猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

太陽と月と星14

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太陽と月と星がある 第十四話

 

 
 ひんやりと涼しい診療室の中、私は変な写真付き三面記事が面白いカツスポを眺め、時折顔の横に垂れている付け耳を撫でて気持ちを落ち着けます。
 さらさらふわふわで触り心地のいい垂耳…頑張れ、私。時給20%アップだ。
 スカートの裾に手が掛かりそうになったので軽く払います。
「そこから先は別料金になります」
「えー?ひっどーいキョウダイなのにー」
「普通、膝に乗せるために時給を上げる兄なんて居ません」
 現在、私が座っているのは椅子ではなく膝の上です。
 何故かといえば、膝に座るだけで時給が上がるからです。
 座らなくても触られるなら座ってお金が貰える方がいいに決まっています。
 …つか、ジャックさん、鼻息荒い…。
「キヨちゃんキヨちゃん、リボンとかつけようよー赤いのとピンクどっちがいい?」
 …ピノコかよ。
「ホラ見て下さい、砂漠で謎の巨大甲殻生物を見た!ですって。でも砂漠にカニって居るんでしょうかね?」
 先日、とうとう付け耳の支払いが終わりました。
 というか、このエセナースが代金だと思っていたのは私だけだったらしく、この件について切り出したところ非常に驚愕され、
足にしがみつけられ頬擦りされながらオスカーを取れる勢いで泣き真似されました。
 そして気がつくと時給300センタでエセナース続行が決定されていました。
 
 なんだかんだありますが…自分で食費を稼げるって、素敵です。
 
「キヨちゃーん、ちょっと愛を込めてお兄様ダイスキ☆って言ってみて」
「お断りします」
 ぽふぽふと足を触ってくる手を無視して今日の連載小説を。
 このタブロイド紙に連載されているハッサク・ユメーノさんの他の著作も面白いのですが、ジャックさんの好みではないので感想を語れないのが残念です。
 エロ描写が皆無だからでしょうか…。
 髪に鼻面を突っ込まれ匂いを嗅がれていますが、無視します。
 外は快晴、歩いている人達も暑そうです。
 患者さん、来ないなぁ…。
 対照的にひんやりと涼しい診療所。
 閑古鳥が鳴いています。
 いえ、暇でもお給料は貰えるみたいだから全然構いませんが。
 ノルマないって、素敵…。
 心の中で感嘆していると静寂を破るベルの音。
 私は、手に持っていたタブロイドを畳んで仕舞うと、ジャックさんの足を踏みつつ膝から降りて、待合室に急ぎました。
 
「ルフイアさん、お久しぶりです。今日はどうなさいましたか?」
 患者さんは以前神経性の脱毛症で来た方でした。
 パピヨンぽいスーツ姿も愛らしいイヌ男性です。
 ルフイアさんは私の姿を認めると、手入れの良さそうな尻尾をパタパタさせました。
「あ、お、お久しぶりです!実はたまたまこちらを通ったので、経過のご報告ついでにちょっと御挨拶に!!」
「わざわざありがとうございます」
 笑顔で示された箇所には、確かにハンパな長さの柔らかそうな短い毛が生えていました。
 どうやら脱毛症はちゃんと治っていたようです。
「あのあと、仕事の方も無事企画が通って、何とか職場にも慣れて」
「良かったですね」
 やった事がちゃんと評価されるのは良い事です。
 ルフイアさんは、うんうんとうなずくと笑顔で袋を差し出してきました。
 つい受け取り見てみれば…プリンです。
「差し入れです。お口に合うといいんですが」
 思わずプリンとピンクの舌がはみ出した顔を交互に見比べ、背後に音もなく忍び寄っていたジャックさんへ振り返ります。
「患者さんから戴いていいのでしょうか?」
 ジャックさんの目が丸くなりました。
「なんで駄目なの?」
 えーっと…父さんが入院したときにお祖母ちゃんがナースさんになんか渡そうとしたら断られて…えーっとでもそれは向こうの話だけど、えーっと…
 ……。
「ルフイアさん、ありがとうございます」
 郷に入っては郷に従えといいますし、なによりプリンは好きです。美味しいそうなのでなおさらです。
 ルフイアさんはイヌだけどかなり良い人、と心の中でメモ。
「お礼に気持ちを込めてるーくんダイスキって言って」
「るーくんダイスキ……ハッすみませんすみませんつられてついちょ!大丈夫ですかどうしましたか貧血ですか」
 ルフイアさんが急に俯きしゃがみこんでしまいました。
 熱射病でしょうか。
「ジャック先生どうしましょう、取り合えず椅子でいいですか?」
 慌てて長椅子を引いてそちらへ誘導して、と必死になってやっているというのにジャックさんは無言で立ち尽くしたままです。
 医者として失格です。役立たずです。
 仕方なく無視して、されるがままのルフイアさんを長椅子に寝かせ、勝手に上着の前を開きネクタイを緩め、
こんな事もあろうかと冷やしておいたお絞りを額に載せ失礼ながら手首で脈を測ってみました。
 ……脈が速いです。
 なおも立ち尽くすジャックさんをファイルボードで突いて体温計を取り出し、もう一度ファイルボードで背中を叩くとやっとジャックさんが反応しました。
「キヨちゃん…ひどい…オレにはそんな風に言ってくれた事ないのに…っしかも笑顔?あんまりだー」
 何故かしゃがみこんでいじけています。
 …うぜぇ。
「仕事して下さい」
 頭にボードを落とすと、随分と良い音がしました。

