猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

木登りと朱いピューマ04

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匿名ユーザー

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木登りと朱いピューマ 第4話

 
 
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「それじゃあ本当に朱奈、なのか?」
「………」
 こくんと頷かれる。
 俺以外にピューマと暮らしていたことを知るものはおらず、
 否が応にも納得するしかなかった。
 
「──お見苦しいところを、晒してしまいましたね。ごめんなさい」
 シュナさん、いや、もう朱奈でいいだろう。
 指で涙をぬぐいながら、照れ隠しか、軽く笑う。
 
「もっと驚くとわたくしは思っていたのですけど……フユキは冷静ですね」
「うん……。自分でもかなり不思議だ」
 俺は常として、初見の人には距離を置く性質のはずだ。
 『俺』という個人ではなく、あの父の『息子』というだけで、
 寄って来る人間の汚さを味わってきたのだから。
 
「ただそう言われると、言われてみれば、というか
 ……雰囲気が、小さいピューマの朱奈と変わらない気がするんだ」
「まあ! わたくしはそんなに子供子供していませんよ?」
 大げさに目を丸くして抗議している。
 
 慌てて俺は言い訳を口にした。
「あ、そういう意味でなくて……。
 ──例えば今この場に、アルバムが出てきて、
 朱奈の小さな頃の写真を見せられたとするだろう?」
 両手の親指と人差し指を使って、長方形を作る。
「するとやはり、面影がどこかあって、
 『確かにこれは、小さな頃の朱奈だ』と感じるのと同じ事だと思う」
 まあ、人間と動物の面影を重ねるのは、やや無理があるかもしれないが。
 頭の中でイメージをダブらせても何ら違和感がない。
 そして、
 
「『あるばむ』?『しゃしん』?」
 
 俺も僅かに笑みを含んで見返すと、彼女はびっくりするような疑問を口にした。
 
 
 
 朱奈はきょとんとした表情。
 いや、俺も同じような顔をしていることだろう。
 ──少し整理しよう。
 聞きとれなかったように聞き返す朱奈だが、発音は正確になぞられていて…それはない。
 では──単語自体を、その単語の意味を……知らない? 
 
(でも、彼女は………あっ!?)
 何気なく、視界にぴこっと動いたモノを見つけた。
 耳…動物の耳…そして、今さらだが見慣れない服…。
 
 こういうとき、手っ取り早い質問があったはずだ。
 
「…………俺はすごく大事なことを丸投げしていたようだ。
 うーん………。朱奈、今日は『何年の何月何日』か教えてくれないか?」
 聞くと、視線を部屋のどこかへ投じて、
「今日はユリィニシヤ498年のラの月20日ですが……ああ!」
「……俺の中ではあの地震の日、平成16年10月9日……俺の言いたいこと、分かった?」
 
 どうやら、朱奈のほうでも気付いてくれたらしい。
 初めて聞く暦の呼び方は、当然ここが異国であることを伝えていた。
 
「ううぅ……わたくしちょっと情けなくなってきました」
 額に軽く指先を当て、
「案内役失格です……」
 そうして、溜息。
「まあ、俺もなんだか楽しくてはしゃいでいたから……」
 旧い友人に同窓会で久しぶりに出会ったような感覚、と言ったらいいだろうか。
 無性に心が躍って、何から話そうとあれこれ思い巡らす、ような。
「フユキが全く取り乱していないのがいけません、なんとなく悔しいです」
 朱奈の唇が拗ねるようにきゅっと集まる。
 
「……ああ、うん、そうだな。………朱奈と向かい合ってるのが、一番自然なんだよ。
 今も──もちろんあの頃も」
 彼女の動作は決して大げさなものではない。
 しかし、その一つ一つに華があるというか、全くくどくない。
「……フユキ。あの……ええと……それは、どういう──」
 ──などと考えてるうちに、朱奈が顔を赤くして少し困ったように俺を見ている。
(しまった、俺は何かやらかしたか──!)
 考え事しながら適当言うのは地雷だと、あれほど……。
 
「ごほん!………朱奈、『ここ』はどこだ?」
 もうとにかく焦ってしまって、無理やりに話を元に戻す。
「──まず、『異世界』という言葉をご存知ですか?」
 怪訝そうな顔をしたものの、
 そんな俺に文句一つ言うことなく、朱奈も付き合ってくれた。
 ……すまない、朱奈。
 
 
 
「ああ、仕事柄そういったSFな本を訳したことがある」
「……フユキは話が早くて助かります。信じられないでしょうが、
 『ここ』がまさしくフユキにとっての『異世界』だということです」
 
