猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

獅子国外伝11

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匿名ユーザー

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「……あの、旦那様……」
 朝の鍛錬を終えて井戸の水を浴びていたフェイレンに、後ろから恐る恐るミコトが声をかけてきた。
「ん? どうした」
「これ……受け取っていただけますか」
 そう言って、両手で持つ程度の大きさの桐の小箱をフェイレンに差し出す。
「どうした、これは」
「その……旦那様への贈り物です」
「俺に? どうしてまた、俺なんかに」
「それは……」
 妙に口ごもるミコト。ふと、その背後の木陰からこちらを見ているファリィとサーシャに気付いた。
(空気読まなきゃダメだよ)
(受け取らなかったら〆るわよ)
 少し怖い視線が、そう無言の圧力をかけてくる。
「なんだか分からないけど、ミコトからのものなら喜んでもらうよ」
 そう言って、ミコトの頭をなでてやると、ミコトが心底嬉しそうな笑顔を見せた。
「ここで見……るのも無粋だな。うん、俺の部屋でちょっと見てこよう」
「その、このようなものでよいか悩んだのですが……」
「何だっていいさ。ミコトのくれるものなら何でも宝物だ」
 そう言って、小箱を受け取ると部屋へと戻った。

 部屋に入ると、小箱の蓋を取り、中身を確かめる。
「これは……」
 そこには、碧い石を削った硯が入っていた。
「ずいぶん良いものだぞ、ミコトの小遣いで買えるものにしては」
 もちろん、ミコトの貯めたお小遣いで買えるものだから、そんなに抜群の高級品と言うものでもない。
 しかし、少なくとも何ヶ月かは地道にお小遣いを貯めないと買えないぐらいの物だ。
「漆雲縣礫青窟……か。ずいぶん高かったろうに」
 硯の裏に彫られている独特の刻印は、良質の石を算出する、硯の名産地のものだ。優れた技巧をもつ硯職人も多く、実用品であると同時に芸術品としての価値も高い。
 ミコトが買ってきたこの硯は、それほど難解な技法が施されているわけではないが、大きさと形は非常に使いやすそうに思える。
 たぶん、フェイレンの手の大きさやらいろいろ考えてこれにしたのだろう。
「……一生懸命考えたんだろうな」
 そう思うと、やけにいじらしく思えてくる。
「入るわよ、フェイレン」
 そんなことを考えていると、後ろからサーシャの声が聞こえた。
「ああ」
 振り向かずにそう返事をすると、サーシャがさっそく箱の中身を確かめにきた。
「あ、これがミコトちゃんの贈り物?」
「ああ。……って、サーシャは中身知らなかったのか?」
「そんな無粋な真似するわけないじゃない。相談は受けたけど、中身は今はじめて見るわよ」
「そうか。こいつはなかなか良い物だ。ここを見てみろ、漆雲縣……獅子国で一番有名な硯の産地だ。そこの礫青窟で作った硯といえば、はるばる大陸の反対側にある狐耳国まで輸出されている」
「そうなんだ」
「あいつのお小遣いで買うにしてはちょっと高いな。ずいぶん貯金して買ったんだろう」
「きっとそうよ。こっそり後をついてったけど、門前街の骨董品屋でそれ買ってから、すっごく大事そうに抱えてたから」
 ミコトが門前街に一人で行く時は、万一に備えてサーシャかファリィがこっそりと後ろからついていくことが多い。
 出来れば自分でついていきたいのだが、しかし後をついて行ってることを本人に気付かれないようにしなくてはいけないため、大柄なフェイレンはついて行ってはいけないと二人から固く念押しされている。
「丁寧に使わなきゃ罰が当たるな」
「そうね。ところで……」
「なんだ?」
「どうして、ミコトちゃんがそれ買ってきたかわかる?」
「いや……それが分からないから困っている」
 フェイレンが首をかしげると、サーシャがくすりと笑った。
「ヒトの世界じゃ、今日はね」
 そう言ってから、悪戯っぽく一度言葉を区切る。
「なんだよ、やけに勿体ぶるんだな」
「だって、聞いたら驚くわよ」
「なんだ? 驚かないから言ってみろよ」
「じゃ、言うわよ」
 そう言って、笑いをかみ殺すような表情でサーシャが言った。