 
「――と、いう事がありまして、ジャックさんの仕事にかける情熱の無さは問題だと思いませんか?」
 エプロンを着け、晩御飯の準備をしながら今日あった出来事をかいつまんで御主人様に報告する私。
 御主人様は私の背後で椅子に腰掛け、テーブル越しにぼんやりとしたまま動きません。
 眼を開けたまま寝ているんじゃないかと思い、目の前で手をひらひらさせると睨まれました。
「そういえば、まだだ」
「何がですか?」
 口を開いたと思えばコレです。
 意味不明過ぎます。
「ただいま」
「おかえりなさい」
 何故睨みますか。
「いい加減覚えろ」
 喉元を掴まれました。顔が近いです。近過ぎます。ちかッ
 
「鍋が焦げますので、ご注意下さい」
「他にいう事ないのか」
「無いです」
 …なんか、まだ感触残っている感じがして落ち着きません。
 御主人様に背を向け、指先で唇を触りつつ焦げ付きそうな鍋を引っ掻き回す私。
 セーフです。たぶん。食べれる、いけるいける。
 キッチンに私が鍋を掻き回す音だけが響きます。
「今度の休み、出かけるからな」
 あ、人参焦げてる…まぁいいか。
「どちらまで?」
「川」
 …釣針垂らしている御主人様を想像し、あまりの似合わなさに吹きそうになりましたが、なんとか耐えます。
 多分、御主人様の事だから…
「…カエル採りですか?」
「あそこにはいない」
 良かった。晩御飯にナマを持ってくる事はなさそうです。
「最近、サボっていたからな、いい加減練習しないと腕が鈍る」
 練習…川…。
「泳ぐんですか?」
 思わず振り返り尋ねると、御主人様はやや驚いたような表情を浮かべていました。
「あの、えーっと…人目とかあるじゃないですか、大丈夫なんですか?」
 トカゲ男な時ならともかく、今の姿で外をうろついていたら大変です。
 思わずガン見してしまいます。
 目の保養的な意味で。
「問題ない。人家も無いしな」
 ……へぇ。
「じゃあ、水着…とか買っても宜しいでしょうか」
「水着?」
 目を張り、鸚鵡返しの御主人様。
 私は頷いて手に持った菜箸を意味もなく宙でワキワキ。
 泳ぐのなんか、久しぶり。
 なんだか、わくわくする。
 水着はやっぱり尻尾穴ついてるのも多そうだから、形に注意しなきゃ駄目だろうな、あとチェルの分も買わないと。どんなのが似合うかな。
 あと、サンダルとか、帽子もあった方がいいかな。どんなのにしよう。
「だって、泳ぐんですよね?私は水着持って……」
 無表情の御主人様を見て、自分の勘違いに気がつきました。
「すみません、なんでもありません」
 180度回転し、菜箸を鍋の中に戻します。
 当たり前だ。私は、ヒトなんだってば、なに期待してるんだろう……。
 それよりこれ、何とかしなくちゃ。
「その日は――晩御飯、必要ですか?」
 ……一人とは、限らないわけだし。
 しまった、混ぜすぎて具が潰れています。
 …いっそ全部潰して誤魔化そうか……。
 考えつつ菜箸をぐるぐる……しまった。もはやどう誤魔化せばいいのかわからない状態です。
 ふと気がつくと御主人様が無言で隣に立ち、無表情で鍋を覗き込んでいました。
「魔女の鍋かこれは」
「肉ジャガのはずだったんですが……」
 こんにゃく抜きの。
 いまや肉とイモ類の潰れた何かのどろどろの何かです。茶色です。
 今から、作り直して…いや、他のもの作ったほうがいいかな。
 途方に暮れる私の背中をバシバシと叩き、御主人様が口元を吊り上げました。
「オマエは本当に面倒だな」
「申し訳ありません」
 何故笑いますか。
「もっと甘えていいぞ」
 ……耳の病気を疑うべきか、御主人様の頭を心配するべきか。
 考えすぎてか、心臓の動悸が激しいです。
「着いてから水着忘れました。はナシだからな」
 どうやら、上機嫌で私の頭を撫でる御主人様。
「行っていいんですか?」
 返事の代わりに更に頭を撫でられました。
 なんか、そんな風に優しくされると、なんか……。 
 
  ……うわ。
 
 ***

  
 天気は快晴。平均気温32度。
 絶好の行楽日和です。
 ……馬車にさえ乗らなければ。
 
 街から国境近くの村までの定期便の乗合馬車というのを現在体感しているのですが…日本のアスファルトで綺麗に舗装された道路と違いほぼ……土。
 雨が降れば水溜りで道は陥没。
 風が吹けば辛うじて残っていた舗装部分が崩壊。
 つまり、道はでこぼこ。
 揺れます。
 ムチウチになりそうです。
 プチジェットコースターです。
 そしてこの世界の住民の半数近くがモッサリフッサリ。
 お風呂、嫌いな人も多いです。
 香水とか、発達しています。
 …で、当然雨露を凌げる程度に密室な馬車内はその残り香が…。
 荷馬車とどっちがマシかといわれたら微妙な所です。
 あ、でも鎖無しだから、こっちの方がいいですね。…悲鳴も聞こえないし。
「キヨカ大丈夫?」
 チェルの声に軽く頷き窓枠に凭れ、瞼を開くとスナネズミな女の子が心配そうな顔で覗き込んでいました。
 揺れる馬車の中、危なげもなく自分の席とジャックさんの膝の上を行ったり来たりしています。
 一方、私は揺れた拍子に窓に頭ぶつけました。
 …痛い。
 サフはバイト先の先輩の女の子と楽しそうです。
 保護者同伴デートってどうなんだろうと思うのですが。
 …どこか行きたいと言われたので誘ったのは私ですけど。
 ……御主人様に誘った事を報告したら何故かほっぺた引っ張られましたが、もしやコレを予期していたんでしょうか。
 だとしたら慧眼です。
 私はサフに彼女が出来たなんて、まったく気がついていませんでした。
 目の前でラブラブされるのは心にダメージです。
 正直、年齢=居ない暦としては全力で羨ましいというか…。
 あとジャックさんも一応誘った事を伝えたら御主人様は一日口を利いてくれなくなりましたが、今のジャックさんの姿を見れば一目瞭然です。
 落ち着きありません。そわそわしっぱなしです。
 …うっとうしい…。
「木陰とか草むらって、サイッコーだよね!震える彼女を焚き火の横で押し倒しちゃったりと か !雪山の山小屋で裸で抱き合ったりとか☆」
 きゃーとかいいながら顔を手で隠されても、なんだかなぁ、という気分です。
 教育に悪いので、そろそろ口止めの必要があるかもしれません。
 御主人様は無言で本を読んでいます。
 酔わないのでしょうか…。あ、文面に目をやっただけで吐き気がしてきました。
 激しい手振りで座っているのを邪魔され不満そうなチェルにガムを渡し、再び窓枠に凭れていると、無言で座っていた御主人様が首に手を回して自分の方に寄りかからせてくれました。
 御主人様は鱗で堅いのですが、窓枠よりは安定感があります。
 普段はこういう甘えた行為は全力で遠慮すべきなのですが…服越しだけどひんやりしてるし…。
 御主人様は毎日お風呂入るし体毛ないから体臭も薄いし…。
 御主人様サイコー。
 
