無垢と未熟と計画と?第4話(後編)
§ § 3 § §
「だ、大丈夫なの、りょー?」
「にーさん……気分とか悪い?」
心配そうに二人がソファに寝転んでいる俺の顔を覗き込んでくるが、声を出す余裕がないので何とか笑って答える。
一応途中まで寝ていたので酷い寝不足ではないが、それでも、いろんな意味で消耗して指一本動かすのも億劫だ。
「明日あたり、定例会議だったかしら」
昨日の晩の残り物をひょいひょいと、口の中に収めながご主人様が呟くと、同じように食べているロレッタが唐突に顔を上げる。
「えっと、にーさん」
「な、なに?」
ニコニコと可愛らしく笑っているはずなのに、この背中を伝う冷や汗はなんなのだろうか?
「わたし達に言ってない事、あるよね?」
「はて……?」
さてなんのことやら……と、続けて誤魔化せるような段階ではないのはロレッタの迫力から伝わってくる。
隠し事の類は一応、一つや二つはあるが、"定例会議"という言葉に反応してこんな事を言い出したのだからアレしかない。
「バッカスさんの件か?」
「そう! ……ねーさんからも何か言ってよっ」
「?」
と話をいきなり振られたご主人様だが、そもそも説明されていないので分かるはずも無く、とても不思議そうな表情をしている。
心配掛けさせまいと黙っていたのだが、何処から伝わっていたらしい。
「えっとね……」
そうやってロレッタご主人様に事の詳細をしているのを横から聞いたのを要約すれば、俺がバッカスさんに啖呵を切って数日後になにやら会議があったようで、そこで『王にヒトが必要か?』という議題で挙手を取ったところ、絶望的な結果が出て
しまった。
そして、約束の時期が明日であり、このままで行くと俺は外へ放り出される……との事。
しかし、こうやって他の人から危機感を煽られてみても正直、あまり心が動かない。
「へぇ」
それを食べながら聞いていたご主人様が、のんびりとそんな返事をしたからかもしれない。
「へぇ……じゃなくてっ。にーさんが居なくなっちゃうかも――」
「はいはい、落ち着いて」
「落ち着いてなんかいられないよ!」
「あぁ、もう……大体は予想してた事だから大丈夫よ」
……予想?
「ねーさん、どういうこと?」
俺の疑問をロレッタが聞いていたかのように代弁する。
「私は最初に宣言したわよね。"このヒトは王家の所有物であり、それを売買するなどありえない"ってね。……それをどうこうしようってのは、王家に対する謀叛とか言われかねないわ。でも今回、そこに寝ている所有物扱いのヒトの意思を尊重して~とか理由付ければすり抜けられる程度の物だけどね」
こっそり仕込まれた嫌味がやけに痛い。
「そ、それじゃ……」
「話はまだ終わって無いわよ。ロレッタ」
すずっと、俺が淹れたコーヒーを啜って口の中を湿らせて、
「これは、りょーをダシにし私へのテストなのよ」
そうして、ご主人様は穏やかに笑い、その表情に見とれながら、軋んだ体を起こす。
「もう2年もすれば私は『お飾り』じゃなくて『本物』の王になる。そうなったら、政治的な意味で判断がより重くなってりょーが、裏から操るなんていう事もあるわ」
「そんな気は一切無いんですけがね」
出来うる限りの手伝いはしたいが、そこまで大きな野望を抱けるほど俺は人間として壊れちゃいない。
「私もさせる気は無いわ。……最近、人を試すような事ばかり訊かれるからなんかしらいちゃもん付けてくるのかなぁ……くらい程度には予想してた訳よ」
「で、具体的にどうするの?」
そうロレッタに訊かれたご主人様は待ってましたと言わんばかりにフォークを持って、
「片っ端から正論で叩き潰すッ」
何故か良く似合う気合の入った笑みを浮かべて切っ先を俺達へ向ける。
頼もしいのやら危ういのやら色々言いたい事はあるが取り合えず一言。
「「お行儀悪い」」
俺とロレッタのダブルで突っ込まれ、がっくりとうな垂れるご主人様。
どうやら、カッコつけたつもりだったらしい。
「って、ロレッタ。そろそろ学校の時間じゃないの?」
そう言われて懐中時計を見てみると確かにそんな時間だ。
しかも、危ない感じの。
「――い、いってきますーっ!」
いってらっしゃいと声を掛ける隙さえ無く、ばたばたと大慌てでリビングから転がりでるように走っていく。
「……あれ、あの子って走って良かったのかしら……?」
「なんか、大丈夫だそうですよ」
「へえ、お祝いにケーキ買ってこないとねぇ」
と、ふと気づく。
確かご主人様もロレッタと同じような時間に家を出ていたはずなのだが、何故ここにいるのだろう。
「ん、今日はここで仕事するから一日中居るつもりよ?」
「!」
口に出す前に答えられてしまった。
「あれ……違った?」
「いや、合ってますけど、なんで分かるんですか?」
最近、とは言っても殆ど最初からの気がしないでもないが、人の心を見透かして反応を楽しむような所がある。
いくら顔に感情が出やすいなどと言われる俺だが、それを糸口にするには正確すぎやしないだろうか?
「えーと、りょーってほら、素直だから、ね」
「褒めてもらえるのは嬉しいんですけど、それだけじゃないですよね」
「あ、あははは」
詰め寄って問い詰めてみても、視線を逸らし、笑って誤魔化す気満々のご主人様。
まあ、そこまで大事な事ではないし、このままの状態で居ても意外に頑固なこの人は絶対話すつもりなんてないだろう。
「とっと」
追求を諦めて、さっきまで自分が座っていたソファへ引き上げようと腰を上げると、一瞬のバランスが取れずにふら付いてしまう。
疲れ、というかこういった精神的消耗は少しの時間横になった程度では治らないものらしい。
「ほらほらっ」
その様子を見かねてか、何故かご主人様は自分自身の太もものあたりを叩いている。
いや、何をさせようしてるのは分かる。
分かるが、だ。
「俺、自分の部屋で休んでますから」
「ダメ」
有無を言わせない一言。
「お昼ごろに様子見に行ったら、息が止まってました……なんて嫌だし」
「寿命が近いお年寄りじゃないんですから」
「いやいや、若い人にも最近多いらしいよ?」
「そういう問題じゃないです」
何とか説き伏せて、むぅと不満げに呻くご主人様を見てやっとで一息つく。
確かに、こっちに落ちてきた時にしてもらった時のあの適度な柔らかさは魅力的だが、あの頃とは環境も状態も違うのだから、その提案は受け入れたらダメなような気がしないでもない。
さて、面倒事にならない内に引き上げておかないと。
「ねぇ、りょー?」
うんうんと唸っているご主人様を脇目にいつの間にか綺麗に食べられている皿をキッチンへ持って行き、帰ってきた所でいきなり声を掛けられる。
「なんでしょうか」
どこか諦めた心境で反応すると、ご主人様は気持ちのいいくらい清々しい笑顔を浮かべていて、その理由は何となく察しが付く。
「何度かりょーの腕とかを枕にしたよね? そのお返しに枕にしても……どう?」
「遠慮させ……うぅ」
何が何でも断ろうという心意気だったはずなのだが、底抜けに明るい笑みがそれを許さない。
もし断ったら、どんな悲しそうな顔をするか考えたくも無い。
「ね?」
「く……! わ、分かりしました」
やっぱり、ご主人様には勝てない。
そう自分自身に実感させるだけの短い反抗だった。
「……ん」
あ、やっとで寝てくれた。
全く、あーだこーだ言ってても疲れてるなら寝てればいいのに。
「もう、意地っ張り」
いつもそうだ。
