猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

続虎の威11

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続・虎の威 11

 

 苛立ちが募る。
 いつだって酒を飲んで一晩寝れば、大概の嫌なことは忘れられた。喧嘩で誰かに惨敗しても、ここまで嫌な気分になったことなど一度もなかった。
 早朝、カブラは無言で狩りの装備を整える。軽口や喧嘩の絶えない三人であったはずなのに、カアシュもブルックも一言も口を聞かなかった。
 理由は、昨晩のブルックの話である。
 早朝までは帰ってこないと思っていたブルックが、女連れで戻ってくるなり、千宏がハンスと共にテペウの宿にいる事を話したのだ。

「チヒロが、テペウのところに……?」
 信じられないと言うように問い返したカアシュの言葉を、カブラは凍りついたまま聞いていた。何かを言いたかったのは間違いない。だがカブラは声を発することも出来なくて、変わりにカアシュが珍しく怒鳴り散らしていた。
「どういうことだよブルック! なんでチヒロが……だって、あんなに怯えてたじゃねぇか!」
「さぁな。知らねぇよ。テペウがチヒロを連れてって、それで気に入ったか何かしたんだろ」
 そっけなく答えたブルックの言葉を補うように、カキシャが面白がるように言う。
「相当入れ込んでたわよぉ? だって名前で呼んでたもの。あたし、テペウに名前覚えてもらうの結構大変だったんだから」
「名前を――?」
 言って、カブラは目を見開く。
 自分でも驚くような、ひどく静かな声だった。そうよぉ、と笑ったカキシャの唇が色っぽく孤を描く。
「あんただって、テペウが名前を覚えることの意味くらい知ってるでしょ? 言ってる内容は悪い奴みたいだったけど、まぁ元々、テペウは女に優しいから」
 本当に可愛がってもらえるんじゃない? と楽しげに笑い、カキシャはブルックの膝に腰を下ろして尻尾を脚に絡みつかせた。
「冗談じゃねぇ! 取り返しに行こうカブラ! ハンスがついてたって安心なんかできねぇよ! テペウは魔法だって使えるんだ! いざと言う時ハンス一人じゃチヒロのことを守れねぇ!」
「落ち着けカアシュ。実際問題、俺たち三人が束になってかかったところでテペウにゃあかなわねぇ。テペウは『取り返しにきたって返す気はねぇ』って言ってんだ。テペウが千宏をどう扱うにせよ、俺たちにはどうにかできる力がねぇ」
「だからって放っておくのかよ!」
 カアシュは叫んでテーブルを拳に叩きつけた。
「それでチヒロに何かあったらどうすんだよ。お前らそれで平気なのかよ! 俺たち友達だったじゃねぇか! 護衛をやめたらそれっきりって――そんなの、まるでネコじゃねぇか!」
「カアシュ!」
 叫んだカアシュを、カブラは鋭く一喝する。
 しかしカアシュは引き下がらず、鋭い眼光でカブラを睨んだ。
「俺は間違ってねぇぞカブラ。絶対にだ」
「いいやお前は間違ってる。いいか。テペウが名前を覚えるってのはな、そんなに簡単なことじゃねぇ。テペウはチヒロに敬意を持って接するだろうよ。そんでチヒロがテペウの所にいるってんなら、心配する必要は皆無だ。そうだろうブルック」
 ブルックは肩を竦める。
「だろうと俺は思うがな」
「だけど――!」
「俺たちじゃ釣り合わねぇって。そういうことだカアシュ」
 言い放たれたカブラの言葉に、カアシュは目を丸くする。
「間抜けだよなぁ……俺達なんざいなくても、チヒロはなんの問題もねぇんだよ。なのに俺は守ってやってる気になってよ……」
 おだてられて、その気になって、千宏には自分達しかいないのだと、くだらない情熱を燃やしていたのが酷く馬鹿馬鹿しく思えた。
 千宏は自力でハンスを手に入れた。ごめん、と。謝罪一つでカブラ達の護衛を捨て、今はテペウの元にいると言う。
「心配するのもおこがましいって話じゃねぇか! テペウか……っは! そりゃあそうだよな! チヒロはアカブが家族と認めた女だ。最初っからそうだったじゃねぇか。あいつは俺達なんかよりよっぽど上等な存在だよ。そうだろうブルック!」
「ああ……そうかもしれねぇな」
 自分達はアカブに叩きのめされて、チヒロの前に膝を折った。そうとも、最初からそうだったのだ。守ってやっているのではない。守らせていただいている立場だったのだ。
「もういい……たくさんだよ。こんなに惨めな気分は初めてだ」
 たくさんだ、ともう一度繰り返し、カブラは目頭を覆って沈黙した。

