うとおりだ。なにもかも馬鹿げている。自分は、何をそんなに意地になって反論していたのだろう。ほんの一瞬前のことなのに、ハンスは思い出せなかった。
「わかってるよ……そんな簡単じゃないって。でも、だけど誰かが動かなきゃどうにもなんないじゃないか! ほかの誰かのためじゃなくてさ、自分のためでいいんだよ! 変われるんだって、できるんだって誰かが証明すれば、絶対よくなるんだよ……!」
「そうだな……そうだよな……」
 しゃがみ込んでしまった千宏をどうする事も出来なくて、ハンスは千宏の前ににじり寄り、ただおろおろとするばかりだった。
 そのまま無言のうちに数分が過ぎ、千宏がぐずぐずと鼻をすすり、赤くなった目元をごしごしと拭う。
「……馬鹿みたい」
 吐き捨てて、千宏は立ち上がるとバスルームへと歩き出した。

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