「今日は、ヒトの世界じゃ『父の日』なんだって」

「…………」
 しばしの沈黙。
「……あー、えー……よし、驚かなかったぞ」
 ようやく言葉を出したフェイレンに、サーシャが笑いながら突っ込む。
「放心状態だったじゃない」
「いや、あのな……『ちちのひ』って、親父の方の『父の日』だよな? 乳でも遅々でもないよな?」
「そうよ」
「……それって、俺がミコトの父親代わりってことか?」
「うん」
 あっさりと言われる。
「……まだ42だぞ、俺」
「ミコトちゃんのお父さん、もし今いたら38なんだって」
 一刀両断に斬り捨てられた。
「………………」
 ちなみに、獅子の民の成長速度は人間の約半分。
 つまり、フェイレンは人間に換算すると21歳相当になる。
 いくらなんでも父親呼ばわりはあまりだと言いたくもなるのだろう。

「さあさあ、いつまでも落ち込んでない。そろそろミコトちゃん来るわよ」
「……あ、ああ……」
 ミコトの目の前で落ち込んでいては、傷つけてしまうかもしれない。
 何とか気を取り直し、ミコトが来るのを待つ。

 しばらくして、ファリィがミコトを連れて部屋に入ってきた。
「あの、旦那様……」
「ああ、いい硯だ。有難う」
「あ、ありがとうございます……」
「それにしてもずいぶん高かったろう」
「できるだけ良いものをと思いましたので」
「そうか。これは本当にいい硯みたいだ。ここの部分、漆雲縣ってのはこの国一番の硯の産地だ。そしてこの、礫青窟ってあるけど、ここで作った硯は実用に秀でることで有名で、特に商家が愛用している」
「お店のおじさんがお薦めしてくれたんです」
「なるほど。これは宝物にするよ」
「ありがとうございます。……それで、その……」
 妙に口ごもるミコト。その様子を察して、ファリィが言う。
「フェイレン。これから何を言われても断ったらダメだからね。もし変な事いったら後で蹴るから」
「……なんだよ、それ」
「いいから。さあミコトちゃん、心配しないでいいから言っちゃえ」
「……その……」
「大丈夫だって。ボクが味方だから」
「私も。フェイレンが変な事いったら許さないから」
「……断る前提で言うな。何でもいいから言ってみろ」
「はい……それじゃあ」
 大きく息を吸うと、意を決したようにミコトが言った。

「今日一日、ミコトのお父さんになってください」

「…………」
 改めて言われると、さすがに少し頭を抱えたくなる。
 が、それを鋼の意志で耐える。
「ほらほら、黙ってないでさっさと返事。いっとくけど、断ったらグーで殴るからね」
「……だから断らねえって」
 フェイレンの言葉に、ミコトがはっとフェイレンを見上げる。
「……え、あの、それじゃ……」
「そういうのはあまり慣れてないけど、ミコトが言うなら何とかお父さんやってみるよ」
「よし、決定」
 ファリィが、そう言ってぽんと手を叩く。
「ところで、お母さんはファリィとサーシャ、どっちがやるんだ?」
「え? どっちもしないよ。今日は父の日なんだから、フェイレンだけ」
「うん。父の日だもんね」
「……お前ら」
「さあさあ、一日お父さん頑張ってね~」
「……お前らなあ……」