 気温もぐんぐん上がり始めた時間帯、茂った木々からマイナスイオンがだだ洩れしていそうな絶好のキャンプ地点…みたいな河原。。
 穏やかな川は斜面に接している方が深いのか、青々とした木々を反射し水の色が深い翡翠色。
 浅瀬のこちら側では、メダカくらいの大きさの銀色の魚が石の間を泳いでいるのが見えます。
 私がおろしたてのミュールで足元の小石をつつき川へ落とすと、小魚はあっという間に見えなくなりました。
 そんな遊びに絶好の場所にも拘らず、人の気配はまったくありません。
 一応、運河の支流らしいのですが、近くの村まで徒歩で二時間かかるそうなので。
 しかもネコの国では水で遊ぶという習慣が基本的にはないそうで…最近は、他国の影響もあって変化しつつあるけど、とのジャックさん談。
 早起きしてお弁当を作って、馬車酔いに耐えてた甲斐がありました。
 楽しいです。
 …帰りにまた馬車の中継地点まで一時間ぐらい歩いて、更に馬車に耐えるという事さえ考えなければ…。
 河原では、サフと彼女さんが荷物を広げてあれこれおしゃべり。
 ……羨ましくなんかないもん。
 二人はちょっとはなれたところで泳ぐんですか、…へぇ。
「まだ着替えないの?」
「着ていますよ」
 スイカを深さ流れともに丁度良さそうな所にセッティングし、水を跳ねかせながら石の上を何とか進み、岸までたどり着いてから水着のスカートを示すと、ジャックさんが石になりました。
 眠そうなチェルを片手で抱いた御主人様は、無言でバックを開けタオルやら水筒やらを取り出しています。
 非常にお父さんぽいです。
 本人には絶対いえませんが。
「日焼けしたら痛いんですよ」
 全身毛だから日焼けとか、縁なさそうですよね。
 元々肌荒れしやすいからこちらの日焼け止めを塗るのもちょっと怖いし、別に学校の授業でもプールでも無いわけだから、上から服を着ていてもまったく問題は無いわけで。
 ですので私は水着の上からTシャツ派です。
 まぁ、パっと見で判断できなくても仕方ありません。
「チェルと色違いのお揃いなんですよ」
 チェルは白とピンク。私は黒です。
 赤だと金魚っぽくて非常にかわいいのですが、さすがに似合わないので諦めました。
 彼女さんは明るい黄色のワンピース。
 かわいい。
 褐色の肌と白い髪の毛に良く映えます。尻尾も長くてかわいい。触りたい…。
 仲良くなりたいけど、何故か異様に警戒されています。
 フーッって言われました。
 人見知りなんでしょうか。
「…水着って、…むちむちぷるーんで…ポロリは?ツルペタは嫌いじゃないけど間違ってるよ?」
 ジャックさんが死にそうな声を出しながら、御主人様の腕の中でうにゃうにゃしているチェルの方を指しました。
 馬車と、これまでの道のりで体力使い切っちゃったのか、とろけそうな目つきです。尻尾もてれんとしています。
 幼児体型に合うのって、着替えさせる手間も含めて考えるとビキニが一番楽なんですよね。
「これもそうですよ。チェルのも本当はスカート付です」
 フリルにレースが付いているので非鋭角的です。
 そして私は付属のレース仕様の腿半くらいまでのスカート付き三点セットですので、わりと無難です。
 スカートが落ちたら困るので裾をキッチリ縛り、ピンで留めたので完璧です。付け尻尾いらずです。一応つけていますけど。
「キヨちゃん…ちょっとお兄さんの話、聞いてくれるかな」
 ジャックさんが珍しく、真面目な声です。
 どうしたんだろう。
 
 ***

 
 ――水着――
 水泳競技やフィットネスに用いられる水着。
 体を動かす支障にならないこと、脱げにくいこと、水の抵抗を減らすことが求められる。

 木陰の下、巨大黒ウサギがTシャツにスカート姿で正座する彼女に向かって真剣に説教していた。
 が、当の相手は説教を半分以上聞き流し、他の事に気を取られている事が丸分かりである。
 いつもの憂いげな表情とは違い、明るい楽しげな雰囲気が傍から見ていても伝わってくる。
 なんだか、とてつもなく悔しくなった。
 
