猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

太陽と月と星15

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太陽と月と星がある 第十五話

 

 どこまでも広がる砂漠の海原、太陽に焼かれ、月に追われ、砂から生まれ、砂に戻る。
 
 照りつける太陽の下、砂塵色のネズミ達。
 サバクブッフーに荷物を載せ、先頭を行くのは壮年の男達、次に荷台に乗った体の弱い者と幼い家畜、最後尾に若者が警戒しながら道を進む。
 
 子供は周囲で遊びながら燃料や今夜の食事となる小動物を捕らえ、荷台に載せる。
 時々、声に自信のある者が伝統的な歌や、山羊の旅団の歌を口ずさみはじめると、皆は黙ってそれに耳を傾ける。
 敵に見つかると困るから、合唱にはならない。
 
 先頭で前を見つめる父さんの尻尾が無いのは町で暇を持て余したネコの魔法で焼かれたから。
 荷台で大きなおなかを擦る叔母さんの頬傷は、ヘビの脱走兵に斬られたから。
 いつも隣に居た姉さんが居ないのは―――。
 
 欠けた家族同士が寄り集まって、砂漠の隅でひっそりと暮らす。
 それがスナネズミ。
 
 二つの月に照らされた砂漠はいつまでも明るいから、みんなで夜通し穴を掘る。
 それから天幕を張ると砂色の大きな家ができる。
 夜が明ける前に家畜に食事をさせ、周囲を警戒しながら交代でみんなそこで休む。
 今回は運がいい。
 昔ヘビの村があった所だから地盤が固くて、建物もいくつか残っていた。
 恐ろしいものが居ないかどうか、みんなで探検。
 大きなケモノいると、祖霊が知らせてくれたから兄さんが弓で追い、伯父さんが短槍でとどめを刺した。
 みんなで伯母さんに大急ぎで渡しに行き、神様と祖霊達、最後にケモノにお礼を言ってから捌きはじめる。
 今夜はご馳走だ。
 一番滋養のある所を怪我人に。
 二番目にいい所は戦う人と妊婦に。
 肉はそのまま炙り、骨は砕いて香草や穀物と一緒に煮込み、スープになった。
 残りは毒消しと合わせて保存食にする。
 毛皮はなめして次の行商役が市場へ売りに行けば、代わりに薬やお祝いのお酒が買える。
 近くの岩場へ穴蔵作りに行った父さん達も帰ってきた。
 今回は運がいい。
 岩場の近くでとても高く売れる花が咲いていたから、みんなが覚えるように少し採ってきたと、お爺ちゃんが嬉しそうだ。
 ネコの国でも使う、痛み止めやお祭りのときに使う香料になるらしい。
 小さな花びらの紫色の鮮やかな花。
 いいにおいがする。
 
 夜、お祖母ちゃんの一人から神様の話を聞いた。
 あの星神様は、太陽の神様や月の神様よりも弱くて小さいからすぐに姿が見えなくなってしまうけど、一番頑固だからいつも同じ所にいる。
 だから迷子になったらそのお星様を探す事。
 死んだ良いネズミや、昨日死んだ妹や半月前に死んだ曾爺も従弟一家もみんなそのお星様の所へ行ってるから、心配しなくていい事。
 悪い事をすると、星を見つけられずに迷子になって血塗れの美女の姿をしたお化けや、大きな角のオニに食べられるてしまうから気をつけること。
 真剣に怯える姿に従姉妹が噴出して、はとこに小突かれる。
 誰かが笑い出して、つられてみんな笑った。
 
 ***

       
 いつもの夕食。
 ただ普段と違うのは、チェルがパジャマ姿で、私の方はまだ御飯に手をつけていないって事ぐらいでしょうか。
「はい、あーん」
 さじで掬って口元へ運ぶも、上手く食べられず口元を汚してしまいました。
 難しい……。
「チェル、もう少しお塩入れる?」
「だいじょうぶ」
 熱で潤んだ瞳に頬を上気させ、いつものふわふわの髪の毛は寝癖がついたまま。
 関節にも熱があるのか匙を握るのも辛そう。
 いつもは常にピコピコしている尻尾や耳も力がなく、心が痛みます。
 川遊びから帰ったのが昨日。
 今朝になって熱があるのに気がつき、思いつく限りの事はしているのですが……。
 なんでもっと早く気がつかなかったんだろう。
 帰り道もやけにむずがってたのに。
「無理しないでね」
 こっくりと頷く彼女の頭を撫でて、おかゆを口に運びます。
 お粥はジャックさんのアドバイスに従って、ニラの親戚みたいな野菜と雑穀、卵が入っています。
 ベジタリアンな中華風と言えばいいんでしょうか。
「じゃ、つぎいきますよーあー……」
 ……チェル以外の人は、一緒に口開かなくていいです。
  