「……その、申し訳ありません……」
 部屋を出て表に出てきたところで、ミコトが小さくなって謝る。
「何を謝るんだ? 別にどうってことはない」
「でも……」
 心苦しそうなミコト。
「ほら、親父の前でそんなに小さくなる娘があるか」
 そう言って、ひょいとミコトを抱え挙げると、そのまま肩の上にのせる。
「きゃ……!?」
「さ、とりあえず門前街までこのまま降りるか。何か買ってやるぞ」
「え、あ、その……」
 困惑するミコト。
「ほら、大丈夫か」
「あ、あう、はい……」
 2メートルを越える体躯のフェイレンの肩の上は、やはり少し怖いのか、たてがみにしがみついて体をこわばらせている。
「ミコト」
「は、はい……」
「『お父さん』って言ってみな」
「え、あ……」
「最初に言ってしまえば、後は普通にしゃべれるようになる」
「は、はい……その……『お父さん』……?」
 こわごわと、ミコトがそうフェイレンに呼びかける。
「ああ、それでいい。よし、じゃあ行くぞ」
「え、あ……きゃあっ」
 フェイレンが歩き出すと、肩の上のミコトはおびえるようにフェイレンのたてがみにしがみついた。
「ゆっくり歩くから、そんなに怖がらなくてもいい」
「は、はい……」
 獣人の肩の上に座るという事自体、初めての経験になる。怖がるなと言うほうが無理だが、しばらくすれば慣れてくれるだろう。
 山道を降りていく二人を、後ろからファリィとサーシャがのぞく。
「ま、あとはほっといても大丈夫ね。とーへんぼくだけど、逆にお父さんやってるほうが似合うかもしれないし」
「そーだね。じゃ、洗濯物やっちゃおか。ミコトちゃんいないから、ボクらがやらないと」
 屈託なく言うファリィに、サーシャが尋ねる。
「あら、道場主の娘が洗濯物やるの?」
「うん。入門したての頃はボクもフェイレンも、下働きから始まったんだよ。入って二・三年は洗濯と掃除と料理ばかりしてたんだから」
「そうなんだ」
「逆に、最近はミコトちゃんやキョータくんがいるからみんなズルしてんだよ。週に何日かは、門下生全員、自分で掃除洗濯やる日をつくらないといけないって父さんに言っておこうと思うんだ」
「へー……」
「それに、修行ばっかりも退屈だし。気分転換♪」
 嬉しそうな口調に、サーシやがピンと気付く。
「そんなこと言って、ほんとはキョータくんと一日ずーっと一緒にいたいだけでしょ」
「え? あ、その、違うよそれ……」
 と、顔を赤くしながら否定する。
「はいはい、そういうことにしといてあげるから、ファリィはお洗濯やってきて。こっちは私がやっておくから」
 キョータの朝の仕事は、前日の胴着の洗濯から始まる。つまりは、キョータと同じ仕事をやってもらおうという気遣いだ。
「ほんと? じゃ、こっちは頼むわよ」
「任せといて」
「じゃ、言ってくるね」
 嬉しそうな素振りを隠しもせずに元気いっぱいに洗濯場の方へ走っていくファリィ。
「ほんとに、子供っぽいのよねー」
 その後ろ姿を見送りながら、サーシャが笑った。