 昨晩の大雨が嘘のような快晴であった。
 しかし森の地面はぬかるんで泥となり、増水した川が行く手を阻む。視界は霧に霞んで悪く、湿った空気は草の臭いばかりを運んで獣の痕跡をかき消していた。
 カブラは忌々しげに舌打ちする。
 ともかく拠点を作らねば話にならないが、いつも拠点としている場所は川の底に沈んでいた。
「ついてねぇな」
 呟いたカブラの肩を、ブルックが軽く叩く。
 振り向くと、ブルックが少し先にある潅木の奥を指差した。一際目立つ木の枝に、明るい色の布が縛ってある。
「――拠点か?」
「増水した川にびびって拠点を捨てて避難したんだろう。まずいな」
 ああ、とカブラは舌打ちする。
 先日森に入ったとき、この辺りに拠点を構えていたのはカブラ達だけだった。去年の狩りの時も、この辺りに拠点を構えていたパーティーはいない。
 ということは、今期から新しく、この場に拠点を据えたパーティーが放棄した拠点である可能性が高かった。熟練のハンターが気まぐれに拠点を変えたのか、若いハンターの初陣かは分からない。だがもし後者だとしたら、非常にまずい。
「放置トラップか……見つけられるか?」
「難しいな。素人はやることに法則性が無い。しかも下手に隠匿技術だけ高い場合もあるからな」
 そもそも、罠を張って獲物を捕らえるトラの狩りは、縄張りが非常に重要だった。普通、数日以内に拠点を敷いた痕跡がある場所には、後続のパーティーは拠点を置かない。でなければお互いの罠でお互いの命を危険に晒すことになるからだ。
 そういったルールを知らないことから考えて、まず素人の仕業だろう。
「しかも霧で視界が悪い。霧が晴れて地面が乾くまでこの付近には近づかない方がいいだろうな」
 言って、ブルックは周囲を見渡す。
「他の場所に拠点を張ろう。俺が先頭を歩く。カアシュは真ん中を歩け」
 言って、ブルックはカアシュに振り返った。
 カアシュの脚の防具は装甲が薄い。その上擦り切れて革も薄くなっているため、仮に狩猟用のトラップにかかった時にカアシュの防具では耐えられない可能性が高かった。
 それにカアシュは三人の中で医療を主に担当している。医者に怪我をされるのが最も厄介であった。
 カブラ達がいつも拠点としている場所はいくつかある。二つ目の拠点はここから近く、一日に二つの拠点を行き来する事も少なくない。先日森に入った時もそうである。
「なあ、遠回りしてかねぇか」
 荷物を担いで歩き出したブルックとカブラを、不意にカアシュは呼び止めた。
「……なんだいきなり」
 不機嫌そうに訊ねたカブラに、カアシュは濁流を指差す。
「俺達の張ってた拠点から、放置された拠点の距離が近すぎる。それに昨日は大雨だったから、拠点を張ったとしたら三日前。俺達が森をでた直後だ」
 そういやぁ、とブルックが顎を撫でる。
「まあ、妙っちゃ妙だな」
 しかしカブラは笑い飛ばした。
「おい、この森にいくつのパーティーが出入りしてると思ってんだ? 同じ拠点を、複数のパーティーが順繰り使う事くらい珍しい話じゃねぇ。それに俺達が拠点を置いてたのは素人目にもいい場所だ。別に妙な話なんかねぇだろう」
 それも確かにそうであった。
 しかも森に入りたての素人は、暗黙のルールとは逆に、最近他人が拠点を張った場所にわざわざ拠点を置く事も少なくない。一日差で偶然近い場所に拠点を置いたからと言って、取り立てて妙な話では決して無い。
「けど……」
「うるせぇな! ネズミかてめぇは! 細けぇこと気にしすぎなんだようざってぇな!」
 かっとなって怒鳴りつけると、カアシュも牙を剥いてカブラを睨む。
「なんだとてめぇ……! そもそもカブラが細かい事を気にしなさすぎなんだよ! ウシかてめぇは! てめぇがそんな大雑把な性格だからいつも俺達は生傷がたえねぇんだよ! 力以外にも頭使えこの筋力馬鹿!」
「いいやがったなこの野郎……! イヌ並みのチビのくせに偉そうに! てめぇ一人じゃなんにもできねぇくせにデカい口叩いてんじゃねぇ!」