「――というわけで、ソレは邪道!さっさとそのシャツを脱ぐべきだとお兄ちゃん思うな!」
 ビシリと指を指され僅かに動揺を面に表わす彼女。
「だって、日焼けするじゃないですか」
 正座を解き、黒ウサギに詰め寄る。
「なんなら体感しますか?剃りますか?じかにナマ肌に直射日光浴びますか?日焼け止め無しの日焼けの痛みを思い知りますか?」
 どこからともなく剃刀を取り出して詰め寄るキヨカ。
「ウサギねーちゃんコエーんだけど。なにあの迫力。怖いよウサギ怖いよ。なんでオマエの周り怖い人ばっかりなの?」
「怖くないよ。キヨカだってば」
 気の強そうな瞳に怯えを宿したネコが自分より小柄なイヌにしがみ付き小さく震える。
「だって、ねーちゃんがいってたし!ウサギに背中を見せたらオワルって!ダテにされるって!」
「ハイハイ。がっくんー僕らあっちらへんで泳いでるからねー」
 なおもにゃぁにゃぁと訴えるネコを引っ張り去っていくイヌを見送りヘビは小さく溜息を吐いた。
 腕の中で涎を垂らしているのを揺すぶり起こし、地面に降ろされ胡乱な目で見つめるネズミ。
「がっくん、おやつたべていい?」
「それよりキヨカと遊んで来い」
 ヘビが頭を撫でるとネズミは目を細めた。
「がっくんは?」
「オレはちょっと離れた所にいるから、何かあったらジャックに頼んでおけ」
 物分りよく頷かれ、ヘビは少し複雑な気分になる。
 そのまま見守っていると、両手に抱え上げられた二人が川の中に放り込まれ、嬌声を上げていた。
 仕返しに水を滴らした二人から耳を集中的に狙われ、川の中を右往左往するジャック。
「がっくんタスケテー!」
 無視して荷物を片すヘビ。
 足を滑らせ頭を川底にぶつけ、どんぶらこと川を流れていくウサギを尻目にずぶ濡れになったニセウサギとネズミが手を繋いで岸に上がり彼に微笑みかけた。
「…一緒に遊びませんか?」
「二人で遊んでろ」
 そっけなく返され、不満げな表情の二人に思わず瞠目する。
「がっくんのけち!いじわる」
「最初から、練習だといっただろう」
 ヘビの言葉に頷き、彼女はぐずるネズミを抱き上げ重さに息を吐く。

「お昼には一旦帰ってきてくださいね。ジャックさんああだし、サフも彼女さんもどうするか判りませんから」
 濡れた服が張り付き、体の輪郭が露わになり柔肌が透けて見える。
 白い肌に頬だけが紅潮し、水を滴らせた黒髪は一層艶やかだ。
「…わかった」

 確かに彼女も水着を着ているという事実を心に刻み、彼は目を背けた。
 
 *** 
 
 川のせせらぎと小鳥の鳴き声、木々がざわめく音。
 
 不機嫌そうに小石を蹴り上げる軽い足音。
 二人っきりになりたいから、わざわざ下流に歩いてきたのに、凄く不機嫌そうだ。
「オマエ、ガン見し過ぎ」
 そういって小石を投げつけられた。
 顔の横を放物線を描いてとぶそれを見送り、耳の後ろをカリカリと引っかく。
「何で怒ってるの?」
「怒ってねぇよ」
 ふわふわした尻尾を膨らませ、語気荒く吐き捨てる彼女。
「泳いでもいいって言ったの、そっちじゃん」
「ウッセーバカ、毛皮バカ」
 無尽蔵にある小石を蹴り上げられ、とっさに跳び後ずさる。
「遊びに行きたいって言ったの、そっちだろ?」
「誰がウサギと行きたいなんて言ったよ!」
「別になんかされたわけじゃないのに、何だよその言い方!」
 思わず牙をむき出すと、彼女も負けずに怒りの形相になった。
「へらへらしやがって!バカじゃねーの!」
「してない!」
 怒声に彼女の耳と尻尾がピンと空を向き、悔しげに唇を噛み、八つ当たりに石を川へ投げつけ始める。
 手当たりしだいに投げつけ、手ごろなのがなくなったので頭よりも大きな石を持ち上げ、投げつけられた。
「あっぶな!」
 足元で砕けた石をみて睨みつけると、意外にも彼女は金色の瞳を見開き、うっすらと涙を浮かべていた。
「やっぱりウサギの方がいいんじゃねぇか!あっちばっかり褒めやがって!」
 思わず言葉を失い、口を上下させる。
 褒める?
 首を傾げ、今日の言動を振り返る。
 朝、挨拶して、引き合わせてあとはずっと2人で話してた。
 ああ、キヨカとちびがおそろいだとかいう水着を…。
「ニキの方がかわいいよ?ごめん、当たり前だから言うの忘れてた」
 褐色の肌が更に濃くなり、大きく開いた瞳と口が盛んに上下し、ごくりとつばを飲み込み何とか言葉を搾り出す。
「べ、べつにオマエの為に水着買ったわけじゃないけどな!!」
 予想外の大声にちょっと耳が痛くなったもの、何事も無かったように首を傾げてみる。
「じゃあ、脱ぐ?」
 
 
「だめ 、そんなにずんずんしたら っ あたまおかしくっ ひゃぁっ 」
 目の前の小ぶりな乳房を舐めあげ、うなじを噛むと甘い悲鳴。
 引き伸ばされた水着の隙間からはとめどなく蜜が滴り地面を濡らす。
 押しつけられた木の幹からは緑の濃いニオイ
 背中を掻く痛みすら快感に変わる
 腰を押さえた手で尻尾の根元を締め付けるといっそう甘い悲鳴
「んww だめっ そこだめっ あっあっあつっ」
 荒い息を吐き、身体を揺すると彼女はいっそう爪に力を込めてきた
「出すよ」
 込み上げる快感の波を堪えて囁くとうっすらと瞳が開く
「だめっそんなことしたらっ あっ」
「なら足」
 細い足はしっかりと腰に巻きつき離れようとするどころか、いっそう押し付けられた
 無意識に震える腰が快感を求めて更に奥へ導こうとする
 きゅうきゅうとナカと外から締め上げられ、喘ぎながら必死で負けん気を振り絞る 
                                        が
「ばかっぁ! なかに出したらだめぇっ」
 
