猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

獅子国伝奇外伝08c

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獅子国伝奇外伝 08C

 
 
 馬車がウーアンに近づくにつれ、大外壁の大きさがわかってきた。
 ずっと向こうは霞んで見えないくらいの、まっすぐで大きくて長い城壁。
 土台は石組み。その上にレンガと漆喰で組み上げられ、一定間隔で銅板を葺いている箇所も。
 見上げるほど高い城壁の上では、衛兵だろうか、小さく人影が見える。
 人影と比較すると、たぶん3メートルくらいはありそうな大きな弩がずらりと一列に並ぶ。
 俺もサーシャさんもミコトちゃんも、ただただ息を呑んでそれを見上げていた。
「すごい……」
 俺の声に、御者台からフェイレンさんが話しかけてくる。
「これがウーアンの大外壁だ。難攻不落って言われるのもわかるだろう?」
「はい……」
 ただひたすらに、大きな壁。それだけなのに、ものすごい何かを感じる。
「もう数百年もの間、この壁はこうやって来訪者を迎え、都を守ってきた。実は何度か遊牧騎馬民族に襲われたこともあるが、全部撃退している」
「大砲持ってこないと無理ね」
 サーシャさんがつぶやく。
「大砲もってくるにしても、相当な数用意しないと最初の壁だって崩せないだろう。こいつはかの貪狼ご自慢の魔法師団に攻められた場合を想定して作り上げられてる」
 そう言って笑うフェイレンさん。
 そう話す間に、馬車は城門をくぐる。
 高さ5メートル、幅は30メートルくらいだろうか。左右に開いた鉄の門扉には、龍面が刻まれている。
「……魔法障壁?」
 馬車が城門をくぐるときに、サーシャさんが何かに気付いたのか、ぽつりと言う。
「気付いたか?」
「うん。これは……すごい」
「このウーアン自体が龍穴のど真ん中に建てられてる上に、当時の仙術と風水の粋を集めた防衛陣が組まれているらしい」
「仙術……」
「まあ、隕石ぶつけられたらさすがに困るが、火炎雷撃水流突風、まあその手の魔法が相手なら、ちょっとやそっとじゃ崩れることはない」
「それで……」
「ミコトを連れてきたのも、半分はこの地が龍穴の上にあることが理由だ」
「あっ」
 その言葉に、サーシャさんが何かに気付いたような声を上げる。
 ミコトちゃんと龍穴にどんな関係があるのか、俺にはよくわからないけど。
 城壁を越えると、すぐに次の城門……だけど、閉じている。
「あれ……? この門、普段は閉まってるんですか?」
「この門?」
「はい」
 尋ねる俺に、ご主人様が言う。
「あれ、門じゃないよ」
「え? だって……」
 どう見ても、大きな門が目の前にはあるし、龍面を刻んだ門扉がしっかりと閉じている。
「わかった、偽門でしょ」
「せいかーい♪」
「疑問?」
 まだよくわからない俺に、サーシャさんが説明してくれる。
「つまりね、壁に細工して、門扉っぽい鉄板取り付けて、城門に見せかけてんの。そうしたら、攻め込んだ敵兵は何にもない壁を延々とたたき続けることになるでしょ」
「あ……」
 そう言われて、やっと気付く。だけど、見た感じには本物の城門が閉じてるようにしか見えない。
「ちなみに、本物の城門はこっちだ」
 そう言って、馬車を右に進ませる。
「……なんか、狭くなってきたような気が」
 左右から城壁に圧迫されるような気分になる。
「ああ、狭くなってる。一番外側の大外壁は東西南北に均等に向いてるけど、第二壁は右向きにすこし角度がついている。だから、こっちに向かうほど幅が狭くなっていて、そしてあそこが第二壁の城門だ」
 その辺に来ると、左右の幅が10メートル少ししかない。
「この城壁は東壁が四時の方角に向いてるから、ちょうどこの辺になると城門を破ろうとすれば三方から攻撃を受けることになるのね」
 サーシャさんがそう言って上を見上げる。つられて俺も上を見ると、ちょうど、一番外側の壁の西側と北側、そして二番目の城壁の三方からほぼ均等距離に馬車がいる。
「袋の鼠……」
「そういうことだ。衝車だって、この狭い幅では勢いをつけることが出来ない。かといって雲梯を使いたくても、最初の城門があまり高くないから運び込むだけで一苦労だ」
 観光客だろうか、俺たちと同じように上を見上げながら話をしている獣人がいる。
「石落としの出窓が、あんな高くに」
 ミコトちゃんがぽつりと言う。
「そうね。あの高さからだと、かなりの勢いがつくし、逆にこっちからだと下から狙って反撃するのも一苦労ね」
 話をしているうちに、馬車は第二壁の門も潜り抜ける。
「この調子で6つも城壁がある。攻めかかる側としたらたまったもんじゃないだろうな」
「そうですね」
 ミコトちゃんがぽつりと言う。
「なんだか、怖い感じがします」
 確かに。
 逃げ場がなく、はるか高いところから見下ろされるような圧迫感。
 それだけでも息が詰まるような気分になってくる。
「できることなら、はやく城内に入りたいですね」
 つい、そう言葉に出してしまう。
「そうだな。ここにいると俺も息が詰まりそうな気分になってくる。この、人間の力を終結させて造り上げたでっかい建造物に挟まれて見上げるのも最初のうちは悪くないが、いつまでも見上げていると薄ら寒い気持ちになる」
 フェイレンさんもそう言って同意してくれる。
「あの上には登れないの?」
「いちおう、現役稼働中の軍事施設だからな。下から見るだけだ」
「……それじゃ、仕方ないわね……先に行きましょう」
「そうだな」

 大外壁を抜けたその先には、広く長い道が一直線に伸びていた。そこを、無数の馬車と獣人が往来している。
「うわぁ……」
「俺たちは東門から入ってきたけど、ここから西門まで一直線に道が伸びている。その中心で、南門から北の宮城まで延びる大通りと交差する」
 フェイレンさんが説明してくれる。
「幅三寸の石畳で舗装された道と、風水に則って縦横に張り巡らされた排水設備。雨だろうが嵐だろうが、ぬかるむことを知らないのが自慢だ」
「街路樹も手入れがいきわたってるのね」
「長旅を出迎えるものだからな。掃除専門の役所があって、ちゃんと整理している」
「息苦しい大外壁を抜けた先でこんな光景が待ち受けてたら、誰だってほっとするよね」
「ああ」
 街路樹の下で休んでいるのは、長旅の商人だろうか。そんな彼等を目ざとく見つけて近寄り、何かを売っている人もいる。
「あれは蜜茶売りだな。甘くて冷たいから長旅の疲れを癒すには最適だ……どれ、俺たちも一杯買ってくるか」
 そう言って、御者台から飛び降りるとフェイレンさんが桶を担いだ蜜茶売りに駆け寄る。
 しばらくして、蜜茶売りの獣人が馬車にやってきて、茶碗に一杯づつ注いでくれる。
「あ、美味しい」
 サーシャさんが一口飲んで、そう口にする。
 確かに、甘くて冷たくて、それでいてなにか口の中がすーっとするような清涼感がある。
「よく冷えてる」
「まいど」
「それじゃ、代金置いとくよ」
「へい」
 フェイレンさんが、蜜茶を入れた桶の蓋の上に銅銭を置く。
「ウーアンの名物はいろいろあるけど、俺もファリィも、とりあえず最初にアレを飲まないとここに来た気がしない」
「うん」
 フェイレンさんの言葉にご主人様も頷く。
「で、大体俺たちの止まる宿はいつも決まってて、ちょっと向こうになるんだ」
 そういいながら、再び馬車を走らせていった。

