猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

ルカパヤン戦役07

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 総合商社の設立より約一ヵ月後のある日。
 ルカパヤンの行政府にある会議室では、ネコの国の食料卸業者が正に大爆発寸前だった。

「そんな金額じゃ売れるわけ無いにゃ!」
「なら、全部持って帰ってくださって結構です」
「うるさい! いつもの値段で買い取るにゃ!」
「にゃーにゃーウルサいんですよ 嫌なら帰れ いらねーから」

 行政府の食料調達担当が指し示した価格は先月の相場の僅か1%だった。
 ルカパヤンへ独占的に食料を運び込み大儲けしていたネコの業者は、まさに青天の霹靂だったようだ。

 前週、試験的にスキャッパーから運び込まれた小麦やバターなどを中心とする主要食料価格は、ネコの国の主要穀物相場に比べ2割ほど安かった。品質としてはあまり上等とは言えないのだが、背に腹は変えられないルカパヤンの事情もあって、街中の食料取引組合が指した価格はやや高値と言える水準だった。

 しかし、ネコの国からやってきた商人に取って、スキャッパーからの穀類輸入は死活問題といえる。
 ネコの国の食料市場でほぼ値段の付かない様な屑米や事故麦などの類、賞味期限ギリギリの乳製品を市場等で破格値で買い叩いて運び込んでいた。

 きっとこのネコは市場に出る下級品を全部買い取る契約でもしたのだろう。
 1キロ5センタで買った屑米がルカパヤンでは30セパタで売れていたのだ。
 ぼろ儲けと言うより相手の足元を見た汚い商いと謗りを受けてもやむをえない商いだ。

 だが、今回それをルカパヤンの食料組合が30センタ以上は出さないと言い出した。
 四頭立ての大型馬車を使った輸送コストやネコの国の市場使用料、そして税金や人件費や便宜を図ってもらった各方面への賄賂を勘案すれば、1キロ売るごとに2セパタの赤字。
 ここへ運び込んだおよそ2トンの食糧から逆算すれば4000セパタの大赤字。
 なにより、一ヶ月単位での商取引ともなれば、その赤字額は想像を絶する天文学的な数字になるだろう。

 更には、今回の売り上げがゼロの坊主で帰れば、帰りの輸送コストが掛かる上に、ゴミより多少マシ程度の価値しかない食料など、豊かなネコの国では誰も買うわけがなかった。

 まさに生ゴミレベルの生ものの山。
 それが一ヶ月丸まる自分のところへ市場から押し込まれるのである。

 この紛争が始まる前にルカパヤンと食料供給の契約をしていた業者から株を買ってまで始めたビジネス。
 借金までして作り上げた流通などの初期投資を考えれば、首を吊るしか無い。

「飢えてるお前らに飯を食わしたのは誰のお陰だと思ってるにゃ!」
「それはお互い様ですよ。生ゴミレベルも物にお金を払っていたんですから感謝される事こそあれ感謝するのはお門違いだ」

 見事に伸びたヒゲをプルプルと震わせるネコの男。
 だんまりを決め込んで双方ジッとにらみ合っている。
 だが、そこへマサミが書類を持って現れた。

「お取り込み中失礼。ル・ガルからの第2便が来たんですがね。ちょっと見積もってください」

 唖然とするネコの男を他所に、食料組合のバイヤー衆がイスを立って外へ出て行く。

「お!お前ら!何処へ行くにゃ!」

 慌てて手を伸ばしたネコの手がパタパタを空中を泳ぐのだが、ヒトのバイヤー達は意に介さない。

「あぁ、商品の下見ですよ。よければ一緒に行きますか?」
「ル・ガルの穀類はあまり上等じゃありませんが、あなたの商品と比べれば遥かにマシです」」
「あっちより良い品が来るならそれより良い値段を指しますよ。なに、物を売りに来るのはあなただけじゃないんだ」
「そうそう。来週からはトラの国からも食料販売のシンジケートが来ますのでね」

 ネコの国とは比較にならない程みすぼらしい馬車が数台、建物の外に停まっていた。
 他の種族国家とは比較にならぬほど栄えるネコの国のその通常輸送単位の馬車と比べれば、ル・ガルの馬車は可哀想な位に貧相だ。

 しかし、その中にある穀類はスキャッパー地域でも上等級の秀品を集めてある。
 馬車一台買い取っても良いと言い出すのは当然の流れなんだろう。

「そうですね。ウチは・・・・ ご祝儀価格で1台2000セパタ」
「いやいや、それは渋チンですな。ウチは2500セパタ出しますよ」
「皆さん欲を掻き過ぎだ。高値で売るんでしょう?最低でも4000セパタは出さないと」
「ですなぁ。イヌの国では穀類が貴重と聞きます。それを運び込んでくださるんだ。4000と言わず5000セパタは出すべきですな」

 艶やかな小麦を手に取って品質を確かめるバイヤー達。
 どの世界であっても金額を指して相場を決める男たちの目は真剣だ。

 そんな光景を呆然と眺めていたネコの男。
 ふと目をやった自分の馬車の中身を思い出しては唖然としている。
 
 馬車の中にはカビが生えた小麦にひび割れて粉になりつつある古米。
 臭いのするチーズやらバターやら。そして、ろくに肉の付いてない魚の干物と、痩せ細りきった干し肉。

「で、この生ゴミにいくら出せって?」
「持って帰ってもらえば良いんじゃないですかね」
「ですな。まぁ、なんだ。どこかに施せばきっと感謝されますよ」

 先週まで完全な売り手市場だった現場が今日は買い手市場になっている。

「ずるいニャ!他所から運び込むなら事前に言うニャ!」

 ネコの男が言うのも尤もな話だ。
 市場の摂理としては少々ズルイ話でもある。

「じゃぁ、こうしましょう。来週から毎週月曜日に統合市場を開設し、そこで競りに掛けましょう」
「じょ!冗談じゃ無いにゃ! 指値で買うと言う話だから株を買ったにゃ!」
「以前はそうでした。ですが制度は時に応じて変更されるものですからね」
「嫌なら他所で商売すれば良いんじゃ無いですか? またはここで直営店舗でも・・・・」

 アハハハハ
 笑い声の響く食料組合の施設前。
 苦虫を噛み潰しているネコを他所にヒトの街は動き始めていた。

「皆さん、まずは理事会で相談しましょう。市場を作るなら器が必要だ」

 そうだそうだ。
 食料組合のバイヤーたちが頷く。

「それに、市場権利を作って小売店が直接競に参加できねば駄目ですな」
「文字通りの市場原理ですな。小売が高く出来るなら市場相場も高くなる」
「よりより商品により高い値段を。そうでない物は相応の評価額を」
「先物取引なども必要でしょうね」
「そうですね。豊作か不作かのリスク回避には必須でしょうね」

 食料担当たちの描く画には輝く未来がある。
 離れた所でそれを見ていたマサミは、かつていずこかで聞いた事を思い出した。

 獣種族の男はマダラでない限り知能指数はあまり高くない・・・・と。
 おおむね、おバカで単純で、そして、純情だと。

 女達ならばかなり知恵が回るのだが、所詮は獣なんだよ。

 きっとあのネコの男は単純に儲かると聞いて始めたビジネスなのだろう。
 楽して儲ける。寝て儲ける。働かなくて儲ける。
 ネコにとってこれほど素晴らしい環境は無いと思ったんだろう。

 いきなり突きつけられた現実。
 ネコの男はその場にヘナヘナと崩れ座ってしまった。

 思えば、ルカパヤンの穀物取り扱い商と名乗る男が市価の10%ほどの値段で慌てて株を売った事をもっと怪しむべきだった。
 それだけではない。
 急いで売って現金化して、しかもその時点で市場の権利を清算してしまった時点で、もはや未来が無いと気が付くべきだった。

 利に聡く読みの深いネコの商人のもう一つの真実。
 まっさら素人が目先の利益に釣られて始めた過酷な仕事。

「いつか儲けてやるにゃ!」

 やがてこの男も、ルカパヤンの自由な空気の中で巨万の富を築くかもしれない。
 或いは、全て失って森の中で寂しい最期を遂げるか・・・・・・

 その数日後。
 ルカパヤンで最初の総合食品卸売り市場が開設された。
 選任バイヤーが持ち込んだ様々な種族の業者から食料を預かり、週4回の競りに掛けられるシステムになった。

