猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

続虎の威11.5

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続・虎の威 11.5

 

 テペウに半ば誘拐され、それを追ってきたと思しきハンスが恐ろしく間抜けな登場を果たした翌日の朝である。
 夜から現在に至るまでのハンスの異常な落ち込みようは、最早精神で物理現象を引き起こすレベルにまで達しようとしていた。ハンスの周囲一体が妙に重く、そして暗い。湿度過剰で今にも毛皮からカビが生えそうなハンスを連れて、千宏はちゃっかり朝食をご馳走になってから穏やかにテペウの宿を辞した。
 からりと晴れて青々と抜ける空は、それだけで気分がいいものだ。
 一人湿り気を背負って歩くハンスの存在を視界の外に追いやりながら、千宏は清々しさを胸いっぱいに吸い込んで空を見上げた。
「思ってたよりずーっといい人だったなぁ」
 誰かに同意を求めるでもなく、しみじみと呟く。
 その千宏の呟きで、ハンスが一層暗く重たく沈みこんでしまったことに、千宏はあえて気付かないふりをした。

 微妙に浮き足立った雰囲気の遺跡の街で、千宏はイークキャリッジを拾ってトゥルムの待つ宿へ向かった。
 朝から晩まで元気に走りまわるこの巨大な虫の存在に、千宏はほぼ慣れてしまっていた。何せ本当に、どこに行っても必ず出くわす驚異の遭遇率なのだ。慣れなければやっていられないと言うのが本当の所である。一度などは餌をねだって頭をこすり付けられたが、なんとなく可愛く思えてきた今ならば、手から餌を与えることも可能だろう。
 どんどんヒト離れして行く自分を少々悲しく思いながらも、トラに近づいていると思いこむことで自分を騙す千宏である。
「ただいまおじさん」
 相変わらずこ汚い宿の扉をくぐり、カウンターでだらしなく雑誌を捲っていたトゥルムに声をかける。
 するとトゥルムはぎょっとしたように目を見開き、半ば叫ぶようにしていった。
「あれ? 姐さん、診療所にいったんじゃなかったんすか! 俺ぁ、帰ってこねぇからてっきりそっちに行ったんだと……」
「診療所……? なんであたしが」
「だってあのチビが……」
「カアシュが?」
 トゥルムがいよいよ顎を落とす。
「あの……姐さん。きいてねぇんでございましたら、その……」
 いったん言葉を切って雑誌を閉じ、トゥルムは立ち上がると改めて千宏を見た。
「今朝、森で負傷したハンター専門の診療所に運びこまれたらしいんでさ。トラップにひかかっちまったらしくて……」
 千宏は目を見開いた。
「トラップって……カアシュが? 運びこまれたって、怪我したってこと?」
「……足を爆薬で吹っ飛ばされたって聞きやした」
 千宏は一瞬息を止めた。
 よく、意味が理解できなかった。
 つまりそれは、一体どういうことなのか――。
「チヒロ」
 ハンスに呼ばれて、千宏はようやく我に返る。
「いかなきゃ」
 それだけ言って、千宏はすぐさま踵を返し、たった今くぐったばかりの門から再び道へと飛び出した。