 そこは、ちょっとした楼閣のように見えた。
 五階建ての立派な建物。馬車を止める、こっちで言う駐車場……? みたいなところには、立派な馬車が何台も並んでいる。
「ここだ」
「おっきぃ……」
「けっこういい所だ。師匠の名前を出さなかったらちょっと泊まれない」
 そう言いながら、俺たちを馬車から降ろしてくれる。
「……じろじろ見られてる気が」
 ミコトちゃんが俺に小声で声をかけてくる。
「うん……なんか、変な気分だ」
 そんな俺たちの会話を小耳に挟んだご主人様が説明してくれる。
「ヒト二人連れてるなんていえば、こっちじゃ相当なお金持ちだから。ウーアンでヒトを持ってたら、人頭税バカにならないの」
「ヒトに税金かかるの?」
 と、驚くサーシャさん。
「ネコの国じゃ、ヒト持ってても資産税かかんないよ」
「うん、正直ウーアンの人頭税は高いと思う。ボクたちがいるリンケイだったら三分の一ぐらいだから」
「……そもそも、税金掛かるってのが変な感じ……」
 怪訝な表情のサーシャさん。俺も、いるだけで税金取られてるなんて始めて聞いた。
「まあ、生臭い話はそれくらいにして、受付すませないか」
 そう言って、フェイレンさんが俺たちを中に案内してくれる。
「リンケイのコウゼン道場から来たんだが、いつもの部屋はあるか?」
 そう言って、なにやら割符みたいなのを見せるフェイレンさん。
 どうやら、ここの女将らしいケダマの女性が、紐に通した数十枚の割符の中から、すぐに一枚取り出して、フェイレンさんの持ってきたそれと合わせると、一礼して「はい、空いております」と言う。
「じゃあ、一週間ぐらい泊まる予定だから」
 なんだか、簡単に泊まれたようだけど、割符とかあるってことは結構お得意様なんだろうか。
「お父様もそうだけど、国士って言われる人たちが建てた道場の人はあの割符で泊まれるようになってるんだよ。今は全国合わせて三十二の道場がここの割符を持ってんの」
「へぇ……」
「立派な部屋なんだよ。行こっ」
 そう言って、俺の手を引っ張っていく。
「あ、おい、勝手に……」
 言いかけるより早く、俺の手を掴んだままファリィが駆け出していく。
「って、もうちょっとゆっくり走れっ!」
 転げそうになって後ろからそう叫ぶと、やっと気付いてくれる。
「もおっ、キョータくんトロいよ」
「……ヒトと獅子を一緒にするな」

 まあ、結局は五人一緒に部屋に入ったわけで。
 連れて来られたのは絨毯の敷き詰められた大きな部屋。その中心には円卓と漆塗りの椅子。そして向こうには大きな窓と、左右には絵画。
 そして、別の部屋に繋がっているらしい扉が四つある。
「寝室と言うか、個室が四つある。食事とかは真ん中の円卓で取るかな。で、部屋割りだが……ファリィはいつもの部屋でいいな?」
「うんっ。キョータくん、行こっ」
 そう言って、俺の手を取って引っ張る。……俺はご主人様と同じ部屋なのは確定事項らしい。
 そんなことを思いながら部屋に連れ込まれる。
「うわぁ……」
 部屋の中を見て息を飲む俺。
 スイートルーム、っていうのがどんなのか実は知らないけど、これはかなり豪華だ。
 大きな寝台と、こっちじゃ珍しいガラス張りの窓。絹のカーテンになにやら水墨画と花を生けた磁器。
「ここからの景色、夜はすごく綺麗なんだよ」
「へぇ~……」
 ご主人様がすごく嬉しそうに俺を見て言う。
「ずっと前から、ここからの夜景を見ながら『ろまんちっく』な雰囲気でキョータくんとしたいって思ってたんだ」
「…………」
 もう少し言い方と言うのはないのか。

「それでね、夜まで時間があるし、ちょっと歩かない?」
「どこに行くんだ?」
「ん? あちこち。キョータくんに見せたいところもいっぱいあるし」
「……まあ、俺は別にいいけど」
「じゃ、一緒に……きゃ!?」
 扉を開けた向こうに、サーシャさんとミコトちゃんがいた。
「あ、ちょうど誘いに来たところだったのよ。フェイレン、一人でどっか行くとこがあるとか言い出しちゃって。それで、みんなで都を見物しようって」
 その言葉に、ご主人様が怒ったように言う。
「な~っによそれ。フェイレンも来たらいいのに」
「すまん。どうしても行かなきゃならん場所があってな」
 個室の向こうから声がする。
「……まあ、どうしてもって言うなら仕方ないけど。でも団体行動できないのはダメだぞ」
「お前が言うな」
 フェイレンさんが即座に言い返す。
「ま、たまには一人になりたいときもあるんでしょ。四人で行きましょ」
 妙に物分りのいいサーシャさん。
「キョータくんだって、美女三人に囲まれて都を歩くのも悪くないでしょ」
 そう言って、首に手を絡めてしなだれかかってくる。
「えっ、あっ、その……」
 急なことでどぎまぎしていると、ご主人様に耳を思い切りひっぱられる。
「もおっ! キョータくんまたデレデレしてるっ!」
「……懲りない人は嫌われます」
 ミコトちゃんの冷たい声。
 ……なんでいつも俺ばかり……

 まあ、そんなこんなで。
 大通りをご主人様に案内されながら歩く。
「こっちにね、市場があるんだよ。もうこの時間だと閉まってるから、朝に来ないと駄目だけど」
「何か買って帰るんですか?」
「うん、やっぱりリンケイじゃ買えないものもここならいろいろあるから」
「へぇ~……」
 ご主人様の話を聞いていると、サーシャさんが横から説明してくれる。
「ウーアンは人口80万人を誇る西方屈指の大都市なの。ネコやイヌの国だと何十万単位の人口抱えてる都市もわりとあるんだけど、西方ではここが最大級ね」
「そうなんですか」
「もともと、こっちは戦争が多くて食糧生産量も低いから人口が増えないのよ。中央部や大陸東方は割と平和で農業も発展してる分、人口数十万規模の都市もそこそこあるんだけど」
「あの城壁のおかげなんですね」
「そうね。この中にいれば戦争に巻き込まれないから人が次々と流れてくるの」
「あと、龍穴に建てられているから疫病が発生しないしね。ここはどこでも水がきれーなんだ」
「確かにそうね。これだけの人がいるのに清潔な感じ……水路と街路樹の配置がいい感じね」
「で、そのきれーな水を使った料理がおいしいんだよ」
 そう言って、俺の手を引っ張るご主人様。
「ほらほら、こっちこっち。急がないと売り切れちゃうよ」
 そう言って、今にも走り出そうとする。
「……それが言いたかったんですか」
「ふふ。でもそろそろおなかすいてきちゃったわね。せっかくだし、ファリィおすすめの料理を食べさせてもらいましょ」
「そうですね」
「ほらほら~っ、みんなこっちだよ~っ!」
 俺の手を引っ張りながら、もう一方の手をぶんぶんと振るご主人様。
 ほんとに、いつまでたっても子供っぽい。
 アレでフェイレンさんと同い年、俺より年上なんだよな……。

