猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

続虎の威03

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続・虎の威 03

 

「だめだ! 今日も出航できねぇ!」
 空は快晴。海は凪いで風もなく、絶好の船旅日和だというのに、カブラは苛々としながら宿に戻ってきて乱暴に言い捨てた。
「沖の方はひどい嵐で、とても船なんざ出せる状態じゃないんだとよ。くそ! ったくついてねぇ」
「いいじゃねぇか。一週間足止めくらったこともあるんだから、ほんの二日や三日。なぁブルック」
「そうだなぁ。俺も船は好きじゃねぇし、まあそんなに焦ることもねぇだろ」
 苛立ちを募らせるカブラとは対照的に、カアシュとブルックはくつろいだものである。
 千宏はそんな三人のやり取りを眺めながら、ハンスに丁寧にブラシをかけていた。船が出ないということは、今夜もこの町で足止めである。
 だが、丁度いいかもしれない、と千宏は思った。
 今夜一晩、予行演習をかねて仕事をして、それによって何らかの不都合が発見されたら、航海中に改善し、新しい土地で改めて商売を始めればいい。
 むしろ好都合と言える展開だった。何事も余裕があるのはいいことだ。
 問題はどこで“こと”に及ぶかだが、まさかこの宿に引っ張り込むわけにもいかないだろう。この辺りには、エクカフにあった社交場のような場所はあるのだろうか。
「ねえハンス。あんたこの町でどれくらい浮浪者してたの?」
 訊ねると、ハンスは考え込むように首を捻った。
「日付の感覚が無かったからはっきりとは言えないが……まあ、半月くらいか」
「じゃ、結構この町に詳しいんだよね。ちょっと案内してよ」
「俺は構わないが……」
 ちらと、ハンスがカブラに視線を投げる。
 奇妙な沈黙にカアシュが目を瞬き、ブルックと顔を見合わせた。
「この町だったら俺たちもそれなりに詳しいぜ? どこに行きたいんだ? 俺、案内してやるよ」
「やめろカアシュ! チヒロはイヌ野郎に頼んでんだ。俺たちにじゃねぇ」
 吐き捨てるような言い方だった。
 ブルックとカアシュが、何があったのだと問いたげにカブラを見るが、カブラは誰とも視線を合わせようとはしなかった。
「なんだよ急にデカい声出して。船が出なかったことなんて今まで何度もあるだろ? チヒロにあたるなよ」
「いいよカアシュ。ハンスがいるから大丈夫。三人は仕事のこともあるんだし、あたしのことは気にしないで。ありがとカアシュ」
「そうか? ならいいんだけどよ……」
「ああそうだともよ! 俺達は忙しいから、おまえの道楽なんぞに付き合ってる暇はねぇんだ! 何かやりたい事があったら、おまえの護衛に命令してやってもらやいい! 別にこの港で別れたっていいんだぜ? もう俺たちと一緒にいる必要もねぇんだからな!」
 ちくしょう、と激しく罵り声を上げて、カブラは入ってきた時よりも乱暴な足取りで、どすどすと部屋を出て行ってしまった。
 さすがにこれには唖然とし、チヒロもブルックたちと顔を見合わせる。
 最後にハンスに視線をやると、ハンスは「ほらな」とでも言うようにひょいと肩をすくめて見せた。
「なんだ、ありゃ。カブラのやつ、どうしちまったんだ?」
 心底不思議そうにカアシュが呟く。鈍い男である。ブルックはカブラの怒りの原因に気が付いているようだが、カアシュに説明する気は無さそうだった。おそらく面倒くさいのだろう。
「虫の居所が悪かったんだろ。チヒロ。気にする事ねぇからな」
「そうだそうだ。あいつすぐに八つ当たりするんだよ。帰ってくる頃にゃ反省してるさ」
「うん……大丈夫。気にしてない」
 カブラが出て行ったドアをしばし見つめ、千宏は溜息を吐いた。