***

 飛び込んだ診療所には、多くのトラ達がごった返し、息苦しくなるような臭気が充満していた。
どのトラたちも血や泥でひどく汚れ、ずらりと並んだ粗末なベッドにはあらゆる種族の負傷者が横たわっている。
 忙しげに走り回る医者と思しきトラの女を捕まえて、千宏はカアシュの居場所を早口に尋ねた。
「ああ、あの小さい……」
 言って、女は表情を曇らせる。
「その扉の奥にいるけど……あれはどうにもならないわ。ウサギかネコの王族が、気まぐれでトンデモ魔法でも開発しない限り、彼は一生片足よ」
 手短に絶望的な状況を千宏に伝え、女はまた忙しそうにかけて行く。千宏はしばし立ちすくみ、しかしすぐに指し示された扉へと歩み寄った。
 ノブを捻り、ゆっくりとドアを押し開ける。
 中は恐ろしく静かだった。あまりにも無音だったため、部屋を間違えたかと思うほどである。しかし部屋の中に入ってみると、果たしてそこにはカアシュがいた。
 簡素なベッドに横たわり、眠っているのかぴくりとも動かない。
 腰から下には清潔な毛布がかけられていたが、それでもはっきりと見て取れた。
 無かった。左足の膝から下が、跡形もなく、完全に。
「……カアシュ」
 声を上げると、ベッドとは違う所で身じろぎする気配がした。
「来たのか……おまえら」
 ソファで静かに俯いていたのは、憔悴した様子のブルックだった。部屋に、他の誰かの姿は無い。
「カブラは……?」
 ブルックは首を振る。それが何を意図しての仕草だったのか千宏には分からなかったが、千宏はそれ以上何も聞かずにカアシュへと歩み寄った。ハンスは静かにドアを閉め、その横の壁にもたれて立っている。
 千宏は、何を言ったらいいのかわからず、ただ黙ってカアシュを見ていた。
 傍らには、酷く痛んでぼろぼろになった足の装具が無造作に置いてある。
 ふと、思う事があった。
 もしあの日、千宏がハンスを捨ててカブラ達を選んでいたら、カアシュはこの古い装具を捨て、千宏が贈った新品を装備して森に入っていたのだろうか。
 そうしたら少しは、ほんの少しは、足の怪我も今よりはマシに済んだのだろうか。
「そいつは、今期の狩りじゃおまえにもらった防具をつける気は無かったぜ」
 千宏の考えを読んだように、ブルックが唐突に言う。
 振り返ると、ブルックは苦笑いのような笑みを浮かべて見せた。
「折角もらったんだから、汚したくないってよ」
「……そっか」
「ああ」
「死んだりは……しないんだよね」
 ブルックは目を伏せる。
「どうだろうな」
 千宏は目を見開いた。
「それって……どういう……」
「カアシュはもう戦えねぇ。まともに走る事もできねぇ」
 言って、ブルックは奥歯を噛み締める。
「終わりだ。カアシュはハンターを続けられねぇ」
「……でも、生きてる」
 ブルックは失笑した。
「カアシュはハンターだ。ずっとハンターだった。チビのくせによ、大人しく船乗りでもやってりゃあ良かったのに、それでもずっとハンターを続けてた。お前にゃその理由がわからねぇだろうな。カアシュはハンターをやってなきゃいけなかったんだ」
「なにそれ……わかんないよ。なんで? だって他にも仕事は……」
「それがカアシュの誇りだったからだ」
 千宏は眉をひそめて首を振る。
 ブルックが何を言っているのか分からなかった。
「カアシュはチビで、トラとしちゃあ笑っちまうくらい弱い。そんな奴がハンターになんざなれるわけねぇってな、誰だってそう思う。そんで言うんだ、『船乗りにでもなれよカアシュ。狭い船ん中だったらチビにだって仕事がある』ってな」
「それは……」
「当たり前だって思うか。そうだろうな。事実そうだ。トラだってなにも、全部が全部ハンターやってるわけじゃねぇ。血を見ただけで気絶するトラだっているくらいだ。だけどな、そいつらだって全部自分で仕事を選んでる。例え妥協の結果だろうと、それでいいって自分が納得して選んだ仕事だ」
 お前には無理だと馬鹿にされ、臆病なチビだと侮られ。
「最初から無理だって決めつけられて、やりもせずに引くのはトラじゃねぇ。カアシュはハンターであることを選んだ。チビだなんだとこけにされても、それでもハンターでい続ける事を選んだ。それがカアシュの誇りだ。ハンターをやってるってその事実が、カアシュの誇りの全てだ」
「そんなの……!」
「馬鹿げてるか? ああ、よく言われる。だが俺はそんなカアシュを誇りに思う。だから俺達は一緒にいた。なあチヒロ。チビで臆病なトラがよ、片足までぶっとばされてこれからどうやって生きてくよ。生きて行くだけならできるだろうが、誇りはどうなる。先に言っておくぞチヒロ。カアシュが目を覚まして、それで『生きていただけ感謝しろ』なんてつまんねぇこと言いやがったら、俺は絶対にお前を許さねぇ」
 それきりブルックは沈黙し、部屋には再び静寂が満ちた。
 ハンターであること。戦士であること。ただ生きる事よりも大切な、トラとしての誇り。
 ――誇りがなければ、生きられない。
 荒々しく扉が開いたのはその時だった。
「出発だブルック! カキシャがネコと話をつけた」
 ぎょっとして振り返った千宏の瞳と、カブラの青く透き通った瞳がぶつかる。
 怒鳴られるかなにかするだろうと予想して、千宏は咄嗟に反論の言葉を探した。
 だが、カブラはすいと千宏から視線を逸らし、小さく纏められた三人分の荷物を床に放ってブルックを見る。
「見つかったか。さすがカキシャだ!」
 嬉しそうに破顔して、ブルックも立ち上がる。
 それから、カブラは真っ直ぐに千宏に歩み寄り、丁度正面で立ち止まって静かに千宏を見下ろした。
「あの……」
「どけ。邪魔だ」
 静かな、だが決定的な拒絶の言葉だった。
 凍りついた千宏を横に押しのけ、カブラはカアシュの体を担ぎ上げる。
「二時間後に船が出る。もたもたしてる暇はねぇぞ。結構な長旅になるからな」
「よし、おまえはカアシュを連れて先に港に向かえ。俺も最低限の物だけ揃えてすぐおいつく」
 まるで、千宏など存在していないかのように振舞う二人に、千宏は表情を強張らせて立ち尽くした。
「まってよ……」
 こんな扱い、酷いではないか。
 確かに自分は、カブラ達を裏切った。だが、それでも――。
「ねぇ、ちょっと待ってよ! あたしだってカアシュの友達なんだ。船ってどういうこと? どこかに行くって、そういうこと? だったらあたしも――」
「おまえには関係ねぇ」
 言い放って、カブラは千宏に背を向け、ハンスの横を素通りして部屋を出る。後に続いたブルックの後姿を見送って、千宏は震える唇を噛み締めた。
 それから、どれくらいの間そうしていただろうか。黙って待つことに慣れきったハンスが痺れをきらし、もたせ掛けていた背を壁から離す。
「……チヒロ。帰ろう」
 言って、ハンスが静かに千宏を促す。
 しかし千宏はきっとハンスを睨みつけ、そして再び、トゥルムの宿を飛び出した時と同じように駆け出した。
「チヒロ!」
「テペウのとこにいく!」
「なんだと?」
 愕然と聞き返したハンスを無視し、千宏は再びイークキャリッジに飛び乗った。
 カキシャがネコと話をつけた。そう、カブラは確かに言っていた。
 ならばカキシャに訊けば大体の事が分かるだろう。そして現在、千宏が頼れるトラはただ一人。
 そしてその男は恐らく、この街で誰よりも頼りになる人物だった。