 ネズミの成長は、ヒトよりほんの少し、早い。
「ネズミって魔力抵抗低いから、あんまり薬使うのも考えモノなんだよねぇーこういう生薬系ならいいんだけど」
 そういってジャックさんが懐から取り出したのは、小さな壜に入った緑の粉。
「これは干して潰しただけだから不純物とか多くてさー、効果も緩いからネズミとかキヨちゃんみたいな抵抗低いコにいいわけ。もっとも、ネズミの方が丈夫だけどね」
 横のポケットから更に緑色に輝く結晶の入った壜。
「これを精製するとこうなるんだけど、ここまですると手間掛かるから高いし効果覿面過ぎてねぇ~ワリにあわない訳よ。ハイ、もし凄く熱が上がったら飲ませてね」
 私は頷いて、緑の粉を受け取り机の上に置くと、代わりに濡らした手拭を手に取りました。
 汗ばんだチェルの体をざっと拭き新しい寝巻きに着替えさせ、新しい氷枕を首の下に潜り込ませます。
 脱がせた服の後始末をしていると、戸が開かれひょっこりと顔を覗かしたのはふわふわワンコのサフ。
「アフア買って来てくれましたか?」
 私の大嫌いなアフアですが、子供には人気のジュースです。
 これにレモンと砕いた氷を入れるとかなり飲みやすくなる…とのジャックさん談。
 たしかにビタミンたっぷりという感じです。
 私は飲まないので味がわかりませんが……。
「あっち置いてきたけどさー、キヨカ甘やかしすぎじゃん?」
 なんか、不満そうです。
「病気なんだから、仕方ないでしょう?」
「サフのケモジャバカー」
「チェルは、寝なきゃ駄目」
 起き上がろうとしたのを押しとどめ、改めて布団を掛けなおします。
 不満そうな表情を浮かべた熱い頬を撫で、汗ばみ始めたおでこにお絞りをのせて……あと、何すればいいんだろう。
「キヨちゃん、オレもなんかちょっと熱っぽいみたい」
 全力で倒れこんでくるジャックさんをそのまま床に放置。
 私の部屋に毛を散らさないで欲しいものです。
「そうですか、お気をつけてお帰り下さいね」
 ああ、そうだ。
 お皿洗わないと。
「フサわあぁぁぁぁぁあんっ!!キヨちゃんがいじめるぅーっ」
「キモイ」
 全力ですがり付こうとしたジャックさんを一言で切り捨てたサフが私の方を見ました。
「なに?」
「キヨカも無理したら駄目だよ。僕もがっくんもいるんだからね」
 そう言って、ぽふぽふな手で私の頬の湿布を軽く撫でるサフ。
 ……ちょっと寂しい…いえ、
「ありがと」
 サフの眼が丸くなって表情がそのまま固まりました。
 ……どこかで見たような表情です。
 記憶の中を検索していると、いきなり押し倒されました。
 ジャックさんに。
 ……重い。
「もうそんな笑顔されたらモッフモフにすぎゃっ」
 ジャックさんのうわ言は、そのあとの肉を叩く音で中断されました。
 …サフの眼が怖いです。
 床の上で蠢きながら私の足にかじりつこうとする手を、抜群のタイミングで踏みつけています。もぐらたたきのようです。
 あ、逆に足を引っ張られてサフが転びました。
 ジャックさんが馬乗りになってサフの首や脇の下を全力でくすぐりサフが笑い転げています。
 バフバフと舞い飛ぶ毛。
 二人のはしゃぎっぷりにチェルが参加したそうに、体をもぞもぞさせ始めます。
 私が目で制するとチェルはしぶしぶ布団に戻りました。
 所でここは私の部屋です。
 普段はサフと同じ部屋のチェルですが、今回は私の部屋で寝る事になります。
 でないとサフが夜寝れませんからね。
 まぁ…それはそれとして……。
 
「二人とも、今の状況わかってますか?」
 ハァハァと舌を口からはみださせたサフの薄青の瞳と、なんとも楽しそうなジャックさんの深緑の瞳がこちらを向き、引き攣りました。
「チェルの具合が悪いって判っています?こんな小さい子が寝込んでいるっていうのに、何考えているんですか?病人の近くでは騒がないって常識ですよね?」
「ハイすみませんすぐ帰ります!!」
「ごめんなさいもうしませんっ!!」
「わかって貰えたなら、結構です」  
 