おそらくは一度もああいう荒事を経験した事のない"りょー"が、あの場に出るだけでも怖かったはずなのに、だ
もちろん、誰か――多分、フランツさん――が、けしかけてての事なのだろうけど、こんな無茶をしたと思う。
……助けられたのは確かだけれど、これで死なれたりしたら一生夢に出てきそうだ。
「もう、馬鹿」
そう呟いても、本人は何故か疲れてて規則正しく寝息を立てていて、聞こえていない。
「ホントに寝ちゃった?」
返事が無いのは分かりつつも、すこし荒れた感触のする短めの髪の毛を人差し指でゆっくり梳く。
いつも触られてばかりだったけど、やってみると意外なほどに心が落ち着いてくる。
「私ね、夢があるの」
ふと、そんな言葉が漏れる。だけどよくよく考えれみれば、そこまで自分に余裕が出来たのは久しぶりな気がしないでもない。
えぇと、確か……
「かーさんやお婆様を……超えたって、認めさせるの」
これを思いついたときは、なんて馬鹿げていると自分でも思ったものだけど、今でもそう思う。
ホント、若かったとしか言いようが無い。
ただ、何で超えるかとかいう分野は特に考えてなかったし、あの時は漠然とそう考えていて夢と言えたかは謎だった。けれど、今改めて口に出すと、そういった曖昧な所が少しずつ固まっていく。
もう居ない人と比べる事ができる事は限られているが、ちょうどいい事に……
「きゃ」
思案に集中力を割いていて、いきなり寝返りをうった"りょー"の頭が私のお腹の辺りに押し付けられて、慣れない感触に短い悲鳴を上げてしまう。
そして、すぐに元の位置にもどったのだけれど顔が火照って仕方ない。
こっちからイタズラする分にはなんだかんだで主導権があるのでなんとかなるけど、こうやって不意を打たれたりすると頭の中が真っ白になってどうしていいか分からなくなる。
そんな風にならないようにするには常に先手を取ればいい……と、リゼットの付き合いで学んだのでなんとか様にはなってきては居たけれどやっぱり私には向いていない。
それはともかく。
「ま、明日はよろしくね、りょー」
ロレッタにはああ言ったが、あれは私が正式な『王』であったならばのお話であり、あくまで"仮"扱いの現状では少々弱い論理だ。
だからといって諦めるつもりなんて毛頭ないし、なりより、これで勝てれば"夢"を叶える事もできるかもしれない。
そう考えるとやる気と根拠のない自信だけなら、有り余って仕方ない。
ふふふふふ――
「――いやはや、楽しそうね。ラヴィニア?」
「……――っ!」
驚愕のあまり、出た声が裏過ぎて掠れて殆ど出せず、結果的に"りょー"を起こさずに済んだのを確認して一安心。
そして、何故か後ろで楽しそうにしているリゼットに冷たい視線を向けてみるが、何時もの如く、さらりと受け流される。
「どうやって入ってきたのとか訊いても無駄なんでしょうね」
諦めの溜息を一つ吐き、出来る限り声量を抑えてそう言うと、"わかってるじゃない"と言わんばかりにリゼットは首を縦に振る。
玄関を開けたのなら取り付けてあるベルが鳴る筈なのだが、しなかった。
と言う事はそれ以外から入ったと考えるべきだが、そんな所があるとは思えないのでその考えは却下。とすれば、玄関しかないが……と以下ループしてしまう。
それよりも、だ。
「何しに――」
そこまで口にして気づく。
この時間に来る用事といったら一つしかない。
「……仕事の書類ね?」
「そそ、バッカスさんから預かってきたわよ」
「んー」
ぱらぱらーと軽く通してみるが、それほど難しい物はなく、ただ許可を求めるのが多い。
ここまで来て不許可にするのも出来るが、もう既に手回しして後は私の印の段階が殆どなのでそういったことはまず無い。
「さて、今回の騒動の顛末の報告しましょうか……最大のけが人もそこにいるしね」
そう言って椅子を一つ引き寄せて座るリゼットに合わせて、私も居住まいを整える。
報告自体は帰ってくる馬車中でも出来たのだけれど、資料をまとめる必要があるから後でと言われたのだが、今になるらしい。
「まず、貴女が満身創痍にした男は……アタシの叔父のアーネスト・メイフィールドって男なの」
ペンでも貸すような気軽さで発せられた衝撃の事実に、へぇ、と納得しかけて、思考が凍る。
「……身内の罪よ」
先ほどまでとは打って変わり、重苦しい空気へと変わり、
「アタシへの処罰は好きなだけ――」
「……もう、つまらない事言わない」
あの男の所為で、とーさんやかーさんが死んでしまったのは事実。
だけど、その感情をそのまま吹っかけるなんてのは見当違いも甚だしい。
「何か悔やんでる暇があるならその分仕事してよ? 多分、忙しくなるんだから」
「……そうね、アンタ……そういうやつだったわね……」
「そうそう」
俯いてどこか乾いた口調で呟くリゼットを無理矢理励まして、元気付ける。
実際問題、彼女の立場で仕事の能率が下がったりしたら何を言われるか分かったものじゃないし、場合によっては庇いきれない。
そうなる前に、事前に手を打っておくのも私の仕事だ。
「それじゃ、何で釈放なんかしたの?」
いろいろゴタゴタはしたものの、あの男――リゼットによればアーネスト――を拘束はしたものの、結果的に身包み剥がして外へ放り出した。
本来の計画では、埋めるか沈めるかなんていう物騒な話も有ったのだけれど、結果的にそうなってしまったのだ。
「色々理由はあるけど……やっぱり、殺しちゃうのは、ね?」
甘いなんていわれるのは覚悟している。
例え、完全に後顧の憂いを断ったとしても、私は後ろめたさで後悔するくらいだろう。そんな事をする位なら、甘々な判断でよかったと思う。
「……ありがと」
それを聞いたリゼットは、大きな溜息を吐いたかと思うと、ぼそりとそう呟いて続ける。
「小さい頃、あの人に遊んでもらった記憶があるのよ……だから、ちょっとショックだったのよね」
あはは、と軽く笑って見せたけれど、私には想像しがたいほどの事だから何を言っていいか分からない。
だから、何も言わない。
それが私達の間でのやり方だ。
「アンタのそういう所、本当に救われるわ」
「どういたしまして……褒めても何も出せないけどね」
そう言い合って目が合うと、どちらともなく吹き出してしまう。
「んん?」
そうやってひとしきり笑い合うと、そんな声を共に太ももの上でもそもそと何かが動く感触がして、そこに"りょー"が居たのを思い出す。
やっぱり起こしちゃったのかなぁ……?
「ぐぅ……」
頭を撫でて、起きるのを待っていたのだけれど意外に眠りが深かったみたいで、また規則正しい寝息を立て始める。
何があったか分からないけど疲れてるんだなぁ……
「起こしちゃマズイから、続きは後にしとく?」
「そう、ね。……それでお願い」
そうして、いつ続きやるかなどの簡単な打ち合わせなどすると、そそくさとリゼットは帰ってしまい、話し相手が居なくなってしまう。
「もうっ、早く起きてよね」
仕事しながらでも、気になって仕方ない。
しかも、このままだと飲み物も取りにいけないし、下手に体を動かす事も出来ないでちょっと不便だ
でも、まぁ……いいかな。
「ほれほれ~」
「うぅ……」
などと、仕事をしばらくやってからちょっと遊んでまた仕事してを繰り返している内に時計塔の鐘の音が鳴り響き、早くもお昼の時間を知らせる。
リゼットに言わせれば、燃費の悪い私はこの時点でお腹がぎゅるぎゅる鳴るのを抑えるので必死なのだけれど、それでさらに体力を使う悪循環。
あぁもう……早くおきてよー、お腹空いた~~っ!
