猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

きつねものがたり プロローグ

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きつねものがたり 序


 扉を開けると、私の奴隷が床に寝転がっていた。
 仰向けに寝転がっているヨゼフ・ラドヴァーは私の方を見上げると、
「出たか、ご主人」
 楽しそうに言って、にい、と笑う。奴隷を自称するにしては、実に不敵な笑みだ。
 それもそうか、と思う。実際にこいつは私よりずっと強いのだ。
 ヨゼフは分厚いコートの懐から一枚の紙を出し、
「そちらはどうだった? 俺は『歯をよく磨きましょう』だったんだが」
「そんな子供みたいなことを書かれたの……」
「良いじゃねえか。あんたが完治するまで歯の磨き方でも勉強するとするよ」
「そうかもね」
 呆れ混じりにそう言ったが、そうだよ、とヨゼフは笑う。
「あんたの傷はウサギの国でも、ちと長くかかるだろうが。暇で仕方がないからな」
「暇なら来なきゃ良かったんだ。森番を任せるなんてことをせずにな」
 実際、それは本音だった。来なくても良かったのだ。
 ライオンの国からネコの国まで行って治療するほど資金があるわけではない。かと言って他の物価の低い国では治療の技術がほとんどない。そもそもこれだけ重なった傷を治そうとも思えなかった。
 この自称奴隷が言い出さなければ、ネコの国を超えたこんな辺境まで来たいとは思わない。
 しかしこの奴隷は眉根を寄せ、ひどく不機嫌そうになる。
「馬鹿を言うんじゃねえよ」
「誰が馬鹿よ」
「ご主人に決まってるだろうが」
 ふん、と鼻を鳴らす。ご主人と呼ぶ割には扱いが軽すぎる、と思うのは私だけだろうか。
 ヨゼフはコートから一枚の紙を出すと、それを見せるように指で摘み、トントンと叩く。
「ネコの国よりかはずっと格安だし、何より俺が働けるだろうが。見ろよ、これ」
「……何回も聞いたわよ、その言葉は」
「じゃあ納得するまで言うけどな。ここでは俺の肉体労働が許されるんだぜ。奴隷が何ヶ月か働くだけでご主人のお相手が見つかるんだ。これ以上に良い計画があるか? 何も問題なんかないだろうが」
「……そうだとして、私がお相手を探しているという根拠が何処にあるのよ?」
 私は辟易しながらも、いつもの議論を繰り広げる。
 間違いではない。お相手など必要ないのだ。この自称奴隷さえいれば良いとさえ思えるくらいだ。
 そんな思考を見透かしたヨゼフはばっさりと切り捨ててくる。
「何度も言うけどな、俺はただの家族なんだぜ。ペット、愛玩動物、家畜」
「……そんなこと」
「そういうものだ。それに同族の配偶者は悪くないぜ」
「独り身のあんたが言わないでよ、そんなことを」
 私はそっぽを向き、歯噛みする。
 しかし仕方がないこととも言える。ヒトがそんなにいるはずはないのだ。私の場所に来たこと自体が奇跡のような確率だったのだから、もう一人、それも女が来ることなどほとんどありえない。
 それに来られても、資金的な面はもちろん――精神的な面でも、女は困る。特につがいになれる女は。
 ヨゼフは私を睨みつけていたが、ふう、と溜息をつく。
「まあ、こんな話をしても平行線だしな。そもそも治療に来てくれたんだから、俺が文句を言う筋合いでもないか」
 そして紙を仕舞うと、再びウサギからもらった検査報告書を眺める。
「結局、どうだったよ。俺はさっきのと――ああ、それと『爪は適度に切りましょう』とも書かれたな」