「えっとね、まずはヤンさんの肉まん」
 連れてこられたのは人ごみの露店街。
 こういっちゃなんだけど……たてがみがものすごくむさ苦しい。
 さすがに、これだけ獣人が密集してるとちょっと。
 俺もミコトちゃんも、獣人と比べると身長低いから、ほとんど前が見えない。
 ……ていうか、その俺らとご主人様は身長大して変わんないのに。
「こっちこっち」
 獣人の間をすり抜けるようにして俺たちを引っ張る。
「あっ、待ってくださ……」
 一瞬、ミコトちゃんがはぐれそうになって、あわてて手を伸ばす。
 その手を、ミコトちゃんが握り返してくる。両手でしっかりと俺の手を握る感触が伝わってくる。
「あらあら、両手に花。うらやましい」
 そんな俺を、サーシャさんがからかう。
 なんというか、ほんとに人が多い。
 その合間合間を縫って聞こえてくる、油の弾ける音や美味しそうな匂い。
 やがて、ご主人様の足が止まる。
「ここ。……だけど、やっぱり並んでるね」
 ずらりと並んだ列。
「……長く待ちそうですね」
「でも、おいしいんだよ」
 まあ、確かにこれだけ並ぶなら美味しいんだろう。
 その最後尾に並んで、順番を待つ。
「何個でも食べられちゃうぐらいおいしいんだけど、他にもあちこち美味しいお店があるから、一個づつね」
「そんなに美味しいんですか」
「うん。ホントに油断してたら何個でも食べちゃうから注意しないと駄目だよ」
「へぇ、楽しみ」
「昔は行列に並ぶなんてことなくて、ほんとに早い者勝ちで店頭に詰め掛けてたんだけど、前にそれで屋台が倒壊したことがあって、死人出たりしたこともあったから役所が厳しく取り締まってんの」
「死人……」
 ぞっとする俺にご主人様が続ける。
「揚げ物の油が釜ごと吹っ飛んで、灼熱の油が詰め掛けたお客さんに降り注いだり」
「…………」
 まあ、みんな体格でかいし。一斉に押し寄せたら屋台が倒れても不思議はない。
「それで、最近は役所が目を光らせてんの。あんまり規律を乱すのがいたら、罰金とか五十叩きとか刺青とか」
「………………」
 怖い。
 そんな話をしていると、やがて俺たちの番に。
 ご主人様が五個まとめて買って、俺たちに一個づつ渡しながら言う。
「フェイレンの分も買っとかないと、後で拗ねるから」
 そう言って笑う。
「拗ねる……って」
 正直、イメージわかない。
「あれで子供っぽいとこあるんだよ、フェイレン。ひどい時なんてまる一日口聞いてくれなかったりするんだから」
 ご主人様に子供っぽいと言われたら世話がない。

 ほかほかの肉まんを食べながら、露天街をさらに歩く。
「中身は猪肉と貝柱かしら。それにフクロタケの一種かな」
「そーだよ。サーシャ、よく一発で当てたね」
「独特のにおいがしたから。でも、ほんと美味しい」
「そーでしょ。一子相伝の肉まんなんだって」
「こんな美味しい肉まん、はじめてです」
 ミコトちゃんも、そう言って両手で持った肉まんを食べている。
 ……なんか小動物みたいでかわいい。
「キョータくんはどう?」
「おいしいです」
 実際、すごく美味しい。
 下味をつけて、油通しして、ずいぶんいろんな手間をかけているんだろう、いろんな味が複雑に絡み合っている。
「初めて食べる味です」
 なんだか、全部食べるのがもったいない。
「ほらほら、もったいないのはわかるけど、次もあるんだから早く食べて」
「そうはいっても……」
 やっぱり、もったいない。
 ちまちまと減らないように食べているうちに、ご主人様が次の店に連れてきてくれた。
「ここ。馬車の中で言ってたホアさんのお豆腐屋さん」
 麻婆豆腐の赤黒い色がいやでも目に入る。
「辛そぅ……」
「本場の麻婆豆腐ですね……」
 さっきの肉まんとは違って、弟子が何人かいるらしく、それぞれが活発に動いている。
 で、鉄鍋を振るっているおばあさんがホアさんなんだろう。
 なんていうか……こう、おっかさんって言う感じ。
「勢いがありますね」
「威勢のいいおばあちゃんだよ。向こうでお茶買ってくるから、注文しといて」
「あ、はい……」
 さっきの店に比べると並んでいる人は少なくて、割合すぐに買えた。
 ……っていうか、出来上がるまでが早い。
「すいません、四人前お願いします」
「五人前でしょ」
 サーシャさんに言われて慌てて訂正する。
「あ。ごめんなさい、ごに……」
「はいはい、聞こえてるよ。まだまだ耳は達者だからね。すぐにできるから待っててね」
 大きな声でおばあさんがそう言ってくる。
 で、たちどころにお弟子さんたちが豆腐から調味料からひき肉からを用意して、そしてものの数分。
「はい、待たせたね」
 ……ほとんど待ってない。
 ともあれ、お皿に盛られたそれを持って、屋台の前に並べられている椅子に腰掛ける。
 いろんな屋台でいろんなものを買って、それをこのいっぱい並んだ椅子に座って好きなように食べるのがここのやり方らしい。
 やがて、ご主人様が大瓶に入ったお茶を持って帰ってきた。
「はい、お待たせ。……って、そういえばご飯買ってなかったね」
「ご飯?」
「ちょっと待ってて、すぐに買ってくるから」
 そういって、返事も待たずにどっかに走っていくご主人様。
「……どこ行ってくる気なんだろ」
「わかんないけど、おいしいお店があるんじゃないかな」
「楽しみに待っておいたほうがいいんでしょうか」
「そのほうがいいかも」
 ご主人様がどこか行ってる間、三人で待つ。
 雑踏の中にむせ返るような活気がある。
「旅行って、こういうところに来るのが好きなの」
 サーシャさんが、お茶を飲みながらそう話しかけてくる。
「そうなんですか?」
「うん。観光地とか名所旧跡もいいけど、こういうところで、それぞれの国の普通の光景を見るのが好きかな」
「へぇ……」
「たぶん、住んでたのが普通の家じゃなかったからかな」
「え?」
 その言葉に、思わず問い返す。
「普通じゃないって……」
「こーみえても、サーシャお姉さんは貴族のご令嬢なのよ」
 そう言って、首にかけたネックレスを見せる。
 ルビーとサファイアが輝く、紋章のようなデザイン。
「家の都合で好きでもない男と結婚させられそうになって。都合よく……ってワケでもないんだけど、実家に泥棒が入って家宝を盗まれたから、取り戻すって言って家飛び出したの」
「…………」
「それで、サーシャやフェイレンと一緒に盗まれた家宝を取り戻しに行ったのが、ここで居候するきっかけ」
「……シャ・ドゥラ……ですね」
「ミコトちゃん?」
 それまで黙って聞いてたミコトちゃんが、ぽつりと俺の聞いたことがない名前を口にする。
「そう。シャ・ドゥラ……だけど、その名前はもう忘れましょう」
 サーシャさんが、ミコトちゃんの肩に手を置いて、優しい口ぶりで語りかける。
「……わかっています」
 すこしうつむき加減でそう答えるミコトちゃんをみると、きっと、俺の知らないなにか嫌な思い出があるのだろうと思えた。
 きっと、それは聞いちゃいけないんだろう。
「え、えーっと……」
 とりあえず、話の流れを変えようとして何か言おうとするんだけど、困ったことに、何も思いつかない。
 えーっと、とだけ言ったまま固まってる俺を見て、サーシャさんとミコトちゃんが一緒になって笑いだす。
「もう。キョータさん、おかしいです」
「ほんとに、気持ちはわかるけど……今のキョータくん見てたら、もうそっちの方がおかしくて」
 そういって、くすくす笑っている。
「…………」
 なんか、複雑な気分。
 そんなときに、ご主人様が帰ってくる。
「お待たせーっ!」
 両手で、布にくるまれた何かをいれた箱みたいなのを抱えている。たぶんそれがご飯ものなんだろうけど……。
 布の隙間から垣間見えるものは、なにやら黒っぽい泥の塊……
「これぞ、名物ハイドゥハン!」
 そう言って、箱を外して巻きつけた布を取ると……