「あ、起きた?」
「――うわぁぁぁぁっ!?」
いきなり目を覚ましたかと思うと、いきなりそんな大声上げて、わたしの膝の上から凄い勢いで転げ落ちるにーさん。
……そーいう反応は傷つくなぁ。
「~~っ!」
さらに止める暇なく、テーブルの足へ頭をぶつけて悶絶しているのだから運が無いと思う。
それでも、ちょっと待ってると痛みが和らいできたのかゆっくりと立ち上がり始める。
「なんで、ご主人様がロレッタに変わってるんだ?」
「にーさん、外を見て?」
「あー……」
わたしのその言葉に従ってにーさんは窓の方に振り向くと、納得したようなそれでいて後悔したような声を上げる。
それは当たり前だと思う。
今の季節は日が出る時間が長いから入ってくる光はまだ強いけれど、赤さが混じっていてもう夕方と言う事が分かるからだ。
「うわぁ、もう少しで10時間も寝るとこだったのか……」
「寝すぎだよー、それはー」
「おっかしいな。昼前には起きてるつもりだったんだけどなぁ」
そう無念そうに呟いたにーさんはがっくりとうな垂れて、近くにあった椅子へ力が抜けたように腰を掛ける。
寝るだけ寝てたから疲れは見えないけれど、物凄く後悔したような表情をしていてちょっと可哀想。
「あ、ロレッタ」
「?」
とりあえずは、紅茶でも入れようかと立ち上がってキッチンの方へと足を踏み出すとそう声を掛けられて振り向く。
「いきなり声上げてごめんな……居て当然だとおもったご主人様じゃなくてロレッタだったから吃驚してさ」
ははっ、と、どこか疲れたような声音で謝られるとわたしも強くはいえない。
もちろん、ずぅっっっと寝ていたにーさんが悪いけれど、起こしてあげるという方法もあったのに取らなかったこっちも悪い。
……どうしたらいいかなぁ?
「眠気覚ましに紅茶でもコーヒーでもくれないか? 本当は俺が淹れるべきなんだけど実は足が痺れて立てなくてさ」
うんうんと唸っているわたしに、そうやって冗談めかして、送り出す。
そうなると、お茶を淹れるのに手を抜くわけにはいかないので、雑念を追い出して体に染み付いた動きで一つ一つちゃんとこなす。
えーと、もう少し蒸した方がいいかな……?
……などと、やっていたけれどやっぱり集中力が欠けていたみたいで小指に軽い火傷を作ったり、茶葉の量をどさっと多く入れてしまったりと散々な結果に。
このままじゃ出来た紅茶は取りあえずは飲めるという程度の出来にはなるだろうけれどそれじゃ全然納得いかない。でも、もう一度淹れなおす時間も無い。
そうなると、少し濃い目にしてミルクティーに切り替えてしまうのがちょうどいいかもしれない。
「よしっ」
そうと決まったら手遅れにならない内に切り替えていく。
失敗した事はあまりないけれど、それでもそういう事はどうやったらいいかくらいは考えていたからなんとか手直しを加えてなんとか完成。
出来栄えはあまりいい訳がないけれど、そのまま強行するよりはいくらか良くなっているし、ミルクで味は多少はごまかせるから"それなり"にはなっているはず。
「どうぞー」
そんなこんなで、銀色のお盆に載せたまだ熱いミルクティーをにーさんに差し出す。
「ん……ちょっと失敗した?」
あ、バレた。
「えぇと、葉っぱの量とか間違っちゃって……よくわかったねー」
「殆ど毎日飲んでるからねぇ。味なんかあんまり気にしない俺でも分かるようになるさ」
とかなんとか言いつつも文句も言わずに飲んでくれるにーさんはとても優しい。
もちろん、それに甘え続けちゃいけないけれど、どうしても甘えちゃう。
「そういえば……なんで俺を"にーさん"って呼ぶんだ?」
ポットの中身も半分を切った頃、ぽつんとにーさんがそう呟く。
「んー……」
理由はいろいろあったりするけれど、イチバン大きいのは、
「本当はね、お兄ちゃんも欲しかったの」
「へぇ……って、"も"?」
「うん」
耳聡く言葉の端を聞きつけて、聞き返してくる。
「ねーさんは外にいる事が多かったし、かーさんととーさんはお仕事あるからどうやっても、わたし一人だけのベットの上の日があるの……そうなっちゃうと寂しかったからもう一人家族が欲しいなぁ……ってね」
今考えちゃうと、誰か自分の傍にいて構ってくれるなんていうとっても都合のいい考えだったとよく思う。
でも、あの頃は本気でそう考えていて『おにーちゃんも欲しい』なんてお願いをした事もあるくらいだったから、ちっちゃい頃って怖いなぁ。
「あー、似たような事ならあったなぁ……俺の場合は弟だけどね」
そう苦笑いをしてにーさんが話してくれたみたいに、身内にお兄ちゃんやお姉ちゃんがいる人なら結構ある考えらしい。
ねーさんの場合、どうなんだろ?
……あ、そうだっ。
「~」
どこに置いてあったのか昨日読んでいた本を口元を動かしながら読んで、ときたま、思い出したようにミルクティーに口をつけているにーさん。
こういうときにねーさんの真似をすれば、気持ちとかが分かるかもしれない。
それにはまず、呼び方からだ!
「……っ、……っ、……っ」
声が出ない。
ただ呼ぶだけ。ただ呼ぶだけ。ただ呼ぶだけ。……よしっ。
「り、り、り……!」
喉が引きつって、変な所までしか出ない。
そんなわたしの様子が不思議だったのか、にーさんは今まで読んでいた本から顔を上げる。
ここここ、こうなったらぁ!?
「……り、りょー?」
なけなしの度胸を振り絞ってそこまでが限界。
もう恥ずかしいやら、なにやらで手元にあった銀のお盆をぎゅっと抱きしめ、にーさんの顔が見れなくて下を向いてしまう。
「なんだい、ロレッタ?」
「な、ななな、なんでも、ない」
「そっか」
そうなんとかやりとりでも、もう頭の中がぐっちゃぐちゃ。
本当に慣れない事はするもんじゃない。
こんな事に巻き込んだにーさんに悪いなぁと思いつつ、ちょっとだけ視線を上げるとなんとタイミングのいい事に目が合って、
「……ん?」
「っ」
一瞬だけ。
その一瞬だけが限界だった。
たったそれだけで、首元まで火照った肌がもっと温度を上げ、自分でも何を考えてるか分からなくなってくる。
あぁもう、どうしたのわたし……?
