猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

太陽と月と星20

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太陽と月と星がある 第二十話

 

「ただいま帰りました。…チェル?」
 冬服が心底欲しい今日この頃、買い物から帰ると、なにやら楽しげな声。
 散かった玄関を片付け、荷物を抱えなおし居間を覗くと可愛らしい耳と尻尾の小さな女の子と目が合いました。
言うまでも無くチェルですが、家の中だというのに頬を赤くしふわふわの髪の毛がはねています。
「おかえりーあのねぇ」
 てててっと、細い尻尾を宙に浮かせ駆け寄ってくる姿は、毎日見てもあきません。
 かわいいなぁ……思わず頬を緩ませていると、首筋に変な感触と共に生暖かい息が吹きかけられました。
「食事にします?お風呂にします?それとも、ワ・タ・シ?」

 ……キモイ。
 
「あー…ジャックさん。お久しぶりです。おかえりなさい」
「え、何その反応。なんでそんな殺伐としてんの、オレ泣いちゃうよ?…せっかくお土産買ってきたのに」
 いきなり床にのの字を書き始めましたが、無視して食材を台所に運び込み片します。
 んー……通る所でしゃがまれると邪魔です。
 てこでもどきそうに無いから、迂回しよう……。
 チェルが出しっぱなしにしたお菓子も戸棚に仕舞い、特売の瓶詰めを一まとめにして片して。
 青物、高いし。キツネの国からの輸入品て、結構高いんですよね。漬物とか、味噌とか醤油とか。
 節約してるけど、お金無いし…御主人様にねだるわけにもいかないし。
 いえ、ねだるの禁止というわけではありませんが、……そうやってお金を掛けさせたら、私がいる意味がないわけですから。
 私がいた方が、お金がかからなくてお得だって。
 ……あ、
「ジャックさん。言い忘れてたんですけど」
「なになに?感動の再会?」
 パブパブとスリッパを鳴らして駆け寄るジャックさん。
 旅装は埃まみれ泥まみれで妙に煤けた様子で、以前はふんわりしていた毛皮も薄汚れ、なんか生臭い……。
 ああ、なんか夢に見そうです。
「こないだまでのお給料、まだ貰っていないんですけど、いつくれますか?あとお風呂入って下さい。服、出しておきますから」
 ちゃんと冬物出して用意してあるし。
 だからのの字かくのやめてください。邪魔だから。

「港町行ったら、ロリキツネが居てねぇ。袴越しの太腿が細くってねぇえへへへへへへ」
 そういって、生ニンジンをボリボリと齧り終えると口元を拭って肉抜きのシチューをパンで拭って頬張ります。
 チェルは嬉しそうにその挙動をいちいち真似するのが、……可愛いけどやめて欲しいです。
「キツネの国は入れなかったんだけどね!関所で荷物没収されそうになってさあ~このしょっぱいカンジが帰ってきたーってカンジ!」
「いやなら食べなくていいですよ」  
 お皿を片そうと縁を掴むと、慌てた様子で引っ張られました。
「もうーキヨちゃんの テ レ 屋 さ ん ☆」
 久々に聞くと、一層ウザ…いえいえ。
「あとねぇましゅつんったよ。ショタいニャンコとかねぇ、ぼいんぼいんとかねぇ。塩ぽいけどいいよねあそこ。海草美味いし」
 ぼりぼりむしゃむしゃ と、口の端から食べかすをこぼしながらひっきりなしです。
 喋りながら食べるので所々何を言っているのかわかりません。
 あまりの勢いに食欲をなくしたのか、サフは良く動く口をぽかんと眺めたまま動かないし。
「ジャック、あーんっ」
 焼きケールを差し出すチェルに感動の面持ちのジャックさん。
「ちーちゃんやさしいいいいいいオレ大感激ッ後でお小遣いあげるからね!」
「やったぁー!ジャックだーいすきっ」
 御主人様が何というかと思い少し観察しましたが、御主人様はぼんやりとした様子で杯を重ねるだけでまったく手をつけていません。
 なんだか不安になり、自分でも冷めかけのシチューを食べてみましたが、多分いつもと同じ味です。
 しょっぱいのか……ちゃんとレシピ通り作ってるはずなんだけど……。
 御主人様の調子が悪いのか、私の舌がおかしいのか……。
 真剣に考える私とは真逆の、とてつもないハイテンションの二人を見ていると、なんだか頭が痛くなってきました。

「んでぇー南をぐるーっといって、あータコもいいよ。タコも吸盤がこう、きゅううっって」
 チェルを腹に載せ、語り続けるジャックさん。
 立て板に水とはこのことかと、感心するばかりです。
 チェルはお土産の人形に夢中で話を流しているのに気がついているのか、いないのか。
 まぁ、聞かなくていい内容なので、なんら問題ありませんが。
 サフはお土産の変な柄のシャツを枕に、やっぱりお土産の骨付き肉を齧りながらパタパタと尻尾を振りながら寝そべり、ジャックさんに撫でられるままです。
 ちなみにジャックさんの頭は私の膝の上にあります。
 重いです。
 ちなみに肩には御主人様が持たれかかり重いです。
 御主人様が片手でもてあそんでいるのは持っているのはジャックさんからもらった謎の箱です。
 カラフルな包み紙が恐怖を誘います。
 なんか、ああいうのみたことありますよたしか……娼館の前とかで売ってるの。
「カモシカって、マダラ多いって知ってたけど、ホントに多くってさぁーびっくりしたよ。帽子被るとヒトみたいでさ」
 御主人様はやけに眠そうです。
 本格的に冬眠でしょうか。
 しかしアレです。
 眠そうな御主人様も素敵です。美形です。あまりにカッコイイので、直視できないぐらいです。
 もう少し体を寄せてもらえるといい感じなのですが、あいにく私の膝には錘があるので動けません。
 しかしいい感じです。
 体を寄せてゴロゴロふさふさしているサフは暖かいし、チェルはジャックさんのお腹で涎垂らして寝ているし。
 御主人様は優しいし。
 ジャックさんはうすらやかましいですけど。
「所でジャックさん」
「なんだいキヨちゃん」
 黒に見えるような深緑色の瞳はお酒を呑んだせいか、ちょっと潤んでいます。
 まぁ、好き勝手旅行してきたのは間違いないんでしょうけど。
 お風呂入って毛が綺麗になったのでよく見てみれば、少し痩せたような気もします。
 ネコの国は平和なので、国中どこへ行っても概ねどうにかなるそうですが、他の国はそれなりに物騒らしいとか何とか、言われた事があった気がします。
 何か耳が所々はげてるし、薄っすらと怪我とかしてるみたいだし。
 チェルもサフも嬉しそうだし、御主人様の友達だし。
 今日は急すぎて普通のしか用意してなかったわけだし。
「……明日の晩御飯、何が食べたいですか?頑張りますよ」
「キヨちゃん!」
 がばっと体を起こしました拍子に床に落ちたチェルはふにゃふにゃ言いながら目元を擦っています。
 サフが盛大に溜息をついて突っ伏ました。
 御主人様は欠伸をして、私に持たれかかってきます。重いです。
 床、絨毯敷いてありまるので、つっぷしても痛くはありませんけど…このサフやチェルが引っかいて尖った所がちくちくして……。
 ……コタツ欲しい。
 正確に言うと、コタツ用敷布団……アレなら、ちくちくしないし……。
 ていうか、御主人様、尻尾癖悪いです。重いです重いです。
「あのーキヨちゃん、お兄さんの話しきいてる?」
 垂れた耳が目の前でぷらぷらしています。
 ……耳の中も汚れています……お風呂だけじゃ取りきれないのかなぁ……。
「明日、うどんでいいですか?」
「せめてフォークで食べれるものにして!ていうか、ヌカ喜び?オレ歓迎パーティー的なものは?」 
 御主人様の絡み具合が酷いので、なかなか下から抜け出せません。
 御主人様重いです……。 
 ジタバタしているとジャックさんが引っ張り出してくれたので、何とか座りなおします。
 スカートが乱れていたので直すと、舌打ちされました。
 ……って、なんでしなだれかかってくるんですか、御主人様。重いです重いです。
 気がつくと、またもや床に近い位置です。頑張れ、私。
「そういえば、キヨちゃんの分のお土産、キッチンに置いてたんだけど、気がついてた?」
 寝惚けて抱きついてきたチェルを膝の上でモフリながらジャックさんが手招きしてきたので、御主人様ごと何とか近寄ります。
「オミヤゲ?」
 洗ってようやくこざっぱりしたので、触られても不快ではありませんが、頭を撫でるのはどうなんでしょう。
「うん」
 頷くと、石鹸の匂いがほんのり漂い、サフがくしゃみしました。
「ジャック、キヨカの石鹸使うのやめてよ」
「いや、アレ、別に私のってワケじゃ……」
 頂き物で、もったいないし…色がパステルカラーだから御主人様は絶対使わないし、サフは毛皮用のだから違うだけで…その。
 言いかけた私を無視しジャックさんはサフに飛び掛り、チェルごともふもふします。
「ほーらフローラルフローラル」
「わぁぁんっむかつくっおっさんなのに!おっさんなのにー!」
 悶えるサフの姿はかなり面白いのですが、こちらも訊きたいのでなんとかジャックさんを振り向かせます。御主人様、重いです。
「オミヤゲって、私に?」
 長いヒゲが垂れ、鼻がヒクヒクしています。
 ……触りたい。
 手の平でぐっと押したいです。凄いプニプニしてそう。
「……ヒトって、旅のお土産買って配ったりしないの?」
「しますけど」
 てっきり、私の分は無いと思ったんですけど。
 だって、私……ヒトだし。
「なんかねぇーゾウの香辛料屋行ったら調合済みカレー粉ってのがあったんで、もしかしてこ」
 
「尻尾邪魔どいて邪魔邪魔じゃまッ重いッッ!!!」
 

 ***

 
「りぴーとあふたーみー お兄ちゃん」
「お兄ちゃん」
「大好き」
「大好き」
「お兄ちゃん 大好き☆」
「おにいちゃんだいすき」
「何かちょっと棒読みだったり目が死んでるけどささいなことさ。いざゆかんめくるめく兄妹あっやっやめてぇっみみはだめみみはらめぇっっ」
 御主人様がジャックさんを締め上げていますがなんら問題ありません。
 というか、眠いなら無理しないで寝ればいいのにと思うのですが。
 御主人様の行動は謎に満ちています……。
 一方私は包み紙を抱きしめ、妙に凝った字で書かれた説明書の解読に努めます。
 カレーです。
 念願のカレーです。
 これでカレーライスとかカレーパンとかカレーうどんとかカレーコロッケとか出来ちゃうわけです。
 粉なのでちょっと要領違うかもしれませんがなんら問題ありません。
 カレーです。
 包装の上からでもわかるカレー臭です。
 見紛う事なきカレーです。
「……くさい」
 サフが不満そうなので、防水を兼ねて保存用のビンの中にしまう事にします。
 きゅっとフタを締めればにおいません。
 カレーです。
 念願のカレーです。
 仕舞おうとした私を、チェルがキラキラと輝く瞳で見つめています。
「あ、これ、このままじゃ食べられないから、ちょっと我慢してね」
「えー… 」
 物凄く嫌な予感がします。
 チェルはジャム一瓶空にした前科があるので油断できません。
「我慢してね」
「うん!」
 念の為に、踏み台つかっても届かない所に隠しておきましょうか。
 しかし……大の男が台所で戯れるのはやめて欲しいものです。
「キヨちゃぁぁぁんたすけてぇぇぇぇ」
 みちみちみちと締め上げられるジャックさん。
 サフは呆れてお風呂に入りに行ってしまいました。
 御主人様も眠いならやめればいいのにと思うのですが…きっとジャックさんが帰ってきたのが嬉しいんでしょう。
「ほらがっくん、キヨちゃんも喜んでるからやめてぇぇえぇぇ!」
 御主人様がじろりとこちらを見ました。
 半眼です。
「オマエ、食い意地張ってるな」
 今更、何をいってるんだろう。
 無言で見つめ返すと、御主人様は目を逸らし尻尾の拘束を解きました。
 すんすんいいながら私に飛びつくジャックさん。
 ……重い。
「うーんここら辺に肉がいいカンジについたね!あっもしかしてちょっと成長してる!?ウソ!よしもっと育つように狼国秘伝のマッサージ術を駆使して進ぜよう!これはねぇーなんだっけ精霊の加護を取り入れるための祭儀を応用したもので、ボインボインで相手を悩殺して裏切らせないようにするんだって凄いよマジで」
 
 ……台所の床は、居間の床よりも、冷たい。
  
 ジャックさんの重みで潰れる私の視界の隅で、瞳を欝金色に輝かせた御主人様が大きく尻尾を撓らせているのが見えました。
  

 ***

 
 翌日
  
「キヨちゃぁぁあん、寒いよー寒いよーおかしいよね、ここネコの国なのに」
 歩きながらすがり付いてくるジャックさん。
 ジャックさんは私よりも横も縦も長いので、通行の邪魔な事この上ありません。
「あ~キヨちゃんパイ買ってこう。ミニスカ!ミニスカ!アンニャー」
 駆け出すジャックさんの後頭部には、床で寝たせいで変な寝癖がついているのですが気がついていないらしく、跳ねる度にふわふわと上下しています。
 まぁ……この世界の男性はおおむね毛なわけですから、ああいう寝癖が付いている人は少なくありませんが……。
 ……時々、ハサミで切りたくなります。 
 ……バリカンでも構いませんけど。
 虎刈りとか、モヒカンとか。
 結局泊り込んだジャックさんは、昼過ぎになって一度も自宅に戻っていない事と、荷物がすべて宅配されてくる事を私に告げてきたので、
こうやって向かっているのですが、何かと購入したり顔見知りに挨拶をしたりで一向に進みません。
 ……まぁ、一応クリニックの方は掃除していたのであとはジャックさんの居住部分だけだし、そもそも診療は明日からだし、そんなに気にしなくてもいいわけですが。
 