「…………」
「…………」
「…………」

 その中から現れたのは、やっぱり黒っぽい泥の塊。
 むわっとした熱気が伝わってくる。
「えへへっ、驚いてる?」
「……あぁ」
 唖然としている俺たちの前で、ご主人様がもったいぶった手つきで竹筒を取り出す。
「こうすればわかるかな?」
 そして、泥の上から水を振り掛ける。
「うわっ」
「きゃ……」
 水がものすごい勢いで蒸発して、泥に細かなヒビが入る。
「で、こうするんだよ」
 空になった竹筒で、上から泥を叩くと、ひび割れた泥が崩れて下に落ち、なにやら甕の蓋のようなものが見える。
「なるほど、この中にご飯があるのね」
「そうゆーこと」
 甕の中の蒸気が漏れないように泥で来るんで、そのまま熱を通す……圧力鍋みたいなものだろうか。
 
 甕の中に泥が落ちないように丹念に叩いて泥を落とすと、ご主人様が蓋を取ってくれる。
 熱気と共に、美味しそうな海の匂いが周りに広がる。
「ハイドゥの漁師さんの料理なんだよ。蛸壺やうつぼ壷にお米と魚やエビを入れて、蓋して泥でくるんでそのまま焼いたら、船の上でも蓋が外れないし、保温がきいたんだって」
「そうなんだ」
 海の幸がいっぱい入った炊き込みご飯。贅沢な味がする。
「固すぎても脆すぎても駄目ですから、土の質がこういう調理法に向いていたのかもしれません」
「そーかも。壷をくるむ土はいまでもハイドゥから運んできてるんだって」
「目がある程度細かくて、でも焼物につかえるほど固くない土が、そのへんにしかないのかもね。珍しいわ」
「サーシャ、ハイドゥには行ったことあるの?」
「ううん、ずっと陸路で来たから。噂には聞いたことあるんだけど」
「噂?」
「ネコの国から獅子国に入る場合、普通は、船でシュバルツカッツェからハイドゥに行って、それからこっちにくるの。陸路だと途中でどうしても砂漠を横切ることになるから」
「それなのに、どうしてサーシャさんは?」
「故買商追いかけてたら、結局陸路になっちゃったのよ」
「じゃあ、いつかハイドゥにも行かなきゃね」
「あら、それって期待しててもいいってこと?」
「うん。みんなで行かなきゃ楽しくないじゃない」
「じゃ、キョータくんとミコトちゃんも一緒?」
「そりゃそーだよ」
 当たり前のようにご主人様が続ける。
「だって、キョータくんの女装なんて滅多に見られないもん」
「って、待ておい!」
 さりげなく恐ろしいことを言わないでくれ。
「キョータさん……そんな趣味が?」
「ないない、絶対にねえっっ!!」
 手をぶんぶんと横に振って否定する。
「ハイドゥの春のお祭りはね、みんなが自慢のヒトをおめかしさせて競うんだ。こんてすとって言うんだって」
「だったら、俺を女装させるよりミコトちゃん出したらいいだろ……」
「だって……」
 何かを考えてるご主人様。
「もともと、それって一番綺麗なヒトを海の神様のイケニエ、人柱にするってコトで始まったんだよ」
「…………」
 顔を見合わせる俺とミコトちゃん。
「そんなのにミコトちゃん出したら、フェイレン怒るし」
「俺ならいいのかっ!?」
「大丈夫。キョータくんなら最初から選ばれないから」
「…………」
 だったら最初から出すな。
 ふくれっ面の俺を見てご主人様が笑う。
「もぉ。じょーだんだよ、ジョーダン」
「半分その気だったんじゃないの?」
 サーシャさんがすごく余計なことを尋ねる。
「だって、キョータくんの困った顔かわいいもん」
「あ、それは同感」
 そんな理由で困らせないでください。
「……」
 そんな会話の中で、俺の横顔をじーっと見ているミコトちゃん。
 急に、俺の横に近づいてくると、肩にしなだれるようにして顔を近づけてきた。
「え、その、ちょっ……」
 額が触れるくらい近くに顔を近づけてきて、細い指で俺の頬をなぞる。
「って、ちょ、ミコトちゃ……」
 鼓動が早くなってるのが自分でもわかる。
 と、急に身体を離すミコトちゃん。
「ほんとだ、かわいい」
 そういって、くすりと笑う。
「…………」
 まだ落ち着かない俺を見て、俺以外の三人がくすくすとおかしそうに笑っている。
「ほんっと、キョータくん見てると飽きないのよね~♪」
「…………」
 人をそんな理由でおもちゃにしないでください。

 ハイドゥハンと麻婆豆腐、それに冷茶という組み合わせはなかなか合う。
 気がつくと、きれいさっぱりと平らげていた。
「どぉ? おいしかったでしょ」
「ですね」
「おなかいっぱいです」
「やっぱり、本場は違うわね」
 満足そうな俺たちを見て、ご主人様が満面の笑顔で食器を片付けると、それぞれの店に返しに行った。
「そーいえば、キョータくんは」
「なんですか?」
「ミコトちゃんのことは好き?」
「!?」
 いきなり何を聞いてくるんですか。
「ほらほら、どうなの?」
「え、えっと……」
 言えるか、こんな場所で。
「ふむふむ。キョータくんはミコトちゃんのことが大好き、と」
「何も言ってません!」
「じゃあ、私のこと嫌いなんですか」
 ミコトちゃんが横から聞いてくる。
「い、いや、そうじゃなくて、その……」
 言葉に詰まっている俺を見て、サーシャさんが吹き出す。
「もおっ、それだからキョータくんいじめられるのよ」
「でも、そんなキョータさん嫌いじゃないです」
「………………」
 もうそろそろ許してください。
「あら、みんなでどうしたの?」
 そんなときに限って、ご主人様が帰ってくる。
「なんでもないです」
「ほんとに~?」
 興味津々の顔で俺を見るご主人様。
「なんでもないってことにしてあげましょ。ね、ミコトちゃん」
「そうですね」
 ぜひそうしてください。

 いつの間にか、空が暗くなってきていた。
「ご飯食べてたら遅くなっちゃったね」
「でも、おいしかった」
「半日で回れるところなんて限られてるから。明日は朝から、いろんなところに行きましょう」
「楽しみです」
「明日こそはフェイレン引っ張り出してやるんだから」
「やっぱり、五人の方が楽しいですね」
 フェイレンさんがいたら、今日みたいにみんなからいぢめられてもフォローしてくれる気がする。

 そうして、ようやく宿舎に帰ってきた。
 そして、しばらくするとフェイレンさんも戻ってくる。
「あ、おかえり~」
「お帰りなさいませ」
 ご主人様とミコトちゃんが、そう言って出迎える。
「なんだ、もう帰ってたのか」
「ご飯食べてきちゃったよ。これ、おみやげ」
 そういって、ご主人様がフェイレンさんに楊さんの肉まんを渡す。
「ああ、買ってきてくれたのか」
「だって、買わないと拗ねるじゃない」
「じゃ、こっちもおみやげだ」
 そう言って、竹の皮にくるまれたものすこし大きなものを机の上に置く。
「あ~っ、陳郎炒菜!」
「大環楼の近くに用があったからな、ついでに買ってきた」
「ありがとフェイレン!」
 大喜びのご主人様を見ると、これもたぶん美味しいんだろう。
「え、えーっと……」
 目の前にある、竹の皮に包まれたものを眺めていると、フェイレンさんが説明してくれる。
「陳郎炒菜は、もともと戦場食でな。むかし、陳郎……今風に言えば“陳の兄ちゃん”って言われてた将軍がいて、その軍中で遠征時に食べられていた料理だ」
 竹の皮を取ると、その下には青菜とニラ、それになにやらごわごわとしたこっちでは見かけない濃緑食の野菜とか、玉ねぎ? それからキノコのようなもの、あとは二種類くらいの穀物と素揚げの肉なんかの炒め物があった。
 その上にかけられたとろっとした餡は、なにか黄色くて甘い香りがする。
「今の世に生きる俺たちもそうだが、獅子の民はどっちかと言うと肉が好きでな。おかげで遠征時はどうにも体調が悪かった」
「栄養失調になるわよ」
 サーシャさんがつっこむ。
「そういうことだ。ところが、時は大戦のど真ん中。貪狼の侵攻に対する救援要請が殺到して、嫌でも長距離の移動を余儀なくされた」
 二千年前の大戦。俺たちの感覚からすれば、戦国時代とか三国志を語るような感じなんだろうかと思いながら、話を聞く。
「陳郎はもともと平民の出で、はじめ義勇軍を率いて戦っていたという。貪狼の先遣隊を寡兵で打ち破ったことで時の帝の目に留まり、将軍の位を与えられた」
「大戦期の英雄の一人ね。モルゲンブルグの戦いで貪狼軍一万をわずか二千の兵で打ち破ったことで知られているわ」
 と、俺たちに話してくれる。
「どうやって……」
「話すと長くなるけど、モルゲンブルグの戦いはそのすこし前からの戦況から話したほうがわかりやすいだろうな」
 そう言って、フェイレンさんが二千年前の戦争の話を始めてくれた。