 俺は駆け出しの翻訳家として、日々を暮らしている。
 契約会社を持たずフリーではあるが、自分の好きな海外SF小説を訳す出版翻訳が主だ。
 幸いにも、訳した小説がそれなりの売れ行きを見せ、
 原稿料だけでなく印税契約の分だけでも、それなりに稼がせてもらっている。
 
「えっ!…はっ?…と、すると……!?」
「はい、フユキ。この耳は本物ですよ?そして……」
 驚きに頭が付いていっていない俺だったが───
 
「……尻尾……」
 ぽんぽんと肩を叩かれて、振り向けば、
 お約束のごとく指で、頬をつっかえ棒された。
 ──しかしそれは、俺の単なる誤解で。
   指だと思ったそれはふさふさと毛が生えていて、たどっていけば朱奈のお尻へと。
 
「朱奈……」
「はい、フユキ。『異世界』の理由、納得いただけました?」
 はい、納得イタダキマシタ。
 でも、だ……。
 ……自分がSF小説を好むからと言って、自分自身がSFそのものにはまり込むとは、
 到底思っても見マセンデシタヨ?
 
 それと、朱奈のお尻から目を離すのに多大な労力がいったのは、秘密デスヨ?
 
 
 
 話が長くなりますから、と。
 そう言った朱奈は部屋の奥から、別の飲み物と何かが盛り付けられたお皿を持ってきた。
 
 子供たちのおやつの残りだというそれは、
 とうもろこしの粉と水亀の卵を混ぜ、油であげたものらしい。
 食欲をそそる香ばしい匂いで、
 口に入れてみると、いつか沖縄で食べたサーターアンダギーのような味がした。
 
「──となると、だ。俺はどこかで境界を越えたのか」
 うまい、と自然に口をついて出た。
 それはなによりです、と朱奈も顔をほころばせる。
 
「はい、ほぼ正解です。正確には、越えさせられた、が正解ですが………
 これはまた後の話にしましょう」
 一瞬辛そうに眉がしかめられるのが見えた。
 気にならない訳ではないが、俺はこのおかしを頬張るのに忙しいもので。
 
「……む。まあ、いいよ。それで?」
「はい。そして今わたくしたちが住む『この世界』では、
 フユキのような『ヒト』は存在しないのです」
 
 ──『ヒト』は存在しないのです。
 朱奈は確かにそう言い、俺はその言葉の衝撃に喉が詰る。
(『猿の惑星』みたいなものか……。いや、しかしあれは人類は猿に支配されて……)
 頭の奥の方でがさがさと何かがうずまいて、うまく言葉で表現できない。
 
「……それは。朱奈、俺はかなり驚いてるぞ」
 おかしで詰った喉を、何かの果実をしぼった飲み物で下すと、
 とりあえず、無難そうな感想で誤魔化した。
「あまりそのようには見てとれませんが……?」
 朱奈のほうは、飲み物だけを口にしながら、くすくすといった表情。
「そうだな……興奮……してるのかもしれない」
 
 ── 『ヒト』がいないのだとしたら……
 ── 目の前の『ヒト』に似た朱奈は一体何者なのか……
 
 生まれ持った好奇心がうずき、止まらない。
「ふふふ……わたくしの知らないフユキがいるようですね。
 わたくしも楽しくなってきました」
 カラン──と、俺と朱奈の飲み物に入っている氷が、同時に涼しげな音を奏でた。
 
 
 
「一応整理しましょう。
 今ここの世界を『こちらの世界』、フユキのいた世界を『あちらの世界』とします」
 今度は部屋の隅から、大きめの黒板とチョークのようなもの持ってきて、
 かっかっと何かを書き始める。
 
 周りを見渡して分かったのだが、この部屋は保育園の教室なようで。
 寄せられた机、椅子や、子供たちが書いたであろう絵が飾ってあったりする。
 
「朱奈……読めないぞ……」
 と、そこで気付く。
「日本語じゃない!?……朱奈の話しているのは日本語にしか……」
 
「……その仕組みについては、まだ何も分かっていません……。
 わたくしには、フユキがわたくしたちの言葉を話しているようにしか聞えませんし」
 
 謎はさらに深まっていくようだった。
 
 
 
「先程『こちらの世界』に『ヒト』はいないと言いましたが、
 『ヒト』にあたる存在はいます。わたくしたち『人間』です」
 黒板に、俺たちの世界でもあるような棒人間の絵が描かれた。
 しかし──。
 その頭の部分には二つの三角形が付き、胴体から尾を表す曲線が伸びる。
 
