太陽と月と星がある 第九話
最近、御主人様の様子がちょっとばかり怪しい。
なんだか妙に落ち着きがないし、私を避けている気配がする。
好きな人でも出来たのかなー、それでその人に「ヒト飼ってるの?やだ卑猥ッ」とか言われたとか…。
ありそうな話です。
好きな人がマニアックな性処理道具持ってると言えば、潔癖な人なら引きます。
ドン引き。
それとも脱皮が近いのでしょうか?
でもこの前終わった所だし、あとは発情k……まぁ、どうでもいい事です。
「御主人様ー御飯です」
書斎でとぐろを巻き、紙を見ながら呟く御主人様の背後から声をかけると、
御主人様は物凄く動揺した様子で持っていた紙切れを落としました。
取り合えずつまむと、うわっとか、妙な声を上げて慌てて奪い返され…。
記事と、私を交互に睨む御主人様。
私は記事を取り返された際に爪で裂けた指先を見て、首を傾げました。
結構、痛い。
「御飯ですが」
御主人様は私の言葉を聞くと、記事を仕舞い込みながらあとで行くと答えました。
あー…血がでちゃった。
早くしないと冷めますよーとだけ言って部屋を出て、壁に凭れて指先を舐めると鉄錆の味がしました。
これのどこが甘くて美味しいと思えるのか謎なのですが、ヒトには一生わからなくていい味覚ではあります。
結構深かったのか、中々血が止まりません。
限りなくどうでもいいことですが、私の数少ない特技の一つに速読があります。
だから、一瞥しただけでも大まかには把握するくらいはできます。
ヒトの権利を求めてヒト少年が単独餓死ショー開催中in博物館。
「餓死するのは、大変ですよー水だけで一週間位持ちますからねー」
そこは暑いのでしょうか、それとも、ここと同じくらい寒いのでしょうか?
君は、今まで幸せだったでしょうか?
私に出来るのは、…真似をさせる人が居ない事を祈る事ぐらいです。
そうじゃなければ、たとえば、奇跡が起きて…
目の前が暗くなったので、見上げると御主人様と目が合いました。
美少年の癖に何でこんなに威圧感があるんでしょうね、御主人様は。
「どうかしたのか」
「いえ、別に」
立ち上がり、キッチンに向かおうとしたら後ろから引っ張られ、倒れ込みそうになったので咄嗟に壁に手をつき、
何とか踏みとどまります。
…痛い。
壁を見るとうっすらと血の線がついています。指のせいか…後で拭かなくては。
「何か御用ですか?」
訊ねてみても返事はなく、そのまま後ろへ引っ張られました。
そしてそのまま書斎へ逆戻り。
扉を超えたあたりで放され、私は背中から床へ。
御主人様はひっくり返っている私を睨んで戸棚をあさり、引き出しから得体の知れない小瓶と布を取り出しました。
「さっさと起きてここに座れ」
指された机の上に腰掛ると、御主人様は小瓶の蓋を開け、水色の軟膏を掬い私の指先に塗り始めました。
「そんなだからヒトだと軽んじられるんだ」
私は意味不明の叱咤を流しつつ、神妙な顔をつくりました。
これ、結構しみる…。
「嫌なら嫌だと言えばいいんだ。間違っている事はいつか必ず正される。なのに、死んだら終わりだろうが馬鹿め」
独り言…なのかなぁ…、返事した方がいいのでしょうか。
間近に御主人様の顔があるので視線を離し、手持ち無沙汰なので空いてる方の手で首を触ると妙な感触がする部分があります。
ずっと前、首輪を引かれ擦れて皮膚が剥けて膿んだ所です。
あの時は掻き毟って涙が出るほど痛くて痒かったのが、今では何も感じません。
檻の中で、他のヒトが言っていた通りです。
だんだん、何をされたって感じなくなるんです。
「天網恢恢疎にして漏らさずという言葉があります」
私がそう言うと御主人様はきょとんとした表情を浮かべました。かわいい。
「悪い事をしたら、報いが来るという意味ですが」
少なくともあっちでは。
神は死んだかもしれないけど、殺したのは、私達かもしれないけど。
あっちだって、別に凄く良い世界なんかじゃない。
私だってあっちでも今と大差ない待遇の可能性があったし、今でもたくさんの人が不幸な目にあっているんだろう。
でも、色々あってもきっと昔よりは良い方向に行っていると思う。
少なくとも、私は何とかしようとしている人達がいた事を覚えてる。
義理とか欲とか様々なモノに挟まれて、それでもそれが捨てられない人達。
まるで、セイギノミカタみたいな人が、確かに居たんです。
今の私達には、…夢にも見れないけど。
「つまり御主人様は、きっといい事がありますよ。という意味です。ヒトにもこんなに優しいんですから」
包帯で巻かれた指を振ってそういうと、残っていた包帯をぶつけられた。
「何バカ言ってるんだ。バカのせいでメシが冷めるところだった。ほらはやくしろっ」
口とは裏腹に、優しい手つきで机から下され書斎から引っ張り出されました。
ヒトに似た手と体に絡む鱗肌は、室温のおかげで少しだけ暖かい。
「何がヒトの権利拡張だ、ふざけるな」
あの時、御主人様が泣きそうな声で言った独り言は、聞こえなかったことにしておく。
ねぇ、君の御主人様はどんな人でしたか?
私の御主人様は―――
fin