「どっちにしても子供っぽいことは変わらないのね……」
「良いじゃねえかよ。それくらいで済んでたんだから」
「……甘く見ないほうが良いですよ?」
 何処かから丁寧な口調の言葉が返ってくる。
 おりょ、とヨゼフが視線を下げ、私も同じ方向へと眼を向ける。
「虫歯などの口内から出る細菌は内臓疾患の危険性を上げます。そうでなくとも健康な歯でないというのはそれだけで健康に害を与えますよ? 爪は皮膚病を知らせてくれる重要な器官ですし、大事にした方が良いと思いますがね」
 ちみっこいくせに、かなり怖いことを言うウサギだ。
 にこにこと笑うウサギに対抗するように、ヨゼフは不敵な笑みを浮かべる。
「男は太く、短くだからな」
「そうですか。では勝手に早死にしてくださいね?」
「残念ながら、俺はあと二百年は生きる」
「可能な生存よりも短い寿命を早死にと呼ぶんですよ」
 バチバチと火花の飛び散る視線をぶつけ合う二人。
 何しろまあ、ヨゼフはウサギにとっては天敵とも言える思考をしているヒトだから。
 それは暴力が好きだ嫌いだとか、そういう次元にあるものではない。
 種族としての性質そのものへの侮蔑、軽侮だ。
 どちらが正論なのかはともかくとして、ヨゼフの思考がウサギと真っ向から対立するものであることは間違いがない。前提からして真っ向から対立するのだ、彼らは。
 ヨゼフはじろりとウサギを見つめた。
「……で、結局治療費は幾らくらいになるんだ?」
「700セパタくらいですか。検査代も含めて」
「700セパタということは――ああ。貯金を出せば、一ヶ月で済むな」
 普通に言うヨゼフだが、私はその換算に疑問を抱く。
「……ヨゼフ、そんなに貯金を持ってた?」
「商人の真似事もしたんだよ。獅子の国からここまで結構な時間があったし」
「それにしても多くない? 一ヶ月ということは――50セパタで済むということでしょ?」
「結構に悪いこともしたからな」
 にししし、と悪党の笑みを浮かべる。右手でピースサインを作り、実に楽しそうだ。
 ……こういうのを見ていると、自分たちよりよっぽど強いように思えてしまう。
 そういえば、と思い出す。こいつと会ったのは確か冬の森の中だった。
 専用装備もなしにあそこを歩くのは獣人にとっても危険だと言うのに、確か――
「ねえ、ヨゼフ。あの森のことだけれど」
「何だよ、ご主人。森番が恋しくなったか?」
 元から恋しい。旅をする前の生活ほど恋しいものはない。
 しかしそんなことは口に出さず、私は茶化すヨゼフを睨みつける。
「そうじゃなくて、あんたがあの森で歩き回ったって、どれくらいだったっけ?」
「ああ――確か、三日くらいかな。あのときは大変だった」
 ヨゼフは懐かしそうに言った。
「あのときは色んなことがありすぎて、事態も把握できてなかったからな」
「どうやって生き延びたのよ。あんたのあの薄い服で」
「頑張ったとしか言いようがねえな」
「……あの、何の話をしているんですか?」
 ウサギが話に突っ込んでくる。
 ヨゼフは話すのも嫌そうにしていたが、
「良いじゃないの。話してあげなさいよ。私も詳しいところまでは聞いてなかったし」
「……ご主人の言うことなら、しょうがねえな」
 ヨゼフは心底嫌そうにしながらも頷く。
「……詳しい話と言ってもあんまり詳しいことは判らんから、感覚の話だけをするぞ」
「別に良いわよ、それで」
 了承すると、ヨゼフは溜息をつき、話を始めた。
「まず、俺が最初に落ちた場所は――」