「にゅ……わわわっ!?」
「んー、よしよし」
ガチガチになって石のようになっていたところへいきなり、わしゃわしゃと乱暴な手つきで頭をいきなり撫でられて、もうパニック。
もう滅茶苦茶な声しか出ない。
「何考えてるか分からんが、無理しなくていいからな……さて、ご主人様が帰ってくるまでに晩飯の準備するかぁっ」
「う~」
そうしてキッチンへ向かっていくおっきい背中に唸ってみても、結局一つの現実を再確認するだけだった。
……わたしは、にーさんが、大好きっ。
「手伝うから待って~」
甘くて苦く、そして重い感情をどうにも持て余しながら、わたしはその背中を追った……。
行政区画の議事堂。
そこが俺の処遇を決める所らしい。
「さぁ二人とも、準備はいい?」
その中の待合室のような一室に俺、ロレッタ、そして妙にテンションの高いご主人様が一つのテーブルを囲み、椅子に腰掛けている。
自信満々なのは非常に頼りになるが、なんとなく不安だ。
「……うん、頑張る」
ロレッタはロレッタで微妙に空気が暗く、なんとなく悲壮というか追い詰められた感のある覚悟が伝わってくる。
こうなってしまうと、問題の発生源である俺の意気込みが大事になるのだけれど……
「えぇいつでも」
妙に力が入らない。
決して諦めてる訳ではなく、落ち着いてるという部類の脱力感がある。
一応、ある程度の理論武装くらいはしてきているが、こういう事自体に出くわした経験ない俺ではあまり役に立たないのは分かりきっていている上、ロレッタも恐らくは慣れていないだろうから頼りになるのはご主人様だけの状態だ。
にも関わらず、俺は慌てたり、ガチガチに緊張していない。もう数え切れないくらいやった紅白戦でもなかなかこうはいかない。
「さて、二人とも」
しきりに時間を気にしていたご主人様が俺達へ二人へそう切り出し、
「まず最初に通常の議題からやっていくと思うから、それが全部終わったら呼びにくるから待っててね」
こう言われた以上、そうするしかないので俺とロレッタがそれぞれ頷くのを確認すると、ご主人様は「それじゃ、いってきます」と気楽な表情を浮かべて部屋から出て行ってしまう。
「……」
そうなると、いつも明るいはずのロレッタが今日に限って暗く、その原因が分からないので手が出せない俺という膠着状態が出来上がる。
いや、原因は多分、俺のことだ。
彼女を悩ますような事態といったらこれ位しかない。
ならば、どうするかなんてのはもう決まってる。
「ロレッタ」
「なに、にーさん?」
らしくない沈んだ声音。
そうさせたのは俺で、それをなんとかできるのも俺自身だと自惚れに近い確信がある。
「大丈夫。大丈夫だからさ、そんな暗い顔をしないでくれ」
言われたすぐ後こそ、ぽかんと呆然としていたけれどすぐにまた暗くなる。
「証拠は、あるの?」
「~……んー……無いな」
「な、無いの!?」
俺の答えにあっけに取られて、思わず大声になるロレッタ。
誰だってそうなるだろう。
実際、証拠がないのだから嘘は言えないし、言ってもいない。
「でも、ロレッタは頑張ってくれるんだろ?」
「当たり前だよっ! にーさんが居なくなるなんてイヤだもん!」
いつも感情の上下が激しいけれど、ここまではっきり言われると照れる前に驚いてしまう。が、口走った方も自分の言葉の意味に気づいたらしく、頬を赤らめてもごもごと口ごもってしまう。
ま、まぁそれはそれとして。
「俺も頑張るし、ご主人様も頑張ってる。もしかしたら、リゼットさんも頑張ってるかもしれない……それだけみんな頑張ってるんだ、結構どうにかなるもんだと思うぞ?」
「で、でもっ」
「分かってるよ。これに失敗したら後が無いって事くらいはね」
今まで生きてきた時間の半分くらいを野球につぎ込んで、結局出来なくなった。
つまり、それだけの時間すべてを努力につきごんで、たった一つの、でも、とても大きな障害でそれが"無駄"になった。
それが、今、ここで起きないとも限らない……というか起きる可能性の方が大きいのだからロレッタの心配もごく当たり前。
けれど、だ。
「上手くいえないけどさ……」
そう前置きして、目を閉じて少し思案に沈む。
こういうとき、自分の頭の悪さに辟易するけれどそんな事で悩んでいる場合じゃない。言うときはちゃんと言わなきゃいけない。
「ロジェさん、バッカスさん、フランツさん、リゼットさんの4人には会った事があるんだけど、他の人は意地悪だったりする?」
「そんな事ないと……思う。フランシス卿とかマリーさんとは最近は会わないけど、凄い優しい人だよ」
「うん、だろうね」
フランシスさんに直接会った事はないけれど、その娘のプリシラさんを見れば悪い人ではないのは分かる。
問題はマリーさんだけど、ロレッタのこの評価を見れば大丈夫。
多分、本心から俺を追い出そうなんて考えてる人は居ないだろう。居たのなら最初から排除に掛かっているはずだ。
「俺は全力でご主人様の邪魔にならないと証明する。そこまで言って通じない人達じゃないだろうから……なんとかなるさ」
お気楽な考え方だけど、難しく考えるより俺にはこっちの方が性に合っている。
「うーんうーん……」
しかしながら、楽天家で根が真面目なロレッタにはこの考えが分からないらしく、何故か唸って自分を納得させている。
こうなったのは自分で蒔いた種なのだから自分でなんとかしなくてはならない。
「別に無理に分からなくてもいいよ……これは俺の感じ方だからね」
「で、でもぉ……」
悩みすぎて涙目になり、耳も元気なく垂れているロレッタへ近寄って、目線を合わせる。
こうしてみると、おろおろしている雰囲気がご主人様に似ていてやっぱり姉妹だなぁと改めて認識される。
「みんながみんな同じ考え方じゃ、おかしいだろ?」
ゆっくりと、けれど、しっかりと言い含めるようにすると、戸惑いつつもコクリと頷く。
「ぞれぞれ違うから、喧嘩もするしいがみ合ったりもする。でも、仲良くなったり……か、家族にもなったりするんだよ」
似たようなことをねえさんにも言われた覚えがある。
その時は、実感が沸かなかったけれどここに来てから身にしみて分かるようになったのは、多分、ご主人様とロレッタのお陰。
もう、いくら感謝しても足りないくらいだ。
……これを言うと二人にもっと甘やかされそうだから心の中に止めておくが。
「だからさ、分からなくてもいいんだよ。できればいつか分かって欲しいけど、あくまで希望だからね」
と、ロレッタの頭を耳も巻き込んで一緒にちょっと荒めに撫でる。
言葉には出さないが、こうされるとロレッタは目を細めてとても嬉しそうにしているのでついついやってしまう。
これはご主人様も同じだが、あの人はもうすこし平気で3時間とかやらせるから注意してるがあの触り心地は癖になってしまう。
こっちはこっちで癖のある感じがくすぐったくてやめられなくなりそうだが、その考えを気合で捻じ伏せて手を離す。
「……いいなぁ」
へ?
「ね、ねねねね――」
壊れた蛇口のように"ね"を連呼するロレッタの声を遠くに聞きながら、その場に居るはずの無い人の顔を見る。
「何を二人とも驚いてるの?」
不条理の塊みたいな現れ方をしたご主人様は、とても不思議そうに首を傾げてクスクスと小さく笑っていた。
なんで? とか、いつ、どうして? などと訊きだしたい事が山ほど沸くが、あまりの現れ方に声がでない。
「んー、そこの扉ね、ちょっと持ち上げてあげると開くときに音が鳴らないの……で、私が来たのはあなた達を呼びに来たのよ」
それだけ聞かされても理解するまでに圧倒的に時間が足りない。
「あ、あぁそうなのか……」
しかし、何故こうも焦っているのだろうか?