 ……なんで、二人で抱き合って震えているのでしょうか。
 
 *** 

 ―― ネズミ ――
       平均寿命80代 矮躯 体力魔力、共に微弱 世界各地で群生 雑食
 
 ……こんだけかい。
 私は無言で本をぶん投げました。
 使えないにも程があります。
 私はヒトですから、ネズミの事を何も知りません。
 サフだって、一緒に暮らしているチェルの食べ物の好みや好きな遊びは知っていても、ネズミの事は知りません。
 意外と博識なジャックさんだって、一般的な知識以上のことは知りませんし、残念ながら医院にもネズミの患者さんはいません。
 残る希望の星は同じ砂漠出身である御主人様だけですが、御主人様はお風呂に入ると一時間以上出てきません。
 時折チェルの様子を伺いつつ食器を片付け、明日の朝食の準備を済ませてから、そわそわしながら御主人様を待ちます。

 お風呂から出た御主人様は、いつものようにソファーに腰を下ろし尻尾を床に伸ばしました。
 すかさず近寄る私に一瞬戸惑ったような表情を浮かべる御主人様。
「珍しい」
 ぽつりと洩れた言葉に内心首を捻りつつ尻尾の近くに座ると眉間に皺を寄せて一言。
「どうせなら、こっちに座れ」
 ……私はネズミの事を聞きたいだけなんですが。
 しぶしぶ隣に座ろうとすると腰に手を回され尻尾の上に乗せられました。
 
 重くないんでしょうか。
 いや、そうじゃなくて。
 
 風呂上りの御主人様の鱗は普段より少し柔らかめです。
 いやそうじゃなくて。
「ちょっと伺いたい事が」
 昨日捻った足首に尻尾が触れて、一瞬体が引き攣った。
「あの、ネズミの知り合いの方、いらっしゃいませんか?」
 指でなぞられる背中の擦り傷と、日焼けした肌が少し痛い。
「こっちはもういいか?」
 頬の湿布を剥がそうとする指先を押し止めると、不満そうな表情をされました。
「もう治っただろう」
 口の中だって切れててまだ痛いのに、ってそうじゃない。
「ネズミの人かネズミに詳しい方、いないんですか?」
「いない」
 顔が近過ぎるので咄嗟に口を手で覆うと、眉間に皺が寄りました。
「チェルの身内の方は?」
 手を掴まないで下さい。爪が刺さります。
「おい」
 尻尾巻きつき過ぎです。服の中にもぐりこんでますよ。判ってますか?
 結構、そこ痛いんですけど。
「どかせ」
 命令なのでしぶしぶ手を下ろすとかぷりと下唇を噛まれた。
 ちらちらと細い舌が這うので、顔を反らす。

 汚いから、やめて欲しい。
 
「知らないなら、結構です」
 どうにか尻尾の上から降りて、絡まった指を外した。
 御主人様の爪が当たった所が赤く痕がついている。
「失礼します」
 エプロンを引っ張られ、バランスを崩してこけた。
 ……足痛い。
 御主人様が何か声を掛けてきたけど、聞こえないフリをして部屋に戻る事にする。
 
 うろ覚えの知識だけど、昔は子供の死亡率はとても高かった、らしい。
 この世界では「風邪で子供が死ぬ」というのは「普通に暮らしていればまず無い」そうですが、
 魔法はあるし、魔洸という技術があって、なまじ寿命が長くて体が丈夫なだけに衛生観念には欠ける事の多いこの世界で「普通」の範疇にネズミが含まれているのか。という疑問があります。
 予防注射とか……。
 しかもよりにもよって小さな女の子では、病気に対する抵抗力が低いんじゃないかと、思う。
 望みの綱だった御主人様は全然頼りにならないし……。
 熱いのか、羽散らかされた毛布を拾い上げて畳む。
 氷枕はまだ大丈夫、すっかり体温と同じくらいになったお絞りを洗面器に戻して漱いで顔を拭いた。
「おかあさん」
 熱で潤んだ眼が苦しい。
「おかあさん、どこ?」
 返事が出来なくて、汗ばんだ小さな手をそっと握る。
 胸が、詰まる。
「おとうさん」
「二人とも、すぐ帰ってくるから」
 私は何でチェルがここに居るのか知らない。
「おかあさん、いなきゃやだ」
 チェルは夜中、時々泣いている。
 
 部屋の外に出るのが怖くて蹲っていた私に、不思議そうな顔で話しかけてくれたのはチェルだった。
 外に出られないような大雪が続いた日に、彼女は絵本を持って部屋にやって来た。
 字が読めずに途方に暮れた私は、うろおぼえのヘンゼルとグレーテルの話しをした。
 お菓子の家と、うちに帰れた兄妹の幸せきいて、チェルはとても嬉しそうな顔をした。
 私も、それまでとは違う使われ方をされた事が嬉しかった。
 