 ぼんやりとお店の前で待っていると、ジャックさんが超ハイテンションでお店から飛び出してきました。
「ちょっと!キヨちゃん聞いたよ!アルバイトの話しあったんだって!?」
 両手に抱えたパイの包みから、ふんわりといい匂いが漂います。
 ここのリンゴパイ、絶品なんですよね。
「何で断っちゃうのさぁぁあーお兄ちゃんミニスカ見たかったよ!接待されたかったよ!」
 そう言って、パイを抱え込みながら悶えるジャックさん。
 ミニスカミニスカと連呼しないでほしいのですが。
 あ、今凄い目で見られました。
 他人のフリ、したいです。
 
 クリニックの裏手に回り、鍵を開けると埃と、ほんの少し篭ったニオイがしました。
「ちゃんと生もの処分しましたよね?私こっち側入ってませんから、関知していませんよ?」
「もっちろーん。防犯はバ……あーれー?ごめん、ちょっとパイ持って」
 不意にジャックさんは真顔になり、私にパイを渡すと耳を半分ほど立ち上げ周囲をきょろきょろと見回しました。
「クリニックの方だけだよね。掃除したの」
「もちろんです。魔法陣崩したら困るって言っていましたよね」
 ジャックさんはそうは見えませんが、ウサギだけあって魔法使いです。
 クリニックやその周りには、防犯防火の魔法陣が張られ、室内は冷房用の魔法陣が設備されている……らしいです。
 私にはサッパリわかりませんが、魔法に敏感なタイプの人はクリニックにはいると気分が悪くなってしまう場合もあるとか。
 御主人様もその一人で、出来れば近寄りたくないと以前漏らしていました。
 近寄りたくないって……ただでさえ、異種族っていう事で敷居高いみたいなのに…… 
 ……本末転倒という気がしますが……いいんでしょうか……。
 それはともかく、ジャックさんは宙に向かって指をくるくるし、首を捻りながら薄暗い室内に足を踏み入れました。
「そこで待ってて」
 意外と真剣な口調で言われたので仕方なく戸口で待っていると、隣の建物から喫茶のマスターが出てきたので軽く挨拶を交わします。
 マスターは、短い毛並みにアッシュグレイに薄く黒い縞の入った渋い中年ネコ男性です。黒エプロン姿がよく似合っています。
 あの喫茶で出している自家製ビスケットはサックリしていて絶品なのです。
 マスターは、最近コタツを新たに購入したことと、猫井のコタツの類似品が出回っているので、全体的にコタツの価格が急落中らしいという話を披露してくれました。
 ……ちょっといい事を聞きました。
 深く聞こうと、色々尋ねている最中、会話を遮る甲高い音……。
 耳を澄ますと室内からドタンバタンという騒がしい物音と、ジャックさんの悲鳴が聞こえ……聞こえない事にします。
 ……マスターについていって、美味しいミルクティーを味わい、常連さんのネコのお年寄り方とコタツトークで盛り上がっていると、ボロッボロになったジャックさんが店内に現れました。
 ドリフみたいな姿にお客さん達とマスターは言葉を失い、目を逸らします。
 ……ネコだなぁ……。
「どうしたんです?」
「……何かねぇ…紳士が……オレの秘蔵本をね……」
 意味不明のことを呟きながらしゃがみ込んでしまったので、仕方なくパイとジャックさんを置いて偵察する事にします。
 
 薄暗い室内をまずどうにかすべく、窓を開け放つと冷たい風が吹き込み、篭った空気が一新されます。
 続いて清掃具入れから箒を取り出し大雑把に床を掃き、散乱した家具や調度品を元の位置に戻し……寝室とかも見たほうがいいんだろうなぁ……。
 恐る恐るノブを回すと、まず乱れたベッドと、散乱したピンクの雑誌が見えました。
 とてもじゃないけど、一ヶ月以上留守にした人の寝室とは思えない乱れっぷりに目を見張り、やや緊張しながら箒を握りなおし、油断なく室内を見渡すと……隅っこでごそごそとしているのは……
 
「ちょっとジャック…兄さん!」
 めそめそしながら紅茶にジャムを入れているジャックさんに詰め寄る私。
「動物居るのに旅行に出かけるって、サイッテーじゃないですか!」
 私の腕の中でふわふわのトトロもどきが小さく暴れるので頭をよしよしして慰めます。
 常連のお年寄り達はトトロもどきを認めると、毛艶がどうとかそれぞれ勝手に批評していますがそれは置いておいて。
「ナニソレ」
 ティーカップにスプーンを突っ込んだジャックさんがきょとんとしているので、私は口を閉じ大人しく抱かれているトトロもどきに目を落としました。
 私も、御主人様が拾ってそれから脱走したトトロもどきがジャックさんの家に住んでいたとは夢にも思いませんでしたが……。
「知らない?」
「知らない」
「……ごめんなさい」
 もふもふが体をこすり付けてきたので遠慮なくもふり、マスターから差し出されたクッキーを半分に割って与えると、トトロもどきは嬉しげな鳴き声を上げました。
「いいけど。オレはあれよ?紳士がめっちゃ寛いでたから」
「意味わかんないです。問題はこの子です。窓も戸も閉まってたのに何で居るんですか」
「……さぁ?つか、知り合い?」
 でっかい顔傷ウサギが首を傾げても可愛くないのですが。
「……まぁ、一応……でも野良みたいですよ。このコ、飼ってないなら、一体どこから?」
 もふもふと体をこすり付けてきたのでぎゅうぎゅうと抱きしめると長い尻尾がくるんと体に巻きつきました。
 これはいい防寒です。ふかふか。
「あー…もしかして天井裏から?隙間あるし、でなきゃ2階からかもねぇ」
「は?」
 そんな忍者じゃあるまいし。
 しかし意外な事にマスターが頷きました。
「確かに、鳥なんか潜り込んだりしますね」
「そういうものですか?」
「そういうものです」
「そうですか」
「え、ごめん。何でそこで納得するの?おかしいよね?」
 ジャックさんがスプーンを振って声高に主張するのを聞き流しつつ、私はマスターの煙突掃除の苦労話に相槌を打ちました。 
 ジャックさんちはビルの1Fですので2Fとの間に空間があります。
 一度天板を外して魔法陣を書き込んでいるのを見せてもらった事があるので、そこがそれなりのスペースを持っているというのはわかります。
 私は頷き、トトロもどきの頭を撫でました。
 つやつやさらさらもふもふです。
 アレからどうしているのか心配でしたが、元気にしていたようでよかった。
 床に降ろすとふわふわした体を擦りつけ、親しげな鳴き声を上げてくれたのを見る限り、この子も私の事を覚えていたようです。
 
 ……もふもふふわふわ。
 
 しゃがんで撫で繰り回していると、マスター達が目を丸くしてこちらを見ていたので、私はこほんと咳払いをして、ジャックさんの服を引っ張りました。
「帰りますよ!すみませんお邪魔しました。後で支払いに来ますので」
「今のいいよーいいでしょーこれ妹!オレの妹!アハハハハいいだろーこれでミニスカナースなんだぞー羨ましいだろー」
 意味不明の事を言っているジャックさんを引っ張り喫茶店を出ると、宅配用の馬車が通りを来るのが見えました。
 
 取り合えず大量の荷物を受け取り、大量の郵便物の仕分けをしている最中もトトロもどきはひょこひょこと足元に纏わり付いて離れません。
 ……和みます。
 ジャックさんは階上の家賃回収と、中々忙しいです。
 一通り分別し終え、寒いので窓を閉め、紅茶を入れる頃になってジャックさんが戻ってきました。
 取り合えず大量の請求書を渡します。
 公共料金や、薬品などの請求書に加えて、旅行先で何をしでかしたのかネコの国以外からも請求書が来ています。
 最初は鼻歌交じりに開封していたのが、だんだんテンションが下がってきました。
 チラリと見えた数字は、まぁ常識の範囲内でしたが、なにせ枚数が枚数です。
 私は虚ろな目になってきたジャックさんを放置し、二ヶ月前のカレンダーを剥がしました。
 そうか…そろそろ年の瀬かぁ……訊く所によると、大晦日は年越しに鐘が鳴らされるそうなので出来ればお蕎麦を用意したい所です。
 それからコタツも。
 年末はどこもお休みになってしまうでしょうから、その前に色々買いだめて置かなくてはいけません。
 私は凍り付いているジャックさんを振り返り、内心溜息をつきました。
 あの様子では、お給料や、前借なんて期待できそうもありません。
 となれば、他で稼ぐしかないわけで。
「あのージャックさん」
「おにーちゃん」
 ……今夜はカレー今夜はカレー…あ、えーと肉なしなら問題ないかな。うん。
「お兄ちゃん、実はアンミャラでバイトしようとしたら反対されてしまって、良かったら口添えお願いできませんか?もちろん、こっちもサボりませんから」
 どうせこちらでやるのは雑用だし、患者さんもほとんど来ないし。
「つーことは、ナースとウェイトレス?」
「そうなりますね」
 どちらも制服なので、私服のことを考えなくていいし。
「こっちではお兄ちゃんで、あっちではお客様?」
「私、外でアルバイトするの初めてなんですが、……楽しそうだと思いませんか?」
 お金が入るっていう事もあるけど、御主人様やジャックさんに助けてもらわなくても出来るって証明したいって、言ったら笑われるだろうから言いませんけど。
 ……お金を貯めたい理由は他にもいっぱいあるし。
「まぁ、ちょっと時間厳しいかもしれないけどねぇ……おきゃくさま…・・・」 
 両手で請求書を握り締めジャックさんは無言で頷き、請求書の角をトントンと叩いて綺麗に重ね……首をかしげたまま動かなくなりました。
 見ればぼたぼたと鼻血を垂らしています。
 旅の疲れが出てきたんでしょうか。
 ちり紙を取り出して鼻に押し込み、ソファーまで誘導して寝かせる間も何かブツブツと呟いています。
 まぁいつもの事だし……。
 濡れタオルを顔上に載せ汚れた部分を拭うとすぐ真っ赤になりました。
「問題は、髪の毛なんですよね。耳見えたら困りますから、結ばなくて済むぐらいの長さに切ってもらえると助かるんですが」
 具体的に言うと肩より上くらいで。
 耳が隠れるならショートでも構いませんが。
 詰め紙が真っ赤になってしまったので新しいのに取替え、指に血がついたので手とタオルを洗いました。
 冷たい水が手に滲みます。
 ……手荒れ、治んないなぁ……。
 
「まだ寝てた方がいいですよ」
 明日からの診療に備えてクリニック内の掃除に励んでいると、赤くなったちり紙を突っ込んだままのジャックさんがうろうろと歩き回り始めました。
 薬品の入った棚を開けアレコレと調合を始めたので私は埃を立てないように箒をしまいました。
 ジャックさんは本職だけあって手際がとてもいいです。
 あっという間にクリーム色の軟膏を作ると、それをビンに移しフタを締め、処方箋を書きます。
「コレ、りっちゃんとこ届けてくれる?終わったら帰っていいから」
 頷いて受け取ると、ジャックさんは安楽椅子までふらふらと歩いて、どっかりと腰掛け目を閉じました。
 ……なんか、変な感じ。
「晩御飯、食べられますか?大丈夫ですか?」
 指で丸を作ったから、大丈夫だと思うのですが……。
 どうしちゃったんだろう。
 私は寝室にトトロもどき用のベッドを作ってから、診療所を後にしました。
 
 *** 
 
 リーィエさんの部屋は、仕事場である工場の一室です。
 こちらでは、落ちモノを扱っているそうで、外は有刺鉄線に危険を示す黄色と黒の標識が目に付きます。
 落ちモノの機械に使われている鉄は、こちらで出来るものより質がいいそうで、使い道がわからないものや使えないものはこちらで分解され、ネジひとつから売られていくそうです。
 いわゆるリサイクル工場……というのが、リーィエさんの説明でしたが……。
 んー…以前通った際、教えられただけなので、中に入るのは初めてです。緊張します。
 柵越しに思いっきり覗いてみれば、そこは下町の工場のような雰囲気で、所々焼き焦げのあるネコ男性が陽気に喋りながら廃材?を分解したり箱詰めしていました。
 思いっきりお仕事中です。
 ……どうしよう。
 