 門前街へと下る山道。
「ほら、ここに桔梗の花が」
「あ、本当に」
「桔梗が咲く季節は、狐耳国行きの商船が出る季節だな」
「そうなのですか」
「そうなんだ、でいいぞ。親兄弟に敬語を使う奴が……まあ、いることはいるが、こんな時ぐらい普通に話してしまおう」
「は、はい……いえ、その、あの、えっと……うん……で、いいのでしょうか」
 なんとも無理をした口ぶりに、フェイレンが笑いをかみ殺して言う。
「わかったわかった、無理しなくていい。好きなように話してくれ」
「あ、はいっ」
「それが話しやすいならそれでいい。……で、交易船の話だったな」
「はい」
「裏の山のあちこちで茶を育てて、そいつを売って道場の金にしてるんだが、そいつを積んで狐耳国まで運ぶのが、大体この季節の商船になる」
「狐耳国……というと、大陸の反対側ですね」
「ああ。長旅になるから、船の中で発酵させる。で、向こうについた頃にはちょうど良い塩梅というわけだ……と言っても、その辺の加減は茶商にまかせきりだがな」
「少し前に来ていらした方ですか? あの、頭に緑色の布を巻きつけた……」
 七台もの荷馬車を連れてきた、恰幅の良い商人を思い出しながらミコトが尋ねる。
「ああ、そうだそうだ。ハイドゥの茶商のウー・フーさん。あの人がうちの茶葉を扱ってくれてる」
「ウー・フーさんですか」
「またハイドゥまで遊びに行くことがあれば案内しよう。でかい屋敷だぞ」
「へぇ……」
 肩の上のミコトと話しながら山道を降りる。
 普段とあまり変わらない会話をしているような気もするが、まあ、お互い自然な感じで話をするのが一番良いだろうとフェイレンは思う。
 ……普段から親父臭い事を全く自覚していないとも言うが。
「門下生からの謝礼と武の仕事だけで食ってゆける道場なんて数えるほどもない。多かれ少なかれ、茶や養蚕や農業で生計を立てている」
「農作業も肉体を鍛える修行だと言っていましたね」
「それもある。まあ、本来武芸をなすものは農業と両立させるべきだ。何かを生産できなきゃ、ただぶっ壊すだけの仕事なんてのはあまりにむなしい」
「旦那様……あ、いえ……お父さん」
「だいぶ無理してるな」
 笑いながらフェイレンが言う。
「あ、いえ、そんな……」
「今までずっと『旦那様』だったんだから、そうすぐに変わるわけでもないか。ま、一日は結構長いし、ゆっくりしよう」
「はい」

 活気のある門前街。
 いつもは人ごみの下を潜り抜けるように歩いていたミコトが、頭の上から見る、ぱあっと広がった景色におもわず笑顔を浮かべる。
「いい景色だろう」
「はいっ」
「さて、じゃあどこから行こうか」
 そんなことを話しながら、通りの中を歩く。
「あれ、みこちゃんに……珍しいね、フェイレンまで。それも肩に乗せて歩くなんて」
「一日だけ、こいつの親父やってる」
 フェイレンがそういうと、八百屋の店主が腹を抱えて笑い出す。
「おいおい、客に対してよくそれだけ笑えるな」
「はっはっはっ……仕方ないだろう、フェイレンなんてまだ子供どころか嫁もいないくせに」
「そう言ったら、俺よりミコトの父親の方が若いって言われた」
「そうなのかい?」
 こくりとミコトがうなづく。
「そうらしい。おかげで断れなくなった」
「わはははは、なるほどねぇ」
「ま、そういうわけでな。ミコトの口に合う甘い果物でもないか」
「果物かい? この時期ならいろいろあるよ。この桃なんかどうだい」
 そう言って、よく熟した桃を渡す。
「どれ、ちょっと食ってみるか」
 一口味見をしてみると、甘い果汁が口いっぱいに広がる。
「うん、こいつは美味い。もう一個、ミコトの分ももらおうか」
「はいよ」
 店主が桃をもう一つ取り出すと、包丁で丁寧に皮をむき、小皿に載せて楊枝を挿して渡す。
「女の子がかじりつくわけにも行かないからね」
「ありがとうございます、おじさん」
「なーに、お気になさんなって。またいつでもおいで。いつでも美味いものを用意して待ってるよ」
 そう、柔らかな笑顔でミコトに話しかける。
「はいっ」
「すまんな。またよろしく頼む」
「ああ、みこちゃんもキョータくんも大切なお得意様だ、間違っても損はさせねえよ」
「よろしく頼む」