 無邪気な声で話しかけられるのが楽しくなって、色々な話をした。

 それなのに、私は何も知らない。
 ネズミの事も、チェルの家族の事も、もっとちゃんと訊けばよかった。

 苦しげな息遣いが悲しくて、自分の愚かさが悔しくて私は唇を噛む。
 
  ***

 
 太陽も月も居ない薄闇の時間
 ネズミ達は祈りを捧げる。
 
 腹でこなれていくケモノの魂が再び地に戻るように
 
 星に昇る前の魂が迷わぬように
 
                       ―――    の光を見失わないように ―――
  
  
 朝御飯にパンとサラダと目玉焼き、ついでに人参を炒めて添えた。
 御主人様好みの苦くて濃いコーヒー、サフにはグラスにミルク。
 リンゴより大きくて青い色をしたスモモをナイフを添えてテーブルにセットしてから次は洗濯物。
「キヨカ御飯は?」
「先どうぞ。私、今日お休みだから」
 チェルが寝てる間に終わらせておきたい。
 洗濯籠に濡れた衣類を詰め込んでいると背後からやってきたサフはまだ何か言いたげな表情です。
「チェルまだ寝てるし、あとであの子と食べるから大丈夫」
 どうせ食欲ないし。
 そういうと、更に複雑そうな表情になるサフ。
 もしかしたら、ちょっと言い方が素っ気無かったかもしれない。今度は気をつけよう。
  
 今日も夏らしく晴れているから、洗濯物がすぐ乾きそうだと思いながらベランダに干していると腰を撫でられ、驚いて振り返ると出勤準備を整えた御主人様(トカゲ男)。
「行ってくる」
「お気をつけて」
 そう返して再び洗濯物を干す作業へ。
 なにせ昨日サボった分、大量にありますから一回では終わりません。
 チェルもお粥ばかりじゃ飽きるだろうから、何か考えないと。
 籠の分が終わったので戻ろうとしたらまだ御主人様が立っていました。
「遅刻しますよ」
 放置しそのまま作業を続けていると、何故かついてくる御主人様。
「何か」
「行ってくる」
「いってらっしゃい」
 リンゴは今の時期季節じゃないから…スイカ…はおなか冷やしそうだから駄目かなー…買い物ついでにジャックさんに聞いてみようかな。
 顔を上げると御主人様の顔がなんだか物凄く近かったので手でそっと逸らし、私はその横をすり抜けました。
 遅刻するって言ってるのに、何考えているのでしょうか。
 
「キヨカー」
「はい、あーん」
「あーんっ」
 私の隣に座り、ぺったりと体を寄り添わすパジャマ姿のチェル。
 少し良くなったのか、昨日ほど辛くはなさそうですが油断禁物です。
 一口サイズの卵焼きを口に運ぶとチェルがびっくりした顔になりました。
「たまご甘いよ?」
「嫌い?」
「すきー!」
 そういえば、初めてお汁粉作った時もこんな感じでした。
 こちらでは豆とか卵は塩で味付けるのが基本みたいなので、意表をついたようです。
 それにしても、チェルは何でも食べてくれるのでこちらとしても作り甲斐があります。
 猫舌だからあまり食べてくれない御主人様や好き嫌いの多いサフやベジタリアンなジャックさんとは雲泥の差です。
 みんな見習うべき。
「おはしって、使いにくいよね」
「練習すれば、出来るようになるから」
 私の箸をじっと見つめてるチェルに行儀悪いのですが、ハムをつまんだまま目の前でくるくると回して見せてから口元へ運びます。
「あーん」
 頬を膨らませ、毛の生えた細い尻尾を震わせて食べている姿を見るとこちらまで嬉しくなります。
「美味しい?」
「おいしい」
「もうちょっと、食べる?」
「食べるー!」
 食欲も出てきたようで何よりです。
「あとで買い物行ってくるけど、一人で留守番できる?」
「ちーね、プリン食べたいな」
 耳をパタパタさせておねだりしてくる姿があまりに微笑ましくて思わず笑みが零れます。
 良くなって、よかった。
「ちゃんと寝ててね」
「はーいっ」
 ……右手を上げて元気な返事です。
 でも昨日あんなに熱出していたんですから油断は禁物……。
「キヨカ、これおかわりー!」