というか、ここ一ヶ月でようやく磨かれてきた危険に対する勘がやけにうるさい。
「『別に無理に分からなくてもいいよ……これは俺の感じ方だからね』かぁ……私も同じ考えかなー」
「!!」
ニコニコと、まるで邪気が無いような笑みを浮かべておきながら、態度や言葉の端々から毎度おなじみのあのからかうような雰囲気が滲み出ている。
もう条件反射かなにかのように背中には冷や汗が吹き出し、やけに舌が回らなくなる。
「『みんながみんな同じ考え方じゃ……」
「――もうやめてくれー!」
「それじゃあ……」
少し考え込むような仕草をしたご主人様だが、これは絶対嘘。もう決めてあるはずだ。
それは、恐らく……。
「私も、頭撫でて?」
あぁやっぱり。
そう予測しきっても、少し照れたように赤くなった頬とか、期待しつつもどこか遠慮の色を隠せない大きな瞳とかの魔力が『NO』という気力を奪う。
一番大きいのは、あの髪の毛。
気が付いたら触っているくらい癖になるものだから、このお願いは願っても無い。が、だ。
「いや、ほら……時間とか無いだろ?」
「活とか気合入れる意味だから、少しでも……いいけど、ダメ?」
俺自身も苦しい言い訳だがあっちも苦しい。
しかし、ロレッタにもしてあげた以上、ご主人様にもやらなきゃならない気がするが、それをすると会議が終わるまでずっとやらせてそうな気配がするので断固断らねばならない。
と、
「ね、ねーさん、わたしがやってあげるから」
ロレッタが流石に見るに見兼ねたのかそう口を挟み、ご主人様を止める。
その提案は正直どうかとおもうが、それで抑えられるのなら有り難い。
「ダメー」
考慮する余地さえないのか、恐ろしい速さで即答。
……あぁ、そうか。
「ん」
「きゃっ」
各々違う反応を聞きながら、二人の頭へと手を掛けて優しく撫でる。
少し前、ご主人様は自分の髪に触った人は早死にするとかなんとか言っていた。多分、それを気にしてロレッタの提案を拒んだのだろう。
そうなったら、こういう事ができるのは俺だけだ。
「時間無いから、こんなもんでいいかな?」
「勝って終わったらもっとしてもらうからね?」
「ず、ずるい、ねーさん! わたしもっ、わたしもっ!」
「はいはい、分かりましたよ」
『"はい"は一回だけっ!!』
「……はい」
言葉にできないような理不尽さを感じながら頷いて、立ち上がろうとすると急にご主人様の腕が肩に回され、意外なほど強い力で引っ張られて、
「んふ」
ぐっ、と近づいた引っ張った主の綺麗な顔が近づいて、傍には泡を食ったような表情のロレッタの横顔。
まるで円陣か内緒話するような状態で俺達3人が集まっているような体勢だ。
「さっき、りょーが言ったけど……私達は『家族』なの」
どこから貴女は訊いてたんですか!
などと問い詰めたくなるが、彼女のしんみりとした口調にその考えを掻き消す。
「もし、誰かが居なくなったら寂しいし悲しい」
俺が怪我した時、ロレッタにぼろぼろ泣かれたりしたのを見ればそれが怖かったのがよく分かる。
「けれど、嬉しい事があったら一人で喜ぶより嬉しい。だから、頑張ろ?」
そう言って、穏やかな表情で笑うご主人様を見た俺とロレッタは互いに顔を見合わせ、
「――い、ひゃいー!」
片手でご主人様の頬をそれぞれ思いっきり引っ張った。
しかし、よく伸びるし、柔らかいなぁ……。
「ひゃに、ふるのー?(なに、するのー?)」
大きな目を痛みによる涙で潤ませてやけに可愛らしいが、ずっと見ている訳にもいかないので心の中に仕舞いこみ、
「もし、これで負けたらある意味命に係わりますし、頑張らない訳だろ? それに居心地のいいここは離れたくないしね」
それに続けてロレッタが、
「わたしが居ない時のねーさんの世話を誰がするの? にーさんしか居ないでしょー」
とか言いながら、うにうにぐにぐにと、それはもう楽しそうに頬を引っ張る。
「はんで、ひょんにゃひょとひゅるのー!?(なんで、こんなことするのー!?)」
「まあ……"何今更な事言ってんですか?"って感じかな?」
人に"家族”とか"あなたには、私がいるわ"などと言っておきながらこの期に及んでこんな事を言い出すのだから、これくらいの事はしてもいいだろう。
勢いのまま自分の意見を通すかと思えば、直前になって不安そうに意見を聞いてくるのは何時もの事だけれど、ここは自分の考えを通しておくべき所だ。
……だからこそ、俺はご主人様に付いていけてるのかもしれない。
「ひゃから、はにゃひてー!?(だから、はなしてー!?)」
ぐにぐにと引っ張り、冗談じみた悲痛な声を聞きながら俺はそんな事を考えていた……。
「まだ痛いー……ぐす」
そんなご主人様の涙声混じりの恨み節を聞き流しながら、俺は初めて入った会議場を見渡す。
馬鹿でかい円卓のが置いてあるからか狭く見えるけれど、広さはそこそこある。
机があるのだから当然椅子もあり、その数は7+2。
なんで+2かと言えば、ご主人様が座っている席の傍に歪な間隔で椅子が置かれているからだ。
「ご、ごめんね、ねーさん。つい出来心で……」
「出来心で済ませられるかー!」
「はいはい落ち着いてねー」
こんなやりとりができるのは俺達以外に誰も居ないから。
ご主人様によれば結構長い時間の休憩が取られているらしい。
「リゼットさんとかと打ち合わせとかしなくてもいいんですか?」
多分この時間はそういった事に使われるべき時間のはず。ここでじゃれている場合ではないと思うのだけれど……?