「実際、カブラの言うとおりなんだよね」
 大通りを港に向かって歩きながら、千宏は誰に言うでもなくぽつりと呟いた。
 前を歩いていたハンスがぴくりと耳を反応させ、首だけで千宏に振り返る。
「もう一緒にいる必要ないって話」
「そんな事にはならないんじゃなかったのか?」
「うん。それはそうなんだけどね」
 実際問題として、ハンスがいればカブラ達は必要ない。正直に言ってしまえば、千宏がしようとしていることを考えれば邪魔でさえある。
 このままカブラたちの存在を無視してハンスを護衛として使い続ければ、他の二人は平気でもカブラの誇りを傷つける事になるだろう。
 だがだからといって、『ここで別れよう』などと言い出しては、それこそカブラのプライドを完膚なきまでに粉砕することになる。
 ――いや。
 ふと、千宏は立ち止まった。
 いっそその方がいいのかもしれない。
 徹底的に怒らせて、嫌われて、喧嘩別れをしてしまえば、カブラたちが千宏のたくらみを知る危険もなくなるし、バラムたちに何らかの連絡が行くこともないだろう。
 トラを怒らせるのは簡単だ。
 憎まれるのに五分とかからないだろう。
恐ろしく簡単だ。
「――チヒロ?」
 呼びかけられ、千宏ははっとして顔を上げた。
 ハンスの澄んだ緑色の虹彩が、怪訝そうにこちらを見詰めている。
「……必要はなくても、一緒にいる。友達ってそういうもんじゃない?」
 ぎこちなく笑って、千宏は再び歩き出した。
「つまりね、一緒にいる必要が無くなったからこそ、純粋に一緒にいるんだよ。ただ一緒にいたいから一緒にいるの。それが友達」
「だがあのトラは、必要性の話をしていた」
「それはカブラが単純馬鹿だから。絆が一本しか見えないんだよ」
「絆?」
「そう。護衛するがわと、されるがわの絆。これはあたしの命に係わるから、凄く太くて目立つんだ。だからその絆がなくなっちゃうと、関係自体がなくなっちゃったように見えるんだよね。友達って絆の存在自体、カブラは忘れちゃってるんだ」
 あるいは、その絆が築かれていることにすら、カブラは気付いていないのかもしれない。
 カブラたち三人は、アカブに脅されてからずっと千宏の護衛役だった。友達という関係はその絆に隠れながら、じわじわと時間をかけて築かれてきた物だ。カブラの中で千宏は守るべき対象であって、友達という認識は最初からないのかもしれない。
 単純馬鹿で、おまけに鈍感である。
「だから、たぶん仲直りは簡単だよ。根はいいやつなんだ」
 苦笑いして、千宏はついとフードを上げて隣を歩くハンスを見た。
 元の世界では犬は表情豊かだとよく言うが、どうもこの世界だとトラよりイヌの表情の方が読み取りにくい気がした。ひょっとしたら、ハンス個人の表情が乏しいだけなのかもしれないが、他のイヌを知らない千宏にはなんとも言えない。
 ふと、ハンスは足を止めて千宏を見た。
「――なに? どしたの?」
 千宏も合わせて足を止め、一歩の距離を置いて向かい合う形になる。
 ハンスはぱちぱちと目を瞬いた。
「俺は……」
「うん?」
「俺は、あんたがこれまでどおり、あのトラたちとやってくには、俺を切るしかないと思ってた」
「切るって……まさか!」
 その、あまりに単純すぎる考え方に、千宏は小さく吹き出して手を伸ばし、ハンスのたくましい首をなでた。
「そんな馬鹿なことしないよ。一歩進んでだめそうでも、そのまま後退しようとしないで、横道を探してみなきゃ」
「ああ、そうだな」
 首をわしわしと撫でられながら、ハンスが気持ち良さそうに目を細める。
 だけど――と千宏は思った。
 だけどその横道も、後退を阻止できただけで決して前進したわけではない。
 カブラはハンスを許容するだろう。だがハンスに対する不信感や、カブラたちの申し出を拒否してハンスを連れ歩く千宏への不満や疑問は間違いなく持ち続ける。
 仕事の邪魔をしたくない。これ以上迷惑をかけたくないという大義名分がありはするが、それでも自分たち以外の存在を頼る千宏を、カブラが面白く思わないのは明らかだ。
「どうした?」
「うん?」
 呼びかけられて見上げると、ハンスの無表情に行き当たる。
 心配そうな表情――とはお世辞にも呼べなかったが、まあたぶん心配しているのだろう。千宏はフードを深く引き降ろし、ぽんとハンスの肩を叩いた。
「なんでもない。さ、行こう。今夜の仕事場を探さなきゃ」
 友達と、目的と。
 どちらかを選ばなければならなくなったら――自分はどちらを選ぶだろう?
 一瞬自問してみて、千宏はフードの奥で自嘲気味に唇をゆがめた。