 お粥の入ったどんぶりが気がつけば空っぽ……。
 
 え、えっと……
 
「あらチェルちゃん熱下がったの、良かったわね」
 ほよよんとした雰囲気で優しい言葉を掛けてくれたのは、八百屋の奥さんである茶トラのフューリーさんです。
「ウチの子、ちーちゃんと遊べなくて昨日ふて腐れてたのよ」
 フューリーさんの所にはチェルより少し年嵩に見える息子さんがいます。
 チェルの遊び友達の一人です。
「私、小さい子の事よく判らなくて……ありがとうございます」
「困ったらいつでもいらっしゃい」
 そういってフューリーさんはニコニコと笑いました。
 貫禄あるお母さんという感じです。お母さん、生きてたらこんな感じで相談に乗ったりしてくれたんでしょうか……。
「あ」
 不意に変な声を上げるフューリーさんに緊張する私。垂耳、ずれたりしてないよね…?
 咄嗟に耳を押さえる私の顔をぐっと曲げ、フューリーさんは空の一点を指差しました。
「落ちモノ」
「え?どこですか?え」
「ほら、あっちあっち」 
 懸命に指された方に目を凝らしても何も見えず、なんだかちょっとがっかり。
 フューリーさんは暑いのか僅かに顔に汗をかいています。
「気のせいだったみたいね、ごめんなさいうふふ」
「あー、そうですか」
 ……なんなんだろ。
 フューリーさんの奇妙な態度に困惑しつつ私は八百屋さんを後にしました。

「今日のお勧めはこの乾麺よ」
 作務衣のキツネさんが背後から取り出したのは見紛う事なきうどんです。
「おまけにこの乾し椎茸をつけてくれるなら二つ買います」
「五つならこっちの乾し海老もつけるよ」
「三つ買いますから、こっちの緑豆を一升付けて下さい」
「それじゃこっちが赤字よ」
 大袈裟に肩を竦めるキツネさんに背後から現れた丸い耳にふわふわ尻尾が可愛らしい浴衣姿のタヌキの女性が失笑を浮かべています。
 この雑貨屋さんは狐国からの輸入品を取り扱う、和食大好きの私としては命綱とも言える大切なお店です。
「そういえば、この前お願いしたおぼろ昆布はどうなりましたか?」
「アレは今、品薄で生産待ちよ。季節モノだから仕方ないよ」
 残念。
「キヨカさんは、ウサギなのに好みが変わってるね」
 そういいながら豆を枡で量ると布袋に流し入れ、うどん四つと乾し椎茸を差し出すタヌキさん。
「うどん四つにおまけ、毎度ありー」
「わ、ありがとうございますー!」
「ちょ!お前何やってるよ!」
 慌てて食って掛かるキツネさんにタヌキさんはどこ吹く風と取り合う様子もありません。
 うどん四個分の代金をカウンターに並べ、私が店を出ると背後から響く炸裂音。
 ……この国では珍しいものを扱ってるのにお客さんが来ないのは、あの壮絶な夫婦喧嘩のせいなんだろうな……。
 さてと、今日はビールを買って帰らないと。

「最近、タイヤキの売れ行きが良くないんスよ」
 しみじみと言うのは、ねじり鉢巻の虎縞さん、タイヤキ屋台の店主さんです。
「暑いですからね」
 私はそういって、ハンカチで額の汗を拭いました。
 鉄板の上ではタイヤキがじゅうじゅうといい音を立てています。
「やっぱり冷たいものがって、みんな思うんじゃないですか」
 このタイヤキ屋さんはリクエストに答えてハムマヨやチョコもメニューに加えてくれたいい人です。
 ジャックさんによると、メニュー増加に伴って売れ行きが三割増加したとか。
 そのせいかわかりませんが、ちょっと焦げてしまったものや、欠けてしまった分をよくおまけでくれたりします。
「ウチはそういうわけにはいかねぇからなァ」
 手際よくタイヤキをひっくり返す動作はさすがです。
「餡子の代わりにアイス入れてみたらどうです?タイヤキアイスってありましたけど…」
「皮の熱で溶けちまうでしょ」
 カリカリと型をつつくといい色に焼き上がったタイヤキが姿を表わしました。
「大体、アイス屋みたいに冷蔵庫かかえるのもナンですぜ」
 確かに、タイヤキ屋さんの1メニューにそんな手間をかけるもの大変です。
「最初に作り貯めしてえーっと…氷晶石と一緒に箱に入れておくとか」
 氷晶石とは…ドライアイスみたいなものです。ただ、大きさと価格がちょっと使いにくいのが……。
 アイスボックスのような軽くて密封できる箱がなく、ビニールで防水出来るわけでもありませんから、これぐらいが限界なんですが…。
「それはアトシャーマでやってんスか?」
 私は一瞬息を飲み、必死で頭を回転させました。
 アトシャーマは極寒の地らしいです。
 そんな所でアイス製品が人気なのかと問われると凄く謎です。食べるのかな、アイス。
 コタツでアイスなら判りますけど、どうだろ…でもお風呂上りにアイスとか知らなかったら不幸ですよね、人生損してます。
 しかしもしも無かったらジャックさんが口裏を合わす必要があります。
 ジャックさんのことです。どこでぼろが出るとも限りません。
「落ちモノの雑誌に載ってたんですよー」
「ほー」
 嘘ですが、厳密には嘘ではありません。
 私はこっそりと滴る汗を拭いました。
「キヨちゃんは、落ちモノに詳しいスねー」
「ええまあ、以前勉強していましたから……」
 まぁ中卒ですけど、ね…。
  