 魔法の軍事転用により、破竹の勢いで諸国を蹂躙するリュカオンの軍勢。
 侵略に対抗するための大同盟の結成。
 世界制覇の直前で起きた本拠地での第一王子の反乱。
 モルゲンブルグの戦いは、戦況が急転を迎えようとする時期に起きた。

「貪狼の南征軍には、諸国から八狼十狗……八匹の狼と十匹の猟犬と呼ばれて怖れられた18人の将軍がいた。その中にあって、筆頭格として西南部方面の指揮官を務めていたのがテオドロスという将軍だ」
「勇敢な武人で、リュカオンの信頼も厚い人物だったというわ。双月食の旗印を掲げて連戦連勝、南方諸国を震撼させていたの」
「双月食?」
「テオドロスの旗印は、黒地に青と赤の円環を重ねた旗なんだが、何百年に一度、ほんの数十秒だけ、太陽とこの星と二つの月が全部一列に並んで、二つの月が同時に月食を迎える時がある。それを象った旗だ」
「当時のオオカミには、双月食の刻に生まれた者が世界を制するっていう伝承があったそうよ。それで縁起をかついでそんな旗印にしたというわ」
「まあ、事実強かった。今でもル・ガルでは憧れの武人として名が挙がる人物の一人で、いまだに双月食の旗を軍旗に使ってる師団があるぐらいだ」
「……それで、モルゲンブルグの戦いと言うのは……」
「そうだな、順を追って話すとするか」

 リュカオンが留守にしていた本拠地での、第一王子反乱の知らせは一週間ほどで敵味方双方に伝わった。
 各地で快進撃を続けていた貪狼の諸軍には動揺が広がり、その動きは千々に乱れた。
 反乱鎮圧のために急ぎ兵を引くもの、混乱のなかで守りを固めるもの、リュカオン本隊の指示を請うもの、あるいは反乱軍に同調して同盟軍と和議を結ぶもの。
 一糸乱れぬ連携を取っていた狼軍の動きに乱れが生じつつあった。
 そんななかで、テオドロスは意外な行動を見せる。
 軍をまとめると、同盟軍の重要拠点であった現在の猫国西南部、エルクリュードをめざして進軍した。
 退路を顧みず、敵の守りの薄い箇所を次々と破り、一気に南進を始める。
 総数一万五千の大軍とはいえ、単独での進軍。暴走ともいえる進軍は、後方の補給路を危険に晒していた。
 伸びきった補給戦を寸断し、諸獣連合の軍はその包囲の網を狭める。
 エルクリュードまであと二週間という地点にあるミヒャエラ盆地で、テオドロスの軍はほぼ完全に包囲された。

「勇を頼んだ暴走……ですか」
 ミコトちゃんが尋ねる。
「テオドロスを包囲する諸将は、そう思った。本拠を失った焦燥に駆られ、冷静さを失って蛮勇に走ったと」
「私でもそう思います」
「ただし、彼等は一つだけ思い違いをしていた」
「どういうことですか?」
「……テオドロスは、そんな過ちをする人物ではないということだ」

 同盟軍が、テオドロスを十重二十重に包囲する。その総数は約五万。それまで、いいように蹂躙され、敗北に敗北を重ねてきた近隣の軍が、功を挙げる絶好の好機と見て次々と参加していた。
 そのまま、戦線は硬直する。
 数の上では圧倒的有利とはいえ、相手は勇将テオドロス。無敵の魔法兵団を抱えている相手に力攻めを仕掛けては、窮鼠と化したテオドロスの反撃で損害が馬鹿にならないことは誰しも理解できた。
 補給を立ち、兵糧攻めにして弱らせてから攻めかかることで包囲軍の意見が一致する。
 そして、約十日後。
 包囲する諸軍に各地から急報が届いた。

「包囲網に参加して、ガラ空きとなった近隣の城が、テオドロスの密書を受けて機を狙っていた十狗の急襲を受けて次々と落とされていたんだ」
「テオドロスが暴走まがいの進軍を続けていた頃、十狗は撤退の動きを見せていたの。それも、バラバラに逃げ帰るような感じで。……でも、それは芝居だった」
「テオドロス包囲網が完成したとき、撤退しようとしていたはずの十狗が、一斉に旗を返し、反攻を開始した」

 油断というわけではなかっただろう。
 むしろ、神の助けと言うべき事件で、ようやく侵攻から解放されるという安堵が広がっていた。
 息つくまもない防戦を強いられ続け、疲弊しきっていた各地の城は、貪狼軍が引くのを見てほっと全身の力が抜けたのだ。
 疲弊しきっていたかれらが一息ついていた隙に、再び敵が攻め込んできた。
 各地から相次ぐ落城の知らせと救援要請。
 包囲していた諸将は、ようやく、テオドロスが囮だったことに気付いていた。

「エルクリュードを失うということへの潜在的恐怖が誰にもあったんだ。その恐怖をテオドロスは上手くついた」
「今の私たちから見れば明らかな陽動とわかることでも、それまで敗戦に敗戦を重ね、恐怖を刻まれた心理状態では陽動と見切る勇気はなかったの」
「そして、恐怖に駆られて追撃した彼等は、包囲網の完成によりようやく安堵し、傲慢にも似た優越感を得る。その直後に再び訪れた戦慄。……冷静でいられるわけがない」

 援軍要請に包囲網の諸軍が軍を返そうとしたとき、テオドロスが反撃の素振りを見せた。
 軍を返せば背後を突くぞといわんばかりの動き。
 包囲網を強いていたはずの彼等が、いつしか逆に挟撃される形になっていた。
 動くに動けない中で、早馬だけが次々と飛び込んでくる。
 ほんの数週間前、テオドロスの進軍を焦燥に駆られた暴走と判断した彼等。しかし今、その彼等こそが焦燥に刈られ、暴走じみた判断を下していた。
 全軍でテオドロスを包囲殲滅し、そのまま軍を返して救援に向かおうというのだった。
 
「拠点を失うという焦燥と、謀られたという怒り。それがテオドロスに向けられた。一万五千対五万。冷静さを失った心理状態と数的優位とが、彼等に最悪の判断を選ばせた」
「包囲してから攻めかかるまで十日間。テオドロスがその知略の限りを尽くした防御陣を敷くには十分な時間だったわ」
「数を頼みに責めかかる同盟軍。その前に、黒地に重ね月環……南方諸国を震撼させた双月食の軍旗が翻った」

 自らの経験からして、数を頼みに押し寄せる軍はかえって連携が取りにくい。
 まして、単独種族ならまだしも、それが種族も所属もばらばらで、おまけに冷静さを欠いた軍ならなおのこと。
 しゃにむに攻めかかる包囲軍だったが、犠牲の増加に伴い、徐々に混乱が広がる。
 敵の攻め疲れを見極めると、テオドロスは反撃の采を振るう。
 別れ、集い、変幻自在に形を変えながら敵陣を縦横に切り裂き、恐慌を引き起こす。
 いつしか、攻守が入れ替わっていた。