「りょーじゃないけど、"いまさら"、だしね。それに勝ち目はこっちにあるのだから焦る事は無いわ」
「そんなもんでしょうか?」
「そんなもんよ」
自信満々な笑みを浮かべるが、ちょっと赤くなった頬が迫力を半減して可愛らしく見える。
それとは正反対に不安げなロレッタがちょんちょんとご主人様の服を引っ張って、声を上げる。
「わたしとかにーさんは何をすればいいの?」
そう言われて何をすればいいのかというプランが殆ど無いに気づく。
完全に無いという訳ではないのだけれど、それだって、ただ漠然と訊かれたらどう主張するか程度でしかない。
「んー、建前の理由にされてるりょーや、私ならともかく、ロレッタは基本的には何も無いわ」
「な、ないの?!」
ご主人様の答えにロレッタが可哀相なほど慌てる。
『頑張る』と意気込んだ直後にこれはショックだろう。
「き・ほ・ん・て・き・にっ、って言ったでしょ? ……貴女にはちょっと意地の悪い小細工をしてもらおうと思ってるの
よ」
そう意地の悪い笑みを浮かべたご主人様はごにょごにょと、こっちには聞こえないように耳打ちをするとロレッタの表情がどこか気の毒そうなのに変わる。
「えぇと、これはいつ言えばいいの?」
「自分が必要だと思ったタイミングでいいわよ。嫌がらせみたいなものだしねー」
「うーん……?」
どうもしっくり行かないようで首を捻ってばかりの姿を苦笑いしながら眺めていると、壁の向こう側から音もテンポの違う足音が聞こえて、重い音を立てて大きな扉が開く。
ぞろぞろと、ご主人様そうして入ってくるのは、予想通りにご主人様を除く、全ての出席者達だ。
「姫様、遅くなって申し訳ありません。……お体の方は大丈夫でしょうか?」
そして、最後に入ってきたのはバッカスさんがご主人様へそう口を開く。
「えぇ、大丈夫よ。……じいやこそ、体大丈夫?」
「もう少し生きるつもりですのでご安心を」
「控えめねぇ」
と、とても和やかなやりとりを聞いて、一安心。
幾つかあった心配事の一つが、この二人の関係の悪化があったけれど、もしかしたら似たような事は何度かあったのかもしれない。
「――では、開会いたしましょう」
まだ知らないご主人様達の過去を考えるのに夢中になっていると、隣に居るからバッカスさんの歳に似合わぬ力強い声が耳に入って意識をそちらへ向ける。
巨大な円卓には見慣れたリゼットさんもいれば、ネズミにも関わらず体の大きい男の人や、どこか余裕のある雰囲気を持った少し歳を召した女性――多分、フランシスさんとマリーさん――もいて、改めて緊張に震え、自然と背筋が伸びる。
「ここに集まって頂いた理由は、皆様分かってらっしゃると思われますので省略させて頂きます。……早く帰りたいですからな」
最後のとぼけたようなつけたしに、思わず笑いがこぼれる。
確かに結果がどうなろうと、早く終わるならそれに越した事はない。
「……それではこの"ヒト"を私達から引き離そうという正当な理由を伺いましょうか、じいや?」
笑い声が引いた時を見計らい、ご主人様は静かに言い放つ。
言葉一つ一つに妙に力を入れて強調しているあたり、この状況を楽しんでいるに違いない。
「では僭越ながら、わしの見解を」
と、バッカスさんはコホンと一つ咳をして、
「我々は……ネコほど享楽的でも、イヌほど頑固でもない中途半端な種族です。それ故に――ヒトが"恐ろしい"のですよ」
そうゆったりと、しかし、歳の割によく通る声を部屋に響かせて続ける。
「その上、力まで無いとなると予防が必要となるのです……この場合、あまり当人の意思は重視されませんが」
何も言えない。
客観的に見れば、バッカスさんの心配はその通りだからだ。
別にこっちの世界に限らず、あまり素行の良くない友人に引っ張られて、もっと非行をするなんていう話に置き換えればそのまま通じる訳で、それを防ぐにはその友人を引き離すのが一番いいと言っているのだ。
だが、その友人が実はまともだったなんていう事を証明すればいいのだけれど、それが一番難しいのが問題だ。
「……?」
あまりに分の悪すぎる状況を再確認して、内心溜息を吐いて視線を回りに移してみれば聞いている人の反応は意外と悪い。
少し不思議だ。
と、リゼットさんが声と手を上げた。
「発言、よろしいかしら?」
それに対し、ご主人様は頷いて許可を下ろす。
「……予防が必要なのは理解しました。しかし、彼がその措置が必要な存在なのかが理解しがたいのですが、その点についてバッカス老はどう思われますか?」
「ふむ」
そうして、考え込むように顎の辺りをさすると自嘲するような笑みを一瞬だけ浮かべて口を開く。
「今はそうかもしれんな……が、将来そうとは限らん」
一息。
「決して変わらぬ人間などありはしない。もし、それに反するような存在はすでに"化け物"の類だ」
やけに重みと実感のある言葉で、部屋全体の雰囲気がずっしりと重くなって、両肩にのしかかる。
こうなってしまうと、俺たちにはかなり不利だ。
現在に対する不安はなんとかなっても、どうなるか分からない未来に対してのリスクは避けたがるのが普通。となれば、最後の切り札である"私(ラヴィニア)の物だから勝手に指図しないっ!"という論を封じられたような形になる。
なんせ、これからの事なんて誰にもわからないのだから、悪い方向に考えてしまうのは仕方ない無い事だろう。
「それでは……」
と、リゼットさんが口火切ったお陰で、他の人もバッカスさんへの質問の矛先を向ける。
しかしながら、そうした物の殆どは事実の再確認だったり、措置の実行はどうするかなどの事後処理の話ばかりで決定事項のような流れになってしまっている。
非常に、まずい。
「「……」」
この状態で真っ先に声を上げそうなロレッタは押し黙り、ご主人様も興味なさげにそうしたやりとりをただ眺めているだけ。
そこだけ見れば、諦めたように見えるが一ヶ月ちょっと一緒に居た俺にはそんなすんなりと行く性格を二人がしていない事がよく分かる。
だから、俺は待つ。
彼女らが動くのにあわせて、動けばなんとかなると。
正直なところ、もう打つ手が無くて諦めてるんじゃないかと、俺の心の中で臆病風が吹き荒れて『もう諦めろ』と囁かれている。
「あは」
「ん」
視線を円卓の中央からご主人様達の方へ向けると、偶然二人へ目が合って笑みを浮かべられて、それが気恥ずかしくてすぐ
に元の方向にもどしてしまったけれど、とても心強く思えてくる。
何の打算もなく、こうやって何もできない弱い俺にこうして協力してくれるのだ、全力でやらないとどこぞの誰かの罰があたる。
「――さて、姫様方は何かありますか?」
少しずつ自分なりの考えを纏めたのをまるで見計らったように、バッカスさんの声が俺たちへ向けられて、同時にここに居るすべての人の視線が向けられる。
数にしたら数十分の一なのに、観客に囲まれて試合やった時以上の緊張が体を走る。が、ガチガチにはならない。
こんな修羅場なら、ご主人様を庇った時に向けられた殺気に比べたらそよ風みたいな物だし、9回裏フルカウント満塁の時の地獄と比較なんておこがましい。
……いや、あれは勝ったけど二度と味わいたくないというか、思い出したくない……っ。
「それじゃ、わたしからでいいかな。ねーさん?」
「えぇ、どうぞ」
こほん、と可愛く咳払いをして、妙に芝居掛かった仕草で顔を上げる。
「今、この場で"にーさ……いえ、ひ、"ヒト"を排除した場合での王への影響をわたしが懸念しているという事。……ただそれだけを言いたいです」
そうロレッタが言い終えると、静かで、澱んでいるとさえ思えた空気が僅かに動き始めるように感じて、思わず俺は生唾を飲み込む。
恐らくこれは、ご主人様の言っていた『ちょっと意地の悪い小細工』だろう。
俺にはどんな効果があるのか分からないけれど、回りの人への動揺をさそう物だったらしい。
「ラヴィニア様っ!」
と、張り詰めて切れそうな平静の糸を真っ向から切る様なリゼットさんの鋭い声が響き渡る。
「先ほどのロレッタ姫様の意見を補強する様な物として、この報告書を提出したいと思いますが、よろしいですか?」
「えぇ、どうぞ」
「……ありがとうございます。――ロジェ、お願い」
「ん」
先ほどの虚を突いて掴んだ場の主導権を逃がすまいと、ご主人様、リゼットさん、ロジェさんが一気に動く。
あまりの手の早さに他の人達はともかく俺やロレッタでさえ呆気にとられて、配られた薄い紙束を受け取る事しかできない。
「その報告書は、そこにいる"問題の彼"が来る前と後の『王』の仕事解決量です……まあ、詳しい内容はその中身をご覧になってもらえばお分かりになると思いますので省略させて頂きますが、結論は唯一つ。――明らかに効率が上がっているのです」
しん、と、静まり返った僅かな時間がリゼットさんの発した言葉の意味を浸透、理解させていく。
そこでようやく、『ちょっと意地の悪い小細工』が分かってくる。
普通の状態でこの資料を出しても、ある程度の効果はあるだろうけども、まだ弱いのだ。
ならばどうするか? ……簡単な事、環境を整えるのだ。
その為の手がロレッタの言い間違いによってそれを成し、あとは勢い任せの証拠固め……という考えだと思う。
……なんといか、力押し的な感じがするが、まぁ嫌いじゃない。
「こなした量を効率とすればそうかもしれんが、その量も日によって変化するだろう。それならば質も大事ではないのか?」
そんな状況から一番早く脱したイヌのフランツさんが、そう言って資料の有効性を疑う。
冷静に考えるのならその通りだ。
しかし、リゼットさんは涼しい顔をしたままだ。
「質を数字化や表にできるのならば、その方程式、手法をご指導願います……すぐに準備させますわ」
「……ぬぅ」
暗に無理だと言って、質問者であるフランツさんを黙らせたリゼットさんは、身振り手振り加えながらさらに続ける。
「『王』が職務の実行に関しては非常に熱心である事は疑う余地すらありません。ですが、これをより強固な物とできるならば、ヒトを置いても問題ない。――これが私の結論です」
そして、リゼットさんの声を継ぐようにロジェさんも口を開く。
「さらに付け加えればですが、我々一度、両親を亡くしたばかりの15歳になったばかりのお嬢様に、『王』になれと迫っているのです。ここでまた、彼を引き剥がしていつも以上に仕事しろと?