 
「抜けよ」
「ムリ」
 身体を揺さぶられきゅっと顔を歪める。
 肩紐だけはどうにか戻したものの、無理やり引き伸ばした箇所は相変わらず肌に食い込む。
 突き出された鼻面を指で弾くと痛そうな顔をされた。
「オレの方がデカイんだから、ムリするなよ」
 固めの毛皮が汗ばんだ素足を擦り、むずがゆい。
 向かい合わせに抱っこされ、しかもそれが自分よりも年下で、小柄で、異種族で、なんだか恥ずかしい。
 背中を撫でられるたびにどきどきする。
 本当はもっと撫でて欲しい。
「抜けなくなるのわかってて出すなんて、バカだろバカ」
「抜かせなかったの、そっちじゃん」
「ンなわけないだろ!お前の方が早すぎたせいだよ!」
 無防備な頭をぽかぽかと殴るも、たいした効果は無いらしい。
「オマエなんかがオレをイかせられる訳無いだろ!演技演技!」
 顔を見られないように頭を抱きかかえると、無防備なところを舐められ、また腰を振りたくなる。
 グネグネする尻尾を堪えようと頑張るが、あまり効果がない。
「またエッチな気分になってるでしょ」
 言い当てられ言葉につまり、思わず頭を殴るものの尻尾を握られて情けない声を上げてしまった。
 胸元から見上げてくる仔イヌの顔がむかつく。
 殴ろうとした拍子にまた キモチイイトコロ に太くて固いモノが当たり動けなくなる。
「ここ、キモチイイ?」
 思わず頷きかけ、慌てて首を横に振るが、輝く眼に見つめ返され背筋がそそり立った。
「なら、いっぱいしても平気だよね」
 そんな事言われたら、逆らえないのに、ズルイ。
 
 ***

  
 
 精密に 緻密に 

 それだけを命じる
 
 煮え滾る水面

 岩に無数の穴を開ける
 
 周囲を濃霧が包み込む

 川面を凍結
 
 砕く
 
 渦巻く水に何もかもを沈め
 
 水音が喚起させる過去

 砂漠に追放されしモノ 呪われた盲目のヘビ 暗闇に蠢くおぞましい――― 
 
「お昼もって来ました」
 黒髪の娘が照り返す日差しに眩しそうな表情を浮かべている。
 
「オニギリとサンドイッチどっちか迷いましたが、ご飯の方がおなかに溜まるので」
 適当な場所に木陰を見つけ、腰掛ける二人。
 笑顔で差し出された何かの葉で包まれた「オニギリ」を受け取り、ニオイを嗅ぐがよくわからず不安を殺して見つめる。
 黒い。
「オニギリ初めてでしたっけ?ご飯を塩とおかずで握ったものです。それの中身は塩焼の魚です。黒いのはノリです。えーと…海で採れます」
 不安と期待の入り混じった瞳に耐え切れず、口に運ぶ。
 呑み込む。
 塩と米とノリが口内に張り付く感触を堪える。
 手渡された茶で流し込み、息を吐く。
「玉子焼きとウインナーと、ちゃんとウインナーはスパイシーなのにしましたから!」
 卵というものは塩で味付けがされているという先入観に負ける。
 何故、ウィンナーが半分花びら状になっているのか。判らず無言のまま噛み砕く。
 次に渡された オニギリ は ノリ が付いていなかったので安心して食べると酸味に噎せそうになる。
 呑み込む。
「ウメ大丈夫なんですね!よかったーみんな苦手みたいでして」
 
 正直、味覚に合わないとはっきり言っても構わなかった。
 今後もこれを食べるかと思うと、気が滅入ってくる。
 様子を見つつ時折出してくる茶色で複雑な味は、今まで食べた事のない種類で苦手だとしかいいようがない。
 ただ――
 彼女が、キツネの雑貨屋とやらにたどり着いたと報告してきた日の、零れんばかりの笑顔は昨日の事のように鮮やかだ。
 
「えーっと…これお勧めです美味しいですよ。甘辛くて」
 噛まずに呑み込んだ。
「お口に合いますか?」
 黙って頷くと輝く笑顔。
 
 ――― 一生、勝てる気がしない。
 
 眼が明るい。
 心が波立つ弾む声、もっと傍で聞いていたい。
「今日、楽しいか?」
「はい ありがとうございます」
 湿った髪を撫でるとくすぐったそうな表情を浮かべた。
 不意に手を伸ばされる。
「ごはんつぶ、ついてます」
 人差し指の火傷は、魔洸調理具に慣れなかった頃の名残。
 あの頃は、目を合わせることも出来なかった。
「こういうの、おべんとうついてる って言うんですよ」
 指先についた米粒がそのまま口に運ばれた。
 意図がわからず見返すと、首を傾げてから自分で舐め取っている。
 なんだかわからんが、今度はそうしよう、彼は思った。