 ×××

 既に何処かは判らなかった。
「はっ、はっ、はっ……!」
 荒い息を吐く。ただ走り続けるだけだった。
 全くの森の中だ。それがずっと続いている。もう何キロ走っただろうか。
「はっ、はっ、はっ……!」
 後にヨゼフ・ラドヴァーと名付けられる彼は、ただただ走るばかりだった。
 彼は逃げているのだ。ネコとヤマネコの獣人から。
 何しろ自分を買ったヤマネコを殺したのだから、当然のことと言えるだろう。
 悪い奴ではなかった。こいつなら飼われてもいいかと思った。
(でも、あんなことを言うから、だから――!)
 でも、それでも殺してしまった。ならば逃げなければならない。
「また、また――!」
 それだけではなかった。彼のトラウマは走っている最中に幾度も甦っていた。
 フラッシュバックする映像から逃げるように、彼は無我夢中で走っていた。
「ここでも、ここでも――!」
 何時間ほど走ったのだろう。もう何処だかも判らない。
 しかし森の中でも相当奥深い場所であることは変わらない。
 ネコとライオンが追ってこないのだから、それだけ奥深いのだろう。
 そんなことを考えていたとき、やっと彼の足は痺れを伝えた。
「…………ふう」
 彼はひどい疲労を感じ、樹に寄り掛って座り込む。
 空を見上げると、いつのまにか時刻は昼から夜へと変わっている。
 赤い方の月は天頂に達し、青い方の月は赤い方よりも少しだけ西に傾いていた。基本的には青い方の月が時刻に使われるらしいので、もう深夜は過ぎているということだろう。
 未だフラッシュバックする映像を消すように頭をガリガリと掻く。
「くそ、くそ、くそ!」
 誰でもない何かを罵る。強いて言うならば運命だろう。
 何処かで堪えていた涙を流す。流さなければ、やっていけない。
 言葉にすらならない泣き声を上げながら、彼の意識はゆっくりと落ちていった。
 夢は見なかった。良い夢も悪い夢も。
「ああ――」
 疲れた、とは言わない。言えばきっと、魔素とやらに影響するだろう。
 言葉が魔素に影響するならば、ヒトが影響させることが、出来ないわけはない。
 それでも、言わなくとも疲れる。流石に数時間ほど寝たとは言え、半日は走りっぱなし、一日は歩きっぱなしと言うのは、実にきつい。
 けれど、とヨゼフは頷き、
「痛いよりはマシか」
 そう思う。他のヒトは痛い目にも遭っているのだ。
 自分はそれに遭わないことが出来るのだから、これくらいは大したことではない。
「にしても」
 ここは何処だろう。見上げれば、昨晩より星が綺麗な気がする。
 もしかしたら山を登っているのかもしれない。もしそうなら、万々歳だ。
 山は街からかなり遠くにあったはずだ。流石にここまで探すわけはない。
「逃げ切った、のか?」
 そんなわけはない。
 ぼんやりとする頭を振り、ゆっくりと立ち上がる。
「逃げなきゃ、な」
 少なくとも、隣国のキツネまでは。そこまで行けば、流石にヤマネコもネコもやってこないだろう。
 ネコだって幾ら通り道とは言え、キツネの国まで逃げているとは思わないはずだ。
 そもそもキツネの国は半鎖国状態だと聞く。自分がいることが判っても、探すことは出来ない。
 そこまで計算すると、ヨゼフは空を見上げ、方向を確認する。
「……売られたのが、都市部で助かったな」
 全体的に都市部の方がヒトは売れるらしいし、ネコの国に近い方が都市部になるらしいから、当然と言えば当然かもしれない。
 もしヒトが高級奴隷と言う扱いでなかったら――そう思うと、ある意味ではぞっとする。
「ただ壊されるだけで、終わってたかもな」
 しかし逃げられる。自分が奴隷だろうと何だろうと、苦痛から逃げられる。
 それだけで彼は充分だった。
 どれだけ今は苦痛でも、こちらでの奴隷と言う立場も、それに比べれば構わなかった。
 そうだ。あれに比べれば――。
「いかん、いかん」
 フラッシュバックが再発しそうになり、慌てて頭を振る。
 先程よりも鬱になりながら、痺れる身体に鞭を打つ。
「さっさと国境を超えないとな」
 東のキツネの国へ向かって、緩慢ながら歩き出した。