 他国の競場方式を参考に、この世界の仕組みに則したヒトの世界と同じ競売システム。
 近隣の農家からも直接持込を認め、売り上げから一定の手数料を差し引いて現金払い。

 食料が無ければ買い集めれば良い。たったそれだけの事なのだ。
 しかし、この日ルカパヤンは、誰にも、何処の国家にも、どんな種族にも邪魔されない、独自の道を歩き始めた。
 すべてのリスクを、自らに背負って・・・・


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 カナがルカパヤンへやってきて1週間。
 焼け残ったルカパヤン総合病院の中が一段落し始め、空き始めた病室の一つが臨時の婦人科として機能していた。
 その中のベットの一つを当面の寝床と定めたカナ。
 当然身重なのだが、それでもアチコチ手伝いに行っては明るい笑い声を振りまいている。

 通常65床、最大で100床程度が精一杯だったこの病院にも戦役中は負傷者や重傷者が続々と運び込まれていた。
 それだけでなく、流れ弾などで酷い怪我を負った一般人や、栄養失調に陥ったり精神的に深い傷を負った者たち。

 キャパを遥かに越える300人近くがすし詰めに収容されていて、当然、その後始末もまた尋常な沙汰ではなかった。

 戦役は終わっても病院の中の戦争は続いている。
 僅か数名の医師は疲労の限界を当に飛び越えフラフラになりながら診療を続けていた。

 文字通りの修羅場。生と死が背中合わせで共存している。
 手術中の外科医が睡眠不足と慢性疲労から意識を失った・・・・などと言う事が立て続けに起きていた
 もはや限界だ。呆然と立ち尽くす医師のその隣に、黒装束の死神が立っている。
 病院内の医師の間に虚無感が漂い始めていた。
 
 レーベンハイトはそこへ強引に介入して入って行った。
 自分の病院からヒトの医者を大量に呼び寄せ、ルカパヤンでは貴重になってしまった大量の医薬品と共に病院を事実上占拠した。
 ルカパヤンの独立組織だったヒトの病院の経営陣も最初は抵抗する素振りを見せたのだが、実際にはリコの支援無しでは病院自体がパンクしてしまう状態だ。

 苦渋の決断で組織の融合を図った総合病院。
 結果的には自由都市時代以上の組織力と豊富な物資を使えるようになっていた。
 そしてまた、この世界では貴重な脳外科や循環器科など専門分野のエキスパートも流れ込んで行った。

 だが、実際はいささか心もとない経験の浅い医師がチラホラといて、逆に言えば嫌でも経験を積まざるを得ない環境だ。
 最初は臨時手伝いの雰囲気だったのだが、次の日にはもはや腰を据えて医療に取り掛からざるを得ない状況になっている。

 理事会の意図は関係なく、図らずも総合病院が同時進行で医療大学化しつつあった。
 それほど時間を要する事無く、ここはレーベンハイト記念病院とでも名を変えるであろう。
 器の形がどうであれ、ヒトの命を救う最後の砦は、やはり優秀で安定していた方が良い・・・・
 そんな思惑が病院内を闊歩するヒトの医者の間に生まれつつあった。


 そんなある日の午後。

「おや、レーベンハイト先生」

 ラムゼン商会のオフィスで週一回の定例会議に使う資料を整理していたマサミのところへ、リコがふらりと現れた。
 病院がらみの案件でアレコレ考えておかねばならない事も山ほどある。

 理事の仕事がこんなに忙しいとは・・・・
 マサミは心のどこかで理事の仕事を甘く見ていた事を後悔した。

「リコで良いですよ。ところでマサミさん。一つ相談が」
「どうかされましたか?」
「実は・・・・」

 リコが取り出したのは一枚の書類。
 そこにはとあるヒトの男のプロフィールが詳細に綴られていた。

「・・・・この人物が、なにか?」
「実はこのヒトの男は産婦人科医なんですよ。マサミさんにこの人物をヘッドハンティングしてもらいたい」
「つまり、引抜ですね。このドクターはどちらにお勤めですか?」
「フロミアです」

 書類から目を上げたマサミ。
 リコも真剣な表情だった。

「あまり・・・・ 簡単な話しでは終わりそうにありませんね」
「えぇ、そうです。あの街の産婦人科医はそう多くない筈です。この男が次世代を育てている可能性は否定できませんが」
「リコさん。とりあえず理由を聞かせてください」

 リコは手馴れた手付きで眼鏡を外すと、ポケットから取り出したハンケチでレンズを綺麗に拭いた。
 その作業の間にもう一度心の準備でもしているのかもしれない。

「冷たい話しですが。あの街から産婦人科医をまとめて引き抜けば、あの街で安全に出産する事は事実上不可能です」

 幾通りにも解釈できるリコのたくらみ。
 ヒトの総体数を漸減させるのか、それとも、あの街を緩慢に滅ぼすのか・・・・・

「分かりやすく説明してもらえませんか」

 マサミの口調が僅かに鋭くなった。
 真剣みが増したとでも言う状態だ。

「あの街では常時複数の妊婦が居ます。まぁ、それが目的の街ですからね。そこから産婦人科医を引き抜けば、正常な出産数が激減する事になるでしょう」
「・・・・でしょうね」

 言葉を選びながら慎重に話しを進めるリコ。
 それを聞くマサミもまた、行間の意図を読み取るべく真剣に聞いている。

「出産で命を落とす妊婦は決して少なくありません。あなたのいた元々の世界ほどこの世界は安全な出産が出来る環境じゃない。それ故に産婦人科医はかなり重要なポジションですし、相応の待遇も受けている筈です。なにより・・・・・」
「・・・・回りくどい説明は結構です。本音は何処ですか?」
「あの街を潰したい」
「え?」

 リコの目が恐ろしく鋭い眼光をたたえている。
 まるで射抜くような眼差しだ。

「困った担当者はこの街へヒトの女を連れてくるでしょう。しかし、生まれた子はこの街の市民権を持つ」
「そういう取り決めですからね」
「100年後位には、あの街の人口はゼロになるか、それに近い数字になる。少なくとも、ヒトを商品とするには難しい環境へ」
「あなたの真の目的はなんですか?リコさん。表面的にはヒトの解放運動でしょうけど・・・・」
「それ以上の事は企んでません。私もまた私のやり方でヒトを解放したいのですよ。誓って他意はありません」

 一つ息を付いて床をジッと見るリコ。
 その横顔に差し込む光りが、年老いたネコの男の顔をより立体的に見せていた。

「私も・・・・いろいろ有ったのです。ヒトと暮らした凡そ100年の歳月。あの時代は私にとって宝物です」
「・・・・・・・・・・そうですか」
「いずれあなたにもお話ししよう。ただね、今はまだ・・・・ 私にだって胸に秘めておきたい思いの一つや二つはあるのです」

 そう言ってリコはテーブルの上に読み古された新聞のたたみをバサリと置いた。
 皺がれた新聞の文字は独特のフォントで書かれてはいるが、内容をだいぶ理解できるようになったマサミは目を見開く。
 コミカルなタッチで描かれたイラストは首輪に鎖を繋がれたヒトの少年だった。

 "望んで死を待つヒトの少年 医者も魔術師も打つ手なし 彼の余命はあと幾日か"

「リコさん。これは・・・・」
「昔から繰り返されている事です。ヒトが意地を張って自らに死を迎える命がけの・・・・ 魂の叫び」
「叫び・・・・」

 フゥ・・・・
 再び小さな溜息をこぼしたリコ。
 スッと顔を上げてマサミの目をジッと見るリコの瞳には悲しみの色があった。

「遠い昔。私にとっては青春時代ですが、あなた方にとっては考古学級かもしれません」
「と言いますと?」
「およそ400年前です。当時私の住んでいた街の真ん中でヒトが集団でハングリーストライキをやりました」
「ハングリー?ストライキ?」
「えぇ。食べ物を与えられる事を自らに拒んだのです」
「・・・・あぁ。ハンガーストライキですか」

 不思議そうに首をかしげたリコだが、気にしないで言葉を続ける事にしたようだ。

「男女合わせて30人ほどのヒトが広場に集まりました。彼らは生きる権利と自由を主張したのです」
「・・・・そんな昔から」
「えぇ。そして、それぞれにネコなどから与えられる一切の食べ物を拒否しました。曰く、自力で食べる権利を認めろ・・・・と」

 不思議な言葉にマサミは首をかしげる。何がそんなに気に入らないのか?
 俄かには理解出来ない深い事情があるのだろうか。

「誰かに無償で与えられて飼われる身分を彼らは良しとしなかった。自らに労働し、その対価として給与を受け取り、それで食事や住居費や光熱費や。それだけでなく、自力で生きていく権利を要求したのです。言うなれば、人間としての権利」
「誰かの従者や奴隷の身分である事を拒否したと言う事ですか」
「そうですね。その通りです。で、その為に体を張って主張した。生物としての尊厳を、自らの名誉を捨ててまで」