「キヨカ」
 瞬きして首を傾げた拍子に、濡れて重くなった付け耳がとれそうになったので慌てて抑えてやる。
 焦った様子で直そうとするのを手伝うと困惑した表情を浮かべ、何か言いたげな風。
 薄く開かれた唇が甘い。
 脆い皮膚を裂かないようにそっと指を握り、細い腰を引き寄せる。
 濡れた服と水着がいかにも邪魔そうなので脱がそうとしたら、裾をつかまれ抵抗され、一瞬驚く。
「俺は、浮気しないから、安心しろ」
「衛生的な意味でも大変素晴らしいと思います」
 一瞬眉を顰められ、言葉を失うが咄嗟にうろ覚えの知識を掻きだす。
「最近は、他種族なら妊娠の危険がないとかって気楽にするせいで性感染症が増加傾向にありますので、お気をつけて。やっぱりゴムは必要らしいです」
 眉間の皺が一層深くなり、背筋に冷たいものが垂れるが、確りと服の裾を押さえる。
「信用してないのか。俺を」
 首を横に振る。
 頷き、華奢な体を腹の上を跨がせ尻尾を巻きつけると形容しがたい表情になった。
 柔らかい素肌を締め上げないように注意する。
 出来るだけ、緩く巻く。
「鱗、嫌か?」
 長い睫に縁取られた眼が戸惑ったように瞬きした。
 細い首筋に舌を這わせ、このままか、押し倒すか検討していると、唇が開かれる。
「スイカひやしたままです。二人から、早く戻るように言われてますし」
 真顔と氷のような表情とが向き合う。
「残念ながら今日は、団体行動ですから、迷惑をかけるわけにはいきません」
 彼女は周囲に置いたままの弁当箱を手早くまとめはじめた。
 状況を掴めず呆然と見上げるが、まったく伝わらず生真面目に頭を下げられる。
「サフが彼女を連れてきて対応に困るのはわかりますが、大人なんですからよろしくお願いしますね」
 脱ぎかけのミュールの紐を直し、皺の寄った服の裾を少し伸ばす。
「スイカ、早く来ないとなくなりますから。今日は育ち盛り三人ですよ」
 つかもうとした手が空しく宙を掻く。
 形のいい脚、白い肌が遠ざかる。
 
 しばし呆然としたあと、日差しに熱せられた砂利に爪を立て、心に誓う。
 
   今度は、もっと強めに締めておこう。 
 
 ***

 
 木陰の下、気持ち良さそうに眠るふわふわした毛並みの黒ウサギとそれを枕に眠るネズミの女の子。

 …いいなぁ…。
 せっかくみんなで来たというのにバラバラで少し寂しい気がしますが、そこまで贅沢は言えない訳で…。
 スイカ、いつ食べればいいんだろ。
 御主人様とサフ達が帰ってきたら…かな。

ていうか、御主人様ナニやってるんだろう。
 もう一度眠る二人を見て、しばらく考える私。
 
 人が来る様子はありません。
 2人とも、よく寝ているし、御主人様も居ないし、サフ達はお昼をもって更に上流の方へ行ったままです。
 私は荷物の中からタオルを取り出し、こそこそと下流の方へ向かいました。
 
 湿った付け耳を外し、肌に張り付くシャツをどうにか脱ぎ捨て、髪の毛を纏めて、申し訳程度に準備体操。
 変なのが居たらイヤなので足は脱がない。
 川の水は、やっぱり冷たい。
 ずっと昔、連れてきてもらった時も、こんな感じだったような気がする。
 また三人で行こうって言ったのに、結局二人とも居なくなってしまった。
 ……うそつき。
 
 底が見えるくらい透明度の高い水に躊躇したものの、二度とないかもしれないチャンスなので思い切って泳いでみる。
 ドキュメントで見たような深みをクロールで進む。
 
 すぐに息が切れて脇が痛くなった。
 
 ……前は、もっと泳げたのに。
 
 ジャマなスカートと付け尻尾を取ってもう一度潜る。
 
 思うように身体を捻れない。
 
 昔みたいに水を掻けない。
 
 前みたいに息が続かない。
 
 浅瀬に這い上がって、深呼吸。
 深く息を吸うたびに浮いた肋骨が軋む。
 鼻の奥が少し、痛い。
 
 ――― もう少し、やってみよう。

 唇を噛んで顔を拭って、髪を直してもう一度。
 手足を伸ばして、無駄な力みを抜いて。
 思い出すのはあの夏のプール。
 友達の歓声、先生の笛。
 蝉の鳴き声、チャイムの音、へたな合唱、音車の排気音、子供の笑い声、暑い陽射し。
 あの頃はもっと髪の毛が短かった。
 あの頃はもっと背が低くて、日焼けしていて、体重とニキビに悩んでた。
 先輩に憧れて、分厚い本を読んで途中で挫折した。
 父さんが死んでしまって、時々布団の中で泣いた。
 伯母さんと受験に合格したら、あの人のコンサートに行かせて貰う約束をした。
 将来は、写真の中の母さんみたいにカッコよくなると決めてた。
 
 ずっと狭い部屋の中にいたから、泳ぎ方が思い出せない。
 
 息継ぎのタイミングを間違えて水を飲み込み噎せた。
 
 呼吸を整えて、もう一度。
 
 
 重い体を引きずるようにして、岸辺に戻る。
 解け掛かった髪をおろして手で絞ると、ビックリするほど水が滴った。
 髪の毛、切りたい。
 御主人様に、切ってもいいか訊いてみよう。
 他の人にヒトだとばれたら困るから、美容院にはいけないけど。
 髪の毛を纏めなおして左右を見渡す。
 …違和感。
 顔をもう一度拭って、付け耳やシャツを探す。
 あった。
 風に、飛ばされたのか、予想よりだいぶ遠くにシャツを発見。
 軽く叩いて、濡れたままのそれに腕を通したけど、冷えて、濡れた服は寒い。
 けど……半分見えなくなって、少し安心する。
 下を向いて、丹念に探す。
 スカートを発見。
 飛びすぎじゃないかと思いつつ、張り付いた落ち葉を取って、腰に回す。
 足の傷も見えなくなって、安心する。
 けど、付け耳が尻尾も見当たらない。
 無いと困る。
 