×××

「……それで、三日目の夜には疲労で身体が動かなくなったというわけだ」
 そんなに面白い話ではなかっただろう。
 要約すれば、悪いことをして、逃げて、そして行き倒れになったと言うだけだ。
 普通の犯罪者の話であり、それがヒトのものだったというだけだ。
「そう――そうだったわね」
「俺からすれば、ご主人との出会いの方が驚きだったぜ」
 アカギツネの美女で俺のご主人こと、アレナ・ラドヴァーにウインクする。
「そもそも、あんな場所にキツネが出歩いてるなんて、思いもしなかったからな」
「――アレナさんは、キツネの国の出身ではないんですか?」
 鬱陶しいウサギだ。しかしご主人は普通に答える。
 彼女や他のキツネも基本的に、イヌとオオカミを除いた他種族の人間に対して好き嫌いがないからな。
 俺が変なだけだとご主人は言うが。
「ライオンの国にはアカギツネの自治区があるのよ。あんまり知られてないけどね」
「自治区――ですか。キツネの国と接しているのに?」
「そこが奇妙なところなんだけどねえ。キツネはトラとは仲が良いけど、ライオンとは仲が悪いから」
 そう言うとご主人は眼を閉じて、ぶつぶつと呟いた。
 呪文だったのだろう、ゆっくりと魔力が展開されるのが判る。
「――おりょ?」
「本当は空間に投影する方が判りやすいんだろうけど、そうするとかなりの魔力を消費するからね」
「視界投影の方が判りやすいんじゃねえか。気分は変な感じがするだろうけどな」
「ああ、そういうことですか――」
 くい、くい、とご主人は指を動かす。
 コンピュータのマウスを動かしているようなものだろう。ご主人も感覚を共有しているらしいし。
「まず、ここがネコの国でしょう? そして左隣がキツネの国」
「その左隣がヤマネコの国で、下がトラの国ですよね」
「そう。で、ヤマネコはネコと仲が良いけれど、トラとキツネとは仲が悪い。キツネはトラとは仲が良いけれど、ネコとヤマネコとは仲が悪い」
 俺は視界投影されていないので、自分でイメージを頭の中に浮かべる。
 視界に扇形のイメージが浮かび、
「アカギツネの里――つまり自治区は、ヤマネコとキツネの友好政策の一つよ」
「ゆうこう、せいさく」
 ウサギが嬉しそうな声を上げる。ウサギは仲良しでいられればそれで良いのだろう。
 まあ、俺もキツネとヤマネコが仲が悪くなることは避けたいが。戦争になると改造された俺も駆り出されるだろうし、ご主人の利益になること以外は出来るだけやりたくない。
「元々はヤマネコの国領だったんだけどね。あんまりアカギツネ――キツネの中でも、最も人口が多い種族の一つなんだけどね――それが、移住しすぎて」
「……移住、というのは?」
「キツネは大戦からイヌが嫌いだから、出来るだけ離れたいって思ったんでしょうね。現在のキツネの人口減少は、そのせいもあるかも」
「……国一つは離れているのに、ですか」
「まあね。最近はネコの国に移住したイヌもいるし」
 先ほどまで嬉しそうな声を上げていたのに、見る影もないほど悄然とした様子のウサギ。
 俺は少しだけ可哀相になり、助け舟を出してやる。
「まあ、それだけじゃないだろう。キツネは基本的に生物の限界を超えやすいし、ネコやトラよりも長命だから生殖本能が低いんじゃないか?」
「まあ、そういうのもあるわね。あと、アカギツネは元々ヤマネコの国領に住んでいたしね」
 私とかは、特にそういう一族だし。
 ご主人がそう続けると、少しだけ持ち直したウサギは訝しげな顔をする。
「どういうことですか? 一族というのは――」
「森番の一族というのがあってね。ヤマネコはキツネは嫌いだけど、アカギツネは嫌いじゃないのよ」
「だから友好政策という名目も、あながち間違いじゃねえな――っと、こんな時間か」
 視界のイメージを切ると、ウサギはゆっくりとご主人に近づいていた。
 大胆不敵なウサギの後頭部をとりあえず指で弾き、ご主人に向かう。
「そろそろ行くぞ、ご主人。遅くても早くても変わらないなら、早い方が良い」
「……そういえば、バイト払いと現金払いが込みでしたね。何処へ行く気ですか?」
「粘土掘りのバイト。俺はヒトだから、ご主人がついていないと行けないじゃないか」
 そう言うと、ウサギもご主人も心配そうな表情をする。
 ウサギの方が先に口を開き、
「あの吹雪の中を、ヒトが堪えられるんですか? 家事手伝いとかの方が、」
「出来るんだよ。あんたが気にすることじゃない」
 ウサギが喋っている途中でばっさりと切り捨てる。
 ウサギは嫌いなはずの俺を心配そうに見るが、そんな心配は無用だ。
(何しろ俺は、¨改造人間¨だからな)
 そんなことを考えていると、ウサギはふうと溜息をつく。
「まあ、あなたが構わないのなら構いませんけどね」
 そして俺を興味深そうに見つめ、
「案内しますよ。行く途中で逃げないとも判りませんからね」
「逃げるなんてしないが、頼んだ――ほれ、ご主人も早く立て」
 ご主人を立たせるとウサギと一緒に真っ白な部屋を出る。
 病院のような建物の中を眺めながら、俺とご主人はウサギの後についていった。