 目を閉じたリコは僅かに顔を上げて天井を見ている風だ。
 何かを思い出して、そしてそれを整理して。
 遠い日に見た有りえない光景の切れ端の、その砕け散った記憶のかけらを一つ一つ集めては、記憶の中の映像を繋ぎ合わせて。

「男も女も。主に買い与えられた服まで脱ぎ捨て裸になってました。その状態で売れるものと言えば体だけ。女は文字通りの娼婦に。男も胸を張って男娼をしました。対価としての給与を得るならばそれしかない・・・・と」
「それで、どうなったんですか?」

 マサミの言葉はまるで刑事が犯罪者を尋問するような棘に満ちていた。

「・・・・彼らは自らに稼ぎました。その対価で服を買い、食糧を買い、そしてまた、彼ら唯一の労働を行い」
「・・・・・・・・」
「ですが、あの時代、ネコとてそれほど理解があるわけではなかった。結局、彼らの活動は単なる狂言としか受け取られなかった。ヒトを使った誰かのパフォーマンス。やがて、彼らは唯一の労働手段ですら失った。治安の悪化と風紀向上を理由に治安当局がそれを規制してしまった」

 ある意味で予想の範囲内の対応なのだろう。
 ヒトの世界で言うならば、人に飼われた犬やら猫やらといった話なのだから。

「辛いですね」
「だが、ヒトにとって最も辛かった事は労働が規制された事ではなかったのですよ」
「・・・・と、言いますと?」
「当局の規制はヒトを買ってはならないとネコの側を規制したのです。ヒトの側に売ってはならないとは言わなかった。つまり、当局ですらもヒトを人間として認めてないと言外に認めてしまったのです」

 思い沈黙。凍りついたような部屋の空気。
 予想通りの結末なのだが、それでも改めて言われると、それはやはりキツイ言葉だ。

 この街の老人達が言っていた言葉。

『人として死にたい』

 その言葉の意味が今は痛いほどよくわかる。

「労働手段を失い、金銭を失い、そして食べる事が出来なくなった。もう良いだろう?とヒトを誘導しようとした当局の活動を振り払って、着ている物を売り、僅かに得た物を売り、彼らは活動を続けた。やがて一人倒れ二人倒れ、少しずつ数が減りました」
「数が減るとは?」
「口減らしと彼らは言いました。認められるまで活動しよう。そう言ってました。だから、弱い者から自らに命を絶った。食料の消費量を抑えるために。そして最後の一人。最後の彼は様々な機関が救済を試みた。だが、彼が望んだ事は唯一つ。人間らしく死ぬ事」

 もう一度深く溜息をついたリコ。
 まるで懺悔でもするかのような深い溜息。

「ある雨の日でした、道にたまった雨水を舐めて彼は死にました。誰にも与えられた物ではない。天が与え給うた物を口にして、この世界の人間達と同じ物を口にして、人間として死んだ。当局も関係機関も僧院も魔術師も。その彼の元々の主でさえも彼を・・・・助けられなかった」

 助けられなかった・・・・

 その言葉の持つ様々な側面の解釈を思えば、リコの真意は再び闇の中へ埋没してしまいそうだった。
 痛いほどの沈黙が流れ、コチコチと響く時計の音が部屋の中に漂う。

「私は最後まで助けたかったのですが・・・・ね。でも、救済とはすなわち助ける事だけではないと学んだのですよ、私自身が」
「・・・・時には突き離し、冷遇し、自助努力と共に義務を果たすことも必要。つまりそういう事ですね」
「そうです。やはりあなたはこの街にとっても必要な人材だ」

 リコの阿るような言葉にマサミは首を振った。
 油断すれば相手のペースに巻き込まれる。
 相手は海千山千の策士だぞ?
 閉じた口の中で舌を噛み、マサミは慎重に言葉を練った。

「残念ですが、引き抜きの件は諦めてください。この街の活動担保はカモシカの国の気まぐれでも有ります。その国との友好度を損ねるような政策はあまり良いとは思えません。それと、もし今その医師を引き抜いてしまって正常な出産に及べず、その生まれてくる子供の命が損なわれるような事を私個人的には非常に嫌悪します。道のりは長いでしょうけど、あの街のヒトとこの街のヒトがそれぞれに行き来出来るほど交流し、その中で子を成し、その子が自然とこの街にとどまるようになって、緩慢に移行する事を望みます」

 出来る限り淀みなく語ったつもりのマサミだが、言葉の最中にふとリコの表情が変わったのを見逃さなかった。
 そしてそれはつまり、リコが最も引き出したかった言葉なんだと気がつくのにそれほど時間がかからなかった。
 操話術と操心術。その二つを見事に使いこなすこのネコの老人はやはり只者じゃない。
 更に言うと、ネコはフロミアの早期消滅を望んではいない・・・・・

「・・・・そんな風に言葉にすれば、満足ですか?リコさん」
「マサミさん、どこで気が付かれましたか?」
「全部言い終わってからですよ。やられました。一本取られた。ハハハ、修行が足りません」

 リコは再び眼鏡を外して裸眼になった。
 その眼でジッとマサミを見ている。

「ルカパヤンが闘う本当の相手はネコですよ。マサミさん。分かっていると思いますが」
「つまり、私を試したわけですね。フロミアの医師など要するに話のエサのようなもので」
「いえいえ、医師の件は事実です。ただ、私の狙っていた通りの言葉をあなたが言うかどうかを知りたかった」
「あの老人なら・・・・ ファーザーと呼ばれた老人ならなんと言ったでしょうね」
「さぁ。それは分かりません。ただ、結論は同じだったでしょう」

 マサミはテーブルの上の新聞を手にとって眺めた。
 楽しそうな笑みを浮かべるヒトの少年。
 だが、頬はこけ、やせ衰えた体には一切の着衣が無い姿のイラスト。

「リコさん。この少年はどうなるんでしょうか?」
「・・・・死ぬでしょう。どこかのおせっかいが余計な事をしなければね。ですが、これ自体、実は定期的にあるんですよ」
「そうなんですか。それも酷い話ですね。定期的・・・・ まぁ、それだけヒトが増えたって事でしょうか」
「まぁ、そういうことでしょうね。そして、世の中の歪みや理不尽さを感じているのはヒトだけではないと言う事です」
「そうでしょうね。この少年の主だった人間がそれをしないと、彼はどこかへ連れ去られた可能性もあるわけですから」

 よっこいしょとばかりにリコは立ち上がった。
 一息ついてから動き始める理由は加齢だけではなさそうな気もするのだが。

「マサミさん。そろそろスキャッパーに手紙を書いた方が宜しい。スロゥチャイム公爵を呼び寄せるとよいでしょう」
「・・・・それはなぜに?」
「あの方はもう随分前に出産を終えているが、カナさんはそろそろ出産だ。いずれにせよ公爵の庇護が必要ならば」
「なるほど。そうですね。やはりネコの慧眼にはかないません」
「出任せだとしても褒められると嬉しいものですよ」
「素直に褒めてるのですから素直に喜んで欲しいものです」
「歳を取るとね、用心深くなるのだよ。色々とね」

 好々爺の笑みを浮かべてリコはマサミを見ていた。
 まるで我が子との会話でもするかのような姿に、マサミは益々この年老いたネコの正体を掴み損ねたような気がしていた。


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 カナがこの街へとやってきて早2ヶ月。
 嵐のような毎日が過ぎていたのだけど、それでも大事な予定日は着々と迫っていた。

「早く呼ばないと・・・・」

 急かすようなカナの言葉に負けて、マサミはとうとうアリスへ手紙を書いた。
 総合商社のスタッフに代筆してもらったその内容はつまり、我が子の出産に立ち会って欲しいと言うものだ。

 ただ、アリスとて少し前に子どもを生んだばかりだ。
 マサミが居ない間、様々な事務仕事を一手に引き受けていたポールにしても、あまり余裕のある状態ではない。
 二人の状況・近況を考えれば、正直、あまり気乗りしないと言うべき状況だ。

 ただ、ここはやはり呼んでおかねばならない。
 生まれてくる我が子と妻の為にも。

 ”親愛なるスキャッパー領主公爵様へ 過日、過分なご配慮賜った件 身に余る光栄に存じます・・・・"

 今更になって歯の浮くような時節の挨拶を混ぜ書いた信書。
 これならば万が一にも密偵や間者により情報が漏れても大丈夫だろう。
 こんな無駄な事を書かなくても気心知れた仲なのだ。
 めんどくさい事になったなぁと言う気も、実はかなりしているのだった。

「常務!奥さん産気づいてますよ!」

 慌てて呼びに来てくれたスタッフにすぐに行くと返事をしたものの、アリスとポールはまだ来ない。
 数日前に書き送った信書がやっと届いた頃だろうか。

 間に合わなかったか・・・・・

 少しだけガックリとうな垂れたマサミ。
 気を取り直して上着をはおり建物を出た。

 秋の日差しが柔らかく降り注ぐ午後。
 不意に頭上から聞きなれた声が聞こえた。

 おや?