「『人間』には多数種族が存在し、
 ネコ、イヌ、オオカミ、ウサギ、キツネ、ヘビ、トラ、サカナ、カモシカ……。
 他にも多数種族が『こちらの世界』で暮らしています」
 動物の耳と尻尾をもつ人間──か。
 
「そして──」
 再びチョークで黒板をなぞって──
「わたくしを含め、この近辺で暮らすのは、ピューマ…ジャガー…オセロット…」
 象形文字のようなものが描かれる。
 彼女の書いたタイミングとその絵を考えれば、
 それぞれが、後脚……牙……尻尾、に対応していそうだ。
 
「父なる太陽神【ウィラコチャ】と母なる月夜神【ママ・キヤ】が、それぞれ、
 ご自分の身体をもとに三種族の男女六人を創造したもう、と神話は伝えています」
 祈りを捧げるように、チョークを持ったままの両手と尻尾が複雑な動きを見せた。
 
 
 
「続きまして、わたくしたちの国ですが、
 この三種族が固まりあって国を形成しています」
 
 声の調子を上げ、なんだか得意げに尻尾をふりふり。
 朱奈は、話しているうちにだんだん盛り上がってくるタイプなようだ。
 ふと「教師のようだ」という言葉が浮かんだが、それも当然。
 彼女は言ったはずだ。
(──保母のうちの一人──)
 保育所の保母さん………先生、だ。
 
「名前を【キンサンティンスーユ】と言います。
 皇后【サヤ】陛下を指導者として仰ぐ女系国家です」
 ──テストに出ますよ、と言わんばかりに下線が引かれている。
 それも、二重下線。
 
「ただ皇后陛下お一人では何かと大変であらせられる為、
 皇族【シャィリュ】院、長老【マチュルニュ】院の二つが、補佐機関としてあります」
 朱奈がちらりと俺を見る。
(今のは、ちょっと難しかったかな?)
 と告げているようで、
(いや、まったく)
 俺も、無言で挑戦的な視線を返した。
 
「国土を円形に例えますと、その円を三分割するように北をピューマ、
 南をジャガー、東をオセロットが地方共同体として治めています」
 一度書いた棒人間もどきをささっと消して、
 大きな円と、それを三等分するような三本の線。
 そしてできた1/3のケーキの中に、さっきの後脚、牙、尻尾が描かれた。
 
「ただ、ピューマ族長を皇后陛下が兼任され、同様に、
 ジャガー族長を都督閣下が、オセロット族長を司教猊下が兼任されていて──」
 ──族長は世襲制になっています、と一度〆るように言葉を切った。
 
「朱奈、すごいよ。さすが保育所の先生だ」
 ──ぱちぱちぱち。
 俺は何の衒いもなく、彼女に賞賛の拍手を浴びせた。
「生徒がこんなに大きな生徒ですからね、先生も本気になったりするのですよ?」
 乾いた喉を潤すように、朱奈は石英のグラスを傾けている。
 
「一本取られたかな?あはは…」
「『一本取られた』……ですか? わたくし何かフユキから取りましたか?」
 グラスの壁に結露した水とチョークの白い粉が混じったらしく、
 おしぼりで手をふきながら、朱奈が問う。
「うん?あー、……後で説明するよ」
 まさか、剣道やら柔道やらがあったりはしないだろう。
 ──一から話すのも大変だし、朱奈に話はおまかせ、だ。
 
 
 
「それよりなにより、だ。皇后陛下を【サヤ】陛下という風にも聞えたんだが……」
 不思議なことで、例えば文字にルビが振られるように、
 二つの音が同時に、しかも、はっきりと耳の奥に響いた。
 もしかしたら【サヤ】というような不明なカタカナは、彼女の言うところの、
 『わたくしたちの言葉』にあたるのかもしれない……。
 
「朱奈の『こちら』の名前のサヤとは何か関係があったりするのか?」
 これは、途中から聞こう聞こうとずっと思っていたことだ。
 しかしその時は特別深い意味があってのことではなく、
 本当に軽く言ってみただけだった。
 
 だから──。
 
「はい、フユキ。わたくしは皇后陛下の娘にあたりますもの」
 
 俺は耳を疑った。
 ── 皇后陛下の娘にあたりますもの ──
 
「………ちょっと待ってクダサイ、朱奈サン、モウ一度」
 その言葉にこめられた意味を図り損ねたくなくて、最期の抵抗を試みる。
 
「わたくしはサヤ・ピスカ・ピュマーラ。
 【皇后陛下の五番目の娘にあたるピューマ】という意味です」
 
「はあっ!?」
 今度こそ、はっきりと分かった。
 彼女は──皇后の娘、すなわち、『お姫様』!?
 目と口をあんぐりと開けて朱奈を見──
 
 鼻と口を軽く覆うように、ころころと笑っていた。
「ようやくフユキの本当に驚いた顔が見られました」
 俺の不細工な顔をこそこそと一瞥し、
「フユキ、わたくしは今かなり嬉しいです」
 俺の言い方を真似て言う。
 