 ×××

『恐ろしいな、お前らは――愛が、全くない』
 ここに来たヒト奴隷は笑いながら、そんなことを言ったらしい。
 私も学会を辞め、受付をやるようになってから随分と経つが、こんなことを言われるのは絶対に初めてだと思う。
 ヒト奴隷はもちろん、他種族の人間だってそんなことは言わないだろう。
 まさかそれが本当だとは思っていなかった。
『ああ、言ったけど。それがどうかしたのか?』
 そんな風に普通にされたら、逆に言葉がなくなるのは仕方がないことだろう。
 私はひどく鬱々としながら、ぼそぼそと呟く。
「恐ろしい、とか。愛が全くない、とか」
 ウサギに言う言葉じゃないだろう。そんな物騒な言葉は。
 臆病とか言われたことはあっても、そんなことは言われたことがない。いや、別に言われたいわけじゃないが。
 私は何となく悔しく思いながらも、ついてくるヒト奴隷とキツネの女性の方を見た。
「だって一週間で終わるんでしょう。残った二週間はどうすれば良いのよ?」
「まあ治療が終わったときのことは、そのとき考えれば良いんじゃないか?」
「そう言われればそうだけどね――と。そういえば、受付さん」
 ちょうど眺めていたそのとき、キツネの女性が私に微笑みかけてきた。
「何でしょう?」
「あなたは私たちの担当になったのよね? 良かったら名前を聞きたいんだけど」
 どうしようか、考える。考えて、そして口を開く。
「……アイシェ・ポースです」
 躊躇いながらも名前を告げた。この二人が学会のことを知っているとは思えなかったからだ。
 キツネの女性がよっぽど博識か、専門的な魔法使いであればともかく。
「アイシェ・ポース――うん、良い名前ね」
 キツネの女性はふふ、と微笑む。
「そうかぁ? 何だか語呂が合ってない気がするけどな」
 ……こっちはまた、随分と鬱になるようなことを言ってくれる。
 ヒトのくせに、と思う。何故こうも飄々としているのだろうか。
 自分が売り払うことだって出来るのに。ウサギだからと舐められている?
「いや――――」
 自分から楽しそうにご主人と呼んでいる女性にすら、ずばずばとものを言うヒトだ。誰にでもこうだと見て、間違いないだろう。
 私が頭を振っていると、ヒトは声をかけてきた。
「なあ。あんたは俺たちの担当になったんだよな?」
「まあ――そうですね、はい」
「なら俺はバイトの方の先輩に聞くから、ご主人の相手をしてやってくれないか?」
 先輩、だと。そんなものを聞けるだけの余力が残っているだろうか。
 もし残っていたとしても、答えるだけの余力が相手に残っていないだろう。
 まあ役得だと内心で暗い笑みを浮かべながら、頷く。
「構いませんよ。何なら今からでも――」
 しかしキツネの女性は焦ったように話へと割り込んでくる。
「ちょ、ちょっと待ってよ。相手って、¨あれ¨でしょう? あの、その……」
「別に良いじゃねえか。どうせ操を誓った相手もいないわけだし。俺は気にしないぜ」
 ヒトはげらげらと下品に笑う。
 ……こういうときはたとえそういう対象として見ていなくとも、こういうときは独占欲を見せるものではないだろうか。
 男として何処かが壊れているのだろうか、とさえ思う。
「普通に観光するよりはずっとウサギのことが判るだろうが。一石二鳥と思った方が良いぜ」
「でも――私は、その。そういうことをしに来たわけじゃないし――」
「つまらない観光をするくらいなら、そういうのも悪くないだろうが。女同士に嫉妬するほど俺も度量が狭くないぜ」
 判っていてやっているのか――やっぱり、よく判らないヒトだ。
 しかし、そこでヒトは私を見つめてくる。見つめると言うより睨みつけるの方が正しいかもしれない。
「ウサギにこんなことを言うのもどうかと思うけどな――泣かせるんじゃねえぞ?」
「……は?」
 私が聞き返すと、ヒトは猛禽のように鋭い目つきで私を睨みつけた。
「ご主人を泣かしたら、ウサギの国ごと潰す――よく覚えておけよ」
 私はその眼つきにびしりと固まってしまった。
 しかしそれも無理はないと思う。どちらが恐ろしいと言うのだろう?
 獣人とは言え臆病なウサギと、奴隷のはずなのにとても強靭な意志を持つヒトの、どちらが恐ろしいと言うのだろうか?
 出来る出来ないではない。絶対にやると、その鋭い眼は言っていた。
 私が固まっていると、キツネの女性は呆れたような困ったような表情をして、ヒトを宥める。
「ちょっとちょっと――ヨゼフが連れてきたのに、何を言ってるのよ」
「いいや、これだけは言わせてもらうぜ」
 そう言うと、ヒトはひどく真剣な目つきで私を睨みつける。
「俺は、ご主人を愛してるんだ。一ミリでも傷を付けやがったら、承知しないからな」
 それだけ言うと、ヒトはふんと鼻を鳴らし、廊下を先に行ってしまった。
「俺はもう大丈夫だから治療に行ってこい、ご主人」
「い、いや――でも、見張っていないと、駄目なんじゃないの?」
 顔を赤らめている彼女の生真面目さと鈍感さに、私は弱々しい笑みを浮かべる。
「大丈夫ですよ――彼は、あなたを置いて行ったりはしない」
 それは判る。あれほど強靭な意志は、ウサギにはない。
 ああいうものなのだろうかと、私は思う。
 愛とはああいうものなのだろうか? しかし、だとしたら、何と――。
「大丈夫? 顔が真っ青だけど」
「い、いえ――大丈夫です。早く行きましょう」
 私は話しかけられて、慌てて思考を案内へと戻す。
 しかし私の意識にはヨゼフと言うヒトの、遠ざかる背中が焼きついていた。


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