 足を止めて見上げるマサミ。
 まぶしさに目を細める先には、ワイバーンに跨った鳥系の獣人とその後ろに乗る笑うアリス。
 やや後ろにはもう一匹のワイバーンと、それに跨るポール。

 マサミの信書が余程に嬉しかったのだろうか?
 有翼人の跨る翼竜の郵便配達に荷物扱いで乗ってきた。

 驚くやら呆れるやら。
 呆然と見上げるマサミにアリスが上空から手を振っていた。

    ドウ! ハイヤ!

 手綱を引き絞って着陸態勢に入った翼竜に跨る有翼人。
 ドスン!と音を立てて地面に降り立つ直前、アリスが翼竜から飛び降りた。

「・・・・予想外の交通手段ですね」
「マサミ!久しぶりだね!元気そうだけど・・・・ 随分痩せたわね」
「ご無沙汰しております」

 キチンと足を揃え客をもてなす姿勢のマサミ。
 だが・・・・

「そんなめんどくさい事はいいじゃない!、肩書きが変わるだけで元の鞘よ。生きてて良かった。心配したんだから!」

 そう言ってマサミに抱きついたアリス。
 パタパタとゆれる尻尾がイヌの全てだ。
 その姿に思わずギュッと抱きしめたマサミ。
 アリスはその腕の中で嬉しそうに笑う。

「マサミ。義務を果たしたか?」
「あぁ。おかげで生き残る事が出来た。3回死にそうな目にあって、そのうち1回はいま生きてるのが不思議なくらいだ」
「そうか。しかし、生きているならそれでよい」

 ポールもまた歩み寄ってマサミの肩を抱いた。

「ところでマサミ。カナは大丈夫か?」
「あぁ。今ちょうど産気づいてるところだよ」
「バカもの!早く行け!」
「・・・・二人を待っていたんだよ。多分、次の執事になるだろうから」

 二人の肩を抱いて病院の中へいざなったマサミ。
 大きく立派な病院を見て、アリスもポールも自前の施設が欲しくなったかもしれない。
 むしろ、このままスキャッパーへ持ち帰りたい。

 そう思ってくれるとマサミとしてはありがたいのだが・・・・


 階段を上がっていくと部屋の中から聞き覚えのある声が聞こえた。
 今まさに、カナは決戦を迎えているようだ。
 そっとドアを開けて中に入るマサミたち。

「さぁカナさん!ここで踏ん張って!」

 うっ! ウン! ハァアアン!!!

 ルカパヤン中央病院の病室を一つ潰して臨時設置された分娩室。
 そこには天井からぶら下げた帯に肩を通し、ぶら下がって頑張るカナがいた。
 膝立ちの足を大きく左右に開いて、出産に備えている。

 絶え間ない陣痛と力を込めていきむ事を繰り返し、カナの体には玉のように汗が浮いていた。
 ゆったりとしたTシャツ一枚だけの着衣で事に及ぶその姿に、立ち会っている者たちは息を呑む。

 そして、たった今駆けつけてきたアリスとポールは初めて見るヒトの出産に言葉を失っていた。

 ピチャ! ジャバジャバジャバ・・・・

 突如、カナの股間の下に大きな水溜りが出来る。

「カナさん。破水したよ。さぁ、勝負だ! ゆっくりと呼吸して」
「・・・・はい」

 フン! ン! ァァァァァァン!

 カナの正面へそっと近寄って同じく膝立ちになったマサミ。
 どうする事も出来ず、ただカナの両手を握っていた。
 その手に伝わるカナの握力。
 その力が尋常じゃないことにマサミは驚く。

「カナ。ポールたちが来たよ」
「う!うん・・・・ ぅん!」

 ドッビィィィ・・・・・

 有りえない音がする。
 盛大なおならの様でもあり、肉が裂けていく音の様でもあり。
 破水した水の上にポタポタと血が垂れる。
 その垂れ方がポツポツだったりダラッと垂れたりしながらも、腹部の盛り上がりが少しずつ動いていくのが見える。

「さぁ、出ておいで。お母さん頑張っておるよ。だから頑張って出ておいで。お母さん大変だから」

 カナの傍らに立ち、手術着に手袋着用のリコが声を掛ける。
 露になった臀部の上。腰の辺りをトントンと軽く叩きながらカナを鼓舞している。

「ほれ、がんばって。もう少しだ。だいぶ動いてきたよ。ほれ」

 ズル・・・・ ズル・・・・

 盛り上がりが移動していく。

 アァァア!!!  ンン!! 

 肩で息をしながら涙と汗と鼻水と涎と色んな物を滴らせてカナは頑張る。
 マサミはそんなカナの顔を手ぬぐいでそっと拭いた。

 ウンンンンンンァァァァアアアアア!!!!!

「ほら、出てきた!出てきたよ! カナさんや」
「うん! うん! 取って! 取って! あなた」
「マサミさん、頚椎に注意して。練習したとおり、慎重に」

 この1週間。
 ぬいぐるみを使って練習した新生児の取上げ方。
 それを思い出しながら、マサミは慎重に首の据わっていない我が子に手を差し伸べた。
 頭が産道から出てきて、そのまま肩かた腹部、脚部へ。

 頚椎の不安定な我が子の首をねじ切らないように手を添えて。
 慎重に、慎重に。極限の集中力で慎重に。

 全てが出てきてマサミの手に乗った。

「おぉ!おめでとう!マサミさん。男の子だよ」

 リコはその子の鼻に自らの口を付け、気道内の羊水を吸いだしてやった。
 父親の両手に乗る新たな命は、やや黄色く濁った羊水を全部吐き出した。
 そして、その小さな胸を膨らませて、生まれたばかりの小さな命は新鮮な空気を精一杯吸い込んだ。

 オンギャァ!

 静けさを取り戻した部屋に一際大きな泣き声が響く。
 精一杯の声を出して。その口で語れる唯一の言葉で。
 この世界へと生まれ出た事を喜ぶように、マサミとカナの子供は生命の喜びを謡った。

「ア アリス ねぇ! 早くきて!」

 カナがアリスを呼んだ。

「どうしたの?」
「あなたが切って」
「え?え?え??? なっ 何を?」
「へその緒」

 リコがアリスに鋏を渡す。
 恐ろしく鋭く研ぎ上げられた手術バサミ。

「何処を切るの?」
「この辺りを慎重に。一思いに切ってください」

 リコが場所を指示して手を差し伸べた。
 アリスはまるでテープカットでもするように鋏を入れる。

 今断ち切ろうとしているのは母親とその子を繋ぐ生命の糸だ。
 一瞬だけ体がこわばったのだけど、それでも。

「おめでとう」

 チョキ・・・・・

「ありがとう。この子をよろしくね。私が死んだ後も可愛がってあげて。あなたの方が長生きだから」

 疲れ切ってげっそりとしたカナ。しかし、その表情は充実していた。
 生まれ出でた我が子を見ながら笑うカナ。
 アリスもまた優しい手付きで新たな命の体に触れた。
 
「でも、手は出さないでね。出したらあたしが怒るからね」

 アリスが触れたのはまだまだ小さな赤子の性器の辺り。

「あ、だめ?」
「うん、だめ。私が生きてる間はだめよ」

 2人の女が楽しそうに笑う。
 やり遂げたと言う感動。
 そして満足感。

 へその緒を絶たれた新生児の臍を処理して、そしてさらにリコはカナの胎内から伸びるへその緒にもう一度鋏を入れた。
 それを素早くアルコールで処理して、そして脱脂綿で包んで小さな包みに入れる。

「カナさん。あなたとあなたの子を繋ぐ大切なものです」
「レーベンハイト先生。お世話になりました」
「いえいえ、一番頑張ったのはあなたです。さて、ここからは私が勝負ですな」
「えぇ」

 カナの股間部へと差し込まれたバット状の桶。
 役目を終えた胎盤が胎内から剥離してすべり出てきた。
 凄まじいまでの血液臭と羊水の臭い。
 しばらく止まらなかった血が止まり、カナはやっと一大イベントを終えた。