「のちに研究者が発表した論文によると、テオドロスを包囲したその場所すら、実はそこを戦場にしたがっていたテオドロスの策謀に載せられた可能性があるという」
「魔素は、それぞれの場所によって濃淡が違うの。そして、テオドロスを包囲したミヒャエラ盆地は、その付近では最も魔素の濃度が高かった」
「魔法兵団を率いるテオドロスにとっては、絶好の戦場だったわけだ。……しかも、ただ勝つだけではなく、一万五千で五万を壊滅させるためには、そこしか戦場はなかった」

 戦いは約六時間で終わった。
 混乱と恐慌の中で、はじめ五万の大軍であった包囲軍は、壊走したときにはわずか数千程度に減っていた。
 一方、テオドロスの軍も犠牲は少なくなく、その三分の一を失っていた。
 テオドロスは残軍をまとめ、十狗と合流するために軍を引く。
 一方、包囲していた諸軍は壊滅的な打撃を受け、援軍に向かえる余力もなくなっていた。
 エルクリュードを最終防衛ラインに据えるという悲愴な覚悟で南へと退却した。

「長躯してきた陳郎が戦場に到着したのは、それからだったの」
「すでに近隣一帯の総兵力に近い五万の軍が壊走して、戦況はどうしようもないくらいに不利。しかも率いてきた軍勢は二千。普通なら黙って撤退するところだ」
「でも、ここで撤退すると敗勢は決定的になる。だから、どうしても勝つしかなかったのよ」
「反乱によって一気に沸きあがった反攻の烽火が、直後の大敗で一気にしぼむことだけはどうしても避けなくてはならなかった。そしてそれができるのは、たかだか二千の一遠征軍しかなかった」

 陳郎の手勢では落とされた諸城を奪還することは困難だった。
 しかし、ここで一戦も交えずに退くのはこの一帯の支配権を譲り渡すことに等しかった。
 戦況を覆す一手。
 それは、目に見える形での鮮やかな勝利しかなかった。
 陳郎は、十狗と再合流するために北進するテオドロスの軍との戦いを選ぶ。

「勝機はあると見たわけだ。勝ったとはいえ、五万の軍との戦いではいかな精鋭でも兵の疲弊は馬鹿にはならない。狙うならば、その疲弊が癒える前しかなかった」
「疲弊した軍を休ませるため、テオドロスはモルゲンブルグの砦へと入ったの。そこはもともと、同盟軍の防衛線の一つだったんだけど、十狗の急襲を受け、戦わずして放棄されていた」
「ほとんど無傷のまま敵の手に渡った砦だ。いかに疲弊しているとはいえ、一万もの軍が立てこもれば攻め落とすことは不可能に近い。陳郎は必死になって敵の急所を探した」

 情報をかき集める陳郎が得たのは、この時期、数日間だけ風向が変わり、強い北風が吹くことがあるという地元の農民の言葉だった。
 テオドロスの軍が疲れを癒すために入ったモルゲンブルグの砦は、もともと貪狼の侵攻に際して急造で作られた砦のため、堀や土塁はあっても内部の建物、柵、外壁などほとんど全てが木造となっている。
 陳郎の脳裏に、火計という手が思い浮かんだ。
 しかし、相手は魔法兵団。ただ火を放っても、風魔法で風向を遮られ、水の魔法でたちどころに消化されるのは明白だった。
 火を放つ前に、魔法を無力化しなくてはならない。
 そのとき、一人の老魔術師が陳郎の陣を訪れた。

「その老魔術師の名は伝わっていない。むしろ意図的に隠された可能性もある」
「大戦末期、各地で同盟軍の陣をふらりと訪れ、貪狼に勝つべく、当時は未知の知識を伝えて、そのまま立ち去った老魔術師の伝説があるんだけど、そういった魔術師伝説の一つね」
「ともあれ、その知識と何がしかの器材を与えられた陳郎は、それによって“瘴気”と記されている何かを作り上げたらしい」
「現在の研究では、原始的な毒ガスだと考えられているわ。無色無臭で、吸ってもすぐには気付かないけど、やがて呼吸困難に陥る」
「……瘴気という武器を得た陳郎は旗指物を隠し、夜陰に乗じて、モルゲンブルグ砦の南にある林に潜んだ。風向きが変わる前はまだ、そこは砦の風下。気付かれることはなかった」

 夜。風向きが変わる。
 陳郎は林からゆっくりと砦に近づき、風に乗せて“瘴気”を流す。
 何事もないかのような砦の内部。
 見張りと夜の守備隊を残して、兵士達は眠りにつき、疲れを癒す。
 そこに、色も臭いもない何かが迫り、そして包み込む。
 最初は、誰も気付かなかった。
 しかし、半時間とたたないうち。
 気分の不調を訴えるものや、突然倒れるものが現れる。
 何かが起こっていると気付いたとき、風上から一斉に火矢が降り注いだ。

「対策は練っているはずだった。まず水の魔法で建物の類焼をとどめ、風が強い時は風魔法で風向を変える。そして、火計に乗じて攻めて来るであろう敵に対して備えること。テオドロスの火計対策は抜かりないはずだった」
「だけど、謎の瘴気を吸い込んだ兵士は、魔法を使うこともできなければ、満足に呼吸することすらままならなかった」
「謀られたと気付いたテオドロスは、すぐさま撤退の指示を出す。……が、肝心の兵士達は瘴気にもがき苦しみ、ラッパを鳴らすことさえ出来なくなっていた」

 これが、あのミヒャエラ盆地で一糸乱れぬ動きを見せた軍と同じだと誰が思うだろうか。
 指示は乱れ、連携は取れず、火の海の中で兵士は瘴気に苦しみ、生きながら火に飲み込まれてゆく。
 混乱の中、風上にはいつしか無数の旗が立ち並び、次々と火矢が放たれ続ける。
 指揮系統の建て直しは難しいと判断したテオドロスは、力任せに銅鑼を連打させ、全軍に逃走の指示を出す。
 それは、自ら軍系統を一時解体し、個々の判断で逃げろという指示。最後の最後に、全滅だけを免れさせるという方策だった。
 瘴気に苦しみながら、それでも我先にと逃げ出そうとする兵士達。テオドロスは、大半の兵士が逃走したのを見届けると、最後に手勢をつれて脱出を試みる。
 そこに、伏兵が待ち構えていた。

「陳郎が狙っていたのは、兵士ではなく、テオドロスの首だった。テオドロスならば、戦況の悪化を見極めたならば、まず兵士に総撤退の指示を下した後、自らは最後に脱出すると読んでいた。それが当たった」
「兵士達は見逃し、最後に来るであろうテオドロスだけを狙っていたの。最後に脱出したテオドロスに付き従っていたのはわずか数騎。包囲され、たちまちのうちに討ち取られた」
「……哀れな最期ですね」
 俺が、ぽつりとそう口にすると、フェイレンさんが「そうだな」と頷いて、こう続けた。
「自軍に数倍する敵を相手に奪った鮮やかな勝利と、その数日後に起きた悲劇的な敗死。その落差が激しいだけに、イヌからは悲劇の英雄としていまだに語り継がれている」
「ル・ガル国内じゃ、テオドロスは演劇の題目になったり、歌になったり、小説なんかもあるわね。……残念ながら、その話では陳郎は決戦から逃げ回り、卑劣な策を弄してテオドロスを騙し討ちにしたまるっきりの悪役よ」
 と、サーシャさんが言う。
「だろうな」
 苦笑しながら同意するフェイレンさん。どこかで読んだことがあるんだろう。
「しかし、テオドロスの死は貪狼の軍にとっては間違いなく大打撃だった」
 そしてさらに、こう話し出す。