 躊躇っていると、手ぶらのツナギ姿のネコ男性が目の前を通りかかったので、とっさに手を上げて注意を引こうと一歩踏み出した瞬間、
  
 目の前に火花が散りました。
 
 
 ガシガシと顔を擦る私の頭を撫でるリーィエさん。 
 うう…お借りしたタオルが信号機です。
「リー!湯沸いたから、使わしてやんな」
 工場長さんの言葉にリーィエさんが立ち上がり、手を引っ張りました。
「立って、キヨカ」
 私は頷いて立ち上がると、服からボタボタと垂れるカラフルな染料が地面に抽象画を描いています。
 ……一体、誰が予想したでしょうか、アポなしで入ろうとすると警報装置が作動してタライが侵入者に炸裂するなんて。
 ええ、標識をちゃんと見ていなかった私が悪いんです。
 ええ、ちゃんとありました。
 『無断進入禁止』って。
 ……車…じゃなくて、馬車の事だと思ったんです……。
 だって、普通…タライって……。
「しかし、ウサギの魔法は凄い。面白いぐらい光った」
 とても楽しそうなリーィエさんに力なく頷く私。
 カラーボールが炸裂する寸前、付け耳から物凄い光がでました。
 何が何かわかりませんが、そのおかげでタライの直撃は免れたようですが……液体まではどうにもならず、全身が凄い事になっています。
 私はウサギ耳をジャックさんから貰ったわけですから、ジャックさんが前もって何かしていたと考えるのが自然……なんだと思いますが。
 多分、警報装置的な……だと思いますが……。
 …一言、……言って欲しかった……。
 ああ…靴の中までべちゃべちゃします……。
 幸い、警報機の作動と光のおかげで、工場の人全員が見物にやって来て、その中でリーィエさんも含まれていたのでなんとか事情を聞いてもらえ、お風呂も貸してもらえる事になったのですが。
 ……コレが落ちモノ狙いの泥棒とかだと、カラフルな姿のまま警察へ連行されるそうです。
 まぁたしかに、抑制効果は見込めます……。
 幸い、こちらで用意されている特別調合石鹸でならあっさり汚れが落ちるそうなので、それだけが救いです。
 しかしリーィエさんがご機嫌です。
 鼻歌交じりです。
「風呂場ココ。服はココで、この洗剤でないと落ちないので預かる。服は貸す」
 排水溝の前で髪の毛と服の裾を絞る私に細かく説明してくれるリーィエさんのツナギにも染料が点々とついています。
「ごめんなさい。お仕事中なのに。服も、ありがとうございます」
 頭を下げると、髪と耳からぽたぽたと垂れます。
「どうせ暇。納品先が空で、仕事にならない」
「…カラ……」
「王都の連中はコタツに入って、会社に出てこない」
 お風呂場はなんというか、外です。
 囲いがあり脱衣所は小屋なので、いいんですけど…意外としっかりしています。
 結構、こういう事多いんじゃないかとチラリと思いました。
「あ…ごめんなさい。忘れてました。私、コレを届けに来たんです」
 やっぱりドロドロの手提げの中から、何とか中は無事だった軟膏と処方箋を渡すとリーィエさんは少し驚いた表情を浮かべました。
「アレ帰ってきたの」
「昨日はい。診療は明日からですが。診療所にいますよ」
 靴を脱いで逆さにし、靴下も脱いで絞ります。
 ……足跡ついた。
 情けない気持ちが表情に出てしまったのか、リーィエさんは顔を背け、肩を震わせ無言でその場を去りました。
 ……寒いから、早くお風呂に入ろう。
 
 奇妙な匂いのする石鹸で全身とウサミミと尻尾を洗い、躊躇いつつ脱衣所に置かれた服に腕を通すと、かなり気持ちが落ち着いてきました。
 もう一度付け耳の位置を確認して、髪の毛を整えてと。
 身長はリーィエさんの方が高いので、サイズも多少大きめですがそんなにおかしくは無い感じです。
 ちょっとウエスト余りますが……。
 意を決して脱衣所の戸を開けると、リーィエさんが満面の笑顔でした。
「ピッタリ」
「すみません。ちゃんと洗ってお返しします」
 リーィエさんはぷるぷるを首を振ると、満足そうに頷き私の手を引っ張りました。
「せっかくだから、見学」
「いや……あの、」
 促されるまま……靴まで借りて、工場内へ。
 
 工場内では見た事のあるようなものや、まったく見当が付かないものが整然と並べられあるものは箱に詰められ、あるものは山積みになっています。
≪火気厳禁≫
≪魔法禁止≫
≪落ちモノ注意≫
 などという標語のような標識も沢山貼られています。
「こっちこっち」
 手を取られ、引かれるまま中を進んでいくと、扉があり、そこを開くと一段高くなった座敷の上(畳ではない)の上にホワイトボードと……。
「コタツ……」
「企画室」
 ……いや、なんか間違ってます。
 沢山の座布団とかなり大きなコタツ。
 ホワイトボードには「目指せ、ボーナスでマイコタツ!」とデカデカと書かれ、横に落書きがあったり。
 リーィエさんは突っかけを脱ぐと、ぱたぱたと座敷に上がり、私を引っ張りました。
「ちょっと話そう」
 尖った耳をパタパタさせ、瞳は煌いています。
 ……私の負け。
 座布団までお借りしてコタツに足を入れるとじんわりとした温もりが素足に伝わってきました。
 一応お風呂入って温まっていますが、やっぱり暖かさの種類が違います。
「ここで、落ちモノの用途を調べたりする」
 そう言いながら箱を引き寄せ中に納まっていたタイヤのないミニ四駆やリコーダーの真ん中だけや、テレビのリモコンのフタなど様々なものを取り出しました。
「種類を知らずに売ると足元を見られる」
 あーなるほど。
 私が頷くと、リーィエさんは満足気に頷き、ミカンをくれました。
 ……なんでミカンがこんなに普及しているのか謎です。
 ミカン農家の人達が農園ごと落ちたりしたんだろうか。……あ、でもミカンて江戸時代から普及してたんだっけ……。
「コタツはいい。人類の叡智」
 うっとりした口調のリーィエさん。
 普段はキリッとしている野性味たっぷりな彼女もコタツの前ではネコです。
 ……仕事、いいのかなぁ……。
 そう問うと、リーィエさんは悲痛な表情を浮かべ、肩までコタツに潜り込みました。
「コレが終わるまで、練習に行けない。ボーナスも出ない」
 悲痛です。
 私はテーブルの上に散らばった落ちモノを眺めました。よく分からない金属片、ピーラーの刃が無いもの。
 ミカンの白い筋剥きを始めるリーィエさん。……そこに栄養があるのに。
「ゴミにしか見えないのに、売れそうなの探すのムリ」
 ぽつりポツリと語るところによると、なんとこのガラクタの中から、こちらでも量産でき、売れる(売れそうではなく)モノを発見しなくてはいけないとか。
 もちろん、失敗の方が多いので普段の業務が主体でも、それが出来ないと……。
「大変ですね」
 二つ目のミカンを食べながら同情すると、リーィエさんはこっくり頷き、ミカンの薄皮を剥いて口に含みました。
「キヨカ、食べ方が大雑把過ぎる」
「リーィエさん、ちっちゃい子みたいな食べ方ですよね」 
 まぁ、食べ方はそれぞれです。
 私は布巾で手を拭い、ガラクタを手に取りました。
 どれも綺麗に洗われ、磨かれています。
 ……でも、どれも半端なんだよなぁ……。
「もし、見つかったものが大ヒットになったら結構もらえたりするんですか?」
「かなり。魔洸コタツみたいに特許とか」
 金鉱探し……私はちょっと真剣に見つめてみました。
 ……んー…ピーポー君の頭部だけとか、どう考えてもヒット商品にはならないかな……。
「私、結構詳しいんですけど……」
「実は、それを期待してる」
 頬が赤いですよ。リーィエさん。
 私がつつくと照れたようにふにゃっと笑い、更にミカンを勧めて来ました。
「もしヒットしたら、キヨカの取り分ださないとジャックに食われるから、大丈夫。まかせて」
「一応、草食ですよあの人」
 細長い金属片、イヤホン、のびきったカセットテープ、千切れたストラップ、ボタン電池……。
「これ、なんでしょうね。なんか見覚えあるんですけど……」 
 長さ三十センチくらいの細い金属片には何かで溶接していたらしい三本の折れ口。
 刃は磨かれたために一層鋭くなっていて、触れた手が切れそうです。
「それは、機械の部品。多分裁断機の」
 切る……うん、これは違う。もっと、別の。
  
「すけいと…?」
 紙を掲げたリーィエさんとぽかんとした顔の工場の人達。
 工場内部に集まってみれば、ツナギの男性が十人弱と、思ってたより小規模なようです。
「氷の上を滑るのに使うものです。橇の下につけるものと同系統でしょう?」
「……そり」
 後ろの方で橇についての会議が始まってしまいました。
 ……そうです。ここは温暖なネコの国。
 雪は降りますが、あまり積もりません。
 その上、冬は室内に篭るのが基本です。
 私は紙にスケート靴を描き、懸命に説明しましたがみなさんあまりピンと来ないようで……。
 リーィエさんが無言でスパナを握り締まるとよそ見していた黒ネコさんがピシリと姿勢を正しました。
 ……リーィエさん、もしかしていつもそういう事を?とちょっと心配になってきました。
 他の人達はごそごそとコタツに入りつつ、ミカンを配り、ついでにアイスを買いに行くジャンケンまではじまっています……。
「ウソとはいわないが、お嬢さんの勘違いじゃないかにゃ?」
 そういってミカンを剥くキジトラさん。
「尖った靴で踊ったり走ったりだなんて、……さすがウサギニャ」
 ピンクのツナギの黒ネコさんは急須にお湯を注ぎながらうっとりとした口調です。
「そんなので上に乗るのにゃんて……痛きもちいいカンジがいいかもしれないニャ」
「さすがウサギ。えろい」
 赤ネコさんの寝言にぶちネコさんが合いの手を入れ、更に妄想を垂れ流しています。
 ……ああ、今まさにネコは好色という意味が理解できました。
 皆さん下ネタトークです。まるで中学校のようです。
 ……まぁ、努力はしたし。しょうがないか。
「キヨカ、ごめん。後で制裁しとく」
「いえいえ、じゃあ、私そろそろ帰りますね」
 お腹、ミカンでいっぱいだし。
 すまなそうな表情のリーィエさんに笑い、靴を履きます。
 ……やっぱ、ちょっとリーィエさんのだと大きいなぁ……。
「……キヨカ」
 リーィエさんはなおも何か言いたげだったので、私はしばらく考えました。
 えーっと……
「よく考えたら、ローラースケートとあんまり違わないから売れなさそうだし、気にしないで下さい」
 何故か沈黙が落ちました。
「ろうらあすけいと」
 誰かがぼそりと呟き、部屋の中に重い空気が漂います。
「にっくき猫井のアレか!?」
 殺気混じりです。
「アレなぁ……ウチの娘も欲しがってなぁ……」
「朝っぱらからガリガリガリと」
「石畳なもんだからすぐ壊れるくせにぼったくりやがって」
「魔洸ジェット式だぁ?ンにゃもん兵器だろうがふざけやがってこのクソクソクソ」
「おもちゃは誰がやっても遊べるからおもちゃにゃあああ!」
「だが待って欲しいそれだと大人のオモチャの立場が」
「あほかぁぁぁああ!!」
「こら魔法禁止だ!減棒にゃっがあああ!てめやりやがったな!!死ね!死ね!」
 何故か場外乱闘まで始まりました。
 コタツは引っ繰り返り、ミカンが宙を舞っています。
 ……リーィエさんまで……嬉々として参加しています。
 
 …… かえろ。 
 
 ***
 
 帰り道、見知った匂いを嗅ぎつけ近寄ると、向かってくるのに気がついた彼女はその場で立って待ち、目の前で笑ってみせた。
 どういうわけか記憶の何かが喚起され……眼を瞬かせる間にそれはすぐに消え、隣で大きなバッグを抱えた作業着姿の美人がにやりと笑い、軽く肩を叩いて別れの挨拶をしていく。
「じゃーね。リー」
 髪の毛と同色の真っ白な尻尾が宙をくねって近づいた僕の鼻先をくすぐった。
「よぅ」
 それから、何を言うわけでもなく、僕の強めに胸元を叩き恥ずかしげな表情に変る。 
「馬ァ鹿」
 くすくすと笑う彼女にさっき買ったタイヤキをひとつ差し出すと、わかってんじゃねぇかと罵られぽかぽかと叩かれた。
「アンコ苦手なんだよなー」
「知ってるよ」
 そう答えると、きゅっと瞳が窄められむっとしたような表情のまま、タイヤキを半分に千切る。
 零れ落ちるマヨネーズに小さく悲鳴を上げて、慌てて口で受け止めようとする様が可愛イイよなーっと考えて、口の端がニヤニヤしてきた。
 いいだろ。コレ、僕の彼女なんだぜ、と全世界に向けて自慢したい。
「ハムマヨってのにしたんだけど」
「早く言えよ。馬鹿ッ」
 ハムの飛び出た上半分を口に押し込まれ中身の熱さに眼を白黒させると、彼女はけらけらと笑い声を上げる。
「コレ、結構いけんじゃん」
「そうだね」
 火傷した口の中を冷まそうとハァハァと息を荒げるのを面白そうにしているってことは、わかってやったのかなとチラリと考え――まぁ、いいかと思い返す。
 某ウサギ曰く―――男は度量、らしいしね。
 特にネコ相手なら。
「あークソ、ダイエット中だったのに」
 二つ目を頬張りながら悔しげな表情を見ていると、彼女の動きがぴたりと止まった。
 そそっと自分の後ろに回りこみ、身を隠す。
「…なに?」
「オマエのツレ」
 背伸びをして人込みの向こうを見てみれば、よく見覚えのある影が二つ。
「あのウサギ居なくなったんじゃねぇの?」
「いや、昨日まで旅行に行ってただけで……ていうか、そんなに怯える事ないと思うんだけど」
 そういうと、ぐっと睨まれ路地裏に引き込まれた。
「バッカ。ウサギだぞ?油断したら凄い事されるに決まってんだろーがっ」
 身に覚えがないわけでもない訳でもないので曖昧に笑って誤魔化そうとしたら顔を近づけられ、金色の瞳で睨まれる。
「何で笑うんだよ」
「いや、べつに……」
 別に何かされたわけーじゃないらしいのに、ウサギに纏わるただの伝聞で、天下のネコが脅える姿が、面白くて、少し、いとおしい。
「あー…ただし、キヨカ以外、な。アイツは別」
 急に恥ずかしそうになって、長い尻尾を体に絡ませもじもじし始めたので、思わず呆気にとられると、
逆に睨まれ叩かれ外をきょろきょろしてから首根っこを掴まれ大通りに戻りながら早口でだって、とかつまり、とか小さく言い始めた。
「アイツさ、なんか、…ウサギらしくないんだよな。どっちかっていうと、イヌっぽいていうかネコみたいな時もあるし、ネズミみたいだったりとかさ」
 ぎくりとなって、冬空を見上げて言葉を捜す。
 空は薄い雲と褪めた青色をしている。暖かなネコの国は雪が降るのはまだ先だろう。
 今頃、故郷は重い鉛色の空をしているのかな。
「あーうん、僕と同じでこっちの常識とかまだちょっとズレるんだよね。」
 はじめてあった時、包帯に巻かれて、艶の無い長い黒髪と暗い色の瞳で、スラムの子供みたいに痩せ細っていて。
「んでも、ちょっとズレ過ぎじゃねー?」
 ついっと顔を寄せられ、瞳は煌いてピンク色の舌がちろりと唇から覗く。
 ……ちゅーしたい欲望が湧き起こって、周りの事を忘れた瞬間。
「もしかして……キヨカってひにゃあああああっっ!?」
「わわわん!?」
 いきなり顔にしがみ付かれ爪を立てながら頭上に登ろうとする彼女に焦って暴れると、肩をぽんぽんと叩かれ聞きなれた低い声が落ち着けと命令してきた。
「かっしょくっこもえええええー!」
 聞き覚えのある…バカ声。
「ニャァーニャーッニ゙ャー!!」
「ん~ちょっとここんところに贅肉があるねぇーおにいさんが痩身マッサージをしてあげぽッ ぐぁっ あ っ」
 鈍い音から察するに、手の離せない自分の代わりに制裁を下してくれたらしいので素直に感謝する。
「がっくん帰り?」
「ああ」
 頭の上でにゃぁにゃぁと泣いているのを剥がして抱きしめ、黒い変態をゲシゲシと踏みつける。
 一回行き過ぎたはずなのに、なんでここに居るのかわからないけど、ジャックならなんでもありだろう。
「もう警察連れて行こうよ」
「後でキヨカが迎えに行く羽目になるからダメだ」
 ああ、このヘビ真顔で言ってるよ。
 溜息をついて小さく震える彼女を撫でて……ちょっと瞳が恐怖以外の感情で潤んでいるような気がするのは無視して、黒いのを近くのゴミバケツに押し込もうとして揉み合いになり、力負けした。
 首を掴まれ、ズルズルと引きずられる。……早く、身長伸びないかなぁ……。
 仮にもイヌなんだけど、僕。いつになったら力で勝てるようになるんだろ。
「あっはっはフサフサわんわーん」
「ヘンタイッサフを離せッ!もうなんなんだよ!キヨカ見習えッ!」
 ……勇ましくいうのは嬉しいけど、なんでがっくんの後ろから。
「いや、大学の事でちょっと相談乗ってもらったりとかしてるし」
 アレ、なんだろ。この敗北感。
 