「探し物は、これ?」
 顔をあげると、釣りの衣装を着た茶色のネコが私の付け耳を持っていた。
 息を呑む。
「返して、欲しいかい」
 声の感じからすると多分成人はしてる。
 凄く楽しそうな雰囲気。
 私が頷くと、一層眼が煌いた。
「首輪は?」
 御主人様は、私に首輪をつけようと、しない。
 ヒトは、首輪が無ければ所有権を主張できないのに。
「濡れると締まるので、今だけ外していただいています」
 今だけ、の所に力を込めた。
 風が吹いて、身体が寒い。
 人は、ヒトより力が強い。
 人は、ヒトより足が速い。
  
 ヒトは、モノだから好きなように扱って、構わない。
 殺しても連れて帰っても、首輪無しなら犯罪にすらならない。
 
「拾っていただきまして、ありがとうございます。どうか、それを返していただけませんでしょうか」
 木の葉の擦れる音と、川の音と、心臓の音。
「どうしようかにゃーただっていうのも…にゃ?」
 嫌な色をした眼が身体を這い回るのがわかる。
 この眼をよく、知ってる。
 あの頃は、何かしてもらうために客以外にも、しなきゃいけない時があった。
 それ以外、私には何も無かったから。
 …ひどく、寒い。
 
 大丈夫、前みたいにすればいいだけだから。
 大丈夫、慣れてる。
 
 だから、大丈夫。
 
 四つんばいになって頭を下げ、どうやら病気持ちではなさそうなモノの先の方を咥える。
 下腹の毛が鼻に当たるので、呼吸がしにくい。
 耳を触られるのが不快。
 手が離れ、背中やシャツ越しに胸を触ってくる。
 痛い。
 右手で睾丸を緩く撫でる。
 左手で竿に髪を巻きつけて扱く。
 口の中で膨らんでいくのをじっくりと舐める。時々吸う。吐きそうになる。
 不意に後頭部を押されて喉の奥に押し込まれ、えづきそうになる。
 何事も無いように裏筋に沿って舌を這わす。手は休めない。
 左腕と背中に食い込む、ネコの爪が痛い。
 そろそろ呼吸困難になりそう。
 …どうか、遅漏じゃありませんように。
 緩く噛んだりきつめに吸い上げると、腰が浮いて、一層奥へ押し込まれる。
 
 嘔吐感を堪えて吸い上げて飲み込んだ。
 
 熱の篭った眼でまじまじと見られ、背中に氷を押し込まれたような気分になる。
「耳、返していただけませんか」
 口を拭って出た声は、ずいぶん掠れて自分でも聞き取れないくらいだった。
 ……寒い。
 道具が無いから、これ以上の事をするとたぶん凄く痛い。
 だから出来ればここで終わりにして欲しいのに、案の定、圧し掛かられた。
 動こうとして身体を捩ったところだったから、足を捻った。痛い。
 爪を立てられた背中が砂利の上で擦られて、痛い。
 爪が立てられた手首から細く血が垂れる。
 ネコの舌はイヌと違ってザラついて痛い。
 さっき出したばかりだっていうのに、もう反り返っている赤黒いのを顔に押し付けられる。
 気持ち悪い。
 足をバタつかせてどうにか、ふり落とそうとするも、バランス感覚に優れているネコには無駄な行為らしい。
 荒い息遣いが気持ち悪い。
 頬を打たれて、口の中が切れた。
 何か言っているみたいだけど、何も聞きたくない。
 どうせ、言う事は、みんな同じ。
 
 逆らう気か、奴隷の分際で
 中古のクセに
 飼ってやるから、ありがたく思え
 
 不意に視界が歪む。眼を閉じる。
 
 ……そういえば、御主人様はそういう事を一回も言わなかった。
 なんだか胸の奥が痛い。
 唇を噛みすぎて、血が出てる感じがする。
 ――― 大丈夫、慣れてる。
 寒くて、仕方ないけど、大丈夫。我慢すればすぐ終わる。
 そしたら、そしたら―――
 
 身体を弄る感触が、不意に止まった。
 
 痙攣する瞼を開いたけど、何も見えないのでどういうわけか自由になった右手でどうにか拭う。
 見えた風景をしばらく凝視して首を傾げる。
「幻覚?」
 声が変な声。
 先程と同じ、腰巻オンリーの御主人様(ただしトカゲ男)が目の前で仁王立ちしてます。何故かずぶ濡れで湯気が立っています
 同じくずぶ濡れで湯気を立てているネコは下半身丸出しで座り込み、口あけたまま、尻尾をピンと逆立ててる……驚いているらしい。
 しかし、なんというか…御主人様がヘビのはずなのにどんどん怪獣映画のアレに似てる気がしてきました。
 トゲが生えてて、口からアレ吐く、アレ。
 中身と声と手は美形なのに……。
「このまま貴様の血を沸騰させてやろうか?」
 声は美形なのにドスが効いています。地を這うような声です。子供が聞いたら泣きます。ガン泣きです。
 視界が歪んできたので、目元をごしごしと擦っていると、砂利を蹴り上げる気配。
 物を落とす音。
 ウロコがどうとか、中古がなんとかという捨て台詞と、熱い鉄板の上に水を垂らした様な音と悲鳴。

 必死でズボンを上げながら逃げるネコの後姿。
 慎重に立ち上がり、自分の状態を見てみる。
 シャツはボロボロで所々血が付いてる。
 水着は方紐が解けているので、慌てて御主人様に背を向けて直します。
 スカートの角度もなんか、ひどい。
 全身がずきずきする。
 鼻の奥が痛い。
 視界がまた悪くなってきたので目を擦る。
「ウサギみたいなツラになってるな」
 冷たいものを手のひらに落とされて、驚いて見るとなんと板状の氷。
 お礼を言ってそっと当てると、ずきずきする頬がひんやりしてきもちいい。
 眼から熱いものが垂れて止まらない。
 困ったなと思いながら、しゃがみこむ。
 