 軍略に長け、戦に強いだけではなく、自らの意思で戦略を組み立て、他の将軍を従えさせられるだけの知略と名望があったから、その死は指揮系統にぽっかりと大きな穴を開けることになった。
 イヌは元来、指示を受けて初めて力を発揮する。もっといえば、自力で戦況を打開する知略があっても、それが絶対君主であるリュカオンの意思と反することを最も怖れる。
 だから反乱という予想外の事態によって指揮系統が乱れたとき、少なからぬ将軍が自分で行動することが出来ず、最前線で身動きも出来ずにリュカオン本隊からの指示を待っていた。
 そのために判断が遅れて進退の期を失い、特に大戦の最末期には、もはやズタズタの連絡網のせいで、まともな連携も取れずに次々と各個撃破されてゆき、悲惨な形での全滅が相次いだという。
 テオドロスはそんな中にあって数少ない、リュカオンの意志を怖れることなく、己の判断で行動できる人物だった。
 リュカオンからの指令を待っている暇はないと見るや、自ら諸将に書状を届け、次の手を打たせている。そして、ミヒャエル盆地の合戦で上げた勝利は、この大戦で貪狼の軍が上げた、最期の大勝利だった。
 その人物を失ったとき、大陸南西部の戦局は決定した。

「ちなみに、陳郎はそれ以外にはあまり目立った戦績を上げていない」
「そうなんですか?」
 俺が驚いたように問い返すと、フェイレンさんは言った。
「もともと農民の出だから、皇帝から大軍を任せられたわけでもないし、その後の戦場はネコやトラやヘビが主力として活動したから、中央ではなく、援軍として左右のどこかを担うのが大半だった」
「むしろ、陳郎がやった……というかやらされたのは戦勝後の戦後処理。……なんていうかな、大虐殺」
 と、フェイレンさんがすこし真剣な表情で言う。
「対戦末期、陳郎は汚れ役を一手に引き受けさせられている。彼が所属する軍団が攻め落とした城、あるいは占拠した領地。そこでリュカオンに属していたオオカミ……今でいうイヌを軍人、非戦闘員を問わず皆殺しにした」
「…………」
 言葉を失う俺にフェイレンさんは言う。
「そういうのは、その後にその土地を収めるネコやトラや、ましてやオオカミがやるわけにはいかなかった。だから、援軍でやって来た、“よそもの”である陳郎の仕事だった」
「背後を突かれないために、反乱を起こされないために最も確実な方法は何か。……一人残らず息の根を止めちゃえばいいって発想。狂気じみた考えだけど、ネコの怒りはそれくらい深かった」
 サーシャさんが、すこし沈んだ声で言う。
「記録によると、軽く十万近い非戦闘員を虐殺してる。史書ではどこそこにて狼匪何千を誅すとか、そんなのばっかりだからな。読んでたらうんざりしてくる。おかげで、陳郎はイヌにはめっぽう評判が悪い」
「おまけに、終戦協定ではその大虐殺は一切不問、獅子はイヌに対してビタ一文払わなくてもいいし、一言の詫びもいらないってことになったから余計にね」
「……モルゲンブルグの戦いでも、実は狙ったのはテオドロスの首だけで、無駄に兵士の命を奪ってはいないんだが、瘴気使いってことで勝手に周りが陳郎は残酷だと勘違いして、そんな任務ばかり押し付けてきた」
「それでも、たった一度のモルゲンブルグの戦いが戦局に与えた影響は少なくなかったから。それで、いまなお大戦時の英雄といえば他国の名将や勇者と並んで彼の名前が出てくるのよ」
「大戦の後は、再び農民に戻って天寿を全うしている。その後、獅子の王宮では論功争いや権力闘争で粛清と暗殺の嵐が繰り広げられたんだが、帰農した陳郎にはその余波が届くことはなかった」
 そう言って、フェイレンさんはそれで話が終わりと言うふうに、ぽんと一度手を叩いた。
「ま、そんな陳郎が遠征時の兵士の栄養を考えて考案した戦場食だ。戦場食だけあって簡単につくれるんだが、これが本職の料理人の手に掛かると旨い。とくに大環楼の近くにある趙家飯店は絶品だ」
 と、俺やサーシャさんやミコトちゃんがフェイレンさんの話を聞いている間。
「え~っと、お皿とお箸は……」
 円卓の上で五人分取り分けて、すっかり食事モードのご主人様。
「ほらほら、貪狼演義だったら道場にもあるから。早く食べないと冷めちゃうよ」
「ま、まあそういうことだ。史書だと難しいから、演義から入ったほうがいいかもな。……まあ、演義の貪狼は文字通り極悪非道だから、あれを真に受けられても困るが」
 いいながら、円卓を囲んで座る。
「とりあえず、みんな食べてくれ。これは食っても太らないから」
「じゃ、いただきまーす」
 一口、口に運ぶ。
 意外と食感がいい。噛むたびに野菜のうまみが出てくる。
 全体的にやや甘口の下味だけど、そこにやや塩気のある餡と、野菜自体の味が重なり合う。
 ときどき、かすかな酸味がアクセントになるのは、あの濃緑食のホタテの貝殻みたいな野菜の味だろうか。
 梅のような酸味が逆にいい感じ。
 胡麻油の香りと、これは……柑橘酢だろうか。
 気がついたら、箸が止まらなくなってる自分に気付く。
 ……周りを見ると、みんなそんな感じ。
「おいしいでしょ、キョータくん」
 ご主人様が俺に話しかけてくる。
「はい」
「こんなの食べてたんだから、そりゃ陳家軍が強かったわけよね」
「元気になりますよね」
「食にうるさいサーシャがこんなに夢中になるなんて珍しいし」
「……らっへ、おいひいもん」
「食いながらしゃべるな」
 フェイレンさんが突っ込む。
「んく……っ、だって、おいしいものはおいしいんだから仕方ないじゃない」
「まあな」
 食べ終わると、なんかこう、全身が温まってくる感じがする。
「で、大環楼まで何しに行ってたの?」
「それは明日のお楽しみだ。明日はみんなで行くぞ」
 と、フェイレンさん。
「あ、その顔。なにか企んでる」
「人聞きの悪いこと言うな」
「でも、何か隠してます」
 ミコトちゃんがそう言ってフェイレンさんを見つめる。
「当たり前だ。せっかく大環楼まで行くのに何の準備もしないわけないだろ」
「ま、明日のお楽しみね」
「そういうことだ」

 それからもわいわいと話をして、そろそろ寝ようということで個室に戻る。
「ほらほら、キョータくんこっちこっち」
 ご主人様が、窓のそばに俺を呼ぶ。
「ほら、ここからの景色。きれーでしょ」
 そういって、窓の外の夜景を見せてくれる。
「うわ……」
 天空に瞬く無数の星。空気が澄んでるからこんなに見えるんだろう。
 その下には、人の暮らしの証となる生活の光。
 ネオンの色とりどりの光とは違って、炎の単色の光だけなのに、微かな光が集まって街の夜景を照らし、それがものすごく綺麗に見える。
 その光景に目を奪われていると。
「こっち向いて」
「え?」
 言われて、声の方を向く。
 そこに、ご主人様が唇を重ねてくる。
「んくっ……!?」
 急なことに驚いて動きが止まった俺と、唇を離して照れたように笑うご主人様。
「えへへ~」
 その笑顔を見てると、なんかこっちまで妙に照れくさいような気持ちになってくる。
「ね、キョータくん」
「何ですか?」
「ちゅって、して」
 そう言って、手を後ろに回して背伸びして目を閉じるご主人様。
 このご主人様はときどき、こーいう風に人の理性をぶちこわすから困る。
 ……それでも、誘惑にころっと負けるのが男の悲しい性なんだろうな。