 キヨカ・キサラギ
 親族で構成されたキャラバンでイヌの国の辺境を横断中、当時名を馳せていた凶悪な盗賊団に襲撃され彼女以外は皆殺し。
 幼い彼女自身も大怪我をしているところをひっそりと暮らしていた年老いたひとりの……
「ヒトに育てられるなんて事あんの?つーか、何ノラヒト?いんの?そんなの」
 お詫びに買ってもらった緑色のアイスを齧りながらニキは胡散臭そうにジャックを睨んでいる。
 確かにヒトに育てられたってのは、ウソじゃない。
 つーか、それ以外全部ウソじゃんと思ったものの、口を挟まずに置く。
 頭の回るネコのはずなのに、あっさり信じてくれたニキに罪悪感を持たないわけじゃないけど。
「居ますよーノラ。ああいうところなら、自給自足できるからね。シュバルツカッツェなら場所選べばヒトが自分で食べてく事だって」
 がっくんが首を押さえているのでかなり大人しいジャックは、通りすがりのお姉さん方の胸やら尻やらを見ながらそういう。
「そんなわけでぇーキヨちゃんは落ちモノ知識が豊富なんだよ!ヒトに育てられてるからね!その分アレな部分はこうお兄さんが愛とか込めて手取り足取り」
「最後のは余計だ」
 ガスガスとお仕置きされるのを二人して眺め、なんとなく絡めたままの指を離す。
「帰るよ。キヨカに宜しく」
「うん」
 ミントの味がした。
 
 それから何故かさっきの倍増しでジャックを蹴る保護者を止めた。
 
 ***


「ぼくはぽぷらのえだになるー ぽぷらのエダって、アレ?オオカミの呼び名的な?」
 普段は垂れっぱなしの耳が半分ほど立ち、しばらくぴくぴくさせていたジャックがぼんやりした口調で呟いたので、自分も耳を澄ます。
 少し開いたキッチンの窓からは、野菜を煮込む柔らかい匂いと細い歌声。
 残念ながらこの声が聞こえるのはイヌが限界らしく、ウロコ顔は寒さに引き攣った顔のままだ。
 ちょっと優越感。
 彼女が着てから慌てて取り付けた三重の鍵を開けているとぱたぱたという軽い足音が近づいておかえりなさいの二重奏。
 いつも通り纏め髪のキヨカとお土産を期待するチビネズミが出てくると思いきや
「う、ウサギっ娘…もえぇええええええーーー!!!!」
 黒い疾風と化したジャックが廊下でのたうちまわり、その腕の中でマネキンそっくりな事になっているキヨカと目が合った。
「……おかえりなさい」
 乾いた声に思わず姿勢を正して返事をするも、バカの歓喜の声でかき消される。
「ふとももももぉぉーもえーもえーあぁっまさかのまいすいーとしすたーぁ!」
 くんかくんかして頬擦りして悶えてるし……。
「ジャック、キモイ」
「あははははは。なんといわれようとこの手は離さんッ離しはしないぜよーさぁめくるめくかんどぐぉっ」
 がっくんは抱き上げたチビの足をジャックのみぞおちに降ろし、緩んだ腕の隙間からキヨカを引き抜いた。
 チビは足をぐりぐりしてからぴょいっと床に飛び降り、二人から頭をなでられて満足そうだ。
 いや、別に羨ましくなんか……。
「バカゲのくせによだれでてる。きもーい」
 生意気なチビのこめかみをぐりぐりするために追いかけると即座にキヨカの後ろに回りこみあかんべーとしてくるのがムカツク。 
 一方、みぞおちを押さえてジタバタしているジャックを氷点下の瞳で見下ろすキヨカはウサミミをつけたままだ。
 ジャックのせいで髪の毛もぐしゃぐしゃだという事を告げると、慌てて手櫛で直し、上着の裾をちょっと引っ張ってそれからこっちに向き直った。
「服、借りたんですがどうですか?」
 言葉はみんなに向けられたものだけど、目線は一人だけで、それに気がついたとき腹の中にちりっとしたものが走った。
 ほんの、ちょっとだけ。
 黒絹みたいな髪に少し淡い黒のウサミミ、細い首に珍しく襟のない…セーターにえーと確か、ミニボトムとかいう短パン。
 こんなカンジの服をした女の子は結構いるから、珍しくキヨカも流行に沿ったオシャレをしてるってことだろう。
 なんとなく活動的で、普段と雰囲気が違う。
「けっこう、かわいい」
「アリガト」 
 嬉しそうに微笑む顔を見たら動悸が激しくなった。
 ああ、尻尾振りまくってるよ……自分の感情に素直すぎる尻尾をどうにかしたい。
 イヌほど尻尾の動きが感情に直結して無いネコにはいつも笑われるこの特徴が、時々悔しい。
 うんこら叩くなじゃれるなチビ。
「あーもしかして、服のために尻尾付けてんの?と、いう事は!色々服買ったらずっとつけっぱなしにしてくれいたいいたいがっくんそこはらめぇっ」
 キヨカはミシミシと音を立て締められるウサギを見て溜息をつき、ではまだ火つけっぱなしなのでーといってキッチンへ去った。
 細い腰の下でゆれるふわふわな尻尾とそのあとの曲線が妙に……なんか。
 いやほら、普段露出少ないし、ちょっと新鮮なだけだし…あ、僕にはニキがいるし。うん。
「バカシッポっ!」
「だから噛むな掴むなあっ!」

 ***

  
 久しぶりに診療所の扉を開くと、黒づくめだったりピチピチの皮ジャケットだったり、金ネックレスでスーツなネコやイヌが並んでいました。
 
 一斉に視線がこちらに集中し、穴だらけになりそうです。
 みなさん、あまり医者が必要なようには見えません。
 いや、外には見えない病気……水虫とか、内臓系とか……いやでもいくらなんでもこんなに大勢……。
 食中毒にしては切羽詰ってないし。
 うーん…予防注射でもないだろうし。
「……性病…突発的に流行しているんですかね」
 背後で手をワキワキさせていたジャックさんは、私の言葉に首を捻り頭越しに行列を見つめ、そっと元の位置に戻りました。
 さすがに久しぶりの診療とあって、シャツも白衣もキッチリとノリがかかっており、清潔さを醸しだしています。
 深緑の瞳は理知的に輝き、手入れを怠らないふわふわの毛に覆われた体からはコロンを漂わせたジャックさんは、
見るからに医者です!な威厳と親切そうな雰囲気と、職務に忠実そうな真面目で誠実そうな口調でこう囁きました。
「オレ、ちょっと具合が悪いから休診にしようか。そんでもって、お医者さんといけないナースでしっぽりねっとり」
「ぐーでぶちますよ?」
 
 全員、借金取りでした。
 
「やぁーアレだね。ナース服もオーダーメイドだと高いね!もう苦労したよ~だってちょっと眼を離すとすぐにサイズが」
 問診表を挟んだままのボードを耳の付け根に振り下ろすと鈍い音がしました。
 悶えるジャックさんとは対照的にルフイアさん(神経性胃炎)は微動だにせずに、私の顔をまじまじと見つめ、トリートメントの効いた尻尾をパタパタと振っています。
「キヨカさんは、何でも似合いますよ!ピンクも十分似合ってますよ」
「ありがとうございます」
 ……悪気は無いに違いがありません。
 さっきだって、診療再開祝いにドーナッツと花をくれましたし……。
 ルフイアさんは、自分の言葉に照れたように鼻を掻くと不意に真顔になりました。
「しかし、借金取りが扉の向こうにいるとは、落ち着きませんね」
 そう、借金取りの人達はジャックさんが逃げるのを心配しているのか暇なのか、キッチンでおやつをつまみコタツは無いのかと駄々をこねているのです。
 ルフイアさんはイヌだけあって複数人がいるのに気がつき心配してくださったので、事情を打ち明けたのですが……。
「よろしければここをやめて、うちでアルバイトというのはどうですか?編集長には自分が説明しますから!なんなら専属アシスタントとして170年位ボクと一緒に」
 この上なく真摯な眼差しでルフイアさんはそういって、私の手をそっと握りました。
「えー、キヨちゃんいないとお客さんこないからダメェー」
 握られた手の上にガスガスと手刀を落とし、無理やりもぎ離すジャックさん。
 ……まぁ、読みは出来ても、書きはまだイマイチな私に編集のアルバイトって、絶対無理だと思うわけですが。
 ……て、いうか。
「先生、次の患者さんがお待ちですが」 
 
 
 もっちりもふもふなトトロもどきを膝の上であやしながら、私は疲れた首を片手でぐりぐりと揉み解しました。
 トトロもどきもすっかりジャックさんに慣れたらしく、常に互いの距離を測る仲です。そして時々威嚇します。
「フツー…借金取りまで来るって、ないですよね」
「年の瀬やからのう、まぁ、時期が悪かったにゃ」
 ピチピチ皮ジャケさんがペタペタと請求書の束を捲りながらそういえば、黒づくめさんが無言で頷き領収書にサインをしています。
 ジャックさんは、昨日不在だった所へ家賃の催促に行って回収できた分を全て返済に充て、それでも足りず銀行へ。
 ……正直、どうかと思います。
 赤紙が貼られないだけマシでしょうか。
「ほな、失礼させてもらいますにゃ。またのご利用をお待ちしておりますにゃー」
 最後だけ営業スマイルの皮ジャケさんと黒づくめさん。
 大変紳士的ですが、それが怖いんだとジャックさん曰くです。
 あと金ネックレスとイヌの人はいらいらとした様子でジャックさんの帰りを待っていたりするのですが。
 というか、旅の資金が足らないからって、全国展開の街金で借りちゃうってどんだけでしょうか。
 ジャックさん、意外と金銭面ダメダメです。
 私が何とかしなきゃ……取り合えず、経費削減……ナース服、売れないかな。
「ねーちゃんが風呂に行ってくれればすーぐ返せるニャ。ウサギならむしろ大喜びで行くべきニャそんでさっさと利子つけて満額返すべきニャ」
 ぶちぶち言う金ネックレスさんにうんうん頷くイヌさん。
 わりと言っている事が無茶苦茶だと思いましたが、部外者の私は聞こえないフリをする事にします。
 さっきの皮ジャケさんとは違う所らしく、お互い微妙な挨拶を交わしていたのが笑えましたが。
 膝のトトロもどきがおなかをすかせたらしく、盛んにテーブルの上を気にしているので昨日の残りのアップルパイの切れ端を千切ってあげると、
からだの半分位まで口をあけて飲み込み、もぐもぐと咀嚼しています。
 和みます。癒されます。
 何せモフモフのふかふかですから。
 ……もふもふ。
「それで……一体、どれ位お借りしたんですか?」
 膝から目を離し二人に問いかけると、二人は同時に弾かれたように背筋を強張らせました。
 イヌの人はギクシャクと動くと紅茶を啜り、手入れの悪い毛羽立った尻尾をバタバタを振っています。
「にゃーひゃく…ニャニャッここういうのは、本人以外プライバシーに関わるからいえニャイニャッ!つぁああつっひみゃっ」
 何故か金ネックレスさんは慌てた様子で紅茶を飲むと熱かったのか、尻尾を膨らませて大暴れです。
 タオルで拭いてあげると、ひどく決まり悪そうに耳を伏せ、少し潤んだ眼でこちらを見て、それから逸らしました。
「あーニャーそのミニスカは冷えそうだからやめたほうがいいニャ。それにいくらウサギでも、ここはネコの国だという事を忘れない方がいいニャ。でないと裏道とか危ないニャ」
 ……なんなんでしょうか。いきなりいい人です。 
 非常に真摯な言い方に、思わず素直に頷いてしまいました。
「これは仕事着ですから、大丈夫です。外では絶対着ませんから」
 ピンクのナース服とか、ありえません。
「そそうニャ、それがいいニャ!うにゃん、用事を思い出したニャーぽち帰るニャ」 
 いきなり振られたイヌの人、…ぽち…あだ名…でしょうか、は、きょとんとした表情で私と金ネックレスを見比べました。
「けどアニキ今日は追い込みかけて今月中に全額返済させないと、ボーナス出ないって」
「ううううるさいニャ!また来ればいいニャ!じゃ、じゃあ…今度は邪魔にならない時間に来るニャ……えーっと…キヨカちゃん」
 何故か超いい笑顔です。
 直視できないほど超派手シャツに金ネックレスの、見るからにその筋なネコの満面笑顔……。
 ぽち…さんは、困惑したように立ち尽くし、それから頭を下げて狭そうに戸口を潜り、金ネックレスさんはそわそわとした様子のまま出て行きました。
 残った食べ散らかされたおやつとお茶のカップがひどく間抜けに見えます。
 トトロもどきと顔を見合わせましたが、あいにく小動物的にも判断不能だったのか、膝から飛び降りるとぴょこんぴょこんと外へ飛び出していってしまいました。
 