「さて、カナさんは安静に。マサミさんはスタッフの指示に従って息子さんを沐浴させてあげなさい」
「あなたは?」
「これから商談です。担当を呼んでありますので」
「・・・・良かったらここでやってもらえませんか」

 マサミがカナに目をやった。
 カナは静かに頷いた。

「そうですか。では、そうしましょう」

 リコも満足そうに頷いた。

 約1時間後。
 まだ出産の余韻が残る部屋で服を着替え点滴を受けているカナ。
 生まれたばかりの吾子は沐浴を終え清潔なタオルに包まれてカナの隣に眠る。
 その隣にはアリスとポールが生まれたばかりのヒトの赤子を見て喜んでいた。

「さて、お集まりの方々。こちらが今回の提供者です」

 様々な毛並みのネコの男たち。
 リコが持つバットの中の胎盤を見て品定めしていた。

「さて、そちらの方から伺いましょうか」

 何の前触れもなく唐突に始まった競り。
 男たちが真剣に値踏みする。

「1万」
「誰ですか?」

 三毛の猫が手を上げた。
 ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべる安っぽい商人のような男。

 その姿にレーベンハイトはやや不機嫌な声で言った。

「あなた今すぐこの部屋を出なさい。退場だ」

 ハッハッハ!と笑い声が起こる。

「冗談だよ」

 両の手をヒラヒラと振って舌を出し、なおも男は笑っていた。

「冗談が過ぎる。私の医院での競売に参加する資格を永久に剥奪する」
「本気か?」
「あぁ、もちろん本気だ。今すぐ国へ帰りたまえ」

 リコがかなり真剣に怒っていた。
 緩みきっていた部屋の空気が冷えていく。

「いや、だから冗談だって。言ってみただ『 だ ま れ 』

 短いながらも気圧されるような鋭い言葉。
 もの凄く気まずい空気が部屋に漂う。

「医長が命じたのだ。今すぐ出て行け。二度と来るな」

 黙って睨みつけるリコの眼差しに気圧された三毛のネコ。
 その眼差しは医者でも好々爺の年寄りでもなく、線を引いたような細い目の奥の猫の瞳には殺気染みた怒りがあった。

「・・・・冗談が過ぎたようだ。申し訳ない」
「私に謝っても意味は無い」
「しかし」
「私じゃない。こちらのヒトの夫婦に謝ってもらおう。許してもらえなければ出て行け。今すぐだ」

 ヒトに謝れとリコは言った。
 ネコの医者がネコの男に向かって、ヒトに頭を下げろと言い切った。

 かつて経験した事が無いほどの緊張感が部屋を漂う。
 もちろん、ネコの男は一瞬、胡乱な目をした。

 だが

「すまない。冗談が過ぎたようだ。どうか許されたい」

 そのネコは胸に手を当てて頭を下げた。
 今、眼前で起きている事実に部屋の中の空気が変わる。

 ネコがヒトに頭を下げて謝罪した。その事実をリコは欲しかったのだろう。
 誰かの為にとか、この場の交渉の為にと言う部分ではないのかもしれない。
 これから続く、長い長いビジネスのいわば第一歩の部分での『儀式』

「カナさんや。宜しいか?」

 リコの優しい問いかけにカナは笑って頷いた。

「ヒトの出産は命がけだ。我々とは違うのだ。それが理解出来ないものは2度と参加せんで宜しい。不満がある者は今すぐ帰れ」

 きつい視線がもう一度バイヤーの一人一人を貫いている。

 只者じゃない・・・・
 そんな確信をするに至るだけの殺気じみた威圧感をリコは持っていた。

「さて、では値段を聞こうか」

 リコの目が鋭い刃のようになった。
 グレイの毛並みをしたネコが手を上げた。

「50万」

 真っ白の毛並みのネコが笑いながら手を振っている。

「おいおい・・・・ 100万」

 白黒ブチのネコがゆっくりと口を開く。

「にひゃく・・・・・」

 一瞬の静寂。

「最低でも500は出してもらわんとなぁ。次が困るでの」

 リコは少し不機嫌だった。

「そちらの旦那さんはこの街の理事だと聞いたが」

 バイヤーの列に居て、最初に1万と口を挟んだ三毛が尋ねた。

「えぇ、その通りです」

 その目は真剣そのものなのだが、どこか計算高い部分も見え隠れしている。

「どうですか。こちらの街でヒトの出産が有ったら、私が独占買取をすると言う契約をしてもらえませんか」
「独占ですか?」
「えぇ、そうです。その代わり・・・・ 今回はご祝儀込みで1000万払います。次回からは最低でも400万以上と言う事で現金払い」

 おぉ・・・・
 僅かなどよめき。

「一つ伺いたい。何故にそこまでの投資をされるのですか?」
「そうですね・・・・ ヒトへの興味 とでも言っておきましょうか」
「興味?」
「えぇ。そうです」

 言葉に詰まったマサミ。
 その後ろで事の成り行きをカナやアリスが眺めていた。
 その視線を背中に感じてマサミはジッと考える。

「・・・・販売の件に付いてですが、これは男にはどうしようもない事です。女が頑張るしかありません。ですが・・・・ ヒトの世界にはこんな言葉があります。『欲望は膨張する』安易に収入を得られる形としてこのビジネスが始まると、収入目的の受胎産業化してしまうのが目に見えていますから・・・・」

 一つ溜息をついたマサミ。その双肩に重い責任が再びのしかかった。
 アリスとポールはスキャッパーではなくルカパヤンの為に考えるマサミを初めて見た。
 そしてまた、当事者ではなく傍観者の立場として事の成り行きを見守っている。

「今回の価格は1000万も頂かなくて結構です。半分で良い。ただ、独占販売はお断りします。独占的に供給を受けられる業界組織をつくり、その中で毎回の入札を行う形にしようと思います。ヒトの世界にある法律の一つ。独占禁止法と言うものです。適度な競争が無ければ、業界は滅んでしまいますし、それに適正な発展は見込めないと言う・・・・ まぁ、建前ですけどね」

 ふと振り返ったマサミ。カナはそっと微笑んで頷いた。
 僅かに首を振ればそこにはアリスとポール。
 驚くような表情がアリアリと見える。

「ヒトと言う生き物は本当に面白い。つくづくそう思うよ」

 三毛のネコはそう言って懐から小切手を取り出した。
 上質な作りのペンでサラサラと金額を書き込みサインを入れる。
 その手馴れた動きはまさにビジネスマンそのものだった。

「さて、早速で悪いがそれを貰って行って良いかな。新鮮な生の素材は魔法薬を作るのに貴重な材料になる」

 小切手を確かめたリコがそれをマサミへと手渡した。

「金額的には少々不本意だが・・・・私がそれを現金化しよう。じゃぁ、交渉成立じゃな」

 小さなバットに入った役目を終えた臓器である胎盤が運び出された。
 買いそびれたバイヤー達も帰っていく。

 僅か10分足らずの間に大きく現金が動いた。

「リコさん。予定価格はいくら位のつもりだったのですか?」

 マサミは書き記された小切手を見ながら尋ねる。

「そうですね。カナさんの頑張り代込みで2000位ふんだくるつもりでしたが・・・・」
「にっ! にせん?」
「いえいえ、つもりなだけですよ。500前後が適正価格でしょう」

 マサミから渡された小切手を懐へ収めたリコが振り返る。
 驚くばかりのアリスとポール。
 とんでもない金額で売買されるその理由を知りたがった。

「あの胎盤はどうやって使うものなの?」

 不思議そうに訊ねたアリス。

「まぁ、簡単に言えば若返りの秘薬として魔法薬の材料になります。普通は乾燥胎盤なんですが、新鮮な生胎盤は貴重ですからね」

 仕事を終えたリコはカナに歩み寄ってその体に聴診器を当てた。
 その姿はまさしく医者そのものであり、種族云々を喧伝するのはお門違いと言ったところだろうか。
 されるがままに受け入れているカナをポールは複雑なまなざしで見ていた。

「リコ先生・・・・ この子の・・・・ 心臓を確かめてもらえませんか」

 ちょっと不安そうなカナ。

 やはり心のどこかにまだ引っかかっているのだろう。
 リコは努めて平然を装いつつ、そっと赤子の包みを解いた。
 聴診器の測音面に息を吹きかけて暖め、赤子の胸にそっと当てる。
 病室の中が静まり返り、呼吸の音ですらも憚られるような雰囲気だった。