――虫が良すぎる話ではないのですか?」
そして、また全員が沈黙する事で部屋全体がまた静かになる。が、それは長くは続かない。
「それでは意見も出揃った様ですから、採決を取りましょうか」
以外にもそれを言い出したのは、劣勢である筈のバッカスさん。
しかも横からでは表情は分かり難いが、少し笑っているようにも見えて、どことなく圧迫感を覚えてしまう。
「なら、最後にいいかしら?」
「……えぇどうぞ、姫様」
「それじゃ……お願いね、りょー?」
は?
「すみません、ご主人様。もう一回お願いします」
「だから、私の言いたい事はりょーが全部言ってくれるから、お願いするわ。……本人による弁明も込めて、ね」
「そ、そうですか」
体よく丸め込まれたような気がしないでもないが、貴重な機会だ。使わない理由は無い。
「……」
一つ、大きな深呼吸。
8人、計16この目に注目されて緊張しない訳が無いけれど、言いたい事を言わなければ悔いが残す結果になってしまう。
陳腐だけど過ぎた時間は返ってこないし、修正もできない。
だからこそ、俺が何を考えているのか、どうしたいのかをちゃんと説明していくだけなのだ。
「……俺は政治に一切干渉していませんし、将来もするつもりなんてありません」
これがまず、俺の大前提。
しかし、まず信用なんかしてもらえないだろう。
「あなた達から見れば、そんなの嘘に決まっていると思っているかもしれません。……ですけど、俺はもうそんな事をしなくてもいいんです」
ん? とか、ふむ? などなどのこちらの言葉に興味を持ってくれたような小さな声が聞こえてきて余計に喉が渇く。
「食べる物も、住む場所も困りませんし、着る物だって今でも多いくらいです。そして、なにより……」
ここから先を言っていいか、正直悩んだ。
悩んだけれど、言わなきゃいけない。
「――なにより、ご主人様やロレッタが……彼女達が、『家族』のようにいてくれただけでも出来過ぎな位です。だから……」
俺とご主人様達とは性別どころか、種族も違うし育った世界も違う。
それ故にいろいろ問題はあったけれど、少しずつ歩み寄って、近づいて、手を繋いで、抱き合って、なんとか辿り着いたんだ。
勿論、元の世界への未練がなくなった訳じゃないし、ねえさん達を忘れた訳でもない。けれど……けれど、だ。
「俺は、この世界で、この場所で、ここで生きていきたいと思っています。……できる限りずっと……!」
言葉にすればするほど、そうしたい想いが強くなっていく。
『大丈夫っ!』と、強がりを言って無理をするご主人様に、目を離すと危なっかしいロレッタをほっといて行くなんて、今も、これからの俺もできない事だと思う。
「ならば」
声量はそう大きくないが迫力のある声音でそう呟き、俺を試すような色を目に浮かべてこちらを睨む。
「君はそれでいいかもしれん。だがな、それによって姫様達が変質し、わしらが憂慮する事態になるとも限らんのだぞ……それこそ、あるキッカケで名君が暴君なる話など歴史に石ころほどに転がっているのだからな」
今の姿から考えれば『ありえない』と言い切る事ができるが、そうはなってくれない可能性があるというのが"未来"の怖い所だ。
しかも、バッカスさんは言った。『決して変わらぬ人間などありはしない。もし、それに反するような存在はすでに"化け物"の類だ』と。
ならば、ご主人様やロレッタは"化け物の類"か――?。
「……確かにそれはありうる話だと思います」
否だ。
あの二人は多少世間とずれた所はあっても、悲しい事があれば泣くし、嬉しい事があれば笑って喜ぶ、かなり魅力的な"普通の女の子達"だ。
そんなのが化け物ならば、ねえさんなんか神か何かの存在になってしまう。
「でも、どうやっても人間もヒトも変わります。まさかそれに関わる原因を全部取り除いて行く気ですか? ……無理に決まってます」
それこそ、人間関係の無菌室で育てた訳でも無い限り、そんなのは不可能。
人間を変えるもの人間。
ならば、人間を支えるのは……?
「もし、ご主人様達がオカシクなって暴君の類になったとしても、抑えるのがあなた達ではないのですか?!
ただ指示を聞いて実行するだけならばこうした会議は無駄はいらないんじゃないんですかっ!?」
勢いと感情に任せてぶちまけた言葉を言い切ったが、妙に反応の鈍い周囲の空気で、ふと冷静にもどって見回す。
って……ああああぁぁぁぁぁ~~!
そこまで行って熱くなった頭が冷水を掛けられたように一気に冷えてマイナスまで落ち込む。
喋ってしまったものはどうしようもないので諦めるしかないが、許されるならこの場で頭抱えて穴に入りたい気分だ。
「…っはっははは………!」
「ふふふっ」
俺の無茶苦茶な言葉に唖然なったのか静まり返った部屋の中に唐突に二人分の笑い声が響く。
「何がおかしいのだ? フランシス、マリー」
喉を鳴らし、自分自身の不機嫌さを隠そうともせずにバッカスさんは低い声音で二人へと向ける。
「ヒトに家臣としてあり方を問われるとは、不可解の極みでしょう。バッカス老……! 」
「わたくしもその意見に同意ですね。こんな当然の事を部外者のヒトに言われるようでは、わたくし達もまだまだという事なのでしょう」
座っている椅子を狭そうにしながら、堪え切れずに大柄のフランシスさんはまた笑い、目端に涙を小さく浮かべて、口元を隠して上品に笑うマリーさん。
そんな反応が回りへと伝染して、困惑している俺達3人とバッカスさん以外の全員がクスクスと笑うのにさほど時間は掛からなかった。
「――……はン、合格か」
溜息交じりのバッカスさんの声が聞こえたかと思うと、
「あああぁぁぁぁ!?」
突拍子もなく、ご主人様が立ち上がりそんな声を上げる。
そんな行動に俺とロレッタはビックリして肩を思わず竦めるが、周りの人達の笑いは消えない、というか、余計に大きくなる。
「この会議……お芝居だったわねッ!」
「そう、その通りですよ。ラヴィニア様。……バッカス、発案役から説明をしたほうがいいのではないか?」
ニコニコと相変わらず迫力のある白い牙を見せつけながらフランツさんがバッカスさんへ話を向ける。
ってか、お芝居?