 軽く唇を重ねて、そして離す。
「えへ~」
 はにかんだような、嬉しそうな笑顔が下から俺を見上げる。
 そしてそのまま、ご主人様が俺に身体を預けてくる。
 身体全体を押し付けるようにして、俺に摺り寄せて言う。
「キョータくん」
「何?」
「ぎゅ~って、して」
 子供じみた言い方で俺を誘う。
「はいはい」
 心の中で苦笑しながら、ご主人様を抱き寄せた。
「ん……」
 俺の腕の中で、ご主人様が気持ち良さそうな声を上げる。
 そのまま、気が済むまで抱いていると、ご主人様が顔を上げた。
「何?」
「大好き」
 そう言って、また俺に全身を預けてくる。
 愛してるとかなんとか、そういう言葉じゃない、妙に子供っぽい『だいすき』という言い方が、何と言うか、ご主人様っぽい。
「俺も」
 耳元に口を近づけて言う。
「ご主人様が好きです」
 ……すげえ恥ずかしい。
「ん……♪」
 嬉しそうな笑顔で俺を見上げるご主人様。
「ボクも」
 そして、照れた顔でもう一度「大好き」と言ってくれた。

 そうやって、しばらく抱いていると。
 ご主人様が、何かをせがむように身体をこすりつけてくる。
「何ですか?」
 そうやって聞くと。
「……脱がせて」
 そう言ってくる。
「わかりました」
 いつもは自分から脱ぐのに、今日はやけに甘えてくる。
 ……まあでも、それも悪くはないんだけど。
 チャイナドレスの紐を解き、優しく脱がせてあげる。
 綺麗な胸のふくらみや、くびれた腰、下腹部を隠す小さな下着だけをまとうご主人様の裸身があらわになる。
 実はほとんど毎日見てるんだけど、それでもやっぱり、ご主人様の裸は綺麗だと思う。
 ついつい目を奪われながら、残された下着も紐を解いて脱がせる。

「キョータくん……」
「何ですか?」
「ボク……キレイかな……?」
 そういいながら、裸のまま窓ガラスにもたれかかるご主人様。
 満天の星空を背にしたご主人様の裸身が蝋燭と月の光に照らされる。
「……うん……」
 それ以上、言葉が出てこない。
 引き寄せられるように、足がご主人様に向かう。
 そして、身体が勝手に動いて、ご主人様を抱き寄せる。
「あ……」
 ご主人様の唇から小さな声が漏れ、それでも俺に肢体を預けてくる。
「ご主人様」
「きょーたくん……」
 そしてそのまま、じっと抱きしめあう。
 それだけで、すごく幸せな気持ちになってくる。
「ボクたちだけだね」
「え?」
「今は、なんだか……世界にボクたちだけしかいないような気分」
「……そうですね」
 その言葉に同意しながら、ご主人様を抱く手をそっと緩める。
「……どうしたの?」
 見上げるご主人様の身体を後ろ向きにさせて、両手を窓ガラスにつけさせる。
 そして、後ろから抱くようにして、窓の外に目を馳せる。
「本当に、綺麗な夜景ですね」
「うん……」
「でも、ご主人様の方が綺麗かも」
 そう言って、抱きしめる腕を動かし、ご主人様の胸のふくらみに触れる。
「ゃん……」
 短い喘ぎ声を上げて悶えるご主人様。
 背後から両手で包み込むようにして、出来るだけやさしく愛撫を加えていく。
「ん……ぁん……」
 ご主人様が背中を押し付けるようにして、甘い声を漏らした。
 そんなご主人様の背中に、こっちからも身体を預け、窓ガラスにぺたんと押し付ける。
「やんっ……冷たいよぉ……」
「気持ちいいでしょう?」
「……でもぉ……あっ、あんっ……」
 ガラスと胸の隙間に指をもぐりこませて、固くなった胸の先端を転がす。
「ほら、気持ち良さそうな声」
「だってぇ……」
 もう一方の手を、ご主人様の下腹部に。
 濡れ掛けた茂みの奥に指を差し込み、かき回すようにしながら、親指で肉芽を弄ぶ。
「やんっ、ず……ずるいよぉ……キョータくんばっかり……」
「でも、気持ちいいんでしょ?」
「…………ばか……」
 小さな声で罵られる。
 窓に押さえつけたまま、ご主人様を愛撫すると、ご主人様の身体からだんだん力が抜けて、くたりと窓ガラスに身を預けたようになってくる。
 ときどき、気持ち良さそうな淫声と、ぬれたような音が聞こえてくる。
 俺の服越しに、火照ったご主人様の体温と心臓の鼓動が伝わってくる。
「ご主人様」
「……うん……」
 耳元でささやくと、気持ち良さそうな声で返事を返すご主人様。
「挿れても、いいですか」
「……うん……キョータくんの、ボクに挿れて……」
「わかりました」
 帯を解いて、すこし前から固くなってる俺の息子を取り出す。
 ご主人様は、窓ガラスにへたったまま動けない。
 腰を引き寄せて、ご主人様の後ろから挿れると、短く声を上げてぴくりと裸身を奮わせた。
 そのまま、腰を動かす。
「あ……」
 ご主人様が、何かをおねだりするように尻尾を振る。
 その尻尾を片手で撫でながら、腰をすこし大きく動かすと、ご主人様が窓ガラスに自分の胸を押し付けるようにして快楽に溺れる。
「外から、見られちゃいますよ」
 わざと、そう言ってみる。
「……だってぇ……」
 甘えたような声。
「きょーたくんが悪いんだもん……ボクを、こんなにしちゃうから……」
 そう言って、自分から腰を動かしてくる。
「気持ちいいですか?」
「んっ……あふっ、ん……きょーたくん、ボ、ボク……」
「何ですか?」
「だめ……もう、止めらんないよぉ……」
 俺に後ろから貫かれながら、片手を窓ガラスに押し付け、もう一方の手で自分の胸を揉んでいるご主人様。そろそろ限界っぽい。
「じゃ、出してもいいですか?」
「出して……ボク、キョータくんが欲しいもん……」
 荒い息を吐きながらおねだりしてくるご主人様。
「じゃあ、一緒に」
 そう返事をして、俺はご主人様に精を吐き出した。

 寝台の上。
 お互い、割とぐったりしてるはずなのに。
「きょーたくん……」
「ん……?」
「まだ……かちんかちんだね」
 息子に手をのばして、そう言って笑うご主人様。
「…………」
「ボクも、まだやりたいんだ」
 そう言って、足を俺に絡み付けてくる。
「おねがい」
 至近距離から、潤んだような目で俺を見つめ、甘え声でせがむ。
「もっと……ちょうだい」
「わかりました」
 わりと疲れてるはずなんだけど、俺だってご主人様におねだりされて断れるほど聖人君子でもないわけで。
「ご主人様」
「……ファリィ、って呼んでいいよ」
「え……?」
「呼んで」
 そう言って、俺に裸身を寄せてくるご主人様。
「あ、ああ……ファリィ」
「えへへ……♪」
 嬉しそうに笑う。
「あ・な・た♪」
 そして、頬を染めた笑顔でそう呼んでくる。
「って、おい!」
「えへへ……今日だけ、いいでしょ」
「ん、まあ……その、今日だけ、な」
「うん。……キョータくん大好き」
「俺も。ご主人様が好き」
 言ってから、お互い顔を見合わせた。
「……変わんなかったね」
「……そうだな。言ったそばから」
 おかしくなって、二人でくすくす笑う。
「でも、いっか。キョータくんはキョータくんなんだし。ずーっとずーっと、ボクのものなんだし」
 そう言って、俺に抱きついてきた。
「今夜は離さないんだからね」

 ……いや、毎晩そうじゃないかと言うのは言わないでおこう。

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