 カキ氷はじめました というのぼりがちらつく喫茶店を横目で眺めつつ、大通りを進む私。
 今度、リーィエさん誘ってお茶とかしたいなぁ…試合、まだ行ってないし。

 御主人様に許可貰ってないけど……。
 テラスでは、パラソルの下色鮮やかで涼しげな服装の女性が楽しそうにお茶を楽しんでいる姿が目につきます。
 ……いいなぁ。
 ちょっと汗で塩っぽい気がする垂耳を撫でようとした瞬間、前方に見えたものに驚愕し、わき道に飛び込む私。
 
 御主人様(トカゲ男)が、背が高くて二等辺三角形な耳にブルネットの髪をした巨乳でデキるオンナって感じの眼鏡スーツ女性となにやら熱心に話しながら歩いています。
 尻尾から察するに恐らくイヌ科。
 そして反対側には、私よりも小柄で全体的にぷにっとしていそうな体型で、所々はね気味の赤毛ショートの童顔ネコ美人(巨乳)がいます。
 思わず身を隠しつつガン見です。
 御主人様の背後には三人に隠れてしまい判りませんでしたが、ほっそりとしつつ出る所が出ている黒ネコ女性と、中東っぽいベール姿の女性が……!
 ベールの人以外、夏らしい涼しそうだったり流行っぽい可愛い服装です。
 ていうか、みんな可愛らしいですよね。ベールの人も僅かに見えた目元が涼しげでした。
 多分、時間的に同僚の方とか、生徒さんだと思いますけど。
 ……思いたいですけど。
 …ああっ赤毛の人が御主人様に背後から抱きついてなにやら話しています。

 ちょっと接近しすぎではありませんか?
 イヌ科な女性も笑いながら顔を寄せて何か話してます。とても親密な気がします。
 ベールの人と黒ネコの人も御主人様の服の裾を両方から引っ張り笑ってます。物凄く楽しそうですね。
 
 ……仲、いいんですね。
 
 五人はそのまま角を曲がり、姿を消しました。
 そっちの方は確か、古本屋やよく判らない物をぶら下げた謎のお店がたくさんある、私には縁の無さそうな通りです。
 縁がないので私はジャックさんに連れられて一回しか行った事がない通りです。
  
 ……別に、羨ましいわけじゃありませんけど。
 
 何故かさっきよりも重い気がする荷物を持ち直し、私は通りを後にしました。
 
 
「ただいまー」
 しんと静まり返った家の中。
 チェルは寝ているのか、何の物音もしません。
 なんだか不安になって荷物もそこそこに寝室に急ぐと、予想通り……。
 自分で着替えたのか、出る前とは違う寝巻きになっているものの、それもびっしょりになっています。
 思ったより顔色は悪くありませんが、この汗は異様です。
 悪いと思いつつそっと体にさわると、ぱちりと目を開くチェル。
「プリンは?」
 ……食欲があって何よりです。
  
 今日の晩御飯は冷やしうどん。
 たっぷりの薬味に錦糸卵、焼き豚煮、山菜のあえもの、漬物各種と非常に夏らしいチョイスです。
 チェルはもうおなかが大丈夫みたいなのでこれにしたのですが、どうやら評判は最悪のようで……
「フォーク使かって構わないんですが」
 必死な男性三人とは対照的に小さなお箸で容赦なくうどんを奪い去るチェル。
「チェル、この漬物も食べてみて。はいあーん」
「あーんっ」
 かわいい。
「オレにもーあー」
「お箸使わないと巧くなりませんよ。はいチェルあーん」
「あーんっ」
 口一杯に頬張る姿にキュンキュンします。
「キヨちゃん、なんか怒ってる?」
「え?」
 ジャックさんの言葉に首を傾げる私。
「なんかタレ黒いよ…体に悪いよコレ」
 一本掴んでは逃げられるサフがぐったりした口調で呟きました。
 しょうゆと鰹節に昆布で作ったダシですから、結構いい味だと思うんですけど。
「なんかさ…めんしゆ…だっけ?一回食べたアレはもうちょっと透明っぽかったんだけどなぁ…生臭かったけど」
「関西風ですかね?」
 諦めたのか、パスタの要領でうどんをフォークに絡め始めるジャックさん。
 麺が太いのでやりにくそうです。
 きしめんとかの方が、いっそ取りやすいかもしれません。
「でも夏だし、冷たいから食べやすいですよね?」
 フォークで麺を突き刺し親の敵のように頬張る御主人様を見ないようにしながら、つつがなく食事は進みました。
  