 仕方なくテーブルを片付け、いつでも帰れる準備に取り掛かっていると、ひどく困惑した顔のジャックさんが戻ってきました。
 手に抱えているのは大きな封筒と重要なものを入れるバッグ。 
「キヨちゃん、なんかした?ウシジマ君凄い笑顔だったんだけど」 
「うしじま?」
「ラララ金融のウシジマ君」
 問い返してから、さっきの金ネックレスのネコが白地に黒い模様で、まるでホルスタインのようだった事に思い当たりました。
「よく知りませんけど、今日は用があるので、また来るそうです」
 私が更に詳しく説明すると、ジャックさんはがくりと肩とヒゲを落とし溜息をつき、ごそごそと封筒を開いてチラシやなんか色々取り出しました。
「ちょっとツテ頼ってさぁ、出張診療する事になったんだけど、一緒に来てくれる?」
「わかりました。借金早く返さなきゃいけませんしね。出来るだけ協力します」
 ちゃんと払う気があるのはいいことです。
 どんな事をするのか、わくわくしながら次の説明を待っていると、ジャックさんの目付きがやたらと爛れたものに変化しました。
「なんでキヨちゃんがここにいるのか、ナゾだよね……ホント、人生ってわかんないもんだよね。おかしいよね」
 私はお茶を注ぐと、姿勢を正して椅子に座りました。
 今のは……えーっと……使えないくせに、どうしているのかって意味でしょうか?
 半年以上経って、今更言われても困る気がしなくもありませんが、なにせ寿命も違うからには月日の概念も私とは異なるのでしょう。 
 まぁ、私を働かせても利点はセクハラで訴えない事と、遅刻しないという事だけだから、当然なんですけど。
 私、ヒトだし、医学知識も無いし、魔法だって使えないし、体力も無いし、得意な事も役に立たない事ばっかりだし。
「あれ?もしもーし?ハロー?ないすつぅーみーちゅぅー?」
 指先をクネクネさせるジャックさん。
 意味不明です。
 私が見つめ返すとほっぺたを両脇とも引っ張られました。
 ……痛い。
 しばらくして手が離されたのでヒリヒリする箇所を撫でてたら、顎にそっと手を添えられついっと上向きになり
 
 でぃーぷなちゅーをされました。
 
 ……ここ数日、御主人様調子が悪いのか、私に飽きたのか、触るだけでそれ以上の事はしてないんですよね。
 考えないようにしてたけど、飽きたのかなぁ……やっぱり。
 やはりこう……肉体的訴求力に欠けるというか……ジャックさんの持ってるエロ本のような……迫力というか……。
 御主人様の負担にならないように、自分にかかる分は自分で稼いで、家事とか頑張ったつもりだけど、やっぱり要らないかな。
 完璧に飽きられる前に、もっと役に立つって所アピールしようと思ったんだけど。
 ああ、何というか、この毛の感触が何というか、イヌよりも鼻面が出ていないのでくわれる。と、いうカンジじゃありませんけども。
 イヌよりも短く、ヘビよりは面積のある舌がぺろぺろと唇の内側を舐められている最中、かちりと前歯が当たりました。
 ふ、と微笑む深緑の瞳。このあたりイヌに比べ、精神的余裕を感じます。
 腐った肉の缶詰臭はしませんが、ニンジン臭いです。
 因みに私はニンジンは生では食べない飲まない主義に転向しました。
 口蓋や歯茎を軽く吸い上げ、舌を絡めカプカプと甘噛し、音を立てて唾液を吸われてやっと顔が離れたので、手元にあったマグカップを思いっきり顔に叩きつけました。
 
 カップは割れずジャックさんがよろめいただけだったので、更に椅子を掴み大きく振りかぶり投げつけ……残念、はずれです。
 
「お兄ちゃんが大好きなのに、恥ずかしくって、つい暴れちゃう♪なんというツンデレ、可愛いよツンデレ。笑うと超可愛いよツ・ン・デ・レ☆」 
 奇怪な踊りを行いながら、奇妙な言葉を口走っています。
 ジャックさんの脳味噌はいつでも常夏過ぎて液状です。キモチ悪いです。
 耳から出ないように、この雑巾を詰めておけば少しはマシになるでしょうか。
「やめてぇっ!そんな所にそんなの入らないようっ ダメェっ そんな所さわっちゃらめぇっ」
 
 耳から雑巾を生やしてさめざめと泣くジャックさんを見たら、少し気が晴れた。
 
 ***
 
「そういうわけで、出張診療を行う事になりました。今夜から」
 私の報告に無反応の御主人様。眼が空ろです。美形台無しです。

 鱗も心なしか元気がありません。
 念の為に目の前で手をひらひらさせても無反応です。
 思い切って肩を揺すってみても無反応です。
 尻尾をそっと撫でてみても無反応です。
 寒さの余り、冬眠通り越して凍死状態なのかと思い、いつものように毛布を掛けて湯たんぽを差し入れるとやっと瞼が落ちました。
 微かに聞こえる寝息。
 ……モンスターのボス的風貌の美形がこんな無防備でいいんでしょうか。いや、よくありません。
 例えばです。
 私がウサギで、ジャックさんのような行動を取る事に疑問を微塵も持たなかったらどうなるでしょうか。大変です。
 添い寝とセクハラぐらいはします。
 イヌだったら、とっくに襲っています。
 大変危険です。
 ですが、私はヒトなのでそんな日本なら逮捕されて社会的に抹殺されても当然な……倫理に憚るような事はしません。
 でも一応触るのは、奴隷的に御主人様の事が心配だからです。
 それ以上の意図はありません。下心もありま……た、多少は役得だと思っていますが。
 けして不埒な目的があってしているわけでわなく……ですね。
 ん……微妙に肌の張りもなく、憔悴したようです。
 最近御飯ちゃんと食べていないみたいだし……こういうのって、やっぱりヘビ同士ならわかるかなぁ……。
 勝手に調べた医学書にも、病気のような事は書いていないし、ジャックさんも生返事だし。
 完璧に寝入っているようなので、そっと頬に指をあてるとひんやりとした肌。
 御主人様は髭が生えないようなので、お父さんや先生と違って青くはなら無いし、剃刀やけもしないようです。
 僅かに開いたままの薄い唇は、舌が見えないと本当にヒトと同じように見えます。
 指で触れれは微かに呼吸をしているのがわかり、感触は私よりも少しだけ硬くて……
 私と違って、肌荒れしにくいのかもしれません。
 ……いいなぁ。
 少し押せば微かな呻きが聞こえ、それすら……そのー…なんというか……。
 そこらのモデルなら裸足で逃げる顔の完璧なラインだとか、好みなことこの上ない顎の線だとか……。
 
 幸い、寸前で正気に返る事が出来ました。
 
 けど、しばらく……御主人様の顔をまともに見ることができそうも無い。
 
 ***

 ネコの国、夜の繁華街。
 二つの月が冴え冴えとした光を放つ空の下、白と黒の二人連れ……私とジャックさんです。
 ジャックさんは白衣の上にいつもの黒いロングコート、私は……ジャックさんのが何故か持っていたお洒落な白のコートです。
 とても、暖かです。
 これらは発狂した水着とか暴力的な下着とか危ない制服とかと共に、クローゼットの奥に眠っていたのをお借りしたのですが……
 
 ……深く考えたら、負けだと思ってます。
  
 大通りでは鮮やかなネオンが灯され、それなりに賑やかです。
 仕事帰りと思しき集団が大声で歌ったり、喧嘩したりお店から叩き出されたり、酔っ払いが吐瀉物を撒き散らし、隅では小競り合いに仲裁役が加わった大乱闘。
 角やお店の前には、肌も露わな服装のイヌやネコの女性…と時々男性が客を待ち、黒服がカモを引っ張っています。
 思わずしみじみと眺めていると、袖をくいくいと引っ張られ、見上げればジャックさんが複雑そうな表情で髭を上下させていました。
「キヨちゃん、お兄ちゃんちょっと恥ずかしい」
「ごめんなさい」
 猫民と書かれた黒い看板のお店からは、いい匂いが漂い、入り口では普通の格好のネコ達がたむろし、黒いエプロン姿の店員と話しています。
「アレは、居酒屋だね。最近流行りみたいだよ。値段の割りに御飯も美味しいって、刺身とか」
 お刺身……食べたいです。
 うん、でもカレー今度、食べられるし。
 ジャックさんに手を引かれ……というか、腕を組むというか…というか腕ごと引っ張られ、蹴躓きつつ移動する私。
 おお、大道芸まで始まりました!すごいー!エエ!四本!?
 思わず立ち止まろうとして転げかけ、危うい所で引っ張りあげられ……うん、ちょっと落ち着こう私。
「ナニ、珍しいの?」
「そうですね、こっちでは初めてです」
 ジャックさんは、じゃあしょうがないねぇと呟くとやや速度を落としました。
「今度じっくり見せてあげるから、今日はコレで勘弁してね」
 茶目っ気のある仕草でそう言って、ジャックさんはウィンクした。
 
 どうやら、気を使ってくれた…ようで。
 
 ……気を、使ってくれたようで。
  
 足元の、アスファルトではない転びやすい石畳と、回された腕と、免符罪である付け耳を順繰りにみたら、不意に何か込み上げてきたので、空を見上げた。
 周囲が明るいので、星はあまり見えない。
 首輪も鎖もないから、寒くても肌が金属で冷たくもならない。
 
「所で、出張診療ってどこへ行くんです?」
 ジャックさんはがっちりと回していた腕を放し、長い耳をカリカリと掻きました。
「……なんですか?」 
「普通、そういうのは一番最初に聞くべきだと思うよ」
「以後そうします」
 ジャックさんは微妙に首を斜めにしつつ、近くの屋台で串焼きを買いひとつを私にくれました。
 櫛に刺さったお肉にこってりしたソースが掛かっていて、香ばしいニオイを放っています。
 ジャックさんが持っているのはケールの輪切りやトマトもどきや小さな球体状の…多分野菜の串焼きです。珍しい。
「ウサギ用じゃなくて、ダイエット用だってさ」
「奥が深いですね」
 いただきますを言ってからあつあつのお肉に齧り付くと、熱さに少し火傷しそうになりました。
 ……このフチの焦げ過ぎなカリカリが!こってりソースと脂身の薄くて硬い肉に絡んで苦味とソースの甘み。
 屋台特有の、おうちでは出せない味です。
 えーっと、しょうゆがちょっと焦げてる感じで、あとなんだろ、トマトと、辛口のソースと胡椒かな、コレ。
 御主人様、こういうの好きな気がする。なんとなく。
「悪食ウサギ」
 何がおかしいのか、ジャックさんは串焼きを食べながら一人ブフブフと笑うので、私は指先でジャックさんを突きました。
「だって、ジャック兄さんの妹ですから」
 そう囁くと、ジャックさんはビックリしたように瞬きし、ニヤリと笑いました。
「いいね、その調子だよ。妹よ」   
 
 その後に流しのドーナッツ売りから出来たてドーナツと、閉店間際の果物屋さんの所で切り売りされたメロンもどきとパイナップルもどきを購入し、
半分こにして食べて、お腹がいっぱいです。
 
 そうして到着したのは、えーっと……クラブハウス。
 外装は綺麗な屋敷ですが、中は改装してあり、中では賑やかな音楽が流れ大勢の人達が楽しそうにお酒を飲んだり、舞台の上では歌手が拍手を浴びています。
 ジャックさんは慣れた様子でそのままずんずん進んでいくので、私も慌てて後を追いました。
  