 しばらく歩いていると、軒先まで商品を並べた骨董品屋が見えてきた。
「あの硯、あそこで買ったのか?」
 そう尋ねると、ミコトが小さく頷いて答える。
「あ、はい。……その、よくわからなかったので、教えてもらいながら」
「いや、あそこはいい店だ。ちょっと礼を言ってこようか」
 そう言って、肩からミコトを下ろす。さすがに、肩に乗せたまま入れるほど大きな店ではない。
「毎度。……って、フェイレンじゃないか」
「ミコトに売ってくれた硯、いいものだったから礼を言いにな」
「なんだ、そういうことかい。けどそりゃあ当然さ。何しろ、ウチの商品に悪いものはないからな」
「ずいぶん高かったろう」
「そりゃあ、本物の漆雲縣だからな。売ったこっちがひやひやしたぜ。こんな上物持たせたはいいが、強盗なんかに襲われたら一大事だ。硯はともかく、この子に何かあったら俺がフェイレンに殺される」
「はははっ、そりゃそうだな」
 まさかサーシャが後ろから見張っていたとは言えない。
「まあでも、無事だったならよかった。……で、せっかく来たんだ、これなんかどうだい」
 そう言って、近くの棚から何かを取り出してくる。
「おいおい、いきなり商売かよ」
「女の子に贈り物させといてお返しもないとか無粋はナシだぜ。とくにおめえさんはご主人さまなんだ。何かをもらったなら三倍返しでも良いぐらいだ」
 そう言って、奥の方からなにやら漆塗りの箱を持ち出してくると、その中から見るからに高そうな花瓶を出してくる。
「女の子には花だよ、花。花となればその美しさを引き立てる花瓶。そこでこいつだ」
 捻りを加えた角柱型の黄磁。けばけばしい彩色はなく、曇りのない透き通った色合いと、迷いなく上方へと伸びる造形が美しい。
 角度を変えて陽光に透かしてみると、驚くほどの薄さで鳥獣の透かしが入っているのがわかる。それも、対面の透かしを重ねて見ると、それぞれの透かしが重なり合って、一つの別の絵になる。
 清楚さと妖艶さと凛然とした美しさ。それぞれ見る角度によって美の質を変えてみせる一つの花瓶。絶妙の技巧がそれを可能にしている。
「……見るからに高えじゃねえか」
 霞一つない完全な輝きと、危ういほどに薄く透かしを入れた絶妙な技巧。どう見積もっても500セパタは下らない。
「そりゃあそうさ。安物だとこの子の値打ちまで下がっちまうだろ」
「……いや、それはそうだが……なんかこう、櫛とか環とか、もう少し俺に優しいものはないのか」
 そのことばに、呆れ果てたように店主が言う。
「かぁーっ、だらしのねえご主人様だぜこいつはよぉ!」
「あの、だん……その、お父さん」
 おそるおそるミコトが言う。その言葉に、骨董品屋の主人が目を丸くする。
「はあっ!?」
「あ、いや……一日だけこいつの親父やってんだ。ほら、こいつ落ちてきてから天涯孤独だから」
「なるほどねえ……いや、だったら余計にこいつを買うべきじゃねえかい! どこの世界に娘に金をケチる親父がいるんだい、ええっ!?」
「う……」
「いいかい、こいつは金儲けで言ってるんじゃねえんだ! 女の子の美しさは、本物の美の中にいて初めて磨かれるんだよ! そこでこいつだ。あんたも素人じゃねえんだからこいつが本物か偽物かぐらいわかるだろう!」
 一気にまくし立てられる。
「そう、こいつはまがうことなき本物。正真正銘、臨礼山玄窟の黄磁だ! 障子越しの朝の光に照らされて輝く色の美しさたるや、まさに至高の美ってもんよ! そいつをなんだい、おめえさんは銭金云々……」
 これだけ面と向かって言われると、もう主人の威厳も父親の威厳もあったものではない。
「……わかったわかった、買うよ。手持ちがねえから後払いになるけどな」
 根負けしたようにそう言う。
「おお、そうかい! それでこそ人の主ってもんよ! さあさ、じゃあ早速くるむから持って行きねえ! 金は後でかまわねえからよ!」
「…………」
 この五年で一番高い買い物になりそうだった。

「あの、申し訳ありません……」
 骨董品店を出ると、ミコトが謝ってきた。
「いや、ああは言ったが実際こいつは名品だ。あの重ね合わせの透かし絵は、俺の知ってるある爺さんが得意としてたんだが、たぶんその弟子筋だろうな。ミコトになら良く似合うだろう」
「……でも」
「なに、あのおやっさんの言うとおりだ。もらいっぱなしってのはこっちが落ちつかない」
「けど……」
「ほらほら、そんな辛そうな顔するな。さ、元気出せ」
「……はい」
 まだ心配そうなミコトを片手で抱え挙げると、再びフェイレンは歩き始めた。