***

 港町は、水夫相手の娼婦が多くいる。
 そのため、時間性の宿などそれこそ腐るほどあった。港町であるため種族も雑多で、やはり目立つのはネコである。
「出来れば気性が穏やかなのがいいんだよね。体もあんまり大きくなくて」
 千宏が零した客の理想像は、見事にトラとはかけ離れていた。
 トラは気性が荒く大柄で、恐ろしい絶倫だ。トラに比べれば大分ましだが、ネコもあまり望ましい相手とは呼べないように思う。興味本位や遊び半分で千宏を傷つけかねないからだ。
「まあ、適当に選んでくれていいよ。別にトラでも構わないし」
 とりあえず宿にあたりを付け、港で魚料理を食べながら、千宏は真剣に悩みすぎてすっかり口数の減ってしまったハンスに苦笑いを零した。
 今日は、随分苦笑いが多い。
 昨日今日の付き合いでしかないが、ハンスはふと違和感を覚えてじっと千宏を凝視した。
 千宏は外ではフードを脱がない。その下にはしっかり作り物のトラ耳をつけているが、それでも決してうかつにフードを脱ごうとはしなかった。
「――なに?」
 ついと、目元を隠すフードを上げて、千宏はあらわになった片目でハンスを見返した。
「いや……」
 なに――と聞かれて答えられるほど、大した事でもないのだが――。
「苦笑いが多いな……」
 千宏は意外そうに目を見開き、ちょっと首を傾げて見せた。
「そうかな……? あー……まあ、日本人だから……」
 また、苦笑いする。
 ハンスは顔を顰めた。取り繕うようなその表情が、まるで千宏に似合っていない。
「なんだろうな……わかんないな。でも、笑った方がいい気がするんだよね。っていうか、ほとんど条件反射」
「俺は好きじゃない」
 きっぱりと告げると、しかしやはり、千宏は困ったように笑った。
「表情に困った時にね、つい笑っちゃうんだよ。たぶん、全部の表情の中でさ、笑顔が一番いいもんでしょ? だから表情に困るとさ、とりあえず笑顔になるんだよね」
「おもしろくもないのに?」
「困ってるけど、怒ってるんじゃないんだよって意思表示みたいな感じかな」
「困るっていうのは、不快な感情だろう。だったら笑うのは不自然だ」
「そう……なんだけど……」
「それじゃまるで――」
 ――媚びてるみたいだ。
 そう言おうとして、しかしハンスは口をつぐんだ。
 千宏が苦笑いをやめ、代わりに心底困り果てたような表情で俯いてしまったからだ。
 しばし唖然として千宏を見詰め、そしてハンスは慌て始めた。
 まさか千宏が、こんな表情をするなんて思っても見なかったのだ。きっと何か、ハンスが納得できる完璧な説明をしてくれるのだろうと思っていたのに――。
「すまん……俺はただ、その……おまえには似合わないから……やめた方が、いいんじゃないかと……」
 取り繕う言葉も尻すぼみになってしまい、ハンスは重苦しい沈黙に耐えかね、静かに食事を再開した。
 賑やかな店の中で、食器の立てる音だけが妙に目立って聞こえる。
「不安だとさ」
 硬そうなパンを手でちぎり、ぽつりと千宏が呟いた。
 思わず食事の手が止まる。ハンスはじっと千宏の次の言葉を待った。
「苦笑い、多くなるんだよね」
「……不安?」
「うん。自信がなかったりね。そういうの隠そうとすると、不安と逆の表情が出るでしょ?」
 言って、千宏は顔を上げると、やはり苦笑いを――だけどずっと苦しそうな苦笑いを浮かべて見せた。
 なんだ。
 なんだ、やっぱり――怖いんじゃないか。
 なんだ、じゃあ、「怖くないよ」と笑った笑顔も、実は嘘だったんじゃないか。
「ちょっと、心配事が多くてさ。だめだな、もっとしっかりしなきゃ。まだ始まってもいないのに」
「やめればいい」
 え? と、何の事かと問うような表情で千宏が顔を上げた。
 怖くないはずがない。不安じゃないはずがない。
 それを必死に我慢して、それで何を得ようと言うのだ。
「まだ始めてないんだ。いつだってやめられる。おまえは今だって、十分過ぎるほど幸せなんだ。これ以上なにが要る」
 自由で、仲間がいて、金だってイヌの貧民よりはるかに持っている。これ以上、犠牲を払ってまで何かを望む必要などない。辛いならばやめればいいのだ。