 誰かの、泣き声がする。
 
 *** 
 
 草むらを大股で進む御主人様。
 どういうわけか、少し開けている木の間ではなく鬱蒼と茂って足元に石や木の根っこがごろごろしている所を選んで歩くせいで、障害物を踏むたびに御主人様の身体は上下します。
 落ちそうになって思わず私は躊躇しつつ腕に力を込め、いっそう首にしがみつきます。
 御主人様の鱗は固い。
 
 ナニゆえ私は姫抱っこされているのかといえば、足を捻っているため歩行が亀を這うようなスピードになり、御主人様が焦れたからです。
 スイカを食べるためにみんな待っているそうなので早く行かなくてはいけないのですが……。
 …後から行くと言ったらバカかと吐き捨てられました。
 おまけにデコピン喰らって気が付いたらこの状態です。
 しかし、それならおんぶの方がバランス的にも御主人様の視界の良さ的にも私の腕力の限界的にも良心的です。
 ……右腕がプルプルしてきました。
「あの……」
 目だけギョロリと動きます。ちらちらと宙を舞う赤い舌。
「…重くてすみません」
 荷物のある場所まで、目前です。
 御主人様もそれに気が付いたのか口が開閉され、…どうやら少し考えた後、そっと降ろされました。
「服持ってくるから、ここで待ってろ」
 今の私はボロボロのシャツと水着。洗っても滲んでくる血の所為でちょっと凄惨です。
 少なくとも、子供に見せられるもんじゃありません。
「申しわけありませんが、よろしくお願いします」
 頭、撫でられました。

 
 憔悴した風の御主人様が私の服を持ってくるのに十分ほどかかりました。
 礼儀正しく背を向ける御主人様。
 紳士です。
「チェルに泣かれたぞ。お前がいないから」
「…すみません」
 私は水着を脱ぎ、持ってきてもらった服に腕を通します。
 ……下着ありません…。
 御主人様にそこまで求めるのはムリですね。
 …湿気るけど…。
 ボタンを最後まではめ、思わず安堵の息。裾の長い服を着ると、安心します。
 傷に服が擦って少し痛いけど。
「今日は、ありがとうございました」
 嫌な事もあったけど…御主人様が助けてくれるなんて、思ってもいなかった。
「よろしければお礼に何か……」
 つい言ってしまった言葉に、真面目に考え込む御主人様。
 私は自分の言葉に冷や汗が垂れてきました。
 お礼って…私何も持ってないのに、何ができるの。
 ご飯作るくらい?でもそれなら……
「足の裏でも舐めますか?」
 私の提案は氷のような眼差しで一瞥されて終わりました。
 他、何かあるかな。
 中古でも高く買ってくれるところを探す……とか。
「昔、落ちモノ映画で見たんだが」
 予想外の言葉に虚を突かれ、黙って耳を傾ける私。
「茶や金髪の男女が出るヤツだ。わかるか。眼も緑とか青い連中だ」
 邦画ではないだろなということしか、わかりませんが。
「馬車が賊に襲われた所を、馬に乗った男に救われるんだ」
 西部劇とか中世モノによくあるパターンですね。
 大抵、貴婦人が出てきてお礼を言ったり、お礼に…お礼……?
「だだだ大丈夫ですかアタマ生水にあたりましたか寄生虫ですか正露丸のみますか」
 急にひざまずき手をとられた事に驚いて仰け反り後ずさり、木にぶつかって止まります。
 御主人様は、大股でこちらに近寄り、木の幹に掌をつけ、私を見下ろしました。鱗顔なのにわかる不思議そうな表情です。
 近いです近過ぎです!!
「見たこと無いのか、映画」
「いいえ、なんとなく想像は付きますけども!日本人的にありえませんから!!」
 欧米かってヤツです。
「国が違うのか」
「違います全然違うし、舞台の時代も違いますよ!」
 焦り過ぎて声が裏返りました。
「だが、内容は理解できるわけだな」
 顔が近すぎます!普段と違うヘビ顔なのに心臓がバクバクいってます。御主人様には違いないから?困ります困ります。
「できるよな」
「ナニをでしょうか」
 平静を装いつつ後ずさり…できません。
「映画の真似だ」
 御主人様ナイトですか、配役考えると御主人様はとにかく、私が相手だと白馬の騎士じゃなくて、ドンキホーテになりませんか。
 それは困ります、だって、最後に死ぬじゃありませんか。
 だとすると…つまり…その……。
「むむむりですむり!別にしましょう!ぜぜんりつせんまっさーじとか、いがいとわたしうまいですよ!しますか五分切れますよ!」
 べちんと、素突っ込み入りました。
 デコ痛いです。
「日本人に何求めてるんですか!御礼は菓子折りに決まってるじゃありませんか!!」
 御主人様、顔近い。
「お礼」
 御主人様的にはアレですか、アタマ大丈夫ですか。ジャックさんが伝染りましたか。
 しかし御主人様のご要望です。でも、するの?まじで?
 私奴隷なのに?
 奴隷なんだから、もっと色々させて構わないのに?
「わわかりました」
「わかればいいんだ」
 どことなく満足そうな御主人様。
「そこじゃ届かないです」
 御主人様が顔を寄せた。
「眼も閉じてください」
「面倒だな、本当に オマエは」
 ぶつぶつ言いながら眼を閉じる御主人様。
 素直です。
 ……顔の鱗まで硬いって、生活上、支障ないんでしょうか。
 虫に刺される心配だけはなさそうでいいわけですが。
 頬から顔を離した途端、くわっと眼を見開かれ、ちょっとびびる私。
 御主人様眼が金色ですけど、怒ってますか。大激怒ですか。
  
 ……締められた。
 
 

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