「男ってな、厄介な生きもんでな」
 歩きながら、ミコトに話しかける。
「……え?」
「誰かに必要とされなきゃ生きていけないんだ」
「?」
「俺とミコトの関係だ。ミコトが俺を……まあ、たぶん必要としてるんだと思いたい。むしろ、してくれなきゃ困る」
「そんな……ミコトはだn……お父さんがいなかったら生きていけません」
 まだ口慣れていないらしい。
「そりゃ幸いだ。……で、俺はどうかと言うと、俺もミコトを必要としている。なぜかってーと、俺らは誰かに必要とされなきゃ心が持たない」
「心が……?」
「自尊心っつー鬱陶しいモンがあってな。誰かが必要としてくれる、誰かが俺に価値を見出してくれてる、そういうものがないと満足できないんだ」
「誰かに……必要とされてる」
「たぶん、ヒトの男も同じじゃないかな。誰かが俺を必要としてくれてると思えるからこそ、そこに居場所を見つけられるんだ。自分ひとりのために生きるなんて、それこそ誇りをドブに捨てないとできやしねえ」
「…………」
「男は生まれつき、ただの愛玩動物にはなれない生き物なんだ。そこを近頃の奴隷商人はわかってない。ケダモノとはワケが違うってことが理解できてねえ」
「……私も」
 小さく、ミコトが言う。
「あ、ああ……いや、もちろんミコトもそうなんだろうけど、男ってのはもっとその辺、性根がモロい。他人が自分を評価してくれてる、必要としてくれてるって思いがなかったら、本当に生きて行けない」
「……分かるような気がします」
 ミコトが、小さく頷く。
 洗濯物を道場に届けるときに、道場の若い門下生が『あざーっす!』と礼を言いながらどやどやと集まってくるとき。
 汗をかきながら鍋いっぱいに作った昼食を笑顔で食べてもらえるとき。
 そういう時、ミコトはとても幸せな気持ちになる。
 サーシャが陰で言うには、フェイレンが彼女やキョータのためを思って、わざわざ道場の仕事も出来る範囲で振り分けさせたらしい。
 ヒトも、やはり誰かに「ありがとう」と言ってもらえなくては生きて行けない動物なのかもしれない。
「まあ、そういうものだからな。俺も、あんまりミコトに謝られると帰って申し訳なくなる。ミコトの本当の親父さんにあの世で合わす顔がねえ」
「あの世……?」
「まあ、実際に行ったことはないからわからんが、死んだ後に行く天界では、いろんな世界の霊魂がそこに集うらしい」
 天界思想というのは大陸の各地でそれぞれに異なる。
 死ねば天国に行けるという死生観を持つ種族もあれば、死ねば一切が空という考え方もある。
 獅子の死生観は雑多だが、フェイレンは死後の世界、万人が平等な天界があると思っている。むしろそう思いたい。
 そうでなくては、この世が余りにも無常で無慈悲すぎる。
「だとすれば、あの世で俺がミコトの親父さんに会わないとも限らない。そんなときに、ミコトを苦しめてたと知れたら会わせる顔がない。だから、笑ってくれたら嬉しい。そしてできたら……な」
「え?」
「出来たら一生、俺にミコトを守らせてほしい」
「あ……」
「頼んでもいいか?」
「あっ……は、はいっ!!」
 ぎゅっと、ミコトがフェイレンの頭にしがみついてくる。
「おいおい、前が見えねえ」
「あ……ごめんなさい」
「じゃ、頼むぞ。ほんとに、やっと俺の『武』の居場所が見つかったんだから」
「『武』の居場所……」
「力なんてもんは、目的が見つからなかったらほんとに無意味なんだ。誰かのために。誰かが幸せになるために。この世の悪を滅ぼし誰かを不幸から救うため。そういう理由があって、初めて武は輝きを手に入れる」
「……誰かのために」
「俺には、ミコトがいる。キョータくんもいる。守るべき存在がいるってのは大きいんだ」
「……私は」
「え?」
「私も、旦那様……ごめんなさい、お父さんの力になりたい」
「だから、家事をいろいろやってもらってる。俺は生まれつき掃除が苦手でな。ミコトがいなかったらとおもうとぞっとする」
「お掃除……役に立ってますか」
「ああ、大助かりだ。掃除洗濯食事、ぜんぶ感謝している」
「……嬉しい……です」
「そういうことだ、誰かに必要とされるってのは」
「はい」
「さ、飯でも食って、後は何か服でも買ってやろう。年頃の女の子が作務衣しか持ってないってのは主人として間違ってるって前から文句言われてた」