「今の時点では異音を聞き取れません。半年程度経ってみないと判断が難しいですが、おそらく平気でしょう」

 リコは子どもの包みを治して立ち上がった。
 一仕事終えた充実感が漲っている。

 窓から入ってくる風はすっかり春の陽気だった。

「マサミさん。この子の名前はどうされる?」

 何かを思い出したようにリコは尋ねた。

「実はもう決まっているんですよ。と言うか、この子を仕込んだ時点で決めてありました」
「ほほぉ。用意が良いですな。で、名前は?」

 マサミが何かを促すようにカナを見る。
 するとカナは何かを思い出したようにアリスを見た。

「この子の名前はヨシヒト。ヒトの世界の文字を当てると、義の人。アリスの子どもと対になってるのよ」

 カナは母親の眼差しで我が子の頭をなで、小さな体にまとうタオルの襟を整えた。
 スヤスヤと眠るその姿をカナはじっと見ている。
 自らの身よりも大切な物であるかのように。

「そうなんだ。対になってるとは知らなかった」

 ちょっと驚いたアリスもまた小さな赤子を見て微笑んでいる。

「対になっているって言うと?」

 不思議そうに尋ねたマサミ。
 アリスが満足そうな笑みを浮かべて言う。

「私の子の名前はアーサー。カナがそう名付けたのよ。義を受けるならばそれ相応の名前があるって」
「円卓の騎士の伝説。ヒトの世界の物語だそうだな。王都の図書館から本を取り寄せて俺も読んだ。凄い名を付けたものだ」

 ポールもアリスと同じくヒトの赤子を見て微笑んでいる。
 握り締めた小さな手をつまんで笑うイヌの夫婦。

 アーサー王と義で結ばれた12人の円卓の騎士の物語。
 自分の息子は騎士にはなれまい。

 ならば・・・・

「マサミ。あなたとカナの子は私達の子の義兄弟。他の騎士では勤まらない所を守るのよ。剣や槍や銃では傷付けられない所を守る大切な存在なの。今のあなたとカナが私達のそれであるように。あなたの子は私達の子の・・・・宝物」

 幸せそうな姿のアリスにマサミは言葉を失った。
 大きい・・・・
 どんな言葉でもなく、ただ単純に感じる存在としての大きさ。

 母親になると言う事の本質はすなわち、自らに存在価値を生み出せる事への畏怖と憧憬を内包すると言う事・・・・

「アリス様。宝物とは?」

 マサミの問いはもっともだ。

「あなたとカナの存在そのものよ。だって、あなたが帰ってこれるように頑張ろうって思ったもの」

 ニコッと笑ったアリスの笑みが、遠い日に見た自らの母親の笑みにも見えたマサミ。
 自分を大切にしてくれる存在のありがたさを身に沁みて実感する・・・・

「・・・・いずれまたお世話になります。今はまだ後片付けが残っていますので」

 どれ程の言葉を繰り延べるよりも、ぽっと出てくる素直な言葉の方が相手に伝わる事がある。
 飾らない心そのものがマサミの口から出てきた。

「えぇ、待ってるわ。あなたが来てくれるのを待っているから。あなたの家族も来てくれるのを待っているから」

 柔らかな光が螺旋を描いて落ちる暖かな部屋。
 風に揺れるカーテン越しに子供達の笑い声が聞こえる。
 満ち足りた空気が震えるほどの静謐。

 静かな寝息を立てる赤子の手がギュッと握られている。
 まるで、大切な何かを決して手放さないようにするかのように・・・・

「えぇ」

 搾り出すような言葉がマサミの口を突いて出た。
 それ以上の言葉は必要なかった。

 離れて暮らしたところで。幾許かの死線を潜ったところで。
 マサミとアリスの間には太い信頼関係が有った。
 心をゆるせる唯一の存在。それ以上でもそれ以下でもない。

 笑みを浮かべ赤子を見つめるアリスとカナ。
 その眩いまでの姿にマサミとポールは目を細めていた。


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 夕暮れ迫るルカパヤン中央オフィスの会議室。
 新たに選ばれた8人の運営理事が集まり、巨大な地図を広げ討論していた。

 火災旋風ですっかり焼けてしまった街の中央部をどうするか?
 そして、これからの都市計画についての討論。

 生き残ったヒトの中には都市工学などを研究していた者がいた。
 その実力を測る上での貴重なテスト・・・・
 言葉には出さなかったものの、都市再建におけるマサミの意気込みは他の理事を圧倒していた。

「ここは都市火災の延焼を防ぐ意味で防火帯としての大通りにすべきです。そして、都市自体をより大きく広げていくのが・・・・」

 決して都市工学の権威と言うわけではないし、専門家と言うほどでもない。
 だが、少なくともヒトの世界の都市構造についての教育は受けている。
 上下水道の普及や生活インフラへの投資に付いて。
 中長期的視点での都市経営はやはり、その手の基本的教育と資質に大きく依存している。

「街の中心部にある大きな焼け野原は大規模公園として整備しましょう。ここは全体を丘構造にして、次の戦闘の時にはここ自体を一つの要塞化してしまうのが良いでしょう。住居地区と商業地区を街の左右に分けて大通りには馬車を使った路面電車の運行をすれば良いんじゃないでしょうか・・・・」

 街を大きくしていく方針は全ての理事が一致した見解として支持を表明している。
 ただ、それぞれの理事がそれぞれの支持層を使って街のブロック化、都市国家の小規模分裂化を起こしてしまっては意味が無い。
 様々な種族による政治的介入の温床になってしまう危険性がある。

 激闘を経験し生き残った者は一致団結できるから良いだろう。
 だが、次の世代、その次の世代と世代交代を繰り返した時、政治介入の糸口になるような小集団並立の政治体制では危険だ。
 良くも悪くも強力な中央集権体制を作り、全体が一枚岩になってないといけない。

 ヒトよりも遥かに寿命の長い種族たちによる巧妙な策略によって、ヒトが世代を重ねたときにその結束を失ってしまわないように。
 それ故の、都市構造改造計画であり、そしてここを舞台とした堅牢な政治システムの再構築でもあった。

「ライフラインとしては水道だけでなく電力やガス、そして電話線、光ファイバー等が想定されます。現状では水道以外が全くの夢物語ですけどね。共同溝として各通りに最初から用意しておけば、100年1000年単位で先だったとしても必要になった時にすぐに敷設できます。また、各通りをランク分けし、幹線となる大通りには路面電車のスペースを最初から用意した上で片側3車線程度の自動車用道路用地を最初から確保しましょう。ヒトの世界じゃ道路計画で一番大変なのが用地買収ですから」

 現状の地図に書き加えられていく”膨張 ”するルカパヤンの全体像。

「こっちの地域は工業地帯にしましょう。今はまだ工場など作る資金も道具もありませんが、例えば将来、農業用化学肥料の工場や組織的な紙の大量生産などが行われるかもしれません。そして、これはもう一つの将来的目標ですが、この世界に国家間を跨ぐ鉄道網が整備された時、ここに巨大な鉄道の物流拠点を作ります。各国の鉄道貨物をここに一旦引き込んで組成しなおし、違う国に送り出す事によって中間マージンを稼ぎ出せます。広大な用地確保を先々になって行うのは大変です」

 黙って聞いていた理事達。
 だが、真剣に耳を傾けるにふさわしい内容と言うのは皆一様に理解していた。

「最終的にここがヒトの国の首都となる。その為のいわば先行投資。ヒトの国はこの世界で最初の、そしておそらくは最古の民主主義国家になる。決まった王を持たず、定期的な選挙とそして全体の意見集約を図る国家。決まった王を持たぬならば、その象徴はすなわち都市そのもので無ければいけません。まだ見ぬ新しい国とこの街に住むヒトだけでなく、どんな種族でもこの国の国民であると誇りを持てるような街に・・・・」

 大きな地図に一際大きく書き込まれた物。
 将来の鉄道の為でもなく、大きく伸びる幹線道路でもなく。

「ここには空港が出来ます。巨大な旅客機が離着陸出来る羽田並みの巨大空港です。この世界の何処までも遠くへ鋼の翼に乗ってどんな種族でも旅出来るように。最初は小さな翼が空を駆けるでしょう。しかし、やがて必ず大きな飛行機が飛ぶでしょうね。現状、空を飛べる物は翼を持つ種族だけ。地上にいるすべての種族が空を夢見ていますよ。きっとね」

 最終的に書き加えられた地図は現状の市外地図に比べ、面積でおよそ20倍に膨れ上がっていた。
 街の中心部から伸びる放射状の道路とそれらを繋ぐ環状道路。
 市街地を縦横無尽にネットする乗り合いの馬車交通網。
 郊外はそれぞれが住居地や工業地帯、農耕地域に色分けされ、その全てが有機的にネットワークを作っている。