「ふん」
不承不承という感情が隠そうという努力を放棄した態度で、姿勢を正して視線をご主人様へと向ける。
「我々は元よりそこの彼を排除しようなどと考えておりません。もしするのならこのようなまどろっこしい手順など踏まずに、『軍』なり『外務』の子飼いにさっさとやらせるでしょう」
……詳細は誤魔化してはいるけれど、言葉の端から血生臭い匂いがしてくる。
「で、理由は?」
「古い約束でして……それ以上は姫様とは言えどいえません」
「……そう」
無愛想が頂点に達したご主人様の声は怒るようでいて、その実、呆れているみたいで、
「この芝居に参加したものは一人一人理由が違うのですよ。ですから、ワシの理由もあるのですが言えません」
「~~…わかったわ、じいや。これ以上は訊かない事にするわ……フランシス卿! 貴方がこんな芝居に参加した理由を聞かせてくれるかしら?」
バッカスさんの頑固さに折れたのか、大きく溜息を吐いて通じそうな方へと矛先を変える。
「そこの青いガキがウチの娘を嫁にとるのですが、それをどうにか邪魔する理由を探していたのですが……ちっ」
「そ、そうだったの……」
どうやら藪蛇を踏んだらしいご主人様は笑みを引き攣らせて、それに応対している隙に当の本人であるロジェさんの方をちらりと視線を向けると、目を大きく見開いたまま固まってしまっていてちょっと面白い。
……などと、ゴタゴタしたものの結局、俺はここに居られる事になった。
お芝居だったとはいえ、こうした結果にご主人様やロレッタはとても喜んでくれて、本来ならば、いっしょに喜んでおくべきなのだろうけれど、どうにも不安感とも焦燥感ともつかない心のつっかかりが疼く。
それが何の所為かはよくわからない。
だけど、何とかなる……いや、そうじゃない。
「りょー?
「にーさん?」
なんとかしたいと思う。
「なんでもないよ、うん」
自分の為でだけでは無く、この二人の為にも、と、決意を新たにした俺だった。
「今日の晩御飯は私が作るよわよー」
俺達3人揃って色々買い物をしている内に日が沈み、屋敷の方へ帰って来て中に入るなり、ご主人様がいきなりそんな事を宣言する。
何度か食べているが、ロレッタに比べて煮物や揚げ物は苦手なのか少々焦がし気味だったりするけれどまだ食べれる領域だし、こと焼き料理に関しては俺らを上回るほどちょうどいい加減にするから信頼はしている。
……していても不安な時は、いくらでもあるが。
「なにつくるの?」
「お芋を蒸してサラダにしたり、お肉を照り焼きにしてみた……とかかな」
「わたしも手伝ったほうがいい?」
「そうねー。お願いするわ」
3人で持っていた荷物を奥へと置くついでにそんな事を話し合っていたので「俺も手伝おうか?」と、加わろうとして、
「あ、りょーはテラスで待っててね?」
「何故!?」
寸前で疑問へと言い換えざる得なくなるし、昨日に続き、今日も何もしないとなると流石に体裁が悪い。
「だって、今日ばっかりはりょーの為に作るのに、"お客さん"にやってもらうのは悪いでしょ?」
「いや、それでもですね……」
とかなんとか、考える限りの語彙を頭の中から持ち出して説得を試みるが、ある程度予想できたというか当たり前というか見た目以上に頑固なご主人様には全く通じない。
その上、ロレッタもそっちの味方なのか苦笑いをしながら買ってきた物をしまうだけで全く助けてくれやしない。
「んじゃ、待っててね」
「はい、ご主人様」
結局、押し切られてどうしようもなくなって言われたとおりにライトをつけておとなしく座る俺。
あのまま食いついてたとしても晩御飯の食える時間が遅くなるだけなので仕方ない……とでも思わないとやってられない気分だ。
お陰で今更になって噛まれた所がやけに疼いてくすぐったいのだから余計に虚しい。
「あ、いたいた」
色々徒労に終わった挙句、何もできないという何とも歯がゆい気分に浸っていると、入り口の方からロレッタの明るい声が耳に入る。
「どうかしたのか?」
もしかしたら手伝いかと期待して、一瞬で体中に気合を入れなおして机の方に上半身を乗り出す。
「えっと、お手伝いとかそういうのじゃないんだけど……今、いい?」
「あぁいいぞ」
晩御飯の手伝いでないのに少しばかり落胆はしたものの、相談相手になるのもそれはそれで大事。
俺にできる事は少ないが、頼られて力になれるなら荷物持ちでなんでもいい。
「どうかしたか?」
とりあえずは彼女を椅子に座らせて目線を合わせる。が、妙に落ち着きが無い。多分、いいづらい事でこんな風になっているのだろう。口にする言葉も「あの、その……」と言っている事も要領を得ない。
だが、俺は急かさない。
言いにくい事を口にしようと思う事さえ、結構な勇気がいる。
そこまで頑張ったのだ、後は全部終わるまで話を聞く側の我慢強さだけなのだから簡単な物だ。
「わ、わたしね」
「うん」
いつもなら透けるような白い肌を真っ赤にしながらも、顔を上げて俺の視線をしっかりと受け止めるロレッタ。
その目には怯えや不安はあっても、迷いは無く、思わず息を飲む。
「わたしは、に、にーさんが……好きなの」
いや、待て待て待て!?!?
こ、これは、"そういう"意味じゃなくて、感謝とかそういう部類のだから変な勘違いはダメだ、うん。
「家族とかそういう意味、だよね?」
俺の憶測に基づいた希望を口にしたものの、返って来たのは首を横に振った否定。
正直、「当たり前じゃない~」なんて言ってくれると期待していたけれど、甘すぎたらしい。
「わたしは――女の子として……にーさんが、好きなの!」
涙一杯を溜め込んた瞳、緊張で真っ赤になった頬、不安そうに震える肩。そして、何処までも真っ直ぐな言葉。
どれを取っても適当な事なんて言わせない迫力があってなんて言っていいか迷う。
ここでロレッタを受け入れれば、不器用な俺はどうやってもご主人様が疎かになる。だからって、断れば彼女との関係に亀裂を入れることになる。
そんなのはどっちも俺の望む所じゃない。
「わ、悪い。答えは後でもいいか?」
「うん、いいよ」
そこでほっと一息。
でも、答えが出る目処なんか立っちゃ居ないのだからタダの気休めだ。
「でも、これは……わたしの覚悟」
そう言うと、ロレッタは体と顔の距離を一気に詰める。
逃げようとしても、袖の当たりを"きゅっ"と掴まれて、上半身は殆どくっつくような体勢に。
そうなると荒い吐息、早鐘の様に動いている鼓動、ぐにゅと押し付けられる柔らかさ、女の子特有の香りなど今まで感じた事の無いほどの彼女の情報が頭に入ってきて、首の後ろが凄く痛くなって動けなくなる。
「にーさん、目閉じて」
「う」
「嫌なら、言って?」
「く」
ひ、卑怯すぎる。
俺も男だからこんな可愛い子に思われて悪い気なんてしない筈はない。でも、これは――!
「ん……」
「!?!?!?!」
柔らかい。
温かい。
甘い。
キスなんて初めての俺には、ただそれだけしか分からなかった……