「参った」
 俺は板間の上にごろんと大の字になる。
「朱奈は正真正銘の『お姫様』だったのか……」
 予想の限界をはるかに飛び越えた展開に、思考が鈍っている。
 言葉を搾り出したきり、何も出てきそうになかった。
 
 朱奈も、こちらの見えないところでカランとグラスを傾け、
 俺が落ち着くのを待つように、口を閉ざしている。
 
(はあ……お姫様…かぁ……って! この体勢は無礼だったりしないか?!)
 思考が少しだけ戻ってきてくれたせいで、
「何を今さら……」呟くもう一人の自分を蹴り出し、肘で体を起こしかけ──
 
 
 
「……そして『こちらの世界』では、
 フユキはわたくしの『召使』になる他選択肢はありません」
 
 穏やかな朱奈の話し方。
「なんだってっ!」
 しかし、その『召使』という言葉のもつ意味を見逃すほど、
 俺は放心していなかった。
 
「『従者』という言葉でもフユキのことを表すことができます。
 ……怒りましたか、フユキ?」
 じっと睨みつけるような瞳は嘘ではない、と。
「いや、怒ってはいない。──が、少し頭が冷えたことは確かだ。
 説明……頼めるか?」
 崩した体を戻して、ざっと座り込んだ。
「はい、もちろんです」
 朱奈は雰囲気を改めるように、深く息を吸い、そして深く息を吐いた。
 
 
 
 
「先程、境界を越えたとフユキは言いましたね?
 ……フユキはなぜか簡単にさらりと言い当てましたが。
 現実ではこの『越える』ことが非常に稀なことなのです」
 ぐびりと俺の喉が鳴った。
 もうかなり小さくなっている氷を見ながら、グラスの中身を飲む。
 
「そして『越える』ことは、『こちらの世界』では『落ちてくる』と言われます」
 主語の問題、それも主語の位置の問題だろう。
  俺は『越えた』──
  朱奈は俺が『落ちてくる』のを見た──
 と、いうように。
 
「これは実際、海の上空から物理的に『落ちてきた』例が報告されたため、
 そのように呼ばれているという説が有力です」
 再び朱奈がチョークをつかみ、
 耳と尻尾のない棒人間と、その下に長く伸びる矢印を黒板に印した。
 
 その図を見た途端、何かが俺の頭を貫いた。
「朱奈、途中ですまない。
 『落ちてくる』のなら『這い上る』ことは可能なのか?」
 
 しかし、俺としてはかなり的を外していないと思ったのだが、
 朱奈の顔には苦笑が浮かんでいた。
 
「フユキ……。あなたが本当に『落ちて』来たのか正直理解に苦しみます。
 『こちらの世界』を前もって予習してきたとしか思えません」
 呆れたような、笑いを含んだ声。
「いや、そんなこと言われてもだな……」
 名探偵のように閃いてしまったのだから、仕方が無い。
 
 しかし──朱奈がそのままぽつりと洩らした。
「『這い上る』とはまた………意味深な言葉ではありますね、フユキ。
 ヘビ国の帝都崩壊と何か関係があるかもしれません──」
 このときの朱奈の顔は、今まで見たこともない表情だった。
 プライベートではない、『姫』としてのパブリックな顔──俺はそう感じた。
 
「話を元に戻します。
 落ちてくることは非常に稀だと述べましたが、これは有機、無機に限りません」
 かっと音を立ててチョークが黒板に突き立つ。
 
「『ヒト』以外にも非常に多種多様な物体が報告され、
 その関連性については諸説入り乱れており、それこそ千差万別です」
 そのまま、すすっと下に線が伸び、二度、三度と同じように線が引かれた。
 
「ただ『ヒト』が落ちてくる可能性はかなり高いと言われてます。
 元の落ちてくる確率が確率なので、大した差はありませんが」
 『ヒト』を表した棒人間を、白線が丸く、囲む。
 