「完成までにおよそ200年。大型の建設機械や汎用工具が無い中ですべて手作業です。ですが、我々が自力でやり遂げなければいけません。他の種族に介入を許せば、それはそこの利権となって後に残ってしまいます」

 満足そうに一息ついて水を飲むヒトの男。
 他の種族の者が居れば言葉を失うか、さもなくば笑い出すような夢物語だろう。

 だが、ヒトは過去幾度もそれをやってきた。
 世代を超えて同じ物を作り続ける事の難しさと素晴らしさの両方を知っていた。

「我々は・・・・ 今、リアルなシムシティをやってるんですよ。本物の街を作ってるんです。ですから・・・・ 夢を描きましょうよ。誰にもどんな種族にも邪魔されない自由な夢を。ヒトの夢をね。夢は大きな方が良い。簡単に実現してしまうんじゃ夢の値打ちも半減ですから。そして、この街の最大の武器は学問になる。大学を作って巨大な研究学園都市にして・・・・」


    コンコン

「誰ですか?」

 唐突にドアをノックされた会議室。
 誰何したマサミの声に聞き覚えのある声が応えた。

「マサミ常務。スロゥチャイム公爵夫妻がお帰りです」
「わかりました。今行きます」

 テーブルに広げられた地図を囲む理事達に一瞥をくれてマサミは部屋を出た。

「マサミさん。アリス様によろしくお伝えください」
「えぇ、承りました。議長」

 慌てて階段を駆け下りるマサミ。
 建物の前ではアリスとポールが再びワイバーンの背に乗っていた。

「マサミ!またね!」
「俺が言えた義理ではないが体に気をつけろよ。食料はキチンと送る」

 ドウ!

 翼竜の御者が手綱をさばいて腹を蹴った。
 ワイバーンの大きな翼が空気を叩いて飛び上がる。

「どうか気を付けて!」
「それは私のセリフよ!早く帰ってらっしゃい」

 上空から再び大きく手を振ったアリスとポール。
 滞在時間にして凡そ12時間少々。

 忙しい時を過ごしたのだが、それでも飛んで帰れると言うのは大きい。

「空港か・・・・・ 確かに必要だな」

 ボソリと呟いてワイバーンが見えなくなるまで見送ったマサミ。
 薄暗い空にシルエットが溶けて消える。

 再び会議室の階段を上がっていくと、そこには熱い論議を重ねるヒトの姿があった。

 まだまだ先は長い。

 自分がここを離れても。
 自分が寿命を向かえ死んでしまっても。
 自分の子孫達が自分の存在を、生きた証を忘れても。

 この世界に確固たる足場を築く為の壮大な計画図を。
 希望の持てる明るい未来のための遠大な計画図を。

 ガチャリ

「行かれましたか?」
「えぇ。さぁ続けましょう」

 バタン

 この日。会議室に灯された明かりが消えたのは、日付の変わった深夜だった。


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 そして数ヶ月。


 冬の日差しが降り注ぐ大通りには、暖かな陽だまりを求める人影が溢れていた。
 落ち着きを取り戻した街並みは早くも新年の祝いへ向けた華やかな空気がチラホラと見え始めている。

 酷い年だった。
 そんな引け目にも似た苦い記憶が、無意識に新しい一年を求めているのかもしれない。

 通りのアチコチからは鼻腔をくすぐる美味そうな匂いが漂う。
 食糧事情もだいぶ改善されてきた。
 もはや餓死者がどうのといった情報が理事会にもたらされる事も無い。

 最初は躓きっぱなしだった総合商社も上手く回り始めている。
 マサミが居なくともスタッフがすべての折衝や打ち合わせをこなしている。
 週に一度の経過報告を聞き、書類に目を通し、そして決済のサインを入れれば済むようになっていた。

 すべては上手く回りつつある。もう自分の手を離れても大丈夫だ。

 ♪・・・・・ we build this city....  ♪we build this city on Rock'n Roll....

 上機嫌に歩けば、鼻歌の一つも自然にこぼれると言うもの。
 そんな呟きを聞いたのか、街を歩いていたマサミに偶然遭遇したユウジは声を掛けた。

「懐かしいな。スターシップの名曲ですね」
「ですね。私達がこの街を作ったんだ。そんな気持ちにさせてくれます」

 唐突な遭遇にちょっと驚いたマサミは、上等なパナマの縁を持ち上げて街を見上げた。
 壮絶な戦闘が行われた中心部の広場はすっかり広くなって公園へとその姿を変えていた。
 新たに建設が始まった建物群が空を目指す木々の様に伸びている。

 半ば崩れた建物を片付けている最中に新たな遺体を収容した・・・・
 そんな話も聞かなくなってきた。

 そう。全てが一段落しつつある。
 ルカパヤンは生まれ変わりつつある。

「もう、大丈夫ですね」
「えぇ」

 それ以上の言葉は必要なかった。
 二人とも言いたい事は分かっている。

「マサミさん。ちょうど良い所で遭遇しました。ここを離れる前に、最後に一つ」
「なんですか?」
「実は、ファーザーから預かっているものがあります。あなた宛です」
「え?」

 訝しがるマサミを連れ、ユウジはあのファーザーと呼ばれた老人が毎日を過ごしていた一室へとやってきた。
 愛用していた車椅子とめがね。テーブルの上にはミニコンポ。
 窓際の小さな花瓶には、名も知らぬ一輪の花が飾られていた。

「ここから先は主義務の範囲です。実は。あの方は未来人でした」
「守秘義務?未来人?」
「えぇ。そうです。誰に聞かれても黙っていてください。あの方は23世紀の人間です」
「・・・・・23世紀・・・・・・ですか?」
「2247年生まれだそうですよ」

 マサミとは視線を交えず一方的にしゃべり続けるユウジは、床の板をメリメリと持ち上げる。
 不思議そうに見るマサミの視線の先。床板の下には隠し金庫が有った。
 ダイヤル錠を回してロックを解除したユウジ。
 分厚い金庫のふたを開けると、そこには細長い包みが入っていた。

「それはなんですか?」
「これはですね・・・・ まぁ、とりあえず」

 包みを解いたユウジ。
 そこにはプラスティック製のエアガンのような銃が入っていた。

 ただ、ミリタリーマニアなマサミの知識の何処を探しても、こんなデザインの銃は無かった。
 ブルパップタイプで全長はおよそ70cm程度。
 グリップは一つしかなく、チャンバーに銃弾を送り込むボルトすらも無かった。

「LBG社製突撃歩兵銃。モデル2288。タイプLV。ファーザーが言われるに、2200年代後半の兵士の標準的な装備の銃だそうです」
「聞いた事の無い社名ですね。LBC?」
「レーザー・ブラスター・ガンの頭文字だそうです」

 俄かには信じられない言葉がポンポンと出てきて流石のマサミも頭が混乱する。
 しかし、ユウジはそんな事を気に掛けず、言葉を連ねていた。

「小型熱核反応炉を持つエネルギーパックを装備し、携帯レベルの高出力荷電粒子砲を実現してどうのこうのと・・・・・」

 包みの中から取り出した見るからにバッテリーと思しき物体を銃の下部に装着する。
 一瞬、僅かな電子音がし、その後にストロボをチャージするような音がした。

「これで撃たれると、魔法防御された鎧ですら1000mの距離で確実に両面を撃ち抜けます。しかも、かなりの大穴が開いて、荷電粒子の塊が通過したところは全部蒸発します。つまり、撃たれた側は即死確定ですね」

 銃をグッと構えたユウジが壁に狙いを定める。
 側面のスライド状スイッチを動かすと、低い声で『セーフティー・オフ』とアナウンスが聞こえた。

 ッギュン!