「ああすぐそうやって体格を引き合いに出すんだよなお前は! それ以外に自慢できるもん一個もねぇもんな! デカくて力が強いだけのトラなんざその辺にゴロゴロしてるんだよ! トラップも組めねぇ医学の知識も全くねぇお前こそ、偉そうな口叩くんじゃねぇ!」
「いい加減にしろ二人とも! 早いとこ移動して拠点張らねぇと日が暮れちまうぞ! 太陽の位置を見ろ! もうじき正午だ!」
 怒鳴ったブルックの言葉を無視し、カブラはカアシュの喉首を締め上げると、力任せに木の幹へ叩き付けた。
「そうともよ。俺にゃあ力と体格しかねぇ。だがお前にこれは死んでも手にはいらねぇぞクソチビ。十年も本を読みあさりゃあ、知識なんざいくらでも手に入る。だがてめぇは百年先も二百年先も貧相なチビのまんまだ」
「カブラ! いい加減にしろ! カアシュの言ってる事が正しい! 大事を取って迂回すべきだ!」
「ああそうだな。臆病なチビのネコ野郎が側にいたんじゃ、そうするしかねぇもんな!」
 顔色を失って絶句したカシュを泥の中へと放り捨て、カブラは忌々しげにツバを吐いた。
 そのカブラの首元を、今度はブルックが締め上げる。
「カアシュに謝れ」
「っは……冗談だろう」
「カブラ!」
「もういい!」
 ブルックの怒声を遮るように、叫んだのはカアシュだった。
 泥で汚れた顔をぬぐって、カアシュはのろのろと立ち上がる。
「カブラの考えはよくわかった。俺は抜ける」
「カアシュ! おいまてよ!」
 引き止めたブルックを振り払い、カアシュはカブラを睨み付けた。
「カブラの言うとおり、俺はチビで臆病だ。俺よりでかくて力もあって、優秀な医者なんて腐るほどいる! 俺はどう努力したってそういう奴にはなれねぇさ! 一生どこまでいったってチビのまんまだ! だけど俺だってトラだ。俺にだって誇りがある」
「誇りだぁ? っは! 欠片ほどの勇気もねぇ癖に、口だけは一人前だな」
「てめぇにはその勇気があんのかよ。テペウが怖くてチヒロを取り返しに行く勇気もねぇくせに」
 雄叫びを上げて、カブラはカアシュに殴りかかった。正面から顔面に拳をくらい、カアシュは再び泥の中に倒れ伏す。
「ああ分かったぜ! お前が今まで俺みたいなチビと一緒にいた理由がよ! 俺がお前より弱いからだ! 喧嘩で必ず勝てる相手だから、てめぇは俺をパーティーに入れたんだろう! 違うか!」
「馬鹿にするんじゃねぇ! 誰がそんなつまんねぇ理由で仲間になんかするか! 哀れだと思ったんだよ! てめぇみてぇなチビがよ! けなげにハンターなんざやってんだ! あんまり惨めで泣けてきたから誘ってやったんだ!」
「大きなお世話なんだよ! 俺はお前なんかと組まなくたって、他の種族と組めばそれで十分だった! てめぇといた百年の方が、俺にとっちゃよっぽど惨めだったんだよ!」
 叫んで、カアシュもカブラに殴りかかる。しかしやすやすと殴り返され木に激突し、カアシュは血を吐き出した。
 最早ブルックには手がつけられなかった。
 殴りあいながら二人は地面を転がり、潅木をなぎ倒し、猛獣のごとく暴れまわって止まらない。
 気がつくと二人は川に沈んだ拠点を離れ、第二拠点へと向かう細い道で殴り合っていた。打ち払われた木々が長く続き、むき出しのぬかるんだ地面が細く延びている。
 その道の真ん中で、カブラは頭上にカアシュの首を掲げるようにして怒鳴った。カアシュの足は地を離れ、完全に浮いている。
「抜けるってんなら勝手にしやがれ! てめぇのケツ持つのもこれで最後だと思うとせいせいするぜ!」
「ふざけんなよ……! てめぇにケツなんざ持ってもらった記憶これっぱかしもねぇんだよ!」
 すでに血まみれのカアシュに対して、カブラは僅かに口を切った程度でほとんど無傷であった。それほどに、カアシュはトラとしては弱い。
 それでもカアシュを仲間にした理由を、カブラは忘れた事など一度も無かった。
 まだ若く、森のこともろくに知らなかった百年前に、カブラは森でカアシュと出合った。即席のパーティーの一員同士としてである。
 カブラのミスでカアシュと共々崖に落ち、カブラは脚を致命的に負傷した。それこそ、完全に一人では立てない程に重症だったのだ。