***

「ブラウカッツェよ。義肢職人に話をつけたの」
 探してもらう手間もなく、千宏がテペウの部屋に飛び込むと、果たしてそこにはカキシャがいた。
 丁度カブラ達のことを話していた所らしく、千宏は首尾よく情報を得ることに成功したのである。
「ネコの国ってすごーく広いのよ。で、技術だってどの国よりもぶっちぎり。だから職人の質ってピンキリなのよね。腕っていうか、性格的な意味でね。なんでもいいからって適当な義肢職人を選ぶと、ほんととんでもないことになるんだから。例えば、義肢を作りにいって逆に義肢の材料にされちゃうとか」
 実に恐ろしい話である。
 千宏もあのささやかな市場でネコとは何度か接触したが、どうやらあれでそれなりに善良な部類だったらしい。
「で、その職人を選んで仲介してるのがあたしってわけ。トラって本当にネコと相性悪いから、仲介するのって結構な骨なのよ? その点あたしはネコなんかに遅れを取らないほどかしこい美人さんだから、怪我をしたトラの戦士に抜群の職人を紹介できるってわけ」
「それで……そのブラウカッツェっていうのには、どうやったらいけるの?」
 簡単よぉ、とカキシャは笑う。
「今から一時間後にでる大型船にひらりと飛び乗って、三日間ゆらゆら揺られてれば眠ってても到着。港町だからね。なあに、もしかして追っかけていくつもりなの?」
「そりゃ、急いだ方がいいな。ネコの国に向かう船は、今日を逃すと次は一週間後だ」
 テペウが瓶の中の酒を飲み干しながら口を挟む。
 そんな、と千宏は立ち上がった。
「困るよ! だって、荷物は全部宿に置いてあるのに……!」
 今から戻って荷造りをしていたのでは、とても一時間後の出港に間に合わない。
 千宏が叫ぶと、テペウは何かを思い出したように声を上げた。
「宿っていやぁ、そうか。お前らはトゥルムのとこに泊まってんだったな」
「あら、じゃ好都合じゃない」
 カキシャも笑って、のんびりとグラスを傾ける。
 どういうことかと首をかしげる、千宏に、テペウは愉快そうに笑って見せた。
「渡りに船たぁよくいったもんだな。あいつは元ぁ船乗りだ。今じゃ宿屋の真似事なんざやってるが、この街じゃ船の出ない時期に海に出たきゃまずトゥルムに声をかける」
「うっそ! あのおじさんが!?」
 思わず叫んだ千宏の態度に、カキシャが声を上げて笑う。
「あんな薄汚い宿屋だけで、食べていけるわけ無いじゃない。あいつにとって宿屋は釣り場よ。なにも知らない他種族の女を部屋に泊めてお楽しみするためのね。いわば完全に趣味の領域。お金だけは無駄にもってんのよ。がめついから」
 千宏は愕然と顎を落とした。なるほど、道理で気軽に改装だなんだと決意できるわけである。
「それじゃ、出発までゆーっくりと、お姉さんがネコの国について教えてあげるわ。感謝してよね、チヒロちゃん」
 妖艶に笑ったカキシャの言葉に、千宏は笑顔さえ浮かべて頷く。
 そして一路はネコの国最大の港町――ブラウカッツェを目指して遺跡の街を後にした。

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