 
 赤コーナァー ブラッディ・レオーナァァ――  
 ぐわんぐわんと反響する喚声に思わずよろめくと首を掴まれずるずると引っ張られ、足元の白い線を越えた瞬間、外部の音が一切遮断されました。
「大丈夫?」
 ぺたりと尻をついたのは、ジャックさんの膝の上……。
『医者:待機中』
 斜め右の柱には、そう書かれた札が貼られ、下には白い線とその内側には複雑な文字がチョークで書き込まれています。
 ジャックさんの防音仕様魔法陣です。
 四方は白い布で仕切られテントのようになり、入口部分だけ半分ほど開かれています。
 斜め上に視線を向ければ、一段高くなった舞台の上にリングが設置され、レフリーを挟んで睨み合う二人の選手。
 観客席では、様々な毛色のネコが大盛り上がりです。
 どうやら、安全を期して医療チームも用意されていますとか、何とか言ったらしく、
 観客や、関係者らしき人達が一斉にこちらに目線を向けたので、なんとなく笑顔を向けてみる私。
 ……思いっきり、眼を逸らされました。
 確かに、簡易ベッドや担架、山のような医療品が準備されているし、ジャックさんは医者だからまったくもって間違いはないんですが……。
 人選に問題があったというか……服装規定を拡大解釈するジャックさんの脳味噌に問題があるというか……。
 前回までここにいた人は急遽旅行に出かけてしまったとかで、仕方なくジャックさんにお鉢が回ってきたそうです。
 普通、休みの時の代理って、予め決めておくような気がするんですけど……。
 いくらなんでも、衝動的過ぎるというか……ジャックさん曰く「だって、ネコだよ?」だそうです。
 でもいくらなんでもいくら急遽借り出す事になり、賃金も安く押さえられるからってジャックさんを選択しなくても……。
 いや、まぁ、借金返済のためには大変ありがたい話だし、そもそもジャックさんが一体どういう経路でこのお仕事を貰ったのかわからないので何とも言えない訳で……。
 私はズレたニーソックをちょっと引っ張り自分の椅子に座りました。
「このままでいいのに……」
 物凄く残念そうにジャックさんが呟くのを聞こえなかったことにし、手元の紙に目を落とします。
 最初に渡されたぺらぺらのパンフレットには、選手の簡単なプロフィールや必殺技など…それと、協賛のお店の広告。
 第一回戦目は、ブラッディ・レオナVS白い霹靂グレートストロンガーX……きっと、そういうもんなんでしょう。
 魔法無用の一本勝負! だそうなので試合自体の進行は早いのか、少し眼を離した間に既に試合は佳境です。
 赤コーナーの赤毛のネコが対戦相手の白ネコに膝蹴りを腹に喰らい、大きくよろめきました。
 そのまま顎に大きく振られた拳が激突し、ポストコーナーに追い詰められ一方的な連打です。
 為す術もなく、リングに沈んだ赤の選手はレフリーにカウントを取られ、第一試合は終了らしく、青い旗が揚がりました。
 ……なんというか……。
「あ、負けちゃった。ヤダーもう出番?」
 いそいそと席から立ち上がり、物凄く嬉しそうに準備体操をはじめるジャックさん。
 しょうがないので私も同じように準備体操をしてから、準備された道具を手に取り、二人で魔法陣の外に出ると喚声がぴたりと止まりました。
 指差さないで欲しい……。
 いつもと同じ格好のはずなのに、白衣で歩くだけで胡散臭さ150%増しのジャックさんと……私がついていくのをドン引きした表情の観客が見ています。
「・・ … … ・」
 ジャックさんが何かを言ったものの、BGMうるさくまったく聞こえません。
 顔を寄せて問い返すと頬にキスされたので手に持った黒い金棒をヒットさせてからリングの上に登ると、レフリーがビクリと震えてリングの隅によりました。
 私は倒れこんだままの選手の脈を計り、救急セットからお絞りを取り出し顔の血を拭きます。
 毛が邪魔でよく分かりませんが…軽症みたいですが…意識が朦朧としているのか、しきりに手を上げてウニャウニャと言っているので要診断です。
 遅れてきたジャックさんの指示で担架に乗せられ運ばれる選手を心配そうに見送る選手の身内らしい人。
 リングを降りる前に周囲を見回すと、目の合った数人が一歩後ずさりしました。
 立ち尽くす私の肩を叩く軽い感触に、振り返れば親指を立て凄くいい笑顔のジャックさん。
 ノリの効いていた白衣はいつの間か赤い水玉模様がトッピングされています。
 
 私は、心の中で深い溜息を吐きリングから降りました。
 
 ***
 
「ルー君、キミ暇だよね」
 聞こえなかった事にして、手元の音封石を再生していると、再び肩を叩かれた。
「10秒以内に返事してねーゴー、ハチーッ」
 編集長の指先では小さな火球が回転しているのを確認し、咄嗟に手元の防御符を引き寄せる。
 ここはネコの国であり、当然上司も同僚も後輩もネコであるからには、常に備えを怠らないのが実直だけが取り柄のイヌとしては当然の事だ。
 案の定、そのまま火球を当てれば防御符が発動し、自分も火の粉を被るおそれがあると気がついた編集長は、何事もなかったように煙草に火を移し僕の鼻先へ煙を吹きつけ、気だるげにこう告げた。
「なんかさぁー例の、猟師×漁師、アレ落ちそうだから、ちょっと穴埋めになんかどうにしかしてきて」
「え…僕、八連勤で……」
「明日の午後の便に乗せるから、正午までに私のデスクね」
「あの明日休みで今もうとっくに終業時刻を過ぎて」
「じゃー帰るから、あとよろしくー」
 カツカツと、ハイヒールが床を痛めつける音が遠退くのを確認し僕は机に顔を埋めた。
 平社員で、外国人である僕の立場は弱い。
 だが、こんな暴虐が許されちゃうのが社会の厳しい所だ。でもあえて言おう。
「……まじふざけんな、ァんの勘違い行かず後ゲェーッ」
「マイ灰皿忘れちゃった」
 嫣然と微笑む…帰ったはずの上司の姿に、僕の舌がこわばる。
 歪んだ口元と目じりには、僕の一か月分の食費と同額位する高級化粧品でも隠しきれない小皺と弛み。
 赤く塗られた指先は、僕の手の上に重ねられ、ちびた紙煙草の端が見える。
 カチカチに固まった鼻先に届く、ぶすぶすと焦げる毛の臭い。
 
 僕は必死で泣き出さないように、微笑み返した。
 
 
「――と、いう事があったんです」
 
 半分垂れた耳を一層しょんぼりさせ、ルフイアさんがそう零すと、ジャックさんは深く頷きました。
「まったくだね!オレもさぁー色々あったよ。学会でエロ実験はじめちゃった人とかさぁー新作エロ用品に夢中になって納期すっぽかした魔女ッコとかさ」
 私は簡易ベッドの上で俯く選手の血塗れの額を拭い、少し毛を切ってから絆創膏を貼り付けました。
 お次は茶ぶちネコ、恋人らしいネコ女性が頭を撫でています。
「いやだぁーなんでナースが黒いんだよう。おかしいよね?おかしいよね?」
「ハイハイ。アンタが速攻負けるのが悪いんでしょ。早く帰ってあとでベッドでもう一試合するにゃ」
 ……ここでいちゃつくのはやめて欲しいな……。
 ちらりとそう思っていちゃつく二人を見やると、二人は何故か肩をビクつかせ黙り込みました。
 わかってもらえて何よりです。
 どうやらジャックさんは、音量調節してくれたらしく、試合が終わったかどうかぐらいは判断つくぐらいの大きさの悲鳴と喚声が遠くに聞こえます。
 早い所終わらせないと、次の人来ちゃうんですよね……。
 ジャックさんのアバウト過ぎる説明にやや頭痛を感じたのですが、どうやらここでは素人同士の…格闘を見世物にしているようです。
 そういえば有りました。そういうの。……天下一武道会的な意味で。
 一応見物料と参加費で運営費を賄っているらしく、それなりにライトな感じです。
 女性も多いし。
 回転を早くする為に制限時間付き、審判判定有りなので、ほとんどお遊び感覚のようで……。
 何回か勝ち残ればちょっと賞金が出るので、飛び入りもOKとか。
 恋人にちょっといい所を見せたい人とか、お小遣いが欲しい若者とかが主な参加者らしくあまり殺気立った様子がないので、安心して見られるというか……。
 全体的に明るい雰囲気で、時々コスプレっぽい仮装をした人が観客から歓声を受けていたり、変な名前をコールされたり楽しそうです。
 審判は、巨大な黒い……ネコ?にしては耳の形と…骨格がやけに逞しいというか……。
「あの審判さんは、もしかしてトラさんですか?」
「トラだねぇ。あホラホラ、薄っすら縞模様だ。染めてるのかな」
 手を翳して、驚いたようにいうジャックさん。
「一応地毛だそうですよ?まぁ、外見はあのように地味ですが、体力とアッチが物凄いとかで…モテモテらしいです」
 ルフイアさんは手元の手帳をパラパラと捲り、続けました。
「ただ、ネコに騙されて借金を背負わされここで働いている為、大変なネコ嫌いだそうです。ああ、ホラちょうど」
 あ、赤選手にキレのいい蹴りを顔面に叩き込まれ、鼻血を出した青選手が手を振りはじめました。
 指先に奇妙な光が灯り……即座に審判に張り倒され、リング外に投げ出され、客席に落下しスタッフに取り押さえられています。
「あの通り、ルール違反をした選手の制圧役として大活躍中なんですよ」
 それは果たして審判の仕事だろうかという疑問が過ぎりましたが、取り合えず流そう……。
「所で、なんでルフイアさんがここに居るんです?」
 恋人に慰められている茶ぶちさんの傷に脱脂綿を押し当てつつ尋ねるとルフイアさんは素敵な笑顔を浮かべました。
 ……訊いてはいけなかったようです。
 私は傷口に赤チン(仮名称)を振りかけ茶ぶちさんの手当てを終えました。
 取り合えず、今いる人はコレで終了。
「ちょっと飲み物買ってきますね」
 手を拭ってそう告げると、ルフイアさんが半分垂れた耳をピクリと動かし、慌てた様子で立ち上がりました。
「お供します」
「えーじゃあ、オレも」
 いそいそと出かける準備を始めるジャックさんを見て、一瞬眩暈を覚えたものの辛うじて耐えます。
「……仕事して下さい」
「みてごらんルーくん。ブラックナースに相応しい死んだ魚の瞳にゾクゾクするね!」
「先生の趣味にはいつも感嘆するばかりです。できたら注射器持って欲しいですね」
「いいねーそれ!キミィ中々わかってきたね!」
 ダメだこの人達。
 更にルフイアさんは肩掛け鞄から大量の雑誌を取り出し広げ始め、ジャックさんはその一冊を開いて奇声を上げ始めたので気がつかれない内にその場から抜け出す事に成功しました。
  
 地下階の方はリングと観客席でごった返しているので、ひとまず出口に近いはずの地上階まで出てみることにします。
 
 黒のナース服などというキワモノを身に着けていますが、幸い上に羽織ったコートのお陰で特に奇妙な視線を向けられる事はなく。
 ていうか、ピンクとか黒とか……ジャックさん一体こんなの、どこで買ったんだろう。
 これが借金の理由だとしたら、いくらカレー粉という素敵なお土産を貰っていても許容できない域ではあります。
 一般常識を弁えた社会人のする事でしょうか。
 
 ……あー、  
         …でもジャックさんだもんなぁ……。
 
 なんだか心の中で解決してしまった事に軽く虚脱感を覚えつつ、周囲を見れば暗めの店内には楽しげに会話している男女が多数。
 基本的に、ネコばかりです。
 まぁ、ネコの国だから当然ですが。
 ……よく考えたらこういうお店、初めてなんですよね。
 イメージしていたお洒落なバーというよりは、ハリウッド映画の……アクションというか刑事モノの……ストリップバー的です。
 地上階より地下の方がやたらと広いって、一体どういう事なんだろう……。
 ファンタジーだから仕方ないか。
 やっとの事で見つけた板書されたメニュー表には飲み物の他におつまみなんかが表示されています。
 ……お茶は置いてないから、ミルクにしといた方がいいのかな。
 炭酸だと、ジンジャーエールがあるけどコレ…私が知ってるものなんだろうか。
 暗澹たる気持ちでメニューを眺めていると、なんだかチクチクと刺さる視線を感じたので、少し離れて検討していると生暖かい息遣いを感じました。
 頭を上げるとネコ男性がじっとこちらを見ています。
 赤と黄色の混ざった短毛に、夜なので瞳が尖っています。
「何か御用ですか?」
 私が問い掛けると、男性はなおをこちらを向いたものの目線を合わさずに軽く尻尾を揺らしました。
「きれいな黒髪だ」
「ありがとうございます」
「染めてる?」
「いいえ」
 美容院のアンケートかなんかだろうか。いやでもここ美容院じゃないですよ。
「この前のイヌも真っ直ぐで黒かったのに、後で見たら染めてたからやっぱり        」
 その声はだんだんと低くなり、最後の方はほとんど聞き取れませんでした。
 て、いうか、独り言ですよね?
 はい、私そっちにいませんよ?
 そっちは壁ですよ?
 異様に居心地が悪いのでそっと後退りして、向きを変えた瞬間、誰かにぶつかりました。
 一瞬からだが強張ったものの、小声で謝罪して擦り抜け……られませんでした。
「にゃあ」
「……こんばんわ」
 借金取りのウシジマさんでした。
 後門の電波さん前門の借金取り。
 ……借金したのは私ではないので別に脅える必要はないのだという事を思い出し、ちょっと緊張が解きます。
「す、すみませんちょっと失礼しますッ」
 どうにか横を擦り抜け、急いで戻ろうとするものの、人の出入りが激しく中々前に進めません。
 