 帰った頃には、もう夕暮れだった。
「あ、おかえりー」
「ただいま」
「一日お父さん、どうだった?」
「とても楽しかったです」
「よかった。ほんとに、フェイレンってとーへんぼくだから、変な事いったらどうしようかと心配してたのよ」
「悪かったな」
「けど、ほんと幸せそうな顔してるよ」
「えへへ……」
「来年も一日父さんやってもらおうね」
「一日だけだぞ。一応、まだ若いんだ」
「ミコトちゃんのお父さんより年いってるクセに」
「それは言うな」
「あ、えーっと……じゃあ」
 ミコトが、おそるおそる切り出す。
「なに?」
「来年の五月に『母の日』ってのもあるんです」
 その言葉に、サーシャとファリィの二人が顔を見合わせる。
 が、出てきた言葉は予想外のものだった。
「お母さん、ふたりいてもいいかな?」
「えっ?」
「ボクとサーシャ。一日お母さんになってあげる」
「え、あ……いいんですか?」
「もっちろん! いいよね、サーシャ」
「そうね。ミコトちゃんとキョータくんのお母さんになったげる」
 ノリノリの二人に、たまらずフェイレンが言う。
「ちょっと待て、ファリィに母親は20年早い!」
「あーっ、それひどぉい! 同い年のクセに!」
「精神年齢考えろ!」
 口論になりかける二人にサーシャが割って入る。
「もう、本人がやる気なんだから野暮なこといわないの」
「そーだよ。フェイレンだってノリノリだったくせに」
「…………」
 別にノリノリだったわけではないが。
「じゃ、来年は二人でお母さんになったげる」
「はい、よろしくお願いします」
 そんな会話を少しはなれたところで洗濯物を片付けながら聞いていたキョータが、ぽつりとつぶやく。
「……って、俺も?」
 その言葉をすばやく聞きつけたファリィとサーシャが、悪戯っぽい微笑を浮かべてそちらに近づいていく。。
「うん。おっぱい吸わせてあげる」
「そうね。だっこしてあげるわ」
「……俺、もう15歳、来年は16なんですけど」
「ほらほら、遠慮しないの。男の子はおっぱいが好きなようにできてるんだから」
「…………」
「あー、赤くなった」
「な、なってませんっ!」
「そんなこと言っちゃって、かわいー♪」
「ちょっと、その、まだ洗濯物とりこんで……ちょっと、そんなところ触んないでくださいっ!」
「だーめ」
 洗濯場でじゃれ付いている三人を見ながら、フェイレンが笑う。
「キョータくんも大変だな」
「あれも、必要とされてるんでしょうか」
「そうだな。二人とも、ああやってバカできる相手がほしいんだろう。二人ともあれで、表向きは堅苦しい振る舞いが必要だからな」
「そうかもしれませんね」
「さ、もう少ししたら晩飯の支度するか。一日お父さんの最後に、ちょっと美味い料理を作ってやる」
 そう言って微笑むフェイレンに、ミコトがそっと寄り添って言った。
「もう一度だけ、呼ばせてください。……『お父さん』」
 最後の最後に、やっと自然にその言葉が出たようにフェイレンには思えた。

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