 カアシュは一言もカブラを責めなかった。「俺もよくヘマするから」と陽気に笑い、歩けないカブラに肩を貸して延々五日も共に歩いてくれた。
 だが、カアシュはハンターの中では笑いものだった。雑用として連れて行く以外の価値は無いとさえ公言された。小さく弱いと言う事は、トラの中ではそれほどに致命的なことなのだ。
 カブラはカアシュの首を捕らえた手に力を込める。この手を放せば、それで終わりだ。
 そして、カラブはカアシュの体を荒々しく地面へと放り出した。ぬかるみへと叩きつけられ、カアシュは低く呻いて這うように起き上がる。
 ふらふらとよろけるカアシュに背を向けようとし――カブラは愕然として振り返った。カアシュの足元で今、何か――。
「よせカアシュ! 動くな!」
 叫んだ瞬間、鋭い金属音が森に響いた。血飛沫に一拍遅れて、カアシュの絶叫が木々を揺るがす。
 金属の牙がぬかるみから飛び出し、脚の装甲を砕いてカアシュの脚に深々と食い込んでいた。猛獣を捕らえるのに使う罠である。だが何故、明らかに人が行き来するだろうことが見て取れる“道”の真ん中に――。
 不意に、火薬の臭いが鼻を掠めた。金属の牙で獲物を捕らえ、後に爆薬で脚を破壊する罠が存在する事を、知らない二人ではない。カブラとカアシュは愕然と視線を交わし、叫んだのは同時だった。
「カアシュ!」
「来るなカブラ! おまえも巻き込まれる!」
 瞬間、爆音が轟いた。泥が飛び散り、つぶてのように飛んでくる。顔にへばりついた泥を拭おうとして、カブラは凍りついた。
 これは――この色の塊は――。
肉片では、ないのか。
 カブラはよろめいて後退し、異変を察したブルックが駆けて来る。
「カアシュ! 何があったカブラ! おいカアシュ!」
 もうもうと立ち込める煙の中に飛び込んで、ブルックは繰り返しカアシュの名を呼んだ。
 気がついてみれば周囲には、いくつもの罠がある。
 どうして――。
 カブラは膝をついた。
 ブルックに助け起こされたカアシュの左足が――無い。
「手を貸せカブラ! 街に運ぶぞ!」
 叫んで、ブルックはカアシュの足の付け根をきつく縛った。
 それをただ呆然と眺めるばかりで、カブラは指一本動かせない。
「カブラ! ぼさっとするんじゃねぇ! てめぇなんのためにそんな図体してんだ!」
 怒鳴りつけられ、はっとする。
 カブラは立ち上がるなりカアシュを一人で担ぎ上げ、ブルックの先導に従って走り出した。トラップの有無を判断する目は、ブルックが最も秀でている。
「トラ狩りだ――ちくしょう!」
 ブルックが忌々しげに罵った。
 トラを殺して許可証を奪い、なりすましに利用する遺跡荒らしは少なくない。
 しかしトラと正面からやりあっても返り討ちにされる可能性が非常に高いため、犯罪者達はトラを殺すために様々な策を弄した。
 増水した川に沈んだ拠点。その側にわざとらしく設置された、うち捨てられた真新しい拠点。
 その状態にあれば、誰だろうと第二の拠点を目指すだろう。カブラ達は先日から第二の拠点と第一の拠点を行き来しており、その道筋を第三者が知ろうと思えばいくらでも調べられる。
 そこに罠を仕掛けるのは容易かった。
 気付くべきだった。狙われていると。気付けるはずだった。事実、カアシュは気がついていた。
「カアシュ、死ぬな……! 死ぬなよ……頼むから……!」
 頼むから、とカブラは何度も繰り返した。
 ここから街まで、全力で走れば半日もかからない。そうすれば森の入り口で、待機している医師隊の治療が受けられる。
「ちくしょう、ちくしょう……!」
 走っている間にも、ぐちゃぐちゃに崩れたカアシュの脚の断面からは、絶え間なく血液が流れ落ちて行く。
「よし抜けたぞ! ここからは大丈夫だ!」
 ブルックが言った瞬間、カブラは一層速く森を駆けた。先ほどまで前を走っていたブルックが、もう遥か後方を走っている。
 絶対に助ける。絶対に。
 カブラは大量の血液を失って冷たくなっていくカアシュの体に怯えながら、祈りのようにそう繰り返した。

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