「くろいかみ」
 がっちりと肩を捕まれ、生暖かい息が首筋に掛かりました。
「いや、あの私今ちょっと急いでまして仕事中なんです」
「気にしなくていい。すぐに     」
 
 一瞬、何かが腐った臭いがしました。
  
 掴まれた肩にギリギリと力がこもり、動けません。
 心臓が高鳴り、すっと指先が冷たくなるのを感じました。
 ジャックさんはあそこを離れられないし、御主人様はいません。
「いや、困ります。残念ですが、次の機会で」
 後ずさる足が妙に絡むのを、どうにか動かし距離を広げようとしても、すぐに近づいて来ます。
「気にしなくていい」
 だっと背中に嫌な汗が湧いてくるのを感じました。
 息臭い毛も臭い目がヤバイヤバイヤバイ 
「だから、気をつけろっていったニャ」   
 黒ブチ白ネコが、半眼になり腰に手を当て私を下から上まで舐めるように見てから、腕を掴みました。
 ぐっと引き寄せられ呆気にとられていると、黒斑のある瞳を器用にウィンクさせクルリと背後に回される私。
 
 ……ナニ、これ。
 
「にゃあのオンナになんか用かにゃ?」

 ……なにそれ。
  
 三毛なバーテンダーに慣れた様子でアレコレと注文するモノスゴイ趣味の柄シャツに金ネックレスを身に着けた目付きの悪いネコ…。
 ……なんで私は仕事中なのに、借金取りさんの愚痴を聞いているんでしょうか。
 それは変な人から助けてもらったからです。
 モノは言いようとか、臨機応変とか、それぐらいはわかります。うん。ちょっとびっくりしたけど。
 ああ、へぇ…王宮の方は男子禁制なんですか。それは大変ですね。
 手に持ったままのグラスには、茶色い……コーヒー牛乳みたいな飲み物…ウシジマさんお勧めのカルアミルクが入っています。
 ……おごりです。
 
 おごりで異性からミルクを貰うというのも、結構笑えます。
 子供扱いですか。
 ほぼ間違いなく私の倍以上どころかもっと長く生きてるわけですから、一向に構いませんが。
 しかもこれ、ホント甘い…本気で子ども扱いです。
 まぁ……新鮮な経験です。
 この後どうなるのか、とても興味があるのですが、一応仕事中だという事も思い出しました。
 ジャックさんの分の飲み物も買って早く戻らなきゃ。
 グラスに残っていたのを一気に飲み干し、お礼を言って席から立つと一瞬眩暈を感じ、足元がふらつきます。
 ……もういい時間だし、疲れてるのかな……。
 体がぽかぽかして、ちょっと頭がぼーっとするし、水とか買って戻ろう。
「にゃん?」
 腰に回された腕が邪魔で上手く歩けない。
 見上げたネコは、ネコらしく目が光ってわりと面白い。
 ……ヒゲつんつんしたい。
 耳の内側とか口元とかが、やっぱりこの人も暑いのかピンク色になってる。プニプニしてそう。
 …ああ、ダメだって。
「あの、下にジャックさんいるんでダイジョウブです。ごちそうさまでした。このお礼はまたいつか」
 ぐらぐらする頭を何とか下げて、元来た方に……ああ、水買わなきゃ。
 一回外に出て、確か屋台とかで売ってたはず。
 うん、外でなきゃ。
 暑さで頭がボケているのかちょっと視界が回る。
 冬だっていうのに、ネコの国は暖かい。
 しかも人の出入りが激しいので、ぶつからないようにするのが精一杯な私を見かねてか、ウシジマさんが腕を回してきてくれた。
「ちょっと、夜風に当たった方がいいかにゃ」
 覗きこまれた口からは尖った歯と、少し柑橘の匂いと……
 ……うん?
「もしや、カルアミルクってお酒れすか」
「ニャ」
 ……うん。まぁ、私の勘違いですしね。
 仕方ないか。そうか、酔って歩くとこうなるのか。うんわかった。
 確かにこんなんじゃ御主人様がお酒禁止といいたくなるのもわかるもんです。
 ……でもフツーいきなりお酒はないんじゃないかなぁ……。
 
 覚束ない足取りで戻ると、ジャックさんが半眼でこちらを見つめてきたので素直に謝り屋台で購入したソフトドリンクを差し出しました。
 私のほうは紫色のソーダ。
 毒々しいですが、味はファンタです。
 コートを脱いで、服の襟を確認し、手を消毒。
 そろそろまた再開されるらしく観客席のほうにもぞろぞろと人が戻りつつあります。
「ルフイアさんは?」
「取材だってさ」
 ここにも残業さんがひとり。
 一人だったジャックさんはヒマだったのか耳が引っ繰り返り、内側のほんのりピンクがおもてになっています。
 何やってたんだろう。
 そうか、血行がいいとちょっと温かいんだ。
 ごしごししただけあって中はつやつや、毛艶も格段によくなってるし。
「ところでキヨちゃん」
「はい?」
 すべすべさらさらふわふわ。
 ととろもどきとは違った柔らかさです。
 さらさらふわふわです。
 もふもふです。
 ぺったんぺたんと動く耳が面白いです。
「酔ってる?」
「はい、ちょっと飲んじゃいましたけど歩かなきゃ大丈夫ですよ!あ、でも手元狂ったら危ないから手当ての方お願いしますね」
 うん。
 意識ははっきりしてるから、大丈夫。
 ジャックさんは口髭を上下させて、どこか遠くを見るような目になってます。
 現実逃避でしょうか。
「うん。頑張ります」
 いいこいいこするついでに、前からやってみたかった耳の根元の柔らかい所も撫でてみました。
 ジャックさんの耳の根元の毛って凄いふわふわで、頬触りが良過ぎです。
 御主人様とチェルにも是非教えなきゃ。
 
 モフモフ、気持ちいいなぁ……。
 

 *** 
 
 華やかな店内の片隅に、一箇所だけ妙に殺伐とした雰囲気が漂うテーブル。
 彼女は迷わずそこへ向かうと、営業スマイルを浮かべたスタッフに会員証を差し出す。
「リーィアェパパロトル」
「はい、では――ハイ確かに。夜光蝶リーィエさん、赤組四番です。そろそろ下級が終了しますので準備をお願いします」
 初参加者は全員下級での参加になっており、飛び入り参加者も同じ扱いだ。 
 平たく言えば、素人同士の素手での喧嘩を見せるだけなのだが、プロよろしく二つ名を付けて呼んでいるので、物珍しさから一回参加してみようという者は案外多い。
 二つ名は、開催者側が名づけており、――被らないように苦慮しているらしく新しい参加者ほど、仰々しい事になっているのだが。
 20勝以上すれば中級にランクインできる。
 そして、……三月に一度の大会に参加できる。
 その大会で上位に食い込めば、二つ名を自分で付け直すことが出来るし、賞金も大幅にアップする。
 素人の公開喧嘩とはいえ、順当に勝ち残っていった参加者がプロに転向することも珍しくない為、関係者や格闘技ファンも多く集うこのイベントはそれなりに人気があるし一般認知度も高い。
 ――けして、恥じるような事ではない。
 彼女は改めて自分に言い聞かせ、型通りの誓約書にサインをしそれと引き換えにゼッケンを受け取った。

 幾度も繰り返した手順を踏み、開催側から貸し出しされているぴっちりとしたユニフォームを頭から被る。
 衣服に関しては規定がなく、ビキニであろうと鎧だろうと問題はないのだが、私服を汚す必要は無いと思うのは極少数だ。
 待合には見知った顔がいくつかあったが、互いに目を逸らす。
 空いたベンチに腰掛け装飾品を外す。
 指輪は凶器になるし、ピアスで耳を裂くのもつまらないからだ。
「ヘンリー聞いてくれよ!あの娘が居たんだよ!信じらんないよ!笑顔で手当てしてくれたんだぜ!?あの笑顔の為なら死ねる!」
「ハイハイ」
「ハイハイじゃねーよ!また来て下さいねって言ってくれたんだぜ!?」
 あまりの喧しさに思わず目をやると、若いネコがにゃあにゃあと芝居がかった動きをしていた。
 片方はゼッケンをつけ、もう片方は耳に絆創膏を貼り付けている。
「ナースとしてその言葉間違ってるだろ……」
 ぐったりとゼッケンをつけた方が耳を伏せ嫌そうな顔に笑いそうになったのを堪え、指にテーピングを巻きつけていると自分の番になった。
 要は、勝てばいい。
 それだけを心に刻み、リングに立つ。
「赤コーナァー 夜光蝶リーイエ!」
 丸天井に音声が反響し奇妙な木霊となって跳ね返る。
 魔素を溜まりにくくし、魔法が使われた際の威力を軽減する為の措置だ。
「青コーナァッ 紅の衝撃!レディーシアドット!」 
 対戦者は、赤い皮のビキニに背中まである赤毛を靡かせた化粧の濃いネコ。
 赤いロングブーツに肘まである手袋をしているので、寒いのか暑いのかはっきりすればいいのにと僅かに思う。
 屈強そのモノといった肉体に、きつそうにストライプのシャツを着た黒トラの審判は不機嫌そうに彼女を見やり、何か言いたげだったが何も言わずに襟を正した。
 細身か巨体かの二分割のネコの中では一際目立つ、逞しい四肢に精悍な横顔に女スタッフ――と男の目線が集まる。
 
 鐘が鳴る。
 
 始まると同時に、溜めた息を吐きながら後ろへ跳ぶ。
 予想よりも――速い。
 水色のマットにはくっきりとした拳の跡がついている事に一瞬戦慄を覚え、重ねて迫る爪から身を避ける。
「前はよくもやってくれたね。今日こそぐちゃぐちゃにしてやる」
「……誰」
 赤毛が吠えた。
 背中に当たるロープ。
 左から大きく振りかぶる爪先は紫。
 身を屈め、突き倒す。
 即座に足を跳ね上げ振り落とされそうになったので頭突きした。
 相手は 一瞬耐えようとしたがそのままマットに沈む。
 鼻血で顔半分が赤く染まり始めていたので、審判に合図し立ち上がる。
 審判は、対戦者の様子を伺い担架を呼び寄せた。
 リングから降りると喧騒に囲まれ、スタッフから続行するかどうか問われる。
 頷き控え室に戻り、呼ばれるのを待つ。
 参加者とはいえ、同時に客でもあるので店内に居ても構わないのだが、彼女はその気がなかったのでそのままベンチに座り瞼を閉じた。
 
 遠くに響く雷鳴のような子守唄
 
「―リェ さん 」
 彼女が瞼を開くとスタッフがこちらを見ていた。
 出番だ。
 
 当初から立ちっぱなしのはずの審判は、うだるような熱気の中を涼しい顔をしてリングに立っていた。
 このトラが魔法を使っている所を見たことはないが、実はこっそり使っているのではないかと彼女は内心思っている。
 
 次の相手は黄毛のネコだった。
 
 以前対戦した相手だったらしく、先程と同じような事を言われ彼女は瞬きする。
 彼女にとっては何気ない行動だったが、相手にとっては十分な理由だった。
 瞳孔が細くなり、背筋の毛が逆立ち尻尾が膨らむ。
 彼女がネコだったら、こうまで激昂しなかっただろう。
 似通っているが故に、余計油を注いでいる事を彼女は自覚していなかった。
 鐘が鳴り、相手が後ろへ跳ねたので攻めた時もわからなかった。
 突き出した拳が目を擦りかけたので慌てて体を崩すす。
 彼女にとっては当然の行為だったが、ネコはそれを自分への侮りだと感じた。
 怒りが沸点を越え、目の前が白くなる。
 
 右手で印を切る。

「《火》」
 いくら魔素を溜め込まない構造になっているとはいえ、ここはネコの国。
 魔素は、自然界に満ち――同時に人体にも宿っている。
 つまり―――人が集まれば、魔素も集まるのだ。
 ましてや、戦意と熱気がコレだけ増えれば――
「《花》」
 大気に満ちる魔素が振動し、ビリビリと肌を震わし、周囲に満ちる魔素を取り込み一層輝きを増す。
 マットを転がり、即座に飛び起きた彼女を審判がリングから放り出した。 
「《咲―――》」
 ネコが次に見たのは、迫り来る巨大な拳。
  
 元々は、殺傷能力の低い痴漢撃退用の魔法に過ぎないものだったが、一度生じれば魔素を拡散する石材と混ざり合う様々な要素が空間で衝突し、微細な揺れを起こす。
 本来、建築材には向かない材質を使っているため、些細な事で揺らぎが生じるのがこの建物の欠陥である。
 後年、この事を聞いたヒトは「この中で魔法を使うって言うのは、静電気防止スプレー使いながらマッチ擦るようなもん」と解説したとか、しないとか。
 
「青 反則負け」
 審判が低い声でそう言い渡し、だらりとした腕を掴んでそのままリングの外へ投げ飛ばした。
 不発で終わった火炎がリングを焦がし、ブスブス不満げな音を立てて青煙を立てて消える。
 スタッフが応急処置用の補修液をリングに塗り、穴を塞ぎ、その上から布地を貼り付けると、痕跡はほぼ見えなくなった。
 ナレーターは慣れた様子で試合無効と、一ヶ月間の出場停止処分を放送する。
 彼女はリングの下の台から降りると、不満げに審判をみやるが、黒虎は振り返ることなくスタッフと話し始めた。
 唇を噛み締め、背を向ける。
 無効試合では、賞金の支払いはない。
 中級では賞金の額などたかが知れていたが……。
「リーィエ」
 俯きかけた彼女が振り返ると、黒トラはおもむろに控えの一角を指す。 
「ちゃんと医者に見てもらうんだぞ」 
 睨みつけると、厳つい顔を更に歪ませ牙を見せる。
「ただでさえ、反感を買い易いのに無茶をするんじゃない」
「関係ない」
 同じように牙を剥いて言い返すと、トラは鼻を鳴らし背中を叩いた。
「今日はいつものヤツじゃないから、ちゃんと医務にいけ」
 言い返す前に審判は拘束された対戦相手に怒声を浴びせ始める。
 こうなれば、こちらの話など聞いてはくれないだろうと彼女は察し、頬を掻いた。
 鈍感男め。
 