 みるみる、千宏の表情が強張っていくのがわかった。
 青ざめた唇が震えている。
「そんな……」
 一度、大きく息を呑み――千宏は拳をテーブルに叩きつけた。
「そんな簡単に諦めるんなら、こんなとこまで来てないよ! 馬鹿じゃないの? 馬鹿じゃないの!? 怖いのも不安なのも当たり前なんだよ! だってあたし強くないもん! 弱音の一つや二つ吐くよ! でもだったらやめればいいなんて、そんな簡単な話じゃないでしょ!?」
 店の喧騒を丸ごと吹き飛ばすような激昂に、店中の視線が集まった。
 ざわめきが広がり、直後にそれが歓声に変わる。
 ぽかんと間抜けに口を開け、ハンスは何もいえずにじっと目を見開いた。
「そうだ! 辛いからやめるなんて情けねぇこと言うやつはトラじゃねぇ!」
「いいぞねえちゃん! イヌ野郎に説教してやれ!」
 しばしそんな野次があがり、そして再び、店に賑やかさが戻る。
 千宏はがつがつと食事をかき込み、乱暴な動作で立ち上がった。
「いくよ」
「あ、あ……ああ」
 慌てて立ち上がり、小さな千宏の後を追う。
 ハンスは後悔していた。余計な事を言って、千宏を怒らせてしまったのだ。
 ハンスに求められているのは、そんなことじゃない。千宏の望むことを、望むままに、望むとおりにこなさなければならないのだ。
 千宏が目的とする事を果たせるように、なるだけ千宏が辛くないように、そういう仕事を求められているのだ。
「ハンス」
 店を出てしばらく歩き、ふと、千宏は立ち止まってハンスに振り向いた。
「いらない心配させてごめん。あたしが腑抜けてた」
 凛とした――まるでトラのような表情で千宏が言った。
 なに、と聞き返す前に、更に千宏が言葉を繋ぐ。
「だから少し、気合入れるの手伝って」
 言いながら、千宏が一瞬だけ近くの宿に視線を投げた。
しばらくの間、ハンスは意味が分からなかった。どれくらい時間が経っただろう。無言の中、唐突に千宏の意図を察して、ハンスは息を呑んだ。
 違う。違うだろう。違う。そうじゃない。
 不安になって当然だ、怖くて当然なのだと、たった今自分で言ったではないか。
「大丈夫。これは報酬とは別だから、安心して。とりあえず一回でもやっちゃえば、開き直れる気がするんだ」
「あ……だ、おれ……俺は……」
「おいで」
「俺は……!」
 先になって歩こうとする千宏の肩を、ハンスは乱暴に掴んで引き止めた。
 よろけた千宏が振り返り、怪訝そうにハンスを睨む。
「俺の仕事は……護衛と、客引き……だろう」
 ぴくりと、千宏が片眉を吊り上げた。
「――なに。特別手当が欲しいの?」
「違う!」
 ハンスは自分が何を言いたいのか分からなかった。
 だが、何か言わなければならない。千宏が目的を達せられるように、千宏が辛くないように――。
「今日、客を取るんだったら……余計な体力は使わない方が、いい」
 ようやっとそれだけ言い、ハンスは尻尾と耳をだらしなく垂らして俯いた。
 きょとんとして、千宏が目を瞬く。
「俺は護衛だから……だから、今は仕事中で……一日に二人も相手したら、ヒトは弱いから、体に障るかもしれない……から、護衛の俺が、だから、そんなことは……しないんだ」
 がっくりと肩を落として、ハンスはそれきり押し黙った。
 また呆れられただろうか。失望されただろうか。それとも怒鳴られるだろうか。千宏は身じろぎもせず、何も言わない。
「ハンス」
 ぎくりとして、ハンスは全身を強張らせた。
「ごめん。ありがと」
 くしゃりと、驚くような優しい手つきで千宏がハンスの頬を撫でる。
 予想外のことにぽかんとしていると、千宏はハンスの耳の後ろを一撫でし、穏やかな足取りで大通りを歩き始めた。
「帰ろう。日が暮れるまで時間がある。昼寝でもして、今夜に備えよう」
 苦笑い――違う。これは、照れ笑いだ。この笑い方なら嫌いじゃない。
 ぱっと表情を輝かせ、ハンスはばたばた尻尾を振りながら千宏の後を追いかけた。

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