 どこかSFチックな音が響き、エネルギーの塊が打ち出された先の壁には丸い穴がぽっかりと開いた。

「出力をコントロール出来ますので。至近距離から最大射程4500mまで自在にダメージを与えられます」
「・・・・で、あの、その」
「えぇ。そうです。これはあなたの持ち物です」
「えぇぇ!?」
「あなたもこの街の理事の一人。この街を守るためのリーサルウェポンの一つを管理してください」

 ほれ・・・・
 そう言わんばかりに手渡されたその恐るべき銃火器をマサミは受け取った。
 フォルムの割りに案外軽い作りだった。
 そして、重心が見事に手前に集まっていて、ブルパップスタイルの銃火器特有の取り回しやすさに感心する。
 照準器は簡単なダットサイトになっているようで、つまりそれは閃光で目を焼かれないようにするための装備だろうと思った。

「あの。これは何で先の紛争で使わなかったんですか?」
「・・・・まぁ・・・・ 要するにですね、切り札は最後まで取っておくんですよ」
「そうですか・・・・」
「この世界ではこの銃の動力源を作り出す事が出来ません。今さしているバッテリーパックを含めて3つしかないのです」
「このマガジン・・・・と言うかバッテリでどれ位撃てる物なんですが?」
「上手に撃って大体100発ですね。バッテリー自体は中で化学変化を利用した燃料電池のような構造ですから」
「つまり、寿命がある・・・・と」
「そうです」

 銃をシゲシゲと眺めると、基本的構造は火薬を使った銃火器と変わってない事に気がつく。
 おそらくこれだろうと言うボタンを押し込んでマガジン状のバッテリを引き剥がした。
 乾燥重量でおよそ2kgほどだろうか。

 未来の兵士はこれを抱えて戦争をするのか・・・・

「マサミさん。迂闊に使わないでくださいね。この銃はこの街を守るための・・・・」

 ファーザーから預かった言伝を語っていたユウジがふと気がつく。
 マサミは丁寧に分解し、整備し、そして、元有った場所へ収めた。

「これはここへ置いて行きます。いつか必要になったら取りに来ますよ。ただ・・・・」

 柔らかに笑みを浮かべたマサミは窓の外へと視線をやった。
 復興し栄える街並みは、ほんの半年も遡らなくとも戦果に焼け爛れていた筈だ。
 その全てが元に戻って、そして、さらに発展しつつある。

「いつだったか。そう、アリス公爵とここへ来た時、ファーザーは言われました」
「ほぉ。なんと?」

 マサミはそっと手を伸ばしてミニコンポのスイッチを入れた。
 CDが回りだし、スピーカーから静かなピアノの音が流れ始める。

「1万年を越える人類の歴史をどれ程遡っても、音楽と詩を越えるだけの価値を持つ物を人類は作り出せなかった。どれ程に文明が栄え物が溢れても、人の心を癒せるのは音楽だけであり、人の心を打つのは詩に綴られた言葉だけだった。その二つを支える道具は人が人を殺す為の道具以外で唯一、人類が心血を注いで改良を加えた物だ・・・・と」

 振り返ってユウジを見るマサミ。
 どこかはにかんだ様な笑みがそこにあった。

「ファーザーらしいですね」
「えぇ。そうですね。 だから・・・・」

 マサミの手が両耳を塞ぐ。

「もう銃声はいい。断末魔の声もいい。怨嗟の声にまみれて死んでいく者達の言葉も聞きたくない。戦争はもう要らない」
「それはつまり・・・・」
「いや、もちろん理不尽な扱いには抵抗します。命を狙うものには容赦なく鉄槌を振り下ろします。この街を狙い滅ぼさんとするものには全力で戦いを挑みます。それは今もこれからも変わらない鉄則です。平和を享受したければ戦争に備えよ。常識ですからね」

 両耳を塞ぐ仕草だった手がふと頭から離れた。

「ただ。これからは銃を使わないで平和を維持する方法を探したい。歌と詩を使って平和を実現したい。勿論、それはただの甘えだって分かってます。十分な軍事的戦力をバックにしなければ意味を成さないものだと分かってます。理想を語る事が許されるのは、それに見合う力を持つものだけです。ただ、やっぱり人が死ぬのを見るのはもうウンザリじゃないですか」

 マサミの言葉にユウジは頷く。

「そうですね。その通りだ」
「ですから、いつか。この街で様々な種族を交えてスポーツの祭典でも開催できれば・・・・」
「巨大なスタジアムが要りますね。先に場所を確保しなくちゃいけません」
「いつかここでこの世界最初のオリンピックを開催して。平和裏に各国が相互にもたれあう世界にしてしまいたい」
「道のりは長いですが頑張りましょう」
「えぇ」

 二人並んで眺める窓の外。
 遠くの山並みがその頂に白い帽子を被っていた。
 冬の陽だまりの中を子供達が笑いながら駆けて行った。

「夕暮れへと向かう街並みは良い物ですね」
「例えそれがどんな種族でも、平和の営みとは良い物です」
「ところでユウジさん」
「はい?」
「カモシカの国は何で介入してこなかったんでしょうか?」
「・・・・そう言われてみればそうですね」

 不思議そうに首をかしげるマサミ。ユウジは何かを隠している。
 なぜかは分からないけど、でも、そんな確信があった。
 今のうちにそれを聞いておきたい。
 ジッと見つめるマサミの眼差しにユウジは重い口を開いた。

「実は・・・・ ファーザーはここで死ぬ気だったんですよ。ネコの将軍達を道連れにして」
「と、いうと?」
「チェレンコフ光ってわかりますか?」
「あれですね、高速より早く電子が動くと光るって言う青い光」
「ファーザーはこの部屋にパック詰めの粉末ウランを運び込んでいたんです。そして水溶液をつかって・・・・」
「・・・・昔、その事故が日本でありました。バケツ核弾頭ですね」

 言葉を失って立っているマサミ。
 ユウジは目を閉じてうなだれた首を振った。

「ファーザーは事前に警告していたんです。介入して来たなら取り返しのつかない事態になると。短時間に大量被爆した場合、どんな治療魔法も全く効果を発揮しません。そりゃそうですよ。全身の設計図がすべて一瞬で破壊されてしまうんですから。どんな生物でも細胞は代謝します。それが出来なくなってしまう場合・・・・」
「彼らには呪いと写るでしょうね。もしくは確実に死に至る魔法」

 どこか悲しそうな表情を浮かべたユウジ。
 その理由は言うまでも無かった。

「ですから、ファーザーはそれを警告して、そして実行に移そうとしてました。あの時、ここにシュテンドルフが居たんです。彼だけなんですよ。人間ではなく吸血鬼の特殊な代謝能力をもってして、やっと実用に足る兵器になります。それをここで使おうとしたんですが・・・・・」
「飛び込んできたのはただのコマンドだった」
「えぇ、だから結局使いませんでした。作りかけの物はシュテンドルフが持ち帰って、あの暗い穴倉の奥で保管しています。半減期が非常に長いですから、彼しかアレを管理しきれません」

 搾り出すような言葉が漏れていって、そして途絶えた。
 なにかとても辛い物を思い出したようで、ユウジの表情は苦悶に満ちていた。

「ファーザーは言われました。ヒトがこの街で滅ぶならば、あの水溶液を全部川に捨てようと。この河はネコの国へ流れていきます。大量の放射能を含んだ水が流れて行って、彼らはその水を飲料水として使い、風呂に入り、生活に使う事になる。まとめて大量被爆しますから、そうですね、60日ないし90日で抵抗力の無いものからバタバタ死に始めます。そして、幸か不幸か水に直接触れなかった者も甲状腺などに異常をきたし、確実に癌で死ぬ事になります。ネコが自国の都合で一方的にヒトを滅ぼすならば、道連れにネコを滅ぼしてやる。ファーザーは再三そう警告していたんですよ。まぁ、結果的にそれが今回のルカパヤン平定作戦のネコ側の直接の動機になってしまいましたが」

 長い沈黙。
 溢れ還る静謐に耳が痛い。

「ヒトの手にですら余る代物ですよ。核と言う物は。それを・・・・ この世界で使わなくて良かった」

 どこかホッとしていて、でも、すこし悔しそうで。
 ユウジの目は窓の外へと泳いだ。

「ですね。その通りです。出来るものなら穏便に、無難に、皆が穏やかに済むように」

 マサミの眼差しもまた窓の外へと向かった。
 子供の手を引いて歩く親の影が伸びている。

「どんな種族でも平和に暮らす権利がある。それを脅かすものには断固たる措置を取る。民族の滅亡を招いても尚」

 グッと下唇をかんだユウジ。
 振り返ってマサミを見る。

「あの銃はあなたの持ち物だ。いつかまたこれが必要になったら、今度は自主的に駆けつけてください」
「・・・・分かりました。私の義務と責任を果たしましょう」
「お願いします」

 ユウジが右手を差し出した。
 マサミはその手にがっしりと握手した。

 晩秋を通り越し初冬の釣瓶落としの陽が山並みに掛かり始めている。
 何も言わずにユウジは一礼して部屋を出て行った。
 その背中を見送ったマサミ。

 どこか手の届かないところへと歩み去ってしまうような錯覚を受けて慌てて手を伸ばす。
 だが、音も無く静かにドアは閉まった。
 一人残された室内に、ショパンのピアノの静かな調べが流れていた。

 ルカパヤン戦記 第7部 了

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