「そして、落ちてきた『ヒト』の処遇ですが、
 『拾った』者の所有物となり、いかなる扱いをしても罪には問われません」
 
「…………朱奈が…拾った…? ──俺を?」
 目の前の朱奈は別段、変わった風もなく。
 いかにも小事であるように、さらっと厳しいことを流した。
 
 今この場に『ヒト』などいない──そんな様子に微かに生まれる反発。
(……でも、さ……)
 こういうときだけは、傲慢だけが取柄なあの父には感謝してもいいくらいだ。
(私情など、何の意味がある……本質を見えなくするだけだ、と……)
 きっと朱奈だって何か考えがある。
 
「『ヒト』の基本的人権は無視され、
 『召使』、『奴隷』、『愛玩物』など、所有者の思うが侭なのです」
 
 だって、彼女は言ったじゃないか。
 ── わたくしはフユキに感謝こそすれ ──
 
「ここ【キンサンティンスーユ】でもそれは例外ではありません。
 ただ少しだけ毛色が違います」
 
 あの真剣な鳶色の瞳は……。
 ── 欺くつもりも害をなすつもりも全くありません ──
 
「民の間に落ちた物はすべて貢物として献上されるため、
 一般的に『落ちたヒト』は、『奴隷』的な扱いこそ受けませんが、
 身分の高い者の『召使』になっています」
 まだ朱奈は強張った姿勢を解いていない。
 ……まだ続きがある……?
 
 適当に相槌を打ってみる。
「……それで、俺は朱奈の『召使』になるわけか……」
 これまでと逆の関係だ。
 厳格には異なるが、俺は朱奈を半ば『ペット』のように感じていたのだから……。
 
 
「さらに言いますと、フユキは絶対に『あちらの世界』に戻ることができません」
 
「そして、『こちらの世界』に落とした犯人は、わたくしなのです」
 
 
 『犯人』という不穏な単語に、俺は言葉を挟んでしまった。
「おい、朱奈──」
 そして、自分の発した声の硬さと張りに「しまった」と思う間もなく。
 
「分かっているつもりです!!」
 朱奈は途端に、整った顔をくしゃっと歪め、
 
「『あちらの世界』に『浮幽』したわたくしを助けていただいたのに、
 その方を、身勝手にも『こちらの世界』に『落して』しまったのですから……」
 激したような、苦しんでいるような語調は、
(──俺自身もひどく衝撃的な内容に動揺しているというのに──)
 朱奈が進んで『落とした』のではないと直感することができた。
 
「フユキは………わたくしを恨んで当然なのです。
 そうでなければ、わたくしは……わたくしは!」
 しかし、穿った見方をすれば、予め自分が悪いように仕立て上げ、
 相手に同情を沸かせるような内容だとも、とれなくは……ない。
 
「朱奈」
「はい……」
「一つだけ、言っておくことがある」
 これだけ「わたくしが悪いのです」と言い張っているのに、
 顔を伏せずに正面を向く朱奈は、流石だ、と。
 
「はい……」
 視線を二人合わせ、
「俺は── 朱奈をそんな悪い人間だと思うことはできないんだ」
 
「はっ?」
「あははっ! いや、自分でもかなり不思議」
 二人して、空気が抜けた風船のよう。
 間に張り詰めた何かが、弛む。
 
「………」
 それでも、朱奈の顔はまだ強張ったままでいて。
「俺は、信じるよ、朱奈を。まあ全然根拠がないわけではないが…」
 釣られるように、俺が表情を改める番だった。
 
 俺が起きるまでに、彼女は何度、この情景を想像していたのだろう。
 そしてその想像の中で、俺は何度、朱奈を責めていたのだろうか。
 俺の言葉を遮って、呻くように吐き出す言葉には、
 打算的な感情など少しも感じることはできなかった。
 
 ── つまるところ、俺は悲しそうな朱奈を見ていられなかっただけなのだ。
 
「怒られることで、非難されることで、朱奈は満足かもしれないが──
 相手のことをまるで考えていない。
 
 ── 怒った相手は、怒ったあとに何をしたらいい?
 ── 非難した相手は、非難したあとに何処に行ったらいい?
 
 真に悪いと思うなら、どうするべきか──」
 
「──朱奈なら、分かるはずだ」
 どうか俺を、完璧に、信じさせてくれ。
 せっかく語り合えた二人にわだかまりがあるなんて、俺は嫌だ。
 
「はい……分かります、フユキ。すべて、すべてお話します。ですから」
 ところどころ、声を詰らせて、
 
「『こちら』を嫌わないで、くださいまし………」
「うん……頼む、朱奈」
 
 俺は自然に笑ってやることが、
 怒ってなんかいないと、伝えることができたことにほっとしていた。
 
 
 
 
 

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