 試合を見ていた客が声を掛けてくるのを無視し、彼女は消毒液の匂いを辿った。
 医者は開催者側が用意しているので、質はともかく費用を心配しなくて済むのがありがたい。
 そもそも先週の怪我が治りきっていないだけで、別に急ぐ必要は無いのだが……掛かり付けが休みだったのでちゃんと治りきらなかったのがバレていたのか。
 鈍感なくせに、こういうところばかり気にしてと、腹立ちを感じる。
 人込みを抜けると、白いテントに黒字で「美人の怪我人はこちら!」と書かれた札…美人の の所には後から大きく×がつけられている。
 けされているなら問題ないだろうと、設えられたテントの先で、更に不可解なものを見た。 
 睨み合う端正な顔立ちの小柄なイヌと目付きの悪い長身のネコ。
 狭いのでその真ん中を突っ切った先に白衣を着た黒ウサギと……その頭に顎を載せ首に手を回している……
「キヨカ?」
 垂れた耳を握り締めて頬に擦りつけている異種族の友人の姿に戸惑い言葉を失う。
「りっちゃんいらっしゃーい」
「……リーィエさん。こんばんわ。どうなさいましたか?」
 立ち上がった瞬間、ぐらりとよろめきおっとっとー、と小さく呟いてからこちらを向いて微笑む。
 黒いワンピース…ではなくナース服に白磁の肌、肩より少し長いくらいの漆黒の髪。
 痩せ過ぎで骨ばっているし、美人とは多分言われないだろうが……。
 笑うと超カワイイ。
 一瞬、鼻血が出るんじゃないかと思い鼻を擦るが幸いその兆候は見られず。
 なんでもしてあげたくなるような、とてつもなく感じのいい笑顔に先程まで睨みあっていたイヌとネコが小さく呻いてから、だらしなく相互を崩す。
 一撃である。
 
 その足元で、短いスカートの中を覗こうと慌てて地に伏せる変態ウサギ。
 
 無言で床に落ちている耳を踏みつけると邪魔な胴体がのたうった。
「キヨカ、何故ここにいる?」 
「耳がー!みみがぁぁぁーあっやだこの位置いいがナイスアングルッ!!りっちゃん黒レース!レーッグベッ がっ 」
 嵌りきらない部品を無理やり押し込むように、踵を使って深めの角度で連打する。
「出張です」
 何とか聞き取れたものの、呂律が回らないのか言葉が怪しい。
 くすくす笑いながら体をふらつかせ、ご機嫌らしいので頭を撫でると、更に嬉しそうに笑う。
 腕を回して抱きしめると、更に笑う。
「聞いて下さい!ジャックさんの頭と耳の毛はふわふわなんです!」
 拳を握っての力説に、思わず足が止まる。
 イヌとネコは同時に口を開こうとして、お互いを睨み合う。
 地べたに這いつくばったウサギのどんよりとした眼が幾度か瞬きし、すくりと立ち上がった。
「聞いてよりっちゃん!勤務中に酔っ払ったんだよ。ナースなのにっ信じらんないよね!オシオキが必要だよね!無論エロい意味で」
「ちょっと待って下さいッ別にわざとサボろうとしたんじゃなくて、このヤクザが無理やり呑ませたのが原因ですよ!あと僕もここらへん理容師に褒められる位キューティクルが!」
「誰がヤクザニャッ大体、お前は一体ニャニ様のつもりニャ!毛玉夥多は黙ってすっこむニャ!」
 白衣の黒ウサギに掴みかかる背広姿に白に茶色い耳をした小柄なイヌに柄の悪いシャツを着た白地に黒ブチネコ。
 ニャーニャーワンワンと、ウルサイので少し下がるとネコ達が興味津々の様子でテントの中を覗き込んでいるのに気がついた。
 更に下がる。
 三人は気がつかずに、毛玉の取り方とスカート丈の相関性について言い争う…というか、もう掴みかかっている。
 何が彼らをそこまで駆り立てるのか、よくわからないながら更に後退する。
 転がる三匹、更に覗き込む野次ネコ。
 なんだか面白そうだから、という理由で間に飛び込む暇ネコ達。
 一層の混乱。
 誰かの手元からか放たれる光球、激突する体、ひしゃげる支柱、崩れ落ちるテント、驚愕と、悲鳴と、更なる混乱。
 しばらく放って置こうと結論を出し、人気のない方へ黒ナースを引っ張る。 
 確かに酔っているらしく、微妙に焦点の合っていない瞳。
 ぐらぐらとしている体を引き寄せ、頭を撫でる。
「試合、みた?」
「見ました!リーィエさん強いです!」
 嬉しくなって体に腕を回してぐるぐると回す。
 見つめる瞳はとても明るい色をしている。
 まるで、世界に2人だけのような感覚に胸を高ぶらせ、一層指先に力を込める。
 
 ――叶うなら、ずっと、このまま――
  

「キヨちゃん三半規管弱いよねー」 
 額におおきなコブをつくったジャックが彼女に濡れタオルを掛けた。
 彼女は回し過ぎて酔って気持ち悪くなって胃の中身をトイレで根こそぎ流してきたので、顔色が悪い。
 正直、反省している。
 あの野次ネコ達もさっさと退散し、後に残っているのは酔っ払いぐらいなものだ。
 こういうのを見ると、広いというのも考えものだと思う。
 あれだけ騒いだのなら、店から追い出されてもいいようなものだが、生憎店も客もリングに釘付けだった。
 なにせ上級の試合は、プロにも劣らない。
 アマチュアな分、チケットは安くすむし、選手との距離も近いので観客は多い。
 時間も無制限になり、魔法の使用以外ならば滅多に反則扱いにならないのだから当然だろう。
 今も網のように広がった茶髪の大柄な女が小柄な赤毛からの跳び蹴りをやすやすと避け、逆に足を掴んで振り回すと天井が振動するほどの歓声が上がった。
 肩をつつかれる。
 ジャックが何か言いたげな表情をしているのを無視し、試合に眼を戻す。
 赤毛がロープで茶毛の体当たりを宙返りでかわし、肩を足で蹴り背後へ降り立った。
 足が下がり、身が低くなる。
 ばねのようにしなやかな体に力が溜まる。
「あのー」
 うっとおしいので片手で叩き落とし、ついでにそのまま拳を突き上げる。
 ぷぎゅっと妙な声を上げて、一足早くノックダウンする黒ウサギ。
 床に落ちる瞬間、赤毛の拳が茶毛の振り返りざまのみぞおちに収まった。
 割れるような歓声。
 自分も思わず立ち上がり、近くの人間と喜びを分かち合おうとすると黒いモノで視界を塞がれ、とっさに除けようとする。
 べちゃりと落ちる濡れタオル。
 キヨカの手を握ったままだった。
 骨の目立つ、細い指先に無意識のうちに食い込ませた爪が食い込み
「ごめん」
 慌てて爪を戻し、垂れた血を指で拭う。
「大丈夫です」
 いつものように気持ちが優しくなるような、柔らかい笑みに何故か背中がぞっとした。
「やっと、頭がぐるぐるしたの治りました」
 指先を咥えながら救急箱の中から慣れた様子で絆創膏を取り出し貼り付け、顔を戻す。
「やっぱりお酒はよくありませんね」
 ひしゃげたテントを復旧しながら言い争うイヌとネコを眺める項が細い。
「そーだよー減給だよ減給」
「クビじゃないんですか」
 淡々と返す彼女に大袈裟にのけぞり、しばらく腕を組んでからウサギがにやりと笑う。
「膝に乗ってお兄ちゃん大好きって言ってくれたら、減給もナシかも」
「オニイチャンダイスキー」
 短いスカートの下から覗く白い太腿を黒い毛に覆われた指先がいやらしく這いまわ……おもわず拳で強打する。
「キヨカ、もうやめた方が良い」
「でも、ここクビになると困るんです。他のアルバイト禁止なので」
「えーなんでさぁー」
 強打したはずの手を細い体に巻きつけ、背中の頬を摺り寄せ下品な笑いを上げるウサギ。
 イライラしながら、彼女に当たらないように叩くも、余り効果がない。
「……何かあったら困るからじゃないですか……金銭的な意味で」
 表情は変らず、なのに口調は暗い。
「誰が?」
「……大家さん……というか……」
 彼女の事情は複雑怪奇なので、余り追求しない事にしているのだが、彼女は灰眼を宙に彷徨わせたまま動かない。
 言葉を捜して色味の薄い唇が開かれたまま動かず、背後でウサギがせっせと顔を擦りつけても無反応のまま固まっている。
 目の前で手を振っても反応しない。
 頬をプニプニして、胸を触ろうとする痴漢ウサギを反対側から引き剥がして締め落とすと、ようやく彼女はがくりと項垂れ俯いた。
「キヨカ?」
 ネコ科ではない丸い瞳を見るたびに、なんだかいつも発見している気がする。
 侮らず、真剣に賞賛してくれて、なんだかいつも一生懸命で、
 寂しそうで。
「リーィエさんも怪我してるんですよね。テント治ったらすぐやりますから!ねっオニーチャン」
 いきなり向きを換え、仰向けのままのウサギを近くに転がっていた金棒でつつくキヨカ。
 素手では触りたくないらしいく、しばらくつついたものの反応がないので手を離し、彼女はこちらに向き直った。
「そーいえばリーィエさんは、もしかしてあの審判のトラさんとお知り合いですか?」
「全然縁もゆかりもないあんな鈍感な上鳥肉は骨が刺さるから嫌だとか抜かすアホの事など全く持って無関係」  
 突然の質問に琥珀色の瞳は針のように尖りぎらぎらと輝き、短い尻尾は忙しなく上下する。
 野生の力強さとしなやかさを兼ね備えた凛とした肉体を包む冬用にしては寒々しい、年頃らしい華やかな服装をじっくり見つめてくるキヨカ。
「……そうですか?あのトラさん凄く強いし、かなりカッコイイ気がするんですが」
 黒衣のナースが妖しげに微笑むのを見た瞬間、ありえないとは思いつつも兎耳のナースに押し倒される黒虎の姿が眼に浮かび全身がむず痒さを覚え誰彼構わず喧嘩を売りたくなる。
 堪え、深呼吸し平常心を引っ張り、大人の余裕を持って微笑もうとしたが黒衣から覗く酷く色っぽい白い肌に落ち着きが三千光年の彼方に吹き飛ぶ。
「ないないない!勘違い!」
 フルフルと首を振って断言して、尻を触ろうと背後に回った黒ウサギに飛び蹴りする。
 普段よりも手加減できなかったのは、ただの偶然に過ぎない。
  
 *** 
 
 朝帰りで眠い頭をなんとか働かして、朝御飯の準備。
 幸い、今日は休日なので慌てて仕度する必要もないので助かります。
 フライパンの上でベーコンと卵がいい匂いをさせているのを横目に欠伸をかみ殺してお皿の準備。
 一方、御主人様はコーヒーを飲みながら新聞を読んでいます。
 なんだか既視感をおぼえました。
 ……なんだっけ……?
「焦げてるぞ」
 御主人様の声に我に返り、慌てて火を止めなんとかセーフ。
 結局ほとんど寝ていないので、頭がぼんやりして仕方ありません……。
 
 ぼんやりと付け合せの野菜炒めを食べながら、カレーに入れるのは普通の物だけで大丈夫なのか考えていると食べ終わった御主人様が尻尾を絡ませてきました。
 何か言いたげです。
 そういえば、なんだか顔艶がよろしいです。
 ここしばらく無気力を絵に描いたような状態だったのに、今日は妙に生き生きとしています。良い事です。
「お元気そうですね」
「ああ」
 御主人様、超ご機嫌です。
 不気味です。
 つやつやでキラキラです。
 まるでエステに行ったばかりのようです。
 つまり、一皮剥け……あ。
「もしかして……脱皮しましたか?」
 頷く御主人様に納得し、最後の一口を片付ける。
「休みに合わそうと思ってな」
 自分の意思で、ずらせられるって、凄いと思うんですけど。
 チェルは今日は寝坊なんだろうか。
 珍しい事もあるもんだと思いながら、空いたお皿を流しに運ぼうとした手をぎゅっと握られ、思わずのけぞる私に御主人様が更に寄ってきました。
 顔が近いです。気のせいか、眼が輝いていませんか?
「なぁ」
 御主人様の囁きに頭が真っ白になります。
 困ります困りました御主人様は―――何億回でも言いますが美形なのです。見るだけで心臓は痛くなるし、喉は乾くし大変なのに!
 こんなに近寄られたら困るじゃありませんか!
 何を言うべきか言葉を探していると、小さく戸を押す音が聞こえペタペタと裸足で床を歩く音が近づきました。
 予想通り、小さな女の子がヌイグルミを抱えてこちらを見上げています。
「がっくん、ナニしてんの?」
「……握手」
 手を離して無言で戻る御主人様。
 心なしか、後姿が煤けて見えるのは、気のせいでしょうか。
 
「キヨカ、今日お休みだからずーっといっしょにいられるね!」
 当然のように御主人様の膝…もとい尻尾の上を占領して卵焼きを頬張りながらチェルが言うと、御主人様が「ずーっと…だと?」と、絶望したように呟くのが聞こえました。
 
 一体、ナニが気に喰わないのか……謎です。

 

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