 
 砂に混ざる魔素のニオイ 
 
 静寂が掻き乱され、誰の声も聴こえない
 
 紫煙に悶える姿に恍惚とした表情を浮かべた―――が―――
  
 
 具合の良くなったチェルは、寝相が悪いです。
 どれ位悪いかというと、寝惚けて蹴りを入れて私をベットから落とすぐらい悪いです。
 そして自分も落ちて転がって私の隣に収まるぐらい悪いです。
 思わずお餅の様な頬をちょっと引っ張りたくなっても仕方ありません。
              
 ――― 超、プニプニッ!!!
 
 ……まぁ、床で寝ればこれ以上落ちる心配はないわけだし。
 ベットに置き去りにされた毛布を引っ張り落として掛けると、うにゃうにゃ言いながらチェルがしがみ付いてきました。
 爪が腕に刺さります。……痛い。
  

 
 あくびをしようとしたら御主人様(トカゲ男)に見られ、慌ててかみ殺しました。
 ……眠い。
 眼を瞬かせ、眠気を振り払おうとしてもそう簡単にはいきません。頭、重い。
「看病は結構だが、二の舞はやめろよ」
「体調管理は、バッチリです」
 体壊したら、今度こそ捨てられるかもしれないし。
 チェルとサフがもうちょっと大きくなるまでは、傍にいてあげたい。
 玄関の前で服装を正す御主人様の前に回り、襟を直す。
「行ってくる」
「お気をつけて」
 不意に頬を撫でられて、昨日の光景を思い出した。
「そういえば、赤毛のネコさんとスーツのイヌさん、どちらが好みなんですか?どちらも仲良さそうですよね。でも二股は良くないと思いますよ?」
 ぴたりと御主人様の動きが固まる。
 なんか、腕が変な位置にありますね。
 眼が鬱金色になってます。図星ですか、そうですか…ふぅーん…。
「じゃあ、頑張って下さい。早く行かないと、遅刻してしまいますよ」
 動かない御主人様をどうにか押し出して、私は玄関の鍵を閉めた。
 

 ***
  
「キヨカ、今日はお買い物行かないの?」
 掃除する私についてまわるチェル。
 本当は、もう外に出ても大丈夫なんだろうけど、昨日の事を考えると不安で仕方ありません。
 撫でるとチェルは嬉しそうな顔をします。
 多分、……寂しいんだと思う。
 この位の歳の子には煩がられるくらい構わなきゃ、だめだ。
 その点、御主人様はちょっとダメかも知れません。

 なんというか、気配りが足らないというか……。
 自分で育ててる子なんだから、ちゃんとお父さんらしくしないと。
 ヒゲ生やせとは言わないけど、具合悪い時にはお菓子とか、果物とか好きなもの買って来て欲しいものです。
 ましてや女の人と……、まあそれは関係ないけど……無いけど……。
 
 昼御飯を済ませると後は特にやる事もなく。
 居間でチェルがメロドラマを見ていたので隣に座ってぼんやりとしていると瞼が重くなってきました。
 
 ……まぁ、ちょっとだけ。
 
 TVではドラマのエンドロールが流れていた。
 あまり時間が経ったわけではないらしいのですが、隣にいた筈のチェルの姿が見えなくて不安になります。
 探しても姿が見つからず、ふと思いついてベットの下を覗き込んでみる。
 あの子、こういう所好きだから…と思ったものの、見つかったのは昨日着ていたはずの寝巻き。
 ……なんで一日中ウチの中にいたはずなのに、泥だらけなんでしょうか。
 よく見れば、ベランダの隅に泥が付いています。
 なんだか、物凄い倦怠感が体を占めてきました。
  
 どうやら戸締りの意味を考え直す必要がありそうです。
 
 涼しくなってきた頃、サフが不安そうな眼をして帰宅しました。
「キヨカ…ただいま」
「おかえりなさい。お風呂沸いてるから、入ってね」
 最近、サフがどんどん大きくなってきた気がします。

 大きな手足が体に似合ってきたというべきか。
 毛も黒い部分が減り、灰色と白が目立ちます。
「今日、晩御飯なに?」
 何故かちょっと怯えた風なので、作り途中の分を見せると凄く安堵した表情になりました、
「じゃあ、もう怒ってないんだ。よかったー」
 どういう意味だろうかと首を捻りつつ、出来たばかりのコロッケ(砂漠風)をあげるとサフは足取りも軽く去っていきました。
 ……なんなんだろう。 
 
 次に帰ってきたのはジャックさんでした。
 ジャックさんは私がいないので雑用が増えて大変なのか、ちょっと疲れたような表情です。
 背後でごそごそしている小さな影には気がつかないフリをしておきます。
「お口に合うか判りませんけど、この豆、枝豆そっくりの味なんで良かったら試してみて下さい」
 冷えたビールに昨日買った緑豆を茹でたものをお皿に盛って差し出すと、何故かサフのように怯えた表情になりました。
 僅かに震えた黒くて大きな手が豆を一粒口に運びます。
「あ、意外と美味しい」
 意外は余計ですけど。
 美味しいという言葉に反応したのか、毛に覆われたほっそりした泥だらけの尻尾がジャックさんの背後からはみ出てふるふると揺れています。
「チェルに食べさせてあげたいですよね」
「そーだねーちーちゃん豆結構好きだしね」
 ジャックさんの横からつぶらな瞳がこちらを見ているのは、気がつかないふりをします。
「キヨちゃん、今怒ってない系?」
「怒っていませんよ。自分で汚した所掃除してくれるなら」
「だそうだけど、ちーちゃん」
 口の端っこが笑いそうになるのを必死で堪えます。
 ジャックさんは爆笑寸前です。
 凄い事になっています。
 どこでどうやったのか、頭から尻尾の先まで泥だらけ。
 床にも点々と泥がついています。
 スナネズミじゃなくて、ドロネズミに改名した方がいいんじゃないでしょうか。
「もしかして、昨日は泥落として水拭かないでパジャマ着たの?」
「……うん」

「昨日もベランダから外でて遊んだの?」

「……うん」
 耐え切れずにジャックさんが噴きだし、こちらにまで豆の破片が飛んできました。
 絶えるのが辛いくらい、頬が痛いです。
「取り合えず、 サフ お風 呂だから、一緒に 入 って き て」
 顔を見たら負けだと思いつつ眼が離せません。
 まるでウルトラクイズです。
「次、こういうことしたら、一週間ピーマンサラダだから」
「ごめんなさい」
 道化な姿とは正反対の殊勝な返事に耐え切れず、噴きだしてしまいました。

 ***
 
 御主人様は普段よりやや遅くなって帰宅しました。
 こちらとしても、初めて作る「タブル」(クスクスという小さなパスタを使った料理)や「ナスとトマトと肉の煮込み(砂漠風)」に苦戦していたので丁度良かったわけですが。
「おかえりなさい」
 御主人様は玄関を背にしたまま挙動不審な動きです。
「どうかしましたか」
 背後から現れたのは、白い箱。お菓子のようです。
「あ、わざわざ買ってきたんですか?!」
 驚いて語尾が上ずってしまった。早速受け取ります。これ、ちょっと高いやつです。
 なんだ、ちゃんと心配してたんじゃないですか。
「でも、あの子もう全快しちゃって、勝手に遊びに行ってたんですよ。でも喜びますよ。ありがとうございます。また病気になったら今度はもっと早く買ってきてあげて下さいね?」
 御主人様口が半開きですよ。…何か言いたい事でもあったんだろうか。
「何か?」
 ああとかうんとか言いながら、落ち着かない御主人様。
「ここの所落ち着かなかったのは…心配だったからか?」
「当たり前じゃありませんか」
 何を言ってるんだろうか。みんなして奇妙な事を言っています
 御主人様は忙しなく細い舌を出し入れし、爬虫類な眼を宙に彷徨わせた。
「やる」
 鞄を受け取るために差し出した手に花束を載せられました。
 思わず交互に見つめ、空ろさな眼を見つめてしまいます。
「誰かに渡そうとしたら、断られたんですか?」
「最初からオマエ用だ」
 え、えっと……。
「餞別用?」
 背中を寒気が走り、指先が震えるので、握り締めて誤魔化します。
 イヌの人かネコの人と上手く行ったから、私はこの家に要らなくなる…のかな。
「何の話だ」
 溜息交じりの言葉に安心する。
 どうやらイヌの人ともネコの人とも、順調というわけではないらしいです。
「御主人様からお花を戴くのは二回目ですね」
 理由はわからないけど、ありがたく戴く。
 薔薇とカスミソウと知らない花。
 顔がにやけて仕方ないので花束に顔を埋める。
 御主人様が、私に花だって。
 もうちょっと浸ってもいいかな、二度とないだろうし。
 
 ……花だって、私なんかに。

  なんか、まるでちゃんとした女の子みたいだ。
 
「ねぇーごはんまだー?」
 サフの声にはっとして頭を上げると、でこがご主人様のあごに激突して物凄く痛くて涙がでた。
 
 何でそんなに近くにいるんですか、御主人様。
 

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